1日 本 保 険 学 会 平 成 19 年 度 大 会 自 由 論 題 「 レ ジ メ 」
“ 虚 業 家 ” に よ る 生 保 乗 取 と 防 衛 側 の リ ス ク 管 理
- 中 央 生 命 対 田 中 猪 作 の 事 例 を 中 心 と し て ―
跡 見 学 園 女 子 大 学 小 川 功
1 . は じ め に
昨 今 , 投 資 フ ァ ン ド の TOB 攻 勢 に 対 す る 上 場 企 業 の 防 衛 策 の 是 非 が 盛 ん に 議 論 さ れ て い る が , 保 険 界 で は 投 資 フ ァ ン ド 主 宰 者 が ホ ワ イ ト ・ ナ イ ト を 装 っ て 経 営 不 振 の 生 保 企 業 に 資 本 参 加 し た 直 後 に , 高 利 運 用 を 名 目 に 多 額 の 社 金 を 詐 取 し 破 綻 さ せ た 大 正 生 命 事 件 1 は 記 憶 に 新 し い 。 株 式 会 社 が 主 流 で あ っ た 戦 前 期 の 生 保 業 界 に は 買 占 め ・ 乗 取 り が 横 行 し , し ば し ば 敵 対 的 な 経 営 権 奪 取 と 資 産 収 奪 も み ら れ た 。 2こ う し た 「 濫 用 的 買 収 者 」 等 に よ る 保 険 買 収 リ ス ク ・ 契 約 者 持 分 の 収 奪 リ ス ク は 再 株 式 会 社 化 ・ 再 上 場 を い ず れ 目 指 す も の と み ら れ る 現 代 の 相 互 保 険 会 社 に も 近 い 将 来 に 降 り 懸 か る リ ス ク で あ ろ う 。 本 報 告 で は 株 式 会 社 で な い 場 合 で も 「 濫 用 的 買 収 」 の 慣 行 が 存 在 し た 事 実 を , 中 央 生 命 3と い う 相 互 会 社 の 経 営 権 が 「 虚 業 家 」 4と で も い う べ き 人 物 の 間 で 金 銭 の 対 価 を 伴 っ て 転 々 譲 渡 を 繰 り 返 し た 大 正 中 期 の 実 例 で 示 し た い 。 な お 本 報 告 5で は 歴 史 研 究 上 の 史 料 引 用 の 慣
1近 年 の 生 保 破 綻 に 関 し て は 植 村 信 保「 生 命 保 険 会 社 の 経 営 破 綻 要 因 」 (『 保 険 学 雑 誌 』 598 号 ,平 成 19 年 9 月 )が 日 本 の 6 社 の 事 例 の 破 綻 要 因 を 関 係 者 へ の 聴 取 を も 併 用 し て 分 析 し て い る が , 大 正 生 命 は 規 模 が 小 さ い と の 理 由 で 残 念 な が ら 対 象 か ら 除 外 さ れ て い る 。 報 告 者 は 中 央 生 命 の 事 例 研 究 に 続 い て , 近 い 将 来 大 正 生 命 事 件 に も 接 近 し た い と 念 じ て い る 。
2拙 稿 「 大 阪 生 命 の 生 保 乗 取 り と 日 本 生 命 の 対 応 - 鴻 池 財 閥 か ら 山 口 財 閥 へ の 移 動 説 の 吟 味
- 」『 保 険 学 雑 誌 』 516 号 , 昭 和 62 年 3 月 参 照 。
3中 央 生 命 は 他 社 と と も に 昭 和 8 年 日 本 医 師 共 済 生 命 に 包 括 移 転 さ れ , 昭 和 生 命 と な っ た 。
4 “ 虚 業 家 ”は 拙 稿「 企 業 家 と 虚 業 家 」『 企 業 家 研 究 』第 2 号 ,企 業 家 研 究 フ ォ ー ラ ム ,平 成 17 年 6 月 参 照 。
5本 報 告 は 前 任 校・滋 賀 大 学 リ ス ク 研 究 セ ン タ ー に お け る 金 融 リ ス ク 等 に 関 す る 共 同 研 究 の 成 果 の 一 部 で あ る 。
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例 に 従 い , 頻 出 す る 新 聞 記 事 ・ 資 料 は 略 号 6を 用 い 本 文 の 括 弧 内 に 示 し た 。 2 .“ 虚 業 家 ” に よ る 中 央 生 命 乗 取 り
( 1 ) 乗 取 り の 主 人 公 ・ 田 中 猪 作
田 中 猪 作 は 佐 賀 県 佐 賀 郡 神 野 村 に 明 治 16 年 こ ろ 生 れ ,「 前 県 会 議 員 で 憲 政 会 に 属 し , 議 員 中 の 雄 弁 硬 骨 漢 と し て 認 め ら れ て 居 た が , 大 正 八 年 農 学 校 移 転 問 題 に 際 し て 自 党 の 態 度 に 慊 ず 中 立 と な り , 前 年 総 選 挙 に は 第 二 区 ( 佐 賀 県 佐 賀 郡 ) よ り 立 候 補 の 武 富 時 敏 氏 と 競 争 」( 犯 罪 ,p5)す べ く , 「 大 木 法 相 及 古 賀 氏 の 援 助 に 依 り 其 郷 里 佐 賀 県 第 二 区 に 於 て 政 友 会 公 認 候 補 」( 事 件 ,p24)と な っ た が 落 選 し た 。 田 中 は 落 選 後 上 京 ,「 家 族 を 郷 里 佐 賀 県 に 残 し ,姪 の 某 と 麹 町 平 河 町 六 丁 目 に 一 戸 を 構 へ て ゐ た 」 (T10.5.26 読 売 ) と さ れ る 。
一 方 企 業 家 と し て の 側 面 で は 福 岡 市 橋 口 町 に 家 業 の 田 中 猪 作 商 店 を 営 み (T7.7.29 福 日 ),「 常 に 鉱 山 ,埋 立 ,相 場 等 不 安 な る 職 業 に 従 事 」(T10.8.30 法 律 ) し た 。 大 正 7 年 田 中 猪 作 商 店 に 創 立 事 務 所 を 置 き , 九 州 窯 業 を 石 村 虎 吉 ら と 創 立 し て 専 務 に 就 任 (T7.7.29 福 日 )し た の を は じ め ,肥 前 煉 瓦 発 起 人・相 談 役 300 株 主 , 日 本 電 機 鉄 工 初 代 監 査 役 (T7.11.1 実 業 ), 唐 津 興 業 , 西 肥 窯 業 各 取 締 役 , 九 州 電 機 鉄 工 ,九 州 製 鉄 各 監 査 役( 要 T9,役 中 p21),佐 賀 土 地 建 物 ,九 州 農 産 各 取 締 役 ,日 本 電 機 鉄 工 ,富 士 硝 子 ,喜 和 商 事 ,東 洋 建 築 材 料 各 監 査 役( 要 T10,役 中
6 ( 新 聞 ) 東 日 … 東 京 日 日 新 聞 , 読 売 … 読 売 新 聞 , 時 事 … 時 事 新 報 , 大 毎 … 大 阪 毎 日 新 聞 , 神 戸 … 神 戸 新 聞 ,福 日 … 福 岡 日 日 新 聞 ,佐 賀 … 佐 賀 新 聞 ,保 銀 …『 保 険 銀 行 時 報 』,保 通 …『 保 険 銀 行 通 信 』,法 律 … 法 律 新 聞 ,内 報 … 『 帝 国 興 信 所 内 報 』,実 業 …『 実 業 之 佐 賀 』, /( 会 社 録 ) 要 … 『 銀 行 会 社 要 録 』 東 京 興 信 所 , 帝 … 『 帝 国 銀 行 会 社 要 録 』 帝 国 興 信 所 , 紳 … 交 詢 社
『 日 本 紳 士 録 』交 詢 社 ,/( 資 料 )報 … 中 央 生 命『 事 業 報 告 書 』,顛 末 … 日 本 銀 行 大 阪 支 店「 増 田 ビ ル ブ ロ ー カ ー 銀 行 整 理 顛 末 」 大 正 10 年 2 月 (『 日 本 金 融 史 資 料 昭 和 続 編 』 付 録 第 3 巻 所 収 ),事 件 … 村 山 久 雄 編 『 津 下 事 件 の 裏 面 に 伏 在 せ る 薩 派 及 政 友 会 一 味 の 醜 怪 事 実 』大 正 10 年 , 犯 罪 … 伊 藤 由 三 郎 『 銀 行 犯 罪 史 』 銀 行 問 題 研 究 会 , 昭 和 11 年 。
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p28),有 田 製 磁 監 査 役( 帝 T11,p10),亜 細 亜 炭 礦 創 立 委 員 な ど 多 数 の 新 設 会 社 に 関 係 し た 。大 正 11 年 で も な お 近 年 の 生 保 破 綻 に 関 し て は 植 村 信 保「 生 命 保 険 会 社 の 経 営 破 綻 要 因 」 (『 保 険 学 雑 誌 』 598 号 ,平 成 19 年 9 月 )が 日 本 の 6 社 の 事 例 の 破 綻 要 因 を 関 係 者 へ の 聴 取 を も 併 用 し て 分 析 し て い る が , 大 正 生 命 は 規 模 が 小 さ い と の 理 由 で 残 念 な が ら 対 象 か ら 除 外 さ れ て い る 。 報 告 者 は 中 央 生 命 の 事 例 研 究 に 続 い て , 近 い 将 来 大 正 生 命 事 件 に も 接 近 し た い と 念 じ て い る 。
九 州 窯 業 取 締 役 , 九 州 製 鉄 監 査 役 ( 帝 T11 職 ,p220), 唐 津 水 電 興 業 取 締 役 ( 帝 T11,p7)で あ っ た 。田 中 は 神 戸 の 大 株 致 富 信 託 の 賛 成 人 (T9.12.18 大 毎 )や 佐 賀 県 下 の 各 社 に も 株 主 と し て 広 く 関 与 し た 。 こ の ほ か 田 中 個 人 の 事 業 と し て , 帝 国 土 地 開 拓 に 現 物 出 資 す る 原 計 画 た る 有 明 湾 埋 立 事 業 , 福 岡 海 岸 埋 築 事 業 , 黒 崎 炭 坑
