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国連安全保障理事会の今後

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2003 年 2 月 5 日、米国のコリン・パウエル国務長官はニューヨークの国連本部に集まっ た諸外国の外相に向かって、イラクが国連安保理事会の意思に反抗し続けていることに対 して、もし安保理が効果的かつ即時に対応しないでおくなら、安保理は自らをとるに足ら ない存在に化する危険を冒すことになろうと警告した。

イラクを巡る危機は安保理にとって、まさに命運を左右する時に相当する、というこの 発言の意味するところを、西欧のメディアは大部分が額面どおりに受け取った。アナン国 連事務総長以下の国連の高官たちもそうした気持ちを表明し、国連に加盟する 191 カ国の 大部分も同様に感じたようである。安保理の内部に生じた分裂―米英対フランス、ロシア、

ドイツの間に生じた深い分裂―を克服できないことが、3 月半ばまでに明白になり、そのた め国際の平和と安全保障の分野に国連が果たす役割に、イラク危機が取り返しのつかない 打撃を与えている、という印象を強めた。しかしそうした懸念は、その後の事態では実証 されていない。

何の危機なのか

安保理がイラクについてコンセンサスを達成することができないことで、国連の信頼性 に致命的な打撃を与えるだろうという見解は、常に見当違いだった。1990 年代に、安保理 は、ボスニア(94-95 年)、ルワンダ(94 年)、コソボ(99 年)を初め、無数の危機に直面 し、それでも生き延びてきた。その時点では、そうした危機がすべて安保理にとって「正 念場」とみられ、そのどれ一つにおいても安保理が栄誉に包まれることはなかった。

しかし、最近のイラクを巡る紛争の安保理の取り扱いにみられるように、安保理のマヒ と機能停止は、国際政治の基本的な事実を反映するものだった。それは各国にはそれぞれ 自らの利害と価値観と見解があり、時としてそれが衝突するということである。しかし、

そのこと自体は、安保理をとるに足らぬ存在にするものではない。

ブッシュ米大統領は 02 年 9 月 12 日、国連総会で演説し、国連に対してイラクが過去の 決議を履行していない問題に本気で取り組むよう求めたが、それ以後の安保理の活動をよ く見てみると、安保理が国際政治のなかで小さな存在になったという考えは間違っている ことが分かる。事実、サッダーム・フセインの国際秩序に対する挑戦に、どう対応するの が最善かを巡って緊張が高まっている時、安保理は広範な領域で、極めて活発に活動を続

国連安全保障理事会の今後

イラク戦争の影響を測る

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けていた。02 年 11 月 8 日に決議 144 を可決 して以来、安保理は少 なくとも 44 件を下ら ぬ決議を採択した。こ の間、アナン事務総長 は安保理に、進行中の 任務とイニシアチブ について、およそ 40 件の報告を提出した。

イラクでの主要な戦 闘の終結宣言から 2 週間足らずの 03 年 5 月 13 日、安保理は平 和維持のための新た な使節団―国連コートジボワールミッション(MINUCI)の設置―を認可した。その二週間 余り後の 5 月 30 日には、急速に治安が悪化しているコンゴ民主共和国(DRC)東部のイツ リ地域の安定化を図るため、フランス軍主導の暫定緊急多国籍部隊を配備することを承認 した。意味深いことに、このいずれの場合も、米仏間の冷たい関係が、決定的な行動につ いての合意を妨害するものにはならないことを証明するものだった。実際、米国はアフリ カの手に負えないような流血の紛争に本格的に取り組むために、フランス主導の積極的な 措置を歓迎したのである。

戦後のイラクについては、安保理は予想よりはるかに困難なく、「食料と石油の交換計 画」をどのように終結するのが最善かについて合意に達した。また決議 1483 に基づき、国 連は人道的救援とイラクの再建、および代表者による統治のための全国と地方の制度や機 関の復活と確立について、重要な役割を与えられた。全体的に見て冷戦以来、血なまぐさ い安保理政治の最も激烈な分裂の時期の副作用でよろめいていたとみられる機関としては、

これは悪くない記録である。

しかし、1999 年コソボ作戦後の場合のように、普段どおりの仕事が再開された、と誇張 してはならない。決議 1483 は、国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)の設立の基礎になった 決議 1244 と表面的には似ているが、国連のイラクにおける役割については明確に「顧問的」

