はじめに
ロシアの大統領選挙(3月
4
日実施)は、ウラジミール・プーチン氏(当時首相)が得票率 約63.60%で当選し、5月7日、正式に大統領に就任した。新しい大統領制度では、任期は 4
年から6
年に延長され、連続2期大統領職にとどまることが許される。プーチン氏は、エリ ツィン大統領から後継者の指名を受け、2000年春、大統領に就任し、それ以後2008
年まで の2期8
年間大統領職を務めた。その後のメドヴェージェフ前政権時代も権力の中枢にいた ことを考えると、事実上、過去12年間にわたり、ロシア政治を牛耳ってきたことになる。さらに、今後も長期政権を続けるとなると、ロシア史に残るプーチン支配時代を築くこ とになる。とはいっても、最近のロシアは必ずしもプーチン体制に有利な情勢にあるわけ ではない。プーチン支持の体制は揺らいでおり、長期政権を維持できるのか、非常に危う い状況にさえある。今回の大統領への返り咲きを境に、これまでの
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年間をプーチン時代 の「前期」と考え、今後を「後期」と呼ぶとすると、「前期」と「後期」との間には、どの ような違いが出てくるのだろうか。大まかに言えば、「前期」はソ連崩壊後の混乱の時代からの脱出と新しいロシア国家の建 設だったとすると、「後期」は、多極化世界という別の混乱の時代に突入していくなかで、
必死に世界の流れに追いつきながら、ロシアの立ち位置を模索するということになるかも しれない。そして、最大の問題は、勃興するアジア(特に中国)に、「どう対処するのか」、
「ロシアの行く道はどこか」となる。それは、「アジアへのシフト」、あるいは「新東方政策 の始まり」と呼ばれる可能性が強い。
1
ユーラシア同盟プーチン氏のアジアへの関心、あるいは、新東方政策の展開については、選挙前のキャ ンペーン中に、すでに、その輪郭が見出されていた。昨年9月の与党「統一ロシア」の大会 で、立候補宣言を行なうと、その直後に「ユーラシア同盟」構想を打ち出した(1)。ロシア、
ベラルーシ、カザフスタンの近隣3ヵ国を中心とした関税同盟を経済統合組織へと発展させ、
さらに、周辺諸国を集結し、「ユーラシア経済同盟」へと拡大・昇格させ、とどのつまり、
経済以外にも、政治・軍事分野での連携を強めた「ユーラシア同盟」を結成するという構 想である。ユーラシア大陸に誕生した西の「欧州同盟」、勃興しつつある東の「東アジア共
同体」の2つの経済統合組織に対抗する、もしくは双方の橋渡し役をするユーラシア中央部 の国家連合組織結成の呼びかけである。
プーチン氏は、「ユーラシア同盟」構想の発表のなかで、「2008年に勃発した世界的な金 融危機は構造的な問題をはらみ、その根幹にはグローバルなバランスの崩壊がある」と、
バランスを失った現代世界の危機的状況を指摘した。さらに、「世界的な金融危機に襲われ、
経済成長への新しい資金獲得策を強いられた国家は、統合へのプロセスという刺激を受け 取った」と、経済統合への動きこそが危機脱出の道であると説明した。また、「欧州同盟や 米国、中国、アジア太平洋経済協力会議(APEC)などの地域協力組織およびキー・プレイ ヤーと並んで、〔「ユーラシア同盟」は〕グローバルな安定した発展を保証する」と、「ユーラ シア同盟」結成の目的を訴えた。
プーチン氏の「ユーラシア同盟」構想は、欧米諸国からは「旧ソ連」の復元もしくは再 興との批判が強く、あまり関心をもたれなかった。しかし、プーチン氏は、ソ連崩壊後、
ロシアは大国の地位から滑り落ち、国家存亡の危機に立たされたとの認識にあり、ロシア が歴史的に存続するためには、急速に変化する世界の動きに追いつき、世界のキー・プレ イヤーの1人(あるいは世界の極のひとつ)として発展・活躍せねばならないとの強い思いが ある。そして、その考え方の背景には、もはやロシアは冷戦時代のように、単独で世界の 舞台で役割を果たす力はなく、ロシア周辺諸国を再結集し、世界各地で起きている経済統 合の流れに乗るしか生き残り策はないとの理解がある。対外諜報組織のスパイとして、東 ドイツの歴史的崩壊を目撃したプーチン氏の冷徹な現実主義的世界観・国家観の表われと 言ってもいいかもしれない。
