Personal Data
学生時代にやっておけばよかったことは?
お給料で買ってよかったものは?
業は、新商品発売のタイミングや新しい取り組みを始める時などに、メディアを集めて発表会を開く。そのことを新聞やテレビ、ウェブ、ラジオに取り上げてもらい、情報を世の中に広く届けるのが目的だ。
その際に裏方として活躍するのが、「広報」。例えば、発表会の前に新商品の開発者から、どういう特徴やストーリーがあるのかなどをヒアリングする。その情報をもとに、何をどう伝えるとメディアが興味を持つのか戦略を立てる。その戦略が当たると、新聞の一面に掲載されたり、ニュース番組で報じられたりする。その報道を見て、「狙いどおりにいった!」と喜びをかみしめるのが広報の醍醐味の一つだ。
日立製作所のグローバルブランドコミュニケーション本部コーポレート広報部で働く片桐研介さんもその一人。
1986年、神奈川県横浜市で生まれた片桐さん。小学生の頃は本の虫で、毎週図書館に通っていた。特に小説が好きで、お気に入りのシリーズを読み尽くした後は、図書館の棚の「あ」行から順 番に借りていった。 兄が通っていた塾に通い始めると、もともと得意だった勉強が楽しくなった。やればやるだけ成果が出るのが嬉しく、勉強するのが苦にならなかった。 中学は、受験をして神奈川県の名門中高一貫校・栄光学園に入学。もともと音楽も好きだった片桐さんは、友人の影響でギターを始めた。高校では軽音部に入り、バンド活動にのめり込んだ。他校のバンドと一緒にライブハウスを借りてライブをしたり、学園祭でも演奏したりした。 受験が近づいてくると、同級生たちは予備校に通い始めた。片桐さんも長期休暇中の講習などには参加したが、基本的には自宅で勉強をした。その した。しかし、軽い気持ちで応募しているから、書類選考の時点で落ちることが続いた。それは「すごくショック」なことで、改めて自分は何をしたいのかを自問自答した。そうしてたどり着いたのが、IT系という答えだった。「自分が主体的に関与して、手触りのあるものを売りたいと思いました。文系で、そういうモノづくりに近い領域で仕事ができる業界を考えて思い浮かんだのがIT系です」 高校生の時から音楽を通してパソコン操作にも慣れ親しんでいたし、数学が得意だというのも後押しとなった。大学でプログラミングの講義を選択し、自分に向いていると感じた。 IT系に絞り、主だった会社の採用試験をひととおり受けた。いくつかの内定を得たなかで、「ここで働きたい!」と就職を決めたのが、日立製作所だった。「日立は事業ポートフォ 時は、「俺が意志を強く持って勉強すればいいだけ」と思っていたそうだ。この強気が、裏目に出てしまう。「予備校に通うとコミュニティができて、みんなで一緒に勉強している感じがありますよね。でも、一人だと自分と向き合わざるを得ない。思うように勉強が進まないと、俺は駄目なやつだって自己嫌悪に陥ったりして、あまりいい環境ではなかったです」 結果的に志望大学には不合格となったが、進学した早稲田大学の政治経済学部は「多様性の高い大学。いろいろな刺激を受けて、自分の人生の中でもとても大切な四年間になりました」と振り返る。
大学でも音楽サークルに加入。同好の士たちと存分に好きな音楽を語り、バンド活動に精を出した。
就職活動の時期になると、最初は華やかそうな業界に憧れてエントリー
どこの企業にも存在する 「広報」 という役割。
しかし、 それがどんな仕事なのかはあまり知られていない。
もともとIT部門で働いていた日立製作所の片桐研介さんは、学生の 採用活動に携わったのを機に、 自ら志望して広報に異動した。
そこで暗中模索をしながら、少しずつ結果を出していく。
その過程で見出したやりがいとは?
