産研通信 No.80(2011.3.31) 1
日本製造業の現状を考える
吉 田 三 千 雄
周 知 のように、日 本 経 済 は 03 年 〜 08 年 にかけて、中 国 を中 心 とする東 ア ジアへの輸 出 拡 大 や海 外 現 地 生 産 の 展 開 によって(一 部 の産 業 では欧 米 諸 国 へ の 展 開 を 含 む ) 、 「 長 期 不 況 期 」 (93 年 〜02 年 )からようやく脱 出 した。
そ し て 、 今 日 、 「 ア ジ ア の 活 力 を 日 本 の成 長 に生 かす」とか「アジアから世 界 の 成 長 を 切 り 拓 く 」 な ど 、 ま さ に 「 他 力 本 願 」 の 主 張 が、 日 本 の 大 規 模 企 業 経 営 者 や 政 府 か ら ス ロ ー ガ ン 的 に 流 布 されている。また、04 年 には日 本 工 作 機 械 工 業 の 歴 史 そ の も の で あ っ た 池 貝 鉄 工 が上 海 電 気 集 団 によって買 収 されたし、今 日 巷 では、日 本 の地 域 経 済 の衰 退 のなかで国 内 需 要 の低 迷 を 補 う べ く 中 国 人 観 光 客 の 誘 致 合 戦 と か 、 中 国 人 富 裕 層 に よ る 日 本 の不 動 産 の 買 い漁 り まで 報 じ ら れ て い る 。 こ れ ら の 現 象 は 、 政 治 ・ 軍 事 的 関 係 を別 にして、かつての日 本 とアメリ カとの関 係 の相 似 形 とも 思 われ、驚 く に値 しない出 来 ごとなのかも知 れない。
本 稿 では、こうした内 需 低 落 の背 景 を 考 えつつ、いわば「アジアの活 力 の利 用 論 」 の 問 題 点 を 検 討 し て み る こ と と する。
1.戦 後 日 本 の金 属 ・機 械 部 門 の基 本 的 構 造
戦 後 「高 度 成 長 期 」において大 きな生 産 能 力 を持 つものとして急 構 築 され、
90 年 代 初 頭 までは Japan as No1 な どと称 賛 され、日 本 経 済 を主 導 してき た日 本 の製 造 業 (とりわけ、金 属 ・機 械 部 門 ) は 、 今 日 、 中 国 を 中 心 と す る 東 アジア諸 国 の潜 在 的 需 要 に期 待 をか けざるを得 ない状 況 にある。省 みるに、
戦 後 日 本 の金 属 ・機 械 部 門 は欧 米 諸 国 よりも遅 く出 発 したものの、旺 盛 な設 備 投 資 と 技 術 導 入 、 農 業 地 帯 か ら の 若 年 ・ 低 賃 金 労 働 者 の豊 富 な供 給 、 系 列 ・下 請 体 制 の確 立 、国 内 需 要 の 一 定 の増 大 、などを諸 条 件 として国 内 需 要 を遥 かに上 回 る生 産 能 力 を保 有 し、70 年 代 後 半 からは厳 しい合 理 化 と M・E 化 を前 提 に欧 米 諸 国 (とりわけア メリカ)への輸 出 増 大 によって、貿 易 摩 擦 を招 来 しつつもその位 置 を維 持 して きた。とりわけ、1980 年 代 初 頭 までは、
機 械 産 業 を中 心 に中 小 ・零 細 企 業 の 旺 盛 な族 生 もみられ、日 本 の金 属 ・機 械 部 門 の大 きな生 産 力 と高 い輸 出 競 争 力 を下 支 えしてきたし、雇 用 の確 保 という意 味 でも一 定 の役 割 をはたして き た の で あ っ た 。 し か し な が ら 、 「 長 期 不 況 期 」 以 降 金 属 ・ 機 械 部 門 の 輸 出 比 率 は 極 め て 高 い 水 準 に あ る し 、 中
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小 ・ 零 細 企 業 の 減 少 が 継 続 さ れ て い る(とりわけ、新 規 開 業 率 の低 下 )。そし て 、 今 日 で は 、 も は や 国 内 需 要 の 増 大 は 想 定 しえ ず 、「 わが 国 は ア ジ ア が もつ潜 在 成 長 力 を顕 在 化 させ、さらな るダイナミックな成 長 をアジアで実 現 す る」、「国 を開 き、アジアとともに成 長 す る」と主 張 されている。
