(解 答番号 1 〜 E34コ )
鮮号1 問 あ る高校生が, 日本史の体験学習で地元の県立文書館 をお とずれたときの 文書館員 との次の会話文 を読み, 下 の問い( 問1 〜 3 ) に答えよ。 は己点 8 )
高校 生
館 員
高校 生 館 員
高校 生 館 員
高校 生
図書館 はよ く利用 しますが,文 書館 に来 るのはは じめてです。 どこが違 う のか教えて くだ さい。
図書館 の郷土資料室で も歴史 を調べ られ ますが,出 版 された本 を利用す る ことが多 いですね。文書館 は,歴 史 を本格的 に調べよ うとす る ときな ど に,③ もとになる歴 史資料 を中心 に利用 して もらう施設です。
もとになる歴史資料ですか ?
そうです。 こち らに昭和期の戦争に関する資料を展示 していますので見て ください。 こうした実際の資料を見ると, 歴 史の生々しさが伝わってきま すね。また, 文 書館では⑤長い歴史のなかで戦災や自然災害などを免れ て伝来 した古文書の保存に加えて, 県 庁で用いられているた くさんの書類 の中か ら重要 な もの を選 んで保存 し, 未 来 に伝 える役割 も果た して いま す。ただ, ま だ設置が進んでいない県 もあ ります。
その場合 の資料 は どうな るのですか。
大切な資料が失われていく可能性がありますが, ⑥ 県立の文書館だけで
な く, さまざ まな形 で歴 史 を未来 に伝 え る努 力は続 け られ て い ます。
資料を残す努力があって こそ,資 料は残っているのですね。 ご説明あ りが とうございました。
一‑ 52 ‑一
(2602‑‑52)
日本 史 A 問 1 下線部③に関連して, あ る歴史資料を撮影した次の写真について述べた文と
して正しいものを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 1
O
②
③
④
この歴 史 資料 は, この歴 史資料 は, この歴 史資料 は, この歴 史資料 は,
国民 に徴 兵検 査 を うける ことを命ず る文 書 で あ る。
軍隊 に志願す る者 が提 出す る文書 で あ る。
赤色 の紙 が用 い られ た ので俗 に 「赤紙」とよばれ た。
自衛 隊 の設 置 に ともな い作成 され た。
一‑ 53 ‑一
( 2 6 0 2 ‑ 5 3 )
日本史 A
問 2 下線部⑤に関連して述べた次の文 I 〜田について, 古 いものから年代順に1 1
しく配列したものを,下の0〜⑥のうちから一つ選べ。 2
I 士 族の反乱が鹿児島で起 こると, 島 津家伝来の重要文書は, 戦 火を避ける ために城外 に移 された。
Ⅱ 平 田篤胤 らの活動 によって国学が普及 し, 日 本古来の姿 を伝える古文 キの 収集 ・保存 を促進す る契機 となった。
田 応 仁の乱 によって, 京 都の朝廷や公家の伝来文書が数多 く失われた。
O I 一
正 一
皿
②
I ― Ⅲ
― 工
③
エ ー
I ― 皿
④ エー田―I ⑤ 皿―I ―工 ◎ 皿―エーI
間 3 下線部⑥に関連して述べた次の文X ・ Y と , そ れに該当する県名a 〜 d との
組合せとして正しいものを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 3
X 板 垣退助 の出身地 であ る この県 には, 自 由民権運動 の資料 を収集 して保 存 ・活用す るために, 市 立 の記念館が設立 された。
Y 禁 門の変で敗北 した ものの明治維新で大きな役割 を果た した藩があった こ の県 には, そ の落の古文書 を受け入れ ることを機 に, 県 立の文 書館が設立 さ れた。
a 佐 賀県 b 高 知県 c 山 田県 d 広 島県
O X 一 a Y ― c
③ X ― b Y ― c
② X ― a Y 一 d
④ X ― b Y ― d
‑ 5 4 ‑
(2602‑54)
日本史 A 第 2 問 幕 末 ・明治期の西洋との出会いと文化の導入に関する次の文章A・ Bを 読
み, 下 の問い ( 問1 〜 6 ) に 答 えよ。 ( 史料は, 一 部省略 した り, 書 き改 めた りした ところもある。) ( 配点 1 8 )