勉 強 が 苦 に な ら ず 名 門 校 に 入 学 高 校 ・ 大 学 時 代 は バ ン ド 活 動 に 熱 中
I T に 興 味 を 持 ち 日 立 製 作 所 に 入 社 新 人 の 苦 悩 を 経 て 課 題 解 決 の プ ロ に
IT部門から広報に転身 未知の仕事に苦悩しつつ
やりがいを見出した 舞台裏で奔走する仕事
電機メーカー業界
広報編
株式会社 日立製作所
1986 1999
2005
2009
2016
神奈川県横浜市で生まれる 栄光学園入学
中学で陸上、高校ではバンド活動に熱中 早稲田大学政治経済学部経済学科入学 音楽サークルでバンド活動を継続 株式会社日立製作所入社 アウトソーシング事業部に配属 事業部名はITサービス事業部、
IoT・クラウドサービス事業部と変遷
現在のグローバルブランドコミュニケーション本部 コーポレート広報部に異動
片
か た桐
ぎ り研
け ん介
す け株式会社 日立製作所
グローバルブランドコミュニケーション本部 コーポレート広報部 主任
KENSUKE KATAGIRI
旅行ですね。学生時代に一番潤沢なリ ソースは時間です。その時間を使って 自分に投資をすると考えると、お金を借 りてでも旅行に行った方がいいんじゃな いかなと思います。
僕は物欲がそんなになくて、家族や友 人たちと楽しむための時間にお金を使 う方がいいなと思っています。人生で大 切なのは、趣味(好きなこと)を突き詰め るのと、最高に楽しかったっていう思い 出をどれだけ作れるかだと思います。
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これがききたい!
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TOSHIN TIMES 2021
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日の08:30 09:30 10:00 11:00 13:00 14:00 15:30 16:30 18:00
メール、記事チェック 社内打ち合わせ
プレスリリース作成に向けたヒアリング 別件のプレスリリースのレビュー 記者からの問い合せ対応 幹部取材の同席
取材メモの作成、記者との事後対応 記者会見に向けた広報プランの作成 終業
ちに、意識が変わっていった。「お客様からお金をもらって仕事をすることの大変さを実感しましたし、プロとはなにか、正解は与えられるものではなく作られるものだということを学びました」
三年目に入ると、徐々に責任ある仕事を任されるようになった。片桐さんの部署は大所帯ではなく、4~5人でチームを組んで仕事に臨む。顧客と直接やり取りしながら課題を抽出し、その課題を解決するための機能を考案、設計し、テストを経て納品する。その間、自分たちの手を動かしてプ IT部門を一手に請け負うアウトソーシングサービスのスキームを作るような大きい仕事をしたり、一方で小規模な新サービスの企画開発を行ったりする部門でした。一からサービスのデザインに関われそうだなと思って志望しました」 この部署で、片桐さんは社会人としての基礎を叩き込まれた。「どうしたらいいか、考えてみて」と仕事を振られ、無い知識を振り絞って出した案のダメなところを指摘される。その改善に行き詰まり、頭を抱えたところで助け舟が出される。それを繰り返されているう リオがとても幅広いんです。その会社のIT部門ならいろいろなところに関われそうだし、そのほうがおもしろいだろうと思いました」 日立製作所は、従業員数が約3万人、グループ全体で
35万人を越える巨
大企業。主な事業だけでもIT、エネルギー、産業向けサービス、鉄道や家電、医療など多岐にわたる。
2009年に入社し、約一年間の研修を経て片桐さんが配属されたのは、アウトソーシング事業部。これは、内定時に出した希望どおりだった。「その部署は、お客様の ログラムを組む。「例えば、お客さんのIT部門でなにか問題が起きた時に、それを解決するまでの一連の流れを記録するためのソリューションを考えました。これによって、今月どれぐらいの問題が生じて、そのうちのどれを解決したかがレポートとして見える化されるサービスです」
開発は毎回けっして一筋縄ではいかないが、顧客から喜びの声を聞くと、大きな充実感を得たという。
IT領域は進化が激し いため、ニーズも常に変化する。片桐さんが所属する事業部の名称は何度か変更され、業務もお客様のIT部門の運用を改善するコンサルティング業務などに移行していった。ここで六年間を過ごした後、片桐さんは自らの希望で広報部に異動した。
きっかけは、学生の採用に携わるようになったこと。学生と話をしているうちに、改めて日立の事業の多彩さに気づかされ、また、日立をアピールすることにもやりがいを感じた。そのうちに「せっかく日立に入ったんだから、もっといろいろな業種を見てみたい」と思うようになった。そして、日立のあらゆる部署と連携する
日立の多彩な事業に興味を惹かれて広報部に異動仕事のやりがいとは?
