書 館 文 化学 と 生物
およそ37年に及ぶ過去の研究を振り返り,それが産み出 された背景,さらにはそれを支えた人脈や社会とのかかわり など,正式な文書には見られないその時々の生の記録を残す ことは,あまりにも重くかつ膨大な作業である.振り返れ ば,1995年までの主要な研究業績は,恩師・長谷川 明先 生の日本農芸化学会功績賞受賞総説「糖鎖生物機能の分子的 解析と生命科学への応用」(1) と著書(2) に,また1990年前後 から2001年までの研究内容については,本誌「化学と生物」
に「ガングリオシドプローブを用いて糖鎖の多彩な機能を探 る」(3) と題してその概要を解説させていただいた.本稿では
「文書館」の趣旨に従い,研究の背景とそれを支えた人々 , 学会や社会とのかかわりなどを含め,長谷川先生と筆者,研 究室を取り巻く糖質科学研究の歴史的断片のいくつかを,時 間軸に沿ってたどってみたい.
研究のはじまり
博士課程を終えたばかりの筆者が,岐阜大学農学部農芸化 学科の長谷川 明教授(当時40歳)のもとに助手として赴 任したのは,1975(昭和50)年の春のことである.長谷川 先生は1957年に岐阜大学農学部を卒業され,京都大学大学 院農学研究科(農芸化学専攻,農薬化学講座)の,筆者の恩 師でもある中島 稔教授(昭和45年学士院賞,昭和60年日 本農芸化学会会長)(図
1
)のもとで研鑽を積まれ,1964年 に同講座の助手になられた.この間ベンゼングライコールや アミノサイクリトール類の有機合成化学的研究に従事され,米国ケース・ウェスタンリザーブ大学(H. Z. Sable教授)留 学を挟み,1968年,カナマイシンA(図
2
)の全合成を達成 された(4).翌1969年にはこの業績に対して農芸化学奨励賞 が授与され(栗原紀夫博士との共同受賞),同年母校岐阜大 学農芸化学科に新設された植物成分化学講座(小菅貞良教 授)の助教授として戻られた.このような背景から,「岐阜 大学でも糖質(一般に炭水化物:Carbohydrateと総称され る)の化学に関する研究を続けたい,木曽くん,目標を一つ にして協力してくれないか,そして世界に誇れる研究チーム を岐阜に作ろう!」と熱っぽく語られた.大正ロマンに導かれて
赴任当時の農学部は,岐阜市から鵜沼宿に至る中山道沿い の,大正ロマンを漂わせる那加キャンパス(今の各務原市,
この辺り一帯は「かかみ野」と呼ばれ,木曽・長良の両河川 に抱かれた各務原台地の西北部)に,大学本部と工学部とと もにあった.その校門,一号館と講堂は,尾崎士郎原作の映 画「人生劇場」のロケーションの舞台にもなった歴史的たた ずまいをしていた(図
3
).南東方に位置する犬山城と木曽糖鎖の研究
糖鎖の人工合成と細胞機能 木曽 真
岐阜大学応用生物科学部図1■1983(昭和58)年中島 稔先生(右から3人目)と長谷
川 明先生(左端)
久しぶりの再会で,学生諸君とゴルフを楽しまれた(岐阜中央カ ントリークラブにて).
図2■カナマイシンA
1957年,梅沢浜夫らにより発見されたアミノグリコシド系抗生物 質の一つで,2-デオキシストレプタミンに2種のアミノ糖が α-グ リコシド結合した擬似三糖構造を有している.
川の流れは「白帝城の桜花,木曽の流れに色彩えて,春を讃 うる若人が,久遠の理想誰か知る」と歌われ,また西北に位 置する長良川と金華山(岐阜城)は「夏は来たりぬ長良川,
水面に浮かぶ漁り火に,訪ぬる人の繁くして,栄華を歌う 二百年」「水無しが原に暮れかかる,夕日の色の金華山,塒 に帰る鳥の音に,故郷の秋を偲ぶかな」と歌われた(凛真寮 歌の一節,「凛乎たれ,真摯なれ(凛乎真摯)」と「自化自 育」は開学以来の教育と自己啓発の標語).ただ,航空自衛 隊基地に隣接していたので,ジェット機の轟音がたびたび授 業を遮った.
この頃の農芸化学科では,大橋一二,上野良光,加藤宏治
(東北大農化の松田和雄研究室の出身)らを中心に,デンプ ンや植物・キノコ由来の多糖類の研究が盛んに行われてい た.また当時の岐阜大学学長・林 金雄先生は,北海道大学 の三宅 捷とともに日本で初めて炭水化物だけを取り扱った
『炭水化物概論』(岩波書店,増補改訂版,昭和24年)を著 し,ご自身も海藻多糖である寒天の研究をライフワークにし ておられた.炭水化物概論の増補改訂版序には,「―(中略)
其の後京都大學武居三吉博士(5, 6) の『炭水化物化學』(東京 朝倉書店,1947年)の名著が出版せられ,我々同方面の研 究者としては意を強くしている次第である」との記述があ る.林先生の随筆集と門下生の寄書からなる『かかみの雑 記』(教育出版文化協会,昭和53年)の冒頭に,「教えると は希望を語り励まし合うこと,学ぶとは誠實を胸に刻み努力 すること(葉人書)」がある.後に,京大,コロンビア大,
ヤシバ大を経てキチン・キトサン研究で活躍された平野茂博 先生(鳥取大・農化)は,林門下生の一人である.
抗生物質から複合糖質研究へ
私どもの研究室では,引き続きアミノグリコシド系抗生物 質,サイクリトールや硫黄を含むヘテロ糖類の合成と構造研 究を行っていたが,複合糖質の時代を予見し「細菌細胞壁ペ プチドグリカン成分ムラミルジペプチドの構造とアジュバン
ト活性に関する研究」を新しい研究テーマとした.当時フラ ンスの糖化学者 Pierre Sinaÿ, 阪大理学部の芝 哲夫らも研 究を開始したところであったが,松本和男氏(当時,田辺製
薬)(5, 6) の薦めもあってあえてこのテーマに挑戦することに
した.最初に取り組んだ実験は,一般にアセトネーションと 呼ばれる2,2-ジアルコキシプロパンと糖類との反応で,一段 階で2つの水酸基を同時に保護する簡便な合成反応であっ た.この反応は,長谷川先生が米国NIH留学時に H. G.