これまで、ソ連時代を通じ、ロシアにとっての最大の経済相手国は欧州であり、ロシア の経済動向は欧州の動きに制約されてきた。プーチン氏は、この欧州依存の政策軸を修正 し、アジアへと軸を傾斜させるとともに、ロシアは欧州とアジアの2つの経済統合に挟まれ た中間的な存在であり、この2つの統合の流れに対抗するためには、ロシアを核とした経済 統合圏をユーラシア中央部に構築せねばならないと主張したことになる。ロシアの指導者 としては、初めてアジアを本格的に取り上げ、対抗軸としての「ユーラシア」を主張し、
結果的に、欧州よりもアジアに目を向け、国家目標および国家政策に、アジア・ファクタ ーを大きく取り入れた指導者になったと言える。このユーラシア主義、あるいはアジア重 視の立場は、その後の演説や論文にも頻繁に表われてくる。
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本の論文プーチン氏は大統領選に向けて、今年初めから投票直前までに、計7本の論文を発表した(2)。
7本全部を読むと、プーチン新大統領の政策・戦略がわかる仕組みになっている。このうち、
『イズヴェスチヤ』紙掲載の最初の論文「われわれが応えねばならない挑戦に、ロシアは集 中する」では、世界戦略論を語り、7本目の論文『モスコフスキエ・ノーヴォスチ』紙掲載 の「ロシアと変化する世界」では、外交政策を説明している。
最初の『イズヴェスチヤ』掲載論文では、まず、「現在、世界が直面している問題は何か
というと、深刻な制度的な危機であり、グローバルな世界再編成の地殻〔変化の〕プロセス である」と主張し、世界的な大変革の時代に入ったとの認識を述べている。次いで、「ソ連 崩壊後、 一極世界 を含む、20年にわたり積み上げられてきた制度の終末が明らかになっ てきた。現在、唯一残っている 力の極 〔米国を指す〕はグローバルな安定を支えること ができなくなっている。その一方で、影響力をもちつつある新しい中心〔中国を指す〕も、
その代わりをする準備ができていない」と述べ、米ソ冷戦時代の二極構造からソ連崩壊後 の米一極世界の時代へと移ったが、米一極世界は現在の世界を支えられず、中国を含む、
誰にもコントロールできない多極化世界の混乱へと突入していると主張した。
そして、ロシアの役割を、次のように説明している。「このような状況下、ロシアは、そ の文明モデル、偉大な歴史、文化的遺伝子に導かれた役割を立派に果たさねばならない。
それは欧州文明と、何世紀にもわたる東洋との相互交流という基本的な土台の上に有機的 に組み合わさっている。そして現在、東洋は経済力と政治的影響力の新しい中心として活 発に発展している」。つまり、ロシアは西洋と東洋の中間という独自な立場にあり、東洋の 発展にロシアは注目しているとの考え方を簡潔に述べている。
それでは、具体的な外交政策は何か。7本目の『モスコフスキエ・ノーヴォスチ』論文で は、米ロ、欧ロ、中東、イラン、北朝鮮など、最近の国際情勢に関する諸問題を取り上げ ながら、「アジア太平洋地域の役割の増大」と題した
1
項を付け加えている。「中国の経済成 長は素晴らしく、国民総生産(GNP)で世界第2
位の地位に上り、近い将来には米国を抜く だろう」と予測し、世界各地へのさまざまな中国の力の投射が増すとの考えを披露した。では、ロシアは中国に対し、どう対処すべきなのか。3つの指針を示している。①中国経 済は脅威ではない。わが国の経済が 中国からの風 というチャンスをつかめるかどうか が、ロシアの挑戦となっている。シベリアおよび極東の発展に中国の潜在的な力を利用す べきだ、②中国は平等な世界秩序という考え方を展開しており、ロシアと立場は一致して いる。国際連合、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国を指す)、上海 協力機構、20ヵ国・地域首脳会合(G20)などの国際舞台での中国との協力を推し進めるべ きだ、③国境問題をはじめとする中ロ間の政治問題はすべて解決しており、中ロ関係の将 来は明るい―とし、「繁栄し、安定する中国は、ロシアにとって必要であり、大きな成功 に向けて前進するロシアは、中国にとっても必要だ」と結論づけている。
