• Tidak ada hasil yang ditemukan

セルフヘルプ・クリアリングハウス:その実例と問題点 - pweb

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2024

Membagikan "セルフヘルプ・クリアリングハウス:その実例と問題点 - pweb"

Copied!
46
0
0

Teks penuh

(1)

セルフヘルプ・クリアリングハウス:その実例と問題点  

岡  

知 史  

平成4年3月  

上智大学文学部社会福祉学科   

(2)

セルフヘルプ・クリアリングハウス:その実例と問題点  

岡 知史   

0.はじめに   

セルフヘルプグループ(自助グループ1が地域福祉に対してもつ意義と役割は最近になってよ   うやく注目されてきたようだが、そわをどのように援助するかという点について†ま.あまり考察   されてこなかったように思われる.まして,ボランティ7活動にはボランティ7センターという   専門の援助組織が必要なように,セルフヘルプ活動にはセルフヘルプ・クリアリング′ヽウス(l)の  

ような専門校関(2)が求められるのだという発想は.欧米では数多く実践されているが,日本にお   いてはほとんど問題にされていないようである.   

この論文の目的は,そのようなセルフヘルプ・クリアリングハウスの具体的な例を紹介し.さ   らにそこでどのようなことが問題になっているのかを明らかにすることである(3).今後,わが国   においてもクりアリングハウスが本格的に実践活動を開始するときがあるだろうが,そのときの   参考資料にされることを願っているのである.  

注:  

=)この専門機関を表現する用語は,まだ国際的には統一されていないようだが.アメリカ・カナダでは    self−helpclearinghouse.ドイツではf(ontaktstelle(英訳は【meetingpoint lという言葉がもっとも普通    に使われている.英国では機関の扱がまた少ないためか,特に頻繁iこ使われる用語を私は知らないか,   

こ¢)論文で引用した文献ではしばしばselトhdpsuppo止Centreと呼ばれている.ニュアンスに迎いが    あるのかもしれないれ 便宜上ここではセルフヘルプ・クリ7リングハウス(あるいは単にクリ7リン    グハウス)またはコンタクトシュテレと呼ぶことにする.なお,ドイツのワーカーたちと討論したとき,   

払が「セルフヘルプセンター」という言葉を使うと,彼らは「センター」という言葉には中央的統制の    イメージかあると指摘し,自分たちはそわを避けたいと言っていた.円本でも.センターという言葉に    中央のコントロールというイメージをもつ当事者かいるかもしわない.現に大阪で開かれた第1回の七   Jレフヘルプセミナーでは,<セルフヘルプ惜尋センター>という名称に対して,そのような疑いを表明   

した患者会会員の発言があったことは注i]してよいだちう は阪セルフヘルソ構潮セングー設立準備委    員会l ̄セルフヘルプ研究セミナー」報告占(19さ8)pp.14−15を参照).払の提案を言えば,日本ではこの    ような専門職関をつくる場合,センターという言躾の代わりにネットワークという言薬はどうだろうか   

(例えば,おおさか・セルフヘルプ・ネットワーク),ネットワークという言葉は日本では市民権を得    ているようであるし.平等・対等な人間関係の嗣というイメージがあると思われるのだれ  

(2)専門緩関といっても.後に述べるように専門戦が独占的に支配している接開という意味ではない.セ  

/レフヘルプグループのメンバーなどのl▼楽人」か参加しながらの専門観閲である.ここでいう専門とは   

亀業としての側面がててくるprofessionalismというよ{).むLろ経験的知菰をも含めたexpeTtiscであ   

(3)

上智大学社会福祉研究19!)2.3  

ると考えてもらいたい.  

(3)セルフヘルプグループヘの援助¢)方法については,グルーソに直凄的に参与して援助する「直接的援   

助」とセルフヘルプ・クリ7リング′、ウスなどを通して援助寸る「問妾的援助」がある・前者について    は,岡知史「当事者組竃への直接的援助について:地域における当事者組織化活動の理崩的祭理の試み」   

大阪市立大学社会福祉研究会研究紀要第5号(1986)pp.17−3:‡.後者については.岡知史「セルフヘルプ    グループヘの専門的援助について」地域福祉研究第14号(lり87)pp.6ト68.で簡単に紹介しているので参    照していただきたい.  

l.セルフヘルプ・クリ7リングハウスの一般的機能   

さて,セルフヘルプ・クリアリングハウスとは何であろうか.その機能的定義をここでいくつ   か紹介してみたい.   

北米で最初にその機能について論文の形でまとめたのは,Borck&Aronowitz(1982)であろ   う(1).そこでは,Borckがディレクターをしているクリアリン7ハウス(WestchesterSelf−Help   Clearinghouse)の役割あるいは課題を以下の6つに分類している・  

(l)情報の整理編集(CompilationofInforrnatioれ):どのようなセルフヘルプグループが地域内   でどのように活動しているかという情報とともに,グループか利用できる地域内のサービス・制   度についての情報を収集・整理する.  

(2)情報提供と送致(Informationand ReferralSystem):集めた情報を当事者や一般市民,専   門職たちに提供する.電話相談や問い合わせ,セルフヘルプグループの名簿(通常.ディレクト  

リと呼ばれる)の発行などを通じて情報は提供される.  

(二り 技術的援助(TechnicalAssistance):7−ループ活動への援助を行う.例えば集会所や活   資金(補助金)の確保を援助したI),広報の仕方やグループの組織的な運営方法などを敢えていく.  

(1)技能開発(SkillI)evelopment):当事者に対してグループのリーダーシップ・スキ)L/の訓練   を行ったり,専門矧こ対してセルフヘルプグループへの援助の仕方についてのワークショップを   開いたりする.  

(5)地域教育(Comm血ty Education):地域内のセJL/フヘルプグループの交流を援助したり,一   般の地域住民に対してセノレフヘルプあるいは相互扶助(mutualaid)についての啓発活動を行う.  

(6)調査研究(Research):これには特に説明は不要だろう.   

この分須方法について言えば.第1の隆能と第2の機能はともに「脚報」を扱っている楼能で   あって,表裏一体のものとして見ることも可能であろう.第3と第4の区別も実際には難しいの   ではないだろうか.   

やはり北米の人であるWollertは,クリフ tJングハウスの概念について関心をもって研究を   続けている人であるが,Borck&Aronowitzの論文がかかゎた8年後に,アメリカとカナダにあ  

る30のセルフヘルプ・クリアリングハウスの較能を調査している.そしてその調査を通じて,そ   わを以下の4つに分類している(2).  

(1)情報と送致(inforamtionandreferral)  

(2)コンサルテーション(consultation)   

(4)

セルフヘルプ・クりアリングハウス:その実例と問題点  

(3)コミュニティ教育(COmmunityeducation)  

(j)調査研究(reseach)   

二れは,Borck&Aronowitz(1982)てあげられた6つの縫能のうち,第1と第2,そiliこ第   3と第4をひとつにまとめてしまったものと理解すれば,ほほ聞達いないようである.   

後述するニュージャージー・セルフヘルプ・クリ7リング′、ウスは.北米の代表的なクリ7リ   ングハウスであるが,その賀作者であるMadara(1990)もまた,上記の分類と似たようなことを   述べている,すなわち,そのクリ7リング/、ウスの主要な業務領域ほ以下の:i一っである(3).  

(l)情報と送致(informatinandreferTal)  

(2)コンサメレテーションと訓練(consultationandtraining)  

(3)開拓的啓発と教育(outreachandeducation)   

これは,Wo11ert(1990)の分類のうちて調査研究敢儲が欠落していると考えてよいだろう.最   初にあげたBorckのクリアリング/、ウスは,組織的に大学と密接な関係があったので調査研究機   能が前面に出ていたか,大病院を背景にもつニュージャージーのクリアリングハウスは,もっと   実際的な援助俵能が強調されていると考えらわる.   

次にドイツのク1j71Jングハウス(ドイツではコンタクトシュテレと呼ばわるので,以F.適   宜コンタクトシュテレと書くことにするlであるが,コンタクトシュテレの数も多いだけにその   機能の分類の種類も数多くある.しかし,特竜のコンタクトシュテレの隆能を述べるのではなく,  

複数のそれを一般化して述べた論文にしばると,それほど論文の数は多くない.   