2.「アジアの活 力 利 用 」論 の問 題 点 しかしながら、こうした見 解 は多 くの 問 題 点 をもつものである。
第 1 に、国 内 需 要 の低 迷 について の 考 察 が 欠 落 し て い る こ と で あ る 。 日 本 の内 需 低 落 についていえば、国 民 諸 階 層 によってその原 因 は異 なるし、
地 域 によっても大 きな相 違 がみられる と い え よ う 。 例 え ば 、 高 齢 者 層 に つ い て い え ば 、 固 定 資 産 税 ・ 医 療 費 負 担 など老 後 不 安 から、消 費 に慎 重 になら ざるを得 ないし、若 年 層 についていえ ば、日 本 的 な土 地 価 格 に規 定 さ れた 家 賃 ・住 宅 ローン負 担 から収 入 の多 く を消 費 に回 すことは出 来 ない。なによ り 、 今 日 の 新 規 学 卒 者 の 就 職 難 、 派 遣 労 働 者 ・ 期 間 工 な ど 不 安 定 ・ 低 賃 金 労 働 者 の 存 在 の も と で 、 内 需 の 持 続 的 な拡 大 を期 待 すべくもないといえ るであろう。また、地 域 (地 方 )経 済 の衰 退 についていえば、戦 後 都 市 部 の「重 化 学 工 業 」へ若 年 労 働 者 を供 給 する 一 方 で、木 材 ・木 製 品 、家 具 ・建 具 な ど地 域 的 産 業 が凋 落 してきたことの反 映 で も あ る 。 こ う し た 国 内 需 要 の 低 落 に視 点 を当 てることなく、金 属 ・機 械 部 門 の 一 部 の 大 企 業 の 高 利 潤 獲 得 の ため、アジア諸 国 進 出 を目 指 し、国 家
もそれを支 援 するという立 場 は日 本 一 国 の 国 民 経 済 と 大 規 模 企 業 の 行 動 原 理 との矛 盾 を益 々深 めるであろう。
第 2 に、日 本 企 業 の立 場 から、「ア ジアの活 力 を生 かす」とする進 出 で現 地 諸 国 の本 当 の理 解 が得 られるのか ということである。現 地 国 に大 きな潜 在 的 需 要 と低 賃 金 労 働 者 が存 在 するか ぎり、日 本 企 業 の進 出 は継 続 されるで あろうが、労 働 集 約 的 製 品 ・工 程 は現 地 で 、 高 付 加 価 値 ・ 高 利 潤 の 期 待 で き る 製 品 ・ 工 程 は 日 本 で と い う 「 棲 み 分 け」的 な産 業 連 関 は長 期 的 には成 立 しないであろう。「もの造 り大 国 」を主 導 し て き た 日 本 の 金 属 ・ 機 械 部 門 の 構 造 は こ の よ う に 脆 弱 な も の で あ っ た のであろうか。また、先 日 の報 道 によれ ば、日 本 の中 小 ・零 細 企 業 (茨 城 県 潮 来 市 のめっき加 工 企 業 )で働 いていた 中 国 人 実 習 生 が 長 時 間 労 働 に よ る
「過 労 死 」として労 災 認 定 を受 けたこと が報 じられた。極 めて稀 な事 例 と思 い たいが、なんと見 苦 しいことであろうか (もっとも、日 本 人 労 働 者 の過 労 死 ・過 労 自 殺 は数 多 く存 在 しているのである が)。
第 3 に、日 本 企 業 の目 下 の最 大 進 出 先 中 国 の 「 社 会 主 義 市 場 経 済 」 の 行 方 で あ る 。 中 国 経 済 に つ い て 門 外 漢 で あ る 筆 者 の 見 聞 に よ れ ば 、 中 国 は既 に資 本 主 義 そのものであるといわ れる。もちろん、土 地 の国 家 所 有 を基 礎 に 計 画 経 済 的 要 素 を 大 き く 残 し て いるものと思 われるが、格 差 拡 大 のな かで、自 己 の金 銭 的 所 得 のみに傾 注 する「中 国 人 民 」が多 数 を占 めることと なっているのであろうか。もはや「世 界 人 民 大 同 団 結 」なる思 想 はとうの昔 に
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死 語 になったと考 えるべきであろうか。
第 4 に、第 1 の点 とも関 連 するが、
