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オバマ政権と連 - 日本国際問題研究所

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(1)

はじめに

2008年 9月のリーマン・ショックを発端とするアメリカの金融危機は、オバマ政権と連邦

準備制度理事会

(FRB)

が講じた大規模な金融安定化策と景気刺激策が奏功して、2009年半 ばから収束に向かった。金融市場の混乱がすぐに波及して深刻な落ち込みをみせた実体経 済も、同年第3四半期にはプラス成長に転じるなど、緩やかな回復に向かった。一時は「百 年に一度」「1930年代の大恐慌以来」と言われた金融危機だったが、その期間は市場の予想 外の短さだった。

金融危機の深化を止めたオバマ政権は

FRB

とともに、すぐに次の危機を起こさないため の金融規制改革への取り組みを始めた。政権が改革案を示したのが

2009年6

月、その後に議 会の審議が始まり、金融規制改革法が成立したのは

1年余り後の 2010年 7月だった。この間、

オバマ政権と

FRB

は金融危機の原因がどこにあり、再発防止のためには何が必要と考えた のか。それに対して金融危機を発生させた金融機関は、自らの生き残りという異なる課題 を達成するために議会にどのような働きかけを行なったのか。議会は政権と金融機関の間 で、どのように利害調整を進めて、改革法の成立に漕ぎ着けたのか。その間、アメリカ経 済はどのように推移し、金融規制改革の議論は経済に影響を与えることはあったのか。

本稿では、以上の問いに対する答えを確認することを通じて、今回の金融規制改革の成 果と今後の展望、そこから読み取れる教訓を導き出してみたい。

1

金融危機が明らかにした金融規制の限界

1) 公的資金による金融機関救済の成功とその代償の大きさ

アメリカでは、2008年

9月のリーマン・ブラザーズの破綻により発生した金融危機に対応

するため、同年10月にはブッシュ前政権の下で総額7000億ドルの不良資産救済計画

(TARP)

が導入された。このTARPを通じて主要金融機関に資本注入が行なわれ、2009年

1月にオバ

マ政権が発足してからは、主要金融機関が財務省によるストレステストの実施という圧力 を受けて増資を進めた。ブッシュ、オバマ両政権の対応は、個々の金融機関の混乱が金融 市場全体に増幅されて波及し、金融システムの安定が脅かされるというシステミック・リ スクを阻止することを最優先課題に置いた点で一貫性があった。同リスクを封じ込めるた めには、主要金融機関の破綻の連鎖を阻止することが不可欠であり、それにはリーマン・

(2)

ブラザーズ以外の主要金融機関は今後発生しうるショックを乗り越えられる十分な自己資 本を有していることを市場参加者に示すことが必要だった。

結果的にこの取り組みは成功し、市場の主要金融機関に対する信認は回復に向かった。

この間も金融市場では信用収縮が発生していたが、FRBが流動性不足や機能低下のリスクが 生じた金融機関や市場をみつけては矢継ぎ早に資金を供給する「信用緩和政策」を進めた ことで、新たな金融危機の芽は摘み取られた。こうした政府とFRBの連携による金融安定 化策はシステミック・リスクを封じ込め、市場参加者の金融システムに対する信認は次第 に回復していった。2009年後半には過去最高の収益を記録する金融機関も現われ始め、市 場には金融危機は終わったという認識が広がっていった。

しかし、当局(オバマ政権と

FRB)

が得たものは、早期の金融危機の克服というプラスの 成果にとどまらなかった。危機克服のために講じた公的資金による主要金融機関の救済と いう政策が有権者の強い怒りを喚起してしまったのである。大手保険会社アメリカン・イ ンターナショナル・グループ(AIG)を含めた金融機関に注入された公的資金は約

