ASEAN地域フォーラムと予防外交
−多様化する予防外交概念と地域的適用の模索−
日本国際問題研究所 神保 謙
序
1999年7月に開催された第6回ASEAN地域フォーラム閣僚会合(ARF)は、「予
防外交の概念と原則における進展に焦点を当てつつ、信頼醸成措置と予防外交の重複部分 を検討するよう、信頼醸成措置に関するISG(政府間会合)に要求」した1。本会合の議 長声明に記されたこの一文は、ARF参加諸国が予防外交の概念と原則について共通の認 識に達する必要性を共有したことを意味する。
1994年に発足したARFは、アジア太平洋地域における唯一の全域的な多国間安全保障 対話の場として、参加諸国間の対話と協議を慣例化してきた。第1回ARF議長声明が、
「アジア太平洋地域の信頼醸成と予防外交に向けての努力に重要な貢献を行う立場にあ る」ことを確認したように、ARFは発足当初より予防外交への取組みを念頭に置いてい た2。ARFにおける予防外交の位置づけは、ARFの将来の方向性を規定する基本文書と して第二回会合で提出された「コンセプトペーパー」に示されている。同文書ではARF の中期的アプローチとして、①信頼醸成措置の促進、②予防外交メカニズムの促進、③紛 争解決メカニズムの促進という三段階に沿って漸進的に進めることが示され、当面は信頼 醸成を重視することを謳った3。この「三段階アプローチ」に基づけば、第6回ARF会合 はARFが第二段階である予防外交にいよいよ踏み込んでいくことを宣言したことになる。
しかし、ARFにおける予防外交が、そもそもなぜ信頼醸成措置と区別して第二段階と して位置づけられ、具体的にどのような概念と原則に基づき、いかなる対象にどのような 手段で実施されるのか、という疑問に対して明確な回答を出すことは容易ではない。また ARFにおける予防外交の概念と原則を定め、諸措置の具体化が進んだとして、それがア ジア太平洋地域の安全保障にどの程度影響を及ぼすのか、そして、ARFに予防外交を導 入することは本来望ましいことなのかという課題は必ずしも十分に検討されていない。
そこで本稿は、まず予防外交の概念について、国連における議論とその派生を明らかに し、多様化した予防外交の概念を①概念の限定化と②強制手段の有無という視点から分類 する。次いでARFプロセスにおける予防外交の検討過程を政府間(トラックI)及び非 政府間(トラックII)の相互作用の観点から検討し、予防外交の「地域的適用」のプロセス を明らかにする。最後にARFが予防外交に取り組むにあたり、不可避的に生じる諸問題 について検討を行う。
1 1
11 予防外交の概念とその展開予防外交の概念とその展開予防外交の概念とその展開予防外交の概念とその展開
(1) 概念の曖昧性
予防外交は極めて曖昧な概念である。予防外交に関する議論が最初に直面するのは、「予 防外交をいかに定義するか」という課題である。しかし、幾多の論者による定義が試みら れようとも、予防外交の概念、原則、手段についてのコンセンサスを得ることは難しく、
また予防外交がいかに役立つかという予測評価、実施された予防外交がいかに役立ったの かという検証も困難である。これまで予防外交の議論は、常に「予防外交とはAと違うB である」という概念の限定(=アイデンティファイ)、また「何故紛争は予防され、予防外 交はいかなる位置づけにあるのか」という紛争予防観の相違という二重の問題が交錯して きたのである。
第一に「概念の限定」では、予防外交概念に「何を含み、何を排除するか」をめぐり、
広義・狭義それぞれの定義が議論されてきた。予防外交を最も広義に「紛争の発生を防ぐ ことに関わる全ての外交」と捉えた場合、開発、民生の安定、治安、環境問題など紛争の 近因・遠因を網羅的に扱うことになる。こうした非限定的な概念が国際政治を分析する上 で役立つかは疑わしい。逆に予防外交をより狭義に定義しようとした場合、対象となる紛 争、軍事的手段の有無、アクター、内政干渉の問題などをめぐる論者同士の対立点が浮上 する。
第二に「紛争予防観の相違」の最も根幹にあるのは、紛争が「なぜ生じないのか」とい う要因を分析することは一定の仮説に基づく以外にないことである。紛争が生じないこと は、それが第三者による外交的努力の為なのか、威嚇や抑止のためなのか、利得計算のた めなのか、当事者に意図が無いためなのか、これを検証することは困難である。そのため、
結局のところ、紛争が防止あるいは抑止されている状況を説明するには、一定の国際モデ ルを念頭に置かざるをえない。
冷戦期の核抑止論の安定性をめぐる議論にみられたように、「紛争が予防されている」状 態の解釈は国際関係がいかなるモデルによって安定しているかという見方によって異なる。
例えば、勢力均衡に基づく国際システムの安定を想定した場合、その手段としては軍事力 を中心とした抑止・対応能力が重視され、おおよそ予防外交が機能するのは抑止力を背景 とした場合に限られるとする4。また一方で、リベラル制度論者が想定する国際関係では、
経済的な利得や国際規範などが理性的な解決を促すことを強調するため、予防外交は当事 者の認識や良心に働きかけるような啓蒙的観点から論じられる場合が多い。近年のコソボ 紛争、ボスニア紛争においてNATO空爆の可否をめぐる双方の論者の対立と同様に、異な る国際政治モデルを念頭に置いた予防外交の議論は紛争の予防・拡大防止の考え方をめぐ り平行線を辿り、収拾がつかないことになりやすい。
このような概念の曖昧性と紛争予防観の相違という二重の制約を抱えながらも、冷戦後 の主要な国際社会の取組みとして、「予防」概念(予防外交・紛争予防等)に対する関心は
高まってきている。その最大の背景は、冷戦期の米ソ対立に基づく二極モデルが終結し、
頻発している地域紛争や国内紛争に対する新たな対策と政策枠組が求められていることに ある。そこでは米ソの勢力均衡論に基づく安全保障論の再検討が迫られ、大国間の戦争は 想定されないが中小規模の国家間紛争や国内紛争に対応するような新たな議論が求められ ているのである。実際、国連をはじめ、OSCEやOAU等の地域的枠組においても、紛 争をいかに外交手段によって予防・拡大防止するかという議論が活発に交わされている。
ARFが予防外交への取組みを模索しているのも、冷戦後の安全保障秩序を地域的な文脈 で追求する試みである。以下では、予防外交の概念の展開を追い、派生したいくつかの概 念を類型化する。
(2) 概念の展開