日 本 経 済 の「自 立 =安 定 的 」な構 造 の 形 成 にマイナスの要 因 を招 来 しないか ということである。すなわち、今 日 TPP 参 加 如 何 が 社 会 問 題 化 し て い る が 、 関 税 の撤 廃 は金 属 ・機 械 部 門 の輸 出 大 企 業 にとっては有 利 な条 件 となるで あ ろ う が 、 日 本 の 農 業 の 「 解 体 的 凋 落 」を引 き起 こす危 険 性 を孕 むもので あるといえよう。現 在 、原 油 価 格 ・原 材 料 ・ 穀 物 価 格 の 上 昇 が 危 惧 さ れ て い る が 、 基 本 的 食 糧 の 自 給 率 の 維 持 ・ 上 昇 は 国 家 ・ 国 民 に と っ て 最 大 の 基 本 的 課 題 である。
3.日 本 製 造 業 の将 来 展 望 をめぐって かつて、日 本 経 済 を主 導 してきた日 本 の製 造 業 はその歴 史 的 役 割 を終 え たとすることができるであろうか。そうで はないであろう。日 本 一 国 の再 生 産 = 循 環 を考 えた場 合 には、 外 貨 の獲 得 部 門 として、労 働 者 の雇 用 の場 として、
そして何 より国 際 競 争 力 のある産 業 部 門 と し て 、 日 本 経 済 に と っ て 依 然 と し て必 須 の存 在 である。確 かに、我 々の 日 常 生 活 を考 えた場 合 、家 電 製 品 や 乗 用 車 は既 に基 本 的 に充 足 されてい るし、鉄 鋼 ・セメントを大 量 に使 用 する 道 路 ・橋 梁 ・ダムの新 規 建 設 が必 要 だ と は 、 現 下 の 財 政 状 況 も あ っ て と て も 思 わ れ な い 。 必 要 と さ れ て い る の は 、 介 護 施 設 、 幼 稚 園 、 良 質 の病 院 な ど であろう。その意 味 で、いわゆる「サー ビス経 済 化 」は進 展 するであろうが、サ ービス業 、観 光 業 、金 融 ・保 険 業 では、
既 に戦 後 創 出 された日 本 経 済 の再 生 産 構 造 のなかで、日 本 の主 導 産 業 た
りえないであろう。
し た が っ て 、 当 分 の 間 製 造 業 の 日 本 経 済 における位 置 は大 きなものとな るが、その場 合 産 業 部 門 によって以 下 のような「発 展 」方 向 が求 められるもの と思 われ る。 まず 、 低 級 品 における 価 格 競 争 力 は別 にして、鉄 鋼 産 業 や工 作 機 械 ・産 業 用 ロボットなど労 働 手 段 生 産 部 門 における日 本 の生 産 力 ・ 技 術 水 準 は極 めて高 いし、自 動 車 産 業 も同 様 である。このため、これら産 業 部 門 では国 内 生 産 力 の削 減 を前 提 しな いとすれば、大 規 模 企 業 を中 心 とした 東 アジア諸 国 への製 品 輸 出 は止 む得 な い も の と 思 わ れ る 。 た だ し 、 個 別 企 業 による最 大 限 利 潤 を求 めての輸 出 や海 外 現 地 生 産 は、日 本 国 内 の「 産 業 の空 洞 化 」を招 来 するし、東 アジア 諸 国 の国 民 に過 密 労 働 を強 いる可 能 性 を孕 む ものであ り、 大 規 模 企 業 と し ての社 会 的 責 任 を果 たさねばならない で あ ろ う 。 ま た 、 金 属 ・ 機 械 部 門 の 中 小 ・零 細 企 業 についていえば、その高 い技 術 と熟 練 労 働 をどう継 承 ・強 化 し てゆ くの かと いう 視 点 か ら その 存 立 要 因 を再 構 築 することが求 められよう。一 方 、国 内 需 要 に依 存 した、食 料 品 、木 材 ・木 製 品 、家 具 ・建 具 などのいわば
「軽 工 業 部 門 」にあっては、地 域 経 済 の 活 性 化 に む け た 取 り 組 み の な か で の再 生 を模 索 する必 要 が存 在 しよう。
総 じて、 グローバ ル化 のな かで、各 国 大 規 模 企 業 が自 己 の生 き残 りと高 利 潤 を目 途 に激 しい競 争 戦 を展 開 し、
東 ア ジ ア 諸 国 国 民 を 消 費 者 と し て 労 働 者 としてそれに巻 き込 んでゆくことし か路 はないのであろうか。