3000

億ド ルに達したが、その回収は順調に進み、TARPから生じた国民負担となる直接の損失は

500

億ドル弱にとどまる見込みである(1)。経済の観点からすれば、この程度の負担で金融危機を 止められたのだから、政策は成功したと評価できるだろう。しかし有権者は未然に防がれ た損失など評価しない。彼・彼女らにみえるのは

10%

近くに達した失業率であり、金融危 機が終わった後も家計に残る過剰な債務と資産価値の下がった自宅である。それなのに政 府に救われた多くの金融機関は空前の高収益を上げ、その経営幹部の高額報酬は復活して いる。なぜオバマ政権は危機を起こした金融機関を救い、危機の被害者である一般国民を 放置するのか。2009年後半以降の世論調査は、そうした有権者の不満と怒りを示し続けた。

この怒りの強さが、オバマ大統領の支持率低下や2010年秋の中間選挙における民主党の大 敗の一因となり、有権者や少なからぬ議員のFRB不信をもたらしたのだから、当局にとっ て政策実施の代償、特に政治的なコストは非常に大きかったと言える。

2) 金融機関の過剰なリスク・テイクを防げなかった監督体制と規制

一方で当局は、有権者の怒りとは別の面からも、公的資金による主要金融機関の救済と いう政策の限界を認識させられた。今回の金融危機に限らず、従来から大規模な金融機関 は、その破綻が金融システムに与える影響があまりに大きいとして、TBTF(Too Big To Fail、

大きすぎて潰せない)を前提に当局(政府・FRB)から取り扱われることが一般的だった。リ ーマン・ショック後の主要金融機関への資本注入も、当局にとっては当然の措置だった。

しかし今回の金融危機によって当局は、TBTFの副作用の大きさ、すなわち

TBTF

が助長す る金融機関のモラル・ハザードが限度を超えてしまったことを認識させられた。過去に経 営危機に陥った一部の金融機関が当局に救済されるのをみてきた多くの金融機関は、今回 の金融危機の前に、当局は自社を破綻させられないはず、何かあれば当局が自社を守って くれるだろうとの期待を強め、TBTFを前提に過剰なリスク・テイクを進めていた。その結 果、金融システム全体が金融危機の原因となる膨大なリスクを抱え込んだのである。

当局は、今回の金融危機を通じて、アメリカの金融監督の基本理念であった「市場によ

(3)

る金融機関に対する規律付け」の限界も認識させられた。アメリカの金融市場では、1970 年代後半から金融自由化と規制緩和の動きが強まり、当局の求める金融システムの安定は、

市場における競争を通じて非効率な金融機関が淘汰されるメカニズムのなかでも維持可能 であるという考え方が打ち出された。それは、競争を強化すれば個々の金融機関は市場か ら淘汰されないように効率的な経営を目指し、必然的に過剰なリスク・テイクを自制する ので金融システムの安定は保てるという論理でもあった。1980年代以降、当局が上記の考 え方へ同調していくなかで自由化は加速し、1999年の金融持ち株会社の下で幅広い金融業 務を認めるグラム・リーチ・ブライリー法の成立、言い換えれば銀行と証券業務の分離を 定めたグラス・スティーガル法の事実上の撤廃で金融自由化は完成に至った。

しかし、TBTFによって市場から淘汰される恐れはないと自覚した主要金融機関が、自由 化で可能になった広範な金融業務を対象に、過剰なリスク・テイクを加速させてしまった。

「市場による金融機関に対する規律付け」は機能しにくくなり、逆に金融システムに影響を 及ぼしうる規模の金融機関がそろって過剰なリスクを抱え、その一角が顕在化するだけで 大恐慌以来の規模に拡大しうる可能性をもった金融危機が、ついに発生したのである。

3) 金融規制改革法の成立へのプロセス

金融危機と、主要金融機関の過剰なリスク・テイクを抑えられない監督体制という深刻 な現実に直面したオバマ政権の判断は、TBTFの廃止と金融規制の強化だった。今後も当局 がTBTFを続け、金融規制のあり方を変えなければ、いずれ金融機関のモラル・ハザードと 過剰なリスク・テイクが復活し、今回よりも深刻な金融危機が発生する恐れが否定できな い。そう判断したオバマ政権は、有権者の強烈な怒りという後押しも受けて、TBTFをやめ、

