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書 館 化学 生物

「文書館」への執筆依頼を受けたとき,筆者の頭の中の関 心ごとは,2度目の職を定年退職後1年以上経過していて,

すでに 微生物 に替わり,趣味の研究 昆虫 が占有して いた.これを元に戻して,微生物に関することを書くのは難 しいと脳がつぶやいた.ところが,当時の編集委員長の村田 幸作先生からの歯が浮くような依頼の文面が刺激して,脳内 ではすぐに再置換が始まった.「先生は,発酵産業において 生産に支障をきたすさまざまな微生物現象に焦点を当てら れ,その解明を通して発酵産業の健全な育成に資する大きな 成果を上げてこられました.また,その研究の過程で,新規 な,特異的な微生物機能を数々見いだされ,応用微生物学の 発展に資する基礎的応用的業績も残されました.中略」.「で きましたら『未解明微生物現象の究明と発酵産業』に焦点を あてていただき,先生がこのご研究を志された経緯や研究の 進め方などを,研究室の歴史,その当時研究に関わられた 方々の様子,以下略」.さらに,依頼文は,私自身が研究生 活を半世紀にわたって続けられたのは,基礎と応用を気軽に 行き来できる農芸化学分野に身を置けたからだと再認識させ てくれた. 人生私流 を公開するのは恐縮であるが,タイ トルと趣意をそのままいただき,引き受けることにした.

私は,父が大学人であったので,その影響もあり,将来大 学で研究生活を送ってもよいと思っていたが,最初から農芸 化学を選んでいたわけではない.父の専門は医学系の生理学 であったので,医学部を受験したのである.しかし,目指す 大学にマッチしてもらえず失敗の連続になってしまった.そ んな折,水前寺ノリ(シアノバクテリア)の研究者であり,

私の出身高校熊本県立済々黌の当時の教頭の木通邦武先生が 父に農芸化学の面白さと発展性を話したらしく,父は自身で も農芸化学のことを調べ,私に熱心に受験を勧めた.特に,

父の殺し文句「お前が患った流行性髄膜炎から直ったのはペ ニシリンのお陰で(1),抗生物質の研究は農芸化学分野の得意 芸…」に影響された.選んだ農芸化学は結構面白く,抗生物 質発酵にも関係がある発酵学教室を卒論研究のために選ん だ.この選択で,医学部への未練は一気に失せた.

1963年当時,発酵学教室は長年にわたりご指導とご啓発 をいただいた恩師の本江元吉先生が教授(九大名誉教授,崇 城大名誉学長,1912 〜2005)であり, アセトン・ブタノー ル生産性 属細菌のHM系バクテリオファージの

性質 を明らかにすることが卒論のテーマに与えられた.バ クテリオファージ(以下ファージ)の実験法は,助手になら れたばかりの村田 晃先生(佐賀大名誉教授;ファージ・ビ タミンCの研究)のご指導で,修得しながら卒論の先を進め た.これらのファージは,本江先生ご自身で分離・育成され た菌株を用い,三楽(現 メルシャン)八代工場で発酵中に 発生したファージであった.ファージとはこの時から70歳 に至るまでの長いお付き合いになった.本稿では,私の主な 研究歴を4つに分けて記述する.実際の研究内容は文末の関 連文献を参照いただければ幸いである(写真

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  ファージとバクテリオシンに関する研究―ファージ 汚染と防除に関連づけて―

HM系ファージ(Hongo & Murataに由来)の研究成果を まとめ1969年に農学博士号をいただいた.同じ年に発酵学 教室の助手を拝命した.この頃,卒論生として入室した古川 謙介博士(九大名誉教授)と加藤富民雄博士(佐賀大名誉教 授)と一緒に実験をした.引き続き,HM系ファージの研究 中に見つけていたアセトン・ブタノール菌のバクテリオシン 活性を有するファージ尾部様粒子クロストシンの性状を明ら

未解明微生物現象の究明と発酵産業

緒方靖哉

写真1本江先生を囲んで

1995年1月,福岡市内にて.右より,林田晋策先生,村田 晃先 生,本江元吉先生,筆者,吉野貞蔵博士,加藤富民雄博士,古川 謙介博士,南里信也博士.