冷戦が終結した今日の「予防外交」に関する議論の契機となったのは、ガリ前国連事務 総長の『平和への課題』で提唱された紛争管理の概念である。『平和への課題』は紛争を武 力紛争の発生から収束にいたるサイクル論で捉え、それぞれの段階に対して予防外交、平 和創造、平和維持、紛争の平和構築という国連の介入の在り方を概念化した。同文書にお ける予防外交とは「当事者間の係争(disputes)の発生や現に存在する係争の紛争(conflicts) の発展を防ぐとともに、紛争が発生した場合の拡大を防止するための措置」として定義さ れ、その手段としては信頼醸成措置、事実調査、早期警報、予防展開、非武装地帯の設置 が挙げられている。ガリの予防外交の構想は、それまでの静かな防止外交から、国連が紛 争管理に積極的な役割を果たすという積極型予防外交への転化を目指していた。
アナン事務総長及び国連政治局は、それまで予防外交と括っていた活動を一般に「予防
行動」(preventive action)と呼称することを決断した。1998年に政治局で示された文章には
「外交は確かに紛争を予防するための一つの手段である。しかし近年の国連の活動は、予 防展開、予防軍縮、予防人道活動、予防平和創造など、他の効果的な紛争予防活動がある ことを示している」とあり、そこでは『平和への課題』における予防外交の手段として位 置づけられていた予防展開活動の切り離しと、予防軍縮及び人道活動などの概念が新たに 並列的に加わったことが示されている。また同文書では『平和への課題−追補』のように 予防外交と平和創造を一緒に扱うことはせず、分離して論じている。すなわち国連の予防 外交の議論は、予防活動の一形態としての予防外交という形に限定化されたのである5。 予防外交手段の限定化は、国連の予防外交活動の低下を意味するものではない。実際、
国連における Prevention という言葉が包含する対象は拡大し、開発、天然災害、環境、
犯罪、薬物などを含む多様な分野で用いられるようになった。既にガリ事務総長が1994年 に提出した『開発への課題』では、「予防開発」(preventive development)という言葉が用 いられ、「予防開発は予防外交を補完する」との認識の下に、開発の欠如が紛争や国家間の 緊張を招く原因となると述べている。またアナン事務総長は天然災害、貧困、地球温暖化、
武力紛争を人道的な挑戦として、これに対処すべき「予防の文化」(culture of prevention)
を促進していくべきだという認識を示している6。このように、国連は「予防」概念の裾野 を広げ、武力紛争のみならず様々な人間に対する脅威を予防の対象とし、またそれが武力 紛争の発生を予防するという早期予防(early prevention)の考え方を重視する傾向がみられ る。
(3) 予防外交概念の類型化
ガリの『平和への課題』以来、予防外交は多くの論者に影響を与えた。以下ではその代 表的な論者による「予防外交」の概念を主に①概念の限定と②強制手段の有無という基準 を中心に三つに分類した7。
第一の分類は、予防外交は武力紛争の発生と発生後の拡大を予防することを目的とし、
その手段としては非強制的な外交活動に限定して行われるというものである(①伝統型安 全保障問題重視と非強制的外交活動限定型)。ギャレス・エヴァンズは予防外交を「国連憲 章第33条に記述されている全ての手段−交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、
地域的機関又は地域的取極の利用その他の平和的手段−に帰するものであり、争いが武力 紛争になる前に適用される」と定義し、国連憲章第6章に基づく措置を重視している8。また 総合研究開発機構(NIRA)は「あらゆる当事者間の紛争が暴力化、悪化、拡大するの を防止し、国際の平和及び安全を脅かす恐れのある武力紛争となるのを防止するための、
あらゆる主体による、非強制的な行動である」と定義する。
第二の分類は、予防外交を抑止・対応などの強制的な手段も含む概念として捉えるもの である(②伝統的安全保障問題と強制力包含型)。マイケル・ランドは、「国家や集団など の武力行使や威嚇を防ぎ、経済、社会、政治、国際関係における破壊的な変化によって引 き起こされる政治的争いを平定化させるための行動」と定義し、そのために経済制裁、抑 止、限定的な軍事力を背景とした強制行動も含めている9。日本国際フォーラムは、「武力衝 突を中心とする紛争を予防し、あるいはその初期段階でそしするための活動であり、その ような意味での紛争予防活動と同義である」としている10。同フォーラムは、予防外交が外 交である以上、軍事的措置を一切含めるべきではないという考え方を排した上で、紛争予 防を効果的に実施するためには軍事的手段と非軍事的手段の両方を含んだ総合的アプロー チの必要性を唱えている。そして軍事的抑止力と予防外交は決して二律背反的ではなく、
相互補完的であるとしている。
第三の分類は、予防外交のうち、後期予防とともに早期予防を重視し、より時間軸の長 い幅広い概念として捉えるものである(③非伝統的安全保障問題包含型)。ガリ前事務総長 が「予防開発」で開発を含めた紛争予防の概念を示し、アナン事務総長が広範な問題を人 間の安全に対する脅威を位置づけ、その脅威に対する総合的なアプローチを提唱したこと は、予防外交概念の裾野の広がりの典型的な例である。またコニー・ペックも予防外交は 紛争の平和的解決だけではなく、持続可能な平和を条件づけるより広い問題や、社会的・
経済的正義、人権、法の尊重を含む持続可能なな平和にも及ぶとしている11。
これらの分類とは別に、「紛争予防観の差異」に基づき、予防外交や国際社会の人道的介 入を懐疑的に論じるする視点も見逃すことはできない。エドワード・ルトワックは、地域 紛争に対する国際社会の介入はむしろ紛争を長期化させ、また紛争予防の名の下に実施さ れている難民援助やNGOの活動はむしろ紛争を助長させていると論じる12。また、リチャ ード・ベッツは、紛争終結後の統治形態を決めないままに、紛争再発予防と公平性のみを 旗印とした国連の介入はむしろ紛争を悪化させると述べる13。さらにスティーブン・ステッ ドマンは、一般的に考えられているような紛争予防の手段が紛争を適切に予防するとは言 い難く、また明確に国益を定義しないままに紛争予防活動を行うことは、結果としてコス トと危険の伴うことになると警告する14。これらの予防外交及び紛争予防の諸活動に対する 批判は、大国の利益が密接に関係しない紛争に対する予防外交は機能しないばかりか、む しろ紛争を長期化、若しくは悪化させる原因ともなりうるというものである。つまり、「な ぜ国際社会は地域紛争の予防をどれほどのコストで行うのか」という予防外交に対する根 本的な問題を突きつけているのである。
2 2