金融規制改革に踏み切ることを決断した。主要金融機関に対して過剰なリスク・テイクを 容赦しない厳格な経営規制を導入し、それらの機関の破綻が生じた場合はシステミック・

リスクを防ぐ準備をしたうえで清算させる。また、高度に発展した金融商品に対応できる 規制への刷新も必要である。このような方針に基づいてオバマ政権が作成した包括的な金 融規制改革案が2009年6月中旬に発表された(2)

連邦議会の上下両院では、オバマ政権の発表した改革案を受けて、2009年秋にそれぞれ 独自の改革法案の検討が始まった。このうち民主党が多数派を占め、共和党の抵抗の手段 も少ない下院では審議が比較的順調に進み、2009年

12月には大筋でオバマ政権の改革案に

沿う金融規制改革法案(以下、下院法案)が可決された。法案の柱は、①不正な金融商品・

サービスから消費者を保護する消費者金融保護庁(CFPA)の設立、②破綻からシステミッ ク・リスクが生じうる巨大金融機関を監視する金融安定協議会の設立、③破綻した大手金 融機関の秩序だった清算を行なう枠組み策定、の

3つだった。下院法案には、格付け機関の

改革や店頭デリバティブ、ヘッジファンドの規制、政府監査院(GAO)の

FRB

に対する監査 の対象に金融政策を含めることなども盛り込まれた。

この後、2010年

1

月には、オバマ大統領が大手金融機関の規模の規制や銀行のリスク投資 の制限を柱とする金融規制の強化案を発表した。銀行によるファンド投資の禁止や自己資 金取引の制限など「ボルカー・ルール」(ボルカー経済回復諮問会議議長〔元

FRB

議長〕の提案)

(4)

に沿った内容だった。収益機会の減る金融業界は反対の声を上げたが、3月中旬に発表され た上院銀行委員会の金融規制改革法案(以下、委員会法案)には同ルールが導入された。

共和党が議事妨害が可能な議席数を有していた上院では、民主党が共和党との法案調整 に時間をかける形で審議を進めた。3月下旬に上院銀行委員会が可決した委員会法案には破 綻処理基金の設立が盛り込まれていたが、共和党が金融機関のモラル・ハザードを誘発す るだけとして反対すると、民主党は基金設立をやめて連邦預金保険公社(FDIC)による処理 に後退させた。共和党は、有権者の反対も多かった医療保険改革法案と異なり、有権者か ら金融機関寄りと反発を受けるリスクを恐れて金融規制改革法案の審議では強く抵抗しな かった。その結果、5月中旬には、委員会法案に修正法案を盛り込んだ金融規制改革法案

(以下、上院法案)が共和党からの賛成者も出て可決された。

上下両院の法案は内容が一部異なっていたため、6月中旬から下旬にかけて両院協議会が 開催されて調整が進み、調整の済んだ法案を下院と上院が相次いで可決、オバマ大統領の 署名により金融規制改革法が成立したのは7月21日だった。同法は、上下両院の議会審議や 両院協議会で中心的な役割を果たしたドッド上院銀行委員長とフランク下院金融サービス 委員長の名をとって、“Dodd-Frank Wall Street Reform and Consumer Protection Act”(3)と名付け られた(以下、金融規制改革法)。

