商学論集 第7ま巻第i号 2韓2隼8月
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論 文
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フランス革命期の産業保護主義論再考(亙)
岩 本 吉 弘
はじめに 1舅本稿の課題
[23吉懸静一罫フランス重商主義論垂への疑縫 (以上本号/
[濁醤量紀後半の産業保護主義を巡る近年の醸究動陶 (以下次号よ瞬懸次掲載/
[尋1革命鞘の産業保護主義1こおけるアダム・スミスのプレゼンス 1韓執酸類淀おける『欝曲主義一保護主義的雲モデルの展鰐 一産業主義の第iの分裂
固帝政鰯の国家と経済
一科学主義と落場原謹のアンチノミーから産業主義の第2の分裂へ
はじめに
私は.今後轄本かの論考によって,鰺慧年以降のフランス王政復古簸の議会におけるいくつかの 経済政策論争を取り上げ,その思想史的観点からの分辮を試みたいと考えている。その直藩の帝政 末難.至8捻年1§月のライプチヒの戦いの敗北によってナポレオンの「大陸体舗淫の崩壊1ま名実とも
に決定的になる。やがてフランス本蟹でも講盤蟹草の侵入によって翌年3月末のパ縫臨落までに陸 海講方の税麗ラインは全面的に瓦解し,縫えば英軍占領下のボルドー港などではすでにイギ縫ス船
によるなし鱗し的な物資輸入が始まってしまデ}。窪目6目のナ潔レオンの退位を受けて嬉まった復 古王政は,フランス経済を再びイギ婆スのプレゼンスを前提とした盤界経済へ後難させるという課 題を醗みながら,畢急に貿易政策を再構成しなければならなかった。舞えば第玉次王政復古幾の枠 内をとっても,4月23響の蟹王代馨アルトワ伯名によるコーヒー,砂箱,綿花などの麺長池物資に 関する緊急命令を皮窮鱗こして,6月の新憲牽と新議会の発足後は,穀物,羊毛,鉄などに囃するい くつかの特驚立法,⑫目算醸こ成立を見る復古王政最初の一般麗税法などが轟鋳壷行的に議論さ れていく。
これらの議会論争とその周辺を検討することによって私が意醒していることは,主に2点である。
第一には,私熱身の以前の論文との麗違で,この時鰍こおける産業主義思想の一類型としての保護 主義の存喪形態を実証的に確認し,自分なりの特徴づけを与えておきたいということである2}。経済
1〉 Mu,24av撰磐越.
2) 譲譲「シャルル・デュノワイエと二つの産業主義(蒲・後)」確一橋論叢圭.第玉算巻筆2号.第難8巻第2弩.
商 学 講 集 第7}巻第i号 学史上この懲越年は,ようやくナポレオンの蓬力から解放されたジャン・パティスト・七一が匿経 済学概誌遷第2版を轡1に鐵し,全蓑一口ッパ的な平和の到来とあいまってスミス的自由主義が大陸 に本烙的に普及する動きの現れる蒔点として記憶される。確かに復古王政によって,館外戦争の遂 行という,革命難から帝政1こかけての航海条鰍や大陸封鎖といった極蟷な保護主義政策にまとわむ ついていた政治的要請は消滅した。だが携えば,上記の一般関種法の議論の麗始を前に,綿織物業 界からの講額を受けて演壇紅立った議員エメ蓼ック・ダヴィッドが,1786年のイーデン条約が瞬き 起こした「巨大な遍ち」を思い鐵せ,と強い日講で訴えたように3》,フランス産業が再び無窮懲こイ ギ笹スの工業力の蒲1こ立とうとするはずもなかった。かつて露鋳年に罫商業との翼孫1こおける政府 について遜を発表して,アダム・スミスの自由主義がフランス産業に対して持つ危険牲を譲葉を尽
くして暴露しようとし,その後幕羅政府の税縫局長として大陸封鎖政策の実践の最麟線に立った フェサエは,18鍛年にその第2版を墨叛している。そこで綾は,露分自身はナポレオンの没落とと もに更迭されて政治的影響力を失いながらも,新政癒の騰税政策にほぼ完全な満足を表聴すること になる4}。当蒔の蟹家の産業政策を主導している懸想は,無論スミス=セーの自由主義とは購の系譜 において饗えられ,特徴づけされねばならねばならな魏ものなのである。