Fletcher Jr. 博士と始められたもので,研究費がかからず,
糖化学のトレーニングにはもってこいのテーマであった.得 られた成果を早速 8th International Symposium on Carbo- hydrate Chemistry, August 16‒20, 1976, Kyoto, Japan で発 表した.この国際会議のChairmanは当時の京大農芸化学
(生物化学講座)の小野寺幸之進先生,Vice-chairmanが山 川民夫先生(東大・医),Treasurerが山科郁男先生(京大・
薬),General Secretaryが三崎 旭先生(大市大・生活科 学),会場は国立京都国際会館であった.この会議は後に
「国 際 糖 質 シ ン ポ ジ ウ ム」(International Carbohydrate 図3■大正ロマン漂う赴任当時の岐阜大学那加キャンパス校門 図4■左から長谷川 明先生(42歳),筆者(29歳),加藤宏治
先生(35歳),上野良光先生(50歳)4人はこの年,「岐阜大学 炭水化物研究会」を発足させた(1976年秋,小諸城址にて).
図5■1976年9月3日「岐阜大学炭水化物研究会」第1回講演会 にて
リヒテンターラー教授(44歳)と長谷川 明教授ご夫妻.
Sympo sium ; ICS) と呼ばれるようになり,偶数年に開催さ れている.ICS Kyotoでは,当時すでに糖鎖研究のパイオニ ア的存在であった箱守仙一郎博士 (Univ. Washington) によ るがん関連血液型糖鎖抗原に関するプレナリーレクチャーに 深く感銘を受けた.そして,その直後の岐阜大学では,糖質 科学研究の進歩・発展を期待して「岐阜大学炭水化物研究 会」(幹事:上野,長谷川,加藤,木曽)を発足させ(図
4
),同年9月に Frieder W. Lichtenthaler 教授(ダルムシュ タット工科大学)を迎えて第1回講演会を開催した(図5
). Lichtenthaler先生は,1959年ハイデルベルク大学で Ph.D.を取得後,carbohydrate chemistry の祖 Emil Fischer(ベ ルリン大学教授,1902年ノーベル化学賞受賞)の息子 H. O.
L. Fischer のもとで3年間ポスドクを勤められた(
, 31, 1541 (1992) 参照).またこの国際 会議を契機に国内の糖質科学研究者が集結し,現在の「日本 糖質学会」の前身である「(日本)炭水化物研究会」が発足,
1978年7月には国内初めてとなる第1回糖質シンポジウム
(準備会のメンバー36名の中に,長谷川 明,林 金雄,平 野茂博の名が残っている)が大阪で開催された.このよう に,ICS Kyotoは,日本の糖質科学研究に大きな影響を与え るとともに,われわれにとっても忘れることのできない国際 会議となった.
夢と現実のはざまで
当時の農学部は,修士課程が設置されてまだ9年,博士課 程(連合農学研究科)の設置は,1991(平成3)年まで待た なければならなかった.加えて,研究を支える大型分析機器 が不足していた.ではどうすれば世界に認められる糖鎖研究 チームを岐阜に創れるか? 「木曽くん,まず研究実績を作 ろう.われわれが率先してベンチに立って実験すればいい.
俺が来たときは研究室には天秤一つだったよ.そして研究成 果を国際会議で発表しよう! 旅費は自分たちで出せばい い」「わかりました!」とその場の勢いで約束した.当時,
工学部に設置されたばかりの核磁気共鳴 (NMR) 装置(90 MHz, 全学に1台)を頼りに精一杯実験した.機器が手元に なければ借りに走った(FT-NMRは名大農化,旋光度計と 元素分析は京大の化研へ).以来,全学体制で大型分析機器 の導入を図り,少しずつ研究環境は改善されていった.糖鎖 研究に不可欠な FT-NMR (270 MHz) の設置は,大学統合 移転後の1983(昭和58)年に実現した.研究費も少なかっ た.シリカゲルカラムの溶媒は基本がベンゼンで,クロロホ ルムはめったに使わせてもらえなかった.ガスストーブで暖 房する冬場の実験室はたいへん危険で,一日実験室にいると 肝臓にずしんときた.火災事故も起きた.たまりかねた学生 の発案で,エバポレーターのタンクにあらかじめ水を張り,
比重の大きなクロロホルムを回収してなくなるまで使うこと にした.今風に言えば「エコシステム」である.薄層クロマ トも,一斗缶を切って作った鉄板に焼きを入れ,その上にシ
リカゲルの薄層を敷いて繰り返し使った.今思うと当時の学 生たちの涙ぐましい努力と忍耐力に頭が下がる.一方そんな なかで,長谷川先生から「木曽くん,外国へ行くなら今のう ちだよ.できるだけ若いうちに行ったほうがいい」と留学を 勧められた.先生は助教授時代もNIHに留学され,なかな か戻ってこられないので,痺れを切らせた林学長から職を解 かれそうになったという挿話が残っているほどアメリカが大 好きで,この「世界へ!」というチャレンジ精神がその後の 研究室の気風となり,モットーになっていった.
留学,そして新しい研究テーマとの出会い
私事になるが,米国ウイスコンシン大学マジソン校の生化 学 科(Department of Biochemistry ; 前 身 はAgricultural and Biological Chemistry,日本の農芸化学科に相当)のLau- rens Anderson教授のもとに留学したのは,1977(昭和52)
年の春のことである.岐阜大学にいるときと同じように夕食 後も実験室に戻り,深夜0時を過ぎるまで研究した.チオグ リコシドを介した糖鎖固層合成法の開発,新規オキサゾリン 合成法の開発と -グリカン(アスパラギン結合型糖鎖)の 生合成に関する研究(ハーバード大学病院の Roger W.