22 ARFおける予防外交の概念ARFおける予防外交の概念ARFおける予防外交の概念ARFおける予防外交の概念
(1) ARFにおける予防外交の検討
ARFにおける参加諸国間の合意は、毎年の閣僚会合における議長声明という形で発表 される。現在のARFは原則、ルール及び手続きを明文化したレジームではなく、参加国 間のコンセンサスを重視する対話の連続体である。これまで奨励されてきた信頼醸成措置 も、基本的に各国の自発的な努力を誘発し、互いに確認し合うという形式をとっている。
ARF閣僚会合はは毎年1回7月末〜8月初めに各国外相の出席の下に開催される。閣僚 会合の後に、次の会合までの期間(インターセッショナル期間)に課長・審議官級の二度 の政府間会合(ISG)が開かれる。このISGの報告が5月末頃に開催されるARF高級事 務レベル協議(SOM)に提出され、次回の閣僚会合に反映される(図1)。
図1:ARFの流れ
(出所:外務省ホームページ15)
ARF「コンセプト・ペーパー」は、予防外交を「信頼醸成措置のnatural-follow up」
として位置づけ、Annex Aに短期的目標、Annex Bに中期的目標のリストが添付された。
短期的目標としては、①国連憲章や東南アジア友好協力条約(TAC)に基づき、係争問 題を平和的に解決するためのガイドラインの策定、②TACの承認と受け入れの促進、③
「南シナ海に関するASEAN宣言」を域外国にエンドースすることが挙げられた。また 中期的目標としては、①紛争予防の手段の模索、②特別代表の設置/事実調査ミッション
/調停、③地域危険削減センターの設立の模索などが挙げられている。
1997年7月のクアラルンプールにて開催された第4回ARF会合では、ARFプロセス
の将来の方向性として、信頼醸成措置と予防外交が重複する場合、重複してすすめていく べきことを確認し、重複部分につき次期ISGに対し検討を要請した。1998年のISG報 告書は「信頼醸成措置と予防外交の重複部分」として、①ARF議長の役割、特に調停役 としての役割の強化、②ARF参加国内での専門家、著名人の登録の充実、③年間安保概 観、④地域安全保障問題に関する自発的な背景説明の 4 項目を扱うことを提言した。閣僚 会合では、同ISGの提言を受け入れ、以上 4 項目の提案を含めた信頼醸成と予防外交の 重複部分を取り扱うことを合意した。日本の外務省は第5回ARF会合までの位置づけに ついて、第一段階と第二段階の中間地点と表現している(図2)。
翌年のISGでは、ARFで取扱うべき 4 項目の予防外交についてより具体的な提言が 示された。①議長の役割に関しては、調停としての役割、他の地域機関へのリエゾン、ト ラックII会合の代表者との意見交換、インターセッショナル機関における特別会合の招集、
などのアイディアが提起された。②専門家、著名人の登録は、ARFが必要とする状況に おける相談役として重要であることが示され、また③年間安保概観については、個々の参 加国がトラックIレベルにおいて自主的に作成し、これをARF議長が校正することなく 編纂することを提言し、④地域安全保障に関する自主的な背景説明に関してもこれを促進 するべきことが謳われた。冒頭の第 6 回ARF会合で、はじめて「概念と原則における進 展に焦点を当てつつ」信頼醸成措置と予防外交の重複部分を検討するように求めたのは、
以上のような経緯によるものである。
図2:ARFプロセスと現在位置
(出所:外務省ホームページ16)
(2)トラックIIにおける予防外交の議論
ARFにおける予防外交の議論は、ARFからマンデートを受けたCBM−ISGにお ける検討作業が次期ARFに提言され、更なる検討課題をISGに促すという相互関係の 中で発展してきた。しかし、図3に見られるように、各種のセミナー等の非政府間会合(ト
ラック II)は、これまで積極的な議論積み重ね、その結果をISG及びSOMに提言し、
ARFの予防外交の議論に貢献してきた。
トラック II会合においてアジア・太平洋地域における予防外交の議論が始まったのは、
1993〜1994年に三度にわたり開催された「平和と予防外交に関するASEAN−国連協力
会議」であるとされている17。その後日本の総合研究開発機構(NIRA)などが予防外交に
関する研究プロジェクトを発足させ、また1994年のアジア・太平洋ラウンドテーブルでも 予防外交がセッション議題として取上げられるに至った。その後、トラックIIにおける予 防外交の検討に中心的な役割を果たしてきたのが、ARF自体が主催する「ARFセミナ ー」と民間シンクタンクによって組織される「CSCAP」の信頼醸成措置作業部会であ る。ARFセミナーでは、限られた民間の専門家や政府関係者が個人的な資格で参加する 形態をとり、これまで三回にわたり予防外交についての検討を行った。またARFととり わけ結びつきの深いCSCAPも精力的に予防外交の問題を取り上げてきた。とりわけ予 防外交概念と原則につき一定の合意に達した1999年3月の議長サマリーは注目される。
図3:トラック II 会合における検討の流れ
①ARFセミナー
第1回予防外交に関するARFセミナーは1995年5月にソウルにて開催された。このセ ミナーでは、予防外交の概念とアジア太平洋への適用が主な議論のテーマであった18。予防 外交の定義ではガリ事務総長の『平和への課題』を基礎とした議論が行われたが、地域と しての独自の定義についてはコンセンサスには至らなかった。定義をめぐる議論にはいく つかの不一致がみられた。第一に、武力行使との関係では予防外交が軍事力の行使を伴う ことがある(マケドニアの予防展開を例示)という見解に対し、一部の国が予防外交の原 則に内政不干渉は不可欠とする意見が出された。第二に、経済援助を予防外交に含むかど うかという問題については、ODAのような経済援助も予防外交の一部であるという主張を する国に対し、多くの国は予防外交の概念としては広すぎると表明を行った19。
第2回ARFセミナーは1996年11月にパリで開催された。本セミナーの第一の特色は、
予防外交の定義についてガリ事務総長の定義を「議論の契機」として取入れ、予防外交の 原則も①国連憲章、②東南アジア友好協力条約、③平和五原則、③南シナ海に関するマニ ラ宣言に基づくべきというコンセンサスが得られ、議長声明に記述されたことである20。ま た、複数の参加者がARFの予防外交が麻薬、テロ、水資源、環境などの潜在的な紛争要 因を取扱うべきことを議論し、これが議長声明に取り入れられた。第二の特色は、予防外 交のための措置として、アジア・太平洋地域における予防外交の主体をARF議長として
