はじめに
人々の自由な往来や貿易、インターネットの普及等により、「国家」という単位で世界の 動向を説明しきれなくなっている昨今においても、主要な国際問題が国家を代表する政府 を主軸に協議され続けていることは確かだろう。安全保障や経済問題等いかなる国際問題 においても、国家と国家の間で互いに不当な不利益を被らないよう交渉を続けることが求 められている。別の言い方で表現するならば、自国の対応は、自国内の状況と相手国の対 応によって決定づけられるとも言えるだろう。
このような一般的な国際問題の構造と比べて、環境問題の特殊性は、通常の国際関係の 外部にある制約条件の重要性にある。この制約条件とは、自然そのものである。人口が増 え、人間活動が活発化し、より多くのエネルギーや資源を利用するようになった結果、人 間活動が自然に与える負荷が大きくなりすぎてしまった。き・し・み・はさまざまなところで表 面化している。気候変動、生物多様性の喪失、森林減少、砂漠化、オゾン層破壊等、それ ぞれの問題が生じるメカニズムはある程度独立しているため、個別の国際条約で対処され てきているが、問題の根源が人間活動の大きさにあるという点では一致している。
国際社会は、とりわけ1980年代以降この新しいタイプの問題に試行錯誤で取り組んでき た(1)。しかし、そのなかには、オゾン層破壊問題のように比較的成功したと評価されるもの もあれば、本稿で以下に詳しく述べる気候変動問題のように、いまだ協調の方策を模索し 続けているものもある。
国際社会が地球環境問題に試行錯誤で対応しているなかで、日本もやはり試行錯誤で対 応してきた。しかし、国際社会が環境問題の特殊性に気付き、他の国際問題とは異なるア プローチで対処しようとしてきたのに対して、日本の環境問題への対応は、従来型の国際 問題への対応とほぼ変わりないものであった。しかし、この状況もようやく最近、変わり 始めている。
本稿では、多数の地球規模の環境問題のなかでもとりわけ社会の関心の高い気候変動問 題を取り上げ、同問題への国際社会の対処の歴史を概観する。そして、近年注目されてい る将来枠組みに関する議論の特徴をまとめる。他方で、この近年の国際社会の動向のなか での日本国内の政策決定を説明し、最後に、今後の10年間の展望を述べる。
1
気候変動問題と国際条約気候変動(Climate Change。地球温暖化〔Global Warming〕とほぼ同義で用いられる)問題とは、
二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスが大気中に蓄積し、地表面の熱が地球圏外に放出 されにくくなり、地表面の気温が上昇していく現象を言う。この問題に関して科学的知見 を集積する役割を担っている「気候変動に関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel
on Climate Change)
」が2007
年に公表した第4
次評価報告書(2)では、過去100
年間ですでに0.7℃以上平均気温が上昇しており、その主な原因は温室効果ガスの濃度上昇にあると指摘
している。また、その結果、すでに極圏や山岳地帯での氷雪の融解、および世界各地で豪 雨などの異常気象が観測されている。このまま放置しておくと、さらなる温暖化によって、異常気象の頻発、生態系の劣化、食料生産量の減少、熱波等による健康影響等が予想され ている。
気候変動を最小限に抑えるためには、その原因である温室効果ガス排出量を抑制しなく てはならない。しかし、主要な温室効果ガスである二酸化炭素は、石炭や石油などの化石 燃料の燃焼によって生じるため、エネルギー利用の制約につながる。どの国も、エネルギ ー利用に制約をかけられたくないため、「総論賛成、各論反対」になりがちである。
気候変動問題は、他のいくつかの地球環境問題と並行して、冷戦終結に伴い1980年代か ら国際政治のなかで取り上げられるようになった(第1表)。1988年には先述のIPCCが発足 し、各国から科学者が集い気候変動を科学的知見から解明する役割を担うことになった。