役割に限定している。その結果、高度に練達し有能な国連事務総長特別代表セルジオ・ビ エイラ・デメロ氏は、現地で決定する実権を何も持っていない。米英によるイラクの占領 は決議 1483 によって「留意」され「認識」されてはいるが、「権限を認めた」ものではな い。同時に、国連に対する米国の現政権の姿勢は煮え切らず、不確かで、懐疑的だ。しか し、そうしたことはあっても、安保理がその有用性以上のことに取り組み、国際問題に対

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する役目は落ち目になっているという意見は、綿密な吟味に耐えられるものではない。

まだ役に立つ

この理由は単純だ。常任理事国五カ国のすべてが、それぞれ違った形で安保理を他では 代替し得ない機関であるとしてその価値を認め、その外側からよりも安保理内部での方が しばしば効果的に自国の利益を追求できる特権的なクラブとして認めているからだ。イラ ク戦争に至るまでの安保理の政治は分裂し騒々しかったけれども、その現実は変わらず、

戦後のごたごたした余波のなかでも、それは変わらなかった。

常任理事国五カ国にとって安保理が依然利用価値があることは、英、仏、ロシアの場合、

とりわけ明白である。経済力か軍事力の投射力か、人口規模か、どの尺度でみるかはとも かく、五カ国の「大国」の地位の主張は、好意的に見積もっても薄弱である。しかし、安 保理常任理事国の地位は、この諸国に影響力と威信と権力を与えており、当然ながらこの 諸国はそれを放棄したがらない。中国は五カ国のうち、伝統的に最も活動的でなく、その パターンはイラク危機の最中も続いた。それでいながら、中国共産党の指導部は安保理常 任理事国の資格を重要なものとし、国際システムにおける中国の地位を正しく示すものと 見ていることは疑いない。

米国が国連を通じて国連と共に行動することの利益は、少なくとも表面上は、説明がそ れほど簡単ではない。米国が長い間国連に対して見せてきた愛憎相反の態度は、唯一の超 大国としての立場から一部説明できる。01 年 9 月のニューヨークとワシントンに対するテ ロリストの同時攻撃以後、米国は多国間主義に対する懐疑を強め、そこから、とりわけブ ッシュ政権のいわゆるネオコン(新保守主義者)層の間で、国連に対して警戒を強める結 果になった。

これらの傾向は現実であり、無視すべきではないが、国連に対する広範な支持が依然と してその背景にあると見るべきである。さらに重要なことに、米国の重要な政策立案者た ち、とりわけ国務省の内部で、国連を全く横に押しのけておくことは必ずしも米国の最善 の利益にならないという認識が強まっていることを示す証拠があることに鑑み、バランス をとって検討する必要がある。

イラクの主要な戦闘の公式な終結から約 2 カ月を経て、国連が持つ「正統性」の源泉と しての潜在的な価値、および戦争で引き裂かれた領地の管理行政を支援する専門的能力の ある機関としての価値が、一段と明白になった。占領諸国はいまだに国連を敬遠してはい るが、より実利的な態度を見せるようになった。ワシントンは明らかにセルジオ・ビエイ ラ・デメロ国連特別代表の任命に賛成し、積極的に促しさえした。デメロ特別代表の権限 は厳密に制限されているが、その権限の「創造的な解釈」に反対が起きる公算は少ない。

イラクの戦後の作戦に対する米国の計画が不十分だったため、じりじりとその代償が上昇 し、遠からず米本土で政治的な影響が起きる可能性があるからである。5 月、フランスの主 導するアフリカでの平和維持活動の開始を米国が進んで支持したことも、米国にとって国

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連が役に立つことを物語るもう一つの例である。米国は自らが主導してアフリカに大部隊 を展開する意思は無いが、アフリカを全く無視するわけにはいかない。そこで安保理を通 じて仕事をすることが、米国の広範な目的に役立つのである。

武力行使について安保理の明確な認可を受けずに開始した米国主導のイラク戦争は、皮 肉にも一般の国連加盟諸国にとって、国連の重要性を弱めるどころか、むしろ強める結果 になった。その基本的な理由は、主権の平等と領土の不可侵という基本原則を約束する国 連憲章を通じて、中小の国連加盟諸国と途上諸国が特に重要と考える保護機能を国連が果 たしていることにある。当否は別として、「イラクの自由作戦」は広くこうした原則に対す る脅威と見られたため、一般の加盟諸国にとっては国連の価値を改めて浮かび上がらせる 役目を果たした。しかし、だからといって、安保理の実行と機能が深く傷ついた、という 広範な感覚が取り除かれたわけではない。安保理改革問題は 1992 年以来、国連総会におい て長い間、一部の人にいわせればうんざりするほど、論議されてき問題ではあるが、それ でも最近の安保理内部の緊張と分裂の流れが安保理改革論議の再燃をもたらすことは、お そらく不可避であろう。