1995 年 10 月 第 1 回ARFセミナー(韓国)
1996 年 10 月 CSCAP信頼醸成作業部会(シンガポール)
1996 年 11 月 第 2 回ARFセミナー(パリ)
1997 年 5 月 CSCAP信頼醸成措置作業部会 (ワシントン)
9 月 第 3 回ARFセミナー(シンガポール、CSCAPと共催)
1999 年 3 月 CSCAP信頼醸成措置作業部会、予防外交ワークショップ (バンコク)
1999 年 6 月 アジア・太平洋ラウンドテーブル(クアラルンプール)
位置づけ、予防外交のための措置を次回ARF会合においてARF議長に勧告することと し、その際ARF議長が果たすべき役割、機能、権限、予算などについて討議が行われた ことである。その結果、ARF議長に対する勧告として合意された点は、①安全保障に関 する年度概観(Annual Security Outlook)を発行すること、②「コンセプトペーパー」の 付属文章Aに記載された信頼醸成措置のうち、予防外交として実施可能なものを促進する こと、③ARF議長が予防外交のために役割を果たすこと、の三項目が提案された。
第3回ARFセミナーは1997年9月にシンガポールで開催され、これまで議論されてき た予防外交の諸措置の具体化が議論の焦点となった。その結果、同会合は①地域における 国際的な行動規範の成文化、②特定の状況下での仲介活動を行うためのARF議長もしく は第三者による予防外交の役割、③中印及び中露間のCBMの経験を予防外交に反映させ る、④麻薬取り引き、核廃棄物の輸送・貯蔵・廃棄、人口の大量移動といった安全保障に 直接関連するトランスナショナルな諸問題に対する一種の予防活動としての多国間協力、
⑤トラックIレベルで議論されている安全保障年度概観をトラックIIでも作成する、⑥地 域的な早期警戒能力の醸成、という六項目の提案を行い、またCSCAPに対して①図上
(仮想)演習の効用と実現可能性、②航行の自由に関する諸問題を予防外交の文脈で討議 するように促した。
②CSCAPにおける予防外交の概念と原則に関するコンセンサス形成
CSCAPにおける予防外交の検討は、1996 年 10 月から本格的に取り組まれ、ARF セミナーへの参加者を取込みながら議論を進めてきた。とりわけ1999年3月の会合におけ るCSCAP議長報告は、予防外交の暫定的定義(working definition)と原則(principle) について議長サマリーにまとめたという点で画期的であった。同会合は、CBM−ISG の直前に開催され、ISGに出席する多くの各国政府の代表も個人の資格で参加した。本 会合での画期的な成果は、ほぼ全てのARF参加国から集ったメンバー間で予防外交の概 念と原則について、とりあえずのコンセンサスが形成されたことである。
もっとも、議長サマリーを纏め上げる過程では、その内容をめぐり激しい議論の応酬が あった。例えばラルフ・コッサはARFの予防外交が取扱うべき予防外交の対象に国内紛 争を含めていた21。しかしこれは中国代表のShi Chunlaiの反対によって削除され、代わり に同氏の主張を基に予防外交が原則として「国家間に発生する紛争」を取扱うことが挿入 された。また複数の参加者が、予防外交が非伝統的安全保障問題をも取扱うべきであると いう議論したことに対し、ARFの議論が安全保障問題から離れて拡散するべきではない という反論によって、議長サマリーでは「人道に関わる問題」という表現に落ち着いた22。 このような多岐にわたる議論の結果、CSCAPで合意された定義と原則は以下の通りで ある23。
CSCAPにおける予防外交の定CSCAPにおける予防外交の定義と原則CSCAPにおける予防外交の定CSCAPにおける予防外交の定義と原則義と原則義と原則 暫定的定義
暫定的定義 暫定的定義 暫定的定義
予防外交は一般原則として以下の目的を達成するための、コンセンサスに基づく外交及び政治行動である。
・ 深刻な係争問題及び地域の平和と安定に深刻な脅威となる国家間の紛争を予防すること。
・ このような係争問題や紛争が武力対立にエスカレートすることを予防すること。
・ このような紛争の結果としての暴力の烈度と人道に関わる問題を局限し、地理的拡大を防ぐこと。
予防外交の原則 予防外交の原則 予防外交の原則 予防外交の原則
予防外交の主要な原則は以下の通りである。
・ 外交であること。説得、交渉、審査、仲介、調停などの外交的あるいは平和的手段に基づく
・ 自発性に基づくこと。予防外交は当事者の要請あるいは同意があってはじめて実施される。
・ 非強制的活動であること。軍事行動、強制力の使用、あるいは制裁などの威嚇的な手段は予防外交の 範囲外である。
・ 信用と信頼が必要であること。係争問題に対する相談者あるいは仲介者は、信頼感に富み、すべての 関連する当事者にとり公平で正直な仲介者(honest broker)でなければならない。
・ 国際法に基づくこと。あらゆる行動は、国際法の基本原則に則らなければならない。
・ 主権と内政不干渉の尊重を基盤とすること。これには主権平等の原則と領土保全の原則が含まれる。
・タイムリーさが要求されること。行動は対処的ではなく、予防的でなければならない。予防外交の手 段が最も効果的に機能するのは、係争や危機の早期の段階においてである。
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33 ARFにおける予防外交「地域化」の試みARFにおける予防外交「地域化」の試みARFにおける予防外交「地域化」の試みARFにおける予防外交「地域化」の試み (1)ARFにおける予防外交の特色
a. 定義と原則
ガリ前事務総長の『平和への課題』によって示された予防外交の概念が様々な角度から 議論されたように、アジア・太平洋地域における予防外交の議論も例外ではなかった。第 1節において、予防外交の議論の典型を①伝統的安全保障問題の重視と非強制的外交活動 限定型、②伝統的安全保障問題と強制行動包含型、③非伝統的安全保障包含型の三つに分 類したように、これまで開催されたトラックIIにおける議論でもこれらの立場が交錯して いた。しかし、ガリが当初想定したような予防展開活動のような軍事的手段が、ARFを 母体として適用されることはおよそ非現実的との考えが支配的であった。これら会合に提 出されたペーパーの多くは予防外交の議論を始めるにあたり、予防展開や強制措置などの 軍事的手段を排除し、外交手段に限定することを確認していた。したがって、たとえある 論者が本来②のような立場をとっていたとしても、ARFにおける予防外交としては非強 制手段を原則とせざるをえなかった。国連の介入や、予防介入などの様々な議論とは別に、
