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太平洋戦争期東歯専配属将校が発行した教練検定合格証

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Title 太平洋戦争期東歯専配属将校が発行した教練検定合格証

明書についての考察

Author(s) 五十嵐, 康夫

Journal 歯科学報, 121(4): 394‑399

URL http://doi.org/10.15041/tdcgakuho.121.394 Right

Description

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東京歯科医学専門学校(以後「本学」と表記)に は,太平洋戦争終戦まで陸軍軍人が配属将校という 任務で常駐していたことが知られている。昭和6年 本学に着任した安江陸軍歩兵中佐が歯科学報10年4 月号に「学校教練に就て」1)の論文を上梓し,それま での本学教練実績を総括評価している。その中で要 旨として「学校教練を単に軍事予備教練というその 認識は甚だ誤れるもの。」「軍事的教練を通じて学校 教練の目的を達成する。」を述べ解説している。ま た「学校教練の成績により現役兵役期間2年を1年 半に短縮,志願者は幹部候補生教育から下士官・将 校への道が開ける。」とも述べている。その後戦況 の激化とともに軍事的教練が強化され,学校教練は 軍事教練と同義となった。

さて著者はかねてより太平洋戦争期における本学 の学事や,生徒の生活史について空白部分を明らか にする検討を行っているが2−7),資料収集の過程で 本学在籍のまま召集を受けた生徒が所持していた,

兵役適任証書類7枚の原本を見る機会を得た。その 中に,本学配属将校が発行した「教練検定合格証明 書」も含まれていた。軍関係の書類履歴等は,終戦 とともにほとんど焼却処分にされたといわれるが何 故残ったのか,この疑問を出発点として限りある関

連資料を検索し証明書の存在意義を考察した。

本論文は解説的論述でまとめたが,客観性一般性 を持たせるべく可能な限り当時の資料を検索し,裏 づけをとった。以下主な資料の概要を述べる。その 他の資料は,そのつど引用として提示する。年表記 は原則「昭和」であるが,省略する場合もある。

1.本学昭和20年9月卒51期生 T(以後「生徒 T」

と表記)の遺品

生 徒 T は 本 学 に 昭 和17年4月 入 学20年9月 卒 業,平成26年6月に他界された。遺品として生徒の まま兵役に召集された時に携帯した「奉公袋」,戦 中期の在学生活日記(以後「T 日記」と表記),専 門書,ノート等を残していた。主題の「教練検定合 格証明書」は,奉公袋の中の一点である。日記には 昭和50年頃の日付で「思い出書きの解説記録」が添 付されていた。

2.本学同窓会五十一期会の卒業思い出アルバム 本学同窓会名簿では,昭和20年9月から21年10月 までの卒業生を一括して五十一期会8)と呼称する。

この学年は卒業アルバムを作れなかった学年だった が,正木らは59年に40年遅れの「卒業記念アルバ ム」を発刊し,本学図書館に寄贈している。

3.歴代の歯科学報や関連雑誌

歯科学報は開戦後も毎月発刊されていたが,つい に19年6月号を以って終刊(当時の表現)となり,

歯科界諸雑誌と統合「日本歯科公報」として再編成

その他

太平洋戦争期東歯専配属将校が発行した 教練検定合格証明書についての考察

五十嵐康夫 山形県

キーワード:太平洋戦争,東歯専,軍事教練,検定合格証 明書

(2021年2月22日受付,2021年7月14日受理)

http : //doi.org/10.15041/tdcgakuho.121.394 連絡先:〒993‐0083 山形県長井市大町7番16号

五十嵐康夫 394

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された。20年終戦直後の号には主な歯科専の卒業生 名簿が収載されており,本学20年9月卒154名の確 定名簿9)として利用できた。