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かにした.クロストシンの命名は,先学の

のファージ尾部様粒子ピオシンに倣った.そのうち の1種には私の頭文字Oを付け,クロストシンOに,もう1 種には卒論生だった三原 修さん(味の素 前副社長 戸坂  修博士の旧姓)のMを取ってクロストシンMになった.ク ロスシンの研究もファージと同様にその後の私の進路に影響 を及ぼした(2, 3)

アセトン・ブタノール発酵が先進国ではすでに終焉してい たので,HM系ファージの研究は博士論文までで終わること にした.当時,私にとって運が良かったことに,いろいろな 発酵産業の発展期であり,増産に伴う拡張工事が至る所で行 われ,雑菌汚染と同様にファージ汚染が頻繁に起こってお り,喚ばれていろいろな発酵工場を見せていただけた.特 に,アミノ酸発酵菌,乳酸発酵菌,抗生物質生産菌のファー ジについては企業との共同研究を行うこともできた.これら の研究成果を基に,発酵工業におけるファージ汚染の動向を 究明し,防除対策を提示した(4, 5).一方,溶原性ファージを 用いた遺伝子クローニングや後述のファージの溶菌酵素 (ly- sin) などの利用開発も行った.院生‒助手の頃,大学の実験 室を住処のようにしてガムシャラに実験をした.多くの実験 成果は観音開きの恒温器のなかで仕上がるので,その前で,

実験のたびに柏手を拍って「神様,仏様,菌様」を唱えた.

すべてを自身の手で実験することができなくなってからも,

このガムシャラな時期があったお陰で,ある程度の満足感が 持続していたように思う.

それまでは,培養タンク内の閉鎖系発酵でのファージ感染 を追究していたが,原料など殺菌操作が難しいチーズ・乳酸 飲料や清酒・漬け物などの開放系発酵におけるファージ感染 状態が知りたくなった.うまい具合に,研究資金が得られた のを機会に,生活廃水処理場の活性汚泥浄化槽と九州・沖縄 領域のサイレージについて取り組んだ.多種多様に菌種・株 が活動している環境でのファージ存在状況を明らかにすると ともに,活性汚泥の浄化機能低下と西南暖地型サイレージの 発酵品質低下は,ファージ感染による優先菌種・株の死滅と それに続く他菌種・株への交代が主要因であることを見いだ した.そして,自然界における菌群の変動に及ぼすファージ の関わりの重要性を提言した(2, 4).サイレージについては,

当時農水草地研究所の大桃定洋博士と15年以上の共同研究 を続け,バクテリオシン生産性乳酸菌,ファージ耐性作用を 有するプラスミド保有乳酸菌,新菌種などの分離,および分 離ファージの乳酸菌ファージタイピングへの利用に成功し た.これらの研究にも,多数の修士・博士課程の学生さんが 関わった.近年,乳酸菌では,細菌自身が有する生体防御機 能あるいはファージ耐性機能を利用したファージ汚染対策の 研究と応用開発が試みられている(5, 6).一方,ファージの研 究で唯一心に残るのは,発表したファージの数百倍の数の ファージを電顕下に検し,あるいは分離していたのに,世に 出さぬまま埋もれさせてしまったことである.

このような研究を通して,ファージの分類と形態で著名な カナダ・ラーバル大医学部のHans-Wolfgang Ackermann教

授(現 名誉教授)と親しくお付き合いいただくようになっ た.1985年からは ICTV (International Committee on Tax- onomy of Viruses) の細菌ウイルス部会 (Bacterial (Pro- karyote) Virus Subcommittee) のメンバーに推挙いただい た.さらに,たびたび国際ウイルス会議の座長や招待講演者 の体験をさせていただき,また先生を介して多くの知人を得 ることができた(写真

2

  溶菌と溶菌酵素および細胞表層に関する研究

本研究は,HMファージDNAのトランスフェクションを 検討中,アセトン・ブタノール菌のコンピテントセル調整に 難航して,受容細胞にプロトプラストを用いることが端緒と なった.1970年代の半ば頃には,微生物の形質転換法は,

