商学論集 第態巻第望号 鈴懸無想擁 ζ論 文董
「構造調整」期における韓国済州道の柑橘生産
佐 野 孝 治
癒次 はじめに
董済辮道における轡橘生産の発展プロセス
鷺 構造調整簸における轡嬬生産の状混と麟格安定免のための諸手段 鰹 流通システムの改善と済燐みかんブランドの購築
董V グβ一バ言タゼーシ避ンの進展と韓馨の嶺橘貿易 おわ参に
はじめに
横構は韓露の全果実生産量の璽.7%を占める代表的な果実である輯。この権橘の蹄%は済州避
(島!で生産されてお撃,特に濾据みかんはこ」)島だけで生産されている。済州島は朝簿半島露方鯵 麹盤に位置する韓羅最大の火霞島(嚢積i,847.8平方装盤2,人口55、2万人〉であり,観光と農業(櫓 構/で発展した彗ゾート難である。隼闘平均気濾は約蕪、7℃,平均降水量謹,9鱒盤盤であ惨,温州み かんの生産に適している。みかん生産は漢馨出の薦斜1鷺である癒帰浦毒,南済磯部が中心であり,土 地生産性も高く,施設栽培も盛んである(第}露〉。またなだらかな丘陵地であ吟,颪が強いため火 山岩の紡儀壁や賄嵐杉林で果樹園を弾んでいる{蟹写真墨/。
鎗経年の馨橘農家戸数は3万i,233戸,構橘生産量は藷、暮方tであり,糖薮入は6,欝{1億ウォン
(約騒2億鍔!である。済贈進の地域総生産(G盆P/の約5%,農林水産業所得の約34%を露めてお り麟,済齊1道の重要産業である。
欝欝,§尋年代の導入簸を経て,急成長を遂げた済州道の権橘生産も欝鱗年代以降,遺灘生産と覇 年結果.オレンジ輸入嚢虫化,消費の低迷などによって停滞難を遭えている。欝§7年からは政購,関 係醜体,農家が協力して構造調整を行っている。
(1) 農耕:薬12轟編1参窯。
(2) 済撰島は聯名「庶多篇(颪,石,女}」 と呼ばれ,颪が強い。逐年摩∫懇林の構轟が驚メートルを超え,匿右懸夏 勤栗がなくな彗つつあるため,新挺する必要が講てきている。金キテタ12鞍親総〜謁ページ。また水漂は 大きな河繕がないため井戸を擁i13,地下水を瀦癒している。
〔3/ 2{緯2葎の数鑓.この年は櫓橘嚢賂が纂落し幸懸水準になっている。ちなみに欝欝年はそれぞれ,難%,5{1%
を露めている.済嬉遊痔珍縫51鋒ページ及び済撰道庁12鱒墾夢済州統酵年鑑選参照。
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篶 学 譲 集 第掻巻第i号
第1盤i 済づ餐違1こお謬る地域琴奪権奪難生産の状溌乾蟹経年}
磁轟轟影響繍
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鯵生産灘 至5.聾葦毛 轡婚籔当瞬生産量 23覧 魯ハウスみ錘ん 優}蟹}t
①震家数膿欝騒芦 馨義培蜥積翫8錐a 鬱症産量26.む万主 莚建甑当瞬生産量 2.呂t 緯ハウスみかん玉総総t 亨 、 融
欝藪こ蔑繋痩男[王難§1巻頭嶽を若干修正の上,済頻道庁12韓5〕によ努乍銭。
写真茎
この済掘進の樽橘生産に関する贋存醗究は,日本においてはぎ果実羅奉』などに掲載されている ような「見聞詫」的なものが多い。実態調査としては少し苦いが澤灘裕之・小箱護飽li盤81があ る程度である。縫方,韓毯においてはぎ権橘獲芸垂に掲載さ轟ている一連のレポートが有益ではあ
控野二韓蟹済報道の権橘生産
るものの,「〜すべきであるj式の文献が多い。専鍔的には済州大学校を中心に碍究がなされている が,農法など装備的な藩究が多い。また経済的分極としてはカンギョンソン1鱒毒幻などが代表的 礒究であるが,欝欝年代半ばまでを対象としてお陰,「購進講整」以降の樹橘生産については縷説さ れていな雛。
したがって本稿では,董簾で,済擢道における櫓橘生産の発展のプロセスとその特徴を墾らかにす る。亙至難では,構造講整難における権橘生産の課題と緬賂安定化のための諸手段について縷試する。
灘籔では,流通システムの改善と済州みかんブランドの権築1こついて考察する。最後に1V簸では,
グローバサゼーシ3ンの進展によって嶺橘類の毒場驚放圧力が強まるもとでの韓羅の鑑橘貿易につ いて考察する。
方法としては,統欝分析と文藏藩究に癒え,騰§3年9月欝〜欝欝,鱒経年2月欝〜欝馨,鎗編 年3月蔦〜磐醤に,韓露済州島における轡橘縫係機溺をはじめ,生産餐,糠工企業,ソウル消費地 毒場などを対象1こヒアリング調査を行った。また羅奉の事例を参考にするため2§経年欝月27,29
ヨには長麟における権橘生産と麗運施策に関するヒアサング調査を行った。さらに欝編年7月と8 月にはそオ駕らを補足するため電議でのインタビューを行なった。これ.らの講査によ陰得られ.た知見 と統計・文献をもとに「構造講整」鱗における済州遵轡橘生産の実態と課題につ窮て霧らかにする。
1済州道における稽橘生産の発展プ嚢セス
水簾では済州遵における権橘生産の発展プロセスについて考察する。韓国の文献では,1§韓年代 以降に権橘が導入されたことを重補し.欝灘年代以降の成長簸を解放後の荒廃からの再建・復活遜 程として捉える見方が多い。携えば済嬢権橘農業協漏総合1欝春蘭では①畜殺難(i鮪§年代以前〉,
②導入幾(茎鰯〜鱒奪,③荒廃簸(欝菊〜52年/,@成長鞘(i§53〜88/,⑤激動難(ig8§年
〜現在)と鋳窮区分している。本稿では.植民地難1こは栽培面積,生産量ともに低水準であること から,この時鞘を雑史ととらえる。そして,生産量や薮益牲の観点から,①雑史(墨§53年以蕾/,② 導入簸(獅4〜76年〉,③発展難(i警質〜88矯,④停滞甥(製§〜§ε年),⑤購進講整鱗(i鱒7 年〜現在/に鋳霧区分して考察する。なお構造講整類に関しては,筆鋒簾で検討する。第2園で瞬
らかなように欝簿年代蕩半までは,栽培嚢積,生産量ともに低水準であるが,驚76年以降急拡大し,
欝89年の騒万トンの大豊偉をターニング潔イントとして停滞覇に入る。鷺97年以降糧収入が減少 領海になって,構造調整の必要が認識され,廃園や闘伐などが実施されている。
i.権橘生産の前史(欝53年以前/
済州道における権橘生産に聞する最も古秘記遠はぎ三国愛翫 百済本誌露の中の,済州島を統治 していた貌羅国王が,珪76隼£罵済の文罵王に対して,土産勃(権橘)を献上したという記録であ る輪。また覇鮮王輯時代には権橘類は珍品として擾われており,客の統翻下で遜露な叡奪の対象と なっていた働。これらの在来品種は新品種の導入とともにほとんど淘汰され,現在は欝品種程度が
/4} 金 欝戴著・井上秀雄訳陰欝213§5ページ.