Jeanloz 教授グループとの共同研究)など,たいへん挑戦的 なテーマで研究させていただいた.幸いにも6報になる研究 成果を得,「世界でも戦える」という大きな自信につながっ た.もう一つの大きな収穫は,新しい研究テーマとの出会い である.その1つは「細菌内毒素Lipid Aの構造と免疫調節 活性に関する研究」,その2は,今日まで研究室の中心的研 究課題の一つとなっている「スフィンゴ糖脂質ガングリオシ ドの構造と細胞機能に関する研究」であった.当時,隣のラ ボでは,西島正弘博士(現・日本薬学会会頭)が Christian R. H. Raetz 教授のもとで,大腸菌Lipid Aの生合成中間体 の研究をしておられた.一方,ドイツの研究グループがサル モネラLipid Aの推定化学構造を報告した.また同じころ,
コレラ毒素とガングリオシドGM1の結合機序が解明されつ つあり,いずれの研究も世界的な注目を浴びていた.1978 年末に帰国後,先行するムラミルジペプチド (MDP) の構造 活性相関研究(阪大医学部の東 市郎,山村雄一教授グルー プとの共同研究)に加えて,Lipid A関連化合物の人工合成 に取りかかった.
細菌内毒素活性部位Lipid Aの構造と免疫調節活性
ペプチドグリカン2糖ユニット構造の合成,ならびに Lip- id A 関連化合物の人工合成第一報を報告した1980年は,岐 阜大学創設以来の大統合移転の前年で,まさに必死の毎日で した.それでも「世界へ!」の思いが Xth ICS (Sydney)
へ駆り立てた.この年,長谷川先生はご家族とともに米国パ デュー大学で sabbatical year を過ごされていた.今から思
えば,横目でニヤッと笑いながら筆者や学生たちの力量を試 されていた.頑張った甲斐あって,1982年,阪大理学部
(芝 哲夫研究室)の楠本正一先生とともに,米国Kansas Cityで開催された ACS Symposium “Bacterial lipopolysac- charides ― Structure, Synthesis, and Biological Activities”
に招聘された.その内容は著書(7, 8) に掲載され,翌1983年 の農芸化学奨励賞「免疫調節活性を有する細菌細胞表層複合 糖質成分の有機合成化学的研究」につながった.そして 1984年の XIIth ICS (Utrecht) でLipid A誘導体の構造活性 相関について発表後,長谷川,上野両先生と院生2人ととも に,サンド社(Kdoを介して Frank M. Unger 博士と共同 研究)とドイツ・フライブルグのマックスプランク免疫科学 研究所を講演訪問した.当時研究チームを率いておられた Otto Lüderitz 博士との再会は今も記憶に新しい.幸運にも 右目網膜剥離の手術から無事生還したこの年の秋,留学時代 の恩師Anderson先生ご夫妻がJSPSの招聘教授として岐阜 大学に滞在された.大学院講義や第12回炭水化物研究会講 演 “Chemical synthesis and biosynthesis of cell-surface car- bohydrates carrying biological activities” などを通じて,学 生たちと一緒に楽しく充実した時間を共有させていただいた のが夢のようである(図
6
).1985(昭和60)年に特定研究「生物トキシンの基礎的研 究とその医学生物学への応用」がスタートし,MDP, Lipid Aならびに関連化合物の構造活性相関が明らかにされた.
Lipid A関連化合物の活性評価については,当時北里大学/
研究所の本間 遜教授,松浦基博博士(京大農化出身),熊 沢義雄博士はじめ多くの方々のお世話になった.また同年6 月に開催された日本農芸化学会主催の第7回ABCシンポジ ウム「細胞と分子レベルにおける生体認識」(世話人;山田 康之,藤田稔夫)(9) において「分子レベルにおける細胞表層 物質」として中間成果をまとめ,いくつかの候補化合物につ いては,MDPおよびGLAアジュバントとして臨床応用研究 を推進した(10).そのうちGLA-60 ( , )(11) (図
7
)が生化学 用試薬として商品化された.奇しくも,2011年度のノーベ ル生理学・医学賞は,エンドトキシン (LPS) の膜受容体(Toll-like receptor 4 ; TLR4) およびペプチドグリカン受容 体 (TLR2) を含む「自然免疫の活性化に関する発見」に授 与された.楽しく研究をさせていただいた当時の思い出がよ みがえる今日この頃である.
シアル酸,セラミド,そしてガングリオシド合成へ
1978年末アメリカから帰国後,MDPとリピドAの構造活 性相関研究を推進しながら,シアロ糖鎖とガングリオシド合 成に向けて準備を始めた.しかし当時の研究室にはシアル酸 もセラミドもなく,一から新しい合成法を開拓しなければな らなかった.海の物とも山の物ともわからない物質の研究が 成功するかどうかはやってみないとわからない.Lipid Aの とき以上に産みの苦しみを味わう毎日であった.折から,
1979年の「代謝」(Vol. 16(5), 中山書店)に特集「シアル 酸」が掲載された.冒頭の「新展開するガングリオシド研 究」(永井克孝,安藤 進,岩森正男)に始まるレビューに,
「今後への展望」として,「ガングリオシドの機能研究は,こ れからますます盛んになっていくであろう.しかし,レセプ ター機能をとってみても,率直なところ細胞膜表面のガング リオシド分子が,細胞活動の特異的活性化とその制御にかか 図6■1984年秋,留学時代の恩師Laurens Anderson教授ご夫
妻とともに(岐阜県百年公園にて)
図7■MDPおよびリピドA単糖類 縁体GLA-60 ( , ) の構造
わっているという直接的な証拠はまだほとんどないといって よい.―(中略)―しかし,いったい細胞膜の脂質2分子層の 外層に位置するガングリオシド分子が,どのようにして外か ら与えられた情報刺激を細胞内部へと伝達しうるのかという 根本的な難問が次に控えている」と,また「シアル酸の免疫 学」(内貴正治)には,「シアル酸の研究は,東京大学の山川 教授のウマ赤血球からのシアル酸の分離,およびケルン大学 のKlenk教授による脳組織からのシアル酸の分離によって始 められ,その後ノイラミニダーゼの発見により急速に進歩 し,あらゆる細胞表面にシアル酸が存在することが明らかに された」と記されている(詳しくは,山川民夫著「糖脂質物 語」,講談社学術文庫562を参照).この「根本的な難問」を 解き,「シアロ糖鎖の細胞機能」を究明するためにはどうす れば良いか? それには,ガングリオシドおよびその誘導 体・類縁体の系統的な合成法を開発し,それらを分子プロー ブとして異分野融合的な共同研究を展開することが重要では ないか.このような考えから,1986年にスフィンゴシン・
セラミドの新合成法(12, 13) を,1988年には,シアル酸のチオ グリコシドをドナーとするシアロ糖鎖の新構築法(14〜17) を開 発し,系統的なガングリオシド合成に挑戦することになっ
た(18, 19).スフィンゴシン・セラミドの合成には,3人の女子
学生(JN氏は女子の修士第一号,AN氏は第二号,YT氏は 学士でしたが,後に博士号を取得)の貢献があった.3人と も結婚して2児の母親となられたが,今も研究・開発の仕事 を続けている.昨今,男女共同参画プロジェクトが推進され つつあるが,彼女らの活躍を誇りに思う.合成スフィンゴシ ンは早速,花田・西島ら(前述)との共同研究に供され た(20).一方,世界で初めてアセトニトリル効果による
α
-優 先的シアル酸配糖体の合成例を報告した論文(文献14 ; 2010 年10月現在の被引用回数*
1 152回)は,当時,内容があまりにも斬新で独創的であったせいか, 誌
に掲載を拒否された.しかし,この発見こそがその後のガン グリオシド合成に大きな貢献をすることになる.そしてそれ を実践した文献15が「Synthetic Studies on Sialoglycocon- jugates, Part 1」となった.
