12月17日 春日おん祭
午前10時から、鍋屋町初宮神社で春日田楽の奉納がある。薄氷のはるもの凄い寒さの日、幸い風は止んだがしん
/\と冷える。小雪。実際は11時半頃田楽衆がやって来た。春日の祢宜がついて来て1度鍋屋町の竹林さんの宅に 立寄って来るとの話であったが、祢宜は来ず、田楽衆 5 人のみ。全員浅沓。町内の人に聞くと初宮大明神は春日さ まのをば様に当る古い神様だという。境内は平日はしめ切ってあるらしい。参詣人もない所で、
中門口、高足、刀玉、もどき開口、立合舞
を演じて、さっさと引上げる。町内の人が古い溝板のはしくれで焚火をしてくれ、それに薯を焼いて、その薯を頂 いた。
宵宮祭の芸能。祭典に次いで、神楽、東遊、田楽、細男、猿楽、舞楽(振鉾 3 節)萬歳楽、延喜楽、五常楽、狛 鉾、和楽、蘭陵王、納曽利・・・・散手、貴徳、抜頭、落蹲。
春日神社若宮おん祭は前夜、即ち16日午後10時半の還幸神事より始まる。(これは見ていない)若宮より御旅所 の御仮屋への神幸式である。
午後10時半 若宮石段下に於いて伶人初度に乱声を発する。
午後11時 第二度の案内をうけ伶人第二度の乱声を発する
午後11時半 第三度の案内をうける。諸員若宮へ参拝、拝舎に列立。
第三度の乱声を発する。御格子を掲げ、灯火を滅する。
次、御開扉 秘文の祝詞を奏する
次、出御 伶人乱声を止め本楽に移る。出声三声 次、閉扉 渡御。
(列次)
御火 神人
警士←御火←沈香←御幣←神人
□
霊 神人←御傘←御巫←伶人←諸員 神人渡御中、神人各榊を執り警蹕を唱へ、伶人は道楽(慶雲楽)を奏する。
次、御旅所に着御。伶人迎乱声を発し、行宮の灯火を滅する。
次、神霊を御仮屋に移す。秘文の祝詞。灯火を黙する。
次、植松、献饌、奉幣、祝詞、
次、神楽を奏す。17日午前2時頃終る。
17日午前9時、若宮本殿祭が簡単にある。午後1時より行列を整えて御旅所へ参入する。これを御渡式といゝ、
一の鳥居を入った参道右側にある影向の松までの行列を「下の渡り」(又は橋本のわたりという)。これに対して影 向の松から御旅所到着までの行列を「上の御渡り」という。現在は興福寺本坊北側の芝生が諸役の集合場所となっ ている。こゝで行列の順序を整え、春日神社神職の点検、指図によって出発する。もとはこの行列の点検に変るべ き儀式として「南大門に於ける交名の儀」があった。南大門壇上東西に寺僧、衆徒が並び、その下に専当大行事、
専当小行事が控えて、行事諸員の名乗を受けた。この名乗交名のとき各座はそれぞれの芸をやったらしく、その後 の休憩場所も一定していたようである。又、そのとき一同昼食をした。(竹の皮包とした赤飯の桝神にウルメの焼物)。 田楽座はその間に初宮詣をしたらしい。
現在下の渡りは県庁前を西へ油坂町に出て南進む。国鉄奈良駅前より三條通りを東進。一の鳥居へ練込む。
行列の順序。
紅御旗一、白御旗一、→春日講社社旗、社旗→荷前(稲東を吊した黒木の担い棒)→神馬(今ナシ)→奈良県 幣帛→春日奉賛会→傘持→
(第一番) 梅白杖 侍者
御幣 →侍者→青絹御幣→黄絹御幣→赤絹御幣→白絹御幣→紫絹御幣→十列児 傘持(十列児は4 人、縦列)→日使騎馬→風流傘→陪徒2人
(第二番) 御蓋→騎馬巫女2人、→風流傘2人
(第三番) 御幣→騎馬細男3人→十番角力行事3人
(第四番) 猿楽一座
(第五番) 5色幣本座、5色幣新座→大花笠→田楽座
(第六番) 侍、侍→馬長児2人
(第七番) 青勝敗旗、赤勝敗旗→競馬
(第八番) 弓矢持、的持→騎馬射手児→競馬揚児→隨兵数人
(第九番) 将馬
(第十番) 野太刀→中太刀→小太刀→薙刀→銘
(第十一番)御幣→願主役→法師役→馬場役→大和士代
