2014/8/02 日本保険学会九州部会(レジュメ)
日本における生命保険売買の法的可能性
小樽商科大学大学院 准教授 吉澤卓哉 [email protected] 東京海上研究所 主席研究員 小坂雅人 [email protected]
1.末期患者とその家族は経済的にも苦しんでいる
(1)背景事情
①末期患者とその家族は、経済的な困窮や経済的余裕の渇望に喘いでいる。
②米国:生命保険売買の進展
死亡保険金目的の生命保険売買(‘benefit value’ life settlement)
Opp., 契約者価額目的の生命保険売買(‘reserve value’ life settlement)
生命保険売買法が制定されている州では、約款規定のいかんにかかわらず、保険契約 者変更について保険者承諾不要。
③日本:生命保険売買の私法的障碍
保険契約者変更における保険者承諾要件
東京地判平成
17
年11
月17
日判タ1198
号108
頁東京高判平成
18
年3
月22
日判タ1218
号298
頁(控訴審)④日本の末期患者とその家族は、経済的な困窮や経済的余裕の渇望に今も喘 いでいる。
(2)報告の目的
保険法が施行された今日の状況において、生命保険売買に伴って行われる保 険契約者変更および保険金受取人変更の手続で、契約法上、保険者承諾が本当 に必要か否かに関する契約法の論点について、解釈論として検討する。
(3)報告の構成
2:契約譲渡に関する契約法一般の考え方を整理する。
3:保険契約者変更における保険者承諾要件について検討する。
4:モラル・リスクの可能性の増大の観点から、保険金受取人変更における 保険者承諾要件について検討する。
5:結 論
2.契約譲渡における他当事者の承諾
(1)保険契約者変更
①契約譲渡
明文規定は民法に存在しないが、契約譲渡が可能であることは判例・学説 において認められている。
②生命保険売買
生命保険売買は、生命保険契約を保険契約者が第三者に売却することであ るので契約譲渡の一種である。
保険契約の譲渡(保険契約者の変更と呼ばれている)について、やはり保険法 にも特別な規定は置かれていないが、保険契約の譲渡が可能であることは判 例・学説が共に認めるところである。
生命保険売買の進展を妨げている私法上の最大の障碍は、保険契約の譲渡 における保険者承諾要件であると考えられている。この保険者承諾要件は、
契約譲渡一般においては、他の契約当事者(以下、他当事者という)の承諾要件 に該当する。
(2)契約譲渡における他当事者の承諾要件
① 原 則
契約譲渡では、
(a)
原契約当事者と譲受人の三面契約で行うのでなければ、(b)
一般的には、譲渡契約当事者間での合意に他当事者の承諾が必要だとする のが判例(大判大正14年12月15日民集4巻710頁、最判昭和30年9月29日民集9巻 10号1472頁)、学説である。② 他当事者承諾が不要となる例外
契約譲渡において、例外的に他当事者の承諾が不要となる場合があり得る
(判例、学説)。
ただ、どのような場合に承諾不要なるかについて確立した判断基準は今の ところ存在しないが、概ね次のように考えられている。すなわち、譲渡人に 債務(あるいは、主要な債務)が存在しない場合には(たとえば、履行済みの場合)、 他当事者の承諾は不要だと考えられる。たとえば、売買契約において、既に 買主が売買代金を支払済みの場合において、買主の地位を第三者に譲渡する 事例が考えられる(東京地判昭和36年7月14日判時271号19頁参照)。
3.生命保険契約譲渡における保険者の承諾
(1)約款規定が存在しない場合
① 保険料債務が残存していない場合 保険者承諾は不要
② 保険料債務が残存している場合
たとえ将来において保険料債務が履行されなくても、保険者は大きな不利 益を被る訳ではない。したがって、こと保険契約に関しては、たとえ保険料 支払義務が残っている場合であっても保険者承諾は不要
(2)約款規定が存在する場合
約款規定の合理性を検討する必要あり。
① 新保険契約者の特殊な属性