糖鎖工学と糖鎖生物学の台頭
1988年はたいへん実りの多い年であった.5月に日独シア ル酸シンポジウム(世話人:Roland Shauer, 山川民夫)が ベルリンで,7月に第11回糖質シンポジウム(世話人:長谷 川 明)が岐阜大学で,さらに8月には XIVth ICS がス トックホルムで開催された.岐阜大学では,当時修士のTM 氏(現・花王)が「糖脂質ガングリオシドおよび類縁化合物 の合成研究」を,理研グループ(伊藤幸成,小川智也)は
「隣接基関与を利用したシアル酸の立体選択的グリコシル化 反応」をそれぞれ発表した.ICS (Stockholm) では,長谷川
先生が代表して 「Regio and stereo selective synthesis of - acetylneuraminic acid glycosides and their conversion to gangliosides」 を講演された.古く R. Kuhn(ハイデルベル ク大学,1938年ノーベル化学賞受賞)の時代から課題と なっていたシアロ糖鎖・糖脂質の効率的合成法が,日本の農 芸化学者たちによって開発されたのである.このようにして スフィンゴシン・セラミドとシアロ糖鎖を手中にした私たち は,次 に 系 統 的 な ガ ン グ リ オ シ ド 合 成 を 進 め て い っ た(1〜3, 18, 19) (図
8
).なかでも,がん関連糖鎖抗原を担持する シアリルルイスX(sLex) ガングリオシド(図9
)の世界初全 合成の成功(ICS Yokohama, 1990年発表)(21, 22) は,炎症と がん転移という当時世界で最も注目を集めた白血球接着分子 セレクチン (selectin) の糖鎖リガンドの解明に大きな貢献 を し ま し た.こ の 成 果 は,文 献23(*
1237回),文 献24(
*
1302回),文献25(*
1601回)などの高頻度被引用論文と なって世界に発信され,現在でもなお活溌な応用研究が進行 している(23〜25).さて,1988(昭和63)年の7月に岐阜大学で開催された第 11回糖質シンポジウム(年会)の最中に,主催団体である
「日本炭水化物研究会」は「日本糖質学会」に会名を変更し,
現 在 の 日 本 糖 質 学 会 (The Japanese Society of Carbohy- drate Research ; JSCR) が発足した ( , Vol.
3, No. 1, 1999 ; 20周年記念特集号参照)(図
10
).この変更 は,糖鎖工学や糖鎖生物学の台頭によるところが大きい.翌 1989(平成元)年には,京大農化出身の故・川口吉太郎博 士,ジョンス・ホプキンス大学の Y. C. Lee 教授らによって Forum : Carbohydrates Coming of Age (FCCA) が結成され, ( )
誌が創刊された. 誌は1997年に日本糖質学会の Offi- cial Journal となった.この辺の経緯については , 11
(60), 239 (1999) を参照されたい.そして糖質科学と糖質工 学の高まりのなかで,後述する重点研究「ガングリオシド」
がスタートした.
ICS Kyoto(1976年)以来の記念すべき国際会議となった のが,XVth ICS Yokohama (1990) である.私たちが発表 した 「Total synthesis of tumor associated glycolipids, sialyl Lewis A and Lewis X」 はたちまち反響を呼び,その年の12 月に Mina A. Nashed 博士(マディソン時代の同僚,当時 Glycomed Inc. 研究員)がアメリカから岐阜大学まで合成サ ンプルを取りにやって来た.James C. Paulson博士(シアロ 糖鎖の機能研究では世界的リーダーの一人)からは国際電話 がたびたびかかってきた.両研究グループには,6糖からな る (1)
α
(2→6)sialyl Lewis X ガ ン グ リ オ シ ド,(2)α
(2→3)sialyl Lewis X ガングリオシド,(3)
α
(2→3)sialyl Lewis X の (2-trimethylsilyl)ethyl グリコシド体の3サンプ ル(各1 mg)が供与された.国内では,愛知がんセンター の神奈木玲児博士との共同研究が始まった.実際にこれらの 貴重なサンプルを世界で初めて合成してくれた亀山昭彦氏 は,企業に就職しながら,1991(平成3)年に設置された岐 阜大学大学院連合農学研究科(博士後期課程:岐阜大学,静*1被引用回数は2010年10月現在のデータ
岡大学,信州大学の3大学連合大学院)に入学し,一連の研 究成果を「生体機能性糖脂質ラクト系ガングリオシド類の系 統的合成研究」として博士論文にまとめ,小川祐示氏の
「Synthetic and biomedical studies on bacterial endotoxin lipid A(細菌内毒素成分リピドAの生物有機化学的研究と 医学・生物学への応用)」,近藤昭宏氏の 「Development of fluorescence labeling method of sugar chains and its appli- cation to glycoengineering(糖鎖蛍光標識法の開発と糖鎖工
学への応用)」とともに,1994年3月,連合農学研究科第一 期修了生として博士の学位を取得した.長い間の夢が漸く実 現したのである.
