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化学と生物 Vol. 52, No. 4, 2014酵素がマウスの性決定を左右する
ヒストンの翻訳後修飾による性決定遺伝子の発現制御機構
われわれ人間も含め,多くの哺乳類の性は遺伝的に決 定する,というのが通念である.性染色体の型がXYで あれば雄に,XXであれば雌になる.Y染色体には雄化 に必要な遺伝子が存在するであろうと古くから予測され ていたが,その遺伝子は1990年に発見され, (Sex- determining region Y) と 名 づ け ら れ た(1)
.SRYは
DNA結合能力をもつ転写因子であり,雄化に必要な下 流因子群の発現を制御していると考えられている.マウ スの雄化には 発現の量と時間の厳密な制御が極め て重要である.すなわち,胎児性腺の特定期間に,かつ その量がある閾値を超えるように が転写されなけ れば,雄化はうまく進行しない(2).
の発現によっ て,それまでどちらの性にも分化していなかった(未分 化な)性腺は精巣へと分化する.一方で が発現しな かった未分化性腺は卵巣へと分化する.胎児期特異的なの発現はどのようにして生み出されるのか,その仕 組みはこれまでよくわかっていなかった.
真核生物のヌクレオソームを構成するタンパク質の一 つであるヒストンは,アセチル化やリン酸化などさまざ まな化学修飾を受け,遺伝子発現制御やそのほかのクロ マチンの高次機能に深くかかわっている.またこれらの 修飾は,脱アセチル化酵素や脱リン酸化酵素などによっ て消去され,絶えず変動していることがわかっている.
ヒストンのリジンのメチル化は比較的発見が新しい翻訳 後修飾であり,その触媒酵素は2000年に同定された.
ヒストンH3の9番目のリジン (H3K9) は,転写の抑制 に働くエピジェネティックマークとして知られている.
近年では,ヒストンのメチル化修飾もメチル化酵素と脱 メチル化酵素によって,個体発生や細胞分化に応じてダ イナミックに変動することが明らかになってきている.
筆者らはH3K9脱メチル化酵素の一つであるJmjd1a の生体機能を明らかにする目的で,そのノックアウト
(KO) マウスを作成した. -KOマウスの性別を 外性器で判断したところおよそ8割が雌であったことか ら,染色体型による性別判断を行った.その結果,XY,
-KOマウスでは雄から雌への性転換が高頻度で 起きていることがわかった(3)
.詳細な解析の結果,XY,
-KO個体58匹中12匹が精巣一つと卵巣一つを有
する不完全な性転換,34匹が2つの卵巣をもつ完全な性 転換の表現型を示した.マウスでは,受精後11.5日の胎 児期に性が決定する.この時期の性腺の体細胞では
の発現がピークとなる.受精後11.5日の -KO 胎児から性腺を摘出して遺伝子発現を調べたところ,
の発現が顕著に低下していた.マイクロアレイに よって網羅的な解析を行った結果, の発現制御にか かわる既知の因子の発現は,Jmjd1a欠損による影響を 受けていなかった.このことから,Jmjd1aは の発 現を直接制御している可能性が強く示唆された.
さらにJmjd1aがSryの下流因子の発現制御にかか わっている可能性についても検討した.すなわち,XY,
KOマウスにおける性転換が,強制的に を 発現するようなトランスジーン (TG)(4) の導入でレス キューされるかどうかを調べた.もし雄化に必要な の下流因子の発現もJmjd1aによって制御されているな らば, -TGの導入はXY, KOマウスの表現型 をレスキューできないはずである. -TGの導入の結 果, -KOマウスの表現型がレスキューされた.
このことからマウスの雄化過程でのJmjd1aの作用点は,
の転写制御であることが示された.
Jmjd1aのSry発現制御メカニズムを分子レベルで明 らかにするため,性腺体細胞の回収系を構築してクロマ チン免疫沈降実験を行った.その結果,Jmjd1aは未分 化性腺体細胞で 遺伝子座に集積していることがわ かった.さらに, -KO性腺ではH3K9のメチル化 が亢進していることから,Jmjd1aは の遺伝子座に 直接結合し,かつH3K9の脱メチル化を触媒しているこ とが示された(図
1
).筆者らの研究によって,
「酵素に よる化学反応が性決定に重要である」ということが明ら かになった.このことは,「性は受精のときに決定する」という一般的な概念の再考につながったと思う.
筆者らの研究結果により,少なくともマウスでは の発現制御系の破綻によって性分化異常が引き起こされ ることが示された.人間において性分化が正しく進行し ない症例を性分化疾患 (DSD : Disorders of Sex Devel- opment) と呼ぶ.男性化が不完全なXY, DSDのうちで SRYに変異が見いだされず,かついまだにその原因が
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わかっていない症例も数多い.筆者らの研究は,これま で原因が不明であったDSDの発症メカニズム解明の一 助になるかもしれない.
1) P. Berta, J. R. Hawkins, A. H. Sinclair, A. Taylor, B. L.
Griffiths, P. N., Goodfellow & M. Fellous : , 348, 448
(1990).
2) K. Kashimada & P. Koopman : , 137, 3921
(2010).
3) S. Kuroki, S. Matoba, M. Akiyoshi, Y. Matsumura, H. Mi- yachi, N. Mise, K. Abe, A. Ogura, D. Wilhelm, P. Koop- man, M. Nozaki, Y. Kanai, Y. Shinkai & M. Tachibana :
, 341, 1106(2013).
4) R. Hiramatsu, S. Matoba, M. Kanai-Azuma, N. Tsune- kawa, Y. Katoh-Fukui, M. Kurohmaru, K. Morohashi, D.
Wilhelm, P. Koopman & Y. Kanai : , 136, 129
(2009).
(立花 誠,京都大学ウィルス研究所,現 徳島大学疾 患酵素学研究センター)
プロフィル
立 花 誠(Makoto TACHIBANA)
<略歴>1990年東京大学農学部農芸化学 科卒業/1995年同大学大学院農学系研究 科博士課程修了(農学博士)/同年株式会 社三菱化学生命科学研究所ポスドク/1997 年株式会社日本ロシュ株式会社研究所研 究員/1998年京都大学ウイルス研究所助 手/2005年同研究所助教授/2009年科学 技術振興機構さきがけ「エピジェネティ クスの制御と生命機能」研究者(兼任)/
2013年徳島大学疾患酵素学研究センター 教授<研究テーマと抱負>私たち哺乳類の 体が出来上がる仕組みを,エピジェネティ クス制御の観点から解き明かしたいと思い ます<趣味>登山,スキー,川遊び
図1■ヒ ス ト ン 脱 メ チ ル 化 酵 素,
Jmjd1aによるマウスの性分化制御 のメカニズム
野生型XY胎児性腺では, 遺伝子 座 のH3K9メ チ ル 化 修 飾 が 外 さ れ て 遺伝子の発現が上昇する.一 方でJmjd1aが欠損したXY胎児性腺 では,H3K9の脱メチル化が不十分で ある.そのため の発現も誘導さ れず,雌化してしまう.