この7本目の外交政策の論文には、日本については一切の言及がない。この数日後、プー チン氏は世界の主要メディアとの会談を行なったが、そのなかで日本のマスコミ代表とし て出席した朝日新聞記者は、「あなたは〔論文のなかで〕中国の重要性については何度も言及 しているが、日本については何も書いていない。日本はどうなったのか?」との質問を行 なっている(3)。プーチン氏は「日本を忘れることはできない、というのも、私の意識のなか にある人生の大半は、柔道の戦いに熱中してきたのだ」と答えながらも、中ロ貿易は今年 度835億ドルに達しようとしているのに、日ロ貿易は400億ドル程度しかない(4)と、中ロ関 係の重みが日ロ関係より大きくなっている現実を説明した。
また、この会見では、プーチン氏は日ロ関係の改善と領土問題の解決への積極的な発言
を行なった。柔道用語を用いながら日ロ関係を「引き分け」とし、私が大統領になったら、
日ロ双方の外務省関係者を座らせ、「〔交渉〕始め!」と号令するつもりだとの説明を行なっ た。この発言は、日本国内でも反響を呼び、さまざまな議論を呼ぶことになる。
プーチン氏は、首相としての任期終了が近づいた4月
12日、最後の議会報告を行なった
(5)。 この報告では、「世界は非常に深刻かつ最も根本的な変化の崖っぷちに立たされた」と、世 界を覆う危機的状況を再び説明し、さらに、「もし、この挑戦に応えられないとなると、ロ シアの国家主権、地政学的な国家の成り立ちそのものが疑問となる」と警告を発した。次 いで、ロシア国家の歴史的な存続にかかわる戦略的優先課題として、4つの問題を挙げた。①人口減少、②極東・シベリア開発、③新しい経済の樹立、④ユーラシア経済空間を中心 とする新しい統合―である。
プーチン氏が打ち出した
4つの課題のうち、②と④はアジア地域に関する問題であり、台
頭するアジアの勢いのなかで、ロシアが何をすべきか深刻に考えるべきで、さもないとロ シアの将来はないと訴えたに等しい。さらに、プーチン氏は、「極東・シベリア地域の発展 強化は、最も重要な地政学的課題である」と説明し、極東・シベリア地域発展のための国 有会社もしくは特別な機関を設置する方針を明らかにした。3
では、なぜ、プーチンはアジアを目指すのか昨年秋の大統領立候補声明から大統領就任式までの約半年間のプーチン氏の発言をみて いくと、「アジア」および「ユーラシア主義」の言葉が頻繁に現われ、プーチン政権の対ア ジア政策が前面に出てきている様子が確認できる。もちろん、プーチン大統領にとって、
またロシア国民にとって、最も関心があるのは、生活水準の向上であり、雇用、収入、教 育、医療、社会保障、さらには治安、生活安定などの国内政策問題で、「アジア」、「ユーラ シア主義」などという外交・世界戦略・国家論議ではない。
しかし、プーチン氏は、これらの社会政策や生活向上の問題は、ロシアの戦略・国家論 の問題と緊密に結ばれているという考え方にある。逆に言えば、ロシアの戦略・国家論が 崩れれば、国家の土台が崩れることになり、ロシア社会の繁栄も、国民生活の向上の可能性 も失われていく。これは広大なユーラシア大陸に広がる多民族国家ロシアの宿命とも言え る地政学的な国家論でもある。ソ連崩壊後、東欧世界を失い、西欧への出口を狭めたロシ アにとって、対アジア政策は国家生存にかかわる重要問題になってきたとの結論にもなる。
では、プーチン氏は、いつごろからアジアやユーラシアを意識し始めたのだろうか。親 欧米系シンクタンクのモスクワ・カーネギーセンターのドミートリー・トレーニン所長は その著書のなかで、プーチンのアジア・シフトは2000年
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月の東シベリアの中国国境の町、ブラゴヴェーシェンスク訪問に始まったと主張している(6)。
プーチン氏は2000年
5月、正式に大統領に就任すると、その 2ヵ月後に中国、北朝鮮、日
本の東北アジア3ヵ国訪問を実施する。旧ソ連諸国を除くと、事実上、大統領就任後の初の 外国訪問であり(7)、本格的な外交デビューでもあった。特に北朝鮮の平壌訪問は、金正日総 書記と会見し、当時ベールに包まれていた金正日総書記と最初に会談した外国元首となった。プーチン氏にとっても、金総書記にとっても、世界へ飛び出す画期的な会談であった。