主要な資料「奉公袋」とその内容の解説

小林10)によれば奉公袋とは,「応召の際に貴重品 を入れて携行するもの。袋の裏には収容品として,

軍隊手牒,勲章,記章,適任証書,召集令状,貯金 通帳などが記載されている。」と説明される。仄聞 するところでは,天皇陛下の御下賜品とのことであ る。生徒 T の袋の中には適任証書に相当する書類 7点があり,表は書類の一覧である。資料①は徴兵 検査により判定された兵種の区分であり,平時なら ば第二補充兵での召集はない。②は本学在学中に受 けた教練の検定で合格したことを証明する書類であ る。発行者は校長ではなく,陸軍の配属将校名であ る(図1)。書類は活版印刷による既定様式に書き 込む書式であり,主題名は「教練検定」であり,「軍 事」の文言はない。その中で6字〔當校繰上卒業〕

を抹消,7字〔入隊ノ為メ休学〕を加入している。

③は本籍がある故郷の町長発行の身分証明書であ り,謄写版刷り書き込み様式である。内容として「禁 錮以上の刑がないこと,破産宣告を受けていないこ と。」2項が特記事項である。④は陸軍大臣宛の「幹 部候補生採用志願書」,⑤はその添付学歴一覧表で 自分の学歴と教練検定合格等を記載している(図 2)。いずれも本人自筆と思われる毛筆墨書で,日 付数字部分だけがペン書き筆跡である。⑥は出身中 学での教練検定合格証明書,⑦同校卒業証明書であ

り,いずれも活字印刷書き込み様式である。ある軍 人経験者によれば,「終戦まで兵役で復員者ならば

(進駐アメリカ軍に見られないように)焼却処分さ れたかもしれない。」と述べている。実際には除隊 後持ち帰り,そのまま生家に置いたままだったよう

表 生徒 T の奉公袋に保管されていた書類一覧(作成発行日付順)

資料番号と名称 作成発行日付 発行機関・発行者 内容と解説

① 第二補充兵證書 昭和18年11月15日 山形聯隊区司令官 徴兵検査の結果兵種区分(第二補充 兵)を決定した証明書

② 教練検定合格證明書 昭和19年12月20日 東京歯科医学専門学校配属将校 東歯専での(軍事)教練検定合格証明 書(合格日昭和19年12月20日)

③ 證明書 昭和19年12月21日 故郷●●町長 出身本籍地の本人で刑罰がないことの 証明書

④ 幹部候補生採用願 昭和19年12月25日 志願者本人自筆 幹部候補生採用志願書本文

⑤ 同上添付 学歴一覧表 同上 同上 ④に添付する学歴教練履歴書

⑥ 教練検定合格證明書 昭和20年1月22日 故郷●●中学校軍事教官 中学での軍事教練合格証明書(合格日 昭和17年3月5日)

⑦ 中学卒業證明書 昭和20年1月23日 同上 中学校長 中学を卒業した証明書(卒業日昭和17 年3月5日)

図1 東歯専教練検定合格証明書(資料番号②)

歯科学報 Vol.121,No.4(2022) 395

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である。

生徒 T の入学・兵役・卒業までの経過(概要)

昭和17年4月本学新入生が,小学校から最短年数 で入学すれば現在の高校三年生,全員が満17歳を越 えた春であった。生徒 T は大正11年3月生まれだ が,健康等の事情で入学が3年遅れ,以後在学中も 健康に恵まれず欠席の多い生徒だった。入学時は20 歳を迎えた直後であり,本来ならばすぐ徴兵検査の 時期であるが,この時点ではまだ延期期間であっ た。しかし昭和18年秋には徴兵検査を受け第二補充 兵となった。平時ならば第二補充兵での召集はな い。

19年9月には登院生徒となったが,12月18日つい に召集令状が届き19日に学校に手続き挨拶し帰郷,

20日より休学扱い,25日弘前第57部隊に入営した。

以後兵役訓練についたが病弱により入院,20年3月 に兵役解除除隊扱いになった。5月1日より復学し 東京生活を再開したが,25日の東京大空襲で被災負 傷,ここから再び欠席が多い生活となったが,なん とか卒業できる成績にまとめ,9月8日付で東京歯 科医学専門学校歯科医学士の卒業證書を授与され た。歯科医師免許証は11月17日付で下附された。

