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ひ と は な ぜ 服 を 着 る の か

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Academic year: 2023

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(1)

この中で私は一番気になるのは︑﹁制服﹂について

の解説であった︒まず︑衣服は身体の表面で演出

される属性を伝わるという観点を明らかにした︒

著者は﹁ある性的ならびに社会的な属性を目に見

えるかたちで演出することで︑服装は個人の人格

を具体的に形作っていくわけです︒﹂と述べた︒こ

ういう社会性を伝わる代表の衣装は︑もちろん制

服である︒

私の理解では︑ここの制服の意味は職業上の制

服だけではないかもしれない︑より広い意味があ

りそうだ︒同じ民族の伝統的な服飾︑同じ身分を

示す衣装︑同じ場面で出席するときの装いなど︑

社会的な意味がある衣服も制服と言えると思う︒

現代社会では︑ファッション雑誌やインターネッ

トでは︑ファッション情報は溢れるほど載せられ

ている︒簡単に手に入れるから︑誰でも真似でき︑

そして︑今季の﹁ヒット﹂グッツはどこでも見ら

れる状態になる︒装いのみならず︑メイークもそ

うである︒時間によってよく変わるが︑それらの 組み合わせはファッションの制服と言えないだろ

うか︒つまり︑私的な場合では社会秩序に抵抗し

ようでも︑すべては﹁流行り﹂﹁ファッション﹂と

いう秩序に主導されたのである︒だから︑私は著

者の﹁制服でない衣服を探すほうが難しくなりま

す﹂という見方を共感する︒

また︑社会的な同一性と個人の個性の間で︑い

かにバランスを取るのか︒本書ではこのバランス

のポイントは﹁微妙な差異﹂だと指摘した︒スー

ツの歴史を振り返って見ると︑フランス大革命で

登場した﹁市民の制服﹂︵背広の原型︶は階級を解

消し︑個人を解放するため︑外見から個人の存在

を解除した︒しかし︑自由のシンボルであったスー

ツは︑今現在の社会では画一性や没個性︑つまら

なさとストレースのイメージを感じさせる︒すな

わち︑現代社会において︑個人の特異性を解消し

てしまうのはネガティブな面もあるだろう︒

その原因について︑著者は次のように述べてい

る︒﹁個人があたえられた社会的条件によって規

﹇ 書 評 ﹈

外国語研究科中国言語文化専攻

楊 

人はなぜ服を着るのか︒衣料は変化の激しい

自然環境から身を守るという答えしか出せない人

は少なくないだろう︒著者はステージ衣装やコス

プレなどの機能的な働きのない服を挙げて︑人が

服を着る理由は身体保護だけでは説明しがたいと

指摘した︒この問いに答えるため︑本書には服の

機能性という観点から離れ︑服と体の関係とい

う視点から︑人の装いの中で含まれている社会的

記号の意味を分析した︒

時間と理解能力に限られて︑本書の一部しか読

まなかったが︑共感ところがたくさんある︒読ん

で初めて分かったことはもちろん︑読んでから考

え始まることも多い︒本書の中で哲学的な理論

は︑私が読んでもなかなかすべてを理解すること

は難しかったが︑著者は哲学的な理論の他に︑わ

れわれの身の回り日常生活でよく見られる社会現

象を事例にして挙げて︑文章の理解を助けよう

としている︒難しい本だと思うが︑読めば読むほ

ど面白い︑味わい深い本だと気がした︒

● 書評

(2)