北朝鮮訪問のあと、プーチン氏は日本へ飛び、主要国首脳会議(G8九州・沖縄サミット)に 参加し、各国首脳から「金正日総書記とは、どういう人物なのか」との質問攻めにあった とされる。その一方で、プーチン氏の情報が少ないこともあって、「プーチンは北朝鮮との 関係を修復し、ソ連の復権を目指す保守的指導者」との評価も出た。プーチン氏は、この 就任後初めての外交旅行の途中、つまり北朝鮮訪問と沖縄サミットの間に、ブラゴヴェー シェンスクに飛び、極東・シベリア関係者を集めた会議に参加していた。さらに、アムール 川(黒竜江)の国境警備隊を視察し、約1キロ先に広がる中国・黒河の町を眺めたとされる。
ただ、個人的には、プーチン氏はこのブラゴヴェーシェンスク訪問以前に、すでにアジ ア地域への関心をもっていたのではないかと想像する。就任後
2ヵ月で東北アジア地域への
訪問を計画し、盛りだくさんの行事日程をこなしたのは、この地域への関心がすでにあっ たからこそではないかとの理解でもある。もし、この東北アジア訪問以前にアジアへの関 心の蓄積があったとすると、大統領就任以前の首相時代、あるいは連邦保安局長官時代に、何らかの情報入手があり、問題意識をもっていたということになる。
そして、プーチン氏のアジア訪問の背景にあったのは、極東地域のロシア系住民の人口 移動・人口減少問題だった可能性が強い。極東地域の人口はソ連崩壊前に約800万人だった が、その後、約
600万人台へと急減した。極東地域に隣接する中国東北部の人口は 1
億人を 超えるとされ、「過疎のロシア」と「過密の中国」との間に、いかに大きな人口圧力が横た わっていたか、国家主義者のプーチン氏が気がつかないわけがない状態にあった。そして、ロシア系住民の減少を補うように、極東・シベリア地域では中国からの移民(大半は非合法 移民)が急増していた。プーチン氏は、2000年のブラゴヴェーシェンスク会議で、「必要な 措置をとらないと、極東・シベリア地域は中国語、朝鮮語、日本語を話し始める地域にな る」と、危機感を訴えたと言われる。また、今年4月の下院報告での質疑応答のなかでも、
「〔人口減少問題は〕非常に憂慮している。これら地域の住民は非常な勢いで減少している。
何らかの優遇制度が必要だ」と再び訴えた。
極東・シベリア地域では、中国人の不法移民の流入が、ソ連崩壊以後の
1990年代に、す
でに 現実的な脅威 として捉えられ、中国人排斥の動きが強まる理由ともなった。しか し、その後、圧倒的な勢いで拡大していく中国経済を背景に、極東・シベリア地域は次第 に中国通貨「元」の経済圏に組み込まれていく。そして、極東・シベリア地域の人々は中 国との関係構築に利害を見出すようになる。最近では、中国の生活水準が上がり、貧しい 不法移民のみならず、金持ちまでもがロシアへと進出し始めている。ロシア中央政府は、ソ連崩壊後の混乱と権力闘争、経済権益の奪い合いのなかで、極 東・シベリア地域への関心をほとんどもたなかった。現在でも、ロシア欧州地域では、極 東・シベリア地域への関心が高いとは言い難い状況にある。極東・シベリア地域は経済的 には打ち捨てられてきたのが実態だった。エリツィン政権時代に、極東・シベリア開発促 進のためとして「極東ザバイカル開発計画」(1996年計画)という政策が打ち出されるが、
民間資本の動きに頼ったもので、政府からは資金がほとんど出なかった(8)。その後、2002年
計画、2007年計画と計画内容が改定され、2007年になってようやく政府資金をテコ入れす る施策を発表する。しかし、鳴り物入りの計画が発表されても資金は届かず、何も動かず、
極東・シベリアは経済発展から取り残されていったのが実情だった。
極東地域の住民からみると、ソ連時代に存在した国家優遇措置がなくなると、資源産業 以外にめぼしい産業がなく、ロシア中央部と結ぶ鉄道・航空費は一般庶民の手には届かな い価格に跳ね上がった。遠く離れたモスクワ中央と経済が直結していたために、すべてが 不利に動き、人々は次第に孤立し、貧困化し、極東・シベリアを捨てロシア欧州部へと移 動し始めるのも無理ない状況になっていったのである。