ARFにおける②の立場は①や③に収斂していたといえる。
問題は、①と③の予防外交概念の相違とともに、予防外交の原則のありかたにあった。
第一に、とりわけ予防外交の定義と原則における主要な争点となったのは「予防外交と内
政干渉」という課題である。例えばアミタフ・アチャリアが1994年のアジア・太平洋ラウ ンドテーブルに提出したペーパーによれば、予防外交の目的は「国家間及び国内における 争いや紛争の発生を予防する」とあり、明らかに予防外交が国内紛争をも対象にするべき ことを提案していた24。しかし、他方で多くの参加者が内政不干渉と国家主権の尊重を原則 として掲げる状況のなかで、国内紛争を取扱うこととの深刻な齟齬が生じた。予防外交の 原則において、内政不干渉をとりわけ強く主張したのは中国の参加者である。Shi Chunlai は、アジア・太平洋地域における予防外交は、国家間関係を取扱い、平和五原則に基づき 主権と領土保全を尊重しなければならないことを強調した25。
第二は、ARFにおける予防外交が③型のような非伝統的な安全保障問題を含むのかと いう問題であった。この議論を推進する立場の論者は、アジア・太平洋地域における潜在 的な紛争要因に着目することがよりよく紛争予防に資すると考える。また非伝統的安全保 障問題のうちトランスナショナルな性格を持つイシューについては、ARFのような多国 間安全保障協力こそが対処すべき分野だと主張する。これ反対する論者は、伝統的安全保 障問題と実際に紛争に直接結びつきやすい問題に限定するべきであるとし、「拡散した対 象を設定することにより、本来の予防外交の議論が進まない」といった懸念が示された26。 前出のCSCAPでの議長サマリーは、後者寄りの立場をとり、結果としてARFが紛争 に直結するような事態を予防外交の対象とするべきことが提案された。即ち、上記分類の
③よりも①を重視した結果となった。近年の国連が③への傾斜を強めていることを考えれ ば、この①への対象限定化は予防外交の概念を「地域化」する主要な特徴といえるであろ う。
予防外交の概念をできるだけ広く定義する論者には、もう一つの狙いがあった。それは 予防外交をできるだけ曖昧に広く定義することにより、具体的な措置をとる柔軟性を残し
「戦略的曖昧性」を付与するという考え方である27。そこには予防外交を限定的に定義する ことにより、将来実行可能な予防外交の措置の障害になってはならないという意識が働い ていた。しかしこれに反対したのは中国やASEAN諸国を中心とした参加者であった。
中国は当初「現在のところ予防外交は広義にとらえるべきであり…(中略)具体的な定義は今 後の議論を待たなければならない」としていた。しかし、その後定義の議論が進展するに つれ、中国は予防外交の概念には内政不干渉や領土の保全といった原則が含まれるべきで あり、さらに「原則がなければ予防外交の措置はありえない」という考え方を表明するに 至るのである28。
CSCAPが苦心の末まとめ上げた暫定的定義の必要性は、第一に予防外交に関する基 本的な合意をつくり、定義に際する不毛な論争に決着をつけることにあり、また第二に具 体的な措置を議論する際の基盤を設定することにあった。CSCAPによってまとめあげ られた予防外交の概念と原則は、確かにARF参加国にとって受け入れやすい最小公倍数 的なものとなっている。その意味においては、CSCAPが野心的というより「制限速度 内の安全運転」のコンセンサスを導いたことは事実である。しかし、CSCAP合意のよ
り重大な意味は、予防外交の内容もさることながら、従来ARFの第二段階に進むこと自 体に消極的だった中国の代表を含めた形で予防外交の概念についてコンセンサスを得たこ と自体にある。予防外交のARFに対する「地域的適用」は、「コンセプトペーパー」に忠 実に基づき、「全ての参加者に受け入れられるペース」で議論を展開させているのである。
b. 信頼醸成措置と予防外交との関係
ARFの議長声明は、「信頼醸成措置と予防外交は重複しており、それらは並行して進め られるべきである」と述べている。信頼醸成措置と予防外交は何が異なるのであろうか。
森本敏は三つの視点によってこの関係を解読しようとする29。第一の視点は、信頼醸成措置 は予防外交の手段だという考え方である。信頼醸成措置を効果的に進めることによって予 防外交を推進できると考えた『平和への課題』はこの視点に基づいている。第二の視点は、
信頼醸成措置と予防外交は地域的安定を達成するための同次元の措置であるが、順序と段 階が異なるという考え方である。例えばARFは参加国のコンセンサス形成への政治的ハ ードルの問題から、実施可能な措置から行う形式をとっている。この場合必然的に、合意 しやすい信頼醸成措置をまず優先し、次の段階に予防外交を位置づけることになる。森本 は「コンセプト・ペーパー」に示された三段階アプローチはこの視点に基づくと分類して いる。また、第三の視点は、信頼醸成措置と予防外交は本質的に異なる概念ではなく、具 体的な措置の位置づけ方の問題であるとする。例えば、信頼関係の増進や安定化を図る諸 措置がどちらに位置づけられるかは、「積み上げ式」の思考方法をとれば信頼醸成であり、
紛争予防に資するとの観点からみれば予防外交となるのである。
この三分類は信頼醸成措置と予防外交の重複を考える上で有効な視点を提供している。
しかし、ARFにおける予防外交の議論は、実際のところこの三分類の全てを包含してい る。第二の視点は、ARF参加諸国のコンセンサス形成の政治的ハードルから、結果的に 生じた段階論である。第三の視点は信頼醸成措置が見方によっては予防外交と捉えられる ことを示し、これは第一の視点である予防外交の手段としての信頼譲成措置に結びつく。
そしてこれらは第二の視点である段階論とも矛盾しない。なぜなら「信頼醸成措置と予防 外交の境界線が曖昧」であることは当然であり、実際上両者の境界を定めた上で段階的な
「移行」はありえないからである。それは信頼醸成措置と予防外交の諸措置の「積み重ね」
なのである。したがって、積み重ねである以上、信頼醸成措置が予防外交の手段で有りう るし、様々な信頼醸成措置を予防外交の一貫であると見なすことはむしろ自然なのである。
信頼醸成措置は、軍事的・政治的意図と軍事的能力を読みやすくし、心理的脅威観の減 少に資するための一連の措置である30。潜在的あるいは顕在的に敵対しあう国家同士では、
