246 化学と生物 Vol. 54, No. 4, 2016
シナプスを介した酸味の情報伝達
味蕾におけるコンプレキシン 2 の発現と味情報伝達における役割
食べ物の味は,甘味・酸味・塩味・苦味・旨味という 基本五味から構成され,口腔内においては味蕾で検出さ れる.味蕾はI, II, III型味細胞と基底細胞(IV型味細 胞)という4つの細胞種から構成されており,このう ち,I, II, III型味細胞が味の受容にかかわると考えられ ている.近年の研究により,それぞれの味細胞が異なる 味覚受容体を発現することや,I型味細胞が低濃度の塩 味,II型味細胞が甘味・旨味・苦味,III型味細胞が主 に酸味を受容するといった,各味細胞がそれぞれ異なる 機能をもつことが明らかになってきた(1).
味細胞で検出された味情報は味覚神経を介して中枢に 伝達される.一般に,神経細胞‒神経細胞間の情報伝達 はシナプスを介して行われる.しかし,味細胞から味覚 神経への情報伝達に際しては,III型味細胞でのみシナ プス構造が観察され,ほかの味細胞ではシナプス構造が 観察されていない(2).そのため,III型味細胞はシナプ スを介した味情報伝達を行うと考えられているが,その 詳細については不明な点が多く残されている.
甘い,酸っぱいなどの味の種類に関する識別は,中枢 ではなく末梢の味細胞で行われている.そのため,末梢 における味情報伝達の解析は味受容システムの全容を解 明するうえで近道となりうる.一般に,それぞれの細胞 がもつ未知の機能や作用機序を明らかにするために,特 定の細胞で発現する遺伝子の情報を得ることは効果的な アプローチとなる.そこで,筆者らのグループでは網羅 的発現解析により味蕾において発現する分子情報の取得 を試み,本稿で紹介するコンプレキシンを含む複数のシ ナプス関連分子の候補を得ることに成功した.
コンプレキシンはシナプス関連分子の一つで,シナプ ス前細胞に存在する.コンプレキシンファミリーには4 種類の分子が存在し,中枢では主にコンプレキシン1と 2が発現する(3, 4).コンプレキシンはSNAREタンパク質 に結合することで,カルシウム依存的に神経伝達物質の 開口放出を調節する(5).そのため,コンプレキシンがシ ナプスを介した味情報伝達に関与する可能性が考えられ た.そこで筆者らは味受容へのコンプレキシンの関与を 明らかにするために,味蕾におけるコンプレキシンの発 現と味情報伝達における役割を検討した(6).
味蕾におけるコンプレキシンファミリーの発現を調べ た結果,コンプレキシンファミリーのうち,コンプレキ シン2の発現が味蕾で認められた.一方で,ほかのコン プレキシンファミリーの発現は認められなかった.さら に,コンプレキシン2がI, II, III型味細胞のうち,どの 味細胞に発現しているのかについて味細胞マーカーを用 いて検討したところ,III型味細胞でコンプレキシン2が 発現することがわかった.
コンプレキシン2がIII型味細胞で発現していたこと から,コンプレキシン2欠損マウスを用いて,味応答へ のコンプレキシン2の関与を検討した.まず,基本味溶 液に対する味覚神経の応答を記録した.その結果,クエ ン酸や塩酸などの酸味刺激に対する神経活動がコンプレ キシン2欠損マウスにおいて有意に減弱することがわ かった.一方で,酸味以外の基本味に対する神経活動に ついては,欠損マウスと通常マウスの間に有意な差は認 められなかった.さらに,基本味溶液に対する味嗜好性 の評価を行動学的手法により行った.通常,マウスは酸 味物質を忌避するが,欠損マウスでは酸味物質に対する 忌避性が低下していることがわかった.これは酸味刺激 に対する神経活動が低下したために,酸味を感じる能力 が低下したためだと考えられる.一方で,ほかの基本味 に対する嗜好性に欠損マウスと通常マウス間で明確な差 は認められなかった.このように,コンプレキシン2の 欠損が酸味刺激に対する応答感度を低下させたことか ら,コンプレキシン2が酸味情報伝達に関与することが 明らかになった(図1).これらの結果は,III型味細胞 が酸味情報伝達に関与すること,また,III型味細胞が シナプスを介して味情報伝達を行うことを強く示唆して いる.
