まだ 眠気 残る 自分 自身 と格 闘し なが ら新 宿 へ向 かい
︑そ こか ら松 本を 経由 して 三時 間︒ 周り をア ルプ スの 山々 に囲 まれ
︑大 自然 の天 然が 残る 地域 にや って きた
︒空 気が 澄ん だこ の地 域に は夏 から 秋へ と流 れゆ く摂 理を 確か に感 じる こと が出 来た
︒遠 くの 山々 から 流れ 落ち る斜 面に はう っす らと 色づ く四 季彩
︑そ こか ら遠 く連 なる 河川 は透 き通 り︑ 藻の 間で かく れん ぼを する 小魚 が容 易に 発見 でき るほ どで ある
︒ その 土地 には 我々 日本 人に とっ ても っと も 身近 な神 々が 今で も信 じら れて いる
︒長 野県 安曇 野市 に多 く点 在す る道 祖神 像で ある
︒縁 結び
︑五 穀豊 穣︑ 子孫 繁栄 など 人々 が願 いを 込め た道 祖神 像は 今も 昔も 存在 して いる
︒ 安曇 野市 観光 ホー ムペ ージ によ ると
︑道 祖 神と は︑ 塞の 神と よば れて おり
︑本 来は 悪霊 や疫 病な ど邪 悪な 災い が集 落に 入り 込ま ない よう に村 の境 に置 いた もの とさ れて いる
︒昔
は日 本全 国に 多く 存在 した とい う道 祖神 像で ある が︑ 現代 にお いて はあ まり なじ みの ない もの にな って いる
︒ま して や都 会に 住ん でい る我 々に は全 くと 言っ てい いほ ど目 にす る機 会は なく
︑今 では 役割 をな くし た存 在な のか もし れな い︒ しか し︑ 今現 在に おい ても
︑そ の役 割を 変え
︑ 多種 多様 な道 祖神 像が 多く 存在 し︑ 地域 の神 様と して も︑ 観光 誘致 とし ても
︑確 固た る市 民権 を有 して いる 道祖 神が いる
︒そ の地 域の ひと つが 長野 県安 曇野 市で ある
︒ 我々 が訪 れた 穂高 とい う地 域で は道 祖神 め ぐり の聖 地と して 知ら れて おり
︑地 域に 根ざ す多 種多 様な 神々 は︑ この 地域 で暮 らす 人々 にと って の自 然観 と共 に彼 らの アイ デン ティ ティ ーの 一つ とし て遠 く昔 から 受け 継が れて きた 証拠 なの であ ろう
︒
謎だ らけ の道 祖神 道祖 神と いう のは 結局 のと ころ 何な ので しょ うか
︑と いう 問い に対 して
︑安 曇野 市豊 科歴 史郷 土博 物館 の職 員の 方は 正直 のと ころ わか りま せん と答 えて いた
︒こ れは 道祖 神を 研究 する 専門 家の 方も この よう に答 えて いる よう であ り︑ その よう な意 見が 一般 的な よう であ る︒ 人々 を災 いか ら守 るた めに 作ら れた 道祖 神 像は 各時 代や 地域 ごと に人 々の 願い に耳 を 傾け てい たの であ り︑ その 役割 とい うの は時 代や その 人々 によ って 多種 多様 であ る︒ そし て︑ なぜ 長野 県︑ 特に 安曇 野で は道 祖神 信仰 が今 でも 盛ん にお こな われ てい るの かと いう と︑ そこ には 周り を大 自然 の天 然に 囲ま れた 土地
︑風 土が そこ で暮 らす 人々 と共 存し てい る︒ それ を繋 ぐも のと して の道 祖神 が今 も昔 も生 き続 けて いる のか もし れな い︒
外国 語学 部 国際 文化 交流 学科 2年
藤 本 雄 大
大 自 然 と 共 に 生 き る 道 祖 神
〜道祖神 in 安曇野〜
安曇野の大自然アルプスの山々と透き通った河川
色彩のある道祖神像 握手 (1883) ほか 道祖神を知る
皆さ ん︑ 長野 県に 訪れ たこ とは あり ます か? ち なみ に私 は︑ 行っ たこ と はあ りま せん でし た︒ なの で︑ 今回 が初 とな りま す︒ 長野 県と いえ ば︑ どの よう なこ とを 思い 浮か べま すか
? 正直 に言 いま すと
︑私 は思 いつ き ませ んで した
︒ス キー をし に行 く場 所し か思 い つか なか った です
︒無 知の 状態 で長 野県 に行 き まし た︒ しか し︑ 訪れ た後 長野 県の すば らし さ をた くさ ん知 るこ とが 出来 まし た︒ 私が 感じ た こと をこ の記 事に 書き たい と思 いま す︒ 私た ちは
︑長 野県 の安 曇野 に行 きま した
︒東 京 新宿 駅9 時発 の新 幹線 を 乗り