新保険契約者が特殊な属性(具体的には、暴力団関係者であることや、過去に重 大事由解除(保険法57条)の対象となったこと)を有する場合には、承諾要件を約 款で規定することに合理性があると考えられる。ただし、この点は全く議論 されていないようである。
② モラル・リスクの可能性の増大
被保険者同意が得られている場合において、モラル・リスクの可能性の増 大を防止するために、さらに保険者承諾を求めることの合理性如何
(a)
保険料債務が残存していない場合保険料債務が残存していない場合には、保険契約者変更にあたり、被保険 者同意に加えて、保険者承諾を求める約款条項は、モラル・リスクの可能性 の増大を理由とするものであるとしたら、消費者契約法
10
条に基づいて無効 になると考えられる。なぜなら、保険契約者変更、より広くは契約譲渡に関しては、制定法とし ての任意規定は存在しない。同条の「公の秩序に関しない規定」(任意規定)
には、「一般的な法理等」も含まれるものの(最判平成23年7月15日民集65巻5 号2269頁)、契約譲渡に関する「一般的な法理等」としては、契約の他当事者 の承諾が存在すれば契約譲渡が可能であることと共に、譲渡人に債務(あるい は、主要な債務)が存在しない場合には他当事者の承諾が不要であることが確 立していると考えられるからである(なお、仮に、このような法理は確立していな いと考える場合には、次述(b)の信義則違反を検討することになる)。したがって、保 険料債務が残存しない生命保険契約について、保険契約者の変更にあたり、
保険者が承諾要件を課すことは同条前段に該当すると考えられる。
そして、保険契約者変更が認められないことによって保険契約者が被る損 失は相当に多額であるのに対して(特に、生命保険売買の場合)、被保険者同意 に加えて保険者承諾の裁量権行使を認めることによって、モラル・リスクの
可能性の増大がどの程度に防止できるのか判然としないため(保険契約者変更 よりもモラル・リスクの可能性が増大すると一般的に予想される保険金受取人の変更で すら、モラル・リスク可能性の増大防止の効果が判然としない。後述4(2)参照)、同条 後段にも該当すると考えられるからである。
(b)
保険料債務が残存している場合他方、保険料債務が残存している場合には、保険契約者変更において保険 者承諾を課す約款条項の効力を、消費者契約法
10
条を基に否定することは困 難だと思われる。なぜなら、上述のとおり同条の「公の秩序に関しない規定」には「一般的 な法理等」も含まれるものの、契約譲渡に関する「一般的な法理等」として は、契約の他当事者の承諾が存在すれば契約譲渡が可能であることは確立し ているとしても、また、譲渡人に債務(あるいは、主要な債務)が存在しない場 合には他当事者の承諾が不要であることまでは確立しているとしても、さら に進んで、未払の保険料債務が主要な債務に該当しないということまでは法 理として確立しているとは言えない。したがって、未払の保険料債務が残存 する保険契約について、保険契約者の変更にあたり、保険者が承諾要件を課 したとしても、同条前段にそもそも該当しないため、同条の適用はないと考 えられるからである。
そこで、次に、信義則違反の有無を検討することになる。次節では、保険 者の裁量権行使が信義則違反になるか否かを判断するため、モラル・リスク の可能性の増大が保険契約者変更よりも遙かに懸念される保険金受取人変更 について検討する。
4.保険金受取人変更における保険者の承諾
生命保険売買
→
「保険契約者の変更」+「保険金受取人の変更」モラル・リスクの可能性の増大が強く懸念されるのは、直接的には保険金受 取人の変更である。
(1)約款規定が存在しない場合
保険金受取人変更の成立や効力に関して保険者の承諾は不要であり、保険契 約者による保険金受取人変更の意思表示の性質は形成権である(法務省、学説。
したがって、保険契約者の一方的通知のみでよい)。
改正前商法下においても同様に解されていた(最判昭和 62年 10月 29日民集41 巻7号1527頁、学説)。
(2)約款規定が存在する場合
保険金受取人変更に関する保険法
43
