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364 化学と生物 Vol. 51, No. 6, 2013
昆虫の加害によって植物に蓄積される植物ホルモンとフィトアレキシン
対病原菌誘導抵抗性の一側面
イネの重要害虫であるセジロウンカ(以下セジロ)は 6 〜7月に梅雨前線に伴う偏西風に乗って中国大陸より 飛来する.その後,7 〜 8月にかけて,九州など西南暖 地を中心とする各地の水田で増殖し,主に栄養成長期の イネを吸汁加害(以下,加害)する(1).一方,イネの重 要病害であるいもち病(葉いもち)の被害もこの時期に 多発する.このように,これら2種類の重要病害虫は同 時的に発生するにもかかわらず,共通の寄主であるイネ を含めた3種生物間の相互作用については,従来,全く 注意が払われることがなかった.筆者は,セジロといも ち病という病害虫二者間の関係に強い関心をもち,まず もって九州地方における過去30年間のセジロと葉いも ちの発生面積の年次変動に関するデータの解析を試み た.その結果,セジロの発生が多い年には葉いもちの発 生が少ない傾向にあることを確かめ,それを契機とし て,イネを介するセジロと葉いもちという,これまでに 全く例を見なかった二者間の相互関係についての調査研 究に着手した.結果の詳細は本誌のVol. 41, No. 11, 2003 で報告したが(2),概略すると,セジロの吸汁行動が引き 金となって,イネ体内にいもち病に対する全身獲得抵抗 性(後述)が誘導されることが確認された(3〜5).さら に,いもち病は糸状菌(かび)によって起こる病気であ るが,細菌病である白葉枯病においてもほとんど同様の 現象が起こることをも確認した(6, 7).ここでは,その現 象にかかわるメカニズムの重要な一側面について報告す る.
植物の誘導抵抗性に関する研究は植物病理学の分野で 広く行われてきた.たとえば,タバコモザイクウイルス
(TMV)がたばこの下位葉に感染し壊死病斑が形成され ると同じ植物の上位葉にこのウイルスに対する抵抗性が 誘導される.この誘導抵抗性は,誘導された部位とその 強さから局部獲得抵抗性 (localized acquired resistance ; LAR) と全身獲得抵抗性 (systemic acquired resistance ; SAR) の2種に分けられる.LARは感染部位の近傍で起 こる抵抗性反応であり,そこでは植物内在性のシグナル 物質(ストレスホルモン)のサリチル酸(SA)が大量
(タバコにおいては通常の約500倍)に蓄積されるとと もにPR-タンパク質(pathogenesis related protein:特
に酸性のPR-タンパク質)の生成が見られ,強い抵抗性 が誘導される.これは,病原体由来の成分やその増殖過 程で生成される代謝成分の中に存在するエリシター(抵 抗性誘導のきっかけとなる因子)が引き金となって防御 システムの一つとして知られるサリチル酸経路が活性化 されることによる.一方,感染部位から離れた場所にお いて誘導されるSARでは,LARと同様にSAの蓄積や PR-タンパク質の生成は見られるものの,その程度は LARに比べて弱く,LARほどの強い抵抗性は示さな い(8〜12).
誘導抵抗性に関連する植物の防御システムには,SA 経路とともにもう一つ重要な経路の存在がある.病原体 の感染により壊死症状を起こした植物や虫の摂食,人為 的な付傷など,主に機械的な傷害を受けた植物では,植 物ホルモンの一つであるジャスモン酸 (JA) の量的増加 とともに,プロテアーゼインヒビターなどの主に塩基性 のPR-タンパク質の生成や各種のフィトアレキシンの蓄 積に結びつくJA経路である.つまり,植物は病原体や 昆虫などによる傷害の態様に応じて,上記2種のシグナ ル伝達系を使い分けていると考えられる(13〜16).
セジロの加害を受けたイネにおいても,前記したシグ
図1■セジロウンカの加害時間の変化とイネにおけるジャスモ ン酸の蓄積量の変化
○:セジロウンカ加害区.▲:細針を使用した機械的付傷区.
●:無処理区.統計処理は Tukey multiple comparison test ( < 0.01) による.同一のアルファベット間には統計的有意差はない
(各時間3処理間での比較).