(第十二番)金棒2→遠見→先箱2→毛槍2→大鳥毛→弓→薙刀→駕→台傘→長柄傘→槍→合羽笊→金棒2→遠 見→先箱2→毛槍2→大鳥毛→薙刀→駕→台傘→長板傘→槍→合羽笊
十列児 競馬の一種で10騎一時に並び駈けたものである。もとは殿上人五位中将が奉仕した。
日使 昔、保延の頃、関白藤原忠通が祭典に奉仕の途、事故のため自ら奉仕できず、御供人の楽人の長に
当日の装束を着せて、代理をさせた古事が今日に及んでいる。次の陪徒は供の楽人である。
細男 神功皇后御征韓の時、筑紫の老人が「細男を舞えば礒良と申すもの海中より出で、干珠満珠の玉を とり来る」といったので、細男を舞わしめた所、礒良海中より出て、同じく舞をやったが、久しく 海中に住んでいたので、顔に貝殻がつき醜いため布を以って顔を覆っていたという古事によるもの。
相撲 御渡式に参加するのは、もとから行司及び右左の支証(四角立)の3人のみ。行司は黒、左方は赤、
右方は緑の褐衣をつける。
猿楽一座 元は金春、金剛、観世、宝生の4座が参加したが今は金春一座のみ。
田楽一座 現在は初宮参詣を終って1度吉田屋へ帰り後に参加する。御渡式には傘持夫2人が左右から大笠を 掲げて参進し、又年小のものが 1 人、大鼓役と同様の服装で常に笛吹の傍について行く。この年少 者は松の下や芝生で施芸の際には笛吹の隣りに一列に並んで参加する。道中笛吹は高下駄を穿かな い。持参してゆく。
馬長児 寛保 2 年の春日若宮祭礼略記の図によれば、馬長児は五騎興福寺学侶より輪番で出る稚児で笠に山 鳥の尾をさし、5色の細い幣紙5筋をつける。萌黄の狩衣(近年赤字の金襴に変る)指貫で、後に牡 丹の造り花を負う。1騎に1人づゝ、大童子、白張、金の漆たぼをつけ末広を持つ。南大門交名のと き、仮名僧官を名乗った。又、1騎に3人づゝ被者といって龍の被者を戴き、白張、藤の紋、5色の 短冊をつけた竹を持ち腰に草履を 1 足はさむ。これを一ツ物といった。大童子は今は出ない。この 龍のかぶり物をする被者を一ツ物というのは嶋の羽をつける馬長児が一つものであって、その意義 が移動したものらしい。(折口説)。馬長児は初めて祭りに列するもので、その列することによって 成年に達する。神にとって一番純粋な奉仕者という考えられる。これが多いときは願主の力が強い ことを示す。
一の鳥居を入った行列は松の下の儀式を経て上の御渡となり御旅所に到達する。この間づゝと行列の素通りする ものと儀式的なことをやる組とある。
影向の松の下にはもと奈良奉行が控えていたが現在は権宮司の検知席となる。続散訓抄(文久7年)に
天台座主教円毎日唯識論を暗誦して必ず春日大明神に回向し奉られけり。而して或夕に又回向し奉られける時、
住房の松樹の下に老翁一人現して万才楽を舞ひ結ふ即ち春日大明神の舞わせ給いける也
とあり、能楽殿の鏡板に松を画く図をなした場所をいう。行列がこの前の参道を通過するのであるが、第一番の陪 徒と第二番の御巫は松の下を通過するとき陪徒2人を中心に御巫共に騎馬の頭を松の方に向け 1列に並んで陪徒は 馬上のまゝ笛、篳篥で奏楽する。
第三番の細男座は騎馬上でやはり松の下にて陪徒同様短い楽を奏する。
猿楽 現在は金春一座と茂山狂言師によって行われている。元は金春、金剛、観世、宝生の 4 座が勤め、
金春、金剛は弓矢立合、観世、宝生は船祝言をやることになっていた。又、金春一座が御旅所参入 の時は中門で埒あけをやった。(今は変った型でやはり金春がやる)。まづ一の鳥居を入った所で胡 床にかゝり東向に並ぶ。
(後ツレ、シテ、前ツレを三大臣という)。笛(千載とシキ)を吹き、三大臣「なるは瀧の水、瀧の 水、日は照るとも」と謡う。次に地方「たえずとうたりありうどうどう」これにて一同立って、前 ツレ、シテ、後ツレ、ワキ、狂言、能地方、囃子方、同後見、狂言地方の順序で東へ進み、松の下 で影向ノ松の下に向って再び床几にかゝる。