互いの意志に対する誤解が生じやすいが、相互交流や情報の透明化を通じた信頼醸成によ ってその誤解を取り除いていこうとする社会心理学的な方法論である31。対して、予防外交 は紛争の発生や紛争後のエスカレーションを防止するための措置の総体を示す。それは、
紛争予防という具体的な目的をもった措置の束である。つまり、信頼醸成措置は積み重ね
によって有益な結果を生み出そうとする措置を本来意味するが、予防外交はより具体的な 紛争予防への対処手段である。両者の違いは、紛争に対する合目的性の問題であり、紛争 予防への間接的アプローチ(信頼醸成措置)と直接的なアプローチ(予防外交)という概 念の差なのである。このような理由により両者に「重複」が生まれるのである。
c. 諸措置
既に紹介したように、CBM−ISGでは予防外交の措置として①ARF議長の役割、
特に調停役としての役割の強化、②ARF参加国内での専門家、著名人の登録の充実、③ 年間安保概観、④地域安全保障問題に関する自発的な背景説明の 4 項目を進めるべきとの 認識に達している。
トラックIIでのこれまでの検討を見ると、第3回ARFセミナーは、既に述べたとおり
①地域における国際的な行動規範の成文化、②特定の状況下での仲介活動を行うためのA RF議長もしくは第三者による予防外交の役割、③中印及び中露間のCBMの経験を予防 外交に反映させる、④麻薬取り引き、核廃棄物の輸送・貯蔵・廃棄、人口の大量移動とい った安全保障に直接関連するトランスナショナルな諸問題に対する一種の予防活動として の多国間協力、⑤トラックIレベルで議論されている安全保障年度概観をトラックIIでも 作成する、⑥地域的な早期警戒能力の醸成、という6項目の提案を行った。またCSCA P信頼醸成措置作業部会が提言する予防外交措置は、①自己申告制度、②ARF情報研究 センターの設立、③ARF賢人グループ、③ARF議長の役割強化(EU方式の採用)、④ ARFと他の国際機関及び地域機関(国連、APEC、CSCAP等)との連携強化とい う4項目を掲げている。
『平和への課題』で示された紛争の発生から収束にいたる紛争サイクル論に基づけば、
予防外交の措置もこれら段階に応じた分類が必要となってくる。第一に早期予防の段階で は「信頼醸成措置」が必要とされ、第二に紛争の兆候に対する「事実調査や情報収集」、第 三に紛争の発生あるいはエスカレート段階における「早期警報」、第四に紛争発生前あるい は発生後における「交渉・仲介・調停・斡旋」である。これらの措置を紛争のサイクル論 に基づき、早期予防から後期予防にかけて必要な措置の順序に当てはめると以下のように 分類できよう。
図4 ARFトラックIおよびトラック II における予防外交措置提案の分類
ARFおよびCBM−ISG
(トラックI)
ARFセミナー及びCSCAP
(トラック II)
第1分類 信頼醸成措置
年間安保概観の発行 (A5,A6)
地域安全保障問題に関する自発的な背 景説明 (A5,A6)
地域における国際的な行動の規範づく り (S3)
中印関係および中露関係におけるCB Mの経験をARFに反映させる (S3)
非伝統的安全保障問題への多国間協力 (S3)
自己申告制度 (C99)
第2分類
事実調査・情報収集
ARF議長の役割強化 (A5,A6)
専門家、著名人の登録 (A5,A6)
特別代表の設置:事実調査(A2)
地域危険削減センターの設立 (A2)
A R F 情 報 研 究 セ ン タ ー の 設 立 (S2,C99)
ARF賢人グループ (C99)/専門家の 登録 (S2)
紛争防止センターの設立 (S1)/AR F危険削減センターの設立 (S2)
第3分類 早期警報
地域的な早期警戒能力の醸成 (S3)
ARF情報研究センター (S2,C99)
第 4 分類
交渉・仲介・調停・
斡旋
ARF議長の役割強化 (A5,A6)
専門家、著名人の登録 (A5,A6)
特別代表の設置:調停 (A2)
ARF議長の役割強化 (S2,S3,C99)
第三者による仲介/特別代表の設置 (S1,S2,S3,C97)
注:(A):ARF閣僚会合およびCBM−ISG(数字は第 x 回会合を示す) (出所)筆者作成 (S):ARFセミナー(数字は第x回会合を示す)
(C):CSCAP(数字は年度を示す)
予防外交の措置における議論の第一の特徴は、これら提案がARF参加国の受入れやす いように、トラックIの議論においては信頼譲成措置のなかでも予防外交的意味を持つ措 置から始める「積み上げ方式」をとっていることである。第二の特徴はトラックIにおける 予防外交の検討に際し、トラックIIが緊密な関係保ち、議論をリードしてきたことである。
それはISGのサマリー報告に、トラックII の提言が多く反映されていることにも表れて いる。第三の特徴はトラックIの議論がとりわけ第三分類の早期警報の措置に触れられてい ないことである。その理由は次節で述べるように、ARFにおけるインスティテューショ ン・ビルディングの問題に密接に関係しているのである。
(3) 今後の課題−まとめに代えて
ARFにおける予防外交の検討は、予防外交という概念をいかにアジア・太平洋地域で
取扱うかという「地域的適用」への試みであった。以下ではARFが今後予防外交を取扱 う上で生じるであろう主要な課題について検討したい。
第一の課題は、いかなる予防外交の措置をどのようなタイムスパンで導入していくかで ある。考えてみれば、第一分類としての「年間安保概観の発表」および「地域安全保障問 題に関する自主的な背景説明」は、現在奨励されている国防白書の発行に加えた信頼醸成 措置の一貫として、さほど抵抗なく受入られる性質をもつであろう。こうした措置は短期 的に実現しやすい。
現在提起されている4項目で最も焦点となるのは、「ARF議長の役割の強化」である。
サイモン・テイは、ARF議長の役割の強化に伴い以下の三つの制約に直面せざるをえな いことを論じている。第一にARF議長が年毎にローテーションすることによって、予防 外交の継続性が失われること、第二にARF議長も参加国の代表であり、その意味では公 平性に疑義が生じること、第三にARF議長といえども国内問題に従事している以上、A RFに十分な注意が払えないことである32。これを解決するために、ARFの議長の役割を 現在のEU方式のように、前年度と翌年度の議長の三人体制によって分担する方式も考え られる。しかしこの場合、現在のARF議長国がASEANに限定されているが参加諸国 では大きな問題となろう。ARF議長がARF諸国間に発生した問題の仲介や調停の役割 を担うとして、それが常にASEAN諸国のみの外相で良いという理屈は保てるのだろう か。ARFがその機能を拡大させればさせるほど、ASEAN中心主義は深刻な挑戦にさ らされるのである33。