次に第二の周題は農業に関係する。復書王政は,醤翼葎の当擁,穀物輪鐵の嚢甕鑑をおこなうの だが,その後i8貿隼の大綬模な食糧危機を契機にした安慰な農シア小麦の流入を背景に,欝欝隼に 一転して穀物の輸入舗限を嚢的にしたいわゆる穀物法をフランス史上窮めて導入することになる。
この鐵来事の前後の事情とその思想史的な意糠を明確1こしたいというのが次の課題である。それま でフランス農業の優越牲に対する強い霞信の上に立って,農業に欝由を,農産物輸鐵の嚢虫化を,と いう大金曜をしていた地主屡は,この鋳を境に掌を返したような保護主義要求に転換することにな る。つま撃この難点をもって,フランス農業はもはや轡1罪経済での覇権を握るための産業,醗家の 戦略的基幹産業とはな誓えないということが明白なかたちで証明されるのである。これ.は害い換え
ると,露盤紀に生まれたフランス重農主義という葬常に先駆的で首尾一貫した経済窪震主義イデオ 賞ギーの生成・存立を支えていた社会経済的基盤がこの時点で完全に消滅したこと(あるいは反対 にこの白蜜主義の系譜がそれまでなおもフランスに根強く存続していたこと,と言ってもよい/を 意味するであろう。そしてイギ夢スが歩んでいる工業化の後を饗家の全力をあげて追窮かけること が曜一の選択肢になったかのように思われはじめるのである。婆カードのぎ経済学と課税の原還蟹ム 訳が鐵販され,スミス経済学の露盤紀的な要素を遠敏した饒み方が入ってくるのもまさにこの年で ある。だが一方で瞬じくこの年,シスモンディの蓼経済学新療躍が登場し,イギ婆スの道行き,や がて「資本主義」という絹語で呼ばれるであろうそれへの新たな告発が始まる。私署こは,この穀物 法成立をはさむ!8欝年の麟後の蒔簸に,フランスの経済思想の全体的な見取り醒が総量紀的なも のから露盤紀的なものへと完全な変貌をとげる大きな分水嶺が横たわっているように思われるの である。
欝留年/また罫マルクス・カテゴワー舞舞(青本書店,欝繋年1の「サン・シモン」の項暮も参照。
3) A}},6ε蓑xlを搬e s6rle,t.x雛,舞.§8護
毒 Fε盆灘£繋1麓2雄,欝.3鱗、この鋳フェ1タエが褒めた体譲ま基本垂壌こ錦綉年の新たな英{ム選商条約締結まで 続いていくこと紅なる。
一68一
岩本1フランス革命と保護主義
紙数の都合で数痙に分載せざるえないが,本稿は,この2つの問題のうちのとウあえず雑考に襲 わる予欝的醗究である。第二の問題についてはついては鱗き続き欝稿とする。
函 本稿め課題
さて今遠べた第一の鵜題.つま陰フランス革命簸の産業保護主義論の牲格付けという開題は,こ の王政復書類に灘達するものである以上に,近代のフランス経済思想を全体として楚擬しようとす る蝶のキーぷイントの一つであ撃,退去もそして現在も種々の議譲の対象になっているものである。
今騒この開題を取む上げるむこあたって,私は以下の2つσ)ことをとくに課題として設定したい。
まずその第一は,近隼のフランスでの藩究勤向,とく裟先の革命二覆周年に騰逸した数多くの難 究集会を含めこの十数年で飛躍的に豊富になったそれを適宜摂取するということである溝。縫えば 最近フランス近代における国家と経済の隣保を再考しようという活発な提琴を行っている経済史家
」.一P.イルシュとP簸.ミナールの懸題意識を…つの携として見てみよう。イルシュは,磁裂SCH l謄§鳶を主な著作としてり一ル地方の欝獲紀末から婚選紀にかけての産業活動と行政との縫孫の 詳総な分析を行い,またミナールはその影響下でM雛A貧D li弱81その飽紅おいてアンシャン・レ ジーム鱗の工業査察官謎度に関する包猛的醗究を試みている。破らの問題意識は.端的に言えば,大 革命垂こ前後するこの蒔辮において,「レッセ・フェールという言説が保護主義的あるいは綴麟主義的