A 次 の史料 1 は , ペ リー艦 隊が 1 8 5 3 年には じめて浦賀 に来航 した ときのベ リー 側 の記録, 史 料 2 は , 翌 年再来航 した ときに浦賀奉行 ( 浦賀 に置かれ た幕府 の奉 行) が出 した触 ( 十旨示) である。
史料 1 ( ペ リーの) 艦隊が水道 を通過 して浦賀 の内湾 に入 った時 には, 多 数 の漁船 が急 いで逃 げて行 つた。 又その乗組員達 は, 自分達が十分 に安全な距離の ところ まで来 た と思 うと櫓 を漕 ぐ手 を休め, 心 配そ うな顔付 をして凝っ と外来人達 をみ つ めて いた。 ( L 停略) ( さらにペ リー艦隊は江戸湾 の中に進み, そ の測量隊のボー トが川 に入 り) 航進 してゆ くうち に, 外 国人 を見た い と云 う好奇心 を満足 させ よ うとして岸 に集 まって来た住民の群 に出会 った。人民の或 る者はあ らゆる身振 り 手真似で歓迎の意 を表 してボー トに挨拶 を し, ボ ー トヘ喜んで水 とすば らしい梨
を幾個か提供 して くれた。 ( 土 屋喬雄 ・玉城肇訳 『ペル リ提督 日 本遠征記』)
史料 2 異 国船碇泊 の場所へ, 小 舟 にて猥 りに近付 き 候 もの も これ有 るや にて, 右 は御 国法 を弁 えず, 如 何 の事 に候。以来, 右 体 の 輩 ( 注) 見請 け次第捕 り押 さ え, 厳 敷 く申 し付 くべ く候。 ( 『 大 日本古文書 幕 末外国関係文書』)
( 注) 右 体 の輩 : こ のよ うな人々
一‑ 55 十 一
(26(〕2‑‑55)
日本 史 A
問 1 史料 1 ・ 2 を読み, ベ リー来航に対する当時の人々や幕府の対応について述
べた文として誤つているものを,次の0〜④のうちから一つ選べ。 4
0 浦 賀周辺の漁民のなかには, ベ リー艦隊の巨大な黒船 を見て逃げた者がい た。
② 江 戸湾周辺の住民はふだん外国人 と接触す る機会はなか ったが, ベ リーー 行 と交流 しよ うとす る者 もいた。
③ ペ リー艦隊が碇泊 していた場所 に,小 舟 に乗って近づ こうとした 者がい た。
④ 幕 府 はペ リー艦隊 との紛争を避け,民 衆にペ リーー行 とできるだけ交流す るよ うに指示 した。
問 2 最 初 にベ リーが来航 してか ら翌年再来航す るまでに幕府が とった対応 につ い
て述べた文として正しいものを,次の0〜④のうちから一つ選べ。 5
0 老 中阿部正弘が諸大名 に対 し,ア メ リカ大統領国書への対応 についての意 見 を求 めた。
② 沿 岸 に近づいた欧米諸国の船への砲撃 を命 じる異国船打払令 を出 した。
③ 異 国船 に対す る幕府 の対応 を批判 した渡辺畢山 らを処罰 した。
④ 領 事裁判権 の規定 のある条約 をアメ リカ と結んだ。
‑ 56 ‑一
( 2 6 0 2 ‑ 5 6 )
間 3
日本 史 A ペリー来航以後の政治情勢に関して述べた次の文 I 〜Ⅲについて, 古 いもの
か ら 年 代 順 に 正 し く 配 列 し た も の を, 下 の0 〜 ⑥ の う ち か ら一 つ 選 べ。
I 坂 本 竜馬 らの仲介 によ り, 薩 長同盟 ( 連合) が結ばれた。
工 井 伊直J E が大老 に就任 し, 反 対派 を厳 しく弾圧 した。
Ш 八 月十八 日の政変 によ り, 長 州落の勢力が京都か ら追放 された。
O I ― エー
④ H ―皿―
② I ―田―
⑤ 皿― I ―
◎ H ―I ―
⑥ 皿―Ⅱ―
田 I
ロ ロ
Ш I
‑ 5 7 ‑ ( 2 6 0 2 ‑ 5 7 )
写真
日本史 A
間 4 空 欄 ア Eコ に入 る語 句 の組 合せ と して正 しい もの を,次 の0〜 ④ の うちか ら一 つ選 べ。 7
0 ア 唱 歌 イ 滝 廉 太郎 ② ア 唱 歌 イ 鈴 木 二 重 吉
③ ア 歌 謡 曲 イ 滝 廉 太郎 ④ ア 歌 謡 曲 イ 鈴 木 二重 吉
間 5 図 を参考 に しなが ら, 学 制が実 施 され た ころの小学校 の授 業 につ いて述 べ た
文として正しいものを,次の0〜④のうちから一つ選べ。 8
0 お もにお雇 い外国人 によ り英語で授業が行われた。
② 文 部省が編集 した国定教科書 を使 って授業が行われた。
