戦略年次報告 2021
マルチラテラリズムの復活と課題
マルチラテラリズムの復活と課題
バイデン米新政権が国際機関や合意への 復帰を進め、多国間での国際協調および 政策調整を主導する政策をとったことか ら、2020 年に危機的状況にあったマル チラテラリズムは復活し、国際租税など の分野で具体的な進展もあったが、引き 続きその実効性が問われている。また、
世界が引き続きコロナ禍の影響を深く受 けるなかで、COVAX(コバックス)等の 枠組みにおいて米国が主導的な役割を果 たすようになったものの、途上国へのワ クチン供給のペースは遅く、ワクチンを
巡る南北格差が浮き彫りとなった。気候変動分野では、米中による協調を含め、COP26 で一定の進展 がみられたが、「1 .5 度目標」に向けた取り組みの強化が引き続き大きな争点となっている。
バイデン米政権の成立とマルチラテラリズムの復活
バイデン米新政権は、マルチラテラリズムにおいて再び主導的な役割を果たす方針を打ち出した。気候 変動分野では、政権発足直後にパリ協定に復帰し、4 月には主要排出国に一層の削減目標の強化を促す ため気候サミットを主催した。さらに、COP26 にバイデン大統領が出席し、交渉の妥結に向け貢献した。
コロナ対策では、バイデン政権はトランプ政権が打ち出した世界保健機関(WHO)脱退方針を撤回し、
COVAX に参加して 35 億ドルの資金拠出と計 11 億回分のワクチンの寄付を表明するなど、COVAX を リードする存在となった。人権を重視するバイデン政権はまた、トランプ政権が脱退した国際連合人権 理事会への復帰も表明し、10 月には 2022 年からの理事国に選出された。半年間トップ不在が続いてい た世界貿易機関(WTO)においては、バイデン政権が前政権当時の反対を取り下げたことで、ナイジェ リア出身のオコンジョ・イウェアラが事務局長に選出されたが、紛争解決分野では、米国は紛争解決の 第二審にあたる上級委員会が本来の権限を越えた判断を行なっている(オーバーリーチ)などとして、
その役割をめぐって EU と対立しており、上級委員会の機能停止が継続している。この結果、2020 年 9 月に紛争解決パネルにより WTO 違反であることが認定された、通商法 301 条に基づく最大 25%の対 中追加関税についても、紛争解決手続きは事実上棚ざらしとなっている。WTO 改革についての議論では、
先進国と途上国の対立も続いており、11 月末に予定された 4 年ぶりとなる WTO 閣僚会議で進展がある か注目されていたが、新たな変異株の広がりにより会議は無期限延期となった。
バイデン大統領は、G7、G20 においても、パートナー国と協調しつつ議論を積極的に主導した。G7 は、
スーダンに新型コロナウイルス感染症ワクチン到着(2021 年 10 月 写真:AFP/ アフロ)
けるため、法人税の最低税率を 15% にすることが合意された。
このように、2020 年に危機的状況にあったマルチラテラリズムは国際協調および政策調整の場として 復活の兆しをみせ、具体的な進展があった分野もある一方で、米中・米ロ関係の影響や、以下に述べる ようにワクチン供給や気候変動目標をめぐる議論など、引き続き困難な課題にも直面している。
コロナ禍の継続とワクチンをめぐる南北格差
新型コロナウイルスのパンデミックは 2021 年も続き、従来株よりも感染力の強い変異株が出現して、
世界各地で新たな感染拡大の波を引き起こした。特に、アジアにおける感染とその影響は 2020 年より 深刻となった。インドでは 3 月~ 6 月にデルタ株が猛威を振るい、5 月のピーク時には一日の感染者数 が 41 万人、死者数は 4000 人を超えた(出所:WHO)。6 月以降は、インドネシア、フィリピン、ベト ナム、タイを含む東南アジア諸国、韓国、日本にもデルタ株が蔓延し、感染者数・死者数の増加に伴い、
各国において感染拡大抑制措置がとられて国内経済活動およびサプライチェーンにも深刻な影響を及ぼ した。この結果、2021 年の経済成長予測も下方修正された(国際通貨基金(IMF)の世界経済見通し(WEO)
は、7 月版で日本を 2 .8%、アジア新興・途上国を 7 .5%とし、4 月版からそれぞれ 0 .5% ポイントと 1 .1%
