530 化学と生物 Vol. 54, No. 8, 2016
酵母を用いたアルツハイマー病の病因研究
病気の原因となる毒性アミロイド( A β 42 )の生成抑制に成功
膜内切断プロテアーゼは,膜貫通タンパク質の膜内の 領域を切断し,ペプチド断片を膜から遊離させる.断片 は情報伝達分子として機能する一方で,さらに分解を受 けることからタンパクの代謝においても重要なメカニズ ムとなる.膜領域の切断機構は,RIP(Regulated In- tramembrane Proteolysis) と 略 称 さ れ,ア ル ツ ハ イ
マー病の発症メカニズムとの関連から詳しく研究され,
理解が進んできた.
アミロイド前駆体タンパク(APP)(図1A,中央)
は,家族性アルツハイマー病患者の脳内に蓄積するアミ ロイド
β
ペプチド(Aβ
)の前駆体である(1).APPはβ
セ クレターゼによって細胞外領域を切断され,生じた断片図1■アミロイドβ生成経路と酵母γセクレターゼ 発現系
A)アミロイド前駆体タンパク(APP)の分解経路.
I型膜タンパクであるAPPは,3種類(αβγ)のセク レターゼによる2つの経路によって分解され,その うちの1つの経路でアミロイド(Aβ)を生成する.
B)酵母γセクレターゼ発現系.ヒトγセクレターゼ の4サブユニット(プレセニリン,ニカストリン,
Aph1, Pen2)と,基質(APPもしくはNotch)に転 写因子Gal4を融合した人工基質を酵母に導入した.
基質の切断によるAβの生成と,膜から遊離した Gal4による , , 遺伝子(Aβ生成レ ポーター)の転写活性化を模式的に示した.
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化学と生物 Vol. 54, No. 8, 2016
(C99)の膜貫通ドメインを,さらに,
γ
セクレターゼが 切断して,Aβ
と細胞内ドメイン(AICD)が生成される(図1A).
家族性アルツハイマー病の研究から,プレセニリン
(PS1, PS2)の変異が疾病の原因であることが報告され たのは,1995年のことである.その後,プレセニリン が
γ
セクレターゼのサブユニットであること,そして,プレセニリンの膜貫通領域には活性中心のアスパラギン 酸(2つ)が存在するとの発見(2)は,当初驚きをもって 受け入れられた.現在では,
γ
セクレターゼ,シグナル ペプチドペプチダーゼ,site-2プロテアーゼ,ロンボイ ドからなる 膜内切断プロテアーゼファミリー の存在 が確認されている.これらはチャンネル状の立体構造を とり, 常識 では考えられなかった「疎水環境(膜内 領域)の加水分解」についても,理解が進んできてい る.膜内切断プロテアーゼの中でも
γ
セクレターゼは4 つのサブユニットからなり(図1B),生化学的に研究 す る の は 難 し い.複 合 体 を 界 面 活 性 剤(た と え ば,CHAPSOなど)で可溶化し,精製した
γ
セクレターゼと 基質ペプチド(C99Flagなど)を反応させることがすぐ に頭に浮かぶ.しかし,γ
セクレターゼの活性は,界面 活性剤や脂質によって大きく影響を受けるために(3),精 製酵素の特異性が生体内での本来のものとは異なってし まう.私たちは,出芽酵母( )をい
わば 生きた試験管 として,ヒト
γ
セクレターゼを発 現させ(図1B)研究を進めてきた(4〜8).γ
セクレターゼ は,触媒サブユニットであるプレセニリン以外に3つの 膜タンパク(ニカストリン,Aph1, Pen2)が一分子ず つ集合した,全分子量が23万を超える巨大な膜タンパ ク複合体である(1).これら4つのサブユニットを酵母に図2■酵母γセクレターゼ発現系を用いた解析
A)酵母発現系を使った活性化変異体の同定.酵母の生育を指標に,家族性アルツハイマー病変異体の活性を回復させる2次変異を同定し た.プレートはG384Aに対する2次変異の生育結果.B)PS1/PS2遺伝子破壊MEF(マウス胚性繊維芽細胞)細胞にPS1変異体を導入し て解析したところ,2次変異体ではAβ42の生成量が落ちていることがわかった( <0.01 (**), もしくは <0.05 (*)).C)同定した変異体 のうち,G384Aの活性を回復した2種類の変異の位置をプレセニリンの予測構造(PDB No. 4HYG)内に示した.触媒中心を細胞質側から 見ている.中央で向かい合う2つのアスパラギン酸(球状モデル)が活性残基である.さらに,2次変異の箇所(S438, I287; L432, C158), FAD変異部位(G384)を示した.基質の通り道として予想されている第9膜貫通領域に重要な変異(S438P or L432M)が位置し,プレセ ニリンが活性化されると考えている.文献8を改変.
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導入し,
γ
セクレターゼを細胞内に再構成した(図1B). 次に,基質となるAPPまたはNotchを導入し,γ
セクレ ターゼ活性を解析した.転写因子Gal4を融合した基質 を用いると,γ
セクレターゼによる切断に伴い,転写因 子Gal4pが膜から遊離し,レポーター遺伝子( ,, など)の発現を誘導する.ヒスチジンとア デニンのない条件での生育に必要なタンパク質と,
β
ガ ラクトシダーゼ(LacZ)が誘導され,生育と酵素活性 測定によってγ
セクレターゼ活性を評価することができ た(4)(図1B).さらに,酵母のミクロソーム膜画分を用いてAPPの 分解を解析するとヒトの脳内と同じく,A
β
40, Aβ
42, Aβ
43のアミロイドAβ
分子種(数字はアミノ酸残基数)の生成が確認できた(5)(図1B).