しかし、プーチン氏が最も憂慮したのは、ロシア系住民の人口流出もさることながら、
1990年代には中国を批判し、排斥運動を叫んでいた地域の指導者や地方官僚、地元実業家
が次第にモスクワを見限り、中国へと顔を向け始め、 中国詣で を始めたことにあったの ではないかと思われる。ロシア国家の再建と強化を叫ぶプーチン氏にとって、極東・シベ リア地域の中国傾斜は許し難い事態へと発展していたのである。1990年代の終わりから
2000年代にかけて始まった極東・シベリア地域のモスクワ離れ、地域優先を掲げた独立傾
向、分離主義的気配こそが、プーチンのアジア地域見直しの原因になった可能性が強い。4
プーチンがアジアを目指す目標は何かプーチン氏が発表した論文では、中国との関係促進を訴え、両国のバラ色の未来を描い てみせている。しかし、これは真実のある一面にすぎない。別の側面には、巨大化する中 国への脅威が厳然として存在している。しかし、これは公の席や公の場所では発表できな い問題でもあった。
ロシアの軍事ドクトリンには、米国や北大西洋条約機構(NATO)の脅威について多くの ページが割かれているが、中国については何も書かれていない。毎年軍事費を増大させ、
軍事力を強めている中国について、ロシアはどう思っているのか。このまま中国が軍事力 を増大させ続ければ、東北アジアの軍事バランスは当然崩れる。中国の意図は別として、
微妙な状況がやってくる。しかし、これらの問題について一切言及がない。カーネギーセ ンターのトレーニン所長は、日本で講演した際に、このことを聞かれ、「中国の軍事脅威に ついては、何も書けない。だって、あなた、それを書いたらおしまいでしょう」と答えた ものである。
ロシアにとっては、数千キロの国境を共有する中国と対峙した場合、もしくは軍事抗争 を起こした場合、どれほどの負担と犠牲を払わなければならないのか、よくわかっている。
というよりは、そういう事態を考えたくはないというのが本音だろう。つまり、国境を接 する隣国・中国とは絶対に戦争はできない。これがロシア国家の最優先課題であり、国家 戦略の要になる。とはいっても、中国が覇権国もしくは世界的な超大国になっていく場合、
中国の指示に従い、黙って追従できるかというと、それは昔の超大国としてのプライドが 許さない。ロシア社会の対中国意識は、部外者がみる以上に複雑なのである。
そして、最も大きな問題は、極東・シベリア地域が超大国中国の影響下に入りつつある
という現実であろう。実は、中国は
2010年、ロシアの貿易相手国の第1
位に躍り出た。総額 約600億ドルで、従来の最大相手国だったドイツやオランダ(欧州向け石油荷上げ国)を抜き 去り、初めてトップの座を獲得したのである。そして、翌2011年度は約 835
億ドルに達し、プーチン氏によれば、2015年には
1000
億ドル、2020年には2000
億ドルに達するという。ち なみに、日本は2011年度で297億ドルにすぎない。
中国が今後、どのような経済発展をたどるかは不透明な部分が多い。しかし、現在の勢 いが続くならば、ロシアにとって中国は圧倒的な存在となる。中国抜きに貿易や経済を語 ることができなくなる。その意味では、「シベリアおよび極東の経済活動の発展に中国の潜 在的な力を利用すべきだ」というプーチンの主張は間違っていない。
その一方で、中国経済に飲み込まれるという脅威が存在することも紛れもない事実であ る。そして、極東・シベリア地域が、中国経済に飲み込まれていった場合、同地域はロシ ア連邦の枠組みのなかにとどまるのか、という根本的な疑問が浮上する。それはロシアと いう国が、どの程度一体性をもっている国家なのかという疑問にもつながり、国家主義者 のプーチン氏にとっては、無視できない問題となる。
さらに問題なのは、極東・シベリア地域は本当にロシアの領土なのかという疑問が出て くることである。極東・シベリア地域の歴史を振り返ると、ロシアの領土保有の正当性は きわめて疑わしい。少なくとも、沿海州や樺太などの極東地域は、 軍条約(1858年)、北 京条約(1860年)などの国際条約によって、当時弱体化していた清国からロシアが奪い取っ たものであり、帝国主義的領土編入と言われても仕方がない過去をもつ。現在、ロシアも 中国も、この地域の領土問題を取り上げることはなく、沈黙を守っている。しかし、双方 にわだかまりが残っていることは疑いがない。だから、プーチン氏は第