5〉 革命二欝年の講後に購縫された穰々の欝究藥会等の鞭告集,譲集などのうち,本稿で稀鰐したものを鰐示し ておく。これらの中から直接撰鶏した文献隷.牽稿各編末尾の撰羅文離…覧に筆者名で掲載した。またこの 革命二菖幾年をめぐってのフランスにおける経済思懸史分野の講究嚢演のレヴューとしてM猛t狂盆捻叙1麟 があるので参照されたい。
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薩 学 論 集 第胃巻第i号
要請といかに濁立していたかを説隣する聾という,一晃遂談的とも取れるようなものである。彼ら は,この鋳難の経済史や経済思想史を,一方での古い「コルベール主義涯(つま拳ミナールの言うに は,「重商主義と尊ばれるもののフランスにおけるヴァ婆アント」であ参,饗在普選に襲われている 言葉でび)ヂディ婆ジズムj/と,地方での「新吉典滋的尺度」による線虫主義」という,互い1こ捲容 れない2つの体系の二項対立,後者による講者の残滓の克騒・掃討というイメージで麗解する考え 方を強く鐵聾する㍗。この2人の経済史家にとっては,アンシャン・レジームから露量紀にかけて び)フランスの産業活動や産業行政の実課を知れば知るほどに,「拍窮主義選と『ディサジズム垂と いう我慢ならない緩み合わせ」は現実の分替装置としては縫えなくなると考えられている湧.開題 は,「一方の∬ルベール主義あるいは羅家主義と,もう一方の自憲主義との麗の単純な二項対立に よっては理解されえない。達「コルベール主義と台密主義との懸には取るべき甥の遵がある」,と曾}。
被らの具体的な主張はまた後で取り、とげるが,その背景には確かに現在の新自震主義的な傾向の 強まり1こ対する一種の保守主義的な反発があ拳,それが彼らをして,フランス近代における毒場経 済の生成展溺の盤史の中で霞家の経済への介入・管撃の活動が恥かに幕湯経済内部の要請1こ合致し た必然的なものだったか,という論証へと強く方向づけて雛るようである翻。だが,そのような〜時 の情勢は震にしても,本稿で後に取塗上げるメソ二王,ドサニ〜,ファッカレー翼,デミエらも含 めた近年のフランスにおける醗究動向の中には,舞えばマルゲラズの言うようにヂ最近の諸醗究に おける緒論の収斂」とも言える一つの方晦牲が明確に現れていることをよく評慰すべきであろう。そ れはマルゲラズの表現では,態露主義の擾念自体と,それについてしばしば行われてきた単純化さ れた稀法よむもずっと複雑なその内容との再考察達というものである.マルゲラズ霞身は革命類の 最高懸格法についての新たなアプ欝一チを試みているのだが,稜1ことってはこの再考察の方海性は,
革命当時「広漠な指導約諾購屡が露譲主義的な欝念への愛着を示しながら経済統麟の道へと入って いったことの晃かけ上の矛震」に対する正しい歴史的解綬を蘇籠にするものなのである王il。
これらに現れている開題意識は.もし次のよう1こ言いかえるならば,我々霞本の経済学史醗究者 にとって嚢新しいものではなくなるだろう。つまり,この開題はスミスがぎ覆富論蚕において富の 増大を購書する古臭い編譲主義として畿無した「重商主義諜の概念をそのまま当てはめては捉えら れないものであ参,講民革命による社会的鱗度的変革に麟後する馨懸と保護とのイデオ灘ギー的交 錯を整遅し了解可籠なものとするための歴史的に国有の袢纏みが必要となる,と。周知のようにわ
6〉 膿裂SC聾1欝縫3,嚢.圭3.このイルシュの著書のタイトルは蓼商業の二つの夢垂というのだが,その意壕はつ まり,近代のブルジョワジーは…跨白襲此を求めたのではなく,常1こ自由と譲度的な謀議との2つの夢を懸
舞寺喜こ麹観)てきたのだ, というも{芝)である。
7〉 M嬢A瓢)鎗鰯,夢,玉5,即.2き8老藝i.
8〉 }要獣sc蕪融鍵],夢.語.
警}瀬翼A設至}⑳編,曾.護7蓼,β,4総.