ポイント引き下げた)。特にワクチン接種の普及が遅れている国や地域においてマイナス影響が顕著で あり、新興・途上国の経済回復が遅れることが見込まれている。加えて、先進国では大規模な経済対策 の実施が可能である一方、新興・途上国ではインフレ等の懸念から十分な経済対策が実施できていない ことも指摘されている。
コロナ感染の経済への影響が長引くなかで、ワクチン接種が進んだ諸国や、重症患者数や死亡率が下がっ た国を中心に、経済活動の再開を進める国が増えていたが、秋以降ヨーロッパを中心に感染が再拡大し、
再び経済活動の制限や感染対策の強化が図られたことに加え、時間とともに低下するワクチンの効果を 強めるための追加接種(ブースター)推進やワクチン接種の義務化の動きもみられた。長引く経済活動 の制限やワクチン接種の義務化をめぐっては、各国で反対運動も起きており、社会的な影響も拡大して いる。また、南アフリカで発見された新たな変異株であるオミクロン株は、2021 年 12 月末現在 89 か 国以上で感染者が確認されて世界各地で急速な感染者の増加につながっており、2022 年に向けても国 境を越えた人の移動の制限や経済活動の制限措置の終結が見通せない状況となっている。
ワクチンの生産ペースは向上したが、先進国と新興・途上国の間でワクチン接種のスピードに大きな 差が生じ、ワクチン供給をめぐる南北格差が浮き彫りとなった。2021 年 12 月現在、世界のワクチン
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接種回数は約 90 億回に達し、ワクチン完全接種率は、ヨーロッパで 67 .6%、北米で 55 .5%、南米で 60 .0%、アジアで 50 .9%、アフリカ 7 .7%となっている(図 1)。ワクチン完全接種率は高所得国では 68 .5%に達したが、時間とともに低下するワクチンの効果を強めるための追加接種(ブースター)の必 要性も明らかとなり、先進諸国は追加接種を急いでいる。一方、低中所得国では接種率は 29 .6%、低所 得国ではわずか 3 .2% にとどまっており、1 回も接種を受けていない国民も多い。COVAX は 180 以上の国・
地域が参加するワクチン分配のための多国間の枠組みであり、12 月末現在、144 か国・地域に対して 9 .65 億回分のワクチンを届けているが、創設当初 2021 年末までの配布目標としていた約 20 億回、2021 年 9 月に下方修正した目標は約 14 億回だったので、当初見込んでいた計画からは相当の遅れが生じてい る(出所:Gavi)。日本は 6 月にワクチンサミットを主催し、追加で 8 億ドルの拠出を表明し、ドナー 全体での資金調達目標の 83 億ドルを確保した。バイデン政権の下で COVAX に参加した米国は、9 月 に主催した新型コロナサミットにおいて、米ファイザー製ワクチンを追加で 5 億回分寄付をすると発表 するなど、これまでに 35 億ドルの資金拠出と計 11 億回分のワクチンの寄付を表明している。一方で、
中国は主に南米、アフリカ、アジア、中東の新興国を対象にワクチンの提供および寄付を推進しており、
現在までに 17 億回分を供給している(出所:BRIDGE)。ワクチン外交を通じて、新興国へ攻勢を強め ている姿勢がうかがえる。ワクチンをめぐる南北格差は、新たな変異株の出現によっても改めて浮き彫 りとなったが、世界全体がコロナの感染拡大を抑え経済回復を果たすためにも、多国間協力の枠組みで ある COVAX 等を通じて新興・途上国へのワクチン供給の支援を進めていくことは、2022 年に向けて 引き続き課題となっている。
図 1 ワクチン完全接種率(必要な回数の接種を受けた人数の総人口比)2021 年 12 月現在 出所:Our.World.in.Data
して繰り返し「1 .5 度目標」に整合するよう削減目標の引き上げを求めたが、中国は「米中二国間関係 の改善なくして、気候変動での協力もない」との姿勢を示し、「2060 年排出ゼロ、2030 年までにピー クアウト」という既定の削減目標の引き上げに応じなかった。
10 月 31 日に始まった COP26 では、多 数の国の首脳が出席したにもかかわら ず、中ロは首脳が欠席し、バイデン大統 領はこれを非難するなど、多難な滑り出 しとなり、交渉も難航した。しかし 11 月 10 日、米中両国は共同声明を発出し、