1992
年には、気候変動対処の基盤となる条約として、気候変動枠組条約(気候変動に関する 国際連合枠組条約:UNFCCC)が採択された。そのなかには、附属書Ⅰ国(先進国およびロシ ア等旧計画経済国)が2000年までに1990年の水準で温室効果ガス排出量を安定化するという 目標が、努力目標として掲げられた。しかし、努力目標として規定されていたこともあり、実際にこの排出削減目標を達成し ようと真剣に国内政策を導入した国は皆無であった。排出量目標を達成したのは、例えば 旧ソ連のように、国の経済活動そのものが混乱状態にあった国等に限られた。日本も未達 成どころか大幅超過に終わった国のひとつである。
このように、単なる努力目標を提示した国際条約は、いわば各国の良心に目標達成を委 ねているわけだが、どの国も真剣に取り組まない結果に終わることを証明することにもな った。そこで、気候変動枠組条約には示されていない2000年以降の国際的取り組みに関す る新たな国際合意を目指し、「前回は努力目標で失敗したから、今度は、法的拘束力をもつ 合意を目指そう」ということになった。また、途上国からは、交渉の初期の段階から「現 在の気候変動は過去の排出が原因であり、過去の排出の大半が先進国によるものである以 上、先進国が先に対策をとるべき」という主張があったが、多くの先進国の排出量が増加 し続けていた状況下にて、この主張がさらに強まった。
その結果、1997年
12月に京都にて開催された気候変動枠組条約第 3
回締約国会議(COP3)で採択された京都議定書では、条約と同様、附属書Ⅰ国だけに排出削減目標が設定される
ことになった。そして、前回努力目標にして失敗した経験を踏まえ、今回は、法的拘束力 をもつ目標として位置づけられた。2008―
12年の 5
年間で、附属書Ⅰ国全体で1990年比で5%削減を目指し、各国ごとに目標が提示された。日本は2008
―12年の間、1990年の排出量より
6%少ない量に抑えることになった
(3)。各国が目標を達成するにあたり、国外で余っている排出枠を購入する方法、いわゆる排 出量取引制度の利用が認められたことが、京都議定書が他の環境条約と性格を異にする点 である。経済的手法の活用により、同じ環境保全効果をより費用効果的な方法で達成する ことを可能にした。他の環境条約では加盟国の良心に遵守行動を委ねているため、約束が 守られなくとも罰則は伴わない。しかし、排出量取引制度が導入されるということは、罰 則を伴うことになる。罰則がなければ、わざわざお金を出して国外から排出枠を購入する インセンティブが働かないためだ。経済的手法の活用により、安価な対策で目標を達成し
第 1 表 気候変動問題に対する国際社会の対応の経緯
1988 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)発足
1990 条約交渉会議開始が合意される IPCC第1次報告書
1992 気候変動枠組条約採択 1994 気候変動枠組条約発効
1995 気候変動枠組条約第1回締約国会議(COP1)、議定書交渉開始 IPCC第2次報告書 1997 COP3、京都議定書採択
1998 COP4、ブエノスアイレス行動計画採択
2001 米国京都議定書離脱 IPCC第3次報告書
COP6再開会合
COP7、マラケシュ合意採択 2004 ロシア、議定書批准
2005 京都議定書発効、COP11(条約締約国会議) G8にて気候変動プロセス開始
CMP1(京都議定書締約国会合)
2007 IPCC第4次報告書
ハイリゲンダムG8サミット
COP13/CMP3 バリ行動計画採択 MEM開始
2008 次期枠組みに関する交渉開始
AWG-LCA1, AWG-KP5(バンコク) 洞爺湖G8サミット
AWG-LCA2, AWG-KP5(ボン)
AWG-LCA3, AWG-KP6(アクラ)
COP14/CMP4, AWG-LCA4, AWG-KP6
2009 AWG-LCA5, AWG-KP7(ボン) MEF(主要経済国フォーラム)開始