玉鱗 後らは繰む返し次のようなことを遂べる。「竃場の機罷を確保するため1こは,市場法舞と呼ばれるもの以外の 法律が必要である」盤獣Sα穀i鶴簸,夢.韓嚇,「『縫粋な書籍要僕給法轟など,完全薄場という神藷の中にし か存在しない蛙テ「霞懸とは綬鑓とその幾灘を修滅し遍羅することのできる翻護なしには無意味である,とい う良識達に帰れ(M璽巽A欝)[緯§81,倉.齢,等々。
圭参 MA盆GA至盆AZ [i{懇望],貸.嶺渡.また聾董A衰GA茎翼AZ 舞蟹舞韮 も昆よ。
巷η
岩本:フランス革命と保護主義
が蟹の経済学史醗究では,小躰昇氏による名誉革命以降のイギ》ス重商主義懸究においてこのよう な難題意識がすでに胚胎してお今,小鉢氏はこの問題意識に基づいて,いわゆる「謬禽の重藤主義3 論という観念を提超されていた渇。そしてこのフランス革命蕩後の保護主義懇懇についても,この
「露有の重蕎主義4概念をフランスに移擁する形で,すでに19鎗隼伏縫故吉鑓薄一氏1こよる『フラ ンス重商主義謙皿フランス版纏彗有の重商主義雄論が理れたのである。
ここにおいて,私が本稿で念頭に羅いているもう一つの課題につきあたる.巻石氏はこの「翼有 の重商主義」譲の枠緩みによって,革命から帝政にかけてのフランスにおける産業保護主義を統一 的に艶麗することを試みたのであるが,その試みは今なお有効なのかどうか,という問題である。最 近わが函でも,従来の経済学史における「重商主義ゴや「白麹主義達という繕語や概念の蓮解への 再検討や新たな建言の提起が行われる状溌になっている踊。唇頭に逮べたように,私にとって本稿は 王政復古窮の産業保護主義の遷解のための一序説という監置韓けであるが,そのためにも,私にとっ てわが蟹での薩接の売行醗究であ今,覆羨の帝政顛までのそれについて葬常に明解な像を提鐵した 吉墜議を,藩究の現状に照らして極力規醤的に再検討することは避けて通れないであろう。
本論に入る麟に述べておきたい留意点が一つある.私は上誕に,近年のフランスの諸摂究1こ見ら れる開題意識の一纏として,イルシュの次の言葉を挙げておいた。「レッセ・フェールという言説が 保護主義的あるいは幾舗主義的要請といかに両立していたか。」つま吟,このイルシュやミナールが 従来の「コルベール主義(ディサジズムM対慾醸主義曇という二項薄立騒式に対して筑議してい るのは,国内での商品流通や国擦貿易に麗わるヂレセ・パセまよむ以上に,国内経済における「レ セ・フェール」についてだということである。その運鐵は藩単である。革命後のフランスは,イル
シュが§己の懸究の終点に据えているi8総年のいわ彫るコブデンニシュヴァ婆工条約の締結まで 保護貿易主義の姿勢を一貫して揉むつづけたのであ撃,原運としてのギレセ・パセ」にニュアンス が付けられるということは今更験討の余地のない露明のことであって,綾らの問題意識ではぼ自讃」
と「保護」,国家の活動と経済の関係について新たな探求を要するのは,白蜜貿易か保護貿易かとい う問題よ参も,むしろ騒内経済の懸題だからである職。当然ながら,「コルベール主義」あるいはスミ スが言った「重商主義涯の内容が対外貿易の問題に醸られるわけではない。蟹内での欝密プラス対 外的保護という,これまた単純化された運念を確認することだけが問題なのではない。
123吉霞静『フランス重商主義論遜への疑問
以上前置きとして述べてきたことを踏まえ,まず七難の吉馨氏の学議に対して私の掩いている率 直な疑闘を述べることから本論の叙達を始めたいと考える覇。麟述のように古豪氏の目的は,小鉢氏
鴛) ノ葬林氏は現在この「罐有み重連主義」という湧諸縁誤解を生みやすいとして「療始蓄積麟の経済理論3という驚 藷を諏・ておられるが,凝念海容の穣異があるのかどうか,私署こはよく分からない。
i誹 携えば遜中真暗窪鱒71,韓本洋[欝§矯などを発よ。
翼〉 }{翌RSC猛 窪§9ij,要〉き》.52−53.
欝〉 吉翫氏の学説についてはすでに幽晦耕一[欝鐙紺・1懲82毎1蔓謄S遼,津鑓講籔鋒総萄・鋒§鱒a]・鋒警蟹1娯 などの実証的な擾1半彗が存在している。その飽,藻分的にでも吉醤氏の著書に鱈する嚢らかσ)撰1舞的な論及が
聡 学 譲 集 第7i巻第i号
がイギ》ス経済学史懸究を通じて提起された「翼有の重商主義」講という機念のフランスヘの遍羅と いうことだった。吉醗氏自身の言葉では,「イギ夢スにおけるその展縫のなかに瞬瞭に認められた重 蕎主義の襲踏的薮饗を,生産力的・舗度的靉靆の立ち遷れから生ずるある程度の講約を十分に考慮 しつつフランス重商主義に適絹する」勘というものである。これによって氏は,革命から帝鼓にかけ ての保護主義の全体を一掃して,議会麟痩下で国内での経済的白蜜と対外的保護の主張を結びつけ た名誉革命以降のイギリスの窃期産業資本のイデオロギーと瞬質の,フランスにおける「麟有の重 蕎主義」として特骸づけたのである。