( 遠 賀 郡 )な ど が あ っ た 。し か し 大 正 15 年 2 月 現 在 で は 田 中 の 兼 務 先 は 唐 津 水 電 興 業 取 締 役 1 社 に す ぎ ず ( 要 T15,p4, 役 上 ,p210),「 其 の 前 か ら 鉱 山 や 窯 業 会 社 等 の 事 業 に 失 敗 し た の で 選 挙 費 用 す ら も 未 払 の 処 多 く ,此 の 失 敗 と 共 に 窮 状 に 陥 」
( 犯 罪 ,p5)っ た 田 中 を 日 銀 は「 山 師 」( 顛 末 ,p268)的 人 物 と 見 做 し て い る が ,報 告 者 も 「 豪 胆 放 縦 の 男 で … 入 監 中 も 少 し も 動 ず る 色 な く 平 然 と し て 益 々 肥 満 し た 」
( 犯 罪 ,p5)田 中 を 「 虚 業 家 」 と 考 え て い る 。
( 2 ) 増 田 ビ ル ブ ロ ー カ ー 銀 行 に よ る 中 央 生 命 保 険 乗 取 り
中 央 生 命 は 大 正 2 年 12 月 の 開 業 時 よ り 財 界 不 況 の 影 響 を 受 け て 振 る わ ず ,大 正 5 年 ま で は 毎 年 欠 損 続 き で あ っ た 。 そ の 後 報 徳 銀 行 か ら の 支 援 を 得 て 支 配 人 の 安 田 寿 也 が 常 務 に 就 任 ,一 時 業 績 は 好 転 し た 。大 正 8 年 11 月「 今 回 前 田 社 長 ,黒 田
< 清 秀 > 取 締 役 以 外 は 全 部 改 選 」 (T8.11.24 読 売 ) と な り , 安 田 常 務 が 2 年 で 辞 任 し た 。 こ の 時 増 田 ビ ル ブ ロ ー カ ー 銀 行 ( 以 下 単 に 増 田 銀 行 と 略 す ) 社 長 の 増 田 信 一 7ら は 同 行 の 協 力 機 関 と し て「 保 険 会 社 ヲ 利 用 セ ン 」( 顛 末 ,p268)と の 目 的 で 中 央 生 命 の 基 金 1,600 口( 一 口 50 円 払 込 )を 出 資 し た 。基 金 証 券 の 名 義 は 表 面 上 は「 増 田 信 一 ナ レ ド モ 事 実 ハ < 増 田 > 銀 行 ノ 引 受 ク ル モ ノ 」( 顛 末 ,p268)で あ っ た 。
7増 田 信 一 は 明 治 14 年 8 月 増 田 信 之 助 の 長 男 に 生 れ ,明 治 14 年 創 立 の 大 阪 製 銅 を 増 田 信 之 か ら 譲 受 , 35 年 増 田 合 名 会 社 と 改 称 , 増 田 ビ ル ブ ロ ー カ ー 銀 行 を 主 宰 , 大 正 8 年 末 で 中 央 生 命 基 金 200 口 ( 7 回 報 ,p9)。
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増 田 信 一 は 増 田 「 銀 行 経 営 の 側 ら , 保 険 会 社 経 営 を 必 要 と し 中 央 生 命 保 険 相 互 会 社 を 同 氏 の 系 統 に て 経 営 す べ く 画 策 し , 遂 に 中 央 生 命 の 社 長 前 田 利 定 8氏 に 金 十 五 万 円 を 贈 与 し , 増 田 系 統 よ り 重 役 四 人 を 出 」 (T10.6.12 内 報 ) そ う と し た 。 す な わ ち 大 正 8 年 11 月 専 務 に 矢 野 寅 一 9が 就 任 し た ほ か ,新 た に 増 田 信 一 ,菅 原 通 敬 10,桑 山 伊 作 11,尾 崎 庄 兵 衛12が 取 締 役 に ,矢 野 荘 三 郎 13が 監 査 役 に 就 任 し た 。 (T8.11.24 読 売 ) 日 銀 は 「 増 田 信 一 等 一 派 ノ 重 役 ハ 最 初 ヨ リ 真 面 目 ニ 保 険 事 業 ヲ 経 営 ス ル 意 志 ナ ク 」「 同 社 ヲ 利 用 セ ン ト ス ル 山 師 」( 顛 末 ,p268)と 見 做 し て い る 。 経 営 権 を 譲 受 す る 条 件 と し て 欠 損 填 補 を 行 う 必 要 が あ る た め ,「 増 田 信 一 ,桑 山
8前 田 利 定 は 子 爵 , 明 治 7 年 12 月 10 日 旧 上 州 七 日 市 藩 主 の 長 男 に 生 れ , 明 治 35 年 東 京 帝 国 大 学 法 科 大 学 卒 , 陸 軍 歩 兵 中 尉 , 明 治 29 年 1 月 家 督 相 続 , 襲 爵 , 明 治 37 年 7 月 よ り 貴 族 院 議 員 に 当 選 数 回 , 子 爵 団 の 「 研 究 会 の 牛 耳 を 執 る … 余 閑 を 以 て 実 業 界 に 斡 旋 す る 所 あ り , 現 に 中 央 生 命 保 険 相 互 会 社 社 長 と し て 尽 瘁 す る 所 あ り 」(『 大 正 名 家 録 』 大 正 4 年 , マ p43), 基 金 証 券 1,000 口 出 資 ( 要 T9,p139)。 大 正 11 年 6 月 ~ 12 年 9 月 加 藤 友 三 郎 内 閣 で 逓 信 大 臣 と な り , 前 田 利 功 と 社 長 を 交 代 し た 。 大 正 13 年 1 月 ~ 13 年 6 月 清 浦 内 閣 で 農 商 務 大 臣 。
9矢 野 寅 一 は 慶 応 元 年 3 月 高 知 県 菊 地 清 三 郎 の 三 男 に 生 ま れ ,先 代 矢 野 益 平 の 養 子 と な り ,慶 応 義 塾 卒 , 神 戸 六 十 五 銀 行 , 日 本 銀 行 , 横 浜 正 金 銀 行 の 銀 行 員 を 経 て , 中 央 生 命 専 務 , 紅 葉 館 , 予 土 水 産 各 取 締 役 , 増 田 銀 行 , 山 陽 炭 砿 各 取 締 役 , 秩 父 電 線 製 造 所 , 土 佐 珊 瑚 , 南 海 物 産 , 日 本 特 許 燐 寸 , 予 土 水 産 各 監 査 役 , 中 央 生 命 の 基 金 130 口 6,500 円 拠 出 ( 八 回 報 ,p6)。
1 0菅 原 通 敬 は 明 治 2 年 1 月 6 日 宮 城 県 の 士 族 菅 原 通 宝 の 長 男 に 生 れ ,明 治 28 年 東 京 帝 国 大 学 政 治 科 卒 , 大 蔵 省 に 入 り , 主 税 局 長 兼 醸 造 試 験 所 長 , 大 蔵 省 監 理 官 , 日 本 勧 業 銀 行 監 理 者 , 大 蔵 次 官 , 大 正 5 年 退 官 し て 貴 族 院 議 員 , 日 米 信 託 会 長 , 第 二 日 米 信 託 代 表 取 締 役 , 日 英 醸 造 , 旭 紡 織 , 仙 南 電 気 工 業 , 朝 鮮 鉄 山 各 取 締 役 。
1 1桑 山 伊 作 は 桑 山 商 事 代 表 取 締 役 ,砂 糖 商 ,桑 山 商 事 ,国 際 活 映 各 取 締 役 ,所 得 税 7965 円( 紳 T11 中 p89), 中 央 生 命 の 基 金 1,000 口 5 万 円 拠 出 ( 七 回 報 ,p9)。
1 2尾 崎 庄 兵 衛 は 明 治 15 年 8 月 長 野 県 の 尾 崎 彦 四 郎 の 弟 に 生 れ ,東 京 帝 国 大 学 法 科 大 学 卒 ,中 央 生 命 外 務 課 長 , 庶 務 課 長 , 総 務 部 長 支 配 人 を 経 て 重 役 , 基 金 30 口 ( 八 回 報 ,p8)。
1 3矢 野 荘 三 郎 は 慶 応 3 年 8 月 28 日 愛 媛 県 川 之 石 村 に 生 れ ,大 阪 府 立 大 阪 商 業 学 校 卒 ,第 二 十 九 銀 行 大 阪 支 店 に 勤 務 後 , 鉱 山 業 を 経 営 , 同 行 頭 取 , 明 治 製 錬 専 務 を 歴 任 , 政 友 会 公 認 で 代 議 士 当 選 , 大 正 元 年 久 原 鉱 業 庶 務 部 長 兼 売 買 部 長 , 大 正 7 年 2 月 矢 野 鉱 業 を 設 立 し 社 長 と な り 増 田 銀 行 よ り 大 口 融 資 を 受 け て い た が , 銅 価 暴 落 の 影 響 を 受 け て 破 綻 し た 。
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伊 作 , 矢 野 荘 三 郎 ニ テ 中 央 生 命 ヲ 乗 取 リ 経 営 ス ル ニ 当 リ , 同 社 欠 損 填 補 ノ 目 的 ヲ 以 テ 増 田 銀 行 ヨ リ 増 田 及 ビ 桑 山 両 名 ガ 手 形 関 係 者 ト ナ リ 信 用 ヲ 以 テ 二 十 五 万 九 千 円 ノ 借 入 金 ヲ ナ シ , 更 ニ 矢 野 振 出 手 形 ニ 増 田 銀 行 東 京 支 店 ガ 裏 書 ヲ ナ シ , 矢 野 ハ 川 崎 銀 行 ニ テ 右 手 形 ヲ 割 引 シ , 都 合 三 十 四 万 七 千 円 ノ 資 金 ヲ 調 達 セ リ 。 右 ニ 対 シ