(鏡 高 置畳・カンヨンジュン1捲認1磁ページ。
3
† 母 蕪ム 盤賜 一計 轟鰯 、疑 第74巻第エ弩 第2醗 済癖遵にお謬る樹橘の栽培面積・生籬量・糧取入の叢移
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簸§§年に櫓橘の生産調整を実施するために実態講査を行った結果,
栽蓑面積が大旛に、鉦方鋒歪されている。
簿醗1済撰遵庁12韓弱及び済癖道穣橘崖醤連合会1驚潟iよ鱗乍威。
残っているに違ぎない。
済州島に巖初に温州みかんが導入されたのは圭劔i年である。天主教神父Es鵬lle J.Ta卿ε氏が,
蕪本座滋強みかん蕾木蔦本を蓉帰浦の西洪海の会館(修道銑〉に新濾した㈹。その翌年,全羅商道 種羨場済州支離によ参苗木が翫布され,西帰鴻に欝橘鑛が鰻設されだ7}。
さらに簿3§年代1こ藩籬政策の一環として一般農家に苗木を醗姦したが,うまく普及しなかった。
解放以前には諺本:人経営の;欝橘園を中心に,栽培面積蔦盤&,生産量も鱒tと低水準であった。
その理憲として,当時嚢本産みかんが露虫1こ移入され,販諮麗i拓が躍難だったこと,技術不建の ため結実が欝〜欝年かかってしまったこと,当時韓轡にはみかんを食べる習覆が無かったことなど が挙げられる〔㌦
鯵蕊年の解敦によ撃露本座の権橘が輸入禁蓮になったため,済州道の楼橘産業にとって生産鉱夫 のチャンスであったが,実課には辮橘生産は荒廃した。韓麗人農家が藏本人経営の果檎凝を弓iき継 いだが,披講不建と麗料・農薬・資耕などの不足によ撃失敗した。至§弱年当縛みかんの収穫量は6.3 tに遺ぎなかった。その後19磐隼の騒.3事件轡によ穆全島は戦場になり,農地や璽橘獲は一屡荒
/韓 露本の友人に桜を贈ったお返しであるという。懸年金テヂン氏が欝本の熊本から温薦みかんとネーブルの華 木を祷ち薦垂),新穂したというのが最密であるという記述もある。済痔遵岸[欝欝1参照。
〔7〕繭 紅熱1鴛851露§ページ。
〔慕) 高野史男鋒g§樹8§ページ。
填
佐野:韓覆済州道の積機生産
廃してしまった。さらに朝鮮戦争による混乱のため権橘生産は無水準のままであ9,謄懇篤の権橘 栽培露積はi6.8絵,生産量暮.3琶こ過ぎなかった。
2.導入難(欝騒〜欝驚年/
朝鮮戦争の休戦によ参,農罠の生産意欲が高ま彗,欝騒年からようやく疑水産繕橘の苗木が導入 され始めた。特にi§齢年代の簿橘産業育成政策の下で多くの艦橋苗木が導入され,栽培面積が急拡 大し,亙9簿年代後半以降の樽橘生産の急拡大を準備した。ig器葬1こは栽培面積i万9鎌髭,生産量 8.玉万tに達した。嶺嬬の導入が成功した要露として,①政癖の舞橘産業育成政策,②藏本からの 黄水及ぴ技術導入.③在馨韓蟹人ネットワーク,④みかんの高毅益牲,⑤韓蟹本土からの資 本・労働力の流入などをあげることができる。
第玉に,ig5{}年代における導入と決定的に異なる点は,i蟹鴻年代の朴正熱政権下翼お善ナる強力な 樹橘産業育成政策である。これは済撰道の総合擬発計画鰯の一環として策定された。
基本的な政策方鋭は,穣橘輸入の禁箆,食糧生産から権橘生産への転換,馨奉産旛橘苗木の導入 であむ,そのために各種支援が行われた。欝63奪に韓蟹政府の権橘羅地造成事業が始まり,国難補 麟によ拳馨本座苗木の新槌が開始された。鯵§7隼から農漁樗所得増大特需事業の一一覆として権橘増 産謙國が実施された。これは政鰐が零綴な自給的農家£鰐し,権橘苗木の購入資金,紡嵐壇・躰,貯 蔵庫の設置資金,霞躰麗墾資金など懸利かつ長難の離資を行うというものである。また欝73年舞舞
「済州道醗光総合醗発計画」の一石として,樽橘産業の育成が纒られ,亙§79年末まで1こ75.2億ウォ ンが投入された。主な事業として造翼3,6縫惣,欝蔵摩淫.4万坪,特殊農場憩ケ翫,営農支援資金 7,蕊2ぬ,集水場妬毒ケ所,低温欝蔵摩鶉春蝉,育苗施設23ケ翫,選果場5蟋蟀,選果機52台の整 騰がおこなわれた6鬼
計海の実績値をみてみると,第董次謙遜(欝67年〜欝霞年)は,5隼闘で栽培面積を3.5倍,生 産量を5倍にするという野心的な計藤であったが,欝霞隼の実績纏1ま,計錘面積の逢、i倍,生産量 はi.4焙と計画擁を大きく上睡った。修正讃露を経た第3次計画(鎗72年〜圭欝ε隼/においても,
i§罵隼には計露目繧を達成している(計蚕嚢積の1.i倍,生産量は圭、i倍/繊。
第2に,済州道では麺戻地類から一貫して響本座σ)温粥みかんの苗木を導入している。欝騒年か ら緯鍵年までの導入量はi万本水準であったが,欝§磐年代前半は3万本水準,第i次計露が醗始し た欝欝年には3§万本,捲総年鱒馨万本,欝簿年i総万本と激壊した。鎗簿年までに,宮購早生,
鉢温灘など鐸本座の苗木3鰺万本が導入され,新穂された。
この時苗木だけでなく,馨本のみかん栽培の妓徳・ノウハウが導入された。櫓橘襲連文献や見学 だけでなく,繋本から多くの欝橘農業技徳者が招驚されだ瑞。このキャッチアップ型の馨橘産業の
麟) 玉髄8年4肩3窪葦に南だけの挙独酸籍韓立に長短する武装蜂趨垂こ簾を発し,米軍致下による武力鎮涯グ)遍程に お矯て3万人(全島渓の鷺%/を超える鶴長が犠讐となった事件。韓露史事典編纂会編1騰籍2ii3襲ページ。
〔至{}) この時簸の総合麗発計癖には,白露地域設定購想(i欝3年〉,警定地域蚤憲(鯵編年),済残道総会瞬発計嚢 (簿7三年/,済癩遵鶴光総合麗発欝薩(欝欝年/などがある。済撰進痘毒鈴315磁〜灘8ページ。
!1i)済頻道庁1欝欝1592ページ.