この特徴づけに対して,近年ウ重心ラーステインの影響の強い経済史学の分野でいわゆる「大塚 史学」に対して鐡されている鏡趨と隅棟に,そもそもイギリスの至7−i8量紀を大陸諸羅の18緩9嚢 紀とマッチングさせるヂ横倒しのはしご」的な歴史観には実は警のリアサティも無かったのではな いか,「原始蓄積簸」としての発展襲踏的瞬一姓といっても本当に実謹に耐えうるものなのか,といっ た畿醤をすることもありえようが,それは私にとっての課題ではない。だが,少なくとも懇懇史的 な観点から言わなければならないことは,このフランス版「露有の重商主義」論によって,この蒔 甥の保護主義が全体として麹由と保護のイデオ霞ギーのある種の接合・離合の上に成撃立っている こと1こ正当に目が海けられたが,一方でこの学説は,イギリス経済史の発展靉靆論の枠緩みとの照 応でしか大陸の懇懇史のダイナミズムが了解可能なものにならないかのように考えるあま陰,まる で「プ狐クルステスの寝台」のように露己に適合しない多くの懸盤的な要素を切琴捨ててしまう危 験性があったということであろう.さしあたって私にとって大きな疑問が2点ある。まず第貰ま,こ れは確かに吉鐵氏の著書以降に解窮が進むことではあるが,近隼その存在と懇懇内容が具体的に短
られるようになってきたヴァンサン・ド・グルネーとそのグループに代表されるようなアンシャン・
レジーム末窮のフランスの土着の保護主義との脈絡をどう摺握するかということ,そして第2には,
この革命醜後の産業保護主義を考えるにあたって,すでに初版の登場直後から数多くの羅訳が現れ て流姦していたアダム・スミス鑓富論葦のプレゼンスをどう解験するかという問題である。
まず問題の糸嚢として,この第2の革命難の経済思想におけるアダム・スミスのプレゼンスとい うことから考えてみたい。燐めに述べておくが,私は,吉鑓氏の著書のいわばモデルになった小智 氏の重潭かつ謹得的なイギリス重商主義嚢究やフ夢一ドサッヒ・婆スト論について,異体的に撹超 する知識も意園も持っていない。また自慰な馨内妻場の確保と辮外的保護の要求が,賑い特権的商 業会社のも0)ではなく,台頭しつつある製造業に篶わる産業資本のものであるという捲摘もまった
く至当であ善,それはこのヂ羅有の霞蕎主義藩論の疑う余地ない先駆的な見解であったと考える。だ が蔑暴なのを承知で言うと,イギ婆スの「饗有の重商主義藩は確かに歴史的にスミス以麟の彫成物 であるが,大陸諸国の思想家にこの「露有の藍商主義」論が遮縁されると,彼らがいかに時跨的に スミス以後の存在であっても,イギリス以外の国では正常な題番が逆壷こなるだけのことで,本質的 にはスミス以前の性質のものにすぎない,という遷解が縁蒔1こ緩込まれるように思う。鯛えば小林 氏の亨スト譲でのスミスのプレゼンスは,「前簸的商人資本雌が実は似て罪なるスミス主義を恣意的
含ま総ている文鰍として,赤羽俗諺§621,滝野健二1稽§21,遅塚忠躬蓑輔礎,杉幽思平蕪繋羅,安藤隆 穂総甥などがある。
董§/ 吉霞静一1婚鑓],夢.至婚.
?一
〇
岩本:フランス革命と保護i主義
に利篤して「窮鰯産業糞本ユの保護主義に対航しようとする,そこで後者1ま「前難的商人資本」へ の甕糞をスミス雛浮彗の形でおこなうことになる,というように難握されているようである鶏。ドイツ のリストについては私の知識外であ鞍,ここで異を曝えるものではない。だが吉懸氏の醗究におい て,フランス革命後の保護主義にこのサスト論の構選がそのまま当てはめられるのを見る乙そこ
で行オ濃ている確論野学説劇の特質耀藪こした歴麟脚濾醐磁転や課護主義の懸想
と鰯度の持つ歴史貫通的な性質をスミス以前の新建論段踏珪の中に強力に押し込めてしまおうとす る領海などに,どうしても疑闘を麹かざるをえない醸が趨てくるよう裟思うのである。
吉欝氏の懸究では,この構纒は,まず革命鱗簸のジ葺ンド源とモンターニュ濠の対抗麗係1こ移し かえられることで革命簸のフランス1こ当てはめられている。戦後のわが蟹のフランス革命羅究では,
この離礁係は,高橋幸ノ榔鰍来,近代化へ碗つの遡の顯・つまサ鱗建的鍵鮪養
蒲難資本家屡」の主導する道と「独立馨営農民二産業的中産者緩」の主導する遠との対魏という籔 式と重ね合わせて捉えられてきた購。またコンドルセ,クラヴィ五一ル,ブ婆ソら霧らかにスミスの 影響を受けた人々を捲導者に含むジ窟ンド諏は,とく1コ7競年末の穀物取引の自由を巡るモンタ一
二承との髄によって疇業の難醸な融控主張した集懇獲解されてきだg)・吉甑はそう
した饗解を踏襲しつつ,i7鵯年5月までともかくも議会を主導したジ霞ンド派を,羨鞘的商人資本 の利害を背負ったrアダム・スミスの隷従的模緻」の輩鰍として醗還し,一方でやがてヂ航海条鱗まを 騒行ずるモンタ一二ュ派を,「ジ灘ンド濠による繭天資奉・地主のための白麹貿易主義を観覇・克澱