< 中 央 生 命 > 会 社 ハ 増 田 銀 行 ヘ 会 社 名 義 ニ テ 十 八 万 余 円 ノ 通 知 預 金 ヲ ナ シ , 別 ニ 桑 山 , 増 田 等 ノ 借 入 金 ニ 対 ス ル 見 返 ノ 意 味 ニ テ 国 債 額 面 十 五 万 余 円 ノ 保 護 預 ケ ヲ ナ シ 」( 顛 末 ,p267~ 8)た 。 後 に こ の 複 雑 な 貸 借 関 係 の 実 態 を 巡 り , 増 田 銀 行 と 中 央 生 命 両 社 で 訴 訟 に も 発 展 し た 。 す な わ ち 中 央 生 命 は 増 田 銀 行 に 対 し て 預 金 返 還 訴 訟 を 起 し た 際 に 中 央 生 命 側 で は 欠 損 填 補 の た め の 「 相 関 連 ス ル 貸 借 関 係 」( 顛 末 ,p268)で あ る は ず の 「 増 田 信 一 氏 振 出 し , 桑 山 氏 も 之 れ に 裏 書 し て , 原 告 銀 行 に 於 て 之 れ を 割 引 し た 」 (T10.6.12 内 報 ) 支 払 手 形 に は 言 及 せ ず , 単 に 「 中 央 生 命 に て は 同 行 東 京 支 店 に 右 金 額 < 33 万 円 > を 預 金 し 居 り し 」(T10.7.6 保 銀 )と 返 還 を 求 め た の で あ る 。し か し 桑 山 伊 作 の 証 言 に よ れ ば ,「 前 記 の 手 形 は 右 の 如 き 事 情 の 下 に 之 れ が 資 金 と し て 増 田 信 一 氏 振 出 し , 桑 山 氏 も 之 れ に 裏 書 し て , 原 告 < 増 田 > 銀 行 に 於 て 之 れ を 割 引 し た 」 (T10.6.12 内 報 ) も の で あ り , 増 田 銀 行 へ の 預 金 と 増 田 側 か ら の 欠 損 補 填 は 両 建 て と な っ て い た と 考 え ら れ る 。
( 3 ) 増 田 系 4 重 役 の 退 任 と 田 中 猪 作 の 登 場
増 田 銀 行 は 大 正 初 期 の 大 戦 景 気 で 「 事 業 熱 の 旺 盛 な る を 幸 ひ , 従 来 各 方 面 に 多 大 の 資 金 を 投 資 し 入 り た る 処 , 過 般 来 金 融 引 締 り の 傾 向 顕 著 に し て , 財 界 反 動 期 に 入 る や 資 金 の 欠 乏 を 訴 ふ る 事 甚 だ し く 」(T9.4.8 大 毎 ),大 正 9 年 4 月 7 日 銀 行 の 手 形 交 換 尻 決 済 不 能 に 陥 っ た 。 増 田 「 銀 行 は 昨 < 9 > 年 の 財 界 変 動 に 際 し 大 な る 痛 手 を 負 ひ 引 続 き 窮 境 に 陥 り た る よ り , 整 理 の 意 味 に て 東 京 支 店 を 閉 鎖 し , 本 店 は 支 払 停 止 の 状 態 に 在 り 」 (T10.7.6 保 銀 ), 増 田 銀 行 の 増 田 社 長 も 破 綻 直 後 に 日 銀 応 接 室 で 「 今 日 の 結 果 を 招 い た の は 一 つ は 責 任 者 の 私 が 銀 行 業 者 に 適 し な い 粗 笨 な 頭 で あ っ た 事 , 二 つ は 業 務 が 或 領 域 を 越 え て 余 り に 派 手 で あ っ た 事 , 此 の 二 項 を つ く づ く 感 じ ま し た 。 … 今 日 の 原 因 は 無 論 中 華 企 業 株 の 手 違 ひ や , 三 十 四 銀 行 の 増 資 株 の 不 消 化 に も 依 り ま す が , 直 接 の 原 因 は 機 関 商 店 の 速 水 が 私 に 無 断
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で 矢 野 鉱 業 の 株 を 一 万 二 三 千 株 も 抱 い た こ と に あ り ま す 」 (T9.4.8 大 毎 ) と 破 綻 の 原 因 を 述 べ た 。 こ う し て 「 増 田 信 一 等 一 派 ノ 重 役 ハ 最 初 ヨ リ 真 面 目 ニ 保 険 事 業 ヲ 経 営 ス ル 意 志 ナ ク , 単 ニ 保 険 会 社 ヲ 利 用 セ ン ト シ タ ル ニ 過 ギ ザ レ バ , 幾 何 モ ナ ク 失 敗 シ ,増 田 ノ 破 綻 ヲ 動 機 ニ 前 記 重 役 ハ 辞 任 ス ル ニ 至 レ リ 」( 顛 末 ,p268)と 日 銀 で は 観 察 し て い る 。
大 正 9 年 時 点 の 重 役 は 社 長 前 田 利 定 1,000 口 出 資 , 専 務 矢 野 寅 一 , 取 締 役 増 田 信 一 ,菅 原 通 敬 ,桑 山 伊 作 1,000 口 出 資 ,黒 田 清 秀 ,取 締 役 兼 支 配 人 尾 崎 庄 兵 衛 , 監 査 役 三 觜 舜 太 郎 , 前 田 利 功 , 矢 野 荘 三 郎 , 相 談 役 早 川 千 吉 郎 500 口 出 資 , 顧 問 粟 津 清 亮 , 非 役 員 基 金 拠 出 者 小 倉 常 吉 で あ っ た 。 ( 七 回 報 T8.12,p3)
中 央 生 命 の 欠 損 補 填 の 代 償 と し て 「 増 田 銀 行 ヘ 会 社 名 義 ニ テ 十 八 万 余 円 ノ 通 知 預 金 ヲ ナ シ , 別 ニ 桑 山 , 増 田 等 ノ 借 入 金 ニ 対 ス ル 見 返 ノ 意 味 ニ テ 国 債 額 面 十 五 万 余 円 ノ 保 護 預 ケ ヲ ナ シ 」( 顛 末 ,p267~ 8)て い た 中 央 生 命 は 「 増 田 ビ ル ブ ロ ー カ ー 銀 行 に 三 十 四 万 円 の 預 金 を 有 し ,同 銀 行 の 破 綻 に 逢 ひ ,コ レ が 回 収 に 困 っ て ゐ た 」 (T10.8.7 大 毎 ) た め ,「 茲 ニ 於 テ 尾 崎 < 庄 兵 衛 > 一 派 ノ 残 留 セ ル 重 役 ハ 前 記 桑 山 ノ 借 入 金 , 矢 野 ノ 裏 書 手 形 ト 会 社 ノ 通 知 預 金 及 保 護 預 ケ ト ハ 全 然 無 関 係 ナ リ ト 主 張 シ 」( 顛 末 ,p268),「 屡 々 預 金 ノ 払 出 シ 保 護 預 ケ ノ 返 戻 ヲ 強 硬 ニ 迫 」( 顛 末 ,p268) り ,「 同 銀 行 に 対 し 再 三 預 金 償 還 の 交 渉 を 重 ね 」 (T10.7.6 保 銀 ) た 。 し か し 増 田 銀 行 側 で は 「 右 ハ 全 ク 相 関 連 ス ル 貸 借 関 係 ナ レ バ 別 個 ノ 決 済 ニ ハ 応 ジ 難 シ ト 主 張 シ テ 預 金 及 保 護 預 ケ ノ 返 戻 シ ヲ 拒 絶 シ 相 方 睨 合 来 リ 」( 顛 末 ,p268)と い う 全 面 対 立 関 係 に 陥 っ た 。
中 央 生 命 の 大 正 8 年 12 月 31 日 現 在 の 基 金 拠 出 者 名 簿 に よ れ ば , 桑 山 伊 作 は 1,000 口 , 増 田 信 一 は 200 口 を 拠 出 し て い た 。( 七 回 報 T8.12,p9) 9 年 12 月 31 日 現 在 の 基 金 拠 出 者 名 簿 に よ れ ば ,桑 山 伊 作 ,増 田 信 一 は 該 当 な く ,田 中 が 1,200 口 , 6 万 円 を 拠 出 し て い る ( 八 回 報 ,p6) こ と か ら , 桑 山 側 の 主 張 の 通 り , 桑 山 , 増 田 の 基 金 証 券 1,200 口( 大 正 9 年 中 の 移 動 1,799 口 中 の 66.7% )を 田 中 が 承 継 し た こ と が 判 明 す る 。の ち に 増 田 と も 仲 間 割 れ し た 桑 山 伊 作 は ,「 増 田 氏 は 中 央 生 命 に 対 す る 前 記 権 利 義 務 一 切 を 桑 山 氏 等 の 反 対 あ る に も 拘 は ら ず , 之 を 田 中 某 に
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譲 渡 し て 後 , 田 中 某 は 不 正 手 段 を 以 て 中 央 生 命 乗 取 り を 謀 」 (T10.6.12 内 報 ) っ た の で あ っ て , 桑 山 と し て は 「 徳 義 上 何 等 の 恥 づ る 所 な し 」 (T10.6.12 内 報 ) と 主 張 し た 。
い ず れ に せ よ 中 央 生 命 取 締 役 増 田 信 一 ・ 桑 山 伊 作 ら の 一 派 が 「 財 界 変 動 の 為 め
… 辞 職 し た 」 (T10.8.30 法 律 ) の で , 田 中 は 佐 賀 藩 士 の 長 男 で あ る 大 木 「 法 相 と 同 じ く 佐 賀 藩 の 関 係 で 識 り 合 の 間 柄 」(T10.8.7 大 毎 )の た め ,大 正 9 年 の 総 選 挙 に 際 し て 援 助 し た 法 相 の 大 木 遠 吉 14が 中 央 生 命 で も 田 中 の 推 薦 人 と な っ て ,「 相 当 財 産 も あ る 新 進 の 実 業 家 で 人 格 も 立 派 な 人 だ と の 口 添 へ 」(T10.5.2 読 売 )を し た 。中 央 生 命 で は 田 中 を「 ス ッ カ リ 信 じ 切 っ て 」(T10.5.2 読 売 )大 正 9 年 5 月 1 日「 荻 野 芳 蔵 15ノ 仲 介 ニ テ 増 田 銀 行 対 中 央 生 命 ノ 貸 借 関 係 ヲ 解 決 ス ル ニ 要 ス ル 資 金 ヲ 自 ラ 出 資 ス ル コ ト ノ 条 件 付 」( 顛 末 ,p268)で「 田 中 猪 作 は 初 め て 中 央 生 命 に 入 社 , 専 務 の 椅 子 を 占 め た 」 (T10.8.30 法 律 ) の で あ っ た 。 こ う し た 背 後 の 段 取 り が 完 了 し た 後 に , 増 田 信 一 が 5 月 20 日 取 締 役 を , 5 月 23 日 矢 野 荘 三 郎 が 監 査 役 を そ れ ぞ れ 辞 任 ,7 月 30 日 桑 山 伊 作 が 任 期 満 了 で 取 締 役 を 退 任 し た 。( 八 回 報 ,p16,
