• Tidak ada hasil yang ditemukan

4 月 1 日 奈良県天理市新泉 大和神社 チャンチャン祭

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2023

Membagikan "4 月 1 日 奈良県天理市新泉 大和神社 チャンチャン祭"

Copied!
1
0
0

Teks penuh

(1)

4月1日 奈良県天理市新泉 大和神社 チャンチャン祭

行列が同市中山大塚山へ着くとき寺僧が鉦を打った。寺僧が中山お旅所の祭典に参列する。寺僧は長岳寺から出 る。

氏子の各大字の当屋から当人児(トウニンチゴ)を出す。御旅所で御酒と粽餅を奉饌する。

次いで龍之舞、田の実の舞。

還幸後、神社拝殿で再び

氏子が神馬をひき、行列に幣の種類が多いのが特徴。大和神社(大国魂大神)が中山大塚山の淳名城入姫(ヌナ キイリヒメ)に逢いに旅をする。

お旅所は中山郷が支配している。

各大字の当家は兄当家と弟当屋と2軒ある。当屋では家の外にお仮屋をつくる。

お仮屋は23日に立てる。神社から御幣を貰って来て立てる。20日に当人児のミキノクチアケをする。

佐保庄の当人児、春永英太郎(兄)吉川信太郎(弟)

兵庫庄の当人児、寺内(兄)藤野(弟)

竜は毎年兵庫から出す。兄当家の家から出す。

当人児は5~8才位。小学校へ上るまでの男児、当屋の家に定った家族に該当者のないときは同じ大字のうちから 男児を1週間借りて来て当人児とする。

左大臣と右大臣は2大字で定まる。

今年は萓生と岸田から出す。

神幸式に参列する大字の順序は毎年定まる。本年は

岸田、成願寺、新泉、中山、萓生、佐保庄、長板、三昧田、兵庫の順。それぞれ、1番岸田、2番成願寺、3番 新泉・・・・・という風に番手で定める。

田の実の舞は最初樫の葉を入れた桶を笠で伏せた上に*を置き、庭の中央に置く。一人笠と*とをとり田をすく 所作を 2 度繰返す。次に桶を多勢が囲み樫の葉を手に手にとって「おゝみたらしの神」と唱えて手にした樫の葉を 撒く。

田の実の舞は龍の舞の後で演ずる。龍の口の舞は2 人、獅子舞のように頭と後振となる。口をかつかつ鳴らせる。

左廻りに庭を3 廻りし最後に神与の前に進んで又口をカツカツ鳴らせる。これを「タツノクチ」といゝ「おゝみた らし」と唱える田の実の舞の唱え言と合せて雨乞に関係あるらしいと村人の話であった。

神車渡御物品順次記載一番大明神様へ粽四れん、酒2合、へいじ入但数八十かわらけ一つせいごのつる二番猿田彦へ粽四れん、酒一合へいじ入但数八十三番新泉村へ粽三つ四目酒一合かわらけ四つ但し同村より上り物幣一本四番兵庫村へ粽三つ酒一合へいじ入但同村より上り物そうめん二ワ箸一揃五番岸田村へ粽十本二口酒一合、かわらけ二つ但数二十六番猿田彦へ酒二合へいじ入来事七番大明神様へ結粽二十五、酒一合へいじ入但座内一同にて来る事、尚御幣を持つ事八番三昧田村へ粽三十酒一合丁子入但同村より上り物凡そ三升糟御供九番大明神様へ申上酒一合へいじ入、但当家人来る事十番長板村へ粽十但同村より上り物塩鯛一枚十一番萓生村へ粽二十但同村より上り物、酒一升、樽返戻の事十二番佐保庄村へ粽十但同村より上り物酒一升、樽返戻のこと明治二十一年子四月改右村々より上り物若宮様へ供御下り物は座中ニ納有之事昭和五年四月一日大字中山上垣内当家中西亀吉 神幸式順先駆―岸田鉄棒、岸田鉄棒―成願寺鉦鼓―岸田産子幣―新泉太鼓―岸田猿田彦―長板錦旗、長板錦旗―市長―成願寺産子幣―新泉産子幣―新泉根越榊―新泉神饌、中山唐櫃―中山大幣―中山産子幣―萓生千代山幣―会長清祓―萓生風流傘―長板龍歌―萓生産子幣―三昧田甲冑、佐保庄甲冑―増子神輿―祢宜―楯矛、楯矛―長板羯鼓―長板楽太鼓―長板楽鉦鼓三昧田―伶人―萓生隋臣、萓生隋臣―神馬―菅翳、菅翳―御剣―矛―神馬―宮司―長岳寺山主―同鉦―佐保庄産子幣―長板産子幣―三昧田産子幣―兵庫産子幣―神職

Referensi

Dokumen terkait

法人の概要 1 建学の精神 堂々と自分の意志で行動できる人になってもらいたい 本校の建学の精神は、「世界の舞台に堂々と自分の意志で立ち、行動できる人を育てる」 です。創立者の辻本光楠先生は、明治 301897年に 15 歳で単身アメリカ・サンフランシス コへ渡られました。当時、先生は学校で、欧米文化を取り入れた日本人が新大陸でアメリ