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ナル伝達系を中心とする生体防御反応が誘導されるかど うかを調べるため,加害を受けたイネの葉身部分におけ るSAとJAの蓄積量をLC/MS/MSで分析した.比較と して,無処理区とともに,セジロの口吻挿入時の機械的 刺激を想定した微針処理区を設け,3処理間で蓄積量を 比較した.その結果, SA, JAともにセジロの加害を受 けたイネにおける蓄積量が有意に多く,加害時間の延長 に伴ってしだいに増加することが確認された.特にJA の蓄積は非常に速やかで,加害開始,わずか3時間後の サンプルにおいて非加害サンプルとの間に有意差が認め られた(図1).SAの場合はJAに比べ,加害,非加害 のサンプル間でそれほど大きな差は認められなかった が,イネには元々 SAが大量に含まれており,その影響 によるものであろうと考えられた.事実,被加害のイネ においてSA経路と関係する複数の抵抗性関連遺伝子や 抗菌性を示すPR-タンパク質の発現が確認されてい
る(4, 17).これらの結果より,セジロの加害を受けたイネ
では,植物の生体防御反応として知られるSA経路と JA経路の両方が活性化している可能性が示された(18).
従来,SA経路とJA経路は拮抗的に作用すると言わ れてきたが,最近,シロイヌナズナを使っての詳細な研 究により,両者が協力的に作用する事例も多いことがわ かってきた(19〜21).われわれの研究結果もこれを支持す るものであり,セジロの加害を受けたイネではSA経 路,JA経路の両者が協力的に作用し,糸状菌病である いもち病と細菌病である白葉枯病に対する生体防御のた めのネットワークを形成しているものと思われる.
イネでは,現在までにフィトアレキシンとして15種 類の化合物が確認され,そのうち14種類はジテルペン 系化合物であり,残りの一つがフラボノイド系化合物で ある.われわれの研究では15種類のうち,研究対象と なる頻度が比較的高く,よって研究報告も多い,ジテル ペン系化合物のモミラクトンAとフラボノイド系化合 物のサクラネチンの2種類に的を絞り,イネにおける蓄 積量とセジロウンカの加害との関係について解析した.
図2はモミラクトンAについての解析結果を示すが,両 化合物ともセジロの加害開始からわずか24時間で無処 理区や細針を用いて機械的な傷を与えた区(付傷区)に 比べて高い蓄積量を示し,以降,加害時間の延長に伴っ てその値は増加した.さらに今回,調査対象から外した 2種類の化合物以外の残り13種類のフィトアレキシンも セジロの加害により,同じようにイネ体内に蓄積されて
いる可能性は非常に高い.
イネを対象とした病原体に対する誘導抵抗性に関する これまでの主要な研究により,上述したとおり,いもち 病菌が抵抗性イネ品種に侵入する際に見られる過敏感反 応に伴って起こるSA,JAなどのシグナル伝達系の活性 化が誘導抵抗性の発現過程の初期段階で重要な働きをし ていることがわかっている(22, 23).フィトアレキシンの 生合成に関してはJAの影響が特に大きく,イネ体内に おいてJA経路を活性化させるエリシターとして知られ る塩化銅 (CuCl2) やUVの処理,JAのイネに対する直 接処理によって,フィトアレキシンの蓄積量が急激に高 まることが実験的に確かめられてきた(24〜26).これらの 結果より推定すれば,セジロの加害により惹起される各 種シグナル伝達系のなかでは特にJA経路の活性化がイ ネにおけるフィトアレキシンの蓄積と密接な関係にある ものと考えられる.
これまでの研究により,セジロの加害によってイネ体 内に複数の病原体に対する抵抗性が誘導される現象が明 らかにされた.その現象に関するメカニズムについても 生化学的,分子生物学的手法を用いた解析により全容解 明に近づきつつある.そのプロセスを略記すれば以下の ようになる.1) セジロの唾液腺中に存在する現象の引 き金となる物質(エリシター)が吸汁行動に伴ってイネ 体内に導入される.2) エリシターの働きによって,主 図2■セジロウンカの加害時間の変化とイネにおけるモミラク
トンAの蓄積量の変化
○:セジロウンカ加害区.▲:細針を使用した機械的付傷区.