AWG-LCA6, AWG-KP8(ボン) ラクイラG8サミット
AWG-LCA, AWG-KP非公式(ボン)
AWG-LCA7, AWG-KP9(バンコク)
AWG-LCA7, AWG-KP9再開(バルセロナ)
COP15/CMP5(コペンハーゲン)
国際交渉、条約等
年 外部組織の動向
ようと考えたのは、もともとは米国であった。しかし、このように罰則を伴う点が強調さ れてくるに従い、以前からこの問題に消極的だった米国議会がさらに反発を強めた。その 結果、クリントン政権からブッシュ政権に移行した2001年、米国は京都議定書への不参加 を表明した。
法的拘束力のある排出削減目標を含め、京都議定書は、1997年に採択された時点では合 意されうる最善のものだと評価されていた。しかし、10年程の歳月が流れる間に、世界情 勢も変わってきた。もともと京都議定書では、2008―
12年の排出量を決めるのが精いっぱ
いで、それ以降については新たに交渉しなおすことになっていた。また、世界総排出量の2 割ほどを占める米国の不参加という問題が加わった。排出削減目標をもたない途上国のな かには、中国やインドのように2000年以降急成長した国があり、それらの新興国にも対策 を求める必要性が生じてきた。このような国際情勢の変化を受け、2007年にインドネシアのバリで開催された気候変動 枠組条約第
13回締約国会議
(COP13)では、京都議定書第1
約束期間が終了した後の2013年
以降の国際的取り組みのあり方について、根本的に検討しなおす「バリ行動計画」が合意 された(4)。この行動計画では、以下の項目に関して2年間議論し、COP15にて枠組みを提示
することを求めている。①グローバルな長期目標のビジョンの共有、②先進国による緩和(削減)、③途上国による緩和行動、④森林減少防止(REDD: Reducing Emissions from
Deforestation in Developing countries)
、⑤セクター別アプローチ、⑥適応策、⑦技術協力、⑧資 金協力。かつて気候変動枠組条約交渉が「枠組条約の採択」、京都議定書交渉が「法的拘束 力をもつ排出目標を含む法的文書の採択」を明示していたのに対して、今回のプロセスで は、最終目的が「合意された結果」としか記されていなかった。いかなる帰結を目指すか について合意ができなかったためだが、その点が、後に、交渉を複雑化させる要因として 働くことになる。気候変動枠組条約、京都議定書に続く、第三の本格的な国際交渉が
2008年から開始され
た。バリ行動計画を踏まえて条約の下で始まった交渉は、長期協力行動に関するアドホッ ク作業部会(AWG-LCA)と呼ばれた。一方、京都議定書の下では、京都議定書締約国会合(CMP: COP serving as the Meeting of the Parties)での議論を踏まえ、附属書Ⅰ国の排出削減目標に 関する交渉が別途2005年の
CMP1から始まっており、こちらは 3条 9
項に基づくアドホック 作業部会(AWG-KP)と呼ばれた(議定書3条9
項には、先進国の第2約束期間の排出削減目標に
関する交渉を2005年までに開始しなければならないという規定が存在する。この規定があるため、第2約束期間に関する交渉は半ば自動的に始まった)。これら
2つの作業は実質的には連動する
ため、2つのアドホック会合は同時期に開催されてきた。2009年には 12月のCOP15
に至るまでに計4回のアドホック作業部会が開催され、200ペー ジほどの文書を少しでも整理して短くできるよう協議が進められているが、いまだ全体を 整理しているだけであり、主要国の排出削減目標を含め、一般の関心事であるところの本 質的な交渉には入れずにいる。2
環境レジームの進展(1) 科学的知見の役割