③ 男子も女子も学んでいた。
④ 児 童 は教 育勅 語 を暗唱 させ られ た。
問 6 下 線部④に関連して, 学 制の実施にあたっては民衆の反対運動もみられた。
その原因について述べた文として正しいものを, 次 の0〜 ④のうちから一つ選
べ 。 9
0 学 制布告 の中に 「血税」の語があったため。
② 学 校 の建設費や授業料が民衆の負担 とされたため。
③ 学 校 にキ リス ト教禁止の掲示が掲 げ られたため。
④ 華 族 ・士族のみで平民は教育をうけ られなかったため。
一‑ 59 ‑一
( 2 6 0 2 ‑ 5 9 )
日本史A
第 3問 明治時代の外交に関する次の文章A・Bを読み,下 の問い(問1〜5)に容
えよ。 (配点 15)
A 明 治政府が成立す る と, 日本 は周辺の諸国 ・地域 との関係 を再編成 した。近世 に正式な国交がなか った清 国 とは 1871年に 日清修好条規 を結んだが,そ の批准 の可否が 問題 とな って いる間 に,④ 亜球 の官古島の島民 らが漂着先で穀字 さオ1
る事件が起こった。政府では対応策が議論されたが, 結 局⑤大久保利通を中心
とす る政権 の も とで, 事 件 が起 こった地域 に対す る出兵が行 われ た。
また 1875年には,⑥ 日本軍艦の挑発による武力衝突事件が起 こり,こ れを きっかけに翌年には日本の威圧のもとで日朝修好条規が結ばれた。その後,日 本 が朝鮮に対する進出の度合いを強めていくと,朝 鮮の宗主国の立場をとる清国と
日本との対立がしだいに深まり,① 甲中事変などが起こった。
問 1 下 線部④および⑥の事件が起こった場所を次の地図中のア〜工から選び,そ
の組合せとして正しいものを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 10
⑥ エ
⑥ エ
アイ
③
③
②
④
ウ ウ
⑥
⑥
ア イ
④
④ O
③
一‑ 60 ‑―
( 2 6 0 2 ‑ 6 0 )
日本 史 A 問 2 下線部⑥に関連して, 当 時の国内状況について述べた文として正しいもの
を,次の0〜④のうちから一つ選べ。 11
0 内 閣総理大 臣を首班 として政治が運営 されていた。
② 政 府への批判 をかわすために, 国 会 開設 の勅諭が出された。
③ 征 韓論 をめ ぐる政変 によ り, 西 郷隆盛 らが下野 して いた。
④ 困 民党 を中心 として困窮農民 らが蜂起 し, 政 府軍が これ を鎖圧 した。
間 3 下 線 部① に関 して述 べ た文 と して誤 つて いる もの を, 次 の0〜 ④ の うちか ら 一つ選べ。 12
0 金 玉均 ら朝鮮 の開化派 ( 独立党) が 日本 の支援 を得て クーデタを起 こした。
② 清 国軍がクーデタ鎮圧 に動き, 日清間の対立が深まった。
③ こ の事変 の結果, 清 国は朝鮮が独立国である ことを公式 に認めた。
④ こ の事変 ののち, 福 沢諭吉は 「脱亜論」を主張 した。
‑ 6 1 ‑ (2602‑‑61)
日本 史 A
B 江 戸時代後期より日本列島の北方から進出してきたロシアとの関係が問題とな り, 幕 末 か ら明治 時 代 にか けて, ◎ 担 本 とロシア との間 で結 ばれ た い くつ か の 条約 によ って 両国間 の国境 がそ のつ ど定 め られ た。 明治 政府 は, 北 海道 に対 す る
統治を確実に行うため, 開 拓使を設けて屯田兵を配置し, ① 先住民族であるア
イ ヌ に対 す る政策 を進 めて いった。
間 4 下 線部⑥に関して述べた次の文 I〜 田について,古 いものから年代順にFHし
く配列したものを,下の0〜⑥のうちから一つ選べ。 13
I 千 島全 島 を 日本領 と し, 占 守 島 とカムチ ャツカ半 島 との間 を国境 と し た。
工 樺 太 (サハ リン)のほぼ中央の北緯 50度 を国境 とした。
Ⅲ 択 捉 島 と得撫 島 との間を国境 とした。
O I ―
Ⅱ
― 皿
②
I ― 田
― 工
③
正 一
I ― Ш
④ Ⅱ―田―I ⑤ 田―I ―Ⅱ ⑥ 回―エーI
問 5 下線部①に関連して, ア イヌに関して述べた文として正しいものを, 次 の
0〜 ④のう ち から 一 つ 選べ 。E14コ