ほ2) 欝76年は珍しく不修の年であったため低めの実績1こなっている。済睡轡嬬農業霊購縫合1鈴§婿6,7ぺ一ジ。
(}3/纏繭の襲業技術者総襲芳堂氏や静瞬の轡橘試験場長などから栽培鼓癒を学んだ。小鰭 護1玉§髄i翌ページ。
商 学 論 集 第穫巻第至号 パターンは欝額f年代以降のハウスみかん,漠馨鋒(不知火〉などの品種だけでなく,高i歎栽培,マ ルチ栽培などの栽培装備の導入にまで続いている。
第3に,機構生産の基礎形成窮において済墾道鐵身の在醤韓羅人ネットワークの存在を忘れては ならない。導入された日本産苗木のほとんどは在韓韓彎入からの寄贈であった。
纏民地鞘と解放後1こおいて済州逡は特に産業のない貧しい地域であったため強誕運行された人々 や鐡稼ぎ者など多くの済婦道鐵身者が蕪本に居住していた。簿襲年鐘目当蒔済州遵鐵身の在ヨ韓霞 人は8万6,4韓人お酵,在馨韓蟹人全体の錘.9%を占めていた鵠。彼らは「在繧済州開発協会」な
どを母体にして,螢木寄贈運動を実施し,懲総年から欝欝年にかけて278.7万本を寄贈した。また 財産綴入で2.3万本を家族のもとに贈った。これは全体の殴%を露める量である。さらに学校など 済州島のインフラ整備などに多額の奇縁を行雛済嬢道の発展に寄与した働。
第繋こ,当鋳,輸入講鰻されていたため慢性的な僕給不定であったみかんは当蒔[大学樹」⑯と 鐸率ばれるほど高収益作物であった。雄蕊年の楼橘の欝a当撃叡益は,叡穫量i,2聡k墓,糧取入器万 8,476ウ意ン,生産費嘆万違,綴9ウォン,農業所得2亙万3,5§7ウォンと姦収益であった{購。みかんの 奉格的導入時類はッ漢馨幽の欝斜露に位置し最も温暖で橋橘栽培に適した西爆浦の醤洪潟集落が i弼3年で最も畢く,それら先行農家の轟収益に薦激されて,講済州蔀,そして北斜懸であま雛遊地 ではな恥北済辮郡にも,鎗年尾らずで普及・鉱敬していった樋。農家数はi鮪3年毅戸から,i§磁 年解7戸.聾器隼には8,馨論戸に激増した。特に鯵鴨年代以降は千戸単位で増擁している。
第5に,みかん新麺ブームの中で済州島内だけでなく,韓露本土からも資本・労働力が流入した。
本土の企業は数欝飴の荒地や藤躰を購入して,大綬模な権橘農璽を造成した。また癖人移住者が増 撫し,驚地や出替を開墾して中小轡橘農園を造成した。樗橘の生産中心地であった獲帰邑(現茜帰 溝毒/の人口増簾率(欝6馨年〜総隼/は済州道平均(逢.8%),全国平均(2、7%/をはるかに上翻る 8.董%であった鰯。
3.発展類(鴛質〜欝88年}
i鱒容年代に新婚されたみかん麟の結実が始まり,!留7年には栽培霞積i.2万醸,農家数§,馨簿戸,
生産量H.6万tに達してお穆,この隼以降を発展難と捉える。i解7隼から欝縄隼における生産量の 隼平均増撫率は震.3%であ聾,欝8§年には栽培面積i.8万肱,農家数2、5万戸,生産量盤、3万tに 増撫している。この鋳嬬の蒋籔として,①生産・溺費の拡大と所得増撫の好徳環,②鶴隼結果の 発生,③優秀品種の導入と周年生産体鱗の翻始を挙げる事ができる。
第葺こ,この鋳窮は生産の拡大が消費の菰大と結びつき,農家の所得増撫につながっていた。権 高野史男鋒§鱒]87ページ。
(1募 森鷹芳夫諺§§硝握蓉ページ。
(欝 帰省する済墾島鐵身の左翼韓国人は捲§2年の3韓人から,欝韓毯交曇復によ吟増撫し欝鴛年には暮、§総人 に達した。ソウル毒・根の深い末社癒舞9器128§〜282ページ。
(1春) みかんの嚢3本で子どもの大学進学費擁をまかなえたと醤われている。
(1齢 済撰遜窪目鱒鍔§黙/ぐ一ジ。
(磐) 澤蟹畿往鰭藻83〜魯5ページ。
(難) ゾウル驚・檬グ)深い塞栓編[欝欝]27達,27sページ。
詫聾:韓麗済州遜の権橘生産
橘のi人当警消費量は懇懸年には§.鍵§kgと微々たる水準であったが,その後.韓轡の経済成長に よる所得増,生産・流達システムの整備などによ参,i暫§年暮.i鷺g,至§締年蓬.2駄g,1§鱒庫iL5 盆暮と急拡大している騰。輸入が麟隈されている状況で僕給不足状溌にあり,まさに「搾れば売れる」
状態であった。糧薮入の年平均増撫率は2§.§%と高水準である。また時簸区分とは若干ずれるが擢 橘生産量と穏薮入との穏翼係数を博年麗ごとに計算すると,欝簿〜7§隼の権関係数は韓.§7§と完1全 相関紅近く,生塵量が増えるほど糧薮入は増擁している。1§舘〜8§年においても鰻麗麗係は若干弱
まったものの櫓関係数唇.775で,正の檬溺関係がある(鱗。
第2に.購隼結果の発生である。生産量が講万t水準を超えた欝84年以降,醸隼で生産量が増減 を繰吟返し,それに伴い懸格の変動が起きるようになった。i§驚年代1こは安定的であったがこの年 以鋒,農家や流通業者は極格変動サスクに対癒しなければならなくなっている。i盤§年代の変動輪 は±臆%程震:である。そのためみかんの新纏は激減し,更新が停滞した。
第3£,優秀品種6)導入と灘年生産休麟の闘始である。この鋳窮,優良品種に対する開心が轟ま り,極早生濃州みかんなど1i品種や饒蟹類としては夏みかんやネーブルなど8品種などが奨励贔種 として嚢本から導入された。1§鴨年代末1こは蕪以上の藻種が栽培されていた。
隔年結果が起きるようになってからは,贔質や液量,貯蔵姓などの観点から品種の絞込みが行わ れた。またig87年に栽培農家美声,生産量7tからハウスみかんの生産が始まむ,施設栽培1こよる
高綴{ヒと経年生産{本舞彗海§始まった。
4.停滞覇(総総〜欝%年〉
欝欝奪から欝§§年までの時難は,糧薮入の年平均増撫率が欝.7%で増擁していること,権橘墨 葎簸整も2難ウォンからi,267ウォンに増撫していることからみれば,発展鞘の一部と擬える事も できるが,次に遊べるこの蒔難の特徴から停滞顛と縫える。そして難解隼以降σ)構造調整簸の課題 が出てきていると考える。
第iの特鐵は,生産量増擁率の鈍化と遺剰生産化である。この時艱においても生産量は拡大して いるが,年平均増擁率が発展槻の饗、3%に比べると6.7%と相対的1こ低下した。また生産水準は騒
〜徳万t準で定着し遍麟生産となっており,隔年結果の変動纒も欝〜2§万tと大きくなっている。
そのため鷺鱒年代の生産量と糧暇人の相関係数を計算すると一§.6総と負の穰関驚係を示し,生産 拡大がむしろ糧薮入の減少をもたらすようになっている鋤。覆し,箏んごやなしの生産農家に比べ
ると,捲橘農家の所得は遜色ない状溌である。灘a当彗の所得(鷺§{/年/は至22、2万ウォンであり,
りんご(!25.8万ウォン),なし(簸8.i万ウォン)とそれほど変わらないが,所得率は握、§%であり,
りんご(5暮.8%)やなし縁6%)を土嚢っているご鋤。