2

金融規制改革法の要点

1年以上の時間を費やして交渉を重ねた結果成立した金融規制改革法は、1601

条、2300ペ

ージ超に達した。同法の要点は次のとおりである。

1) システミック・リスクの予防

今回の金融危機では、最初にリーマン・ブラザーズが破綻してすぐにシステミック・リ スクが発生した。当局が同社の破綻の後に他の主要金融機関に対する資本注入を速やかに 行ない破綻から守った理由も、破綻が連鎖すればシステミック・リスクが増幅して、金融 システム崩壊の恐れが強まってしまうからだった。金融規制改革法は、システミック・リ スクに対処するために金融安定監視会議(FSOC: Financial Stability Oversight Council)を創設す ることを定めた。FSOCは財務長官を議長とし、FRB、FDIC、証券取引委員会(SEC)など 各監督規制当局の長で構成される議決権を有するメンバー10名と、同権のない

5名のメンバ

ーで構成される。FSOCはシステミック・リスクを把握し、金融システムの安定を揺るがす 脅威に対応することを目的とする。FSOCを補佐してシステミック・リスクに関する情報を 収集・分析する金融調査庁(OFR: Office of Financial Research)という機関を財務省のなかに設 置することも決まった。

金融規制改革法は、総資産

500億ドル以上の銀行持ち株会社とFSOC

指定の非銀行金融会 社を「金融システム上の重要な金融機関」に設定した。この金融機関には

FRB

の監督の下 で、通常の金融機関よりも厳格な自己資本や流動性、財務レバレッジ、リスク管理等に関 するプルーデンス規制が課されることになった。

2010

年11月には

FRBが大手金融機関による増配等の資本計画の妥当性を評価する指針を

(5)

発表した。FRBは景気の下振れリスクに備えた十分な自己資本の確保、新しい銀行自己資本 規制である「バーゼル3」への適合などが増配の条件になると指摘し、2009年春にストレス テストの対象になった19金融機関には2011年前半に資本計画書の提出を求めた。

2

TBTF

の打ち切り 

金融規制改革法には

TBTFの打ち切りも明確に盛り込まれた。財務長官が「金融システム

上の重要な金融会社」が破綻またはその危機にあり、システミック・リスクが発生する可 能性が高いと認定する場合は、FDICが当該会社の破産管財人に指名され、必ず清算される ことになった。清算にあたっては、必要費用を当該会社の資産売却等で賄い、それで足り ない場合は他の「金融システム上の重要な金融会社」に対して手数料を課して必要費用を 賄うことで国民負担が発生しないようにすることも定めた。

3) ボルカー・ルールの導入

銀行、銀行持ち株会社とその子会社が自己勘定取引を行なうこと、ヘッジファンドやプ ライベート・エクイティー・ファンドへ出資することやそのスポンサー業務を担うことが 禁止された。例外は出資額が銀行のTier1資本(自己資本のなかの基本的項目)の3%以内であ り、ファンドの総出資額の3%以内である場合。FRB監督下の非銀行金融会社は、負債シェ アが業界全体の

10%

超となる合併や資産取得が禁止された。いずれもボルカー・ルールの 理念に沿った規制であるが、金融界の巻き返しもあり、上記の例外措置の設定や出資等の 禁止は早くて4年後からの適用になった。

4) 消費者保護規制の強化

金融危機の元凶となったサブプライムローン問題では、消費者が金融機関の不適切な説 明や勧誘によって大きな被害を受ける場合が多かったため、金融規制改革法は消費者保護 に重点を置き、FRBのなかに消費者金融保護局(CFPB: The Bureau of Consumer Financial

Protection)

の設置を定めた。CFPBは消費者金融商品とサービスの提供に関する規制・監督

を行なうほか、金融教育プログラムの運営や消費者対策、金融商品のリスク情報の収集な どが主業務となった。

独立したCFPA(消費者金融保護庁、A=

Agency)

の創設を規定した下院法案よりは後退し たが、CFPBの活動に対する

FRB

の干渉禁止が規定されたことで、FRB内部のCFPBでも金 融機関の健全性尊重と消費者保護との利害対立は回避できるとの判断になった。なおCFPB の局長は大統領が指名することになり、その人事が注目されている。一時はウォール街批 判の急先鋒で知られたハーバード大学のウォーレン教授の局長指名が有力視されたが、同 氏に対する金融業界や共和党の反発は根強く、議会承認の見通しが立たないことから、オ バマ大統領は同氏を大統領補佐官に指名、CFPB立ち上げの責任者とした。

