5月1日 福井県三方郡美浜町宮代 弥美神社春祭 弥美神社の祭祀を行う氏子の範囲。
1、新庄
2、安江 この3部落を合せて
3、五十谷(いさだん) サンガという この5部落を合せて 4、寄戸 五家(ゴカ)という 5、中寺
6、宮代 7、興道寺 8、河原市 9、和田 10、佐柿 11、坂尻 12、東山 13、麻生 14、野口
15、上野(ウワノ)
16、佐野
(木野部落はいつの頃からか参加しなくなった 南市部落は昭和のはじめ頃から参加することになった)
小雨の降る、風の強い日であった。今年は平年よりずっと暖かいせいでもあろう。雨に洗はれた新樹が鮮らで、
美しい。雨は大したことはないが、風がものすごいので、オゴヘイもこの調子なら早く上るだろうとの話であった。
各部落から1日早朝(8時頃から)御供を神社へ持って来る。この御供の作り方は各部落で違う。大体は餅を主と し、御神酒であるが餅は部落によって、いろいろ細口して餅花のようなもの、鳥居の形、等造る。和田の如きは漁 師村であるので鯛の形を餅で造る。但、新庄のみは非常に形が変っていて、御供桶が運ひ箱の形になり、御供は桶3 ヶ、うち白餅2つ、小豆餅1ヶ、笠(鎌)5重ね、上に海老と称する注連を置く。他の部落は御供桶の外に幣、及び 幣サシ(男篭)、女郎(女篭)が一しょに出る。
弥美神社へ御供を運び込むのには順序がない。但し先を争う風があって、神社では番号札が置いてあり、1番から、
その番号札を自分の持って来た御供に入れる。番号札は13号までしかないのでコサンガは他分御供をしないのでは ないか。
昭和39年は8時半頃弥美神社に行ったが既に1番の御供は上っていた。強い風が森の新樹を絞っている朝であっ た。
次にどんどう御供が上って来たので全部は控えられなかったが大体次の通り。
1番坂尻 2番興道寺 3番佐柿(鳥居)
4番、新庄、5、河原市 6、南市(?)
7番宮代 8、中寺、9、麻生
10、東山、 11、和田、 以下不明。
実際には8番の中寺の御供が上った次に新庄の1本幣及び7本幣がやってきた。
新庄の1本幣及び7本幣は、御供と共に上る幣とは関係がない。新庄では、御供に幣と幣サシ、女郎はつけない。
新庄では早朝、弥美神社へ御供上をする前に新庄の氏神で新庄のみの御供上をする。これには幣サシと女郎はつ く。そのあとで美弥神社の祭祀に参加するという形式をとる。御供は一先づ能殿に飾り、途中から神官の指図で札 番により神殿へ運び献饌する。
王の舞は麻生と東山とかゞ交替で舞う。但し、東山は9軒、麻生は40軒なので東山が1年勤めると、次の4年は 麻生が勤める(実際は東山が5年目に1回やれぬので麻生だけが毎年やっている現状である)
獅子舞は野口、上野、佐野の3部落が毎年交替でやる。
各部落にはトウヤがあってトウヤは年交替で、所によって違うが大たい前夜に御供造りをする。
弊サシと女郎は各部落内の子供からトウヤが自由に撰擇する。大体 1 曲は誰でもやる。希望者が多いときはその 年は籤にする。
7番の宮代の御供のとき大御幣(オゴヘイ)も一しょに来た。今年はオゴヘイは5ヶが出す年次になっている。オ ゴヘイは5ヶ、興道寺、河原市と和田が1組になって、佐柿と坂尻が1組になっての4組が年順で1年交替で出す。
そのうち5ヶが当った年は安江、五十谷、寄戸、中寺、宮代の5つの部落のうち4部落づゝが上記の順にオゴヘイ を出し、1部落は抜けることになっている。今年(昭39年)は5ヶが当り番で、やったのは中寺、宮代、安江、五 十谷であって、寄戸は休み。
オゴヘイに新庄の1本幣、7本幣も到着と共に拝殿前石段下で、厳に幣を振って到着を知らせる。
今年の獅子舞を担当した部落は、御供上げを可なり正格にやった。まづ先頭に青年が 2 人で御供桶を肩の高さに 捧げその下に幣サシ及び女郎が並んで石段下に進み、幣サシが幣を持ち、左右に警護がつき、幣サシが幣を振ると 御供桶はそのまゝ青年によって神殿に運ばれ、その後に獅子が進み、囃しが入って、3曲、顎を打って、石段の上を うかがう。後、女郎は女郎部屋、獅子は獅子部屋に引取る。獅子部屋は王の舞部屋と共同で、部屋では、それから
祭礼中、囃子が間断なく、奏せられる。
新庄の1本幣はヨボの木、7本幣はコブシの細木7本。他の各部落からの御供につける幣もヨボの木で5本内至7 本を束とする。先に、洗米を包んだ、フグリをつける。
11時半頃から祭典が拝殿内で始まる。今年は祓所の儀はない。こゝの神楽は巫女が榊を捧物にして舞う。
祭典終了と同時に能楽殿に置いてあった大御幣は、担がれて馬場先の馬止めの棚に移される。
馬場石段下では新庄の1本幣、7本幣を先頭に次に各部落の御供幣、中央後に王の舞が鉾を持ち、その後に獅子の 順に現われ幣振りがあって1歩1歩静かに新庄より鳥居を出て、大御幣に向う。馬止め大御幣の前に行列が来ると、
幣を振って神移しがある。相変らず、オゴヘイ衆より悪態が飛ぶ。
オゴヘイの前での獅子の3度顎を打鳴す作法も見事であった オゴヘイへの神移しが済み、1本幣、7本幣が神殿 に収まったのは午後1時をすぎていた。
小浜の雲浜獅子は時間がないので止めにした。社務所で小林一男さんの御弁当を分けて食べた。
オゴヘイの幣サシが肩車に乘って、石段上で「アゲアゲ」と呼んで、1本の棒になったオゴヘイがやっと収まった のは4時半である。間もなく王の舞が始まった。
所作。オガエ、種蒔き、地廻り、鉾返し、春のしよう、腰のしよう。続いて獅子舞は先舞と後振りの 2 人舞、こ れに口取り(警護が2名つく)。前後左右に踏躍する勇壮な舞で2度ばかり、眠りの型があり、後石段下へ口取りに 下って連れて行かれるが、このとき振切って暴れ出し、見物の中を飛廻る、これを転びつゝ口取りは取抑えて、最 後に石段の中を覗いつゝ3度豁然と顎を打鳴らして終る。仲々よい。
今夜は宿がないので敦賀まで出る。