0 明 治政府が成立す ると, ア イヌ との交易の独 占を目的 として開拓使が設 置 された。
② 明 治時代 に政府 は, ア イ ヌの生活・風俗 を日本化 しようとする同化政策 を 進 めて いった。
③ 明 治時代 に政府 は, ア イヌを中心 として屯日兵 を編成 した。
④ 第 二次世界大戦後, ア イヌに対す る差別 の解消 をはか るため, 北 海道 旧上 人保護法が制定 された。
‑ 62 ‑一
( 2 6 0 2 ‑ 6 2 )
日本 史 A 第 4 間 近 代の政治 ・社会に関する次の文章を読み,下 の問い(間1〜4)に容え
よ。 ( 配点 1 2 )
普通選挙制 とは, 財 産 ・納税額 ・身分 ・性別な どによる制限な しに選挙権 ・被選
挙権を認める制度をいう。④普選運動が国民の支持を得て広がっていき,政 府が
対 応 を迫 られ て い くな か で, ア 内 閣 は普 通 選 挙 法 を成 立 させ , 2 5 歳 以 上 の 男性 には納税 額 に関係 な く選挙権 が与 え られ た。
だが, 性 別による差別は残された。明治期から⑤男女平等 ・女性の権利拡張を
求 める声は しだ いに高 まっていたが,女 性 の選挙権 は認め られなかったのである。また,政 府 は同 じ議会で イ を 成 立させ,普 通選挙 によって予想 され る無産 階級 の政治 的進 出 をお さえよ うとした。 匡 互コ は戦前 ・戦 中を通 して,⑥ 社会 主義や無政府 主義 の運動,政 府 に批判的な人々を取 り締 まるために用 い られた。
イ イ イ
イ
ア ア O
③
田 I
ロ ロ
Ⅱ 皿
② I ―田―
⑤ Ⅲ― I ―
‑ 6 3 ‑
問 1 空 欄 ア E□ に入 る語句の組合せ として正 しいものを,次 の0〜 ④ の うちか ら一 つ選 べ。 15
加藤 高 明 原 敬
間 2 下 線部④に関して述べた次の文 I〜 Шについて,古 いものから年代順に1ltし
く 配列し たも のを ,下の 0〜 ⑥のう ち から 一 つ 選べ 。E16コ
I 日 本初 の社会主義政党が結成 され, 普 通選挙の実現 をかかげた。
工 第 二次護憲運動が展開された。
Ш 選 挙権 の納税資格が直接国税 3 円 以上に引き下げ られた。
O I ―
④ エー
― l l l
― I
治安維 持法 ② ア 加 藤 高 明
治安維持法 ④ ア 原 敬
③ Ⅱ― I ―
⑥ Ⅲ―エー
破壊活 動 防 止法 破壊活 動 防 1 1 1 法
( 2 6 0 2 ‑ 6 3 )
日本史 A
問 3 下線部⑤に関して述べた次の文X ・ Y と , そ れに該当する人物a 〜 d との組
合せとして正しいものを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 17
X 自 由民権運動 に活躍 したが, 大 阪事件で逮捕 ・投獄 された。
Y 無 政府主義 に傾倒 し, 関 束大震災の ときに甘粕正彦憲兵大尉 らに殺害され た。
■ 景 山 ( 福田) 英子 b 市 川房枝 c 与 訪l 野晶子 d 伊 藤野枝
間 4 下線部⑥に関連して, 日 中戦争勃発前後の社会動向に関して述べた次の文
X ・ Y に つ いて, そ の正誤 の組合せ と して正 しい もの を, 下 の0 〜 ④ の うちか ら一つ選 べ。 1 8
X 政 府 による思想弾圧 は宗教 にもおよび, キ リス ト教や国家神道が迪害 をう けた。
Y 人 民戦線事件で経済学者 の大内兵衛 らが検挙 された。
O X ― a Y ― c
③ X ― b Y ― c
O X t t Y 正
③ X t t Y 正
② X ― a Y ― d
④ X ― b Y ― d
② X t t Y 誤
④ X t t Y 誤
‑ 6 4 ‑
(2602‑‑64)
日本史A 第 5 間 近代日本における代表的な外交官の 一人であり,政治家としても活動した
幣原 喜 重 郎 に関す る次 の文 章 A 〜 C を 読 み, 下 の問 い ( 間 1 〜 8 ) に 答 え よ。
( 配点 2 3 )
A 1 8 7 2 年 , 現 在 の大 阪府 P l 真市に生 まれ た幣原 は, 大 学 卒業後外 務省 に入 省 し, 外 交官 として の経験 を重ね た。第一次 世界大戦下 にお いて外務次 官 に就任
