3月5日(旧正17日) 名古屋市中村区岩塚町 七所神社 御田祭
梛の木を神木とする。梛の木を特別視する風習についても考えて見なければならぬ。何かありそうである。熊野 の産田神社もそうであった。
特殊神饌は円錐型の強飯。
もと岩塚城の城主吉田家が続いて社家を世襲している。もと岩塚七所社は御田神社宮所といったらしい。「元慶8 年正月15日御田天神」の銘のある神鏡が発見された。
神祭。保食神。
氏子中42才の厄年に当たるもの1人が祭(きねこさ祭)の世話役となる。祭に奉仕するもの若中より12人選ぶ
(うち少年2人)これを役者という。
旧正11日。世話役及び役者が大注連縄をつくる。この注連縄をつくる藁(稲穂付)や材料の青竹等を出す家は昔 から定っている。その夜、神主の家で盃の式を行い小物忌に入る。
15日から忌屋に入る(社務所)別火、参籠、毎朝水垢離をとる。17日午後1時、庄内川の浅瀬で笹竹を立てゝ、
役者の 1 人が裸でこれに登り、他の役者が祭文(種おろしの時に唱えるもの)を唱えつつ揺り、竹が折れて登った ものが川に落ちるまでやる。折れた方向でその年の豊凶を占う。この禊行事が終って参籠所へ走り帰って衣服を整 えて祭典が始る。
まづ役者が行列をつくって町内を巡る。御旅所と称する路傍で神官がこれを迎えて、直ぐ行列を整えて、本道を 神社へ還御になる。この行列は交通事情で非常に簡略化され、女童の稚児が参加することになっている。
行列は
(1)太鼓(境内に据えてある大太鼓はそのまゝにして道中は則の太鼓を用いる。境内の大太鼓を打つ役者は時々 交替する。役者全員が打つようである)
(2)笛(肩蓑をつける)
(3)獅子頭 (4)獅子の後振 (5)犬
(6)タカ(餌かごを肩にかける)
(7)コサ (8)杵
(9)忌鉾(甲冑をつける)
(10)ちご(赤いうちかけを被る。次の種壷を荷負う先棒を担ぐ)
(11)種壷(役者ではなく、壷の上に乗せた人形である)
(12)耕作男(種壷の後棒を担ぐ。方形の団扇を持つ)
(13)田行事 (14)傘鉾 (15)射手。
神社到着後、祭典がある。このときの神楽は「ちご」役が扇子と鈴を持って舞う。
祭典が終ると神前の広場で役者全員が神主を押立てるように種おろし祭文を唱えつゝ右廻り 3 回し、その間に神 主は種まきのように白紙の細片を撒く。
祭文
シテ「明神のごくうでんの種おろしいたそうよ ワキ「おゝ それようござろうよ
シテ「村中の種おろしいたそうよ ワキ「おゝ それようござろうよ
一同「やあらたのしや あらたのし 野も山も打ひらいて田につくろって引諸頭衆の中には白びけの種あり千 石も万石もで引、侍衆の中にはめっぽうあって石の子の柱あり千石も万石もで引、じょうろ衆のなかに 十二ひとえの石の子の種あり千石も万石もで引、此ほどに此ほどにふくの種まことおろろ おろろう、
三度 シテ「せんでう申 ワキ「まんでう申 三度 シテ「いゝもりない ワキ「いゝもりない 三度 シテ「いなづま米かぬ ワキ「われまづかめ
一同「おろろうに おろろうに 福の種まこよ おろろう おろろう 三度 てによく てによく てにてにつづいた 三度
うてめて 田うえて 黒めでで引、三度
種おろしが終ると、その斎場へ太鼓の拍子に合せて、まづ獅子が出て、4方に舞う、続いて犬と鷹、次にコサと行 列の順に出て3周する。
所が、その間に杵とコサと傘鉾は時々不意に現われて、参詣人の中へ突込むのであるが、そのとき持っている道 具で見物人を叩く。背中を向けて叩いてもらっている者もある。除厄という。
もとはこのきねこさ祭は夜行われたものらしい。