や   で行われていた自然形質転換能 に依存する方法に加えて,生物学の大きな転機になる

での塩化カルシウム法が普及し始めた頃である.しか し,エレクトロポレーション法はまだ普及していなく,プロ トプラスト形質転換法が一番手っ取り早く取り組める方法で あった.プロトプラスト作製に必要な 属細菌の 細胞壁を分解する溶菌酵素の研究はなく,後述するように,

手っ取り早いのでファージlysinを利用することにしたが,

lysinそのものも面白く,また当時,ファージや尾部様バク テリオシン産生に伴う溶菌は不明な点が多く,それらの解明 に勢力を注ぐことにした(2, 3).それで, 属細菌 のトランスフェクションと形質転換についてはいつしか止め てしまった.しかし,お陰で,「アセトン・ブタノール菌の 溶菌酵素と細胞表層」について多くの知見を得ることができ た(2).この研究は,田原康孝博士(静岡大名誉教授)らと 行った.なお,プロトプラスト作製と再生には成功したが,

属細菌の形質転換は成功できなかった.溶菌酵 写真2International Phage Biology Meeting にて

2001年8月,米国ワシントン州Evergreen.右 筆者,中 H.-W. 

Ackermann先生,左 J. Maniloff教授(Rochester 大学 USA, 2001

〜 2005年のICTV副会長;大の野球好きで,1週間の福岡滞在中 にナイターを2度観戦した).

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素と細胞表層の共同研究者の吉野貞蔵博士(九大農学研究 院)が,その後エレクトロポレーション法で成功している.

同じ頃,アセトン・ブタノール菌のプロトプラスト作製中 に,溶菌を誘発する現象を見いだした.プロトプラストが壊 れないように等張に保つために添加したショ糖やNaClが数 種の 属細菌で細胞壁の著しい溶解を誘起したの である.本江先生にこのことをご報告したところ,ご自分も 前にアセトン・ブタノール発酵で生産を上げるために糖度を 高くして培養する高濃度仕込みを行った際,菌の増殖が阻害 される現象を経験されておられ,研究遂行のお墨付きをいた だいた.本溶菌をSucrose-induced lysis, NaCl-induced lysis と名づけて,その溶菌機構を究明することになった(2)

ファージlysinは(7),作用洋式が多種多様なので,市販の 溶菌酵素の種類が少なかった1970・80年代,細胞壁構造の 解析や新規にプロトプラストの作製を試みる際に有力な手段 になった.先に見つけやすい方のファージをまず探して,そ のlysinを利用する急がば回れの方法である.1985年頃に溶 菌に関する研究を止めてしまったが,近年,lysinの分子生 物学的な研究が進み,さらに薬剤抵抗性菌株や治療の難解な 感染症に対してlysinの応用に関する研究が再び活発になり 始めており,lysinについては継続しておくべきだったと反 省をしている.一方,ファージ研究者にとって,ファージの 有効利用の報告はうれしい出来事でもある.

  放線菌の自然誘発性ポック形成と胞子形成に関する 研究

本研究もまたファージ研究の延長上に派生したテーマであ る.私が初めて 自然誘発性ポック (spontaneously devel- oping pocks) を見たのは,1975年の秋,旭化成工業の渋谷 満博士によって,ちょっと変わったファージ感染現象の発生 防止対策の相談のために持ち込まれたチオストレプトン生産 菌 のスラント培養であった.放線菌を使用する工 業では,一般的に胞子をスターターにしており,胞子・気菌 糸形成が阻害された阻害斑(pocks ; 英国John Innes 研究所 の D. A. Hopwood 教授らの扱うpocksと形態的に類似する)

を発生した菌株は胞子数が著しく少ないので,発酵生産に不 利益をもたらすことになる.本江先生は1976年3月にご退官 を迎えられたので,本ポック発生対策と原因究明は私の宿題 になった.当初,私どもの教室に派遣された旭化成の研究員 の方々と共同研究を進め,ポック発生対策として,菌株の性 状を変えることのない回避法と回復法を提起することができ

(2, 8).この好奇心をつのらせる現象は,当時研究の主手段

にしていた電子顕微鏡観察で,ファージも関与する現象と推 定した.