5) 銀行・保険システム改革

これまで貯蓄金融機関を統括してきた貯蓄金融機関監督庁(OTS)が通貨監督庁(OCC)

に統合され、規制体系が整理された。また保険業に対しては連邦単位で監督する連邦保険 局(FIO)が財務省内部に設置された。従来、保険業に対する監督は州単位にとどまり、連 邦単位の監督がなかった。そのために金融危機前の

AIG

の過剰なリスク・テイクが見逃さ

(6)

れ、危機発生後は

AIG

を基点とするシステミック・リスクの可能性が生じてしまい、当局 はAIGを

TBTF

の対象として

TARP

の支援対象とせざるをえなかった。金融規制改革法では 連邦単位の監督体制が整えられ、保険会社の行動が厳しく監視されることになる。

6) 新たな規制対象の拡大

ヘッジファンド等は金融市場における存在感は大きいが、従来は規制の対象外だった。

金融規制改革法では、運用資産が1億ドル以上の場合、その投資顧問業者は

SECへの登録が

義務付けられた。SECへ登録された投資顧問業者はファンドに関する情報のSECへの報告が 求められるため、ヘッジファンドも事実上、規制対象に組み込まれることになった。

クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)など店頭デリバティブは、カウンターパーテ ィー・リスク(金融契約を結んだ相手方の個人・団体の破綻などにより契約上の合意が守られな くなるリスク)の増大を通じて金融危機を悪化させたが、従来は規制対象に含まれていなか った。金融規制改革法は、店頭デリバティブを商品取引所法と証券取引所法において「ス ワップ」と定義し、商品先物取引委員会(CFTC)や

SEC

の規制対象に組み込んだ。スワッ プ取引も原則的にデリバティブ清算機関において集中清算を行なうことになり、取引の執 行は取引所か電子取引システムで行なうことになった。

証券化商品に対する規制も強化され、証券化業者は5%分のリスクを手元に残すことが義 務付けられた。また、証券化商品の格付けの急激な変化も危機の拡大に拍車を掛けたこと から、金融規制改革法は、その格付けを決定した格付け機関を監督する信用格付け局(OCR)

をSEC内部に設置し、OCRによる格付け機関の検査と格付け機関の情報公開を通じて改革 を進めていくことが決まった。

7) コーポレートガバナンスの強化と役員報酬

金融機関の株主に役員報酬に対する意見表明の機会を提供し、株主による役員報酬に対 する賛否の決定や役員指名の機会拡大などが定められた。上場企業に対して、第三者で構 成される報酬委員会の設置を義務付け、会計基準に反した財務報告に基づく役員報酬の返 還規定を導入することも定めた。SECが役員報酬の開示基準を明らかにし、金融機関を対象 とする報酬基準を設定することも決まった。金融機関の役員報酬では過剰なリスク・テイ クの引き金となる取り決めも禁止した。

3

金融規制改革法の現状評価と今後の展望

1) 枠組みである金融規制改革法

金融規制改革法の成立は、大恐慌を受けてグラス = スティーガル法などが制定された

1930年代以来の包括的・抜本的な改革の実現を意味する。オバマ政権の改革案の提示から 1

年余りを要したが、TBTFの打ち切り、システミック・リスクを予防するための規制導入、

消費者保護規制の強化など、政権が示した改革案の柱はおおむね金融規制改革法に盛り込 まれた。

ただし、この改革法は新しい金融規制の枠組みを提示したにすぎない。ガイトナー財務 長官は同法成立が金融規制改革のプロセスの完了ではなく始まりであると述べたように、

(7)