第二の課題は予防外交に関するインスティューション・ビルディング(制度化)である。
これはARFの将来を考える上で、現在の対話型の枠組から、より制度化された組織へと 進展することができるかという重要な課題である。実際、信頼醸成措置から予防外交へと ARFが実施可能な措置を拡大していった場合、制度化の問題は避けて通ることはできな い。例えば、ARF議長の役割が強化されたとして、議長が事前に十分な情報を得、議長 の活動を担保できる条件を整えるためには、継続的な情報管理と専門スタッフなどの準備 が必要である。しかし、現在のような議長国ローテション制の下でこのシステムを機能さ せることは困難であろう。ARF議長が十分に活動するためには、作成された文章の管理、
共同文章作成のための調整などの役割を担う事務局が必要となってくるはずである。
これまでARFの制度化についてはオーストラリアやカナダが積極的に推進しようとし てきた反面、ASEANや中国を中心とする諸国は「コンセンサスによる意思決定」「プロ セスの漸進的進展」に重点を置き、性急な制度化に反対してきた。ASEANからみれば、
制度化の推進はこれまで自ら推進してきたアセアン・ウェイからの脱却を意味している。
ARFが予防外交を通じてその機能を強化するためには、ARFの制度化は一体となる必 要がある。しかし、制度化は議長国の拡大の問題とともに、ASEANのイニシアティブ を弱めかねないという懸念と常に隣り合わせなのである。ASEANは今後この両者のジ レンマに正面から取り組まなければならないのである。
第三の課題はARFと他の枠組との関係である。ARFはアジア太平洋地域で唯一の多 国間安全保障協力の枠組ではあるが、国連を中心とするグローバルな枠組、東南アジアや 南アジアにおけるサブリージョナルな枠組や個々の二国間枠組においても安全保障協力は 並行して進められている。ARFが21カ国+EUという大きな枠組であることは主要国を 地域的関心に関与させるという長所の反面、サブリージョンにおける安全保障上の問題を 十分に扱いきれないという欠点を生んでいる。ARFが予防外交を進展させる上でも、こ のような他の枠組との関係をいかに規定していくかという考え方が重要になってくるだろ う。例えば安全保障事態の性質に応じて、関係する国や地域機構とARF議長との間に、
あらかじめコミュニケーションチャネルができ、予防外交を他の組織と有機的に行えるよ うなメカニズムを同時に考える必要があるだろう。
第四の課題は予防外交と内政干渉との関係であり、それに対する中国の態度である。中 国は第3回および第4回ARF会合で、ARFは信頼醸成を行う場であり、予防外交に移 行するのは時期尚早であると表明してきた。また、これまで検討したように、予防外交の 概念と原則に対しても、とりわけ内政不干渉と領土保全の原則に対しては強いこだわりを 持っている。また人権や犯罪といった問題を理由に、国際社会が国内問題に介入すること に対しても懸念を抱いている。中国からみれば、予防外交の議論の進展は、こうした問題 に対応して国際的な介入を正当化する手段となり、結果的に中国の主権を脅かす道具とな りかねない。
このような懸念を持つ中国が近年主張をして譲らないのは、予防外交が国内紛争を対象 としないという原則である。CSCAPにおける議論の課程において中国側が国家間紛争 への限定と、内政不干渉の尊重にこだわったことは、今後のARFにおける中国の議論の 布石であるといえよう。しかし、よく吟味するとCSCAP議長サマリーの定義にある予 防外交が「国内紛争」を対象にすることと、原則にある「内政不干渉と主権の尊重」には 概念としての差異がある。それは、前者が国内紛争への予防外交の適用を一様に否定する ものに対して、後者は内政不干渉と主権を「尊重」さえすれば、たとえば当事国の同意を もとにすれば、国内紛争であったとしても予防外交の適用が可能になると読み取ることが できる。
おそらく中国は今後も国内紛争への言及を退け、平和五原則に基づく規範形成を予防外 交の基軸に据えるであろう。しかし、中国がこれら原則に固執続けることはARFの予防 外交を必要以上に停滞させる危険がある。例えば東チモールの独立に際する混乱状態のよ うなケースに将来のARFは全く対応しないでよいのであろうか。南シナ海で係争が発展 した場合、互いが国内問題との主張を行った途端にARFは機能しなくなるのであろうか。
ARFがこうした地域固有の問題に余りに対処できない姿を長期間続けた場合、ARFの 存在意義が試練にさらされることは言うまでもない。そのときに結果として中国をはじめ 参加国にとっての損害は大きくなるのではないだろうか。ARFの予防外交に関する議論 はこうした長期的な展望を見据えた上で、将来実行可能な予防外交としての措置を、今後
決定される予防外交の概念と原則が拘束しないようにする必要があろう。筆者の見解とし ては、CSCAP案の定義に見られる「国家間紛争」のみを対象とした予防外交は、余り に対象を限定しすぎており、非生産的な結果を生むと考えている。すなわち、ARFにお ける予防外交の進展の成否は、定義の曖昧性と措置の具体性をいかに追求していけるかと いう点に掛かっているといえるのではないか。
最後に、ARFにおける予防外交と、既存の二国間同盟を中心とする抑止機能とどのよ うに関連付けるかという課題がある。国際関係の安定は抑止・対処型の安全保障機能と、
予防型のそれとが調和のとれた体制の上に成り立っている。アジア太平洋地域において、
前者は日米安保体制によって主に担われており、後者はARFを中心とした多国間安全保 障協力が主要な役割を果たしている。ARFにおける予防外交は、「非強制的な活動」とい う名目があるにせよ、場合によっては抑止・対処装置を背景にすえた行動形態が必要であ ることを暗黙に了解する必要があるだろう。かつてE・H・カーが喝破したように、「力は 実行されようと脅しに用いられようと暗に保持されているだけであろうと、国際的変革に おける核心の要因である」ことを歴史の経験は我々に示しているからである34。予防外交の 議論を進めていく際にも、伝統的な安全保障の議論と予防外交の相互補完性を念頭におい てはじめて、予防外交が現実性をもって国際安全保障に果たしうる役割を規定することが できるであろう。
1 Chairman’s Statement, The Sixth Meeting of the ASEAN Regional Forum, available from http://www.ASEANsec.org/politics/pol_arf6.htm.