話 は 少 し 前 後 す る が,1990年 の ICS Yokohama の 後,
Fuji ʼ90 Post-symposium 「Recent Progress of Synthetic Methods in Carbohydrates and Their Applications to Me- dicinal Chemistry」 (Aug. 18‒21, The Fuji Training Insti- tute Susono City, Shizuoka, Japan. 世話人:須網哲夫,長谷 図8■代表的な合成ガングリオシド分子プローブの構造と生体機能
図9■シアリルルイスX(sLex)ガン グリオシド
sLexは炎症性細胞接着分子セレクチ ンのリガンド糖鎖である.
川 明,小倉治夫)に世界の糖化学者が集結した.和気あい あいとしたなかにも熱気に満ちた素晴らしい会であった.み んなで富士山登山にも挑戦した.発表内容は著書(19) (図
11
) として出版され,当時の糖質化学研究の一里塚となってい る.このように糖鎖の分析・再構成(合成)技術は,1990 年代に入り化学法・酵素法ともに格段の進歩を遂げ,その象 徴として『糖鎖工学』(小川智也,木幡 陽,渋谷直人,鈴 木 旺,永井克孝編,産業調査会バイオテクノロジー情報セ ンター,1992)が4省庁の後援で出版された.またこの頃,日本農芸化学会においても「糖鎖工学」が年会の新しいセク ションとして加わった.また当時の米国ではすでに Society for Glycobiology が創設され,その official journal として
誌が発刊されている.
世界への挑戦,世界との共同研究
1991年の夏,長谷川,上野,筆者らは,ボストンの北,
ニューハンプシャー州ティルトン・スクールで奇数年に開催 さ れ る ゴ ー ド ン 会 議 (Gordon Research Conferences ;
Carbohydrates, June 24‒28) に出席した後,11th Interna- tional Symposium on Glycoconjugates, Toronto, June 30‒
July 5 に参加した.われわれが合成した sialyl Lewis X
(sLex) ガングリオシドとその糖鎖を用いた糖鎖生物学への アプローチは,前述した歴史的論文となり,その後の白血球 接着分子セレクチンの糖鎖リガンド研究を牽引した.当時の 旅の資料を調べていたら,懐かしいMS氏(現・東大理学部 教授,2009年度猿橋賞受賞者)の手紙が出てきた.この年,
HS氏とMS氏ご夫婦(当時ペンシルベニア大),YT氏ご夫 婦,KK氏とKK氏ご夫婦がアメリカに,OK氏とYK氏ご夫 婦(当時アルバータ大)がカナダにおられ,また石田秀治氏
(1988年に助手採用,1993年助教授,2004年から教授)夫妻 は,糖鎖合成,特にイミデート法で世界的に有名なRichard R. Schmidt教授(ドイツ・コンスタンツ大学)のもとへ旅 立った.この年,計9名の卒業生が夫婦で「世界へ!」を実 践していたのである.そして1992年のXVIth ICS(Paris)
では,長谷川先生の招待講演を含めて11演題(世界最多)
の発表を行うことになった.
さて,話を本題に戻そう.1989年(平成元年)に永井克 孝先生(当時,東京都臨床医学総合研究所)を代表としてス タートした「ガングリオシド糖鎖情報の解読と細胞機能の制 御」は,オール日本のガングリオシド研究者が集結して平成 2(1990)年度の重点領域研究の一つとして採択され発足し た.平成3年3月に出版された「総説集」を見ると,ミニレ ビユー「糖脂質ガングリオシド類の系統的合成と生体機能の 解析」(26) がある.班員の大部分は医学・生物学,薬学領域 の研究者であったが,化学合成班の代表者には,森 謙治
(東大農),磯部 稔(名大農),小川智也(理研・東大農), 長谷川 明(岐阜大農)らの農芸化学者が名を連ねた.この ように,糖鎖・複合糖質の合成(再構築)技術は広範な糖鎖 生物学研究へと組み込まれ,数多くの研究成果を産み出し た.この頃になると,白血球接着分子セレクチンのリガンド 研究は分子から原子レベルでの構造活性相関研究へと展開 し,B. K. Brandley博士らとの共著論文(27) (
*
1183回),T.Feizi博士らとの共著論文(28) (
*
1174回)など新たな進展が あった.さらに平成5(1993)年度から齋藤政樹先生(北 大・医)を代表とする「糖鎖遺伝子とその生物機能」に引き 継がれ,あらゆる糖鎖・複合糖質を標的とした体系的な糖鎖 工学・糖鎖生物学研究へと展開していった.翌1994年,ジョンス・ホプキンス大学の Y. C. Lee 先生からのご依頼
で, 誌に,それまでのガングリオシ
ド合成に関する研究成果を取りまとめた(29).40頁にわたる 力作であった.またこの年,5人の研究者仲間によって『糖 鎖の科学入門』(30) を上梓し,糖鎖研究の啓蒙書とすること ができた.XVIIth ICS (Ottawa, 1994) では,長谷川先生の 招待講演を含めて12演題(連続世界最多)の研究発表を 行っている.
1995年度の研究成果報告書には,「生理活性複合糖質のデ ザイン合成」として,(1) 硫酸化シアリルルイスXの化学合 成と各セレクチンとの結合活性(3),ならびに (2) ポリシア 図11■糖質科学研究の一里塚.山川民夫博士の序文とともに
図10■1988年から1989年にかけて,「日本炭水化物研究会」は
「日本糖質学会」に改名した
ロガングリオ系ガングリオシド,特にGQ1b(図
12
)の全合 成(1, 2, 31, 32) がある.当時GQ1bの細胞機能として神経突起形 成作用が報告されており(33, 34),新たな医療への応用展開が 期待されたが,サンプル量が少なく,実践的アプローチには 至らなかった.また「糖鎖生物機能の分子的解析と応用」と して,(1) セレクチン・ファミリーのリガンド糖鎖をモチー フとした新しい細胞接着阻害剤(たとえばGSC-150, カネボ ウ医薬研との共同研究)の開発と応用研究(3, 35),(2) コリン 作動性ニューロンに特異的に発現するChol-1(α
-シリーズ)ガングリオシド(たとえばGQ1b
α
)の合成とミエリン結合 糖タンパク質 (MAG, Siglec-4) の高親和性リガンドに関す る研究(3) (ジョンス・ホプキンス大の Ronald L. Schnaar 博 士らとの共同研究(36)),(3) がん細胞のシェディング現象に 基づくガングリオシドによる免疫抑制作用(Stephan La- disch博士らとの共同研究, , 34, 1197, (1995))など,数々の先駆的・先導的研究成果が得られていたことが わかる.この年,長谷川 明先生は「糖鎖生物機能の分子的 解析と生命科学への応用」(1, 2) で日本農芸化学会功績賞を,
小川智也先生が「複合糖質に関する合成研究」で日本農芸化 学会賞を受賞された.日本のみならず世界の糖鎖・複合糖質 の化学合成を牽引されてきた二人の農芸化学者が同時に学会 賞を受賞されたことは真に喜ばしい出来事であった.