但し能地方以下は藁敷に座す。席定まって笛音取置鼓にてワキ立ち出て開口を白す。ワキ「それ久
方の日ノ影は三笠ノ山に輝きて、天下泰平の御いのり、春日の原にみちみてり。されば神慮ますま すにして国土安全の御誓い、天表地久御願円満、かゝるめでたき御祭礼は、有がたかりける時とか や。(以上謡、以下詞)かゝる目出度御神事のみぎんなれば弓矢の祝言申さばやと存候。いかに友や まします。かかる目出度御祭礼のみぎんなれば弓矢の祝言申され候へ」ワキ元の座へ戻る頃三大臣 同吟にて「弓矢立合」となる。
三大臣「幸の弓」地方「よもぎの矢の政、誠に目出たかりける、あら有難や、いざやさらバ我等 もげいやうがしゃじゅと伝えきく、弓張月のやさしくも、雲の上まで名を上ぐる、弓矢の家を守 らん/\、武士の八十宇治川の流まで、水上きよしや、弓張の月」地「あわれ目出たかりける、
おさまれる御代の、時とかや、釈尊は釈尊は大悲の弓に智恵の矢をつまよって、三毒のねむりを 驚かし愛染明王を弓矢を持って陰陽に姿を現せり。されば五大明王の文殊はやうゆうと現じてら いをとって弓を作り、あいぜんの現ハして弓となせり。又我が朝の神功皇后は西土の逆臣を退け、
民堯舜の栄たり。応神天皇八幡大菩薩、水上清き石清水、流れの末こそ久しけれ」立合舞が済ん で次に狂言立ち三笠風流を舞う。風流「三笠山峯さしいづる天津日の」地「峯さしいづる天津日 の、いやとこしえに色かえぬ、この松ヶ枝の下影に、立出て舞う今日の袖、珍らし年もみづがき も神と君とのへだてなく、万千秋の長秋に栄ゆく春こそ尊けれ」舞収めて地方付祝言を謡う。地
「絶えず、とうたりありうどうどう」
「大和名所図絵春日若宮祭礼部」では五番猿楽二村例年二座ヅゝ輪番ニ勤之。影向松ノ下ニテ開口 ス。 金春、金剛は弓矢立合、観世、宝生者船ノ祝言也。当時ハ金春、金剛、宝生之内二座宛隔年 ニ勤之とあり。
船立合の時の開口文及び謡詞も残っているが、明治維新以後廃絶した。弓矢立合は翁の衣装で舞う。
狂言の三笠風流もこの外に松竹風流、住吉風流、相生風流、鶴亀風流等あったらしい。風流は「風 情ある作り物の意」と高野博士はいっている。「笠風流」「櫛風流」等の言葉が残っていて、櫛で蓬 莱山を作ったり、庭園別葉の景に按排したものを祝の進物としたことかららしい。猿楽の松の下の 儀式が進むと、寄進して御旅所へ向う。御旅所の中門で金春一座が到着したとき埒を出す。
埒は松の小枝皮付のまゝ竪3本、横2本に作り中央に白紙を結んであるがシテが進んで手にしてい る中啓でこの中央の紙結びを封を切る。もとは金春座の長、権の守りが小刀で埒の結縄を切排いた。
又金春非番の年で権の守のみは出席して、埒あけを勤めたという。
田楽座 猿楽の松ノ下式の終るまでは一の鳥居下で待機する。猿楽が済むと御幣を先頭に一藹、笛、花笠持 夫、三藹の順に松ノ下まで進んでこゝで所役の楽器、持物及び浅沓を整える。昭和40年は笛吹の横 に大花笠を置き、高下駄は穿かなかったが、昭和 38 年には笛吹は高下駄をはき、大花笠を被けた。
まづ 5 色幣を影向の松に向って中央で振る。幣持は松の下左手に幣を立てゝ控え、中門口より始ま る。即ち、一藹サヽラをとって影向の松の方へ向って前進、前方を左折東進して、幣の所で向きを かえ列に帰る。次に刀玉(三藹と四藹)、次に高足、弄玉があって終る。即ち、もどき開口、立合舞 は松の下ではやらない。終って御旅所へ進む。このとき大花笠は笠持夫は左右から持ち、頭に高烏 帽子を被る。最後の長柄、鳥毛、槍持が御旅所に入って御渡式が終ると引続いて御旅所の儀が行わ れる。