音楽は楽しいけれど、本当に将来何 をしたいのか? 優秀な同級生と比べて、
自分はちゃんと前に進めているのか? と 不安と焦りを感じていることと思います。
残念ながら大人になっても悩みは変 わりませんので、程々に悩みつつ、今を 楽しみましょう。人生100年、音楽は一 生の友ですし友人を増やしてくれます。
受験英語は仕事でも役に立っているし、
父にオーディオを組まされた経験もコロ ナ禍で生きてきます。仕事で動画配信 をやるとは。陳腐な言葉だけど、無駄な ことなんて無いというやつですね。
偉そうに語りましたが、今の自分は本 当に昔の自分に支えられているなぁと思 うのです。あの時やっておけば、と思う こともそれはありますが、なら今頑張れ よっていう話ですものね。昔の自分、い ろいろな蓄積をありがとうございます。
明日の自分も頑張ってください。
片桐 研介 Letter to myself in my highschool days
記者ハンドブック &
フリクションペン
広報に興味を持ったのだ。
2016年に異動した当初、仕事の内容も、求められる能力も前の部署とまったく違うことに戸惑った。自分の無力さに、「ただ働きでいい」とさえ思った。「広報は、日立の事業や伝えたいメッセージを理解している前提で、日立が伝えたいニュースとメディアのニーズをうまく組み合わせてアウトプットに繋げるのが仕事です。これが本当に思ったようにいかなくて」
落ち込む片桐さんの励みになったのは、自分で発信に関わった情報が、大手新聞に掲載されたこと。それは小さな記事だったが、自分の仕事が
1自社PRの場として記者会見や発表会は有効な場だ。実際に 片桐さんが記者会見の司会進行を行うことも。2広報の仕事は
「毎日すごい発表に立ち合える」と、その醍醐味を語ってくれた片桐 さん。3 日立では外国人記者を招いて取材を行うことがある。広報 として、他部署と連携を取り、運営を行っている。4ラスベガスで 米国子会社がイベントを行った際、現地に赴き取材記者のアテンド を担当。「会場となったホテルの大きな広告スペースに日立の動画 が映し出されているのは感動しました」。
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何百万人の目に触れるという広報の仕事の醍醐味を味わった。
冒頭に記したように、広報は戦略が問われる。ニュースを記した資料をメディアに配布するだけのこともあれば、記事にしてもらうために記者を集めてレクチャーをしたり、大々的に発表会を開くこともある。「ニュースのわかりやすさや、時流にどれだけ乗っているのかを考えて、記者へのアプローチを考えます」
企業がなにかを発表している映像や記事がメディアに流れる時、その舞台裏では広報の知られざる奔走と奮闘があるのだ。 広報部には
16名いて、
基本的に毎日情報を発信している。仕事の成果とは別に、片桐さんが楽しみにしているのは「毎日すごい発表に立ち合えること」だという。「毎日、日立グループのいろいろなジャンルの発表があるのですが、それぞれが何年もかかった研究や事業の成果なんです。その内容について研究者や担当者と話して理解を深めていると、知的好奇心が刺激されます。短い時間で濃厚な情報を頭に詰め込んで、戦略を練って世に送り出す。そのサイクルは、自分にとってすごくエキサイティングですね」
記者ハンドブック
新聞上の記載の仕方を50音順 でまとめた本。「プレスリリースを 執筆するうえで参考にしています。
常用漢字に準拠するなど、言葉 のルールについて学ぶ機会が 広報部に入るまでなかったので 新鮮でした」
フリクションペン
プレスリリース用の原稿を確認する際に 使用している消せるボールペン。「コロナ 禍で使用頻度は減りましたが、紙に書き 込むことで、一人称で文章を校正し、考 える力がついたように思います」
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