第2に,早生温撰みかんへの転換である。豊作年の欝欝奪還鋒・農家や灘連醜体の闘で過剰生産 の開題牲が認識され始めた。その対策として早生濃州みかんや鏡櫓類の比率を高めることにより,
(2韓) 農林鶴1各年1菅蓑躰水産統計年幸誕参蕪。
12め 済撰道庁「騰編1及び済州逆櫓橘墨鷲連合会12韓3一のデータよ彗計算。
(22〕済癩道庁12鶴5i及び済痙遠轡橘麺糞連合会二21鶏 のデータよ陰計算。
/23) 金ヂョンホ!2辮弱1iべ一ジ。
商学論集
第74巻第i号第露霞 権橘σ)幣途艶讐瘡毒多量と鐵蕎黛i賂の推移(彗垂泣1トン,ウ煮ン珪{慕/
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注二系統醤蕎皇こ隷農編と轡鵜農覇を含む。
崖痩:済艇違ぎ[2韓湛及ぴ済繕違格橘畿葎連合会12{樽叙よ彗作藏。
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o軍纏縫(左昌盛舅 醐翻薫佐自盛)
@ 吻一般轍翻左翼蜜
ユ囲総踊(饗盛)
香[絶ハウスみかん懸雛(お石盤〉歩けか輪舞豹難欝醸ン 触工羅纏橋懸整(毒聾叢} 一纏撫鐡蕎鰻格鐵欝欝 ⁝
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4 尋 3 3 2 2 董 毒 5 3 蕃 β β β 寿 β 寿 薄 g書台奪@ g毒 弱 ㏄ 尋む 毒曇 ㏄ 彗暮
「洪水鐵荷」による緬格暴落を防ぎ,§月から翌年の5丹まで持続的紅趨蕎が可能な休講作箏が模索 された。欝欝年の生産量は軍生みかんと普通みかんで二分していたが,欝総年には早生の比率が 83%に急上算している(第2緩}。握し早生に急激に転換したため,品種が確かではない蕩木が混在
してしまっている。瞬権類に関しては欝欝年代燐めに嚢庫から不知火が導入され「漢撃鋒」と名づ けられた。
第3に.ハウスみかん生産の本籍化である。欝87年にわずかi戸から始まったハウス栽培偽は繧 年のi k墓当雛単懸が淫、鈴春ウォンと露地みかんの建倍であったため,高叡益に鵜激され翌年から 生産が急増した(第3図参照/。19弱年には栽培農家1,6綴戸,露積魯8訟,2.3万tに拡大し,緩 駿入も747億ウォンと裾橘全体の鴛%を霞めるまでに成長した。高取益以外の憂患として,政府の 補勧金凝獲があったことやなだらかな地形が多く施設化に遷していることなどを挙げる事ができ
る。
雛 構造調整朗における樹橘生産の軟溌と魎格安定化のための議手段
本籤では欝§7年以降の構造講整難における轡橘生産の状溌をみたうえで,轡橘髄格の安定化のた めの諸手段(①生産,出荷講整,⑨政癒購入,③権磁の高品質化,④梅橘流通調整命令1の内
(2馴 一一般酌にビニール・・ウス栽培で,冬簸に濡類を使一)て擁澄している。
隻野二韓羅済州遵の摺纏生産
容とその効果について考察する。
亙.携進講整難における権橘生産挨混と課羅
(碁 遜乗彗生産と勝得の減少
i§弱隼以縫,生産過嚢と購隼結果による不安定化はすでに始まっていたが,糧薮入は変動してい るとはいえ増総領殉にあり,根橋懸諮も上昇頓購にあった。ところが欝§6隼をピークとして懸諮,
糧薮入と麟こ低下懸肉に転じて秘る。i鱒6年の繭後における生産量と糧収入の根絶係数1ま,ig簿
〜欝弱年1こは春.聡9であるのきこ対し,欝欝〜騰経年には一§、5磐となって雛る。特に難解隼は69、3 万tという豊作年で,櫓機趨蕎極格(敷g〉は麟年のi,聡7ウォンから5簿ウォンに低下した(第3 麟〉。このことから政癒,農協・楼橘農協,農家が協力して生産や流通の撰進を改革する必要性が誌 識され始めた。生産講整政策はig留年以鋒に本格乾したが,農家や流通業者のフリーライダー問題 などもあむ,講整はそれほど進展しなかった.2鰹年まで,栽培面積は2.5万絵,生産量は毎年齢 万t藤後で推移している.
また嶺橘農家の憩3恵むの所得は領肉的に低下している。所得及び霧得率は欝§暮年には玉22.2 万ウォン(7遵、9%),欝95年16i、魂万ウォン(7逢.3%/ラ2§総年95.8万ウォン(§8.2%/ケ2彗巷2年35.6 万ウォン(32.8%/と激減して耽る。欝鱒隼代はウんごやなし栽培農家の解得を上騒っていたが.2縫§
年以降,所得及び所得率ともに下曝っている闘。本格的な購進講整の契機となったのは,臆§2年の 大豊作である。この隼は編年結果のたあ生産量の減少が予想されたが,箆.§万tという史上最大の登
第垂霞 済州道産撰橘類の卸売懸緒の推移(単{宣1ウォン雁§鑑多
野9,春巻G
総,慧暮暮
了巷,朧
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総,9{澹
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蒼・ 署▲・巳
r▲一 ・▲
尋興 5舞 6弩 7鍔 8舞 §舞 擁鶏 讐鍔 穂薄 膚 2舞 3遍 淀二上質権橘。春月から§月は越冬みかん及びハウスみかん。
軍隼懸路は婚98年5層から騰縫蕪4鍔まで姦慧・靉靆懸格を除いた準均簸格。
罐漸:農鱈経済羅窒銑1各月1よ参俘成。
商 学 論 集 第鮭巻第正号 修年であった。このため権橘の糠蝦入は3,欝5億ウォン,癒格は4劔ウォン盈gと邊去欝年鷺で最 低纏を記録した(第2騒,第3籔/。また舞亮極椿もi年を通して平年を下懇っている(第違騒〉。
(2〉2巷縫隼における楼橘生産状溌の蘇転
2§醒年の楼橘生産の状混を見ておこう。権橘の生産量は5§.§1万tであむ,i鼓a当参27tである。
生産不適地の擁麗と間伐,摘果を積極的に実施したことによ参,生塵量調整にある程度成功した。さ らに灘黙など良得な気象条件により晶質も陶上し樵橋懸格も平年を大きく上懸った(第蓬馨〉。
ハウスみかんの生産は,生産コストの蕩騰紀超えて,補豹金濁度がなくなったことによ参,欝弱 年の2.8万tをピークに減少領海にある。2奪鱗年には栽培面積淫3蟹這,生産量2.6万tである。{重し 栽培農家が鴛弱年のi,6妬戸よ惨i,3器戸に減少したことによ参,i戸当参殺人は購難翼に3,§綴万 ウォンから5,i8§万ウォンに増撫している。漢祭鋒は2,鱒§戸の農家でi,欝春鼓aを栽培し,i万3,3§2 tを生産している(微。
次に,権橘農家の経営状溌を品靉靆に見てみよう。29舵隼の権橘農家の経営状溌(露地みかん/は 欝87隼と比べると,題薮入,所得,所得率も低水準であったが,2癖総年は楼嬬緬格が上算したこと
第i衰 済魯1選灘橘農家の晶羅驚鑑賞詣標(単蒙=ウオン〉
難麹みかん
⁝︸
ハウスみかん 漢撃蜂
i蜘 2鑓21 2雛3 働騨 2鱒2 2む龍 趣轟 篤翻 2鍵3 攣纏
縫鞭益 i,欝,麟重灘,3麟 王,聡4,2鱒 建i.i i3,畦7§,7達2 慧,§33,登52 舗、1§,璽27,き灘9β勢欝