安保理事会の改革

むしろ、イラク危機が示したものは、安保理の実質的な改革、すなわち安保理の構成の 変更や拒否権の行使を律する規則の変更について合意に達することが、いかにありそうも ないかということである。国連総会が近く、必要な三分の二以上の賛成多数でこうした改 革を採択することは考えられないだけでなく、安保理の正統性を高めるための変更であっ ても、おそまつとはいえ今の理事会のような有効性が、むしろ損なわれる公算があること は明らかである。

言い換えれば、イラクを巡る危機は、1990 年代初期以来の安保理改革論議のほとんどに 見られた政治的なリアリズムの欠落を、鮮やかに浮き彫りにして見せた。(例えば、英国と フランスが EU の共通議席の方を重視して、安保理の常任理事国のイスを放棄する見込みが どれだけあるかを考えてみればよい)。

正統性の問題に、余り刺激的でない別の角度から取り組むため、1990 年代に手続き的な 改革、すなわち安保理の仕事のやり方をもっと「透明性」のあるものにする努力が払われ た。しかしイラク危機は、決定的に重要な利害がかかってくるようになると、どれほど簡 単に古い慣行と習癖が前面に出てくるかを露呈して見せた。決議 1441 の全会一致の採択に こぎ着けるまでの交渉の間、非常任理事国諸国は、常任理事国が非公式に打ち合わせて作 り出したいくつもの決議草案について、ニューヨーク・タイムズ紙を参照しなければなら なかった。

イラク戦終結で解放効果も

安全保障理事会によるイラク危機の取り扱いは、国際安全保障に果たす国連の今後の役

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割をどう判断するかについて、不完全ながらも案内図を提供してくれる。結局のところ、

イラク危機とは重要な諸国が、それぞれ自国の死活的に重要な利益が関わっていると考え る場所での危機だった。制裁と査察を巡る意見の不一致から、イラクが優に 10 年以上にわ たって安保理事会諸国間の分裂と緊張の源になることは確実だった。01 年 9 月 11 日テロ事 件は、とりわけ米国にとって、安保理の持つ特性と重要性を一段と高めただけだった。し かし、常任理事国五カ国の中核に触れる重大な利益がそれほど大きく関わらない時と場所 の場合は、安保理は討議と調整の場を提供し、国の行動に正統性を与える場として重要な 役割を果たすことができ、また、果たしているのである。

冷戦終結後のほとんどの時期、安保理の議題は約 70%までがアフリカ大陸の紛争に関す るものだった。この地域での業績は明らかに芳しくない。そのためもあり、アフリカは引 き続き安保理の支配的な議題となり、さらに今後何カ月も何年もそうなる可能性がある。

特に緊急に注意を払う必要がある紛争が三つある。アフリカでは 1990 年代の内戦が突然変 異のように再燃し、新たな諸国に広がっている。最も切迫した課題になっているのは(6 月 17 日にかろうじて休戦が発令されている)リベリアの紛争で、国連内部でも、この地域は 全体として取り扱う必要がある、との認識が強まっている。中央アフリカ、とりわけコン ゴ民主共和国(DRC)の東部ではイツリ州のブニアの町近くで最近数カ月間に大規模な暴力 事態が起こり、国の崩壊が激化している。包囲された国連コンゴ民主共和国ミッション

(MONUC)を援助するため、安保理で権限を与えられたフランス主導の多国籍部隊が配備さ れたが、これは暫定的で危険をはらむ措置であり、安保理はさらに一段の行動を要求され ることになろう。最後に、スーダンでの長い戦いがある。ここでは解決への進展が見られ ているが、「紛争後」支援と復興のため、引き続き国際的な関与が求められよう。

DRC 東部とコートジボワールでの活動について、03 年 5 月に安保理が合意に達したこと は、イラク問題が国連の議題から除かれたことを示し、さらに重要なことに、安保理諸国 内部の分裂の原因でなくなり、安保理の活動を解放する効果を与えた可能性があることを 示唆している。もし、これがそのとおりであることが判明し、アフリカがその主たる受益 者になるなら、安保理を巡る最近の激動の歴史から、何か良い結果が生まれたことになる だろう。●

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