気候変動分野で協力する姿勢を打ち出 し、交渉の進展に向けた機運を大いに高 めた。
排出削減については、中国は削減目標の引き上げに応じず、ロシアは 2060 年排出ゼロ、インドも 2070 年排出ゼロを表明するにとどまった。。11 月 13 日に採択されたグラスゴー気候合意文書では、「1 .5 度 目標」は引き続き「2 度目標」と併記されたが、「1 .5 度目標」が強調された形で記載されたことは大き な前進であった。また、石炭火力削減が初めて COP の合意に盛り込まれたことや、排出削減量の国際 移転にかかるルールが合意に達し、パリ協定のルールブックが完成するなど、パリ協定の運用体制が整っ たことも、COP26 の大きな成果であった。これらの合意に、米中両国は大きな役割を果たしたとされ、
気候変動における多国間主義の再活性化の原動力となった。
EU においては、気候変動に関連した、経済競争における優位の確立を視野においたルール作りの動き が進展した。7 月、欧州委員会は 2030 年の削減目標 55%を実現するための政策パッケージである「Fit.
for.55」を発表し、自動車分野において 2035 年までにハイブリッド車を含む内燃機関車の新車販売を 禁止する計画や、厳格な気候変動対策を行なう EU 産業の国際競争力を守ることを目的とした炭素国境 調整措置の導入を打ち出した。これらの政策は、EU が環境関連政策で主導権を握ろうとする動きとして、
大きな注目を集めた。
展望と提言
新型コロナウイルスのパンデミックについては、ワクチン接種の普及や治療薬の開発により、出口が近
COP26.イギリスで開催.会期延長の末「グラスゴー気候合意」を採択
(2021 年 11 月 写真:ロイター / アフロ)
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マルチラテラリズムの復活と課題
づいてきたと思われた一方で、新たな変異株の出現は、未だこの問題を克服する確かな見通しが立って いないことを改めて世界に印象付けた。特に、ワクチン供給における先進国と途上国の間の格差は依然 として深刻であり、追加接種の必要性もあって、解消の見通しが立っていない。世界全体がコロナ禍の 影響を脱するためには、二国間や国際的な枠組みを通じて途上国へのワクチン供給を早急に進めること が必要不可欠である。米国がバイデン政権の下で WHO 脱退を撤回し、COVAX をリードする存在になっ たことは明るい材料であるが、ワクチン提供のスピードを加速させることが必要である。途上国におけ るワクチン接種の推進にはこれらの国におけるインフラ整備も必要であり、日本やその他支援国が行 なってきている低温流通能力の強化などの「ラスト・ワンマイル」の支援の継続も重要である。
気候変動分野では、COP26 において、「パリ協定の温度目標と整合」させるため各国に 2022 年末まで に 2030 年目標を再検討するよう求めており、COP.27 に向けても引き続き「1 .5 度目標」に向けた取り 組みの強化が大きな争点となる。日本は、自らが設定した削減目標の実施に果敢に取り組むことが重要 となる。また、先進国がすでに「1 .5 度目標」に整合的なレベルに削減目標を引き上げたなかで、新興国、
特に世界最大の排出国である中国の目標引き上げがなければ「1 .5 度目標」の実現は不可能であり、パ リ協定というマルチの枠組みを守るためにも、また、公正な国際的な経済競争の土俵を確保するために も、日本は引き続き、気候変動問題に熱心な途上国グループも巻き込み、国際世論に訴えつつ、中国に 責任ある大国としてふさわしい削減目標を打ち出し、実施するよう求めていく必要がある。COP27 の もう一つの大きな争点である途上国支援について、日本は、他の先進国とともに、引き続き積極的に取 り組んでいく必要がある。
さらに、脱炭素を旗印とした EU のルール作りの動きについては、日本としても、中長期的な産業への 影響を見極めるとともに、日本の技術を生かした新たなルール作りを主導する可能性を含め、官民で連 携しつつ、また立場を同じくする国々とも連携しながら、主体的・戦略的に対応していくことが必要で ある。■