気候変動を抑制するための交渉は、国と国との間の交渉である。しかし、冒頭に記した ように、地球環境問題は、交渉相手の態度ではなく、生態系や資源等の「自然」が交渉の 外枠を形成する。そもそも気候変動対策の最終的な目的は、気候変動の悪影響をわれわれ 人類や生態系が許容できる水準に抑えることである。この目標を検討するためには、「許容 できる水準」とは具体的にどれくらいの水準なのか、「許容できる水準」に抑えるためには 地球全体で排出量をどれくらいの値以下に抑えなければならないのか、といった観点につ いて十分な科学的知見が得られていることが必要条件となる。ところが、このような知見 は、一朝一夕には得られない。何年もの研究の蓄積によって徐々にわかってくる。
気候変動の場合、科学的知見による外枠は
IPCC
により与えられる。気候変動枠組条約や 京都議定書が交渉された1990年代には、上記の点に関してまだ十分な知見の集積がなかっ た。そのため、条約の「2000年までに1990
年比安定化」や京都議定書の「2008―12年の間 1990
年比マイナス6%」といった目標は、気候変動抑制に十分な値として決定されたわけで はなく、当時、各国が「これくらいなら減らせそうだ」と主張した水準だった。そのなか で唯一、欧州だけは、1996年から国内政治過程にて自然の外枠を議論し、産業革命前の気 温より2
℃以下に気温上昇幅を抑えるべきという目標を提示していた。ただしここでも2℃
以下に抑えるために求められる短期的排出削減量は示せていなかった。
しかし、京都議定書採択から10年余り経過し、科学的な知見がまとまり始めた。そして、
先述の
2007
年IPCC
第4次評価報告書では、排出量の増大と気温の上昇、そして食料生産や 人類の健康等への悪影響に至る因果関係がほぼ示せるようになった。また、気候変動枠組 条約で示した「2000年までに1990
年水準で排出量を安定化」や京都議定書の「2008―12年
の間、先進国全体で5%減」などの排出削減量は、
「2℃」といった気温上昇抑制目標のため にはきわめて不十分ということも示すことができた。科学からの示唆は、国際交渉に影響を及ぼした。先述の2007年末に開催された
COP13
で は、長期目標として「2℃」が適切と考えてよいのかといった点について、議論することの 重要性が共有された。これが、バリ行動計画の1つ目の項目として挙げられた。また、気候 変動の悪影響を最低限に抑えるためには、例えば先進国全体の排出量を2020年近辺に1990
年比で
25― 40%削減しなければならない、といった排出削減目標の幅も、IPCC
の数字が国際交渉の文書に引用された。COP13以降の交渉では、このような数字が協議のたたき台と なっている。
(2) 多様なフォーラムの活用
気候変動枠組条約や京都議定書は、国際連合の下に位置づけられている。気候変動など の地球規模の環境問題は地球規模で対策をとらなくてはならないのだから、国連の下で議 論すべきという発想はごく自然の成り行きと言える。その結果、現在に至るまで、国連の 下での気候変動枠組条約が気候変動について国際社会で議論する際の中心的なフォーラム
と位置づけられてきた。
国連は、国連加盟国すべてが一堂に会する場としてふさわしいが、気候変動対策を議論 するうえで、問題点も見受けられるようになってきた。180以上の国が集まるフォーラムで は、実質的なことを決めるのに非常に多くの時間を要する。気候変動の被害はすべての国 で生じるため、被害への対応を議論する場合には、これらの国の参加は不可欠である。し かし、実際には、排出量の多い上位20ヵ国で世界総排出量の約
9割を占める。つまり、少な
くとも排出量削減について議論する場合は、その20ヵ国だけが参加していれば十分とさえ 言えるのである。より極端に言えば、米国と、近年、米国を抜いて世界第一の排出国とな った中国の2国間だけで、世界総排出量の4
割を決められるのである。このような状態において、近年では、気候変動対策を議論するためのフォーラムとして、
国連の外の多様な活動が目立つようになってきた。
ひとつの典型的な例は、主要国の首脳が年に
1度集まり非公式に意見交換する G8
サミッ ト(主要8