ドイツのコンタクトシュテレを英文で紹介した論文を,2つの代表的なコンタクトシュテレの   ワーカーであるMatzat&Estorff(1989)が書いている方;,そのなかで隆能は以fのように分頸さ  

わている(1).  

(l)セルフヘルプに関心をもつ人へのカウンセリング  

(コーl新しいグループをつくるときのサポート  

(jl既存のグノレープヘの技能的アド/りス    刷 グループと専門職の関係づくり  

(5)公衆のセルフヘルプについての啓発  

(6)実務的な援助(practicalhelp)   

最後の実頼的な援助とは,集会所やコピー縁なとの磐務機器の提供によって行なう援助をいう.  

この段能区分はサービスの対象者の種別を区分原理にしているように思われるが,最後の区分肢   はこの原理に沿っていない.   

Braun&Roehrig(1987)は,ひとつのプロジェクトで4つの都市に設立されたコンタクトシ  

ュテレ(IKOS:Informations−und Kontaktste11e fuer Mitarbeit und Selbsthilfe)の課題領   を以下の6つに分けて,さらにそれぞわの領域に含まわる重点課題をひとつひとつ具体的に述べ  

ている(5).  

(= 情報と文献の収集  

(2)広報活動   

川 情報提供と仲介   

(5)

ヒ智大学社会福祉研究19り2.3  

(1)グループの支援  

(ユ)既存のグループヘの教育プログラムと経験交流の場の提供  

(6)グJレープと専門職との結び付け   

Brau皿は,その2年後に,Greiweとともに.こんとはドイツ国内の20のコンタクトシュテレを   調査している.そしてその結果,上記の諜確りストの最上部にあげらゎた「情報と文献の収集」  

を省いた形と,ほぼ重なるようなリストを新しく提示している(6).  

(l)広報活助  

(2)個別相談(関心をもつ個人への援助,グループの紹介など)  

(3)グループ相談(グループ結成・維持への援助)  

(1)教育(研修プログラムの実施などj  

(3)協力(各種専門校関との陥力関係づくi))   

さらに課題のリストと並べて,そのサービスの対象者を(l)セルフヘルプグループ,(2)セ/レフヘ   ルプに関心をもつ当事者,(3)専門唯の3つにわけている.   

新しい論文では,Januschewski&Jakubowski(1991)が,コンタクトシュテレの活動領域を   以下の4つに分けている(7).   

=)セルフヘルプに関心を持つ人の相談,仲介,結び付け.  

12)新しいグループ結成に際しての相談と支援.  

(3)既存のグループへの組織的・本質的な支援.  

(1)セルフヘルプの原則の哲及と促進.   

これはサービスを受ける対象者の篭別を区分層理としていると言ってよいだろう.   

コンタクトシュテレの榛能を・−・般化Lて述べた以上の⊥lつの論文を見るかぎi),職能をサービ   スを受ける対象者の種別によ一つて分ける傾向かあるようである.すなわち,関心をもつ個人,新  

しいグループ,既存のグループ,専門職.一般fi三民というようにサービスの対象者を分けて,そ   のうえで,そわぞれに対するコンタクトシュテレの機能を考えているのである.   

最後に,ヨ一口、ソパのセルフヘルプ研究者・支援者たちがワークショ・ソプという形で何度かク   リアリングハウスの機能について話しあっているが,その結果を見ておく.  

1982年にヨーロッパ7ヶ国からセルフヘルプ支援の専門家がHohr−Grenzhausenに集まった   机そこではセJレフヘルプを支えるサポート・センターの機能として次の3つがあげられていた.  

(L)情報と文献活動(informationanddocumentation)  

(2)物理的資源の供給(provisionofmaterialresourccs)  

(3)促進と開発的啓発(facilitationandoutreach)   

をあげている(8)が,グループ結成への技術的援助と広報・啓発活動が未分化の形であり,けっ   して練られた形の分類ではないだろう.   

同様の会議に複数回出席したWilson(1989)は,(彼女自身,後に述べるセル′フヘルプチーム   のリーダーであるが),クリ7リングハウスり隆能を,次の5つにまとめている(9).  

(l)情報の収集と提供  

(2)プラクティカルな支持的サービス   

(6)

セルフへノLゾ・クl】7リングハウス:その実例と問題.キ  

(3)新しいグループ結成への援助と既存のグループヘ¢)問題解決的援助    用 トレーニングの陰会とグノレーゾが相互に出会う機会の捏供  

(5)専門職やマスコミ,専門織関との協力   

こうやって並べてゑて,気がつくことは,北米のそれと比べて,ヨ一口▼ソバのクリ7リングハ   ウスのワーカー・研究者は専門職とセルフヘルプグノレープとの「中間に立つ者」という役割をク  

リアリングハウスに期待していることである.これは後述するように,ヨ一口、ソパは北米と比較   して,セルフヘルプグループが]劉−【J職によって育成されてきた側面が強かったのだが,そういう   事情が反映しているのかもしれない.また,北米のクリアリングハウスの機能のなかに調査研究   が重要な要素として含まれているのは.その多くが大学組織を基礎として設立されていることと   関係があるかもしわない山九   

以上.クリアリングハウスの一・殻的性能について述べられた主な論文をふi)かえって克たカ㍉  

ドイツ(‖)においても北米(12日こおいても.まだ明確な外連概念は確立さわていないと指摘さわては   いるものの,おおむね[1]情報の収集と提供,[2]活動についての相談と援助.[3]広報と社   会教育,[4]調査研究という4つの働きがクリアリングハウスに期待されていると考えてよいよ  

うてある.   

セルフヘルプグループあるいは当事者患裁への援助については,従来は,特定の大規模な団体   に財政的援助という形で行なわわていたことか多かった.しかし,そわでは結成されたばかりの   小さなグループや行政から観みられることのない少数者の問題をめく・るグループなどは,援助を   受ける機会かほとんどなかったと言ってよいだろう.日本の当事者団体への援助は,まだそうい  

う段階にあると思われる㈹.それに対して,小さなブル−プても,あるいは,いまだ社会的認知   を受けていない問題に対して結成さわたグループでも.まんべんなく援助か受けられるようなシ   ステムとしてできたのか,このグーJアリング′、ウスだと考えられるのである.   

Braun&Greiwe(1989)の言葉を使えば,前者のような援助方法は、全国レ′くルあるいは)11レ   ベルで結成さわているセルフヘルプ・オーガニゼーションに財政的援助をしていくことによっ  

て,それが末端のグル「−プに◆まで及んでいくという「垂直的(vertilくal)」な援助である.これは   ドイツにおいて従来から行なわわている援助形態であった.コンタクトシュテレでは,それに対   Lて,′ト地域のなかで遠勤しているセルフ/、、ルフグルーーノを直接的に援助するという「水平的   morkontal)」援助を行うのである.この垂直的援助と水平的援助は互いに補完しあいながら行な   われるべきだと彼らは指摘しているt札   

この垂虐的一水平的という援助の区別は興味深いもq)である.同様の区別を,Wollert(1987.  

1988)は問題中心的(problem−Centred)アプローチと地域中心的(COmmunity−Centred)7ブロー   チとに分け,Branckaertsは特殊的支援(SpeZielle Unterstuetzung)と一般的支援(allgemeine   Unterstuetzung)とに分けている.もちろん後者の7ブローチ・支援のひとつとして,クリアリ   ングハウスの活動があるのである(舟.また,後者の方法を,一定地域にひろくまんべんなく援助   がゆきわたることから,財的資源分配の「じょろ(如露)原理」と呼んでいる論文(凋もある.ク   リアリング′\ウスのような「じょろ」を使わないかぎり,結局は行政から見て安定した組織的基   盤をもったグループで.おそらくは特定の政治色をもつものだけに援助が片よってしまうと思わ   

(7)

上智大学社会福祉研究1992.3   10   

れる(吼   

その他,クリアリングハウスの機能としては,問題をもった当事者たちが共同的行為を起こす   のを容易にさせ,狭い意味での「病気」のみを考える構え(Krankheitsorientierung)に代えて,  

社会生活全体を包括する予防的な保健を考える構え(Gesundheitsorientierung)を促進させるこ   と(1軌 また,他の福祉・医療鹿関においてもセルフヘルプグループが支援されることを考慮すれ   ば.それらの組織との違いは,他の機関においてさらに「セルフヘルプの支援」という考え方が   促進さわるようにしていくこと(呵だとも言われる.   

