296 化学と生物 Vol. 55, No. 5, 2017
食品ペプチドで血糖を制御する
消化管内分泌系による栄養素認識を利用する
食事として摂取したタンパク質は,胃でのペプシン消 化,小腸管腔内での膵酵素による管腔内消化,小腸上皮 刷子縁膜酵素による膜消化を経て,トリペプチド,ジペ プチド,アミノ酸として吸収上皮細胞へと取り込まれ,
門脈へ輸送される.この過程において,消化管腔内では 多種多様なペプチド断片が生じる.また食品そのものに も高分子のタンパク質だけでなく,それらの部分分解 物,あるいは内因性のペプチドが存在する.このような 食品ペプチドは,摂取したホストにとって単なるアミノ 酸の供給源だけではなく,生体内にてさまざまな生理作 用を発揮することが明らかとなり,血中にてアンジオテ ンシン変換酵素(ACE)を阻害するペプチドは機能性 食品として実用化されている.
食品由来のペプチドは,消化管で吸収される前に,口 腔,消化管腔内でさまざまな生理作用を発揮する.たと えば,口腔内では味覚(旨味,苦味,こく味)を呈し,
消化管では胃酸分泌や膵酵素分泌を調節する.このこと は,食品ペプチドがシグナル分子として口腔や消化管の 細胞に作用することを示している.
消化管上皮に散在する消化管内分泌細胞(enteroendo- crine cells)は,管腔内の食品成分を感知してホルモン
(消化管ホルモン)を基底膜側に放出し,食後の生理応 答(たとえば消化酵素分泌や消化管運動)をコントロー ルする.
消化管ホルモンの一種グルカゴン様ペプチド-1(GLP- 1)は消化管内分泌細胞L cellにて産生され,標的組織
(膵島,迷走神経,視床下部など)に発現するGLP-1受
容体に結合することで,インスリン分泌促進(インクレ チン作用),食欲抑制,胃排出抑制など多様な生理作用 を発揮する.内因性のGLP-1と同様にGLP-1受容体に結 合してインクレチン作用を発揮する薬剤(GLP-1代替 物)は,GLP-1受容体作動薬として近年糖尿病治療に広 く用いられている.一方で,GLP-1受容体作動薬(現時 点では注射薬)ではなく,GLP-1分泌促進物質の経口摂 取により,内因性のGLP-1を増加させることで血糖上昇 を抑制できると考えられ,さまざまな食品素材や薬剤が 試みられている.
GLP-1の分泌は,グルコースや脂肪酸によって促進さ れることが知られていたが,筆者らは,食品ペプチドも
図1■食品ペプチドが消化管への作用を介して血糖上昇を抑制 する複数の経路
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GLP-1分泌を強く促進することを見いだした.トウモロ コシの難消化性タンパク質Zeinの加水分解物(1)や,米 タンパク質の加水分解物(2)が,GLP-1の分泌を促進する ことで,インスリン分泌促進を介して血糖上昇を抑制す ることがラットにおいて示され,GLP-1分泌促進をター ゲットとすることの有効性が確かめられた.日本農芸化 学会の年次大会でも食品成分によるGLP-1分泌促進に関 する研究成果発表が年々増加している.
2000年代に入ってからの味覚受容体の発見以降,消 化管にも味覚受容体が発現することや,オーファン受容 体のリガンド探索などにより,消化管内分泌細胞での栄 養素認識機構が明らかにされている.
筆者らは食品ペプチドの認識機構について,カルシウ ム 感 知 受 容 体(Calcium-sensing receptor; CaSR) が,
アミノ酸や食品ペプチドの受容体として消化管内分泌細 胞において機能することを見いだした(3).CaSRは副甲 状腺にて細胞外カルシウムを感知して,副甲状腺ホルモ ン(PTH)の分泌を調節する受容体として同定された が,アミノ酸や一部のペプチドによっても活性化される ことや消化管での発現が確認されていた.
筆者らの報告以降,CaSRがコレシストキニン(CCK)
やGLP-1などの消化管ホルモンを産生する細胞で機能す ることが,ほかの研究グループからも報告され,近年で は消化管の栄養素受容体の一つとして認められている.