ヵ国首脳会議)である。G8では、その時々の国際政治経済問題が議題として掲げ られてきたが、2005年に英国のグレンイーグルズにて開催されたG8以降、気候変動問題が 主要議題として議論されるようになった。当初の理由は米国の事情にあった。2001年に米 国が京都議定書への不参加を表明して以来、国連のフォーラムで米国と排出削減目標につ いて実質的な議論ができなくなってしまっていた。ブレア英首相(当時)は、G8で直接ブ ッシュ大統領と気候変動に関する意見交換を実施することが近道だと考えた。以来、G8で はとりわけ2050年の長期目標が話題となっており、世界総排出量を半減、また、先進国全
体でマイナス60
―80%、といった目標が検討されている。長期目標は、価値判断を伴うた め、各国の行政官が集まって交渉する国連の下での会議では決定できない。そこで、G8は バリ行動計画の一部を補う重要なフォーラムとして機能してきている。また、最近ではG8 以外の国の重要性ないし影響力が高まってきていることから、G20という会合も同時並行で 開催されるようになっている。米国がここ数年開催しているMEF
(主要経済国フォーラム。開始当初は、主要経済国会合〔MEM〕と呼ばれた)も、G20とほぼ同様の役割を担っている。
主要排出国だけを招いて定期的に将来枠組みの大枠を議論し、特に中国やインドといった 新興国との率直な意見交換の場として機能している。
3
日本の対応このように、世界が環境問題の特殊性に順応し、従来型とは異なる国際レジームの形成 に移行していくなかで、日本の対応は長い間、従来型の外交政策やエネルギー安全保障政 策と変わらないものであった。
気候変動の原因となる温室効果ガスの最大の排出国が米国だったため、米国抜きの国際 合意は、気候保全効果の観点からも限界がある。この点は、日本の外交の基本である対米 協調路線と調和するものであった。日本は、米国の参加できない排出削減目標は意味がな いと主張し、米国の立場を擁護する態度をとった。このような態度は、諸外国からは「米 国を支持するふりをして、本当は日本自身も温暖化対策に消極的なのではないか」と受け
とめられた。
日米両国は、エネルギー利用の観点からは対照的な性質を有する。日本はエネルギー資 源の大半を輸入に依存する。省エネ意識も高い。逆に米国は、国内に強力な石油・石炭ロ ビーを抱えている。エネルギー価格は低く抑えられ、省エネのインセンティブが働かない。
両国のエネルギー事情だけからみれば、日本が米国に省エネ努力を求めるという形で気候 変動交渉のリードをとってもおかしくない。日本がそうしてこなかったのは、良好な日米 関係の維持が重視されていたからだろうと推察される。
日本の配慮に対して、米国の態度は必ずしも誠実ではない。1997年の京都議定書交渉時 には、交渉の最終局面で米国が
7%削減を受け入れると表明し、米国がそこまで踏み込むは
ずがないと安心しきっていた日本政府を慌てさせた。2001年には議定書への不参加を決め てしまった。日本も米国に同調して京都議定書から撤退すべきだという声が一部で挙がっ たが、京都議定書に残る決定をしたのは意外にも親米派の小泉純一郎首相(当時)であった と言われている(5)。2007年 COP13で日本政府が強調したのは、
「主要国の意味ある参加」である。米国の離脱に加え、中国やインド等の新興国からの排出量が急増するのをみて、これらの国に排出抑 制義務を課さなかった京都議定書はやはり間違いだったとする声が、特に産業界から聞か れるようになった。日本は、国ごとに排出目標値を決定して、排出量取引制度を活用して 目標を達成していく方法(キャップ
&トレード)
自体にも賛意を示さなかった。代わりに、業種ごとに自主的に効率目標を設定していく「セクター別アプローチ」(6)を提唱した。そし て、このアプローチを、先進国だけでなくすべての主要排出国に適用すべきと主張したた め、中国やインドなどから非難の声が上がった。
日本版「セクター別アプローチ」は、他の先進国からも強い支持を得られなかったため、