クリアリングハウスは,まだまだ専門機関としての歴史も浅く,その機能的概念も明確に定ま   っていない状態であるが,これによって従来とは違う形でセルフヘルプグループを援助しうるの   だということは,広く認められているのである帥.  

注:  

(り Borck,L.E.&Aronowitz,E.≠TheRoleofASelf−HetpClearinghouse, h:BorTnan,L・DL etal・  

(Eds.)HelpingPeopletoHelpThemselves:SeLf−HelpandPreve71tion・NewYork:TheHaworthPress  

(1982):12卜129,  

(2)Wollert,R. SelトHelpClearinghouse:AnOverviewofanEmergentSystemfoTPromotingMutual    Ajd rn;Powell,T.匹d.)WorkingwithSe旺−Help.SilverSpring:NASW(1990):254−266・  

(3)Madara.E.J. MaximizingthePotentialfor Community SelトHelp Through Clearinghouse    Approaches〝h:PreventioninHumanServices7(2):1990:109−138・  

(1)Matzat,J,&Estorff,A.ⅥOnSupportforSelfHelp GroupsattheLocalLevelUIn:Humble,S,&   

Uneu,].(Eds.)SelfHelpinHealthandSocialWelfare・London:Routledge(1989):93−98・  

(5)Braun,,.&Roehrig,P.Praxis derSelbsthilfefoederug:Das freiwi11ige sozialeEngagement am    BeispielvonvierStaedten.Frankfurta.M・:Ca皿puS(1987)・特にpp・149−155・  

(6)tiraun,J.&Greiwe.A.(Hrsg.)Kontaktstellenund Selbsthilfe・Koeh:ISAB(1989)・特にpp・112−   

1】5.  

(7)Januschewski,R.&Jakubowski.A.M.やKontakトundInfomationstellenfuerSelbsthilfegruppen    1m:TheorieundPraxisdersozialenArbeit(さ):199l:305−3O8.  

(8)Branckaerts,J.&Deneke,C.nMutualAid:fromreserchtosupportivepolicy−repOrtfromaWHO    wo血shop.nln:Hatch.S,&Kickbusch.Ⅰ・(Eds・)Self−helpandhealthinEurope・Copenhagen:WHO  

(19幻):186−191.称こp.189.  

(9)Wilson,,.FromPhilosophytoPartnership.In:HuTnble,S.&Uneu.J.(Eds・)SelfHelpinHealthand    SocialWelfare.London:Routledge(1989)‥128−135・  

輌Jeger.A.M.,Slotnick.R.S.&Schure,M・やTowardaSelL−help/ProfessionalCollaborativePer−   

spectiveninMentalHealth.In:Bilegel,D・E&Naparsteck,A・J・任ds・)CommunitySupportSystems    andMetltalHeatlhNewYork:Springer(1982).p.217に,既存のクリアリングハウスの大部分が大学の   

なかに設置されていると述べられている.  

(ll)Bremen,K.は,コンタクトシュテレがどのようなサービスをすべきかという点については,まだまだ    論議の余地があるとしている.Bremen,K. Ueberdie Zukunftvon Kontakste11en fuer Selbsthil−   

fegmppen.nIn:DeutseheArbeiltsgemeinschaftSelbsthilfegnlppene・Ⅴ・田rsg・)SelbsthilfegruPpen−   

Foederung(t988):157−16仇特にpp.157−158.  

恒)1Ⅳouert,R.は.北米のクリアリングハウスについて調査した結果.「クリアリング′\ウスの概念は形    成過毎にあってし彼らのアンケート調査に対して)明確な解答を出すには未熟なのだろう」と言ってい   

(8)

七′レフヘルプ・クリ7リングハウス:その実例と問萄眉   11   

る.つまり,そわぞわのクリアリンケハウスはまだ腹史が浅いので.自分たちが何であるのか.何をす    べきかという明確な自己規定をつかんでいないというのである.Wollert,R. Selトhelp cleraring−   

housesin North America:a SurVey Of their structuralcharacteristics and community health  

implications.ク エn:HealthPromotion2刷:19ささ:377−386・特にp・385・  

佃 こわについては,同和史「終戦後結成さわた日本♂)いくつかの自助的相互扶助組織について」卜常人    学社会福祉研究平成2年度年報所収を参照していただきたい.とくに日本では,その中央集権的政治背    景と,以前には地域内網崖的組織化♂)伝統によっ「こ.ひとつの全国的睨槙の範法にのみ補助金が嘆申し    てしまう傾向がみられるのである.  

11i)Braun&Greiwe(1989)op.cit..p・17・  

㈹ Woller(,R.(1988)op.cit.,p,378.あるいは,Wollert.R. Human Services alld The Se]f−Help    ClearhhouseConcept.eln:CanadjanJoumalofCommunityMentalHealth6巨)l:1987:79−9O,特にp.   

80.そして,Branckaerts.). Selbsthilfegruppen undihre Unterstuetuzungin Europe:einin[er・   

nationalerVergleich .In:DetltSChe Arbeitsgemeinschaft Selbsthilfcgruppen e.V・(Hrsg.)op.cit.  

(1988)pp.120−125.矧こp,124.Branckaertsは,さらに上記の論文のなかで,このような一般的支援の    践関として,地域レベJレのものと,国家レベルのもの.さらに国際レベルのものをそれぞれ別に考察を    加えている.  

〔1司Januschewsb&Jakubowski(1991)op・d【‥p.3鵬.  

(!1例えば,ベルギー¢)クリアリングハウスの関係者は,クリアリングハウス設立以前では,グループヘ   

の補助金が,盤解さわた如、組織でしかも特定のイデオ∪ギーを持つものだけに選択的に与えられてい    たことを指摘Lている,Gielen,P.,Saelens.P・&Verwimp.L・ SupportforSelL−HelpGroupsinBel−   

gium(FlanderTl). paperpresentedattheintemationalexpert meeting SuppoTtforSelトHelpGroups   inEurope,〝 02.州5.September1991inFr血{[amMain・  

㈹ Asam,.W月.etaI.Hilfeztlr Selbsthilfe:Ein KonzeptzurUnterstuetungVOn Solbsthilfegruppen,   

Muenchen:Minerra(1989)p.143.  

(三別 Uneu,,,(1989)¶lntroductoryNote..In:m皿ble.S,&Unell.).(Eds.)op.cit..p.92,  

如 いずれこしても.アリアリングハウスがてきることによって,セルフへノLプアループの運動が涜先に    なるということは.かなりの程度認められていると思われる.実例をあげると.ベルギーでは】p81年に    オランダ語圏を対襲にしてクリアリングハウスが設立された方1,そのときオランダ兼困には70のセル「ソ   

ヘルプグループがあった.しかし.10年たって見ると.グループの敦は1000以Lになっていた.・方.   

ベルギーの残り半分を占めるフランス語国では.グループの数は川隼た一つても以前のオランダ語周のプ   

ルr−プJ)放と変わらないのである.Gielen・P・tSupportforSelf−11elpGroups:an OVerView,〝 paper    presentedattheinternationalexpert meeting Supportfor・SelL−HelpGroupsin Europe.n O2.」)5.   

September1991inFrankfur[amMain・  

2.諸外国のセルフヘルプ・クリ7リングハウス   

セルフヘルプ・クリアリングハウスは欧米詩国中心に数多く運営されている(1)が.そのなかか   ら地域別に,北米,ドイツ.イングランド.その他というように分けてその状況などを簡単に紹   介したい.その際,とくに設立の経過や.その後の問題点などが明らかになるように焦点を設定  

しておきたい.   