し,そ の後の内閣において④ロシア革命に対する日本軍の介入の事後処理など
に従 事 した。 そ の後駐 米大使 と して ア メ リカ に赴 任 した幣原 は, ワシ ン トンで実
施された国際会議において全権の一人として出席し, ⑤ 海軍軍縮および中国大
陸 ・太 平洋 にお け る列 強諸 国 との権 益調整 に尽 力 した。
問 1 下線部④に関して述べた次の文X ・ Y に ついて, そ の正誤の組合せとして正
しいものを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 19
X 日 本 は, イ ギ リスな ど他の派兵国よ りも長期にわたって介入 を継続 した。
Y こ の軍事介 入 の影 響 で, 国 内の米価 が下落 し, 困 第 した農民が全国で騒 l ̲ S を起 こした。
O X 正
③ X 誤
誤 誤 Y Y 正
正 Y Y
② X 正
④ X 誤
問 2 下 線部⑤に関して述べた次の文 I〜 皿について,古 いものから年代順に11:し
Ш I 田
I
② I ―Ш―ロ
⑤ 皿一I ―ロ
ー 6 5 ‑
③ エーI ―
◎ 皿―正一 く配列したものを,下の0〜⑥のうちから一つ選べ。 20
I 国 策 の手段 としての戦争の放棄 を約 した不戦条約に調印 した。
工 補 助艦 の総保有量 ( トン数) を英 。米 の約 7 割 とす る ことに合意 した。
Ⅲ 主 力艦保有量 ( トン数) を英 ・米の 5 分 の 3 に 制限す る ことに合意 した。
O I ― Ⅱ―
④ エー皿一
( 2 6 0 2 ‑ 6 5 )
日本 史 A
B ⑥ 幣原が外務大臣として活躍した期間は,一 時の中断をはさんで 1924年か ら 1931年までの長期にわたるが,そ の間の外交方針はほぼ一貫してお り③ 「幣原外 交」とよばれた。軍縮条約への取組みなどにこうした姿勢は顕著である。しかし このような幣原の外交方針は,対 立勢力や◎中国における日本軍の行動によっ て妨げられることになる。最終的に 1931年,陸 軍が中国東北部で起 こした軍事 行 動 な どによ って, 幣 原 の外交 路線 は挫 折 した。
問 3 下線部⑥に関連して, 1 9 2 0 年代の日本は国内で社会運動が活発化した時期
として も知 られて いる。次 の表 を参考 に しなが ら, この時期 に農村で起 こった 小作 争議 に関 して述べた下 の文 X ・ Y に ついて, そ の正誤の組合せ として正 しいものを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 21
小作 争議 の件数 と規模 項 目
年
小 作 争 議 件 数
A 参 加 小 作 人 数 B
加 A 参
/ の
B り 数 当 人 件 作
1小
92041二 922年 924句4 9264「― 928年 9304F 932年
408 1,578 1,532 2,751 1,866 2,478 3.414
34,605 125,750 110,920 151,061 75,136 58,565 6 1 , 4 9 9
84.8 79,7 72.4 5 4 , 9 40.3 23.6 1 8 . 0 ( 安藤 良雅編 『近代 日本経済 史要覧 ( 第2 版 ) 』よ り作成)
X 普 通選挙法が成 立 した前後 の両年 を比較す ると, 小 作争議件数は増加 をみ せ たが, そ の後 は一時的 に減少 した。
Y 世 界恐慌の影響が 日本 に波及 した結果, 困 窮 した農民による個 々の争議が 大規模化す る傾向がみ られた。
O X 正
③ X 誤
誤 誤 Y Y 正 誤 X X
②
④ 正
正 Y Y
一‑ 66 ‑一
( 2 6 0 2 ‑ 6 6 )
日本 史 A 間 4 下線部①に関連して, 幣 原が外務大臣として推進した外交政策について述べ
た文として正しいものを,次の0〜④のうちから一つ選べ。 22
① 米 ・英 との協調のため,南 満州鉄道株式会社の解散を決定 した。
② 中 国国民革命軍 の北伐 に対抗 して, 山 東半島に出兵 した。
③ ロ ソ基本条約 を締結 し, ソ 連 との間 に国交 を樹立 した。