T10.4.21 官 報 付 録 ) 7 月 31 日 前 田 社 長 は 「 保 険 関 係 記 者 を 赤 坂 三 河 屋 に 招 き , 社 業 の 状 況 を 報 告 し 且 つ 懇 談 」( T10.1.1 保 通 ) し た 。 10 月 23 日 矢 野 寅 一 , 菅 原 通 敬 も 取 締 役 を 辞 任 し た 。( 八 回 報 ,p16, T10.4.21 官 報 付 録 )
11 月 9 日 取 締 役 会 で 専 務 に 田 中 猪 作 を 互 選 し た 。( 八 回 報 ,p16) 業 界 紙 の 受 け 取 り 方 は 11 月 9 日「 中 央 生 命 重 役 間 に 大 更 迭 あ り 。田 中 猪 作 氏 入 っ て 専 務 に 就 任 す 」( T10.1.1 保 通 )と い っ た 程 度 の 認 識 で あ っ た 。11 月 20 日 の『 保 険 銀 行 通 信 』 は「 中 央 生 命 に て は 十 一 月 九 日 午 後 三 時 よ り 本 社 楼 上 に 於 て 臨 時 評 議 員 会 を 開 き , 取 締 役 桑 山 伊 作 , 監 査 役 三 觜 舜 太 郎 , 同 前 田 利 功 の 三 氏 は 任 期 満 了 に 付 き 改 選 を 行 ひ ,次 で 取 締 役 一 名( 増 田 信 一 ),監 査 役 一 名( 矢 野 荘 三 郎 )の 補 欠 選 挙 を 行 ふ
1 4大 木 遠 吉 は 明 治 4 年 8 月 5 日 佐 賀 藩 士 大 木 喬 任( 文 部 大 臣 )の 長 男 に 生 ま れ ,明 治 32 年 伯 爵 , 41 年 貴 族 院 議 員 , 大 正 9 年 5 月 ~ 11 年 6 月 原 内 閣 で 司 法 大 臣 , 11 年 6 月 ~ 12 年 9 月 加 藤 友 三 郎 内 閣 で 鉄 道 大 臣
1 5荻 野 芳 蔵 は 福 井 県 出 身 ,明 治 30 年 代 に は 明 治 紡 績 支 配 人 ,伏 見 紡 績 ,西 陣 製 織 ,日 本 細 糸 紡 績 各 取 締 役 , 代 議 士 , 明 治 40 年 日 糖 事 件 に 連 座 。 矢 野 鉱 業 , 中 華 取 引 市 場 , テ リ ス 製 剤 , 栗 木 鉄 山 , 国 際 活 映 各 取 締 役 , 大 阪 製 錬 , 日 英 電 気 , 九 州 林 業 , 中 華 金 銀 取 引 所 各 監 査 役 。
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由 な る が , 後 任 は 略 決 定 し 居 る 由 」 (T9.11.20 保 通 ) と 報 じ た 。
大 正 9 年 11 月 25 日 の 『 保 険 銀 行 通 信 』 は 取 締 役 に 本 多 忠 鋒 ( 子 爵 ) 16, 奥 平 昌 國 17, 山 口 練 一 18, 監 査 役 に 萩 亮 を 選 任 し た と し て ,「 右 の 結 果 中 央 生 命 は 基 礎 地 を 一 新 せ し も の に て , 今 後 の 活 躍 振 り は 大 に 張 目 熟 視 す る に 足 る べ し 」 (T9.11.25 保 通 ) と 報 じ た 。 11 月 27 日 の 『 保 険 銀 行 時 報 』 も 「 時 々 の 重 役 の 更 迭 に 際 し 一 伸 一 張 の 状 態 に あ る 同 社 は 今 期 重 役 の 更 迭 と 共 に 最 も 積 極 的 方 針 を 以 て 先 づ 新 契 約 の 獲 得 に 全 力 を 傾 注 し , 以 て 社 礎 の 安 全 を 計 る を 第 一 と し , 次 で 内 外 の 刷 新 を 施 す べ き 計 画 な り 」 (T9.11.27 保 銀 ) と 報 じ た 。 中 央 生 命 は 新 任 重 役 の 挨 拶 と 披 露 を 兼 ね て 11 月 26 日 夕 刻 「 赤 坂 三 河 屋 に 保 険 関 係 の 各 雑 誌 通 信 社 主 を 招 待 」 (T9.11.25 保 通 ) し た 。 こ う し た 業 界 紙 記 者 の 招 宴 は 当 時 の 慣 行 で も あ り , 新 重 役 へ の 期 待 記 事 は 招 宴 へ の 返 礼 の 決 ま り 文 句 で も あ ろ う 。
( 4 ) 田 中 猪 作 と 津 下 精 一 と の 互 助 契 約
6 月 末 地 元 の 佐 賀 貯 蓄 銀 行 な ど か ら 融 通 を 受 け て い た 「 不 正 手 形 証 書 の 返 済 期 と な り , 其 利 子 莫 大 な 所 か ら 其 支 払 に 窮 し た < 田 中 > 猪 作 は , 身 の 危 険 を 慮 り , 大 木 法 相 , 古 賀 前 拓 殖 局 長 官 , 前 田 利 定 子 < 爵 > 等 の 関 係 を 辿 っ て 上 京 し , 陶 々 亭 を 根 城 に , 中 央 生 命 保 険 相 互 会 社 の 枢 要 の 地 位 を 占 め て 会 社 の 金 品 を 佐 賀 < 貯 蓄 > 銀 行 に 融 通 せ ん と の 悪 心 を 起 せ し が , 入 社 の た め に は 多 数 の 金 子 入 用 な る た め 」 (T10.8.30 法 律 ),「 中 央 生 命 に 入 社 す る に は 株 券 < 基 金 証 券 の 誤 > の 必 要 が あ り , 十 四 五 万 円 を 要 す る 」 (T10.8.30 法 律 ) と さ れ た 。
前 田 利 定 子 爵 と 津 下 精 一 19は 香 港 取 引 所 20創 立 の 件 で 既 知 の 間 柄 で あ っ た と
1 6本 多 忠 鋒 は 明 治 12 年 8 月 26 日 旧 伊 勢 国 神 戸 藩 主 の 長 男 に 生 ま れ ,明 治 31 年 子 爵 ,慶 応 義 塾 を 経 て , 明 治 38 年 学 習 院 大 学 科 卒 , 貴 族 院 議 員 , 中 央 生 命 取 締 役 の み 。
1 7奥 平 昌 國 は 明 治 13 年 1 月 伯 爵 奥 平 昌 恭 の 弟 に 生 ま れ ,大 正 9 年 3 月 箱 根 土 地 別 働 隊 の 強 羅 土 地 の 初 代 取 締 役 , 箱 根 土 地 系 統 の 東 京 郊 外 住 宅 , 中 央 生 命 各 取 締 役 。
1 8山 口 練 一 は 明 治 元 年 11 月 20 日 佐 賀 県 士 族 の 長 男 に 生 ま れ 、 佐 賀 貯 蓄 銀 行 頭 取 吉 田 久 太 郎 の 義 弟 ,佐 賀 百 六 銀 行 か ら 転 じ て 永 ら く 佐 賀 貯 蓄 銀 行 専 務 と し て 敏 腕 を 振 っ た が ,「 地 方 事 業 界 の 発 展 に 伴 ひ 、 大 に 活 躍 す る 処 あ り 、 今 や 川 上 軌 道 、 肥 筑 軌 道 、 九 州 麻 糸 紡 績 、 九 州 窯 業 等 の 諸 会 社 に 取 締 役 と し て 推 さ れ 、当 地 実 業 界 に 大 呂 の 重 き を な せ り 」( 酒 井 旭 川 編『 佐 賀 県 銀 行 会 社 実 勢 』,佐 賀 県 銀 行 会 社 発 行 所 ,大 正 9 年 ,p36) と 評 さ れ た よ う に 田 中 と と も に 多 く の 泡 沫 企 業 に 関 与 し た も の の , 巨 額 の 乱 脈 貸 金 が 発 覚 し て 大 正 9 年 暮 に 取 付 け に あ い 大 正 10 年 1 月 10 日 専 務 を 引 責 辞 任 し た 。
1 9津 下 精 一 は 拙 稿 「 大 正 バ ブ ル 期 の 泡 沫 事 業 へ の 擬 制 “ 投 資 フ ァ ン ド ” と リ ス ク 管 理 - “ 印 紙 魔 ” 三 等 郵 便 局 長 の 「 虚 業 家 」 ネ ッ ト ・ ワ ー ク を 中 心 に - 」『 彦 根 論 叢 』 第 364 号 , 平 成
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思 わ れ る が , 田 中 を 津 下 に 仲 介 し た の は 高 橋 賢 造 , 西 沢 四 郎 ら (T10.6.5 福 日 ,T10.8.7 佐 賀 )津 下 に 取 入 る 金 融 ブ ロ ー カ ー 的 な「 策 士 連 」(T10.8.6 大 毎 )と さ れ る 。 こ の 時 , 田 中 は 津 下 に 向 っ て 「 若 し 自 己 < 田 中 > の 希 望 す る が 如 く 前 田 子 爵 の 経 営 に 係 る 中 央 生 命 保 険 相 互 会 社 に 入 社 す る こ と を 得 ば , 同 社 の 資 金 二 百 万 円 を 引 出 し 提 供 す べ き 」( 事 件 ,p24)を 約 束 し た と さ れ る 。こ う し て 意 気 投 合 し た「 津 下 と 田 中 は カ ノ 有 明 湾 埋 立 事 業 21を 共 に せ ん と す る に 当 り ,双 方 事 業 経 営 に 就 き 資 金 の 互 助 契 約 を 結 び 」 (T10.8.7 大 毎 ), 田 中 は 「 自 分 は 近 く 大 木 法 相 , 古 賀 拓 殖 長 官 の 紹 介 で 中 央 生 命 保 険 会 社 の 専 務 取 締 役 に 就 任 す る 事 に な っ て ゐ る か ら , 其 時 は 君 < 津 下 > が 香 港 の 株 式 取 引 所 を 設 立 す る に 就 い て 要 す る 資 金 二 百 万 円 を 中 央 生 命 か ら 立 替 へ る 事 に す る と 棚 の 牡 丹 餅 を 匂 は せ 」(T10.8.6 大 毎 )た 。 結 局 田 中 は「 同 人 所 有 の 九 州 有 明 湾 埋 立 権 を 担 保 と し て 十 三 万 円 の 借 用 を 申 込 み ,