1期大統領就任後、
アムール川沿いの中ロ国境交渉を急がせ、2004年、「ウィンウィン方式」(双方が利害を分か ち合う、実態は係争地域の折半)で解決に踏み切った。プーチン氏としては、中国側に領土 問題で譲歩しても係争地域の問題解決をしておくほうが将来の国益にかなっていると判断 した可能性が強い。極東地域の潜在的な領土問題の大きさは、日本の北方四島の比ではな いのである。
実は、2000年の北朝鮮初訪問の際、プーチン氏は金正日総書記に朝鮮半島縦断鉄道の建 設をもちかけていた。共同宣言には書かれていないが、首脳会談後の記者会見でプーチン 氏自身が説明している(9)。そして重要なのは、縦断鉄道は西海岸ルート(ソウル―平壌―新 義州―中国東北部)ではなく、東海岸ルート(釜山―元山―清津―ウラジオストク)を提唱し ていたことである。どちらも、シベリア鉄道と直結し、アジアと欧州とを結ぶ輸送ルート になる。違いは中国東北部を経由するかどうかである。中国に物流を支配されず、極東地 域が経済発展から取り残されないために、その危惧を取り除くという意図が明らかにみて とれる。この対中懸念の国家戦略は、その後の東シベリア・石油パイプライン、極東・天 然ガスパイプライン計画などにも表われてくる。朝鮮半島に将来、統一国家が樹立された 場合、新国家建設に重要な働きをするエネルギー資源供給や鉄道による物流を、すべて中 国迂回ルートで作るという遠大な国家戦略である。これらの計画に対し、モスクワの経済
界や政府経済官僚はあまり賛成ではないとされるが、プーチン大統領は強引に推進する可 能性が強い。
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多国間協議を通じたアジア参加プーチン大統領が考える対アジア戦略には、発展する中国と一緒にロシアの経済的繁栄 を導くというプラス志向の利害面がある一方で、巨大化する中国にロシアは飲み込まれた くないとのマイナス思考の脅威面も存在する。二律背反する考え方をどのようにコントロ ールし、調整していくのか。一方では、中国をおだてて中国との協力連携を宣言し、他方 では、中国の脅威に備えて国内を引き締め、やってくるかもしれない対立への準備をする。
綱渡りの国家戦略がロシアの対アジア政策の根幹に横たわっている。
そして、もうひとつ明らかになってきたのは、中国の発展はもはやロシアの手の届かな いレベルに達しており、ロシアが中国を凌駕し、アジアを支配する時代がやってくる可能 性がほぼないという現実である。ロシア単独で中国の動きを制することはできないという 実態でもある。つまり、中国との関係はすでに対等ではなく、二国間交渉ではロシアの国 家利益を貫徹させることは難しい。ロシアは、二国関係に代えて多国間関係における中国 との協力あるいは対決を目指さざるをえない状況にある。
その証拠が、ロシアが東アジアの多国間協議への参加を次々と決めている動きに表われ ている。APECには
1998年加盟し、今年秋にはウラジオストクで首脳会議が開催される予定
だ。当初、首脳会議はサンクトペテルブルクで開催するとの声が強かったが、プーチン氏 が頑強に反対し、大勢の反対を押し切ってウラジオストク開催を決めたとされる。首脳会 議開催をきっかけに、ウラジオストクの再開発計画も進む予定であり、莫大な資金が投入 されている。このほか、2010年にはアジア欧州会議(ASEM)に加盟。さらに、2011年に「東アジアサミット」に加盟した。また、上海協力会議や朝鮮半島の六者協議など、さまざ まな多国間協議に積極的に参加している。ロシアはアジアの一部であり、アジアとともに 行動するという主張と、来るべきアジア時代に、ロシアは他の国とともに中国の強大化を コントロールする意志があるとの表明でもある。
ある意味では、中国への牽制でもあるが、他のアジアの同盟国とともに、超大国として の中国を軟着陸もしくは安全離陸させる保証を得たいとの考えにあると言ったほうがいい かもしれない。中国の一方的な暴走や米国との厳しい軍事対決など、この地域に不安や混 乱をもたらす可能性は、あらかじめ阻止せねばならないというのが本音である。