この年の夏,箱守仙一郎 (Sen-itiroh Hakomori) 博士を chairmanとして,XIIIth International Symposium on Gly- coconjugates, August 20‒26, Seattle, USA, 1995 が Westin Hotel で盛大に開催された.たいへんな盛況で,糖鎖生物学 の勃興に疑う余地はなかった.大会に引き続き,satellite symposium : International Symposium on Sphingo(glyco)- lipid Function (August 26‒28, Port Ludlow Resort) が開催 された.終日寝食をともにしながら,国内外の糖鎖生物学者 と膝を交えて交流できたこと,たくさんの新しい友人ができ たこと,そしてその後の共同研究のきっかけができたことは たいへん有意義であった.この会は,翌1996年に岐阜で開 催された The Gordon‒Naito Conference on Structure and Biological Function of Glycolipids and Sphingolipids (Sep- tember 29‒October 4, 1996, Gifu, Japan) へと引き継がれた.
私たちのグループは 「Sialoglycoconjugates, synthesis and biological importance」 のタイトルで講演を行った.ゴード ン会議の直後(10月5日),Roger A. Laine (Louisiana State Univ.), Robert K. Yu (Virginia Commonwealth Univ.), Su-
Chen Li (Tulane Univ.), Ole Hindsgaul (Alberta Univ.), Ronald L. Schnaar, Brian E. Collins (Johns Hopkins Univ.), Stephan Ladisch (George Washington Univ.) ら と「Gifu ʼ96 Post-Gordon Symposium ; Structure and Function of Glycolipids」 を長良川国際会議場にて開催した.岐阜県内外 からたくさんの方々に参加していただき,たいへん盛況で あった(37).このとき私たちは,目標としてきた「世界に認 められる糖鎖研究チーム」が岐阜の地にあることを実感して いた.
予期せぬ出来事,そして再出発
人の一生は本当にわからないものである.風邪一つ引かな いよといつも自慢をしておられた長谷川先生が,1996年10 月10日,スキルス性胃がんがもとで亡くなった.エーザイ 川島での Gordon‒Naito Conference と長良川国際会議場で の Gifu ʼ96 Post-Gordon Symposium の開催中,先生は大学 病院にて病気療養中であったが,研究室一丸となってこの難 局を乗り切った.しかしその1カ月後,筆者もついに過労で 倒れ,しばしの入院を余儀なくされた.それでも夜な夜な ベッドの中で論文を書き続け,研究成果を世界へ発信し続け たが,Stephen Hanessian 博士ならびに Zbigniew J. Witc- zak 博士から依頼された文献38, 39は,長谷川先生との連名 で著した最後の著作となってしまった(38, 39).
年が明けて1997年の3月,「しょくせい会」(植物成分化学 講座をルーツとする同窓会)のメンバー全員を発起人として
「長谷川先生記念事業会」が発足,同年9月28日,岐阜ル ネッサンスホテル(現・岐阜都ホテル)においてメモリアル 講演会ならびにメモリアルパーティーを開催し,同時に,記 念誌「AKIRA」を発刊した.「AKIRA」の第一部では,長 谷川先生の先輩であり,また研究の良き理解者でもあった上 野良光先生,栗原紀夫先生,L. Anderson先生,そして共同 研究の良きパートナーであった Y.-T. Li 先生,Ten Feizi博 士,R. L. Schnaar 博士からのメッセージを,また第二部で は,柴田久夫先生(信州大)と黒川隆史氏から京大時代の,
つづいてポスドク,卒業生の皆さんからは岐阜大学時代の思 い出を,時代を追って写真とともに寄稿していただいた.最 後にカナマイシンの全合成からシアロ糖鎖とガングリオシド に至る糖鎖研究の歩みと研究業績を掲載し,追悼文集とし
図12■ガングリオシドGQ1b ガングリオシド合成の最高峰とされ,
岐阜大学の長谷川隊が世界初登頂に 成功した(文献31, 32).2009年,今 村らにより新しい登頂ルートが開拓 された(文献48).
た.折から,あたりには稲穂が頭(こうべ)を垂れ,田んぼ の土手には満開の彼岸花が真っ赤に咲いていた.
目標としてきた「世界に誇れる糖鎖研究チーム」が岐阜大 学にできたことを実感した私たちであったが,一方で長谷川 先生の突然の逝去という大きな悲しみにも遭遇した.筆者の 受けた心的障害 (PTSD) は計り知れず,健康問題を抱えて の再出発はいばらの道であったが,1997年のゴードン会議 で の 招 待 講 演 「Cell Adhesion Carbohydrate Ligands : Synthesis and Biological Significance」 を起死回生の思いで 行った.一方,日本糖質学会 (JSCR) 評議員として,長谷 川メモリアルパーティーで皆様からいただいたご芳志をもと に,日本糖質学会奨励賞の創設を発案させていただいた.世 界,特にアメリカに長く滞在された長谷川先生の若手研究者 育成に対する夢は大きく,巣立って行った同窓生の皆さんと 奥様のご賛同を得てJSCRに「長谷川基金」(今は「長谷川・
吉村基金」となっている)を創設させていただいた.