2.l.北米(7メリカ・カナダ)   

北米で最初のセルフヘルプ・クリフ リング/→ウスは,ネブラスカ州のリンカン(Lincoln)につ   くられた,その萌芽は50年代の後半に,リンカン・精神保健協会(Lincoln MentalHealth As・   

(9)

上智大学社会福祉研究1992.3   12   

SOCiation)の小さな委員会で,特定のセルフヘルプグループを援助するプログラムを検討するこ   とから始まったという.そしてそこから,1964年にネブラスカ・セルフへノレフ情報サービス(the   Self−HelpInLormationServiceofNebraska)という組織ができあがったのである(2).   

その後10年は他のクリアリングハウスは設立さわなかったか,70年代中ごろからしだいにアメ   リカ東海岸に沿って結成されるようになる(3).そLて1982年にはいくつかの州でクリアリング/ヽ   ウスに対する公的な出資がなされるようになった.さらに1985年のダラスにおける会議で,北米   のクリアリングハウスの代表者が集まり,全国相互扶助センター・ネットワーク(NNMHC:Na−  

tionalNetwortofMutualHelp Centers)を結成することか決議され,翌年のミネアポリスの会   議から隆能することになる(1).   

Wollert(1990)は,第l章で述べたように北米のクリアリングハウスを30ほど調査したが,そ   れぞわのクリアリングハウスにはいろいろな点で差異が見られるとしている(5).まず,その結成   が,少人数の個人の努力によるものもあれは.行政の政策によるものもある.設置さわていると   ころもさまざまで,公的図書館,大きなビルのオフィス,大学のキャンバスなどであり,通りlこ   面した出店凰のものもある.他の組職から独立した形のものもあれば,より大きな組織に付属し   ている形のものもある.その活動の重点もさまざまで新しいグループをつくることに力を入わて   いるところもあれば,既存のグループのり−グー層を対象としたトレーニング・プログラムを重   視しているところもある.またセルフヘルプグループの社会変革的側面に注目して,グループが   社会的な運動を起こすことができるように援助しているところもある.少数ながらセルフヘルプ   グループについての基礎研究を重視しているところもある.州全域をカバーしようとしているク   リアリングハウスは少数てあl),大部分は地方のあるいは大都市のコミュニティを担当地域とし  

ている.   

Madara(1990)によると,アメリカでは53のクリアリング/\ウスの担当地域が全国のほほ半数   近くの人口をカバーしている.そしてその半数は輯神保健サ←ビス依関によって始められたもの   であるという.アメリカのクリアリング′、ウスは,精神保健と深い関係があるのである(6).   

Wo11ert(1987,1988)も.同様の指摘を行なっておl),それによると,北米のクリアリングハ   ウスは54箇所あり,それらの担当地域の人口を7千万以上としている.また北米のクリアリング   ハウスの多くが精神保健関係の団体や機関と深い関係をもち,またその職能は構神保健専門職  

(mentalhealthprofessiona)s)によって担われているとしている(T),   

Wollertの別の調査(摘ま,クリアリンブハウスの問題点を調査している点で興味深い.そわに   よるとクリアリングハウスは組織として独立しで一、ることが多いか,その多数は委員会(board)  

に助けられながら意思決定を行なっている.そしてその委員会のメンバーは,いくつかの例外を   のぞいて75%はクリアリングハウスのスポンサー以外の団体から選ばれている.すなわち.この   委員会の存在によってクリアリングハウスは外部の団体との関係を良好に保っていると思わわ  

る.注意すべきことは,これらの委員会のメンバーにはセルフヘルプグルーソのノン′く−や住民・  

●●●  

ボランティ7の代表は少なく,委員会はもっばら専門職によって占められているということであ   る.また,スタッフには素人でほなく専I‖川哉を採用するという方針をもつクリアリングハウスか   大多数である.   

(10)

七′Lフヘルプ・クリ7リンデハウス:その実例と問題点  

13   

このように北米のクリアリングハウスについては,セルフヘルプグループあるいは当事者自身   の参加が少ないということが.後に述べる欧州やオーストラリ7との比較から指摘できるのであ   る.また,放火の困難点として,26のクリ7リング/\ウスのうち21が財政問嘲をあげており,  

Wollertは,結論のひとつとしてクリアリンプハウスの最も深刻な問嗜は,それが利用できる財   源が乏しいことだろうと述べている.  

(例l)ニュージャージー・セルフヘルプクリアリング/ヽウスl再   

このグリ7リング/、ウスは7メリカの代表的なものであり,おそらく最も成功しているものの   ひとつであろう.   

それは,Saint Clares−Riverside MedicalCenterの地域精神保健センターのコンサルテーショ   ン・教育部の業務から始まった.地域の社会資漂としてのセルフへ/レフグループを捜し出したl).  

新い、グループが作られる過程にかかわったりしていたのである.1978年からはセンター内のク   リニカル・スク、ソフに対して地域のセルフヘルプグループについての研修会を開いた.   

80年には州の精神保健病院部(theStateDivisionofMentalHealthandHospitals)から2万4  

千ドルの資金を与えられ翌年の81年1月に,アメリカで初めての州レベルの(人口約750万人),  

そして初めてコンピュータを充分に利用したクリアリングハウスが設立されたのである.当初は   ボランティ7の援助があるものの専従職貞はl人だけだった.しかし2年巨=ニは2人になった.  

そして設立から4年で240以上,7年で500以上のセルフヘルプグループの結成を援助してきてい   る.グルーソへの紹介(referral)は年間l万2千件以上にのほl),そのうち3分のⅠ以上は専門   職からのものである・電話による問い合わせはすべて無料の電話回線(toll−free telephoneline)  

で受けるために問い合わせた人には経済的負担はない.   

このクリアリングハウスの特徴のひとつは,情報管理にコンピュータを駆使していることで.  

MASHnet(MASH=MutuaI−Aid SelトHelp)とよばれるセルフヘルプグループについての情報  

管理専用のプログラムによって,つねに州内の3400以上のブループ・ミーティングと,全国の  

4000以上のグループを把握している.また,コンピュータ通信のネット(BBS)を利用しており,  

コンピュータ通信によるセルフヘ)L/フグループのミーティング(teleconferencing)も積極的に援   助しておil,すでに障害者のネットやAAのえソトが開かれている.   

このクリアリンプ′、ウスは当初から州の積層保健基金を利用し,現在(1990)そわによって8   人のスタッフを雇用している.そのうち,4人ポコンサルテーション,2人が情報と送致.1人   が7ウトリーチと教育,そしてあと1ノ、か秘書白守業務を担当している.このクリアリングハウス   は他の北米のそれと比べて.新しいセルフヘルプグループの結成の援助に力を入れており冊.お   そらくその結果であろうが,ニュージャージー州では,最近セルフヘルプが年に8.4%の割で増   加しているといわわる.  

(例2)ウエストチェスクー・セルフヘルプクtjアリングハウス(11)   

あとひとつ,7メリカのクー」アリングハウスを紹介しておきたい.こわは,】979年9月.耶  

(county)を対象とした.大学.州・郡の精神巣随所の合同事業として,包括的な棉神保健システ   

(11)

上智大学社会福祉研究1992.3   11   

ムに統合さわた形で発展したもので,財政的にはニューヨーク州とウエストチェスグー附こよっ   て維持され 管理と茂任は大学に任されている.ワーカーは,情報管理(information and refer・  

ral)の1名の専門職を除いて,すべて括神保陛の専門職である.1年半ごとにセルフヘルプグルー   プのディレクトリを発行しており,郡(人口86万人二のなかにある290種類のセルフヘルプグルー   プを把捉している.また,毎年,25から40の新い、セルフヘルプグループの結成を援助している.  

地域の社会福祉機関とは密接な関係を保っておi),情報を求めての電話の約40%か.専門職から   のものである.  

(例3)カナダのセルフヘルプクリアリンニケ′\ウス   

カナダのクリアリングハウスは,7メljカのそれと比べて歴史は浅いが,そわでも1991年現在   17のクリアリングハウスがあり,全11州のうち8州に少なくともひとつのクIjアリングハウスか   ある.オンクリオ州にいたっては,そこだけで丁つのクリアリングハウスが設托されている(12).   