< 津 下 > 精 一 が 之 に 応 じ て 現 金 及 収 入 印 紙 取 交 ぜ 該 金 額 を 交 付 」( 事 件 ,p24)し た と さ れ る 。 大 正 9 年 6 月 田 中 は 佐 賀 貯 蓄 銀 行 専 務 で 中 央 生 命 取 締 役 を も 兼 ね る 山 口 練 一 と 共 謀 し ,佐 賀 貯 蓄 銀 行 の 20 万 円 の 預 金 証 書 を 偽 造 し ,こ れ を 担 保 に 津 下 か ら 15 万 円 を 騙 取 ,う ち 3 万 円 は 収 入 印 紙 で 受 け 取 っ た 。(T10.8.30 法 律 )あ る い は 大 正 9 年 10 月 7 日「 田 中 猪 作 の 振 出 ,佐 賀 貯 蓄 銀 行 専 務 山 口 練 一 裏 書 ,返 済 期 限 十 一 月 三 十 日 日 付 の 十 五 万 円 為 替 手 形 で 津 下 の 手 か ら 現 金 で 十 三 万 円 を 捲 上 げ た 」(T10.8.6 大 毎 )と 報 じ ら れ た 。こ う し て 津 下 か ら 現 金 と 印 紙 を 併 せ て 約 15 万 円 を 借 り 出 す こ と に 成 功 し た 田 中 は こ の 資 金 で 「 不 正 手 段 を 以 て 中 央 生 命 乗 取 19 年 1 月 参 照 。
2 0香 港 株 式 取 引 所 は 津 下 が 大 正 9 年 夏 こ ろ 華 族 会 館 の 宇 佐 穩 来 彦 の 紹 介 で 前 田 子 爵 の 後 援 を 得 て ,「 香 港 取 引 所 の 創 立 の 許 可 を 在 香 港 英 国 政 庁 に 受 け ,爾 来 精 一 は 之 が 創 立 に 就 き 多 額 の 運 動 費 を 費 消 」( 事 件 ,p24)し た が ,一 連 の 事 件 で 水 泡 に 帰 し た 。「 香 港 取 引 所 設 置 問 題 は 一 転 し て 中 華 取 引 所 設 立 運 動 と な り , 前 田 子 爵 は 従 来 の 関 係 に 因 り , 同 所 の 社 長 に 就 任 す べ き 」
( 事 件 ,p24) 立 場 に あ っ た が , 先 輩 の 注 意 で 就 任 辞 退 し た 。
2 1有 明 湾 埋 立 は 拙 稿「“ 虚 業 家 ”に よ る 誇 大 妄 想 計 画 の 蹉 跌 - 亜 細 亜 炭 礦 ,帝 国 土 地 開 拓 両 社 に み る ハ イ リ ス ク 選 好 の 顛 末 - 」『 彦 根 論 叢 』 第 368 号 , 平 成 19 年 9 月 参 照 。
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り を 謀 り 」(T10.6.12 内 報 ),増 田 ら の 名 義 の 基 金 1,200 口 ,6 万 円 を 肩 代 り し( 八 回 報 ,p6),「 大 木 法 相 の 推 薦 に 依 り 該 保 険 会 社 の 株 券 < 基 金 証 券 の 誤 > を 購 入 す る と 共 に 其 専 務 取 締 役 に 就 任 し た 」( 事 件 ,p24) の で あ っ た 。「 恰 も 当 時 同 社 は 増 田 ビ ル ブ ロ ー カ ー 銀 行 に 三 十 四 万 円 の 預 金 を 有 し , 同 銀 行 の 破 綻 に 逢 ひ , コ レ が 回 収 に 困 っ て ゐ た の で , 田 中 は ソ レ を 肩 代 り し て 重 役 た り 得 る こ と に な っ た 」 (T10.8.7 大 毎 )の が 真 相 で あ ろ う 。日 銀 に よ れ ば 「 昨 < 9 年 > 秋 田 中 猪 作 ハ 荻 野 芳 蔵 ノ 仲 介 ニ テ 増 田 銀 行 対 中 央 生 命 ノ 貸 借 関 係 ヲ 解 決 ス ル ニ 要 ス ル 資 金 ヲ 自 ラ 出 資 ス ル コ ト ノ 条 件 付 ニ テ 同 社 ノ 専 務 ニ 就 任 セ リ 」( 顛 末 ,p268)と な っ て い る 。
( 5 ) 田 中 猪 作 専 務 と 中 央 生 命 の 確 執
田 中 は 中 央 生 命 専 務 に 就 任 し た も の の , 手 元 不 如 意 の た め に 約 束 し た 増 田 側 と の 貸 借 関 係 解 決 の 「 金 が 出 来 ず , 津 下 か ら 借 ら う に も 右 の 十 三 万 円 を 期 限 に 返 し て な い の で 津 下 が 信 用 せ ぬ 」 (T10.8.7 大 毎 ) と い う 八 方 塞 が り の 有 様 で あ っ た 。 大 正 10 年 初 に は 田 中 専 務 が も は や 信 用 力 が な く ,し か も「 危 険 人 物 で あ る 事 が 判 明 し た の で ,同 社 で は 辞 職 を 勧 告 を し た 。其 の 時 同 人 は 亜 細 亜 炭 砿 22を 創 設 し や う と し て ゐ た 矢 先 な の で , 暫 く 猶 予 し て 呉 れ と 懇 願 」 (T10.5.26 読 売 ) し た 。 大 正 10 年 2 月 24 日 中 央 生 命 側 は 取 締 役 支 配 人 の 尾 崎 庄 兵 衛 を 常 務 に , 三 嘴 舜 太 郎
23を 常 任 監 査 役 に 互 選 し ( 九 回 報 T10.12,p17), 辞 職 勧 告 に 応 じ な い 田 中 を 尻 目 に ,「 内 外 の 陣 容 を 一 新 」(T10.3.13 保 銀 )し ,着 々 と 事 実 上 の ポ ス ト 田 中 体 制 の 構 築 に 乗 り 出 し た 。
日 銀 に よ れ ば 「 田 中 モ 増 田 信 一 同 様 同 社 ヲ 利 用 セ ン ト ス ル 山 師 ニ テ , 到 底 如 斯 資 金 ヲ 調 達 シ 得 ル 実 力 ナ ク , 遂 ニ 増 田 関 係 ヲ 解 決 シ 得 ズ , 仍 チ 同 社 旧 重 役 ハ 田 中 ニ 欺 カ レ タ コ ト ヲ 感 知 シ ,田 中 ニ 向 テ 速 ニ 資 金 ヲ 調 達 シ テ 増 田 関 係 ヲ 解 決 ス ル カ , 若 シ 調 達 出 来 ザ レ バ 専 務 ヲ 辞 任 ス ベ シ ト 強 硬 ナ ル 態 度 ニ 出 タ レ バ , 田 中 モ 無 拠 諸 方 面 ヘ 資 金 調 達 ニ 奔 走 シ タ レ ド モ , 結 局 効 果 ナ ク 同 社 モ 今 日 ト ナ リ テ ハ 彼 レ ヲ 大 ニ 持 テ 余 シ 居 レ リ ト 云 フ 」( 顛 末 ,p268)と し ,中 央 生 命 の 実 態 を 以 下 の よ う に 把 握
2 2亜 細 亜 炭 礦 は 前 掲 「“ 虚 業 家 ” に よ る 誇 大 妄 想 計 画 の 蹉 跌 」 参 照 。
2 3三 嘴 舜 太 郎 は 慶 応 3 年 5 月 26 日 藤 沢 の 名 望 家 の 長 男 に 生 れ ,慶 応 義 塾 卒 業 ,関 東 銀 行 や 中 央 生 命 創 立 に 参 画 し た が , 大 正 14 年 関 東 銀 行 臨 時 休 業 の た め 相 模 鉄 道 社 長 な ど を 辞 任 。
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し て い る 。
「 何 分 増 田 , 矢 野 等 ハ 今 日 無 資 力 ナ レ ド モ , 桑 山 ハ 相 当 ノ 資 産 ア リ , 増 田 銀 行 ヨ リ 強 硬 ニ 迫 ラ ル ル 時 ハ 結 局 責 任 ヲ 果 タ サ ザ ル 可 カ ラ ズ 。 仍 テ 若 シ 田 中 ガ 解 決 ヲ 付 ケ ザ レ バ 自 ラ 再 ビ 中 央 生 命 ニ 入 リ テ 経 営 ノ 任 ニ 当 リ , 責 任 ヲ 以 テ 増 田 関 係 ヲ 解 決 ス ベ シ ト 云 ヒ 居 レ リ ト 云 フ 。 最 近 ノ 情 報 ニ ヨ レ バ 田 中 ハ 全 然 望 ミ ナ キ ガ 如 ク ナ レ バ , 桑 山 ニ 対 シ 強 硬 ニ 迫 リ , 彼 レ ヲ シ テ 解 決 ノ 途 ヲ 講 ゼ シ ム ル ヲ 最 善 ノ 策 ト 考 ヘ ラ レ ツ ツ ア リ 。 而 シ テ 桑 山 ガ 仮 リ ニ 増 田 関 係 ヲ 引 受 ク ル ト シ テ モ 彼 レ ハ 矢 野 手 形 八 万 八 千 円 ハ 責 任 ナ シ ト 云 ヒ 居 ル 模 様 ナ レ ド モ 右 手 形 ニ 就 キ テ ハ 桑 山 , 増 田 , 矢 野 三 者 ノ 間 ニ 共 同 責 任 ノ 契 約 ア ル 由 ナ レ バ 増 田 銀 行 ト シ テ ハ 之 レ ヲ 桑 山 ニ 責 任 ヲ 持 タ セ ル 予 定 ナ リ 。尚 又 増 田 銀 行 ハ 増 田 信 一 ニ 対 シ ,中 央 生 命 基 金 千 六 百 口( 一 口 五 十 円 払 込 ) ヲ 担 保 ト シ テ 八 万 円 ノ 貸 付 金 ア リ 。 右 ハ 増 田 信 一 名 義 ナ レ ド モ 事 実 ハ < 増 田 > 銀 行 ノ 引 受 ク ル モ ノ ナ ル 由 ナ レ バ 基 金 モ 多 少 ノ 損 失 ハ 被 ル ト モ 右 ノ 関 係 ト 一 括 シ テ 始 末 ヲ 付 ケ ル 予 定 ナ リ 」( 顛 末 ,p268)
中 央 生 命 で は 3 月 1 日 新 任 常 務 の 尾 崎 庄 兵 衛 , 新 任 の 常 任 監 査 役 三 觜 舜 太 郎 両 重 役 が「 新 任 披 露 の 意 味 に て 」( T10.3.15 保 通 )社 員 約 50 名 を 生 命 保 険 協 会 に 招 待 し ,3 月 6 日 に は 前 田 社 長 が 保 険 記 者 を「 赤 坂 溜 池 三 河 屋 に 招 宴 」(T10.3.15 保 通 ) し た 。 前 田 社 長 は 当 然 に 田 中 へ 辞 職 を 強 く 勧 告 し て い た は ず で あ る 。 こ の 頃