おわりに
2011年秋、ハワイで開催された APEC首脳会議は、環太平洋パートナーシップ協定
(TPP)問題が大きな焦点になり、特に、日本がTPPに参加表明したことで、アジア太平洋地域にさ まざまな反響が湧きあがり、APEC会議本体はいまひとつ影が薄かった。首脳会議終了後、
APECの将来に期待をかけていたロシア代表団のアルカージー・ドヴォルコヴィッチ大統領
補佐官(経済担当)は、首脳会談の様子を総括して次のように語った。「気がつくと、アジア太平洋地域での〔ロシアの〕唯一のパートナーは中国だけという状況になったことに、懸念 をもたざるをえない」。そして、「日本、韓国、他のアジア諸国とのパートナーシップを強化 せねばならない」と付け加えた。
プーチン氏が、なぜ日本への積極的姿勢をとり始めたかの回答が、ここには出ている。プ ーチン氏の対アジア政策の最大の目標は中国との関係調整であり、中国との良好な関係をと りながら、中国の暴走を抑えることにある。そして、その目標達成は単独では難しく、パー トナーが必要となる。そして、そのパートナーはインド、ベトナム、韓国(もしくは統一朝 鮮)などが考えられるが、どうみても無視できないのが、日本という存在である。
日本は中国との関係をどう考えているのか。ロシアと同じような立場にあるのではないか。
将来的には、ロシアと対中戦略で連携せざるをえないのではないか。ロシアは日本の動きを じっと待っている。
(1) プーチン論文「ユーラシアに対する新統合計画―現在、生まれつつある未来」『イズヴェスチ ヤ』2011年10月3日掲載。または、ロシア首相府ホームページ(http://premier.gov.ru、英文でも閲 覧可能)。
(2) プーチンがロシア各紙に発表した計7本の論文は次のとおり。
①「われわれが応えねばならない挑戦に、ロシアは集中する」『イズヴェスチヤ』2012年1月16日 掲載。
②「ロシア:民族問題」『独立新聞』2012年1月23日掲載。
③「われわれには新しい経済が必要だ」『ヴェードモスチ』2012年1月30日掲載。
④「民主主義と国家の質」『コメルサント』2012年2月6日掲載。
⑤「公平さの確立:ロシアの社会政策」『コムソモリスカヤ・プラウダ』2012年2月13日掲載。
⑥「強くなること:ロシア国家安全保障の保証」『ロシースカヤ・ガゼェータ』2012年2月20日掲載。
⑦「ロシアと変化する世界」『モスコフスキエ・ノーヴォスチ』2012年2月27日掲載。なお、論文 はロシア首相府のホームページでも閲覧可能(http://premier.gov.ru)。
(3) ロシア首相府のホームページ(http://premier.gov.ru)。
(4) プーチン大統領の数字が何を根拠にしているのかは不明だが、ロシア統計局の2012年5月末統計 によれば、2011年度の中ロ貿易額は835億ドルで、日ロ貿易額は297億ドルとされる。
(5) ロシア首相府のホームページ(http://premier.gov.ru)。
(6)「ロシアのアジア地区をロシア連邦に再統合させる道を探さない限り、と同時に、アジア太平洋 地域への統合への道をみつけない限り、ロシアは1300万平方キロ(ウラル以東の4分の3)を失う かもしれない。また、この地域の広大な領域と自然の富が激しい国際競争の対象になるかもしれ ない」(Dmitri Trenin, The End of Eurashia: Russia on the Border Between Geopolitics and Globalization, Carnegie Moscow Center, 2001)。
(7) 正確には、大統領就任直後にローマ法王会見のイタリア訪問を実現している。
(8)「極東ザバイカル開発計画」については、堀内賢志「ロシアにおける地域政策の転換と極東地域 開発の進展」『ロシア・ユーラシア経済』2009年1月号(918号)が詳しい。
(9) ロシア大統領府のホームページ(http://premier.gov.ru)。
いしごおか・けん 日本大学教授 [email protected]