2 Chairman’s Statement, The First Meeting of the ASEAN Regional Forum, available from http://www.ASEANsec.org/politics/pol_arf1.html.
3 The ASEAN Regional Forum: A Concept Paper, The Second Meeting of the ASEAN Regional Forum, available from http://www.ASEANsec.org/politics/arf_ch2c.htm.
4 代表的な議論は、Christophe Bertram, “Multilateral Diplomacy and Conflict Resolution,”
Survival, Winter 1995-1996.
5 Department of Political Affairs, “Preventive Diplomacy and Peacemaking” document available from http://www.un.org/Depts/dpa/docs/peacemak.htm .
6 Kofi Annan, Facing the Humanitarian Challenge: Towards a Culture of Prevention, United Nations Department of Public Information, September 1999.
7 分類については平井照水総合研究開発機構(NIRA)主任研究員に多くの示唆を受けた。も っとも、平井女史は①威嚇的手段の有無、②紛争のどの段階を対象としているかを含めた分類を 行っている。平井照水「冷戦終結後の新たな紛争管理−予防外交−」加藤朗編『脱冷戦後世界の 紛争』(南窓社、1998年)209〜221頁。
8 Gareth Evans, Cooperating for Peace: The Global Agenda for the 1990’s and Beyond, St.
Leonards; Allen & Unwin Pty Ltd. 1993 p10.
9 Michael S. Lund, Preventing Violent Conflics: A Strategy for Preventive Diplomacy, Washington D.C., United States Institute of Peace Press, 1996.
10 堂之脇光朗編『予防外交入門』(フォレスト出版、1999年)20頁。
11 Connie Peck, Sustainable Peace: The Role of the UN and Regional Organization in Preventing Conflict, Lanhan: Rowman & Littlefield Publishers, Inc., 1998.
12 Edward N. Luttwak, “Give War a Chance,” Foreign Affairs, July/August 1999, pp.36-44.
13 Richard K. Betts, “Delusion of Impartial Intervention,” Foreign Affairs,
November/December 1994, pp.20-33.
14 Stephen John Stedman, “Alchemy for a New World Order: Overselling ‘Preventive Diplomacy,’” Foreign Affairs, May/June 1995, pp.14-20.
15
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaidan/kiroku/g_komura/arc_99/ASEAN99/ARF_2.html
16
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaidan/kiroku/g_komura/arc_99/ASEAN99/ARF_3.html
17 CSCAP Singapore, “Review of Preventive Diplomacy Activities in the Asia-Pacific
Region,” in Desmond Ball and Amitav Acharya eds., The Next Stage: Preventive Diplomacy and Security Cooperation in the Asia-Pacific Region, Canberra Papers on Strategy and Defense No.131, Australian National University, 1999. P.293.
18 Chairman's Summary, Seminar on Preventive Diplomacy, Seoul May 1995. Available from http://orpheus.dfat.gov.au/arf/arfseoul.html.
19 同セミナー日本側出席者に対するインタビューに基づく。
20 Chairman’s Statement, ASEAN Regional Forum Working Group on Preventive Diplomacy, available from http://www.arfsec.org/politics/arf4xh.htm.
21 Ralph Cossa, “CSCAP and Preventive Diplomacy: Helping to Define the ARF’s Future Role,” prepared for the Preventive Diplomacy Workshop of CSCAP CSBM Working Group, Bangkok, 28 February- 2 March 1999.
22 同会合への日本側参加者に対するインタビューに基づく。
23 Chairman’s Summary, CSCAP Workshop of CSCAP CSBM Working Group, Bangkok, 28 February-3 March 1999.
24 Amitav Acharya, “Preventive Diplomacy: Background and Application to the Asia-Pacific Region,” in Ball and Achatya eds., Preventive Diplomacy and Security Cooperation in the Asia-Pacific, op.cit.
25 Shi Chunlai, “Some Points on Preventive Diplomacy,” paper prepared for the Preventive Diplomacy Workshop of the CSCAP CSBM Working Group, Bangkok, 28 February-2 March 1999.
26 CSCAP Singapore, “Review of Preventive Diplomacy” p.313.
27 CSCAP Singapore, “Review of Preventive Diplomacy…”; Mark Hong, “Correspondence on NIRA Definition of Preventive Diplomacy,” a paper prepared for the NIRA Conference on
“Preventive Diplomacy in Asia Pacific,” Tokyo, 9-10 December 1994.
28 Shi Chunlai and Xu Jian, “Preventive Diplomacy Pertinent to the Asia-Pacific,”
International Review, China Centre for International Studies, July 1994. 後の議論の典型は、
Shi Chunlai, “Some Points…”.
29 森本敏「アジア太平洋地域における信頼醸成措置と予防外交」堂乃脇光朗編『予防外交入門』
183頁〜184頁。
30 山本武彦「信頼醸成措置」川田●・大畠英樹編『国際政治経済辞典』338頁。
31 ゲシュタルト学派のフリッツ・ハイダーは行動の奥に行為者を見、行為者の中に意図や態度 を見、行為者の周囲の行動をとりまく社会的文脈を見て行動を説明しようとした。ハイダーが着 目したのは、行動の基となる認識の帰因であった。信頼醸成措置の試みは、この帰因を他者との 交流や情報の透明化によって、価値関係的に捉え直すプロセスといえよう。Fritz Heider, The Psychology of Interpersonal Relations, New York, John Wiley & Sons. 1958. 大橋正夫訳『対 人関係の心理学』(誠信書房、1978年)。
32 Simon Tay, “Preventive Diplomacy and the ASEAN Regional Forum: Principles and Possibilities,” in Ball and Acharya eds., The Next Stage…pp.142-145.
33 もっともASEANはビジョン2020に基づく「ハノイ行動計画」において、ARF議長の権
限を保つことを重要な課題と位置づけている。そこにはARFのイニシアティブを保持し続ける
ことがASEANの重要な関心事であることが現れている。ハノイ行動計画については、
http://www.aseansec.org/summitt/6th/prg_hpoa.htmを参照。
34 E.H.カー、井上茂訳『危機の二十年』(岩波書店、1996年)392頁。