招集後休学から除隊までの経過(詳細)

生徒 T は,在学生活日記の外に入営後は検閲で

許される範囲で,メモ程度の日記を残していた。さ らに,本人解説を加えて以下の内容が判った11)

(ア)召集の通知原本は故郷の生家に届いたが,

東京の本人に直接届いた連絡は,故郷町長から12月 18日着の至急電報であり,その内容は「12月25日山 形59部 隊 へ 入 営 す へ し ●●町 長」(原 文 カ タ カ ナ・濁点なし)であった。

(イ)19日朝から登校して,患者の引継ぎ休学手 続き教員への挨拶を終え,定例壮行行事を辞退して 正午過ぎ離校した。なおこの日に本学で配属将校に 挨拶して,書類を交付された記録はない。

(ウ)午後都内の親類に挨拶して,夕方下宿に戻 り所持品をまとめ故郷に発送,夜遅く上野から列車 で離京という慌しい一日であった。

(エ)翌20日早朝故郷に到着し,役場に行ったが その夜に変更通知があり「召集地が山形から弘前57 部隊に変更」となった。

(オ)翌日出身中学や親類に挨拶を済ませ,23日 朝弘前へ出発24日到着,指定旅館に前泊した。

(カ)旅館に同宿した仲間の多くは,医歯薬専門 学校や師範学校を9月に卒業したばかりの現役兵で 自分のような補充兵はいない。中に本学を9月に卒 業したばかりの一学年先輩が2名いた。

(キ)弘前に入隊した人員は180名,幹候要員(原 文のママ)採用されるための前提で毎日訓練を受け た。身体検査から始まって,試験は1月9日から始 図2 生徒 T が弘前57部隊に提出した学歴書(本人自筆を転記)

396 五十嵐:太平洋戦争期東歯専発行の教練検定合格証明書

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まっている。体調不良で12日より入院,この間適任 証書の作成をいつの時期に行ったか,記録はない。

私見を交えての考察

上記の記述に私見を補足して,生徒 T に召集が 来た経過を要約すると,⑴本土決戦を想定した兵員 不足増強のため,医歯薬師範学校の兵役猶予措置が 解除され,現役歯科生徒にも年長者から徐々に召集 が来た,⑵山形部隊への召集は,当初の方針として は最下位二等兵としての予定だった,⑶一方弘前部 隊では,絶対数が不足していた幹部候補生を養成す る任務を課され,広く同師団区域内で候補生を探 し,生徒 T の経歴を適性範囲と見做し召集先を急 遽変更した,⑷志願するための要件を満たすべく著 者が知り得た範囲で,7通の書類を準備していたこ とになる。特に本学での教練検定合格証明書は,直 近の経歴で最重要な軸として必須だったと思われ る。この証明書は休学証明を兼ねており,さらに過 去の履歴として出身中学の卒業と検定合格証明まで 添付しており,教練経験と学歴の事実関係を文書手 続きで証明していたことになる。当時の軍隊は兵員 不足で,一刻も速く補充すべき状態であったが,幹 部候補生を選抜するにあたり,規則通り文書手続き を省略せずに履行していたことが明らかになった。

生徒 T が入営後早速文書作成を課されたと仮定 して,自分で書いたものは④採用願と⑤学歴一覧表 である。以下疑問点を提示するが,本論文は疑問点 の解明が主目的ではない。思いつくままの見解を述 べるに止める。第1点,資料⑤図2で「教練検定合 格」2校2行分だけがわざわざ朱書されているのは なぜか。第2点,朱書1で中学卒業日を3月31日と し検定合格日の記載はないが,所持資料⑥⑦では検 定合格と,卒業日付が3月5日と明記されている不 一致はなぜか。第3点,朱書2では本学の検定合格 日を12月20日として資料②図1と一致するが,厳密 にいえばその日から休学開始で手続き上は学校に不 在であるがなぜか。第4点,資料④で申請日付が入 営当日であり,その部分だけがペン書きであるのは なぜか。以上4点である。