④ 東 アジアの結束 を誇示す るため大東亜会議 を開催 した。
問 5 下 線部◎に関連して, 1 9 2 0 年代から3 0 年代にかけての日本軍の国外活動に 関して述べた次の文 I 〜 皿について, 古 いものから年代順に正しく配列したも
のを ,下 の 0〜 ⑥のう ち から 一 つ 選べ 。E23コ
I 日 本軍 が 中国 の都市南京 を占領す るに際 して, 捕 虜 や非 戦 闘員 を殺 害す る 事 件 が起 きた。
工 中 国束 北部 で の 日本軍 の活 動 に対 して, 国 際連盟 か らリッ トン調査 団が派 遣 され た。
皿 関 束軍 参謀 河本 大作 らが, 中 国軍 閥 の一人で あ る張 作 需 を, 奉 天郊外 にお いて爆殺 した。
O I ― エーШ ② I ―Ⅲ―Ⅱ ③ Ⅱ―I ―Ш
④ Ⅱ―Ⅲ―I ⑤ Ⅲ―I ―工 ⑥ 皿―H ―I
‑ 6 7 ‑
( 2 6 0 2 ‑ 6 7 )
日本 史 A
C 戦 後 , 閣 は連 合 組 んだ ほ るな ど, また,③
幣原は知米家 としての経歴 を買われ, 内 閣総理大 臣に就任 した。幣原内 国軍最高 司令官総 司令部 ( ( 〕I I Q ) のいわ ゆ る五大改革指令 の実現 に取 り か, 新 憲法草案 の作成や天皇の神格 を否定す る詔書の車案作成 にも携わ
① 戦後改革の中心的な政策を次々と実施した内閣であったといえる。
終 戦 直後 の物価 L 昇 や 食糧危 機 へ の対 策 に もつ とめ た が, 1 9 4 6 年 4 月
に実施された戦後初の総選挙において勝利することができず, 総 辞職した。幣原 は, そ の後も衆議院議長などを歴任し, 1 9 5 1 年3 月に7 8 歳で没した。①講和条 約が調印される約半年前のことであった。
間 6 下 線部①に関連して,戦 後改革期に実施された諸施策について述べた文とし
て 誤つ ているも のを ,次 の 0〜 ④のう ち から 一 つ 選べ 。E24コ
O G H Q に よ り労働組合 の結成が奨励 され, 労 働条件改善 を 目的 とす る労 1 9 1 基準法が制定 された。
② 特 別高等警察 の廃止や, 共 産党員な どの政治犯の釈放が行われた。
③ 経 済機構 の民主化 の一環 として,独 占禁止法が制定された。
④ G H Q に よ り教育制度 の 自由主義的改革が指示 され, 修 身教育が導入 され た。
問 7 下線部③に関連して, 戦 後改革期における経済対策に関して述べた次の文
X ・ Y に つ いて,そ の正誤 の組合せ と して正 しい もの を,下 の0〜 ④ の うちか ら一 つ 選 べ 。 2 5
X 降 伏 と同時 に食糧 の配給制度が全面的 に廃止 され, 価 格の統制 も撤廃 され た。
Y 物 価上昇を抑制す るため, 金 融緊急措置令 によって国民の預金が封鎖 され た。
誤 誤 Y Y 正 誤 X X
②
④ 正
正 Y Y 正 誤 X X O
③
‑ 6 8 ‑
( 2 6 0 2 ‑ 6 8 )
日本史 A
問 8 下 線部⑤ に関 して述べた文 として正 しいものを,次 の0〜 ④のうちか ら一つ選 べ。 2 6
0 こ の条約調印 と同時 に小笠原諸島が返還 された。
② こ の条約調印 をきっかけ として, 警 察予備隊が発足 した。
③ こ の条約 の調印 と同 じ日に, 日米安全保障条約が調印 された。
④ こ の条約 の調印 には, ソ 連 を除 くすべての交戦国が参加 した。
‑ 6 9 ‑
(2602 69)
日本史A
第 6間 近代の政治と社会に関する次の文章A 〜 C を読み,下 の問い( 問1 〜8) に
答 え よ。 ( 史料 は, 一 部省 略 した り, 書 き改 めた りした と ころ もあ る。) ( 配点 2 4 )
A 1 8 8 9 年 2 月 , 大 日本帝国憲法の発布 によ り, ア を 統治権 の総楯 ( 注) 者と 定 め, 議 会制の導入 を踏 まえた近代国家 としての制度的枠組みが決定 された。 翌 年 には,合 大 日本帝 国憲法 と同時 に制定 され た衆議 院議 員選挙 法 に も とづ き, 第 1 回 総選挙 が行 われ, 自 由民権 運動 の流 れ を くむ民党 が衆 議 院 の過 半数 を 占め た。 これ に対 して政府 は, 超 然主義 をかか げて軍拡 政策 を進 め, 民 党 と鋭 く対 立
