化学と生物 Vol. 50, No. 12, 2012
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今日の話題
イネにおける光防御の遺伝学的制御機構
クロロフィル蛍光解析法の解説からイネの葉の NPQ 制御機構まで
植物は光によるクロロフィル分子の励起に起因する
「光毒性」と呼ばれる活性酸素ストレスにさらされてい る(1).活性酸素除去機構に加えて,植物は葉緑体運動や 非光化学消光 (NPQ) といった独自の光毒性耐性機構を 発達させてきた(2).本稿では,NPQのメカニズムにつ いて解説するとともに,世界の主要穀物の一つであるイ ネのNPQの遺伝学的制御機構に関する最近の知見につ いて紹介する.
酸化ストレスの原因である活性酸素 (ROS) には大き く分けて2つのグループがある.1つ目のグループ(タ イプ1)は,基底状態の酸素分子(三重項酸素,3O2) が還元されて生じるスーパーオキシドアニオンラジカル
(O2 ・ −), 過酸化水素 (H2O2), ヒドロキシルラジカル
( ・ OH) である.2つ目のグループ(タイプ2)は,3O2 の光励起により生じる一重項酸素 (1O2) である.通常,
3O2に光が照射されても1O2にはほとんど変化しない.
しかし,ある種の色素(光増感剤)が触媒することによ り,光照射下で 3O2から 1O2が生じる.
ROSは反応性に富みすぐに消失するために,実験的 に直接ROSを測定することができない.しかし,この 際ROSは細胞の構成成分を化学的に攻撃することで毒 性を示す.ROSのなかでも ・ OHや1O2はとりわけ酸化 力に富む.たとえば,これらのROSは脂質を非酵素学 的に酸化し活性求電子種 (RES) を生成させる.そこ で,Triantaphylidesら (2008) はタイプ1とタイプ2の ROSによりそれぞれ脂質が酸化された際に生じるヒド ロキシ脂肪酸の構造が違うことに着目し,これらのタイ プのどちらが植物で生成する主要なROSであるか評価 した(3).その結果,非光合成組織ではタイプ1のROSが 蓄積し,光合成組織ではタイプ2のROSが主に蓄積す ることが判明した.つまり,植物の葉緑体に含まれるク ロロフィルは光増感剤としても作用し,植物の葉に光が 照射されると大量の1O2が発生する.そして,1O2が過 剰に蓄積した葉では,光合成が阻害されたり,究極的に は葉が枯死する.こうした光毒性は,強光が植物の葉に 照射された際や植物がストレス環境に置かれた際に顕著 になる.植物にも動物と類似した1O2やRESに応じた防 御機構が備わっており,ROSやRESの無毒化に働くペ
ルオキシダーゼやグルタチオン- -トランスフェラーゼ の発現が誘導される(4, 5).
そもそも,クロロフィルはどのようなメカニズムで光 増感作用を及ぼすのであろうか? クロロフィルは葉緑 体チラコイド膜上の光化学系Iおよび光化学系IIタンパ ク質複合体中に存在するが,このうち光化学系IIのクロ ロフィルが1O2の生成を触媒する.すなわち,光エネル ギーを吸収して光化学系IIのクロロフィルが過剰量励起 されると3O2にエネルギーを受け渡し1O2を生成する.
ここで,光により励起された光化学系IIのクロロフィル の励起エネルギーがどのように「代謝」されるのか,少 し詳しく解説したい(図1).光化学系IIのクロロフィ ル励起エネルギーは,大きく分けて3つの経路により代 謝される.1つ目の経路(図1①)は言うまでもなく光 合成電子伝達である.2つ目の経路(図1②)は,クロ ロフィルの分子的性質によりエネルギーを放散する「基 底放散」というプロセスである.基底放散にはいくつか の経路が存在し,熱としてエネルギーを放散する経路,
蛍光としてエネルギーを放散する経路,そして三重項ク ロロフィルを生成する経路がある.この三重項クロロ フィルが3O2にエネルギーを受け渡し1O2を生成させる.
このように,クロロフィルの分子的性質に任せて基底放 散により励起エネルギーを放散させると有害な1O2が生 成してしまう.植物は基底放散に流れるエネルギーを減 らすため,消光機構によりクロロフィルの励起エネル
図1■クロロフィルの励起エネルギー代謝
細い実線は基底放散,緑の矢印はほかの分子へのエネルギーの伝 達を示す.1Chl : 基底状態のクロロフィル,1Chl*: 励起されたク ロロフィル,3Chl : 三重項クロロフィル,3O2, 三重項酸素,1O2: 一重項酸素.①,②,③は本文中で説明するクロロフィル脱励起 の3つの経路を示す.
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ギーを他の分子に受け渡し安全にエネルギーを処理す る.光合成電子伝達も消光の一種であると言えるが,そ れ以外に3つ目のエネルギー代謝経路(図1③)である
「非光化学消光(NPQ)」と呼ばれる消光機構が光を照 射された葉緑体で生化学的に誘導される(6).以上のよう なクロロフィル励起エネルギー代謝は蛍光物質の消光に 関するStern‒Volmerの原理を応用することによりパル ス変調クロロフィル蛍光解析により測定できる.測定に 基づいて,光合成電子伝達やNPQの能力を反応速度定 数,量子収率,量子流量の形で比較する(7〜9).