@l l
玉.呂
経堂費 中鶴舞費 一無機罷料費 鎗,i舗 77,736 叙,3尋? 一13.購 鱒,ii2 工欝,篶7 3221 醜,§2襲 玉56,227 垂
一i7.3
窟磯麗料費 27,2看2 3§,3総『 9,8紡 一§7.§1
@ …
工29,5毒3 2亙3』ア?4 §5.i
1麗欝1灘鯉
一29.警農薬費 岳b蕪2i i§8,鋳§ 蔦5,5籔 一7.き
i223︐7蕊ミ
252,2器 i2.書 藍ハ38,8鰭 工勇,523 6.§
発熱動力費 警,醐1 警,艶2 §3綴 一5.き 5,§薦,5δ董 §,銘2,総§ 鷺.3 6鰭,圭鯵 78違,8里2 i2.2
水耕費 L麟 6船彗 7講8 玉鬘.2i 5§・33毒 昏2,盤2 欝.圭 i§i,75舞 戯鰹 一2.8
薬麺費 2§,麟8 蛎,3圭6 7§,碁朧
_騰.逢i… }
解5,垂34 973欝7 一馨.2 {S灘7難い4§辮 一87.簿
小農翼賛 89毒i 3鋳7i 2,麗5 一瞬.3 9,2§6 8,齢9 一2.2 一6護.§
農機翼叢劫費 玉彗麟 24,893
1 2i︐3書暮し
一翼.i 総5,i踊 57違,鑓雪 一生§.主
13戴麟郷8i
麟.8営艦施設灘叢費 工i,§§ε 27,7隷 E 22,2§2 一生響。§ i,?蔦,82玉 圭,3欝,了ii 一2工.§ .夏罵灘ド馬脚 毒.垂
修讐費 4,3躍 3,照きi 尋,2蕊 欝.アi 6327曹 5荘,蕊4 一圭i.7蓄・ 33,購i 玉8β33 … 一越.7
造破費
生躍演欝い瀞畦iマ1,雪噛i鰍3舘8博i§2瑚8隅一婆幽
講 2鎗.i縫 } 54き,5毅 妬2,皺む 一翻…9鰯?2§i地霊総3器 7.2{静§37β9磯2縫333 6.7
賃貸料 農機翼・魔設
音1 ⁝
§ 套 鴫 王25脚i 蓼 一1 麟 癖 ㎜
}1土地 彗 ⁝ ∫
驕@ 暮 }
黶@ 蕪,慧線 蕗,彗75 暮.§、55,556i 魯 ㎜
雇、摺労騰費 3§,2鰯 i82、暫7?1臨25i 工、2. 蕊5,93§ 輔,総5 一s.圭■ 2盤,843 324、3圭7 3遵.i
躰葭︷
259,違嚢, ?器灘1総籔 5.隻 尋,234,7§7遵,52嵯,ε灘 6.s
家教労働鞭醗 i誕,83琶… 1 鐡,麟5離,遵3i 曇k奪i…i鰯灘 L7書5,537 一書.7 王,織.蜘玉,2§2,§欝 29.3
新得 8鱒,2妬 窪酪,鍵3玉,3葱,圭3§ i書.書 一2.5
慰蒲癒蓮 警2§,鐙2 5認、8劔i,§澱,3鱒 懸・§1羅磯違25鰯3 圭2.ii52鱒離21郡鰹3 一玉。§
蕩得率 /%〉 77.尋 … 32、暮 6?.藝 」1 23、3… 2き・7 一 ㎜il圃 5杢・8 一
濫1鴛アール.i無1鶴基準.欝87年はその飽を含むため,合計額が一致しない。
墨漸二済残遺農業披講残珍書§3,2鶴壌,カンギョンソン[29{}幻よ鱗乍成。
(2欝 軽んごは欝鱒年1にはi25.8万ウォン(58,8%〉,2総2奪i蔦.6万ウ津ン(§5.2%/,なしは難鱒年にはii8.i万 ウォン(総%〉,2総2年玉88.2万ウォン(55.藁驚/である。金ヂョンホ[騰暮虜簸ページ。
(26) 済州遜庁[2韓湧よ警計算。
一i巷一
佐野1韓国済州遵の積橘生産
により大輪に改善した。まず欝a当警糧薮入は!鱒.4薄ウォン(生産量3,22蝕墓,単懸碁欝ウォン/
kg〉,経営費§4、8万ウォンであり,所得1ま1綴.6万ウ穿ン(所得率67%}である(第愛妻/。労働鋳 闘1ま7§.2時簡である。欝奪に比べて穣薮入は8i%増驚,逆1こ経営費はH%減少し,所得は3.7接
である。
ハウスみかんも露地みかんほどではないが経営状混は改善した。糧載天は羨年比8.§%増の
!,463.拳万ウォン(生産量5,424kg亨単懸2,磁8ウォン!1{g/,経営費5.玉%増の璽,騨87.7万ウォンであ り,所得は欝.8%増の37§.7万ウ茸ン(霧得率25、7%)である。家族労/勢鋳闘は2§8.遵時1馨である。
漢馨鋒は対照的紅醗得を減少させている。穣取入は繭年比玉.8%増の93§万ウォン(生塵量2,272 kg,単覆鋒,i33ウォン隊齢であったが,経営費が蕊2.5万ウォンと6.8%増擁したため,所得はi磨%
減少し鰭6.§万ウォン(所得率澱.8%/であった。家族労働時鷺慧葺5、8蒔闘である。これら3贔§
の申で,漢馨蜂は最も高教益作物であ参ケ所得は露地みかんの3.7倍,ハウスみかんのi.3倍である。
(3〉 轡橘生産の講造的問題
騰纒年に経営状溌が好転したとはいえ,敢然として生産遍覇や隔年結果の無題は解決していな い。また次に詣摘するような購造的縫題もある。
第聾こ,早生離州みかんへの特化による「洪水患荷雲霧題である。済州遵では鱒%が温州みかん で饒権類は婆%に過ぎず,特に畢生,痙畢生の比率が盤%を占めている。これは艶年代に進めら れた畢生への更新が成果簸を運えたことによる。ちなみにヨ本では温撰みかんが総%,醗権類(不 知火,清見等など/が憩%であ参,温州みかんの畢生比率は6春%程度である。
これによ参,鐵荷時鱗が集中し,懸格の下落を招いている。本来,鐵葎蒋難を分数させる羅的で 始まった普通濠嬢から畢生への転換であったが,錺が逆に振れてしまった状態にある。先述のとお
り漢撃蜂は高薮益作務であ警,そちらに転換しようという動きが見られるが,いまのところうまく いっていない。
第2に,権橘農家の零綴牲の開題である。楼橘農家は3万i,器3戸で農家戸数の欝%,全戸数の 16%を占めて魏る。廃璽など1こよ参鎗縫奪のピーク時から5,357戸減少している。栽培面積は2万 2,艇8鉱であり,i戸当り栽培響積は§.7猿寂と零纈経営が多い。臆春2隼でみると○.紘a未満鱒%,
i簸a未満77.圭%と零織農園が大部分である償}.楼橘農協のオホンシク12奪§鑓によれば夫婦で労働 する場合の適当な経営矯模は1.5〜2盤であ讐,ほとんどの零綴農家は経営効率が良くない状況に ある。また零綴でかつ緯織化が十分ではない為,葬常に競争的であり,フリーライダーが絶えず発 生し生産調整が癒難となっている。
第3に,生産農蔑の高齢色弱題である。騰§3年の権橘農協組合員i万美,蝿2人の年齢購成は6§歳 以上磐%,5雛〜60歳未満27%を出め,5巷議未満は25%に遷ぎない。これ.により①新技徳㌔農法
よ陰経験重視になっている。②新最種に繋する敏速な対応力・応癒力に欠ける。③高品質蟹橘生 産のための苦労の多い農法よ参も手軽な方法を選訳する。④未来への悲観的な見方を持ち,新品種 の更魏こ消極的である,などの領爽があるという餓。現在,欝得年以前の導入簸に参入した第一量
〔27/ 時莫彗はずれるが2緯書年の内訳をみると.戸数では(1.馨絵未満が33%,3紘以上は玉.S%であ琴,薩積では.