「 前 田 子 は 刺 客 に 襲 は れ た る も の な ら ん と の 風 説 も あ っ た 」 (T10.3.4 福 日 ) が , 大 正 10 年 3 月 2 日 夜 に は 至 極 健 在 な は ず の「 前 田 利 定 子 死 亡 の 通 知 状 が 二 日 夜 来 子 爵 の 親 戚 知 友 間 に 配 布 さ れ た 」 (T10.3.4 福 日 ) と い う 奇 怪 な 出 来 事 が 起 っ た 。 子 爵 の 「 家 人 が 何 う し た も の か と 捜 査 し た 所 が , 或 者 が 子 爵 死 亡 通 知 を 作 製 し て 各 方 面 に 配 付 し た も の と 判 っ て ,一 同 安 心 は し た も の の ,過 般 の 暴 漢 襲 来 と 云 ひ , 今 回 の 悪 戯 と 云 ひ ,ア マ り の こ と に 同 邸 の 人 々 は 気 を 腐 ら し て 居 る 」(T10.3.4 福 日 ) と 報 じ ら れ た 。 も ち ろ ん 「 或 者 」 が 田 中 と い う 確 証 は な い が , 当 時 正 に 前 田 利 定 と 辞 任 要 求 を 巡 る 激 し い 確 執 が あ っ た こ と か ら , 田 中 系 統 に よ る 前 田 へ の 暴 行 , 悪 戯 と 考 え る と こ の 間 の 説 明 が つ き や す い 。
3 月 6 日 の 時 点 で 前 田 社 長 が 今 回 の 役 員 交 代 劇 の 真 相 を ど こ ま で 保 険 記 者 に 語
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っ た の か は 不 明 で あ る が ,『 保 険 銀 行 時 報 』 は 前 田 社 長 談 話 を 次 の よ う に 報 じ た 。
「 本 社 は 従 来 他 力 主 義 を 以 っ て 営 業 し 来 り た る が , 今 回 は 其 不 可 な る を 悟 り , 新 た に 自 力 主 義 を 確 立 し て , 尾 崎 三 觜 両 氏 の 如 き 中 央 生 命 と 縁 故 深 き 人 々 を 煩 は し て 営 業 の 全 般 を 委 任 す る こ と と せ り 。 特 に 尾 崎 氏 を 経 営 の 衝 に , 三 觜 氏 を 資 産 運 用 の 衝 に 当 ら し め て , 万 端 遺 漏 な き を 期 し た り 」 (T10.3.13 保 銀 )
い か に 三 觜 舜 太 郎 が 藤 沢 の 名 望 家 で 関 東 銀 行 の 重 役 と は い え , 監 査 役 に 「 資 産 運 用 の 衝 に 当 ら し め 」 る の も 異 常 で あ る が , こ れ は 中 央 生 命 と 縁 故 な き 「 他 力 主 義 」 の 象 徴 た る の 田 中 専 務 に は 資 産 運 用 に 指 一 本 触 れ さ せ な い と い う 前 田 社 長 か ら の 強 い 田 中 排 除 の メ ッ セ ー ジ で あ り , あ る 程 度 , 田 中 の 退 任 可 能 性 を 記 者 に 仄 め か し た も の と 推 測 さ れ る 。 こ の こ ろ 取 締 役 支 配 人 か ら 昇 格 し た ば か り の 尾 崎 庄 兵 衛 常 務 は 業 界 紙 記 者 か ら 抱 負 を 聞 か れ ,「 感 想 も 抱 負 も な い … 常 務 に な っ た か ら と 云 っ て 直 ち に 斧 を 振 っ て あ れ も こ れ も 改 革 す る わ け に ゆ か な い ぢ ゃ な い か 」 (T10.3.13 保 銀 ) と 極 力 平 静 さ を 装 っ て い た 。
( 6 ) 津 下 事 件 発 覚 と 田 中 専 務 辞 任
大 正 10 年 の は じ め 頃 , 田 中 へ の 15 万 円 の 資 金 提 供 者 で も あ る 津 下 の 扱 っ た 印 紙 に 関 し , 亜 細 亜 炭 礦 設 立 登 記 費 用 の た め と 称 し て 田 中 か ら 出 さ せ た 高 額 「 印 紙 を … 東 京 市 中 で 売 り 歩 い た の で ,警 視 庁 が 嗅 ぎ つ け 」(T10.8.7 佐 賀 )て ,こ こ に 巨 額 の 印 紙 横 領 事 件 が 発 覚 し た 。 2 月 末 に は 津 下 が 名 古 屋 よ り 東 京 へ 逃 げ た が , 上 京 中 に 発 見 さ れ , 3 月 以 降 の 関 係 者 の 取 調 べ に よ り , 亜 細 亜 炭 礦 な ど 関 係 先 に 捜 査 の 手 が 延 び , 津 下 と 共 謀 関 係 に あ る 「 田 中 の < 佐 賀 貯 蓄 銀 行 > 預 金 証 書 が 偽 造 で あ る 事 が 発 覚 」 (T10.6.5 福 日 ) し た 。 田 中 も 「 中 央 生 命 の 専 務 に 就 任 し , 同 会 社 を 引 掻 き 回 す 悪 策 を 廻 ら し て ゐ る う ち に 佐 賀 貯 蓄 を 利 用 し た 詐 欺 手 段 が 曝 露 」 (T10.8.6 大 毎 ), 地 元 の 佐 賀 貯 蓄 銀 行 「 重 役 は 田 中 猪 作 が 常 に 鉱 山 , 埋 立 , 相 場 等 不 安 な る 職 業 に 従 事 し , 而 も 当 時 何 等 回 収 の 見 込 み な き に 拘 ら ず 田 中 猪 作 と 共 謀 の 上 」 (T10.8.30 法 律 ), 巨 額 の 預 金 証 書 を 次 々 に 偽 造 す る な ど ,「 其 害 毒 を 中 央 生 命 に 迄 及 ぼ さ ん と し た 行 為 が 発 覚 」 (T10.8.30 法 律 ) し , 大 き な 刑 事 事 件 に 発 展 し た 。 こ う し て 中 央 生 命 か ら の 辞 任 要 求 に は 激 し く 抵 抗 し て い た 田 中 も
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こ れ を 機 に つ い に 辞 意 を 固 め , 3 月 23 日 中 央 生 命 取 締 役 を 辞 任 し , 3 月 29 日 登 記 完 了 し た 。( 九 回 報 ,p17)
し か し 政 友 会 の 大 物 や 政 府 高 官 に も 波 及 し か ね な い 当 該 事 件 の 拡 大 に 「 こ れ は 不 可 な い と 思 っ て … 差 止 め を 出 し た 」(T10.6.5 神 戸 )神 戸 地 裁 検 事 局 に よ る 厳 し い 報 道 管 制 を 受 け て 封 印 さ れ , 約 3 カ 月 間 も 「 記 事 差 止 め と な っ て ゐ た 」 (T10.6.5 福 日 ) た め , 中 央 生 命 で の 役 員 更 迭 の 背 景 も 伏 せ ら れ た ま ま で あ っ た 。 よ う や く 5 月 26 日 の『 読 売 新 聞 』は「 大 木 法 相 推 薦 の 新 進 実 業 家 収 監 ,詐 欺 横 領 事 件 拡 大 か 」 (T10.5.26 読 売 ) と 田 中 の 収 監 を 速 報 し た 。 田 中 の 地 元 の 『 佐 賀 新 聞 』も 5 月 28 日 の 東 京 発 で「 有 力 者 田 中 猪 作 氏 は 佐 賀 貯 蓄 銀 行 の 二 十 三 万 円 の 預 金 証 書 を 偽 造 し た 事 が 判 」 (T10.5.28 佐 賀 ) っ た と 初 め て 報 道 し た 。 報 道 管 制 下 で 田 中 の 中 央 生 命 専 務 辞 任 を 報 じ た 業 界 紙 の 当 初 の 報 道 は 以 下 の よ う に 極 め て 限 定 さ れ た 内 容 に と ど ま っ て い た 。ま ず 3 月 27 日 の『 保 険 銀 行 時 報 』は「 加 賀 百 万 石 の 分 家 と し て 貴 族 院 の 大 立 者 た る 前 田 利 定 子 の 威 光 も 保 険 界 を 猛 射 す る に 足 ら ず と 見 ゆ る が , 之 れ 従 来 家 の 子 郎 党 を 重 用 せ ず し て , 金 力 万 能 の 成 金 輩 の 懐 を 勘 定 し た る 報 い な り 」 (T10.3.27 保 銀 ) と 「 金 力 万 能 の 成 金 輩 」 田 中 を 皮 肉 る に と ど め た 。 ま た 4 月 6 日 の 『 保 険 銀 行 時 報 』 は 「 中 央 生 命 保 険 会 社 専 務 取 締 役 と し て 昨 年 末 就 任 し 同 社 の 中 堅 と し て 大 に 活 躍 す べ か り し 田 中 猪 作 氏 は 其 端 緒 に す ら つ く に 至 ら ず し て , 遂 に 去 る 三 月 二 十 三 日 附 を 以 て 同 社 を 辞 任 し , 同 時 に 取 締 役 山 口 練 一 氏 も 辞 任 せ り 。 保 険 界 を 素 見 に 来 れ る が 如 き 同 氏 等 の 行 動 の 唾 棄 す べ き は 勿 論 な る も 寧 ろ 其 の 前 に , 至 ら ざ る を 得 ざ り し 窮 況 は 或 は 同 情 に 値 ひ せ ん 乎 」