した。
1 8 9 2 年, 第 2 次 イ 内 閣 が 成 立 す る と, 首 相 は 自 由党 と接 近 し, 第 4 議 会 にお いて, 内 閣 と議 会 との協 力 を求 め る詔書 を天皇 に出 させ て, 海 軍拡張 費 を 柱 とす る予算 案 の成 立 に成 功す る。 以後 , 自由党 は政府 の積極 政策 に協力 して ' チ
党色を強めていく。そして, ⑤ 政府と議会との対立の中心は, 野 党にとどまっ
た立憲 改進党 な どとの間で繰 り広 げ られ る条 約改 正 問題 へ と移行 して いった。
(注)総 憎 :一 手 に掌握す る こと
間 1 空 欄 ア E王 王]に 入 る語句の組合せ として正 しいものを,次 の0〜 ④
のう ち から 一つ選べ。E27コ
0 ア 内閣総理大臣
② ア 内閣総理大臣
③ ア 天 皇
④ ア 天 皇
イ 伊 藤博文 イ 山 県 有朋 イ 伊 藤 博文 イ 山 県 有朋
一‑ 70 ‑一
( 2 6 0 2 ‑ 7 0 )
日本史 A 問 2 下線部④に関して述べた文として誤っているものを, 次 の0〜 ④のうちから
‐つ選 べ。 2 8
0 内 閣総l l I 大匝は, 衆 議院第 1 党 の党 首とす る ことが憲法 に明記された。
② 第 1 回 総選挙 の有権 者数は, 当 時の総人 口の約 1 . 1 % に あたる。
③ 第 1 回 総選挙 の ころ, 政 府 を支持す る政党 は吏党 とよばれた。
④ 民 党議員 の多 くは, 地 方 の地主層 を支持基盤 とす る者たちであった。
間 3 下線部⑤に関連して, 政 府が進めた条約改正交渉の経過に関して述べた次の
文 I 〜 皿につ いて, 古 い ものか ら年代順 に正 しく配列 した もの を, 下 の0 〜 ⑥ の うちか ら一つ選 べ。 2 9
I 大 審院 に限定 した外国人判事 の任用 を条件 に交渉 を進めた。
工 関 税 自主権 の完 全回復 を実現 した。
皿 交 渉 を容易にす るため, 極 端な欧化政策 を進めた。
O I ―
正 一
回
②
I ― 皿
― 正
③
正 一
I ― Ⅲ
④ Ⅱ―皿―I ⑤ 回―I ―Ⅱ ⑥ 回―エーI
‑ 7 1 ‑
(2602‑ 71)
日本 史 A
B 1901年 ,官 僚勢力をは じめ,陸 軍や貴族院を支持基盤 とする長州閥の柱太郎 が内閣を組織 して以後,◎ 桂 と立憲政友会総裁の西園寺公望 とが,妥 協 と対立 を重ねなが ら政権を交互に担当する桂園時代が幕を開ける。 こうして,維 新の元 勲であった伊藤博文や 山県有朋は政界の表舞台か ら退 いた。
1 9 1 2 年, 第 2 次 西園寺内閣が, 財 政悪化 を理 由に陸軍 の 2 個 師回増設要求 を 拒否 した ことか ら, 陸 軍 の抵抗 にあい総辞職 に追 い込 まれた。代わ つて桂太郎が 3 度 目の内閣を組織す ると, 国 民の間には, 陸 軍 ・落閥の横暴だ とす る強 い反発 が起 き, 立 憲政友会の尾崎行雄や立憲国民党の ウ ら の政治家, 言 論人を中 心 に 「憲政擁護J 「閥族打破J を唱える憲政擁護運動が展開された。
この憲政擁護運動 によって, 翌 年 2 月 , 桂 内閣が, 成 立か ら 5 0 日 あま りで退 陣 す る と, 薩 摩 藩 出 身 の 工 が 立 憲 政 友 会 を与 党 と して 内 閣 を組 織 し,
①軍部大臣の現役武常規定 を撤廃す るな ど改革 を進めた。
エ エ エ エ
間 4 空 欄 ウ E工 ]に 入 る語句の組合せ として正 しいものを,次 の0〜 ④ の うちか ら一 つ選 べ。 30
0 ウ 高橋是清
② ウ 高橋是清
③ ウ 犬養毅
④ ウ 犬養毅
寺内正毅 山本権兵衛 寺内正毅 山本権兵衛
一‑ 72 ‑一
( 2 6 0 2 ‑ 7 2 )
日本 史 A 問 5 下線部⑥に関連して, この期間に起こった出来事に関して述べた次の文 I 〜
皿につ いて, 古 い ものか ら年代順 に正 しく配列 した もの を, 下 の0 〜 ⑥ の うち か ら一 つ選 べ。 3 1
I 政 府 は, 韓 国に併合条約 を結ばせ植民地 とした。