同法に基づく具体的な指針やルールの策定と導入が必要であり、それは今まさに進行中で ある。全米商工会議所は同法成立後に、金融監督当局は520ものルールを策定する必要があ ると述べた(4)。ブルッキングス研究所の金融規制改革に関する報告も、改革の達成には金融 規制改革法と同法成立後の金融監督当局の下す決定が同じくらいに重要と指摘した。当局 がこの多数のルールを策定するまでは、今回の規制改革が個々の金融機関にどのような影 響を及ぼすのか、オバマ政権が求めた金融危機の再発防止へ新しい金融監督と規制の体制 がどこまで機能するかは不透明であろう。

2) 今後のルール策定の展望

一方で、一部の金融市場をベースにした報道や金融アナリストの見解等に散見される「金 融界が規制改革を骨抜きにした」「金融界の実質的な勝利」という評価は妥当ではないと考え られる。当局が全面禁止を目指した銀行の投資ファンド向けの投融資が一定範囲内で認めら れ、規制導入までの時間的猶予が設定されるなど、金融規制改革法に盛り込まれたボルカー・

ルールが最初の提案より緩和されたことは確かである。それは、急速に収益を回復させて公 的資金を返済した主要金融機関が、ロビー活動の能力を取り戻し、徹底した議会工作を行な って巻き返した結果と考えられる。オバマ政権の金融界に対する厳しい姿勢と言動が産業界 と共和党に「反ビジネスのオバマ政権」という攻撃材料を与え、それに有権者の4割を占め る保守派が共感したことで、中間選挙を控えたオバマ政権と民主党が規制強化に動きにくく なったことも確かである。しかし、その金融機関のロビー活動をもってしても、TBTFの打 ち切りとシステミック・リスクを防ぐための厳しい規制を導入するという枠組みを変えるこ とはできなかったという事実もある。それは、金融危機を絶対に再発させないというオバマ 政権の固い意志と主要金融機関の救済に対する有権者の強い怒りに後押しされた議会が、金 融界の抵抗を押し切った結果なのである。

枠組みである金融規制改革法に基づくルール整備が、今後、監督当局の主導で行なわれれ ば、その効力は強くなる。それは2011年

1月に全米商工会議所のドナヒュー会頭が、金融規

制改革法に基づいて膨大な規制が導入される可能性を懸念材料に指摘したことでもわかる。

逆に言えば、今後のルール策定の過程において、主要金融機関や金融界のロビー活動は一段 と活発になるだろう。しかし前述の有権者の怒りは、家計を取り巻く環境の厳しさが続いて いることもあり、風化していない。世論の後押しがない金融機関側の巻き返しは、条件闘争 にとどまり、今後のルール策定の進展とともに、新しい規制に合わせた金融機関のビジネス・

モデルの変更や経営戦略の修正が行なわれる可能性のほうが高いと考えられる。ボルカー・

ルールは金融機関の活動を一定範囲内で縛り、自己勘定取引や投資ファンドへの投融資に制 限を設けられた金融機関の収益は規制の実施前よりは縮小する一方、金融システムの安定度 は高まるという結果になるのだろう。

4

金融規制改革とアメリカ経済

1) 着実に進む実体経済の改革と上向く景気

今回の金融規制改革はアメリカの実体経済にどのような影響を与えるのだろうか。その

(8)

前提として2010年の実体経済の展開を整理しておきたい。

2009年後半から始まった景気回復の特徴は、その前の景気の谷の深さの割には反発力が

弱いことだった。実際、実質国内総生産(GDP)成長率は

2010年第2

四半期には

1.7%に鈍化

してしまった。この原因は金融危機が家計部門に残した

2つの後遺症にあったと考えられる。

ひとつは金融危機の渦中で「百年に一度の深刻さ」という市場予想を受けて企業部門が徹 底した雇用削減を進め、危機が去ってもその修正に乗り出さなかったことである。実際、