また,アメリカのクリアリングハウスの財源の多くが輯神保健基金からきているのに対して,  

カナダにはそのような基金はないため,おのずと状況も違ってくる.カナダのクリアリングハウ   スは大都市圏に限られているが,もっとも大きな違いは,Cbudleigh(1991)か指摘している次の   ような点であろう.すなわちカナダのクリアIjングハウスでは草の板グループが主導的に基金か   ら資金を受けとって始めたのに対して,アメリカのそれは,州政府からのプランの券堆に応じた   グループによって始めらわるという「申し出募集制度(calトfor−tendersystem)」に基づいている  

ということである(l:う).   

Wollert(1987)は,カナダのセルフヘルプリング/、ウスの歴史を簡単に紹介しているが,そわ   によると,カナダのセルフヘルプ支援のための資源は,1983年に開かわた全国シンポジウムを契   機にして飛躍的に発展した.1986年には,それまてクリアリングハウス支援の中核であったカナ   ダ政府がその役割をカナダ社会開発協議会(CaLnadianCounCilonSocialDevelopment)にゆずつ  

た(14).   

翌年1987年にオタワで開かゎた「セルフヘルプ・相互扶助に関する会議」のレポート(Ⅰ5)によれ   ば.サスカチェワン(Saskatchewan)ではサスカチェワン大学のセルフヘルプ開発部(Self−Help   DevelopmentUnit)が,かレガリ,(Calgary)ではセルフヘルプグループの連合体として20年以   上活動を続けているカルガリー家族生活費育協議会(Fami1yLifeEducationCouncilofColgary)  

カ;,ウィニペグ(Winnipeg)では新ウィニペグ資源センタ,(thenewWinnipegResourceCen・  

けe)が15のセルフヘルプグループによってクリアリングハウスの隆能を与えられている・モント  

リオールでは,1979年以来相互扶助センター(CAMAC:Centre d aide mutuelle/MutaualAid  

Centre)がクリアリング′、ウスの機能を維持している.   

トロントでは.CommunitySelf−Helpというセルフヘルプグループの連合体が1972年から82年   の間活動をした.その活動の終了年の1982年には,国の政府がスポンサーになって,全国セルフ   ヘルプ会議か開かわた.そこでトロント・クリアリングハウスのモデルが提案されている(1句.そ  

して19幻年の末には,噂門職とセルフヘルプグループのメンバーから構成されたグループは,国   の政府の昧健福祉省(HealthandWelfareCanada)にクリアリング′、ウス設立のための補助金を   

(12)

セルフヘルプ・クリ7t)ング′、ウス:その実例と問題点   15  

申箭する.翌朗年には政府から1万6千ドルがクリアリングハウスq)必要性をより詳しく調査す   るための費用として支給される.鮎年初頭に,その調査レポートが政府に提出され 86年秋に再   び補助金の申爵を行う.そしてようやく.87年の10月から以後3年間の補助金(初年度約6万ド   ル,次年度約11万5千ドル,最終年度約13万ドル)がおりることになったのである(1れ   

現在トロントのクリアリングハウス(The SelトHelpClearinghouseofMetropolitanToronto)  

は公立図書館のなかにあり,3人のフルタイム・スタ、ソフをかかえ,約200万人の人口を対象に   溝助を行なっている.15人のディレククーからなる委員会仲oard)があるが,ディレクタ岬の半   分はセルフヘルプグループのメンバーが占めるというのが,このクリアリングハウスの原則とな   っている.このクリアリングハウスには,9つのサブ委員会があiつ,200名の(セルフヘルプグ   ループの)メンバーと60人のボランティア方;クリアリングハウスの日々の活動に参加している,  

全体として期限つきの補助金で運営さわているカナダのクリアリングハウスであるが,このトロ   ントのクリアリングハウスは.カナダで最初に連続的な補助金を得たものである.そのディレク  

トリには350のグループが把握さわているi札  

注:   

州 ただし,イタリア,フランス,スペインなどの南欧では,セルフヘルプの支援はほとんど試烏られて   いない.Branckaerts(1988)op.cit.p122.しかし,このことは南欧にセルフヘルプグループが少ないと   いうことではない,例えば.スペインのバルセロナのセルフヘルプグループについて語った論文、Roca,   

F.&VinalbiJ.R. MutualaidgroupsandorganizationsnBarcelonaOpaperpresentedattheinter・  

nationalexpertmeeting〝supportfor Self−Help Groupsin Europe, 02.−05.September1991iTI   FrankfurtamMain.あるいは,フランスの事情について述べた論文,FerTaZld−bechnlann.D. volunta−   

ryactioninthewelLarestate. In:Pancoast,D・L‥PaTker.P.&Froland,C.(Eds.)Rediscovering   SelL−help.Beverly Hi11s:Sage(1983):183−20l・/Trojan,A.(1983) Groupes de Sante :theUsersr   MovementinFrance. In:I・Iatch.S・&Kickbusch.Ⅰ.(Eds,)op,Cit.,pp.43−57.を参照.  

12)Madara.EJ.(1990)op.cit..pp.115−116・  

(3)Wollert.R.(1987)op.cit..p.81.Wo11ert,R.(1988)op.cit.,p.379.   

tj)WollerLR.(1990)op.cit‥p.261.   

し5)ibid.  

(6)Madara,EJ・(1990)op・CiしpLllO・   

ド)1Ⅳ011e托,R.り9即)op・Ci亡‥p・83・,WolleItR・(1988)op,Cit..pp.377−379    匝)1Ⅳolle托,R.(1988)op,Cit.,pp.379−380,,p.384.   

桝 このクリアリングハウスについての記述にあたっては,Madara.E・J.bTheselトhelpcleaTinghouse  

Operation:tappingtheresourcedevelpomentpotentialofT&Rservices. ln:hformationandReffera1   7(りSummer1985:ヰ2−58・.Madara,E・J・ SupportingSelf−Help:AClearinghousePerspective. so−  

CialPolicy18(2)Fal11987a・pp・2S−29・.Madara,E・J−・&Neigher,W.D. HospitalsandSelf−Help   Groups:Opportunitya皿dChal1enge・JT h:HealthProgress67(3)(April,1986)こ42−45.およUMadara.  

E.J.(1990)op.cit.を参照した,  

(IO)Wo11ert.R・(199O)op・Cit‥P・260・   

帥 このクリアリングハウスについての記述にあたっては,既に引用したBord【L.E.&Amnowitz.E,(1982)の   論文と,クリアリング′、ウスのディレクダーであるJa皿eSOn,L.B.(1991)の岡への個人的手放を利用した.   

個 Todres.R. Self−HelpandSocialPolicyinCanada:APerspective.〝 paperpresentedattheinter・  

nationalexpert meeting Support for SelfLHelp Groupsin EuTOpe. 02.州5.September1991in   

(13)

6   卜智大字社会福祉研究1992.3  

Frankfurtanl入1ain.  

咽 Chudleigh.^・qWllat sgoingondovmthere:Clearinghousessouthoftheborder〝.In:Initiativc;the    Selトhelpnewsletter(CanadianCouncilonSocialDevelopment)7(2),p.3.  

恒)Wollcrt.R.(1987)op.cit..pp.8卜82.  

恒)ReportoEtheConferenceonSelf−Help/MutualAid.Ottawa,March20−21,1987.Ottawa:Canadi    CouncitonSocialDevelopmen(.pp.22−2j.  

㈹ibid.  

(lT)Hagarty,S・F・AnEvaluationoftheSeLf−HelpClearinghouseofMetropolitanToronto:theStruggle    toServeandSurvive・CommunityConcernAss∝jationLtd−199u.p.il.p.25.  

佃 Todres(1991)op・Cit・.p・・l./Hagarty,S.F.(1990)op.cit.p.Jl.  

1  

2.2.ドイツ   

ドイツのセルフヘルプ・クリアリングハウスについての文献はかなl)アメリカと比べても多い  

(り.そり発展経過は「セルフヘルプグ]L,−プ・ドイツ共同研究チーム登録組合(DAGSHG:  

DeutchenArbeitsgemeinschaftSelbsthilfegruppene.Ⅴ)」というひとつの民間団体と,そのプロ   ジェクトとして設托さわたクリアリングハウスである「セルフヘルプグループ活性化・支援全国  

クリアリングハウス(NAKOS:Nationale Kontakt−undInformationsstelle zurAnregung und  

UnterstuetzungvonSelbsthilfegruppen)」と密接にからんでいるので,それらの紹介をまじえな  

がら述べてみたい(2).   