第1点朱書について,特に重要な教練部分の強調 とは読み取れるが,真相は不明である。第2点中学 の証明日付について,発行日付が1月20日すぎであ

ることから,作成開始後郵送で発行を申請し実際の 日付を確認できたのは下旬であったと思われる。第 3点本学の証明日付について,登校最終日が19日で あった者に見込みで翌20日付の事前交付をしたのだ ろうか。しかし19日時点では弘前に幹部候補生とし て召集されることは誰も知らない。では召集を受け た者すべて一律に,幹部候補生志願を前提としない 者にも発行したのだろうか。図1と図2の休学部分 の文言を比較すると,図1証明書では〔入隊のた め〕,図2学 歴 書 で は〔応 召 の た め〕と 違 い が あ る。手元に原本があればそのまま転写することがで きたと思えるが,もはや本人にしか判らない。第4 点ペン書きと思われることについて,T 日記では召 集日の即日帰郷や数日後の不適任帰郷は何人もいた ことを記している。私見ではあるが,志願文書は取 り敢えず日付抜きで作成しておき,後日適任範囲の 者に対し遡って入営日付を入れたのかと推定する。

実際には生徒 T も帰郷組となり書類をそのまま持 ち帰った。

本学の歴史に位置付けた総括

ここからは,本学の歴史に一般化した視点で総括 する。戦争前いわゆる平時だった頃,大学や専門学 校生等の20歳徴兵検査それ自体が卒業まで延期扱い だった(但し一定年齢までの上限つき)。徐々に戦 時体制が強化されるに至り,本学への入学志願数が 増加した。学則12)の記録では,昭和15年に465名,

以後16年622名,17年762名,さらに18年1,109名13), 19年には1,152名14)と続く。生徒 T は,昭和17年本

学受験で上京中に知人の勧めで予定外ながら医専を 2校受験していた。受験者数15)は,一校目で2,300 名以上,2校目で3,528名と記録していた。仄聞す るところでは,この頃「兵役逃れによる受験増が あった。」と聞いている。その後延期措置が徐々に 撤廃され16),在学中の検査や召集が通常のことに なった。

昭和12年日中戦争勃発とともに,卒業生が直ちに 検査を受け出征した人もいた。本学13年卒深山正之 先生は,14年2月に現役で入営,15年11月少尉任官 即日召集,以後本国帰還は昭和28年であった稀有な 履歴をお持ちである。その履歴は後年地元同窓の後 輩宮本宣良先生17)によって上梓された。この経歴を 歯科学報 Vol.121,No.4(2022) 397

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見れば,緒言で述べた安江の指摘1)「現役兵役期間 2年を1年半に短縮」がそのまま実行されているよ うに見受けられる。16年12月26日本学最初の繰り上 げ卒業を経験した百束先生18)は17年2月現役で入 営,幹部候補生から少尉に任官して帰還は21年11 月,その間の個人史を上梓された。また51期生の一 部66名は,20年3月海軍短期現役生に合格19),4月 からは広島県に新設された賀茂海軍衛生学校に入 学,海軍歯科医科第6期生20)として,母校在籍中の 身分のまま補習学生として在籍し,思い出のアルバ ム資料には個々人の私記が掲載されている。

以上いずれにおいても,幹部候補生志願のために 手続き書類を取りまとめた記述は見られない。任官 のための書類作成は些細な事務的事柄であり,記録 に残っていないのは当然のことと思われる。検定合 格書の印刷様式に〔當校繰上卒業〕が刷りこんであ ることは,昭和16年後半に繰り上げ卒業が制度化さ れてから準備され,以後相当数発行したと推定はで きる。しかしすべての卒業生が,全員幹部候補生と して召集されるとは限らず,候補生が入営後訓練の 結果で選抜されたのであれば,卒業時あるいは応召 時全員に本学から一斉発行されたことには疑問があ る。入営後に申請があった時点で,その都度発行し たと考えるのが妥当ではないか。事務作業担当側で は,戦局激化とともに発行枚数が増え多忙を極めた のではないかと想像する。以上限られた根拠資料で はあるが,拙稿が本学太平洋戦中史の知られざる一 端の報告としてお役に立てば幸いである。