失業率は2008年秋から

09年春にかけて急上昇して 9%

を超え、その後は高止まりを続けた ままである。第2の後遺症は、危機前に過剰債務を抱え込んだ家計部門が危機発生後は一転 してその調整を求められたことである。家計部門の債務残高の可処分所得に対する比率は

2002

年には

100%強だったが、その後に急速に膨らんで 2007

年には

130%に達した。債務調

整を迫られた家計は雇用環境が悪化して所得が伸びないなかで返済負担が重くなり、購買 力の低下を余儀なくされた。こうなると景気は回復に転じても、個人消費は緩慢な回復に とどまってしまうし、住宅投資は

FRB

の超金融緩和策でローン金利が低下しても低迷が続 いてしまう。

もっとも景気自体は、市場から懸念が消えなかった二番底に陥ることはなかった。その 最大の理由は、2009年に雇用を含めて徹底した合理化を進めた企業部門が2010年は収益の

V字回復を実現して自信を取り戻し、在庫積み増しや設備投資の拡大など経営の正常化に動

き始めたことだった。そのうえに、2010年秋の追加緩和を含めた

FRB

の超金融緩和政策が 企業部門だけでなく家計部門を下支えした。企業も家計も金利負担は減り、それぞれ収益 増加と債務返済負担の軽減という経路から恩恵を受けた。追加緩和を好感した株価上昇が 家計部門の金融資産を回復させた効果も小さくなかった。こうしたプラス効果は特に

2010

年後半に強く表われ、結果的に2010年通年では

3%

弱の成長を確保できた模様である。

企業部門(非金融)は在庫・設備投資には積極的になったが、2010年

9月末の時点で流動

資産を1兆9000億ドルも抱え、雇用は最低限にとどめるなど、総じてみれば慎重姿勢を保っ ていた。しかし、その企業部門も2011年は雇用拡大に積極的になる意向を示している。株 主の効率経営や収益拡大への要求も強いアメリカの企業がいつまでも多額の流動資産を抱 え続けることも考えにくい。家計部門では債務調整が進み、可処分所得に占める返済額の 大きさは、すでに債務拡大が進む前の1990年代末並みに小さくなっている。2011年は社会 保障税の引き下げが消費を押し上げる効果も期待できる。こうした前提に立てば

2011

年の

景気は

3%強の成長を達成することは十分に可能である。金融安定化策や景気刺激策の効果

は時間の経過とともに薄れていくが、代わって個人消費と設備投資が安定的に拡大する自 律的な景気拡大へと転換していくのだと思われる。2010年半ばに浮上したアメリカのデフ レ懸念も2011年は実現せずに遠のいていくだろう。

2) 景気に対しては適切な政策対応

前述の金融規制改革が1年をかけてようやく枠組みを仕上げるという緩やかな進展にとど まったなかで、なぜ景気は意外とも言える回復を示しているのか。その理由は景気を支え るという政策課題に対して、FRBの金融政策が適切だったことにある。超金融緩和は購買力

(9)

の低下した家計部門の需要拡大には大した効力を発揮できなかったが、債務調整の促進に は効き、個人消費の底割れを防いだ。それ以上に企業部門の収益拡大と設備投資の回復を 支えた効果が大きかった。財政政策も、共和党は中間選挙の選挙戦において景気刺激策は 無駄だったと批判したが、政治的に中立な議会予算局(CBO)等は一定の景気下支え効果が あったことを認めている。正確に言えば、景気の落ち込みの大きさに比べて、景気刺激策 は規模が小さすぎたのである。そうなると、財政に不十分な面はあったとはいえ、景気に 対する金融・財政両面からの政策対応は総合的にみれば適切だったと評価できる。

今後についても、金融規制強化により金融機関の活動が抑制されて実体経済に及ぼす負 の効果はあっても、FRBの超金融緩和と企業部門の抱える多額の流動資産によって、十分に 解消できる。また、規制強化も金融界のロビー活動による巻き返しによって極端なものに はならないだろう。かといって、巻き返しが強すぎて過剰なリスク・テイクが再び進行す る事態も考えにくい。