酵母を用いる利点は,①酵母には対応するホモログ分 子がないので,導入した
γ
セクレターゼ以外はAPPを切 断できない,②タンパク質の高発現が期待でき,強力な 遺伝学的手法によって小胞輸送をはじめ細胞内のAPP やアミロイドタンパク質の細胞内の動態を容易に研究で きる,の2つに要約できる.本研究では,家族性アルツハイマー病(FAD)で見 つかっているプレセニリン(PS1)変異を解析した(8). PS1のG384AとL166P(384番 目 の グ リ シ ン が ア ラ ニ ン,もしくは166番目のロイシンがプロリンに置換し た)変異体は,ヒト細胞を用いた解析で切断活性が落ち ることが知られているが,酵母でも変異により機能がな くなった(図2A).変異した
γ
セクレターゼは切断活性 が落ち,同時に,毒性の高いAβ
42やAβ
43を生成する ようになり,これが病気の原因となると考えられてい る.さて,遺伝的な解析が簡単にできる酵母の特徴を生か して,PS1変異体の活性を回復させる2次変異(抑圧変 異)を探索した.PCR(error-prone法)によりランダ ムに変異を導入し,生育を指標に106個の酵母をスク リーニングしたところ,5種類(16個)の2次変異が FAD変異体の活性を回復させた(図2A).また,2次変 異を単独でもつPS1について活性を解析したところ,野 生型と比べて最大で2倍に活性が上昇しており,活性化 変異とも言えることが明らかとなった.
マウス細胞中で,これらの変異の活性を解析したとこ ろ,酵母と同じように活性を上げただけでなく,アルツ ハイマー病で蓄積するA
β
42の生成を抑制した(図2B).これらの結果を理解していただくために,
γ
セクレ ターゼの活性について,もう少し説明を加えたい.γ
セ クレターゼは,APPを切断して生じた長いAβ
(Aβ
48 もしくはAβ
49)をトリミングして,Aβ
46, Aβ
45, Aβ
43, Aβ
42, Aβ
40, Aβ
38, Aβ
37のように,3残基(もしくは4 残基)ごとに短く分解する切断機構をもっている(9).家 族性アルツハイマー病変異体では,このトリミングの活 性が落ち,長いままのAβ
がたまると考えられる.本研 究で明らかにした2次変異はトリミング活性を上昇させ て,Aβ
42やAβ
43の生成を抑えていたのである.A
β
42の生成を減少させる効果をもつ化合物はγ
セクレ ターゼモジュレーター(GSM)と呼ばれ,認知症治療 薬を目指して,世界中で研究されている(10).私たちの 成果は,見つかった重要な変異の位置情報(第9膜貫通 領域のS438PやL432M(図2C))が有用なのはもちろ んのこと,酵母発現系がモジュレーターの開発にも有 効であることを示している.本研究はアルツハイマー 病治療薬の開発を支援する重要な成果をもたらしたもの として,2015年11月11日付けで,(オンライン版)に掲載された.
研究の遂行にあたってたいへんお世話になった東京大 学大学院薬学研究科の富田泰輔教授,同総合文化研究科 の石浦章一教授,東北大学大学院農学研究科の五味勝也 教授,原田昌彦准教授,新谷尚弘准教授,東京大学と東 北大学の研究室メンバーの方々に深謝いたします.
1) B. De Strooper, T. Iwatsubo & M. S. Wolfe:
, 2, a006304 (2012).
2) M. S. Wolfe, W. Xia, B. L. Ostaszewski, T. S. Diehl, W. T.
Kimberly & D. J. Selkoe: , 398, 513 (1999).
3) P. C. Fraering, W. Ye, J. M. Strub, G. Dolios, M. J. LaVoie, B. L. Ostaszewski, A. Van Dorsselaer, R. Wang, D. J. Sel- koe & M. S. Wolfe: , 43, 9774 (2004).
4) E. Futai, S. Yagishita & S. Ishiura: , 19, 13013 (2009).
5) S. Yagishita, E. Futai & S. Ishiura:
, 377, 141 (2008).
6) Y. Yonemura, E. Futai, S. Yagishita, S. Suo, T. Tomita, T.
Iwatsubo & S. Ishiura: , 286, 44569 (2011).
7) T. Onodera, E. Futai, E. Kan, N. Abe, T. Uchida, Y.
Kamio & J. Kaneko: , 157, 301 (2015).
8) E. Futai, S. Osawa, T. Cai, T. Fujisawa, S. Ishiura & T.
Tomita: , 291, 435 (2016).
9) M. Takami, Y. Nagashima, Y. Sano, S. Ishihara, M. Mori- shima-Kawashima, S. Funamoto & Y. Ihara: , 29, 13042 (2009).
10) T. Tomita: , 156, 195 (2014).
(二井勇人,東北大学大学院農学研究科)
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化学と生物 Vol. 54, No. 8, 2016 プロフィール
二井 勇人(Eugene FUTAI)
<略歴>1996年東京大学農学部農芸化学 科卒業/2001年同大学大学院農学生命科 学研究科応用生命工学専攻博士課程修了/
同年同大学分子生物学研究所研究員/2002 年カリフォルニア大学バークレー校研究 員/2006年東京大学大学院総合文化研究 科助教/2010年東北大学農学研究科准教 授,現在に至る<研究テーマと抱負>膜内 切断プロテアーゼと小胞輸送の解析<趣 味>野鳥観察<所属研究室ホームページ>
http://www.agri.tohoku.ac.jp/enzyme- futai/HOME.html
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.530
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