本江先生の後任に林田晋策先生(九大名誉教授;糖化酵 素・麹菌・酵母の研究)が決まり,1977年に私の助教授昇 任を認めていただいた.水島昭二先生(東大教授,1932 〜 1996)に「研究テーマは複数もっていたほうが良い.いろい ろな菌種を取り扱ったほうが良い」との助言をいただいたの

はこの頃であったと思い出す.いただいた助言のお陰で,ど れか1テーマはうまくいき,どれか1テーマに研究資金が付 くなどの効果を得た.また,多くの人に,いろんな菌種の取 り扱いや培養法などを教える自信にもつながった.

1978年に,九大発酵学教室の先輩である柴田元雄先生

(武田薬品工業,熊本大薬学部教授;抗生物質の研究;1924

〜2002)のご推挙で,米国ウイスコンシン大薬学部のDavid  Perlman教授(微生物生化学;1920 〜 1980)(4)  のところに 研究員として滞在することになった.ここで,多数の放線菌 保存株のスラント培養を見ることができ,自然誘発性ポック を発生している菌株は決してまれでないことを知った.

Perlman先生が,「これは放線菌では普遍的に見られる未知 の生理病で,ファージによる感染病ではないと思う」と言わ れたことが今は懐かしく思い出される.未知の現象なら,本 腰を入れて究明しようと決意した.自然誘発性ポックは,接 合・組込み性プラスミド(性因子)とプロファージの関わる 気菌糸および胞子着生菌糸に限定して進行する現象で,気菌 糸・胞子形成阻害あるいは溶菌を伴う機構が明らかになっ た(8, 9)

ウイスコンシン大学滞在中に多数の著名な学者にお目に掛 かり,さらに講義・講演を聴き感銘を受けた.特にノーベル 賞受賞者である H. M. Temin(逆転写酵素発見,1978年当 時ウイスコンシン大教授,1931 〜 1994),J. Lederberg(大 腸菌の性因子発見,1978年当時Rockefeller大学長,1925 〜 2008),H. Krebs(クエン酸回路の提唱,1900 〜1981)には 感激した.Temin先生はファージを中心にウイルスの分子 生物学を講義されていたので,毎週1回半年間の講義を受け た.先生の講義は人気が高く,修士の学生のほかに,PDや 教室のテクニシャンたちも聴講しており,私も許可されて聴 講したのである.その日の授業内容について,その夕方から 夜にミニテストがあり,翌日の朝にはもう先生の部屋のド アーに成績点が出るのには驚きであった.Lederberg先生に はPerlman先生が実行委員長をした第3回 GIM (Interna- tional Symposium on Genetics of Industrial Microorgan-

写真3H. Krebs先生とウイスコンシン州立大学にて

1978年5月.

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isms) の懇親会の席でお目に掛かった.折に触れて声を掛け ていただいていた矢野圭司先生(当時東大教授)と一緒にサ インをいただいた.Krebs先生は開学記念特別講演会で来校 され,講演の後,お一人で迎えの車を待っておられたところ を直撃しサインをいただいた.父は先の大戦前にKrebs先生 のところに留学するばかりになっていたらしく,先生からの 招待状をもっていた.そんなことを拙い英語で先生に話した ことは一生残る出来事であった(写真

3

.滞在中に多くの 方々にお世話になったが,なかでも,同時期に滞在した和泉 好計博士(鳥取大名誉教授)とは専門が発酵学であること で,その後も親しくお付き合いをいただいている.