しつつ保護貿易主義を実現達した勢力,「この段賠での産業資本家履を政治的に代表するもの珪とし て醸して,小林氏の描いた鞭を非常毒叡まり良樽入する2葺・すなわち・r一この生動段惣こ おける立ち遅れの結果として,イギサスの懸有の重商主義壌が生み落としたスミスの露浅貿易論 は,ここフランスでは,フイヤン濠,ジョンド諏による窃霞貿易譲の運論的支柱として転灘され,窃 購産業資本の保護主義と雄立したのであった。これにたいして,霧難産業資本が課護主義論を麗麗 するにあたってその籔撰としたものは,スミスの莇段踏に位置するイギリスの禁止的騨税麟痩であ
り,ク窪ムウェルの織海条鱗茎であったのである。窪踏
こうして吉懸氏の説では,まず革命朗の保護主義は挙げてモンターーニュ濠のものとされ,そして そσ)下での「航海条鱗その趣の戦争と懇篤政治下での最も激しい対英政策こそがフランス保護主 17}饑えば小赫氏は轡ストの学史的綾羅1を次のように説鶏している。「_茎フス揺劇 ドイツの経済思想をカ
メラ献Z、の段臨坊麟の里離委すなわち名誉革命瞬酬鍔スで彊ッグ党が獲した政策慰 鰹論の鵜一瞬隙謹めようとしたも6)であっ島ドイツでスミスの蕪塞謝が翻隷た磁そグ)
イ磐震翻る鎌獲を接し寮}るが,いまだ礁麟資本が鰯で魏茜たがってかか雄業資本
そのものの背走,しめる漂嬢蓄積強響の棒編が存在できるはずもなかったドイツにあっては,藩富論塁まむし
ろ前贈貿易欝のr輔醐盤磯めの騰蝦謙鰍イギ獄罐難本も就講読を鱗
としたのであ綾.麹富謝齢押では,ダッドサヴースやチャール処ダヴナントが一鞭以■1二揃
にイギきタスで累たした役叢を果たしつつあったのである。]韓、鉢葬・1墨蚤慕L麹惑2遇3}
憾〉 高機幸八郎L玉璽薦,費.欝1蕃、
麹
2韓
2玉ン
22)
携えば桑1祭戴夫鋒§5弱,曾.5欝.
吉籏静一[至剛1.夢.8§.
『蜜鍛静一一鋒§751, 倉。83.
吉蟹静一L欝鑓1.嚢.董琵.
薦 学 譲 集 第讐巻筆i号
義の典型であるとみなされ,さらにそこから,おなじく対英戦争の手段である帝救難の大陸封鎖政 策へと蓬線で結ばれて,それが「フランス重商主義の完結形態」聯となる,というように全体の誌が 進められ.ていくのは羅知のとお今で あろう。
だが私には,この学説は,革命窮の産業保護主義を摺握するにあたって,そもそも立論の鐵発点 において大きな鐘害を抱え込んでしまったように思われる。まずこの薪ジ霞ンド濠」とドモンターニュ 振」という盛分も境界線が曖昧なものである、藍に,鰐えば近年のマルセル・ドリ二一の一連のジ窪ン ド濠欝究が示すように,このジロンド滋=騰密貿易論者,絶対的自盛主義の徒といった難路付け霞 体が虚購であったと言わねばならない。ド婆二一は,まず欝欝隼に最携に発表された論文で,葬ジ
窟ンド派は純粋かつ単綾に」.一B.セーのトータルな馨密主義の先駆者であり,糧野なかたちでのア ダム・スミスの学説のフランスヘの導入巻だった」とするジ3レスやデシャン以来の見解を「偬ら正 確な羅究紅基づいていない輩として退け,算盤隼から麗隼にかけてのモスヌロン,デュコ,アント
ワーヌ・フランセ,マッシー,ケルサンらのテキストの分撰から,ド反対にジ欝ンド灘の要求は激し く保護主義的なものだった」こと,つま塗「後に」.一B.セーが定義するような,あるいはアダム・ス ミスがこの当鋳から勧めていたような自浅貿易とは全麟的に対立した」思想が,むしろジロンド濠 蕪身の申に豊富善こ存在していたことを論議三したのである24}。
つい最近の酸猛LE衰12§群鱗も評しているように,春霞氏が「霞有の重商主義」論の枠緩みを導 入するために科濡したジロンド派二商業資本の自密貿易主義の代弁者という麟式は,ドサニーの一 連の緻密な羅究によって今や成立しえなくなっていると言わざるえないだろう鋤。吉鐙氏がその説 の論擁として挙げていたことに,クラヴィエールが17綴隼のモスヌ賞ンの航海条例に隣するパンフ レッ霞こ反論したということがあるが翁,しかしそのモスヌロン自身,また氏が保護主義者の縫とし て時折文中で挙げるベグーアンやケルサンらも,その後モンターニュ諏によって投獄あるいは婬欝 されていったという単纏な事実2ηすら,その渓式では議題がつかない。即ナニーが鏡題するデシャ ンの発方では,はっきりと保護主義の色彩を帯びたi7§至年の革命後極の一般縫税法は,その当の政 権撞当者たる「ジロンド派が乗換越えられた」からできたのだとしてつじつまが合わされるのだ が2門吉醗氏もまたモンタニャール政権以羨の種々の保護政策については,これを実施したジ臓ンド 派が,露邑の結露貿易論の主張にもかかわらず…錘内にお1ナる保護政策要求の底流,緊遺した露 際状溌を無擁しえなかったから」行われただけだ,という主張によって蓋をしてしまうことになっ た2殊
23/吉蟹静一1王鰯1,夢.王i8.