( T10.4.6 保 銀 )と 報 じ た 。4 月 13 日 に も 中 央 生 命 は「 過 般 来 屡 々 重 役 の 更 迭 に 伴 ふ 営 業 方 針 も 其 都 度 多 少 の 変 動 あ り た る は 免 か れ ざ り し 」( T10.4.13 保 銀 ) と か な り 否 定 的 に 報 道 さ れ た 。
ま た 4 月 10 日 の『 保 険 銀 行 通 信 』は「 中 央 生 命 取 締 役 田 中 猪 作 ,同 山 口 練 一 両 氏 は 兼 て 予 期 さ れ し が 如 く , 去 る 二 十 三 日 を 以 て 同 社 を 辞 任 し た り 」( T10.4.10 保 通 ) と , 予 想 通 り と 報 道 し た 。 し か し 『 保 険 銀 行 通 信 』 が こ の 種 の 問 題 生 保 の 重 役 更 迭 の 裏 面 に 伏 在 す る 醜 悪 な 問 題 点 に 気 付 い て い な か っ た わ け で は な い 。
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「 財 界 不 況 の 今 日 に 於 て , 而 も 増 田 銀 行 事 件 の 如 き , 或 は 田 中 猪 作 氏 一 身 に 関 す る 問 題 よ り , 一 時 世 間 の 誤 解 を 受 け た 」 (T11.3.13 保 銀 ) 中 央 生 命 で は , よ う や く 6 月 4 日 に な っ て 津 下 事 件 の 報 道 が 全 面 解 禁 さ れ , 各 紙 の 報 道 が 相 次 い だ 直 後 の 6 月 8 日 社 長 前 田 利 定 名 で , 当 該 事 件 に 関 連 し た 自 社 の 記 事 に 関 し , 一 切 の 無 関 係 を 装 う 次 の 禀 告 を 掲 載 し た 。「 当 会 社 元 取 締 役 田 中 猪 作 が 前 記 津 下 某 よ り 金 員 を 借 入 れ た る 旨 の 記 載 有 之 候 得 共 , 右 は 全 く 田 中 個 人 の 旧 事 に 属 し , 会 社 と は 何 等 関 係 無 之 候 。 同 氏 は 昨 年 十 一 月 取 締 役 と し て 就 任 致 候 も , 全 然 会 社 の 業 務 に は 携 は ら ず , 間 も な く 辞 表 提 出 , 辞 任 登 記 も 終 了 済 の も の に し て , 爾 来 同 氏 と 会 社 と は 何 等 関 係 無 之 は 勿 論 , 前 記 田 中 の 借 入 金 亦 全 く 会 社 の 関 知 せ ざ る 処 」 (T10.6.8 読 売 )
し か し 無 関 係 を 装 っ た 中 央 生 命 は そ の 後 も 田 中 前 専 務 に も 関 連 す る 増 田 銀 行 と の 訴 訟 に 追 わ れ た 。 す な わ ち 7 月 中 央 生 命 は 予 て 預 金 返 還 請 求 の 交 渉 を 重 ね て 来 た 増 田 銀 行 が「 遂 に 何 等 の 要 領 を 得 ざ る よ り 」(T10.7.6 保 銀 ),「 今 回 弁 護 士 早 川 英 一 氏 を 代 理 人 と し て … 三 十 三 万 円 の 預 金 償 還 請 求 訴 訟 を 提 起 し , 同 時 に 同 行 の 破 産 申 請 を 為 」(T10.7.6 保 銀 )し た 。こ れ は 中 央 生 命 が 増 田 銀 行 に 対 し て「 予 て 有 価 証 券 の 保 護 預 け 並 に 預 金 を な し 置 」(T10.9.6 保 銀 )い て い た も の が「 右 利 息 を 合 し て 三 十 五 万 余 円 」(T10.9.6 保 銀 )に 達 し た も の で あ る 。中 央 生 命 の 強 行 な 法 的 措 置 が 功 を 奏 し て , 9 月 「 其 後 に 於 け る 交 渉 に て 遂 に 中 央 生 命 に 取 り て 有 利 な る 条 件 を 得 た れ ば 該 訴 訟 の 撤 回 を 為 し 」 (T10.9.6 保 銀 ) た 。 こ う し て 大 正 11 年 3 月 中 央 生 命 は 決 算 で よ う や く 債 権 整 理 損 3.5 万 円 を 計 上 し た 。 こ れ は 「 彼 の
2 4悪 辣 な 策 士 」と し て 定 評 あ る 長 島 弘 は「 真 の 事 業 家 で は な く ,利 権 漁 り の プ ロ モ ー タ ー 」( 前 掲 『 本 邦 生 命 保 険 業 史 』 p231) と 見 做 さ れ た 。 『 保 険 銀 行 通 信 』 紙 の 主 筆 ・ 田 狸 翁 は 東 華 生 命 を 買 収 し た 長 島 の「 濫 用 的 買 収 」を 次 の よ う に 批 判 し た 。「 東 華 生 命 に 於 け る が 如 く ,茂 木 氏 が 失 脚 し た 後 , 取 っ て 代 っ た の が 長 島 某 な る 株 屋 で あ る 。 根 が 株 屋 だ け あ っ て 入 社 当 時 の 鼻 息 は 随 分 と 荒 い 様 で あ っ た 。 百 万 長 者 の 振 れ 込 み で 世 間 の 有 象 無 象 は ス ッ カ リ 気 を 呑 ま れ て 終 い , 随 喜 渇 仰 の 涙 を 流 し , 此 の 君 に 依 て 再 三 建 て 直 し た 屋 台 骨 が 鞏 固 に な る で あ ろ う と 迄 信 頼 さ せ た の で あ っ た が , 目 ま ぐ る し い 活 動 も 結 局 は 線 香 花 火 に 過 ぎ な か っ た 。 半 歳 経 っ た 九 月 に は 突 如 消 え 去 っ て あ と 白 浪 の 渦 巻 ば か り , 世 間 は 再 び あ っ と 叫 ん だ 。 … や れ 名 門 だ 富 豪 だ , 卓 抜 し た 人 物 だ と い っ て そ の 社 会 的 信 用 な り , 位 置 な り を 利 用 し て , 多 数 民 衆 を 執 拗 に 勧 誘 す る 事 は ホ ン の 過 渡 期 の 方 便 に 過 ぎ な い … そ れ が 相 当 に 効 果 の 多 い 現 状 で は あ る が , こ れ は 要 す る に 田 舎 向 き , 愚 民 扱 ひ の 方 法 で は な か ろ う か 」 (T11.1.1 保 通 )。
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増 田 銀 行 破 綻 の 厄 に 遭 ひ , 預 入 債 券 三 十 五 万 円 取 戻 し の た め に 受 け た る 損 失 」 (T11.3.13 保 銀 )と 説 明 さ れ ,破 綻 行 へ の 債 権 整 理 損 を 預 入 債 券 の 総 額 35 万 円 の 約 一 割 に 抑 え る こ と が で き た こ と は「 中 央 生 命 に 取 り て 有 利 な る 条 件 」25と い え る だ ろ う 。
3 . む す び に か え て
葉 隠 れ 武 士 の 伝 統 を 汲 む 士 族 出 身 者 の 多 い 佐 賀 貯 蓄 銀 行 重 役 陣 は 古 武 士 と の 評 も あ っ た 堅 物 揃 い で あ っ た の に ,「 銀 行 の 枢 機 を 握 り 居 た る 関 係 上 ,自 然 融 通 の 利 く 地 位 に あ り し よ り , 戦 時 の 好 況 時 代 , 平 素 親 し き 間 柄 に あ り し 市 外 神 野 村 田 中 猪 作 と 相 謀 り , 銀 行 の 金 を 融 通 し て 各 種 の 事 業 に 手 を 出 し 以 て 後 日 の 成 功 を 夢 み た 」(T10.7.27 佐 賀 )と さ れ た 。「 好 況 時 代 余 り に 調 子 に 乗 り 過 ぎ … 俄 然 不 景 気 の 打 撃 を 蒙 」 (T10.7.27 佐 賀 ) っ た た め 田 中 ら に 「 無 計 算 に 貸 付 た る 金 額 の 回 収 困 難 と な り , 自 然 銀 行 資 金 の 欠 乏 を 来 し た る よ り , 一 時 の 弥 縫 策 と し て 定 期 預 金 証 書 及 び 為 替 手 形 等 の 偽 造 を 試 み , 之 を 他 に 担 保 と し て 金 員 を 借 用 し 以 て 債 務 に 充 当 せ ん と 計 り 」(T10.7.27 佐 賀 ),本 報 告 で 述 べ た よ う に 田 中 は 津 下 よ り「 不 正 の 金 十 三 万 円 を 借 り , 佐 賀 貯 蓄 銀 行 の 二 十 三 万 円 の 預 金 証 書 を 偽 造 」 (T10.5.27 東 日 ) し , 遂 に は 中 央 生 命 に ま で 毒 牙 を た て よ う と し た 。 田 中 は 銀 行 で は 役 員 に 就 任 し た わ け で は な い が , 人 縁 地 縁 を 駆 使 し て 「 佐 賀 貯 蓄 銀 行 ヲ 食 込 ミ タ ル 」 26 田 中 に 事 実 上 牛 耳 ら れ た 同 行 は 大 正 9 年 12 月 激 し い 取 付 に 遭 い ,山 口 練 一 は 大 正 10 年 1 月 10 日 同 行 専 務 を 引 責 辞 任 , 13 年 11 月 26 日 同 行 は 破 産 宣 告 を 受 け た 。 同 行 重 役 を 投 機 的 行 動 に 駆 り 立 て た 田 中 猪 作 は 「 細 民 の 粒 々 辛 苦 の 貯 蓄 機 関 た る 佐 賀 貯 蓄 銀 行 を 一 朝 に し て 踏 み つ ぶ し … た る 悪 党 」 27と の 非 難 も 受 け た 。 こ れ に 対 し て 一 旦 は 田 中 を 専 務 と い う ト ッ プ の 座 に 受 入 れ た 中 央 生 命 で は 「 其