自然誘発性ポック の研究が本格的に進みだした頃の 1987年に,新設の農学部付属遺伝子資源開発研究センター 微生物遺伝子部門の教授に推挙された

*

.本研究の進展には 多くの方々のご支援をいただいた.本研究の当初から良き理 解者のお一人であった九大発酵学教室の先輩の東出栄治博士

(武田薬品工業,岡山大農学部教授;抗生物質の研究;1933

〜 2008)にはいろいろなご便宜を,清野昭雄博士(科研化 学,北里研)には多数の放線菌の分与や培養法の教授などで 多大な支援をいただいた.また,別府輝彦先生(東大名誉教 授;1995 〜 1997年当農芸化学会会長)にご推薦いただいた 日本ワックスマン財団学術研究助成奨励金 では得難いす ばらしい体験をすることができた.これらの経験は,ご支援 なくして得られる経験ではなく,有り難く,いくら感謝して も足りないと思っている.先輩の先生方の恩恵に報いるに は,後輩にもこのような機会を与えることであると心がけて いる.

自然誘発性ポック の研究は,横山英之博士(名城大研 究員)らによって細菌型と真核生物型の両モチーフをもつヒ ストン様タンパク質の遺伝子を 属放線菌で初 めて検出した研究,土居克実博士(九大農学研究院)や西山  孝博士(崇城大生物生命学部)らによってセプタ形成に関わ る遺伝子の発見,DNA転移・分配に関わる遺伝子や胞子色 変化に関わる研究へと進展した(2, 10)

  高度好熱菌のシリカ鉱物形成作用に関する研究

本研究は次のようなことで始まった.1993年の秋,通勤 電車の中で,九大工学研究院の井澤英二教授(現 九大名誉 教授)が「緒方さん,シリカは地球上で最も多い元素の一つ ですが,地殻から湧水する地熱水環境下,また地熱発電所の タービンや熱水配管中では短期間に多量のシリカ沈殿物・シ

リカスケールができ鉱物化するのに, 系ではほとん どできないのですよ.シリカの鉱物化の過程に,微生物が何 か重要な役割をしている可能性はありますか」.私は,微生 物と金属イオンの関係を,アセトン・ブタノール生産,溶菌 現象,放線菌のペレット形成などについて研究したことはあ るが(2),シリカやシリカ鉱物については全く門外漢であっ た.しかし,自らの好奇心に駆られて,さらに「地熱発電や 温泉地の配水管でのシリカスケール形成の制御・防止は解決 すべき長年の課題なのです」の言葉に,発酵工業の生産や操 業に支障をきたす微生物による異常現象の究明と解決策に取 り組んできた 発酵のお助け人 と自認している私の心意気 も刺激され,「先生の疑問解決にお手伝いをしましょう」と 見得を切ってしまった.

本研究は端緒からしてこれまでの私の携わってきた研究と 随分異なったが,研究組織も全く専門の異なる人たちの集ま りで,しかも九大の工学研究院,理学研究院,国内外の諸大 学と所属も異なる.九重火山系や米国イエローストン国立公 園の地熱水湧出地帯での予備調査から始めた.実に楽しい研 究で,自然とヒトとの交流を満喫できた研究であった.特 に,イエローストン国立公園では一般の観光客が入られない ところに入って調査と資料採取ができたことは代え難い体験 になり,「この研究を引き受けて良かったなあ」と,本研究 の主力となって活躍した稲垣史生博士(海洋研究開発機構)

や土居克実博士と話している.稲垣博士は地殻内微生物屋と して,現在,海洋科学技術センターを中心に世界を飛び回る 大活躍をしており,ここでの経験が生かされていると思って いる.高度好熱菌によるシリカ鉱物形成作用もかなり明らか になってきた(11〜14).本研究は,さらに発展して,いっそう 面白くなると大いに期待している.

  おわりに

4つの研究テーマは,いずれも発酵工業などの生産や操業 に支障をきたす異常現象の究明と解決策の取り組みから始 まった.多くの研究者が創造的なあるいは流行の研究テーマ を選ぶのに対し,受身的ととらえられる地味な研究テーマを 選択するのである.しかし,この姿勢は,私には適していた ように思われる.競争にあおられることなく,観察・追究で きたので,新たな面白い現象に出会うことができた.しか し,このような領域は,地味で,日頃日の目が当たらない.

最近,原発事故などから,危機管理学や失敗学のような領域 の重要性を強く感じ,余り日の目の当たらないトラブル解決 屋でも,日頃安心して研究ができる土壌づくりを願ってい る.