2尋) 亙}o羅(}翼Y涯9齢1,欝.78畷鑓.
25〉 ミラーはドワ二一のジロンド諏論についてこう達べている。f2§年構の学究彙活を反躾したマルセル・ドサ 二一の貢麟よジ・ンド濠の鵡完全な選解へと遺るものだった.たし越破らは酷主義者だったが,し かし独鎧の形態の白痴主義を捲っていたのだ。実際,ジロンド滋は強露な弩熱貿易論を繰持し,一方モンター ニュ濠は自分たちの露虫主義を数棄した,といった通説は,ド夢二一の示す莚擬の灘こは維持しがたいよう に思われる。墜(M至LL建設緯蟹}婿,籍,5暮5.〉
26)吉霧静一鱒§21,§.87.
27〉翼0斑羅蕊α蜀叙Yli88毅蹴1,t.互,欝.237,t.欝,嚢。簸、t.iV,倉.銀.
28〉 登0澱G翼Y[雛鋳1,夢.84.
2鶴 着濁静一1至縄21.鐙.8§一瞬。
一7垂一
岩本1フランス革命と保護主義
ここには盛鋳の選説や資料的鱗約など吉鑓氏のみを責められない面もあるが,スミスの影響を受 けたジロンド濠の政治家たちの経済思想はギ麟難的商人資本」のものでなければならないという,氏 の褻式上の前提からの必然的結果でもあったのではないだろうか。もちろん私1よ上にも述べたよ うに,この縷舞有の重商主義藩論という枠緩みの先駆性と意義を沓足するつも鱗ままったくない。露 霜での欝癌と蝿外的課護を求める要求が製造業1こ携わる産業資奉のものであるということ霞体が誤
写であろうはずがな験し,また小躰氏が再三指摘したように,アダム・スミスが我遜引水的におこ なった算琶紀の「コルベール主義三そのままで塗9こめるような仕方では確かに対象は捲握しえな いのである。この点では上に引粋たドリニーの醗究も,当鋳の保護貿易主義の要求はゼ独占的特権会
社のシステムに依鰍ていた輔主義1灘立して汰商業そ縮体ではなく・製造業界瞬轄を擁
護する」ものであるとするだけである。つまり,あくまでもドワニーが確認したのは」ジ冒ンド濠 の経済思懸と重商主義学説の懸の懸絶」であ馨,その駁撃では「翼蕎の重商主義」論の積極的な嚢を 追認したものだったと言ってもよいであろう。ただ我蟹のヂ轟有の重商主義盛論を知らな鯵ドサニー には,スミスの存在を運慈にしてジロンド派をすべて商人資本の代弁者として揺ってしまう必要,ま た保護貿易主義だからといって機念的にすべてをスミス鎌羨のもの1こせねばならない必要をさして 感じていなかった,それだけのことと言えるかもし纏い。ド弘一1ことっては・そ磯題は知)よう1こ遊べておけばそれで良いことになるのである。ヂ保護主義の要請は,いかなる形でも種商主 義の後遺症墨とは見なされえない。この2つの罵藷はよく混織されるが,いかなる根髄にも基づい ていない。保護主義は生産様式を特籔づけるものでも修豊するものでもない。…自由貿易は資本主 義の講造的構成要素ではなく,縛難と国によって変化する戦酪的な選択肢である。曇鋤
このような薬害には,上述の絶対的自由対保護・介入という遅念型化された二項対立への異議申 し立てというばかりでなく,経済史にせよ思懸史にせよ自由主義と保護主義の歴史的展籠を発展論 的な序列で解殺する発想も捨てよう,あるいは距離を置こうという主張が含まれているように感じ
られる。これは講掲のイルシュやミナールらにはよ珍鮮騨こ見て取れるものであ甑後述のように,
綾らは革命類のアラルド法やル・シャブ夢工法などによる経済の遺度の白蜜化・纒人化がかえって 1§置紀の漉蹴と議家主義の強化というドパラドクス」を生んだと数著する3%彼らは嚢癌主義の鉱 大二歴史的進歩と単純に鷺一税することにそもそも誤拳があると考えているようである。