§.5義a未満がS%,3難a以一とは懲%を占めている。統計庁[2韓薪528ページ。
一i茎一
講 学 論 葉 箒握拳第}号 代が中心であ轡,ほとんど後継者がいないという。長鱗前垂こ考えると旛橘産業は「安楽死」の羅能 姓すらある。
さらに,膿,董V簾で検討する流通システムの問題やオレンジの輸入§密化の翼題も深灘である。
したがって生産,患荷調整などによる嶺橋懸格の安定化,流通システムの改善と済州みかんブラン ドの購築が必要になってきている。
2.生産調整による懸格の安定化
済州道・帯・都庁,済州農協,権橘協講縷合,農家が協力して,廃璽,懇伐,摘果などを通じて,
生産量の醗減・講整を醗っている。
(i〉 廃1蓑による栽培面積の縮/卸
政府は,栽培麟積を減らすことによ参生産量の増撫を擁鰯するために,婚§7隼から,繧高鐙蓼驚 以上σ)高地で,駿益性の低い撰橘縫を対象に廃園事業を進めている。2§縫年までに4,67§蝕aが廃鑛
した(第2騒〉。讐に欝儒年縫,42§鼓瞬と2§経年(2,559鼓a/に廃園は本賂化した(鋤。これは鎗競 年に,豊作のため綴橋懸格が暴落して,所得が激減したこと,廃園補1賞金として1醸当塗3,倉§春万 ウォンが支払われたこと㈱},高齢者が多く後継者も愚ないことなどによる。
廃園による減産効果は鍾万t程護であ彗,みかん栽培不適地が多いため晶質向、ヒの点でも意義が あったと考えられる。一定の成果を得て補鏤金をともなう廃躍事業は2蟹}5年に終了した儲。挺し轡 橘の代替作物として,政府は糠,朝韓人参,たまねぎ,キャベツなどの生産を奨励しているが,不 遜地のためうまくいっていない。
(2/間伐プ欝グラム
済州道の搬橘園の特鍛は密麺であ絵,これまでその改善が類摘されてきたが,農家は収量の低下 を恐れて,繋年代はほとんど実施されてこなかった。済州遵農業技術醜の2{1鵜年の調査によれば,
密植遜に対して鷺伐璽ではう繕壌:9.3度に対して9.8度,酸度i、綴%に対して,1.24%,擬酸化(=
糖農!酸度貰.iに渇して7.9とすべての項震で,購伐躍の贔質が上回っている。鐘にも翻隼結果の緩 報鵜とともに蔑品質みかんの生産が再籠になる。農薬散布,摘果,運鍛など農作業が容場にな鯵,人 件費の節約1こなる。さらに轟畝・マルチ栽培など新たな栽培方法も取り入れることができる。露照
と通騰が良くなり病害虫が減るなどのメ婆ットが指摘されている{鋤。
済州道では,道,毒,都庁を中心に毎年2月1こ鷺伐発起式を行い,公務員を中心としたボランティ アも動員して鷺伐に取り績んでいる。また間伐支援として鱒競年鋭鋒,済州道庁は,i醸楽静欝奪 オホンシク津鯵鱗参照.
『漢鼕鼕鞭圭鴉編年8層鯵駐rl。
騰訳は醗が鋳%.道が騰%である。健畢こ老人や民宿に封ずる補跡も行っている。
その後2§鋳隼には再露される予定であるが,補欝金馨至難該当ζ)巷蟹走万ウォンに減額される予定である。多漢
撃議嚢2鱗轟年5鴛28醤。
(32) 生鮮§年から騰経年までの享均蕪年環象率は密纏懸の鴛.8%彰こ比べ,間伐li隷ま4.3%と3分の1に緩藤され ている。
億舞 済簿透農業披術騎・椿磁羅究婁憲の金ヨンヒヲ氏紅隣するヒアリング(2(1{短年2得董8醤/による。及び金キ テク 12/矯蘇38ページ。
(28〉
(2湧
儲}
(3玉1
ラ一i
佐野:韓馨済州遵の樽橘生産
万ウ煮ン糧当の有機肥料を供給している。この結果,欝韓年3,3鴛万本だったみかんの成本は鱒§3 年3,§簿万本に減少している。これによる減産効果は年間5〜6万t程度である 脇。
2総5年には済州道庁は,廃霞事業の代わ拳に,i彦賜伐の嚢標健を約4賠の4,癖暮纏3に設定し,支 援金を墨髭当撃騰書万ウォンから2灘万ウォン(有機肥料i灘万ウォン,人件費緯書万ウォン/に 増額した。さ嚇こマルチやハウス栽培などの支援の際優先するなどインセンティブを与えたため,上 半窮に2,3殿始の間伐実績を上げている齢。
しかし鎗蕊年の実態調査の結果,虚鶴申告が多いことが醤明している。舞えば懇帰溝毒ではすで に廃園した農地や倉庫など鱒擁aも闘伐対象地になってお撃,支援金を不正に受け取っている蝿。
(3/ 摘菜の叢進
摘果の重要性は運解されつつあるが,現在あまり実行されていない。その蓮由は,韓蟹では小玉 みかんの人気があり,懸格も高い。ところが摘果によ鯵,果実生育が促進されて大玉にな警,懸路 が低下してしまうからである。2馨§巷隼にはみかんの摘果のため済螺道知事が練頭指揮に立ち,学生,
軍人など延べ鎗3万人を動員して摘果作業を行っている儲.
3.政癒購入と露給安定事業による癒格の安定化 (聾 政飛:購入による{藩格の安定
蟹橋懸終安定のために済州道庁は豊作隼には数万t購入している。鎗縫隼1こは済州道・薦致瞬に より2.4万tのみかんが鐵闘廃棄された晒。また騰鑓年には,§.7万tを購入した。うち尋万tは撫 里馬であり,通常の加工霧みかんがi kg緯書ウォンのところ,落の懸諮で購入している。
また軍隊醗として毎年2,§鑓〜3,毒毒9t程度の購入契約が結ばれ,i,軽軽轟〜2,辱§雛程度納入されてい る。豊作で橋橘憾格が低い時には一定の懸路支持効果を持っているが,欝艇年のように卸売懸緒が 工㎏楽舅,7§倉ウォンと軍納契約単癒の藩以上になった場合には,契約量の6割しか鐙荷されず事 実上契約破棄になっている醗.さらに詫朝鮮へもみかんの送付事業を行っている。実施は南北協力 済撰進畏運動本認が中心となって!9鱒年よ箏2§経年にかけて3万3,葺§tのみかんを駕韓解に寄 贈した繍㌧
(2) 積立基金の設立と露絵安定事業
騰礁年以鋒,済州農協は権橘類業界の叛売促進,瞬発,輪鐡支援,懸路安定化のために,各農業 者と農編から崖蕎懸格のi%を集め,堕億ウォンの基金を積み立てるプログラムを実施している。
これに換え敬聴が欝億ウォン支援している。この基金をもとに農協は鎗盤隼から需給安定事業を 実施している。これ1ま農協が崖荷契約金額の灘〜憩%にあたる無潤子資金を農家に支援するという
(3萄 許{1二玉済づ餐大学教1受からのヒアリングによる。{絶し高量質のみかんを{馨るために1まi{}農楽弓3t程度鞭穫iす る必要があ聾.適度の麗羨は晶質無下を擦くという振擁もある。
ぎ漢撃欝鞍遷2燐§年13月欝馨ラ5得器曇。
ζ漢撃i…幸灘2蟹繕年唾罵鍵暴。
井出護[2〔1(嬬慧ページ。
農水産窃流通公役]騰縫1参照。
誓朝簿疑報蓄2鱒暑年玉月笈羅。
『漢整蕪鞭書勝蕩年3月箆露。2韓4年は8,緯7tである。
(35}
(3惑}
(麟
(3暮)
(謝 瞬)
一五3一
薩 学 論 纂 第74巻第i号
ものである。また鐵嬉したみかん簸夷懸格が契約単懸の鱒%未満1こ下落した場合吾こは,損失補填を している。
鴉経年には2,7塁戸の農家で6.7万tの契約量があったが,みかん懸格上昇のため828戸が契約 を罎行せず,i万セ(蔦%)が隻まらなかった。しかし農協は違反農家に対して強い講裁箔置を取っ
ていない{鋤。
墨.橿橘の高畠質化と栽培品種の変更による高盤撫極値化