われわれは光化学系IIにおけるエネルギーの流れとイ ネの生育の関係について調査するために,イネの葉のク ロロフィル蛍光を測定した(10).アジア栽培イネ (
) は,日本や韓国といった温帯で主要品種となっ ているジャポニカ品種と,アジアの熱帯地域の国々で主 要品種となっているインディカ品種に系統学的に分類さ
れる(11, 12).いくつかの品種で光合成電子伝達やNPQの
能力を比較したところ,インディカ品種はジャポニカ品 種よりも光合成電子伝達が大きい傾向が見られた.高収 量インディカ品種の光合成能力は現在注目されている形 質の一つであり,さまざまなアプローチによりインディ カ品種の光合成能力を増大させる遺伝子の探索が行われ ている.一方で,NPQの能力はインディカ品種よりも ジャポニカ品種のほうが大きかった(図2).旧来,イ
ンディカ品種とジャポニカ品種の間には草丈や種子の形 状といった形態学的な違いがあることが知られてきた.
今回のNPQの事例がそうであるように,現代的なさま ざまな生理解析手法を用いることにより,これまで知ら れてこなかったイネ品種間の生理学的な違いが今後さら に発見される期待は大きい.中国では今から約2000年 前の漢の時代にはすでにインディカとジャポニカを別の 系統として区別していた(13).中国でインディカとジャ ポニカはそれぞれ籼米(シェンミ・Hsien)および粳米
(ジンミ・Keng)と呼ばれており(カタカナは北京語発 音),Hsienは主に南方で,Kengは主に北方で栽培され ている(14).NPQの大きさの違いがインディカとジャポ ニカの環境適応性の差を生み出す一因である可能性が考 えられる.
それではどのような遺伝的変異によって,ジャポニカ 品種はインディカ品種よりもNPQ能力が高くなってい るのだろうか? われわれは,インディカ品種のハバタ キとジャポニカ品種のササニシキを比較することにより この疑問を解決しようと試みた.図3に,ハバタキとサ サニシキの光化学系IIにおけるクロロフィル励起エネル ギーの流量を示す.ササニシキはハバタキよりもNPQ
図2■イネ品種のNPQ能力の度数分布図
インディカ52品種,ジャポニカ10品種を測定した結果を示す.イ ンディカ品種のほうが遺伝的多様性に富むために測定した品種数 が多い.ここでは測定していないが,ササニシキは2.0程度,ハバ タキは1.5程度のNPQの能力を示す.
図3■光化学系IIにおけるクロロフィル励起エネルギーの流量 比較
エネルギー流量の計算は成書による(7).
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能力が高いために基底放散の流量が小さい.一方で,ハ バタキのほうが光合成電子伝達が多い理由は,カルビ ン・サイクルの能力が高いためと予想される.農業生物 資源研究所より得た戻し交雑自殖系統のNPQ能力を評 価しQTL解析を行ったところ,第一染色体長腕にNPQ を制御する遺伝子座がマップされた.この遺伝子領域に NPQを制御する候補遺伝子である 遺伝子が座 上していた.シロイヌナズナの 遺伝子はNPQに 必須であり,光の刺激に応じた光化学系IIタンパク質複 合体の構造変化において重要な役割を担っていると考え られている(6).一方で, の相同遺伝子である
遺伝子を欠損するイネもNPQを誘導する能力を 失うことから, はシロイヌナズナの と 同様の機能を担っていると推測される.そこで,ハバタ キとササニシキを比較してみると,ササニシキのほうが 遺伝子の発現が強かった.インディカ品種に は 遺伝子上流に欠失した部分があり,これに より遺伝子の発現が減少した可能性がある.また,
遺伝子をインディカ品種のカサラスで過剰発現す ることにより,ジャポニカ品種よりもNPQが大きいイ ンディカ品種を作出することができた.これらの結果か ら,われわれは 遺伝子上流に挿入された変異 に起因する 遺伝子の発現量の違いにより,イ ンディカとジャポニカでNPQ能力が異なるのではない かと考えている.
ところで, 遺伝子が座上する辺りのイネ第 一染色体長腕には,これ以外にもジベレリン合成に寄与 しインディカ品種とジャポニカ品種の草丈の違いを生み 出すSD1遺伝子が座上しており(15),この染色体領域は インディカ品種とジャポニカ品種の違いを決めるのに一 役買っているようだ.NPQの違いによりもたらされる
イネの農業形質の差異については,既述のように環境適 応性の変化が考えられるが,こうした仮説の検証は今後 の課題である.また,応用面では,NPQを含めた植物 の光毒性耐性機構を解明することにより,穀物の収量を 増やすことができるのではないかと期待している.
謝辞:本稿を作成するにあたり,埼玉大学の内宮博文先生および川合真 紀先生にご助言をいただいた.
1) 柏山祐一郎,横山亜紀子:遺伝,66, 425 (2012).
2) 鹿内利治:化学と生物,44, 121 (2006).
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15) K. Asano : , 108, 11034
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(笠島一郎,農業・食品産業技術総合研究機構花き研 究所)