その後、日本政府はこの案を取り下げ、国レベルで排出削減目標を設定するアプローチに 同意する。そして2008年6月には、福田康夫首相(当時)が気候変動対処に向けた方針、い わゆる「福田ビジョン」を公表した(7)。本ビジョンでは、2050年までに世界総排出量を半減、
そのなかで日本は2050年までに現状から
60
―80%の削減、という目標を掲げた。国内産業 界の強い反発にもかかわらず、首相がここまで思い切った発言をしたのは、その直後に北 海道洞爺湖サミットを控えていたためである。7月に無事洞爺湖G8
サミットを終え、福田 首相は辞任した。後任となった麻生太郎政権の下で、「中期目標検討委員会」が設置され、2008年11月から
09年4
月まで詳細なモデル計算を踏まえた議論が実施された。しかし、モデル試算の結果は、そこに与えられる前提条件に大きく依存する。事務局(内閣府)は、費用が大きく見積もら れがちな前提条件を用いるよう指導した。2009年
6月に麻生首相が公表した「2020
年までに2005
年水準からマイナス15%」という目標に関する説明では、
「国民の1
人当たり負担額36
万円」という部分が強調された(8)。翌月のラクイラ・サミットは、この中期目標を携えての 出席となった。この体制に転換をもたらしたのが、同年9月の政権交代である。新たに成立した民主党の
鳩山由紀夫政権では「2020年までに
1990
年比でマイナス25%」という新たな目標が掲げら
れた。「どれくらいの負担なら欧米並みか」というロジックではなく、「先進国として、また、気候変動の深刻な影響を回避するためには日本としてどれくらい減らすべきか」というロ ジックで決まった削減幅である。わが国としては、初めて、科学的知見から提示された自 然の外枠の水準から議論が始まったことになる。そして、現在、この数字の達成方法が、
新たに設置された「地球温暖化問題に関するタスクフォース」によって検討されている。
国際交渉に関しては、わが国は依然として気候変動枠組条約の下での交渉を中心に据え るが、二国間や地域協力等のフォーラムの活用がわが国でも増えてきている。この部分に ついては、今後の進展が期待されるところである。
結語―今後の10年を見据えて
わが国の環境外交は、政権交代を契機に、ようやく国際環境レジームの進展に追いつき 始めたところと言えよう。それでは、今後の10年においては、国際レベルでいかなる進展 が予想されるのか。そして、そのような進展のなかで、日本はいかなる環境外交政策を形 成していくべきか。
2009
年11
月現在、国際社会では、京都議定書で定められている先進国の削減目標年であ る2008―12
年以降の気候変動への取り組み方について協議が続いている。ここで最も注目 される先進国や途上国の温室効果ガス排出量の削減目標の交渉を概観すると、残念ながら、各国の主張する削減目標の合計値は、自然が設定する外枠内に収まらない。外枠の重要性 は認識しながらも、より多く減らすべきは自国以外であると、多くの国が考えている。
10年前なら、ここで交渉は決裂していただろう。しかし、気候変動の影響が実際各地で
みられるようになり、その脅威と排出量との関係が明らかにされるにつれ、外枠内に排出 量を収めることの重要性は強調されてきている。すなわち、IPCC等の科学的知見から出さ れるメッセージは、今後さらに国際交渉に重大な影響を与え続けるだろう。また、費用効 果的に対策を進める策として、技術の重要性も再認識されるだろう。気候変動の議論は、
今後も気候変動枠組条約を中核に、しかし同時に多様な国際対話の場を活用しながら続い ていくだろう。多彩なフォーラムのなかには、国と国との間の関係のみならず、民間企業 や環境保護団体、自治体等のトランスナショナルな動きも含まれる。いわば、「国際環境レ ジーム」から「世界環境レジーム」への進展である。
わが国の環境外交は、つい最近新しい方針を示し始めたばかりであるが、この方針に対 する反発も国内でみられている。今後
10