, Vol. 2, No. 1 (1998) の第一面は,「平成10年度
(第1回)日本糖質学会奨励賞 受賞者決まる」という大見 出しから始まっている.生物系から岡 昌吾博士(京大・
薬),化学系から西村紳一郎博士(北大・理)が第1回受賞 者に選ばれた.そしてうれしいことに,第3回(平成12年 度)奨励賞は本学修了生の蟹江 治博士(当時,三菱生命科 学研究所)が,「糖鎖機能への合成化学的及び分析化学的ア プローチ」で受賞した.彼がシアル酸のグリコシド合成の歴 史的論文(文献14)の1stオーサーであることは前述したと おりである.また,シアリルルイスX/Aガングリオシドの 世界初全合成を達成した亀山昭彦博士(産業技術総合研究 所)が「機能性複合糖質の合成と分析に関する糖鎖工学的研 究」 で 第8回(平 成17年 度) 奨 励 賞 を,つ づ い て,現 在 iCeMS岐阜サテライトラボの準教授として活躍している安 藤弘宗氏が,「化学的構築の難しい糖鎖の合成に有用な手法 の開発と応用」で第10回(平成19年度)奨励賞に輝いた.
次 に,国 際 誌 ( , Marcel Dekker, Inc.) の Regional Editor の引き継ぎを行った後,
Donald E. Kiely 博士(農化,67, 1461, (1993))をはじめ多 くの関係者のご協力を得て 「Hasegawa Memorial Issue」
(Vol. 17, No. 4 & 5 (1998)) の編集を行った.Kiely先生は,
長谷川先生のNIH留学時代の同僚で,1982年に (Vol. 1, No. 1) を創刊し,2003年までEditorを務められた.当時私
たちにとって は, ( ) 誌と並
んで,研究成果の発信基地のような存在であり, では恩 師 L. Anderson 先生に, では D. Kiely 先生に本当にお 世話になった.両先生の暖かいご支援に心から感謝申し上げ る.
この時期もう一つ重要な仕事が残っていた.それは,生理 活性糖鎖研究法(35) の編纂である.1996年に駒野 徹先生
(京大・農化)からご依頼を受けたものでしたが,長谷川先 生の突然の逝去によって中断を余儀なくされていた.執筆者 の方々のご協力のおかげで1999年の春,漸く上梓すること ができた.この間,インフルエンザウイルスによるシアロ糖
鎖結合特異性,セレクチン(l-セレクチンの内在性リガンド として 6-sulfo sialyl Lewis X 同族体を同定した)やMAGの 高親和性リガンド(ガングリオシドが myelin-associated glycoprotein (MAG) の神経リガンドであることを明らかに した)に関する研究が進展し(3),1996年から1999年の4年 間に合計77報の原著論文を世界に発信することができた.
こうしたなかで,石田秀治氏が1998年度の農芸化学奨励賞 に輝いた.受賞課題は「セレクチンブロッカーを中心とした 生理活性複合糖質の分子設計と合成に関する研究」であっ た.この年も,夏の XIXth ICS (San Diego) で8演題,秋 の International Symposium on Sialobiology and Other Novel Forms of Glycosylation (Taipei) で4演 題 の発 表 を 行った.「世界へ!」の気概は少しも変わってはいない.
「世界から」の評価,そして21世紀への挑戦
20世紀最後の年,木幡 陽先生をchairmanとして,第15 回国際複合糖質シンポジウムが東京で開催された.日本糖質 学会も日本応用糖質科学会もオール日本で全面的に協力し た.会は glycoscience, glycotechnology, glycobiology のあ らゆる分野の研究者が国内外から集結して大盛況であった.
このような状況のなか,幸運にも,それまでの膨大な研究実 績を基に「新しい生理活性複合糖質の発見と機能に関する基 礎的研究」(2000年度基盤研究A)を立ち上げることができ た.この研究課題は,[1] インフルエンザウイルスが見分け る糖鎖と宿主域 ( , 74, 11825 (2000)) の分子的解明,
[2] 白血球接着分子「セレクチン」が認識する糖鎖の構造と 機能の分子的解明,[3] 新しいシアル酸認識レクチン「シグ レック」の高親和性リガンドの構造と分子認識機構の解明,
[4] 破傷風毒素のレセプターと構造生物学的研究から構成さ れ,それまでの成果(3) を格段に発展させる内容であった.
この年の夏,XXth ICS (Hamburg) において,招待講演
「New sulfated gangliosides : synthesis and novel biological functions」(40) を含めて9演題の発表を行った.「世界へ!」
の挑戦は続いていた.
さて,2001年11月15日の朝パソコンを開くと,次のよう な文章で始まる一通のメール 「Welcome to ISIHighlyCited.
com」 が届いていた.
Dear Dr. Kiso :
In a series of essays published over the years in Current Contents, ISI identified the worldʼs most Cited authors ― comprising less than one half of one percent of all publish- ing researchers. ISI has renewed this effort by creating a new list of Highly Cited Researchers based on the impor- tant scientific developments of the last two decades. The recognition of your contributions by your fellow scientists, reflected in the outstanding number of references your pa- pers have garnered, has placed you in this group.