近年,高濃度の塩がIII型味細胞で受容される可能性 が報告された(7).そのため,NaClに対する応答も詳細 に解析したが,欠損マウスと通常マウス間で明確な差は 認められなかった.筆者らが用いた濃度範囲ではIII型 味細胞で受容される塩応答が必ずしも大きくないため に,検出されなかった可能性も考えられることから,こ の点に関しては今後検討が必要であろう.
前述したように,III型以外の味細胞では味覚神経と
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の間でシナプス構造が観察されていない.そのため,シ ナプスを介さない味情報の受け渡し機構が味蕾に存在す ると考えられていたが,最近,電位依存性イオンチャネ ルCALHM1がII型味細胞からの神経伝達物質放出に関 与することが報告され(8),味細胞‒味覚神経間の情報伝 達機構の全容が解明されつつある.
甘味は食物中に含まれる炭水化物などのエネルギー源 の存在を,旨味はタンパク質の存在を示すなど,それぞ れの味質は栄養学的な意味をもつとされる.つまり味覚 は食物の選別・識別を行うことで,摂食行動を決定する 役割を果たすといえる.一方で,食べる側の生理状態に より,食物に対する嗜好性や感受性は変化する.今後 は,味情報伝達メカニズムの解析で得られた知見を活か し,食物に対する感覚がどのように変化するのか,その 詳細な機構を解き明かしていきたい.
1) D. A. Yarmolinsky, C. S. Zuker & N. J. P. Ryba: , 139, 234 (2009).
2) R. G. Murray: Ultrastructure of sensory organs: The ul- trastructure of taste buds, ed. by I. Friedmann, North Holland, 1973, pp. 1‒81.
3) K. Reim, H. Wegmeyer, J. H. Brandstatter, M. S. Xue, C.
Rosenmund, T. Dresbach, K. Hofmann & N. Brose:
, 169, 669 (2005).
4) H. Kasai, N. Takahashi & H. Tokumaru: , 92, 1915 (2012).
5) A. Maximov, J. Tang, X. F. Yang, Z. P. P. Pang & T. C.
Sudhof: , 323, 516 (2009).
6) A. Kurokawa, M. Narukawa, M. Ohmoto, J. Yoshimoto, K. Abe & T. Misaka: , 133, 806 (2015).
7) Y. Oka, M. Butnaru, L. von Buchholtz, N. J. Ryba & C. S.
Zuker: , 494, 472 (2013).
8) A. Taruno, V. Vingtdeux, M. Ohmoto, Z. Ma, G. Dvory- anchikov, A. Li, L. Adrien, H. Zhao, S. Leung, M. Aber- nethy : , 495, 223 (2013).
(成川真隆,三坂 巧,東京大学大学院農学生命科学研 究科)
プロフィール
成川 真隆(Masataka NARUKAWA)
<略歴>2006年京都大学大学院農学研究 科博士課程修了,博士(農学)/同年同博士 研究員/2007年東京大学大学院農学生命 科学研究科博士研究員/2008年静岡県立 大学大学院生活健康科学研究科助教/2010 年 German Institute of Human Nutrition 博士研究員/2012年東京大学大学院農学 生命科学研究科特任助教/2015年同助教,
現在に至る<研究テーマと抱負>生理状態 による味覚感受性の変化<趣味>トレーニ ング
三 坂 巧(Takumi MISAKA)
<略歴>1998年東京大学大学院農学生命 科学研究科博士課程修了,博士(農学)/同 年日清食品株式会社/2000年東京大学農 学研究員/2001年日本学術振興会特別研 究員(PD)/2003年岡崎国立共同研究機構 生理学研究所助手/2005年東京大学大学 院農学生命科学研究科講師/2007年同准 教授,現在に至る<研究テーマと抱負>食 品が生体に与える機能についての解析<趣 味>スポーツ観戦
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.246 図1■味蕾におけるコンプレキシンの発現 4種類存在するコンプレキシンファミリーのうち,
コンプレキシン2がIII型味細胞で発現していた.
コンプレキシン2欠損マウスは酸味刺激に対する 応答感度が低下していたことから,コンプレキシ ン2は酸味情報伝達に関与すると考えられた.
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