3) アメリカの政治の修復能力の高さ

以上をまとめれば、2011年は景気が底堅く回復する一方で、金融規制改革もオバマ政権 が求めたTBTFを打ち切る一方で、金融機関の過剰なリスク・テイクも再開しないという望 ましい展開に進む可能性が高いということになる。これは

2010年中の景気と金融規制改革

それぞれに対する金融市場にあった厳しい見方と比べれば、予想外に良好な見通しである。

深刻な金融危機が発生していた

2年前に、このような展開を予想していた市場参加者は皆無

に近かったとも思われる。

逆に言えば、この予想外の変化を生み出す力がアメリカの政治には備わっていたのであ る。景気の下支えに成功しつつある

FRB

とオバマ政権、金融危機の原因を突き止め、危機 を再発させないための金融規制改革の枠組みまで辿りついた当局と議会、それぞれが役割 を果たした。そのなかでも、成立しうる法案をまとめ上げたドッド上院銀行委員長とフラ ンク前下院金融サービス委員長の貢献は大きかった。

今回の改革は、80年ぶりの規制強化という政策課題のもつ難しさ、オバマ政権と金融界 の立場の違い、金融市場の先行した回復による金融機関の交渉力の回復と、雇用回復の遅 れによるオバマ政権の政治資本の喪失といった現象も重なり、改革は難航し複雑な展開に なった。改革に対する評価も、危機の再発予防を重視するオバマ政権の立場と事業の継続 を重視する金融界の立場どちらを重視するかで大きく異なっていた。その違いを整理しな ければ、報道や識者の見解から受ける印象は改革が遅れているという悲観的なものになり がちだった。しかし現実には、妥協に向けた調整が議会で行なわれ、金融規制改革の枠組 みまでは辿り着いた。改革の目標と調整の難しさを勘案すれば、1年余りでの枠組みの成立 は十分な成果であり、金融危機という失敗に対するアメリカの政治のもつ修復能力の高さ が示されたと捉えるべきだろう。

おわりに

金融危機後の世界経済は、中国など新興国の高成長に比べて米国など先進国の景気回復

(10)

の遅れが目立ち、危機を契機に世界経済の中心は新興国へ移っていくという見方が強まっ ている。日本を含めた世界の企業・投資家の関心も新興国に集中しつつあり、アメリカへ の関心は危機が終わっても低下したままである。しかし米国には、景気の立て直しと金融 規制改革で示された政治の修復能力がある。筆者は、この高い能力がある限り、アメリカ は世界経済の中心の座を他国に譲り渡すことはないと考えているし、やがて世界の企業も 投資家も、アメリカの政治のもつ修復能力を評価して、アメリカへの総合評価を見直す時 がくると確信している。

(1) U.S. Department of Treasury, “Geithner in Sunday’s Washington Post: 'Five Myths about Tarp’”(http://www.

treasury.gov/press-center/press-releases/Pages/tg900.aspx).

(2) The White House, Office of the Press Secretary, “President Obama to Announce Comprehensive Plan for Regulatory Reform”(http://www.whitehouse.gov/the_press_office/President-Obama-to-Announce- Comprehensive-Plan-for-Regulatory-Reform/).

(3) “Dodd-Frank Wall Street Reform and Consumer Protection Act”(http://docs.house.gov/rules/finserv/111_

hr4173_finsrvcr.pdf).

(4) Tom Quaadman, “Financial Regulatory Reform - Uncertainty Grows,” ChamberPost(http://www.chamberpost.

com/2010/07/financial-regulatory-reform-uncertainty-grows.html).

いまむら・たかし 丸紅米国会社ワシントン事務所・所長 http://www.marubeni.co.jp/research/index.html [email protected]

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