ドイツには以前はAAなどの依存症者のグループと伝統的な障害者団体しかなかったが,そわ   以外の新しいタイプのグループが生まれ始めたのほ70年代の後半であった(3).そのような斯い、  

セルフヘルプ運動に注月して,専門職にある人たちが集まりはじめ,75年にフランクフルトの近   く,ギーセン(Giessen)にDAGSHGを結成したのだった(J).なぜギーセンだったのかというこ   とだが,それはそのグループの中心人物であったMoeuerが,ギーセソの大学の心身症医学・心   理治療診療所の心理衛生学教授であったからである.Moeuerは.7メリカにおけるセルフヘル   プグループの発展を知i).ド仁ソの既存のグループと接触をはかり,自分の戦場である大学の診   療所でもセルフヘルプグループヘの援助を武具始匂ていたのだった(5).   

その一九1977年より連邦政府の青少年・家族・保健省(FederalMinistry of Youth,  

Familyand Health)を通じて,セ)L/フヘルプグ)L,−プを調査し.そC)支援方法をさく一る調査計画   がMoellerを中心として始めらゎた.この計画は,上述の心身症・心理治療大学診療所で実施さ  

れたが,これが契織となりますます多くの研究者かギーセンに連絡をとるようになり,この過程   において研究者のネットワークとしてDAGSHGが発展していったのである.全体として学術的  

・専門職的色彩の濃い組織ではあったが,セルフヘルプグループの代表者の参加もあった.この   団体は79年以降,年に一度の大会を開くようになり,82年に正式な団体として登録された.   

Matzat,Breitkopf&Weickenmeier(1988)によると,このころからセル7ヘルプという概  

は社会からの注l]を得て広がり意味内容も混乱していく.名ばかりが「セルフヘルプ」で内容は   異なるという「名称詐欺(Etikettcnschwindel)」的な事態も生じはじめた(6).   

(14)

セルフヘルプ・クリ7リングノ、ウス:その実例と問題点   17   

というのも,1980年代にはいると,ドイツでは福祉関連予算の限界が問題になりはじめ,それ   に対処する方法としてセルフヘルプが注目されはじめるようになったからである・セルフヘルプ   は.すべての政党にとって魅力的なものになった.セルフヘルプは,キリスト教民主同盟にとっ  

ては「自己信頼(self−reliance)」i=基づくものであり,社会民主党には「連帯(solidarity)」を意   味し,自由民主党には「リベラリズム」を,そして緑の先には「基礎民主主義(basaemocTaCy)」  

を意味したのである(7).   

さて,このような社会的状況のなかでDAGSHGは発展していくのだか,そのEl標として,j)  

セルフヘルプグループの出会いと経験交流のための7す一ラムをつくる,②セルフヘルプグルー   プについての情報が得られたり,新しいグループがつくらゎた;1する場を線供する,③他の地域  

にも同様の支援組織(RAG:RegionaleArbeisgemeinchaftenSelbsthilfegruppen)をつくるために  

働きかけるといったことがあげられていた.すなわち,すでにコンタクトシュテレとしての機能  

をもっていたのであるが,1984年が始まるとDAGSHGのプロジェクトとして,ベルリンで上述   のコンタクトシュテレ(NAXOS)が,ベルリン市政府の財政援助によって運営されるようになった.   

NAXOSの事業としては,ドイツ連邦共和国とベルリソにおけるセルフヘルプグループの所在   と活動形態についての一般的情報を掟供したり,広報活動によってセルフヘルプグループの考え   方を広め,専門職やジャーナリスト,政治家.当事者に対する呼びかけを行うことであった・そ  

して特に,ドイツの各地域においてコンタクトシュテレが設置されるよう紛きかけ,すでに活動   しているものについてはこわを支援することが最も重要な課葛になりつつある(叶   

さて,このようにして,DAGSHGあるいはNAXOSの影響のもとに,トイツ全国に多数のセ  

ルフヘルプグループ支援組織(RAG)あるいはコンタクトシュテレがつくらゎた(9).このような   組織ほすでにドイツ国内に120カ所以上ある(叫 しかしながらこの120を越える支援組織において  

どりようにグループが支援されているのかを把握するのはほとんど不可能であると言わわる(ll).  

そわらの地域のコンタクトシュテレは,DAGから支援を得て,またDAGを通じて他のコンタク   トシュテレと交流を行なっている方;,とはいえDAGの下部組織ではなく,DAGを構成するフォp   マルな会員でもない.セルフヘルプグループとメンバーをつなく・関係と同じ発想がここでも貫か   わているのである(疹.   

一方,DAGがNAKOS設立後もギーセンに開いているコンタクトシュテレについては,セル   フヘルプグループー故を援助するのではなく,保健・心理社会嶺域lこ関係する「話し合いセルフ   ヘルプグループ(l司」をもっぱら援助する特別なものになった(叫.それは,DAGか最初に設置さ   れた場所(心身症医学・心理治療診療所二)の影響があり,またその当時,リクレーションやソー   シャルアクションに重点をおくセルフヘルプグループについては全国レベルの障害者団体などの   支援がすでに行なわれているという判断もあったという¢丸   

さて,Braun&Greiwe(1989川頗ま,連邦政府の青少年・家族・女性・保健省(BMJFFG)の援   助プロジェクトの対象となった20のコンタクトシュテレを調査して報告している.それがドイツ   のコンタクトシュテレを代表的に表現しているとは言えないだろうが,ドイツのコンタクトシュ   テレの一般的動向を知ることになるだろう.以下,この調査の結果を簡単に紹介したい.   

彼らは調査の結果,コンタクトシュテレを2つのタイプに分けている.ひとつはセルフヘルプ   

(15)

上智大学社会福祉研究1992.3   18   

を全般的に援助するタイプであり,もうひとつは特殊なセルフヘルプのみを援助しているタイプ   である・後者の例をいくつかあげると,ギーセンのコンタクトシュテレは先述したように,陳健・  

心理社会領域の話し合いセルフヘルプグループのみを援助対象としている.ブレーメンでは,セ   ルフヘルプ計画の政治的推進に亜点をおき,バットフィルベルでは近隣の相互扶助を重視してい   る(lれ しかし,大勢は前者の全般的セルフヘルプを支援するコンタクトシュテレであって,そこ   ではコンタクトシュテレの質的メルクマールは「非特殊化(18)」であるとさわる.   

しかし全般的支援を行なうコンタクトシュテレといえども.実際の援助対象者にはかなりの偏   りが見られる・都市・地方のコンタクトシュテレかともにもっとも垂螢と考えているのは慢性病   患者のグループであった.都市のコンタクトシュテレでほ,以下,障害者,女性,依存症者,親   の会,心理社会的問題をもつ人のグルーープと続く.あまiつ重要であると考えられていないのは,  

高齢者,社会的状況にかかわるグループ(生活保護受給者など),近隣グループ,文化を問題に   するグループであり,後になるほど重要性が低くなる.地方のコンタクトシュテレでも状況はほ   とんど変わらないカ㍉ 慢性病患者が特別に重要だと考えらわており,その次にその重要度に少し   差があいて,親の会,心理社会的問題,女性,障害者,依存症と続く.重要でないと考えられて   いるグループは都市の場合と同じであるが,その重要度はさらに低くなる.ニの重要度のラング   づけは,コンタクトシュテレへの要求の反映であるという(1軋   

そして,もっとも大審な問題として財源の問題があるが,上記の20のコンタクトシュテレのう   ち,13ヶ所は,連邦政府の補助金を主要な財源とLていた.その額は毎年3万マルクから12万マ   ルクであった.残りの7ヶ所においては自治体の補助金のカが多額であった.また6ヶ所におい   ては政府の補助金と設立主体(Traeger)の自己資金の他は財源がなかった.しかし全般に設立主   体の自己資金はわずかであり,そわがl万マルクを超えたのは6ヶ所にとどまった,要するにこ   の調査で見るかぎi),ドイツのコンタクトシュテレは,ほとんど行政からの繍助金で誰持さわて   いると言えるのである帥.   