エ キ リス ト教徒の内村鑑三が, 『万朝報』で非戦論の論陣をはった。
田 講 和条件 に不満 を募 らせ た民衆が, 日 比谷焼き打ち事件 を起 こした。
O I ―
エ ー
皿
②
I ― 皿
一 工
③
Ⅱ
―
I ― Ш
④ Ⅱ―皿― I ⑤ 皿― I ―Ⅱ ⑥ 皿―Ⅱ― I
問 6 下線部①に関して述べた次の文X ・ Y に ついて, そ の正誤の組合せとして司:
しいものを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 32
X 軍 部大 臣の現役武官規定 の撤廃 によ り, 政 党員か ら陸軍大臣 ・海軍大匝が 任用 された。
Y 軍 部大 臣の現役武官規定が復活す るのは, 二 ・二六事件後 に成立 した広 H l 弘毅内閣の ときで ある。
O X t t Y 正
③ X t t Y 正
② X t t Y 誤
④ X t t Y 誤
‑ 7 3 ‑
( 2 6 0 2 ‑ 7 3 )
日本 史 A
C 第 一次 世界大 戦 中か ら世界 的 にデモ ク ラシー の気運 が高 まった。 この よ うな気 運 を政 治 思 想 の 画か ら発 展 させ た 人物 に吉 野作 造 が い る。次 の史料 は, 『叫1 央公 論』に掲載 され た吉 野 の代表 的論文 の一 節である。
憲政の根ほ となす ところのものは, 政 治上一般民衆を重んじ,そ の間に景賤 上下 の別 を立てず, しか も国体 の君主制たると共和制たるとを問わず, 普 ね く 通用す る ところの主義たるが政 に, 民 本主義 とい う比較的新 しい用語が 本番適 当であるか と思 う。 ( 中略)
( デモ クラシー という) この言葉は今 日の政治法律等の学問上にお いては, 少 な くとも二 つの異な った意 味 に用 い られて居 るよ うに思 う。一つは 「匡1 家のェi ニ 権 は法理上人民 に在 り」という意味に, ま た, も一つは 「国家の主権 の活動 の基 本的 目標 は政治上人民 に在 るべ しJ とい う意味 に用 い らるる。 この第二 の意味 に用 い らるる時 に, 我 々は これを民本主義 と訳す るのである。
( 「憲政 の本義 を説 いてその有終の美 を済す の途 を論ずJ )
さ らに吉野 は, 言 論の自由の擁護, 労 働運動の 自由化, 朝 鮮統治政策への批判 な どリベ ラルな主張 を積極 的 に展 開 して, ◎ 大正 デモ ク ラシー期 の社会 に大き な影響 を与えた。
間 7 下 線部⑥に関連して,大 正デモクラシー期の社会の動向について述べた文と
して誤っているものを,次の0〜④のうちから一つ選べ。 33
0 子 どもの個性 や 自発性 を重 ん じる 自由教育運動 が,各 地 で展 開 され た。
② 政 府 の国体 明徴 声 明 を うけて,美 濃 部達 吉 が天皇機 関説 を展 開 した。
③ 友 愛 会 が労 働組 合 の全国組織 と して発展 し, 日本労 働総 同盟 と改称 した。
④ 差 別 に苦 しむ部落 の人 々が, 自 らの尊厳 と 自由・平等 を求 めて全国水平社 を結 成 した。
‑ 7 4 ‑
(2602 74)
日本 史 A 問 8 史 料の内容に関して述べた次の文 a〜 dに ついて,そ の内容の説明として1ト
しいものの組合せを,下の0〜④のうちから一つ選べ。 34
a 民 本主義 とは, 君 主制 ・共和制 という体制の相違は問題 としない考え方で ある。
b 民 本主義 とは, 君 主制には敵対す る考え方である。
c 民 本主義 とは, 国 家の主権 の活動の基本的 目標 を人民 にお くという考え方 で ある。
d 民 本主義 とは, 国 家の主権は人民にあるという考え方である。
O a ・c ② a . d ③ b ・ c ④ b ・ d
一‑ 75 ‑一
(2602‑‑75)
問題と解答は、独立行政法人 大学入試センターホームページより転載しています。
ただし、著作権上の都合により、一部の問題・画像を省略しています。
http://www.js88.com
http://jyuku.js88.com
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