●:無処理区.統計処理は Tukey multiple comparison test ( < 0.01) による.同一のアルファベット間には統計的有意差はない
(各時間3処理間での比較).
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にSA,JAを中心とする植物ホルモンに関連するシグナ ル伝達経路が活性化する.3) SA経路は特にLARや SARに関係し,抵抗性関連遺伝子の発現や抗菌性を示 す酸性のPR-タンパク質の生成に関与する.3) JA経路 は,JAの量的増加とともに,プロテアーゼインヒビ ターなどの主に塩基性のPR-タンパク質の生成に関与す る一方,フィトアレキシンの生合成に関しては強力なエ リシターとして働くことなどが明らかにされた(図3). 以上のことを踏まえ,今後の研究は,引き続きセジロ の加害によってイネ体内に発現する誘導抵抗性のメカニ ズムの解明が主体となろう.第一に,応用的観点から は,現象の引き金となるエリシターの存在を突き止め同 定することへの期待度が高い.エリシターの存在につい ては,予備的な試験によって,セジロ唾液腺のメタノー ル抽出物にフィトアレキシンを誘導する働きがあること を確認しており,生化学的方法を駆使して物質を単離し 化学構造を明らかにすることが当面の課題である.エリ シターの化学構造が明らかになれば,プロベナゾールの ように,いもち病に対する新たな対病原菌抵抗性誘導剤
(plant activator) の開発に道を拓くことになるかもしれ ない.また,さらなる分子生物学的な解明も重要と思わ れる.セジロウンカの吸汁加害条件と抗菌性を示すPR- タンパク質の生成量との関係,未解析のPR-タンパク質 遺伝子の発現量の変化やそのほか抵抗性関連遺伝子の発
現に関してもより具体的な解析が必要である.さらに各 種シグナル伝達系とフィトアレキシンの生合成との関係 をより明確にすることもまた重要な課題である.それを 明らかにするためには,イネ体内でのSA,JAの生合成 が抑制される変異体および形質転換体を用いた実験が必 要になるだろう.たとえば,SAの場合,微生物のSA 代謝酵素遺伝子である を導入してSAの内生量を 抑えたイネを用いたり,JAであれば,脂肪酸合成系酵 素遺伝子の発現をRNAi法で抑制したイネを用いる方法 などが考えられる(27〜29).
以上は,主に糸状菌病であるいもち病を念頭において いるが,細菌病である白葉枯病に対するフィトアレキシ ンの効果についてはいまだ具体的な研究がなされておら ず,今後の重要な研究課題の一つとなろう.最近,われ われの研究を受け継いだGomiら(7) により,イネがセジ ロウンカの加害を受けると植物揮発性物質を合成する酵 素 hydroperoxide lyase (HPL) が 活 性 化 し,そ れ に よって抗菌性を示す ( )-2-ヘキセナール(青葉アルデ ヒド)が蓄積され,それが白葉枯病の発生を抑制してい る可能性があるという興味深い報告がなされた(7).
( )-2ヘキセナールには,糸状菌に対する殺菌作用があ ることは知られているものの,細菌に対する効果は未知 数であり,特に白葉枯病菌を対象とした今後の研究の進 展に期待したい.
図3■セジロウンカの吸汁加害に よってイネに誘導される病害抵抗性 のメカニズム(仮説)
: いもち病菌. pv.
: 白葉枯病菌
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(菅野紘男,新潟県立高田北城高等学校)
プロフィル
菅野 紘男(Hiroo KANNO)
<略歴>1967年茨城大学農学部農学科卒 業/農水省や独法の研究機関に身を置き,
主にイネや大豆の持続的害虫防除に関す る研究に従事した.その間,マサチュー セッツ大学やカリフォルニア大学,さらに はHortResearch(ニュージーランド)や 国際熱帯農業研究所(ナイジェリア)に長 期間滞在し海外での研究活動にも従事した
<研究テーマと抱負>現在は,新潟県にあ る高校で理科教育のお手伝いをしながら,
特に理数科の生徒達と彼らの将来の夢につ いて語り合うことを楽しんでいる