2 5 た と え ば 日 本 共 立 生 命 は 破 綻 し た「 近 江 銀 行 へ の 預 金 総 額 の 中 ,同 行 整 理 案 に 基 き 総 額 の 三 割 強 一 万 九 千 二 百 四 十 円 七 十 七 銭 は 雑 損 と し て 切 捨 て 」( 昭 和 3 年 8 月『 日 本 共 立 生 命 社 報 』 34 号 ,p8)た 。 ま た 後 に 商 工 省 よ り 保 険 金 額 の 2 割 削 減 命 令 を 受 け る と い う 業 界 稀 有 の 事 件 を 引 き 起 こ し た 国 光 生 命 も 昭 和 3 年 6 月 末 ( 第 21 期 ) の 辛 酉 銀 行 へ の 預 金 30 万 円 分 の 債 権 額 は 54.3 万 円 と 注 記 さ れ て お り , 差 引 き 24.3 万 円 は 切 り 捨 て ら れ た 。 拙 稿 「 昭 和 恐 慌 と 生 保 経 営 ( Ⅰ ) - 生 保 証 券 ( 株 ) 設 立 を 中 心 と し て - 」『 文 研 論 集 』 第 109 号 , 平 成 6 年 12 月 , 参 照 。
2 6 『 大 審 院 刑 事 判 例 集 』 第 10 巻 ,p724。
2 7 『 大 審 院 刑 事 判 例 集 』 第 10 巻 ,p716 で 『 月 刊 新 聞 佐 賀 評 論 』 を 引 用 。 15
の 後 変 な 処 か ら 同 人 の 身 元 を 照 会 し て 来 た り , 又 そ の 行 動 に 兎 角 腑 に 落 ち ぬ 点 が 多 々 あ る の で , そ れ と な く 警 戒 し , 社 の 印 な ど は 絶 対 に 渡 さ ず , 有 名 無 実 の 専 務 取 締 役 と し て 置 い た 」(T10.5.2 読 売 )と さ れ る 。リ ス ク 管 理 上 ,取 り 得 る 万 全 の 体 制 を 引 い て 田 中 を 事 実 上 社 務 か ら 完 全 に 隔 離 し ,「 取 締 役 と し て 就 任 致 候 も ,全 然 会 社 の 業 務 に は 携 は ら ず 」(T10.6.8 読 売 中 央 生 命 禀 告 )と い う 状 態 に 置 い て い た 。 こ の 肌 理 細 か な 対 処 策 は 冒 頭 に 述 べ た 大 正 生 命 の 脇 の 甘 さ と 好 対 照 を な す と こ ろ で あ る 。 な ぜ な ら 中 央 生 命 社 長 の 前 田 利 定 子 爵 は 一 万 石 の 上 州 七 日 市 藩 と い う「 小 藩 の 家 に 生 れ た る だ け に ,普 通 の 糸 丸 袴 者 流 と 類 を 異 に し て 」(T10.6.27 保 銀 ), 「 華 族 の 社 長 と い へ ば ,大 概 名 義 の み で 実 務 に 参 与 す ま い と 想 像 す る も の も 多 か ら う が … 聊 か 趣 を 異 に し て , 社 長 自 か ら 社 務 を 総 攬 … 干 渉 に 過 ぎ る と 思 は る る 程 社 の 仕 事 に 容 喙 し た 」 (T10.6.27 保 銀 ) ほ ど 「 世 態 人 情 に 通 暁 」 28し ,
「 如 才 な く , 万 事 に 抜 目 な き 」 (T10.6.27 保 銀 ) 殿 様 で あ っ た た め と 思 わ れ る 。 冒 頭 に 述 べ た 大 正 生 命 は 鈴 木 商 店 直 系 の 生 保 と し て , 昭 和 の 金 融 恐 慌 時 の 親 会 社 破 綻 と い う 危 機 さ え 乗 り 越 え た 不 撓 不 屈 の 歴 史 を 有 し て い る に も か か わ ら ず , 今 回 の 危 機 で は 一 人 の 札 付 き の 投 資 フ ァ ン ド 主 宰 者 に 翻 弄 さ れ た 揚 句 , 彼 ら が 取 引 に 関 与 し た 架 空 と 思 し き 譲 渡 性 預 金 な ど 資 産 運 用 に 係 る 業 務 の 運 営 が 著 し く 不 適 切 で あ る と し て 平 成 12 年 8 月 28 日 金 融 庁 か ら 業 務 停 止 命 令 を 受 け る に 至 っ た 。 一 見 し た と こ ろ 高 学 歴・有 名 外 資 系 勤 務 経 験 を 有 し て 巷 間「 兜 町 の 風 雲 児 」「 若 き M & A の 旗 手 」 と も 称 さ れ た 人 物 が 経 営 難 や 資 金 難 に 陥 っ た 中 小 規 模 の 証 券 , 複 数 の 証 券 業 界 紙 , 撚 糸 , 投 信 委 託 会 社 等 を 次 々 と 買 収 し て 外 観 上 は 急 速 に 業 容 を 拡 大 し て い く 強 引 な M & A の 手 法 の 裏 に は , 業 界 関 係 者 の 間 で と か く の 評 判 も あ り , 数 多 く の 法 的 な 問 題 が 先 行 し て 各 方 面 で 顕 在 化 し つ つ あ っ た と も 伝 え ら れ て い る 。彼 自 身 は 毎 日 放 送 の 取 材 に 対 し て ,「 単 な る 乗 っ 取 り と は 違 い ,自 分 に は 良 心 , 良 識 , 哲 学 が あ る 。 自 分 は 硬 直 し た 日 本 経 済 を 改 革 し た い の で あ っ て , 資 金 源 は 海 外 の 機 関 投 資 家 か ら の カ ネ だ 。 そ れ 以 上 説 明 す る 義 務 は な い 」 と 語 っ て い た が ,「 英 国 領 グ レ ナ ダ 籍 の 投 資 銀 行 の 在 日 拠 点 代 表 」(H12.9.18 日 経 )を 名 乗 り ,
2 8原 田 道 寛 編 『 大 正 名 家 録 』 二 六 社 編 纂 局 , 大 正 4 年 , マ p43。
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欧 州 の 新 興 金 融 勢 力 か ら の 数 百 億 円 も の 預 か り 資 産 の 存 在 を 豪 語 し て い た 彼 ら の 資 金 源 に つ い て 説 明 を 疑 問 視 す る 冷 や や か な 見 方 も か な り 存 在 し た よ う で あ る 。 彼 ら の や り 口 は 一 見 目 新 し い 金 融 手 法 を 駆 使 し た 近 代 的 投 資 行 動 の よ う に も 見 え る が , 実 は 「 空 株 」 な い し 「 幽 霊 株 」 す な わ ち 真 実 の 払 込 で な い 架 空 払 込 と い う 在 来 手 法 の 部 分 的 焼 き 直 し に 過 ぎ な か っ た 。
大 正 生 命 で は 自 己 資 本 の 増 強 の た め の 第 三 社 割 当 増 資 と し て 彼 ら が 引 受 け る
「 資 金 源 な ど を 調 査 す る 時 間 的 余 裕 が な か っ た 」 (H12.9.18 日 経 ) と 弁 解 し て い る 。 し か し な が ら 同 社 の 細 川 淳 社 長 は 自 称 ホ ワ イ ト ・ ナ イ ト を 「 助 言 の プ ロ と 思 い , パ ー ト ナ ー と し て 信 頼 し て き た 。 詐 欺 と い う 認 識 は な か っ た 」 (H12.9.18 日 経 ) と 人 を 見 る 目 が 完 全 に 欠 落 し て い た こ と を 告 白 し て い る 。 中 央 生 命 事 件 , 大 阪 農 工 銀 行 事 件 29な ど 過 去 か ら 何 度 も 繰 り 返 さ れ て き た 数 々 の 敵 対 的 買 収 の 苦 い 教 訓 に 学 び , 一 旦 は 「 濫 用 的 買 収 者 」 を 役 員 に 取 り 込 む も 「 万 事 に 抜 目 な き 」 社 長 や ,指 一 本 金 庫 内 に 触 れ さ せ な か っ た 銀 行 頭 取 の 先 例 に 見 習 う べ き で あ っ た 。
2 9拙 稿 「 買 占 め ・ 乗 取 り を 多 用 す る 資 本 家 の 虚 像 と 実 像 ― 企 業 家 と 対 立 す る 「 非 企 業 家 」 概 念 の 構 築 の た め の 問 題 提 起 ― 」『 企 業 家 研 究 』 第 4 号 , 企 業 家 研 究 フ ォ ー ラ ム , 平 成 19 年 6 月 , 参 照 。 敵 対 的 買 収 の 和 解 に 基 い て 「 濫 用 的 買 収 者 」 高 倉 為 三 が 大 農 銀 役 員 に 就 任 す る こ と を 懸 念 し た 市 来 蔵 相 は 高 倉 が 「 今 後 … 放 漫 な る 経 営 を 為 す が 如 き 事 の 出 来 ざ る 様 , 頭 取 に 於 て 十 分 の 注 意 を 払 ひ 最 善 の 努 力 を な す べ き 事 」 (T11.7.22 大 毎 ) と の 和 解 条 件 を 付 加 さ せ た 。 こ れ を 受 け て 大 農 銀 は 「 銀 行 の 貸 出 方 針 に 関 し て は 一 切 関 係 せ ざ る こ と , 同 行 に 金 融 を 依 頼 せ な い こ と 」( T11.11.30 大 朝 ) の 一 札 を 高 倉 か ら 徴 し て 蔵 相 に 提 出 し た た め , 結 局 高 倉 の 大 農 銀 乗 取 り ・ 自 己 の 機 関 銀 行 へ の 資 金 流 用 の 目 論 見 は 失 敗 し た 。
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