︑長 野県 松本 駅12 時 30分 に到 着し まし た︒ 安 曇野 は長 野県 松本 駅か ら電 車を 使い
︑約 30分 で到 着し ます
︒そ のま ま︑ 安曇 野に 向か い安 曇 野に 到着 しま した
︒私 がま ず安 曇野 駅に 到着
し思 った こと は︑ とに かく 空気 が新 鮮で
︑澄 み 通っ てい まし た︒ 東京 では 決し て感 じら れな い 新鮮 な空 気で した
︒私 は人 生で これ ほど 新鮮 な空 気を 感じ たこ とが あり ませ んで した
︒サ イ クリ ング で安 曇野 を観 光し まし たが
︑安 曇野 の 冷た い新 鮮な 空気 が体 を包 むよ うに 吹き
︑体 その 冷た い空 気に より
︑丁 度い い体 温を 保つ こと がで きま した
︒ サイ クリ ング 中︑ たく さん の小 さな 川を 見ま した
︒長 野県 の水 はと ても 綺麗 です
︒川 の底 がは っき りと 見え るく らい 水が 透き 通り
︑川
に住 んで いる 魚た ちの 泳ぎ など がは っき りと 見 えま した
︒ 観光 地で ある
﹁大 王わ さび 農場
﹂で 水に 触れ るこ とが でき ます
︒こ この
﹁大 王わ さび 農場
﹂ の水 は︑ 今ま で私 が知 って いる 水と は違 いま した
︒綺 麗で 澄み 通っ てい る水 です が︑ 水の 質 が違 いま す︒ とて もサ ラサ ラで 柔ら かい 水で し
→安 曇野 の空
︒大 空が 広が り︑ 気持 ちよ かっ たで す!
←写 真で も水 が澄 み通 って いま す︒ 川底 が見 えて 綺麗 です
︒
長野県 安曇野
外国 語学 部 中国 語学 科3
年
齋 藤 佑 也
た︒ 私は 今ま で水 泳で 多く の水 を見 てき まし たが
︑
﹁大 王わ さび 農場
﹂の 水が 一番 美し いで す︒ 思わ ず飛 び込 みた い気 持ち でし た︒
空気
︑水 と来 まし たが
︑長 野県 の自 然の 豊 かさ は素 晴ら しい です
︒ま ず安 曇野 のア ルプ ス 山で す︒ 迫力 満点 でし た︒ その 日は 快晴 で雲 が少 なく
︑ア ルプ ス山 がは っき りと 見え まし た︒ 安曇 野を 囲む よう に︑ アル プス 山が あり まし た︒
安曇 野は 光と 水と 緑の 郷で す︒ 町も とて も 落ち 着い てお り︑ 車も 少な く︑ 自然 のす ばら しさ を感 じる こと がで きま す︒ 是非 長野 県安 曇 野に 訪れ てみ てく ださ い︒ もや もや した 感情 で 息詰 まっ てい る人 は︑ リフ レッ シュ に丁 度い い と思 いま す︒ 私も もう 一度 行っ てみ たい と思 い ます
︒
現在 安曇 野は 長野 県の 観光 の一 つと なり
︑そ の 中で も道 祖神 を目 的に し てい る観 光者 が増 えて い ます
︒道 祖神 を目 的に 安 曇野 全体 を回 れる サイ クリ ング コー スな ども あ りま す︒ 私た ちは
︑サ イク リン グコ ース を利 用 し︑ 安曇 野を 廻り まし た︒ コー スは 道祖 神︑ 観 光を 中心 のコ ース で︑ 一つ のコ ース で二 つの 楽 しみ を味 わう こと がで きま した
︒道 祖神 はあ ら ゆる 場所 にあ るの です が︑ それ を一 本の 道で 観 光で きる よう なコ ース でし た︒ 行っ たり 来た り する こと がな く︑ 順調 にサ イク リン グが でき ま す︒ あら ゆる 場所 に道 祖神 があ りま した が︑ 私個 人的 に気 にな るも のが あり まし た︒ それ は︑ お
店に ある 道祖 神で す︒ 何件 かの お店 の前 には 道祖 神が あり まし た︒ その 道祖 神に はな にか の 意味 があ るの か︒ それ とも
︑た だ置 いて ある だ けな のか
︑気 にな りま した
︒現 在安 曇野 は︑ 道 祖神 を利 用し
︑観 光客 を増 やし てい ます
︒安 曇 野に とっ て︑ 道祖 神は 地元 を盛 り上 げて いく 手段 にな りま した
︒今 後の 安曇 野は 道祖 神と 観光 をど のよ うに して 発展 する のか 気に なり ま す︒
→大 王わ さび 農場
⁝水 がと ても 綺麗 でし た! それ はわ さび もお いし いに 決ま って いる
!
→お 店と 道祖 神︒ お店 の看 板と なっ てい ます
︒
観光と 道祖神
道祖神を知る