御旅所の儀。
御旅所の儀の祭典のうち神饌は春日流の細かく細工をした美しいものである。色染の飯等仲々手の込んだもので ある。日の使は知事さんが拝礼したが、馬長児は拝礼に列する。
神楽(春日では「社伝神楽」という)
続いて神楽がある。春日の琴はよい。舞人、白衣4人、摺衣1人。
(神おろし)この八乙女は 誰が八乙女ぞ 千早振る 神の御前に 立つや はなの八乙女 八乙女は
(星神の)すめがみの 御影映る増鏡 曇りあらせで 返り見給え
(珍しな)珍しな けふの神楽の 八乙女を 神もうれしと しのばざらめや
(神のます)神のます 春日の原に 立つや八乙女 八乙女は わが八乙女は 神の八乙女
(祭らるゝ)祭らるゝ 神のお前の八乙女も はなもひもとく 春日山かな
(千代まで)千代までと 君を祈れば三笠山、峯とも同じ 声きこゆなり ヤレ声きこゆなり
(松のいはひ)松の祝のためしに ひかるゝは春日の峯の 姫小松 八千代の玉椿 いつぬきかはに棲む 鶴 ながゐのうらに 遊ぶ亀
東遊(駿河舞、東舞ともいう)
東国の風俗舞という。大太鼓(右)の下に笛、篳、篥、和琴が立つ。舞人、4人、青摺衣、太刀を佩き、冠に 桜花を替す。
駿河歌一段 ヤ有度浜に駿河なる 有度浜に打寄する波は 七草の妹 ことこそよし
同二段 ことこそよし 七草の妹ことこそよし あへる時 いざさはねなむや 七草の妹、ことこそよし 求女子。千早振春日の山の三笠松、あはれ れれんや/\/\れん あはれ三笠松
田楽
一座芝上に一列に並び、五色の大幣を神前に奉る。幣は二本本座と新座を表わす。一藹(臙脂の緞子の装束、
藤の縫文)が奉る。続いて、中門口、刀玉、高足、もどき開口、立合舞を演ずる。笛吹は大花笠を被らず傍 に置く。少年が 1 人、田楽の装束にて傍らに立つ。弄玉のとき笛吹は中央に進み出て円座に坐してやるが、
その進み出るとき高下駄をはく。ぬいで円座に着く。
細男
6人。芝壇上に1列に並ぶ。6人共白の浄衣姿、烏帽子、神前に向って右2人は小鼓、左2人は笛、中央2人 は舞人。白幣を奉って後、白布で覆面し、笛はその覆布の下へ手をさし入れて吹く。舞人は右袖をあげ、身 体を少し前かゞみにして掩い隠す様にして前方に進んで舞う。舞は途中小鼓と入れ替り、小鼓が打ちつゝ、
前進する場合もある。所作は3回づつの繰返しで構成されている。
細男座の座元は現在二階堂、上ノ庄の上司氏であることを聞いた。文書、歌詞等あるらしい。門司の和布刈 神社に関係があるという話を聞いた。
神楽式
神楽式は翁式の略したもので、御能奉行、金春が勤める。徳川期にはこのとき十二月往来を演じたこともあ るらしい。明治20年頃から今の神楽式に改められた。
翁式を略して千歳(面箱持)を省略したのでシテも直面で舞う。装束は翁の衣装。小鼓も3人の連調が1人 となる。又三番叟(狂言方)も翁の帰りが済んでから直ぐに鈴の段を舞う。翁と共に出て芝台の後見座に相 当する所へ円座を着しに座す。装束は春日神社の神宮服白衣を着用。風折烏帽子。鈴は御巫の神楽鈴を借用 する。
本年度の出演者
御能奉行 石原玄叟 松之下式 於春日一ノ鳥居影向ノ松前
開口 岡 治郎右衛門
高橋勝蔵 大鼓 谷口喜代三 大太鼓 前川善雄 弓矢立合 金春信高 小鼓 林 吉兵衛 笛 杉市太郎 平岡雅之助
三笠風流 茂山千五郎 御旅所ノ式 於御旅所御神前
神楽式 金春信高 大鼓 谷口喜代三 笛 杉市太郎 小鼓 林吉兵衛
鈴之段 大蔵弥太郎 敷舞台を用いず、芝の上でやる。
舞楽、大太鼓が入る。
振鉾三節、万歳楽、延喜式、五常楽、狛鉾、和舞、蘭陵王、納曽利、散手、貴徳、抜頭、落蹲、納曽利まづ見た。
とても耐えられぬ寒さで、篝火の傍を離れられない。