年の間に政権が元に戻ると、環境外交も従来型に 戻る可能性が高い。他方で、いったん新たな方針が固まればそのまま動き続けることもで きるかもしれない。そのための条件は次の3つと考えられる。第一に、科学的知見の重視、とりわけ社会の科学的知見への関心の増大である。自国の 立場を正当化する場合であっても、数字を示して相手を説得させるのが環境外交である。
日本の研究者も数多くIPCCに積極的に参画している。科学的知見の集積にも貢献しつつ、
地球を健全な形で維持するためには少なくとも日本として何をすべきか、という観点から
の発想が必要である。
第二に、米国と対等な関係の構築である。少なくとも安全保障の場では、日本は引き続 き米国の傘の下に居続けるべきかもしれない。しかし、だからといって環境問題でも米国 の後に続く必要はない。米国にとっても国内を説得するのに外圧が必要なときがある。米 国以外の先進国でどれだけ省エネが進んでいるのかといった情報を米国内に周知させるこ とは、決して、日米関係を損ねることではないだろう。
最後に、政府以外の国内アクターの役割の重視、活用である。「国際環境レジーム」が
「世界環境レジーム」へと進化していくなかで、日本だけが政府代表団を中心に外交政策と して気候変動の交渉にあたっていたのでは影響力は小さい。民間同士の協調や環境保護団 体のネットワーク等をフルに生かした多層的環境ガバナンスという視点からの発想が求め られる。
(1) 地球規模の環境問題への取り組みに関する文献は多数ある。とりわけ1980年代の国際的取り組 みに関しては、Mostafa K. Tolba and Osama A. El-Kholy, eds., The World Environment 1972–1992: Two decades of challenge, London: Chapman & Hills, 1992, が詳しい。
(2) Intergovernmental Panel on Climate Change(IPCC), IPCC Fourth Assessment—Summary for Policymakers, Geneva: IPCC, 2007.
(3) 京都議定書交渉の詳細は、例えばSebastian Oberthür and Herman E. Ott, The Kyoto Protocol:
International Climate Policy for the 21st Century, Berlin: Springer, 1999, 等が詳しい。
(4) UNFCCC Decision 1/CP.13, Bali Action Plan, 2007.
(5) この時期の日本の意思決定過程に関しては、ミランダ・A・シュラーズ(監訳=長尾伸一・長岡 延孝)『地球環境問題の比較政治学』、岩波書店、2007年、が詳しい。
(6)「セクター別アプローチ」は、非常に多様な意味で用いられており、本稿での説明は、日本産業 界が用いた意味である。一般的に、国ごとの排出量ではなく部門ごとで排出量を管理・捕捉して いこうとするすべてのアプローチの総称である。
(7) 福田ビジョンの本文は、以下のURLにて入手可能。http://www.kantei.go.jp/jp/hukudaspeech/2008/06/
09speech.html
(8) 2009年6月時点での日本の中期目標については、以下のURLにて入手可能。http://www.kantei.go.
jp/jp/asospeech/2009/06/10kaiken.html。ちなみに、この「36万円」という値も、事務局がモデルで出
した2つの数字を誤って足し合わせた数字だったことが後に判明した。詳しくは、http://www.kantei.
go.jp/jp/singi/t-ondanka/dai2/2gijiyousi.pdf。
[付記] 本稿は、地球環境研究総合推進費H-091「気候変動の国際枠組み交渉に対する主要国の政策決 定に関する研究」の研究成果の一部である。
かめやま・やすこ 国立環境研究所主任研究員 http://www-iam.nies.go.jp/climatepolicy/index.html [email protected]