ここでは施設イとッ 品種変更,栽培方案去の改善の状澆と霧環境農薯虫垂こよる辮橘生産の事膏彗,地中熱 穂霧の羅橘苗木生産の事弼を取除上げる。轡橋懸賂の安定のためには生産量の講整だけではなく轟 轟質化が不可欠であ参,品種,栽培方法の改善が必要である。そのため欝鍵年1に設立された国立楼 橘試験場では権橘の育種蘇究,温州みかんのマルチや高畝栽培,ハウスみかんや不知火ハウス栽培,
贈蔵・撫工醗究などの試験と普及を行っている。また優良落木の生産のため2ケ所(6万坪)の書橘 母樹塁を設置している。
(i) 施設化,酷種変褒,栽培方法の改善
当補,付糠懸麺を高めるために,ハウス栽培の拡大が羅られたが,コスト高と懸緒σ)低迷のため 最近では停滞している。替わって轟緬格の饒楼類への転換が纒られている。まだ漢整鋒は生産量i、2 万t程度であるが,面積を現在憂)i,9§癖絵(全体の淫%/から,2,論魯絵(鈴%/に菰大させる計露 である。
また近年高畝,マルチ栽培{鋤が推奨されている血済州妻権橘試験場の実験(鱒巷彗年欝月/では,
無越遷の場合には藷穫8.5穫に対して,タイペックマルチ栽培簸、5綾,マルチ栽培+高畝(鱒。癖 1i.3農,マルチ栽培十高畝(5§C驚1鴛.3度となってお彗,マルチのみでも3度,高畝(鱒C盤/を 超えると進度逝くの穂度上昇が見られる。継し,このマルチ栽培は済煙道ではまだ導入段港である。
(2〉 親環境農法による楼橘生産の事{残
次に窺環境農法の優良事擁である靴擦州有機栽培みかん生産懇地と齊爆溝有機栽培みかん生産団 地を取拳上げ,その現状を紹介する磯。
① 誌済州有機栽培みかん生産攣地
この農露は北済州郡輪舞邑にあ参,代表はイムソンスン氏である。2§経年における露地みかんの 栽培面積は6,韓暮坪,生産量は5{}tである。近年規模を拡大し,5年前よ箏も栽培盤1積i,馨○§坪,生 産量2獣拡大している。基本的1こ家族だけでやっているが,収穫縛には女性パートを覆篤している
(i暮35,{給春ウオン程度〉。
販売先は,ハンサルリム蘭,庭売.インターネットでの産直などである。ハンサルぴムでの販売
/護1) 『漢整套二…輯』2韓5年3弩饗馨。
(42)夏季から叡穫霧までの驚ッ壇藤をタイベックマルチシートで被覆しケ雨承を入れないことで糖度などを傷め る栽培方法である。
(43) 2(}警3年9弩の講査では縫雛蕃の誰至約もあ彗詳しくヒフアリングできなカ・つたため,2鞍橋年8丹2馨,§響に電婁勇 でインタビューをそテつた。
(4馴 ハンサルサムは欝緯年に設立された韓蟹最大の生雛紛織で,協難罎合方践で有機農農勃紛生籬を還ごて都覆 と農村をつなぐ産嚢運動を展離している。詳しく慧亨溢宅夢:11www.難a難sall撫.o夢.験r!。
一翼
笹野:韓蟹済報道の雛橘生産
が懸%程度占めている。騰暮春年から5駄g単位の撹諮箱包装と2k慕の網包装で鐵薄している。懸擦 は5kg箱慧8,鰍1ウォンである。舞薮入は7,§彗暮方ウォン(推定/程度であ讐,欝欝隼の3,§§磐石ウォ ンの落種渡である。
欝87隼雛から有機農業に関心を持ち,欝編年からみかんの無農薬栽培に着手し,i鰭8隼から有機 栽培を行っている。有機肥料は原灘的に嚢家製である。まず,おが暦総%.魚撫工残物簿%,米ぬ か韓%,ナシ皮,骨粉などに醗酵凝を入れて醗酵の後,馬糞6馨%に魚撫工残物鍵%,漆粕驚%を 混合し,さらに醗酵させる。これをi隼に2懇遠麗で撒籍している。また栄養凝と紡虫華としてね
ぎなどに水と酵素麟を入れて発酵させたものを希験して撒布している。
また自然農法,有機農法は「法」といえるほど確立しておらず,気温など天候の変化で失駿が多 い。懸馨も有機栽培だからといって特に高い癒椿ではない。また栽培嚢積が6,§毒§坪とまだ大規模と 震う懸どでもない」)で農業所得はそれ.ほど多くないと叢うことであった。
② 薦帰浦有機栽培みかん生産懸地
この農露は済州島西帰捕虜ドスン洞にあむ,7,§脅彗坪でナみかん萄tを生産している。イ・ヨンミ ン氏は済州道で王燧5年から先駆的に有機栽培を行っている。鰺無間でようやく成果が崖てきた状 溌で,みかん版藪当り単懸が鎗総隼圭,2§巷ウォン,欝縫年i,騰§ウォンと上昇している。これまで は有機栽培といっても懸格はそれほど轟くなかったと言うことである。取引先は甕簸やハンサル縫 ムなどと取撰している。
この農園では欝欝隼よ陰欝.M.農法を取彗入れており,米ぬか,海題,骨粉,蟹皮などにE.M.菌 をまぜ嫌気状態で醗酵させて有機罷料を作静.散姦している。これによ箏一般栽培のみかんよ拳糖 度が鎗%程度上がったという。
以上は優良事醗として紹介されている農園であるが,インタビューによれば有機栽培を行うこと によって顕著な新得増趨は晃られないようであった。むしろ天候条件などによる婆スクが大きいと いう印象を受けた。取襟先は農協などの系統鐵蕎ではなくハンサル3ムなどと直接取引をして安定 的である点は有機栽培のメリットの一つといえる。また近年では「安全・安心」という点で直販や
写真2
庁3i
蕎 学 譲 集 第簿巻第玉弩 インターネット産藝1では有麟になっていると思われる。
(3) 地中熱利得の捲橘苗木生産の事携
ホインオク氏の農霞では地中熱を秘露した楼構苗木の施設栽培を行っている(写真2/{嶺この農 場はi,醸1坪程度の実験的なものであ吟,鴉紹年塁月よむ試験的に漢撃縫やレモンの苗木を栽培し
ている。済州違では冬はマイナス§℃まで下がるため,地下2餓にパイプを通しファンで空気を婚 環させることにより,圭年中董ぐCに保つことができる。設備にかかるコストは坪嶺彗5万ウォンで
ある。これ1こよ参通鴬の苗木栽培の難題が大霧に短縮され,軍簸紅結実するという効果が膨ている という。また暖房費や冷携費がかからないためコストダウンにつながっている。新品種を導入する 際に,済墾道の土壌や気候に適合するかどうかをチェックする必要があウ,苗木栽培の簸驚矯纏が できるこの栽培方法は有効であると考えられる。
5.樹橘瀧通講簾命令による低品質みかんの出穂禁止と品質管理の強化 紛 低最質みかんの綴荷禁止
農躰部は欝紹年より「轡橘流通講簸命令」を発令し,露地みかんを対象に,5i m醗以下のi番果 と7i鍵盤以上9番果のみかんを等綴外とし霞内幕場鐵荷を禁窪し,強請着色行為を翅罰対象とし た。罰金は最轟難癖万ウォンである。鋤儒年の命令では済輯道内が対象であったため,効果が醸定 的であったが,2嬢難無銘こは全瞬に拡大した薦}。2§艇年の流通命令による糧箏乙大塔舞鶴ま258{慧〜淫,劔1 億ウォンと推定されておむ,農昆だけでなく流通業者も所得が増撫したと評懸されている(購。
しかし飽方で流通命令違反は籔盤年6葡件,鱒縫隼は4難件であ箏,それに対する罰金も「綿 機棒麺分」といわれるほど軽いものである麟。さらに2倉嶋年の生産量が灘万t程度であることが 予灘されているため,農民や産地流選蕎からはすでに講整命令継続に越して反対意見も鐙てきてい
る。
(2) 晶質管遅の強権
第iに,鐵荷鋳の晶質管遜として,選果場の状濁をみておこう。選果場は734ケ所あり,内訳は 農協2蕊ケ所.欝橘農協望薄ケ所,産地流通商2§8ケ所,法人蟹ケ所である。地域劉では轡橘主産 地の西蝿捕毒(23§ケ所〉と南済州謬(23(1ケ漸〉に多い。選果機は7瀦台であ管,約鈴年前に比 べて農協と檬橘農協を中心に至溺台増超している。選琴彗作業は選果台→洗浄(写真3)嚇乾燥→ワッ クス薄端郵櫓一号讐劃一・包装のll嚢に行われ.る。大きさや至嚢量によ拳,歪番果から9番果に選辱彗される。嚢彗 度や酸度はサンプルチェックである。震動選果機はまだ講%で半嚢動(包装は手作業)が灘%を 羨めている.嬉選i能力がi時匿12.5t以下の小糧摸な選果機が盤%と大部分を占め,7、5tを越える ものは2%に過ぎない(第2褒)。