最後に,セルフヘルプへの専門的援助の研究か進んでいるドイツでは.何人かの研究者によっ   ていくつかの新しい概念が投出され それに対応する制度か発展しつつある.それをふたつばか  

り紹介したい.  

(1)セルフヘルプ顧問団(Selbsthilfebeirat).   

Braun&Greiwe(1989)によれば.トイツのセナレフヘルプ促進政簡では,グループヘの補助金   直接支給等による促進策,コンタクトシュテレ,そして,セルフヘルプ顧問団が3つの柱になっ   ている.セルフヘルプ顕問田にはいろいろなモデルかあるが,一般的に言えばコンタクトシュテ  

レか.その地域の社会政治的状況や専門的制度のなかに統合さわるのを促進し,その地域がセル   フヘルプの枚念を受け入れられるように援助する役割をもつ.例えば.ヴィルツフルクの場合は.  

股間団は福祉関係団体,相談織関,セルフヘルプグループの代表者から粘成さわている.ケルン   ハウゼンでは,顧問団の議長を前の社会部長(Sozialreferent)が担当し,また郡長(Landrat).市   長(Buergermeister).健康保健組合や福祉団体.医師の代表者が専門顧問(Fachbeirat)として   任用されている.これらの顧問団は,地方自治体の社会福祉・保腱関節着地域の専門職団体と,  

新しい機関であるコンタクトシュテレとの間に立とうとするものであり地方自治政治に対するロ   

(16)

セルフヘルプ・クリアリングハウス:その実例とl卿鞄点   】9  

ピー機能(kommunalpolitischeLobbyfunktion)を期待されているのであるeI)t  

(2)セルフヘルプ相談員(Selbsthilfeberaterhnen):コンタクトシュテレで,セル7ヘルプに   関する相談を担当する「専門職」である.こわが一個の「専門職」として確立するものであるの   かどうか,まだ論議がわかれるところであるが,その「職業的アイデンティティ」を探索する試  

孟はなさわている(22).  

注:  

11)ドイツのセルフへ7シソ促進計南についての日本語の研究文献と」ては.坪筍賓「新い、社会運動と裾    の党:福祉国家のゆらぎの中で」九州大学出版会(19S9)のなかの「自治体による新い、社会政策の試品‥   

r自助への援助Jベタンりン・モデ.7し(pp−1丁卜柑0)」が参考になる・  

(:)以下の記述は:l三に次の文献を参考にしTl、、る,Balke.K− Praktische ErfahTungen einerNationalen    Kontaktstelle fuer Selsthilfegruppen(interessenten):Die Deutsehe Arbeitgemeinschaft    SelbsthifegruppenTサIn:Asam.W・H・&Heck・M・(Hrsg−)SozialSelbsthilLegruppeninderBundes−   

republikDeutschland.Muenchen‥Mir)erVa・1983・/Balke,K・ Self−HclpGroupsandSocialPolicies:A    ReportabouttheSittlationinWestlkma町・qlecttueholdatthecourse¶SELトHELPandMUTUAL    AIDINHEALTHqinDubrovnik(Yugosladaりune12th.1987/Balke.K・ANationalCleararingHouse    forSelfHelpGroups.undated./DeutscheArbeitsgemeinschaLtSelbsthillfegruppene・V・(Hrsg・)   

Selbsthilfegruppen−Unterstuetzung:Ei皿Orientierungsrahmen・1987/Matzaり・&Estorff,A・(1989)   

Op.Cit.  

川 ドイツの7(仲代のセルフヘルプ運動については,岡知史「欧米のセルフへ′レフグループの概念規定に    ついて:その思想的・歴史的背県から」大阪市立大学社会福祉研究会研究紀要祁7号(1990)の第3帝   

「l耶0年代からの市民運動」を参照していただきたい.  

(1)Matzat.).Breitkopf.H.&Weieken皿eier,M・、DieDeutscheArbeiltsgemeinschaftSelbsthilfegrup−   

pene.Ⅴ. In:BlaetterderWohlfahdspnege(Septemger198S)=216−218・  

(3IMatzat.).(】989)bKontaktste11enfuerSelbs【hiuegnlppeTla]sTeilder ambulantenVersorgungdurch    einepsyehosomatischeUniversitaets−Klinik・q h:Braun,J・&Greiwe.A・(11rsg・)op・Cit・.pp・242−   

25t)  

両 MalZaり.Breitkopf.H.&Weickenmeier.入1・(1988)op・Cit・  

一丁・Balke.K.(1987)op・Cit・  

け)ibid.  

叫 RAGについては.多くのところでギーi=シでの実慮をモデ丁しにしたもLT)・そわはGiessener Modeu    と呼ばれている)ガ;実施されており.ボランティアやパートタイムの取貝によって維持さわている,開    黄医JP福祉相談検閲・施設の殴負かそり実績っなかで開設しで.、たり.あるいはセルフヘルプグループ    のメン/く−一個人の家のなかに設置されで、、たりする.Deuts⊂heArbeitsgemeinschaEtSelbsthilfegrup−   

pene・Ⅴ・(rtrsg.)(1987)op・Ci(‥P・16・  

・抽 Matzat.,. SelbsthilfegruppeninDeutschiaLd.J paperpresentedatthein【emationalexpertmeet・  

ing Support for SoLf−Help Groupsin Europe. 02・一05・September)991in Frankfurt am Main.,  

Januschewski&Jakubowski(1991)op・Cit‥p・305・  

(川 Matzat.).&Estroff.A.(1989)op.cit・.P・96・  

(11JMatzat.).Breitkopf.1i.&Weickenmeier.M.(1989)op.cit‥p・21T・  

叫 Gespraechs−Selbsthilfegruppenという疑念については,岡知史「セルフへ]L,/グルーソの概念をめ    く′って」社会福祉学第3卜1冒(1990)ですでに述べた.  

(叫 Braun,J.&Greiwe.A.(1989)は,こうした性格のために一般の他のコンククトシュテレとギーセソ   

(17)

上智大学社会福祉研究1錮2.3    20  

のそれをl諷別している(前掲再,p.104.を参照).また.ギーセンのコンタクトシュテレの責任者であ    るMatzatは.自らの実践を心理学的・心理療法的視点から心理学的志向の話し合いグループを支援する    ものであると述べている.Matzat,J.(1991)op.cit.  

細 かIatzat,J・(1989)op.cit‥p.244.  

㈹ Braun.J・&Greiwe.A・(1989)op.cit,  

呵ibid・,pp・104−1O5.  

(l申 Nichtspezialisierung.ibid..p.19.  

(ゆ Bumleilsterは,地方でセルフヘルプ促進活動を行なうときの障害について論じているが,そのなかに.   

地方では交通が未発達で移動の際に困整が生じること,またタブー視されている問塵(同性愛など)に    ついては集会が田無なことをあげている.ニれらの事情か,この重要度のラングづけにも萎れていると   

思われる.Burneister.).(1989b) Selbsthilfe−Kontaktstelleninlaendliche71Regionen. In:Braun.J.   

&Greiwe,A.(Hrsg.)op.cit.,Pp.225−232.特にp.231.また,Braun,,.&Greiwe.A・(1989)op.cit・   

の調査に見られるようにドイツでは,地方のコンタクトシュテレの意味を,都市のそれと区別して論じ    られることがある机 カナダやオーストラリ7のようにクリアリング/、ウスが大都市にしかない地域を    考えてみると,その論議の重要性が注目される,特に.日本の大都市は欧米¢)それとは違って.まだ伝   

統的な地域祖廟(町内会など)が残っているだけにタブーの聞嘩などは大都市においても深刻であろう    と思われるからである.  

帥 Braun.,.&Greiwe.A.(1989)op.cit‥p.89.  

el)ibid..pp.50−5l‥pp.96−98.  

吻 Burmeister,)(1989a)、Zur berufli⊂henIdentitaetvon Selbsthilfe−Ut)terStuetZern:Menschenbild.   

TdentitaetundberunicheKompetenzenalsqualitBtiveKomponenten derAibeit. h:Braun,J・&   

Greiwe.A.(Hrsg.)op.cit‥pp.17ト18(1.  