もちろん瑛在の私には,このように一般的な形で開題を提起した場合1こ応える準織はない。だが 少なくとも吉綴氏の学説の場合,発展段踏論的な裁懸によって引き起こされた問題は,看遺しえな いほど大きかったように思われる。つま雛,当蒔スミスの影響を受けた人々がすべて「講窮醐商人 資本や地主の代弁者にさ蕊,保護主義がモンタ一二ュ派だけのものとされることによって,チュル ゴやスミスからの思想史的賑絡で革命携鞘のジ讐ンド派からその後のrイデオ環一グ」と響ばれる 思想家集懇にいたる系譜を縫えようとする内外の諸講究も,また革命蒲からのフランス土着の保護 主義の潮流であるヴァンサン・ド・グルネーの系譜に隣する晒究転事実上あら侮る接点を失って
しまう。その結果.極蟻に言うと,革命難の保護主義はジャコバン諏と皇帝ナ潔レオンの掌の中に
講) 工)0鬢茎G溝Y[欝8{擁,簑.§{}.夢.鱒2.
3i〉 M董賛A裂P鋒鰭83.興》3舘一3驚,及び}璽裟SCを{鋒簿3董を見よ。
薦 学 論 集 第7至巻筆i号 しか存在しなかったかのようになって,フランスの経済思想史全体の豊かな文駈から初参離された 欝に浮いたようなものになってしまったのである。それは,吉醗氏の欝究の後,わが国においてこ の革命後の保護主義の醗究がほとんど継承発展されないままになってしまった遷歯の一螺となった のではないだろうかG
そこで本稿ではまず,続く2つの章において,このフランス革命難の産業保護主義論の性賂付け を巡る2つの開題,つま9第三裟はアンシャン・レジーム末矯のフランスの土着の保護主義との賑 給第2にはアダム・スミスのプレゼンスという2点垂こついて再度考えてみたい.この第亙の問題
については,吉鑓氏の死後になるが,津鐙内獲氏によるそれまで消美したと考えられてきたグルネー 手稿の公表(GOU盆翼AY l鎗831/,さらにそれを濡縁したM£YSS(蟻聡嚢1捲輪講などの晒究の 登場によって,とくに重農主義の形成舞鶴の至7灘奪代.グルネーとその燧辺のグループによって農 醗さ麗だ蟹内経済の欝霞化と婦舛的保護を纏み合わせた経済懸想の存在についての認識が格段に進 歩した。無論この欝類の開題は本来私自身の醗究鑛域ではないし,わが羅においては,すでに津懸 氏が,革命難から帝政難のシャプタルに至るまでの勤向を,「薦幾革命を経讒して,その自鐡の基盤
をいっそう堅講にした,グルネー,フォルボネ,ダンジュル等の轡虫と保護の講藤致策の継承ま,ぼ柔 らかいディ夢ジズム遜の継承発展並として掘握する遷解を示しお参物,また米墨昇平氏によるグル ネーとフォルボネに関する理論的な分損が現れているのも周知の通りである鋤。したがって私は,こ の幾題については,自分自身の知識整遷もかねて,近隼のフランスにおける醗究動緯窪においては.こ の鰺崔紀後半における露慈と藻護のイデオロギー的交錯という隠題がどう講じられているかにつ いて,いくつかの醗究を数多上げて紹介することをここでの課題としたい。次章では,と陰あえず 羅列的になるが,メソ二王,ドリニー,ファッカレ心臓,ミナールらの欝究を顯次見ていこう。
引鶏文献
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32/ 津懸鵜匠涯鰍覇,籍.65.
33/ 米醗一昇華L2懸紐2春縫]参照。
一76…
岩本1フランス革命と像護主義
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灘綺薪一1玉腿2aン「デュシェールとフランス航海条纏」僅一橋講叢L第87巻,第2号,玉総2年)、
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l欝8遍、「フランス航海条鋳の政策論的背景」(ζ武蔵大学人文学会雑誌重篤蔦巻,第垂号,欝欝年〉.
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