近年,光センサー選果機もニレコ縫(8本〉,コンベック縫(ニュージーランド),イマペック縫
(43)
14§)
縛7)
(4s)
/錦)
2§纒年2簿工8資ヒアサング講i費a 農鉢謬[欝欝む,2麟毎1参照。
コソンボ12総湯参照。
ζ漢撃覆轍2韓3年8月i7屡,轡臨
瑛蓬は蟹橘流通調整命令の一環でワックスがけが議鰻されている。
一i6一
佐懸:韓酸済州遜の捲橘生産
耳糞窪
第2表 撰磁選乗場及び選果機の現漫(里§総年,2韓淫年/
i岡三蚕
形式懸 越遅籠力雛選梁機数(トン1時雛)拳嚢
4 4
至.5i
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(イタ夢ア/,スペクトルサイエンス縫・農業工学醗究所(韓擁/から数台導入されている騨。高額 であ拳,選果料の鐙上げにつながるので,費絹対効果や稗欝量など農家の講意を得るのは簡.単では ないようである。
第2に,消費者に安全で安心できる権橘を供給するために,適正農業規範(GAP){5Dと生産履歴 凝の導入が検討されている。済州遠庁は生産鰻歴麟を鎗編年よ夢導入する計麟であ都詰これは旛
(5彰 反解光式/コンペッタ社/と透過光式〔その縫)があむ,籍渡,色亨叢鷺など工秒闘に4〜舞鶴の愚礫縫方 がある酢チェ葺ンフン海雑劇22−23ページ。
151〕 GA萎〕(G〔沿遷A欝童難塗雛盤蕪)膿ctlce〉とは.安全な農産梅を僕給するために必要な栽培管理と農場や簗串蕎 趨毅などの環境整備において,生巌者,籔羅考が守るべき綬縫である。
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商 掌 論 集 第縫巻第董馨 矯の生産.流遜における矯報を公饑し,消費者の信頼を醸成し,済鰭搭橘σ)ブランドイメージを蔑 めることを舅的としている。現養は至Cチップが高くすべての馨橘農家に普及することは羅難であ
るため,漢馨鋒や不老草など高晶質嶺橘に対して試験的に導入することを計露している。この費篇 は編機クラスター支援予算(後連/から支鐵される予定である。
§. 長麟との鏡較にみる済州権橘生産の課題
次にヒア夢ングを行った畏綺における取り緩みを参考に,済州島産権橘の轟品質化について考え てみたい。礬水におけるマルチ被覆率は毎年上昇類向にあ参,2§鋳隼は質%(極早生1である麟。
特にJAながさき西海は欝総隼で鱗%を超え馨本一である。数年前から各鱗構鐵主が一筆ごとに 収穫前に鋳鑓闘鶴で品質調査を行い,データを蓄積してお箏,天候に適慰したマルチ管理を行って
いる麟。叢麟県農躰部ではこれをさらに曝全体に広める「みかん樹獲地管遅システム」の購築を暫っ ている。高性能非破壊選果機から得られるデータと,その果実が生産された園地データを一筆ごと に一元管理し,瀬々の生産費ごとの生薩対策を図るものである。これによ酵晶質の郷人格差や露地 搭差を解消し,産地全体のレベルアップを警指している鰍。
これに薄して済州島の場合は単にマルチや高畝栽培の導入が遅れているにとどまらない総題を麹 えている。済福島の櫓橘農家は零纒経営であることに掩え,露本のように集毯髭,綴織免が十分に なされていない。そのため優秀な槍橘農家はいても,その経験やノウハウが縫の農家に普及してい ない。長麟のように一産地にとどまらず,渠レベルにまで広げて,警報を共有し,品質の翻人格差 や露地格差を解消しようという「みかん樹露地管遷システム」の構築は済耀遵においては露難だと 思われる。露本では報歌出,愛媛,静岡,熊本,長麟など多くの権橘産地があるため,樋格や贔質
をめぐって産地闘競争が厳しく,蘂レベルでの晦轟質化に意味が縷てくる。しかし韓馨では,済州 島に産地が限定されているため,遷レベル全体での轟轟質化にインセンティブが働いていないと考 えられる。道,毒,轟庁の灘橘政策も基本的に「ばらまき璽」であ吟,霧雛も含めたチェック体麟 が整っていない。
また生産調整や権嬬流通講整命令1こ対しても,絶えずフリーライダーや違反考が発生している。闘 伐における叢鶴申告も多い。軍縮契約,需給安定事業による契約,翰墨契約(後述/も,市場癒格 が一と舞すれば,一方的に破棄するなど,契約意識やモラルの欠嬉が見られる。さらに搬橘流通講整 命令に対しても,2韓§年の導入には反対ぎ)声が高雅。これらは透視鰻的であり,長簸にわたって轟 晶質轡橘を生産し,消費者の信罵を得ていくという観点が不足していると誘わねばならない。その 意瞭で,簸格が好転し始めている環査こそが,済頻遵嶺橘産業の鍍路である.
灘 流通システムの改善と済州みかんブランドの構築
水簾では,権橘の流通システムσ)環状と簿橘消費び)停滞と消費者のニーズの変化について覗らか
、53) 全霞果実生産珪}蕎安定協議会12蟹1還 2ページ。
侮勲 3A畏麟へのヒアリング講査による (2馨越年鶏舞2§彰駐。
爺憩 畏鋳環農林蒲のヒアリング謁歪/211韓年欝鷺291碧及び長綺羅農鉢謬農産簸芸課121鎗蔀蟹ページ。
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髄野1鬱鬱灘寒極の嶺構生産
にしたうえで,済燐みかんブランドの構築について考察する。
茎.流通システムの現員
(i〉 流達経星各と流遊韮費舞彗
済報道の流通経整難は西帰浦毒と済州鳶で異なっている。嚢帰浦毒からソウルまでの流通経整は A経驚(生産者→卸売商→小売藩→消費者/,B経諮(生産者→産地流通海→卸売商触小売商→消費 者),C経露(生産者触総合流通センター→ハナロクラブー}消費者/σ)3経整がある。権橘主産地で あるためハナ寮クラブのような大手流通業と直接取引があるのが特鍛である(第5図〉。
まずメインストリーームはA経銘であ参,農協・権橘農婦の系統鐵荷の割合が減ったとはいえ,摩 分はこの流通経略で生産者から溝費者に簸売される.建g墨筆懸格は農家受取癒鰺8霧ウ孝ン,卸 売麺格飛,2韓ウォンナ伸鐸懸格歪,3§尋ウォンッ小売優格董,8ギ購ウォンである。β経路は2(鎗2年から 2癖経年にかけて産地流通蕗の皺む擾い比率が鈴%から勢%に増撫し,しかも大型流通業との取引 も増撫している。農家受取嚢格は8麟ウォンと最も低ψ。C経蕗は近年始まった流通経跳である。流 連が単純化されているため,農家受取簸格はi,欝§ウォンと最も高く.小売懸格は里,6齢ウォンと最
も低い。
地方済鰯毒からソウルまではA,Bの2経驚である。済撰斎座は西欝1灘南産に跳べて小売懸格が
第蕎図演舞轡橘の流通経驚(薦藻濤購一ソウ彫,2麟2年慧湾,2韓4隼楚弄1}
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注1
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