し例1)′\ンプルク・出会いと情報の場(KISS)(1)   

ハンブルクでは,1979年2月に「イニシアティブサークル・セルフヘルプ・ハンブルク  

(Ⅰ血iativkreisSelbsthilfeHamburg)」が,心理社会領域の専門家と複数のセルフヘルプグル←ノブ   のメンバーによってつくらわた.最初はサークルの構成人数も少なかったか,1979年の中ごろ,  

研究計画「保経セルフヘルプグループ」が始まると,しだいにサークルの活動はその計画の実行   者によって行なわれるようになった.そしてひとつ¢)成果として.ハンブルク保健局(Gesund−  

heitsbehoerde)が,同年セルフヘルプグループのリストを発行.′\ンプルクはセルフヘルプ運動   の意義を認め.積極的にそれを促進したドイツで最初の州だとされている・(2)・   

その後,1981年1月に,KISSが,研究計画「保健セルフヘルプグループ」の独立した一部分と   してつくられる.その当時のセルフヘルププノレープのメンバーはmSSの設沢を大賛成したとさ   れる(2).   

ⅢSSはその年から一定の選任従事者(0,5人と補助の大学生)を得る,また大学病院のなかに   設置さわたために一定の時間,電話がつながるようになったことはその後の発展に大きなはず晶  

をつけることになったといわれる.  

1983年末に研究計画が終了したため,翌年1月から,KISSはハンブルク保健局が財政的に支え   ることになり,1.5人の専任ポストを社会学,社会教育学.教育学をそれぞわ専門とする3人の   

(18)

七′しフヘルプ・ク=「7リンブハウス:その実例と問擾眉   ‑71 

専門職によって分ける状態になった.後に敵兵代替制度からの若潜も加わった.組織の設立主体  

(Traeger)は「社会科学と保健」協会である.1984年の中ごろから独自の場所を確保し.各種の   プログラムの実行を容易にしている.  

(例2)セノレフヘルプ・出会いと情報の場(SEKIS)   

ベルリン市内に設置されたドイツ最大規模のコンタクトシュテレであり,NAKOSと同一の建物  

内にある.通常SEKISと呼ばれるが,正式C)名称はSelbsthilfe Kontakt−undInformations−  

stelleである.SEKISについては,多くの文献があるが.そJ)設立・運営の中核に代表者として   かかわったZinmer(1985)の論文(3)は,その市民運動的側面と行政管理的側面の葛藤を明らかに  

していて興味深いものかあるので,これを取り上げて紹介したい.   

それによると.ベ)Lリンでは保健運動にかかわるセルフへ7しr/7 ループか「保健行動(Aktion   Gesundheit)」という運動体に結集し,1981年末にはセルフヘルプセンター(Selbsthilfe−Zen・  

tr皿)の設立を考えていた,   

一方,1981年にべルリンの政権が社会民主党(SPD)からキリスト教民主同盟(CDU)に移り.  

CDUは,ドイツ社会福祉の伝統的な考え方である「補完性の原理(Prinzipder Subsidiaritaet)」  

に沿うという形で,セルフヘルプ促進プログラムに予算(1983年に750万マルク)を計上し,そ   のプログラムのなかでSEKISは設立さわた.DAGSHG(1984)(4)の紹介によれば,そのとき   SEKISは市政府当局から,セルフヘルプグループの支援と促進における「道しるべ的性格」を  

期待されていたという.   

このように述べると,セルフヘルプグループの運動がそのまま市政府を動かしてSEKISか設   立されたように見えるか,実際はかなり複轄な経過があった.つまり先述した「保健行動」グルー   プが,SEKISの構想を打ち出すとき,その財源は行政が負担し,設立主体は「保健行動」がな   るべきだとした.その当時の行政責任者は,SEKISの計画そのものiこは賛成したが,その設立   主体にそのような運動体かなることには同意しなかった.そして,その役割を社会問題ドイツ中   央研究所(DZI)に委せようとし7:か,「保陸行動」はこわを拒否し,DZIも色よい返事はしなか   った.ここでSEXISの計画は動かなくなってしまったのである.   

その間,「保健行動」の多くのメンバーが「ドイツ同権福祉連合(DPWV)(5)」のベルリン■支部   の代表議長であるZinnerに相談をもちかけていたが.Zinnerは,現実的な選択として,DPWV  

がSEKISの設立主体になることを提案した.この案について行政側も,運動体側も(.ただし疑   いの気持ちもあったが)満足を示した.そして,この計画の実行は,その地位からZinnerに委任   されることになる.   

SEKISは,このように異なる勢力の間にあって播わる経過をたどった何が.ようやく運営方   針や人事面を決定するSEKIS委員会が結成された.そのメンバーとしては,全国DPWV,  

DPWVのベタレリン支部,「保健行動」と AK Staatsknete といわわる組織であった.あとの二   者の代表者は,しだいにSEKISに集まるセルフへlレプグルー.7のメンバーによって代わゎた.  

このような準備のあと,1983年の9月にSEKISは活動を開始Lたのである(T).   

その予算烏1984年度で43万5千マルク,そのうセ)28万マルクが人件費として使わわた.社会科   学者のポストが2人分.ソーシャJしワーカーのポストが3人分.管理者のポストが1人分て,実   

Referensi

Dokumen terkait

〔問題Ⅱ〕(配点 20) 次の(1)~(4)について,日本文の意味になるように,それぞれの( )内の単語 を並べかえて,意味の通じる正しい英文にせよ。答えは( )内のみを解答用紙の解答 欄に書け。 (1)ジョンとメアリーは出来るだけたくさんのお金を貯めた。 John and Mary money, much, saved, as, they, as

(分析結果とその根拠理由) 本校の専攻科課程は,学校教育法の規定に適合して設置されている。本校の教育目的に照らし合わ せて教育目標が掲げられ,それに基づき教育方針が立てられ,地域社会の要請にも応えており,専攻 科課程の構成が,教育の目的を達成する上で適切なものとなっている。 観点2-1-③: 全学的なセンター等を設置している場合には,それらが教育の目的を達成する

1 1.学習問題は追究力を高める「社会科授業の核」 「先生,聞いて! 私,気になって昨日スーパーの店長さんにもう一度インタビューしてき ちゃったんだけど,実はね…」 「僕,昨晩ネットでもう一度調べたら,自分の考えが変わってきちゃった。今日の社会の授 業で,みんなの意見がメッチャ気になる…」

第 3 章 市場均衡の考え方:経済学の 視点 1章と2章では,マクロ経済学を理解するのに必要な,経済の制度的な枠組みと基 本的な経済用語,経済活動を量的に捉える社会会計の枠組みを学んだ.社会会計 に関して学んだことに,経済主体の活動,取引きの構造などから,いくつかの経 済変数の間には,会計的に確固とした関係が存在するということがある.つまり,

あるいは関西経済圏全体での航空政策を練り直す中で神戸空港の位置づけを向上させることを考えるべき である。 • 伊丹、関空との分業体制をどのようにするか。 短距離航空需要を開拓するという別の方向も考えられないか。 • 伊丹空港を閉鎖する方向も視野に入れる。 掲示板上での空港立地に関する意見を参考に講師派遣当日に議論したい。 3 建設までの経緯 1982年

8 さらに、全額返金保障(30 日以内)をつけることで、多少の事では悪い評判をいう人も出ず、 世の中には良い口コミが出回りさらに新規の会員を獲得するという循環を生み出す事業戦略を とっていた。 今までは年間70億ほどの広告宣伝費をかけて集客をしていたが最近では、広告宣伝費を抑え

これは、1997年から1999年にかけて難病の子どもをもつ親の会を対象に実施したインタビュー調査の 報告書の第2部である。まず親の会15団体から選出された24人の役員に対して、親の会が会としてか かえている問題は何かというテーマで、グループ・インタビューを行った。その結果、親の会が「役員の

その他、本講義の受講を機会に、新たに調べたり考えたりして解ったことがあ れば、まとめてレポートとして良い。また、卒業研究などで本講義と関連した内容につい て論じた場合には、その内容をまとめて紹介してレポートに加えて良い。 レポート提出の要領 • 期日: 1月25日最終授業時まで • 「レポート問題の例」にある問題、および本講義に関連する内容について考察した