条(傷害疾病定額保険契約については保険法 72条)1
項は任意規定であり、同2
項は強行規定であると考えられている。そこで、保険金受取人変更に保険者承諾要件を付す約款規定が有効と解する立場で は、保険者承諾要件は、保険法
43
条1
項を修正するものと考えることになる(な お、改正前商法下においては、たとえ保険金受取人変更に保険者の承諾を要するとの約款 規定が存在したとしても、それは保険者に対する対抗要件を定めたものに過ぎないと解さ れていた。下級審、学説)。ただし、保険法
43
条1
項の約定による変更は、無条件に可能ではなく、「相 応の合理的な理由」が必要だと考えられている(学説)。けれども、民間生命保険 会社が保険引受を行っている個人向けの一般的な死亡保険契約について、被保険 者同意要件(保険法 45 条)とは別に、保険金受取人変更に保険者承諾要件を課す特 約に合理的な理由が見出されるのがどのような場合かは判然としない。そして、この 点に関する議論は十分なされている訳ではない。結局のところ、民間生命保険会社が販売する個人向けの一般的な死亡保険契約に ついて、モラル・リスクの可能性の増大を理由として、保険金受取人変更に対して、被 保険者同意要件とは別に、保険者承諾要件を課す約款の「相応の合理的な理由」は 判然としない、と言わざるを得ない。したがって、その限りにおいて、保険金受取人変 更に保険者承諾を求める約款条項は、消費者契約法
10
条に基づいて無効になる可 能性があると考えられる。なぜなら、保険法43
条1
項という任意規定が適用される場合 に比して保険契約者の権利を制限するものであり、かつ、保険金受取人変更が認め られないことによって保険契約者が被る損失は相当な多額であるのに対して(特 に、生命保険売買の場合)、被保険者同意に加えて保険者承諾の裁量権行使を認め ることによって、モラル・リスクの可能性の増大がどの程度に防止できるのか 判然としないからである。そして、保険金受取人変更においてすら、モラル・リスクの可能性の増大を理由とす る保険者承諾要件の合理性に疑義が存在することからすると、保険金受取人変更より もモラル・リスクの可能性を増大させるとは遙かに考えにくい保険契約者変更に関して は、モラル・リスクの可能性の増大を理由として、被保険者同意要件とは別に、保険者 承諾要件を約款で課すことの十分な合理性は認め難いと考えられる。したがって、た とえ未払保険料が残存している場合であっても、その限りにおいて、被保険者同意と は別に、保険契約者変更について保険者承諾を求める約款条項は信義則違反(民法 1条2項)として無効になる可能性がある(前述3(2)②(b)参照。なお、未払保険料が残存して いない場合には、保険者承諾を求める約款条項は消費者契約法10条後段にも該当するため(前 述3(2)②(a)参照)、その限りにおいて、同条に基づき無効になると考えられる)。
ちなみに、改正前商法下においては、約款規定のいかんにかかわらず保険金受取 人変更が保険者の承諾を得ずに自由に行えたからこそ、保険契約者変更について約 款規定を置いて保険者の承諾を求め、保険契約者変更に引き続いて行われる保険 金受取人変更に伴うモラル・リスクの可能性の増大に対処していた可能性がある。
5.結 語
(1)保険契約者変更
① 特約が存在しない場合
民法の契約譲渡における他当事者承諾不要類型の存在
生命保険売買における保険契約者変更は、他当事者承諾不要類型に該当す る(少なくとも、保険料債務が残存していない場合には該当する)。
→
保険契約者変更にあたり保険者承諾は不要② 特約が存在する場合
モラル・リスクの可能性の増大に関しては合理性が認め難いので(保険金受 取人変更についてすら合理性が不明である)、当該特約は無効となる可能性がある。
→
保険料債務が残存していない場合:消契法10
条 保険料債務が残存している場合:信義則違反(2)保険金受取人変更
① 特約が存在しない場合 自由に変更可能(保険法43条)
② 特約が存在する場合
モラル・リスクの可能性の増大に関しては合理性が不明であるので、消契 法