GLP-1はインスリン分泌を促進する作用をはじめ,食 欲抑制や胃排出抑制の作用をもち,CCKは膵酵素分泌 促進,食欲抑制,胃排出抑制作用を有する.筆者らは,
にて消化管CaSRの活性化によりこれら消化管ホ ルモンの分泌を促して,血糖上昇を抑制できるかを,
ラットを用いて検討した(4, 5).
食後の急激な血糖上昇は,耐糖能障害の主要な誘導因 子であり,これを緩和することは,種々の薬剤,機能性 食品素材で実現されている.食後高血糖を抑える手法と して,①糖質(デンプン)の消化を抑制する(あるいは 遅延させる),②糖質の吸収を抑制する(あるいは遅延 させる),③インスリン分泌を高める,などが考えられ る.CCKやGLP-1は胃からの内容物の排出速度を低下 させる作用(胃排出遅延作用)によりの①や②を介した 血糖上昇抑制効果が想定された.
CaSRのアゴニストとして知られるペプチド(
γ
Glu-Cys,プロタミン,ポリリジン)をグルコース溶液に混 合してラットに経口投与したところ,CaSRの合成アゴ ニストと同様に,血糖の上昇が抑制された.これら CaSRアゴニストペプチドを十二指腸に投与することで 同様の血糖上昇抑制が確認され,またCaSRのアンタゴ ニストによってこの作用は解除されたことから,これら のペプチドは小腸でCaSRに作用することが示された.
フェノールレッドを用いた手法により,これらCaSR アゴニストペプチドは胃排出を抑制することが確認され たが,上記の予想に反してCCKやGLP-1よりも,セロ トニン(5-HT)がこれらの作用を仲介することが明ら かとなった.消化管は体内で最大のセロトニン産生組織 であり,セロトニンは消化管内分泌細胞の一つである腸 クロム陽性細胞(enterochromaffin cells)にて産生さ れ,消化管運動を調節する.これらの結果から,消化管 CaSRを活性化するペプチドが,セロトニン分泌促進→
胃排出抑制→小腸へのグルコース移行の遅延,という作 用機序によりグルコース吸収を遅らせて血糖上昇を抑制 することが示された(図1).
このように,経口摂取した食品ペプチドにより消化管 の内分泌系を活性化することで,さまざまな経路で血糖 の上昇を抑制できることが示された.食事の組成だけで なく,食べる順番,タイミングなども,消化管ホルモン 分泌や消化管機能に大きく影響すると考えられ,今後そ れら要因も加味した研究により,食品ペプチドに限らず さまざまな食品成分と消化管内分泌系との相互作用の理 解と,疾病予防や機能性食品開発への発展が期待され る.
1) N. Higuchi, T. Hira, N. Yamada & H. Hara:
, 154, 3089 (2013).
2) Y. Ishikawa, T. Hira, D. Inoue, Y. Harada, H. Hashimoto, M. Fujii, M. Kadowaki & H. Hara: , 6, 2525 (2015).
3) S. Nakajima, T. Hira & H. Hara: , 56, 753 (2012).
4) M. Muramatsu, T. Hira, A. Mitsunaga, E. Sato, S. Naka- jima, Y. Kitahara, Y. Eto & H. Hara:
, 306, G1099 (2014).
5) T. Hira, S. Nakajima & H. Hara: Food and Nutritional Components in Focus No. 10, Calcium: Chemistry, Analy- sis, Function and Effects, ed. by Victor R. Preedy, The Royal Society of Chemistry (London), 2015, p. 396.
(比良 徹,北海道大学大学院農学研究院生物機能化学 分野食品栄養学研究室)
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298 化学と生物 Vol. 55, No. 5, 2017 プロフィール
比 良 徹(Tohru HIRA)
<略歴>1995年北海道大学農学部農芸化 学科卒業/1999年同大学大学院農学研究 科博士後期課程農芸化学専攻修了/2000 年日本学術振興会特別研究員/2001年Vis- iting research fellow, School of Biological Sciences, University of Manchester, UK/
2005年北海道大学大学院農学研究科助 手/2013年同大学大学院農学研究院講師
<研究テーマと抱負>消化管における栄養 素認識機構とその制御<趣味>ドライブ,
釣り
Copyright © 2017 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.55.296
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