定されることが少なくなると︑個人は他の個人と

の差異によってじぶんの存在を確定せざる得な

くなるからです︒同等の存在という意味で社会の

均質化が展開するようになると︑個人は他者との

差異とか﹁個性﹂といったものを強調しないでは︑

じぶんの存在で確証できなくなります︒﹂著者の

哲学的な述べ方はやや難しいが︑私の理解では︑

簡単にいうと︑その理由は﹁制服﹂のような社会

に決められた規定で︑外見の次元で個性を均質化

すれば自分の存在を確かめなくなるのである︒

人が同じ社会にいる他人とまったく同様になれ

ば︑その人の個性あるいは自分が失われる︒しか

し人間は社会で生きているから︑社会のルールを

無視して生活することができない︒我々は多分著

者が言った通り︑﹁互いに相手を鏡となって︑自

らセルフ・イメージを微調整しあう﹂という方法

で自分の個性と社会が作ってくれるモデルとの間

のバランスを取りつつあるだろう︒衣服やファッ

ションだけではなく︑自分の独自な考え方や発想

などに個性がもし失われたら︑世界は全くつまら

なくなるだろう︒たとえば︑文化大革命時代の中

国では︑衣服は性差や社会属性を表せず︑全て

の人々は同じことを考えることが求められた︒そ

れは不幸な時代であったと思われる︒

﹁人はなぜ服を着るのか﹂というのは私の想像し た以上複雑な問題である︒私はこの本を読んだ上

で︑本書で述べられている答えに最も感動してい

たのは次の三つのところである︒

①個人的な視点から見れば︑我々が自分の身体

の情報を︑実際に直接見る︑触ることは少ない︒

鏡を使わなければ︑自分の顔も分からなく︑痛

さや寒さなどの外部の刺激で起こる知覚でなけれ

ば自分の存在もわからない︒だから︑大部分の時

間では︑我々は自分の身体の輪郭は想像してきた

ものである︒では︑何によって︑自分の身体の輪

郭を感じられ︑自分の存在を確かめるのか︒答

えは服だろう︒服で︑自分の存在を確認する︒

②社会的な視点から見れば︑衣服は性別や職業

などいろいろな社会属性がついている︒これらの

﹁制服﹂によって︑この社会に暮らしている人々は

自分が属する集団と︑この社会では自分はだれか

がわかることができる︒社会では︑服を着るのは

自分のイメージ作り手段の一つである︒衣服を通

じて自分が自分の存在を確かめる以上︑他人にも

自分の存在を伝えている︒

③服を着ることは自分が他人との関係という視

点から考えられる︒買い物する時︑他人によく思

われたい︑他人が羨ましいものを手に入れたい︑

と思いながら商品を選ぶわけだろう︒つまり︑私

たちは他人の視線を配慮しながら自分のイメージ を作るということだ︒また︑多くの女性は夏にも

薄いTシャツを着る同時に︑下着が透けて見え

ないように︑インナーを着ている︒それは女性だ

けではなく薄色のシャツの下にインナーを着る男

性もかなりいる︒インナーを着ることは自分を恥

ずかしくならないというより︑むしろ他人の目に

気を配っているのだと思う︒すなわち︑服を着る

ことは自分のためだけではなく︑他人の視線への

配慮を示している場合もあるだろう︒

本書を読んで︑服を着ることの意味の深さに

感動した上︑ものの考え方にもとてもいい勉強に

なった︒なぜ服を着るのかのような当たり前だと

思われることは︑じっくり考えると︑実に難しい︒

服以外に︑たとえば︑なぜ人は食事するのか︑な

ぜ買い物するのかなどの問題は︑きっと服と同じ

く一言で答えなく︑より深い原因があると思う︒

日常で小さなことは一見つまらないと思われるか

もしれないが︑その根拠を深く考えていくと︑案

外深い話ができるかもしれない︒

服を着ることの裏付け 『ひとはなぜ服を着るのか』

Referensi

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二次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 私が何ごとかをなすとき、私は意志をもって自分でその行為 を遂行しているように感じる。【 a 】人が何ごとかをなすの を見ると、私はその人が意志をもって自分でその行為を遂行し ているように感じる。しかし、「自分で」がいったい何を指し ているのかを決定するのは ①ヨウ ⌇⌇イではないし、そこで想定され