―
しばらくして,ISI社からHighly Cited Researchersの一人 であることを証明するcertificate(図
13
)が送られてきた.全く予期せぬことではあったが,これはまさに「研究チーム の成果」に対する評価であり,チームを率いる者としてたい へん励みになった.実際1981年から2001年の20年間に発表 された原著論文数は,長谷川先生が342報(2001年6月現在 の被引用回数
*
26,508回),筆者が362報(*
26,331回)で,こ の中には,前述した多くの高頻度被引用論文が含まれてお り,独創性や先駆性のみならず,国内外の研究者との共同研 究を積極的に推進してきた結果でもあった.長谷川先生から 引き継ぎ発展させてきた「世界へ!」の精神は,いま「世界 から」高い評価をいただいた.そして,世界に認められた岐 阜大学糖鎖科学研究チームは,2002年度の日本農芸化学会 賞に輝いた(41).この年の夏,XXIth ICS (Cairns) におい て,チームを代表して,プレナリーレクチャー 「Synthetic ganglioside probes : versatile tools for elucidation of carbo- hydrate functions」 を行った.翌2003(平 成14) 年 か ら,戦 略 的 創 造 研 究 推 進 事 業
(CREST) の「糖鎖の生物機能の解明と利用技術」(研究領 域代表:谷口直之・阪大教授,現・理化学研究所)に採用さ れ,山本憲二(京大・生命,現・石川県立大),長束俊治
(阪大・理,現・新潟大),西河 淳(東京農工大)らととも に,課題研究「感染と共生を制御する糖鎖医薬品の基盤研 究」に取り組んだ.この間に,待ちに待ったMALDI-TOF 質量分析計を導入することができ,また初めて外部資金によ る博士研究員やドクターコースの学生の雇用が可能になっ た.地方の大学にとって本当にありがたいことで,何人もの 若手研究者が「ベースキャンプ」を巣立っていった.2004 年 に は,US/JAPAN GLYCO 2004 (Joint Meeting of the Society for Glycobiology and the Japanese Society of Car- bohydrate Research, Honolulu) の開催に参画し,さらに
2005年からは,基盤研究 (S)「人工複合糖質プローブの創 製と高次生命機能の制御」(2005 〜2009年)をスタートさせ た.このプロジェクトでは,石田秀治・安藤弘宗らによる
「ガングリオシドを中心とした人工複合糖質プローブの実践 的合成法の開発と革新的利用技術の創出」(42) がメインテー マとなったが,従来から継続する「インフルエンザウイルス の感染機構の解明と制御」(43),「セレクチン結合糖鎖による がん・炎症の制御」(44),ならびに「高親和性siglecs結合糖鎖 リガンドの創製と免疫制御」(45〜47) に関する研究,さらには
「自己免疫性神経疾患の分子機構解明と制御」(結城伸泰らと の共同研究)ならびに「機能性プロテオグリカンのプローブ 化」(矢部富雄らとの共同研究)が新たに加わった.その翌 年には,シアル酸とシアロ糖鎖に関する国際会議 「Sialogly- coscience 2006」(三島市)を,鈴木康夫先生(当時,静岡 県大),北島 健先生(名大)とともに開催することができ た(図
14
).この間 2005 〜 2009年に6名の博士が誕生し,現在iCeMS助教をしている今村彰宏氏は,長年の課題で あったガングリオシドGQ1bの実践的全合成に成功した(48). 澤田敏彦氏(愛知教育大出身)は,糖鎖と受容体の結合解析 に Fragment Molecular Orbital (FMO) Method を導入し て,インフルエンザウイルスの結合様式の計算化学的アプ ローチに挑戦した(49).薬学部出身のMagesh Sadagopan氏
(インド,2005 〜2008) は「Design and Synthesis of Isoform Selective Human Sialidase Inhibitors」(50) で,ま たHajjaj Mohamed Abdu-Allah氏(エジプト,2006 〜2009)は 「Design and Synthesis of Novel Sialosides as CD22-Inhibitors for SAR Studies and Application for B Cell Targeting」(47) でそ れ ぞ れ 博 士 号 を 取 得 し,現 在 Bioorganic and Medicinal Chemistry を指向する糖鎖創薬研究(51, 52) へと進んでいる.
2009年9月には,第29回日本糖質学会年会を21年ぶりに岐 阜(高山)で開催させていただき,また2007年10月からは,
文科省WPIプログラムの一つ「京都大学 物質‒細胞統合シ ステム拠点 (WPI-iCeMS)」のサテライトラボとして,世界 トップレベルでの先端科学研究と人材育成に取り組んでいる
(http://www1.gifu-u.ac.jp/~kassei1/).
*2被引用回数は2001年6月現在のデータ
図13■Highly Cited Researchers であることを証明するCer- tificate
図14■Sialoglycoscience 2006, Fifth International Confer- ence, Mishima, Japan, August 27‒30, 2006
最前列中央は,山川民夫博士と箱守仙一郎博士.国内外を代表す るシアル酸,シアロ糖鎖とガングリオシド研究者が集結した.
おわりに
以上,2009年頃までにわれわれの周辺で起きた糖質科学 研究の歴史的断片のいくつかを足早にたどってみた.そこに 脈々と流れる「強い思い」は,世界へ! というチャレンジ 精神であり,その具象化として,積極的な国際会議での発表 とたゆみない論文の作成(世界への発信! 現在までに,英 文の原著論文457編,著書42編,総説23編)を真摯に行い,
国内外を問わず,広く医学・生物学,獣医学,薬学,理学,
工学などの化学と生物・生命科学関連諸分野との連携と共同 研究を押し進めてきた.そしてそのなかで,さらに新しい課 題とニーズを見いだし,異分野融合的な研究の展開を図って いる.研究を進めるうえで,もう一つ重要なことがある(53). それは,個々の能力や努力を2倍,3倍に生かす「チームの 力」である.糖鎖合成という「物づくり」の世界は,有機合 成の中でも一種独特な職人芸的なところがある.そういう意 味ではアートであり,農芸化学の得意とする分野かもしれな い.合成された糖鎖・糖脂質は,GSCシリーズとして大切 に保管され,世の中に貢献する日を待っている.
謝辞:これまでに積み重ねられた膨大な研究成果は,研究室のスタッフ はもとより,数多くの卒業生と共同研究者の皆さんの総力によってなし えたものであり,深く感謝申し上げます.また側面から多大なご支援と 励ましを賜りました諸先輩方,企業ならびに関連学協会の皆様に厚くお 礼申し上げます.また,家族や友人の温かい励ましと協力なくしてはな しえませんでした.いつからか 「放下着」の心得と,「人の一生は重荷を 負うて遠き道を行くが如し,急ぐべからず……」で始まる徳川家康公遺 訓に学び過ごして参りましたが,今はそれらを若手の皆さん(図15)に
「つなぐ」ことによって,微力ではあったけれど,生かされ続けてきた 幸せを感じております.長谷川 明先生が亡くなって15年になります が,その御霊は,千の風になっていつも大きな空を吹きわたっているよ うな気がします.最後に,本執筆の機会を与えていただきました京都大 学大学院農学研究科の村田幸作先生,ならびに日本農芸化学会に心より 感謝申し上げます.
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図15■Todd Lowary博士と「若手の力」
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プロフィル
木 曽 真(Makoto KISO)
<略歴>1970年京都大学農学部農芸化学 科卒業/1975年同大学大学院農芸化学専 攻博士課程単位取得退学/岐阜大学農学 部農芸化学科助手,講師,助教授/同大 学農学部生物資源利用学科教授/同大学 応用生物科学部(改組)教授/2007年京 都大学物質―細胞統合システム拠点サテ ライトPI併任,現在に至る<研究テーマ と抱負>糖鎖・複合糖質の人工合成と細 胞機能の解明,ならびに医学・生物学と 創薬への応用研究<趣味>合唱,水泳,
庭いじり