稿を終えるにあたり,貴重な資料を残された五十一期 会各位に深謝申し上げます。

本研究の要旨は,第300回東京歯科大学学会総会(2015 年10月17日,東京)で発表した。

文 献

1)安江仙弘:学校教練に就て,歯科学報,40:299−

300,1935.

2)五十嵐康夫:太平洋戦争開戦直後の本学入学51期生 T が残していた兵役手続き書類7枚について の 考 察,歯科学報,115:490,2015.

3)五十嵐康夫:太平洋戦争中に本学が開催した大詔奉 戴日の儀式と記念講演についての報告,歯科学報,

116:245,2016.

4)五十嵐康夫:本学51期生が昭和17年4月入学から戦 後復学まで経験した学事修学の様相−在籍数変動と 卒業認定の経過について−,歯科学報,117:416,

2017.

5)五十嵐康夫:太平洋戦争期における本学の学年学期 別学科目編成について−昭和17年度改定学則と同年 入学生 T の個人記録との比較検討−,歯科 学 報,

118:489,2018.

6)五十嵐康夫:昭和20年夏に本学の後期試験は実施さ れたのか−51期学年記録と学生 T の日記との比較検 討−,歯科学報,119:243,2019.

7)五十嵐康夫:昭和十年代に本学に提出されていた卒 業論文についての報告−学則と歯科学報の記録をも とに−,歯科学報,119:461,2019.

8)五十一期会:東京歯科大学同窓会会員名簿(平成26 年度版),pp.86−87,東京歯科大学同窓会,東京,

2014.

9)歯科医専校卒業者:東京歯科医学専門学校 五十一 回,日本歯科公報,2:122−123,1945.

10)小林こずえ:戦時下暮らしの用語集,別冊太陽 戦 時下のくらし 初版(小泉和子監修),p.48,平凡 社,東京,2020.

11)生徒 T の日記:昭和19年12月18日〜20年1月下旬ま で,1944.

12)沿革略:財団法人東京歯科医学専門学校学則(昭和 17年5月 改 正),pp.1−11,東 京 歯 科 医 学 専 門 学

校,東京,1942.

13)東歯録事:入学試験終わる,歯科学報,48:274,

1943.

14)東 歯 録 事:本 学 入 学 試 験,歯 科 学 報,49:116,

1944.

15)生徒 T の日記:昭和17年3月14日と16日分,1942.

16)陸海軍彙報:修学継続の為の入営延期,歯科学報,

48:697,1943.

17)宮本宣良:第三章 砲弾かついで山砲隊,越境者の 記憶−兄弟それぞれの戦場− 第1版,pp.50−72,

桂書房,富山,2002.

18)百束尚彦:一歯科医将校の回想,pp.8−31,自費 出版,千葉,1995.

19)木下裕之,袋 仁美,安井哲男,他:賀茂海軍衛生 学校,東京歯科大学五十一期会アルバム(編集委員 長 正木光児),pp.103−114,群馬,1984.

20)山﨑 智:第八部 太平洋戦争 歯科医科士官の 育成の状況,白き貝殻 日本海軍歯科医科士官の歴 史,p.208,東京,2004.

398 五十嵐:太平洋戦争期東歯専発行の教練検定合格証明書

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(7)

Consideration on the certificate of passing the training test issued by the TDC Army assigned officer during the Pacific War

Yasuo IGARASHI

Yamagata pref.

Key words: Pacific-War, Tokyo-Dental-College, Military-training, Pass-certificate

歯科学報 Vol.121,No.4(2022) 399

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