2003年3月をもって,長い間お世話になった九大を去り,

4月から崇城大学工学部(現 生物生命学部)応用微生物工 学科分子遺伝学教室に郡家徳郎先生(崇城大名誉教授,九大 発酵学教室出身;酵母プラスミドの研究)の後任として採用 された.崇城大学では,主に『高度好熱菌のシリカ鉱物形成

*2000年に,教員・研究組織として,九州大学大学院農学研究院 遺伝子資源工学部門遺伝子資源開発学講座微生物遺伝子工学研究 分野へ,さらに2010年には農学研究院生命機能科学部門分子微生 物学・バイオマス資源化学講座微生物遺伝子工学研究分野(現担 当大島敏久教授)に改組されている.大学院教育組織でも,1998 年に農学研究科から生物資源環境科学研究科へ,2000年には研究 科を学府に改称された.教育組織も教員・研究組織に準じて再編 成されている.

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作用に関する研究』と「高機能性サイレージの開発」を継続 した.この間,研究関連ネットワークである九州バイオリ サーチネットの会長を菅野道広先生(九大名誉教授,元熊本 県立大学長)より引き継ぎ,九州・沖縄地域の農林水産・食 品産業における産学官間の連携と交流の促進にかかわった.

九州大学の助手を8年間,助教授を11年間,教授を16年 間勤め退職し,崇城大学に再就職して7年間勤めた.その前 の学生時期の9年間を加えると,大学内での生活を半世紀も 送ったことになる.「大学は居心地のよいところでしょう ね!」とよく聞かれる.大学の門から一歩も出たことがな く,ほかと比較しようがないので,答えの代わりに 大学教 授生態序論 を書いておいた(15).長い間,大学で研究や仕 事を続けてこられたのは,人との出会い,特にこれらの方々 のご支援に負うところが一番の要因であろうが,衰えること のない好奇心と探究心,適度の上昇志向,隠れ自己顕示欲と 自尊心にもよると手前味噌の理屈をつけているこの頃であ る.

謝辞:本文中に失礼を省みずに名前を挙げた方々をはじめ,ご指導ご鞭 撻いただいた先生方や先輩同輩に心より感謝申し上げる.また,研究の 成果は,土居克実博士(九大農学研究院),福田耕才博士(崇城大生物 生命学部)ほか,多数の博士課程,修士課程の学生,卒論の学生,研究 生,職員の方々の知恵と技術とたゆまぬ努力の結果得られたもので,こ れらの方々に心から謝意を表したい.最後に,執筆のご推薦をいただい

た当時の編集委員長の村田幸作先生をはじめ編集委員会の方々に御礼を 申し上げる.

文献

  1)  緒方靖哉:日本放線菌学会誌,20, 36 (2006).

  2)  緒方靖哉:農化,76, 102 (2002).

  3)  S. Ogata & H. Hongo :“Advances in Applied Microbiolo- gy”,  Vol.  25,  ed.  by  D.  Perlman,  Academic  Press  Inc.,  1979, p. 177.

  4)  S.  Ogata : Biotechnol.  Bioeng., 22 (Suppl.  1),  1 ; 177 

(1980).

  5)  緒方靖哉ら:ウイルス,50, 17 (2000).

  6)  土居克実ら: 乳酸菌とビフィズス菌のサエンス ,日本 乳酸菌学会編,京都大学学術出版会,2010, p. 431.

  7)  緒方靖哉:「溶菌酵素」船津 勝,鶴 大典編,講談社,

1977, p. 129.

  8)  S. Ogata : , 15, 40 (2001).

  9)  K. Doi : , 19, 27 (2005).

  10)  横山英之,緒方靖哉:化学と生物,38, 804 (2000).

  11)  F.  Inagaki  : , 60,  601 

(2003).

  12)  土居克実ら:化学と生物,42, 326 (2004).

  13)  K. Doi  : , 75, 2406 (2009).

  14)  S. Iwai  : , 4, 809 (2010).

  15)  緒方靖哉:生物工学,89(7), 巻頭言 (2011).

Referensi

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