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『現代イスラーム世界論』 - 日本国際問題研究所

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国際問題 No. 552(2006年6月)68

B O O K R E V I E W

本書は日本を代表するイスラーム研究者による、緻密にして壮大な現代イスラーム政治論で ある。序章を含めて全28章、総ページ数928におよぶ大著であり、そのなかに「政治とイスラ ームとの関係」にかかわる史的背景、思想、運動、現状、主要な問題点が網羅されていると言 っていい(私事にて恐縮だが、この書評を引き受けたのは本書の刊行直前であり、本書が届い たときは気絶しそうになった)。

著者の著作物は、これまでほとんどが「書き下ろし」であったが、本書は著者にとって初め て、多数の既発表論文をテーマや問題の系統に沿って編んだものである。無論、各既発表論文 には加筆修正がなされ、さらに発表時から現在までの展開がそれぞれに付け加えられている。

そして、それらをまとめるかたちで、序章と最終2章が本書のオリジナル部分として論述され ている。もちろん、著者は自らの「集大成」を示すような年齢ではないが、少なくとも現時点 までの著者の知見を総合したものであり、日本における現代イスラーム政治の最も包括的な

「案内図」となっていると言えよう。

本書の構成は、序章を除く27章が5部に分けられる。第1部「イスラーム世界の原像と現代」

(第1章―第6章)は、イスラーム世界に固有の論理にかかわる文化的特質や歴史性を扱い、伝 統的なイスラーム国家や法学などの理念と現実、それらと現代との関係が、現代イスラーム政 治のコンテクストとして解説される。第2部「『西洋の衝撃』からイスラーム復興運動へ」(第

7章―第12章)では、近代のウェスタン・インパクトに対する「イスラミック・レスポンス」

が、エジプトのイスラーム改革やムスリム同胞団の展開を中心に描かれる。第3部「現代にお ける中東政治の動態」(第13章―第18章)は、20世紀後半から現在までのナショナリズムとイ スラーム復興の連動や相克を、世界システムへの統合の過程で形成された「中東」という地域 やその諸国体制、国家統合を民族主義のなかで求めた結果生じた内戦、パレスチナ問題におけ るイスラームの意味、イラン革命、湾岸戦争、9・11米同時多発テロを通して論じている。第 4部「イスラーム復興の新地平」(第19章―第24章)は近代化、民主化、市民社会、福祉国家、

国際社会といった世界的規模の問題やテーマについて、イスラーム世界が示す主張やスタンス、

それが果たす役割などを論じている。そして、最後の第5部「今日のイスラーム世界の眺望」

(第25章―第27章)において、著者独自の方法論的提起によって本論部分の総括を行なうとと

もに、現在の中東政治の構造的把握とそのイラク戦争後の眺望が試みられている。

小杉 泰 著

『現代イスラーム世界論』

評者 

松本 弘

(2)

いずれの部や章における議論も現代イスラーム政治 の理解に有効、有益であり、有識者にとっても大変興 味深い内容となっている。しかし、ここでは特に、第 5部における著者の方法論的提起を中心に本書を評し てみたい。上記した第1部から第4部までの本論24章 における各テーマや構成が本書の横糸であるとすれば、

その縦糸にあたる問題意識は評者のみるところ、以下 の5点である。

(1) イスラーム世界の統一性と多様性を、いかに 解明するか。

(2) オリエンタリズムを克服し、地域の固有性を 明らかにする地域研究とはどのようなものか。

(3) 中東・アラブ圏をイスラーム世界の中心とし、

それ以外の諸地域を周縁とするような視角を排 し、より有意な地域間比較を試みる。

(4) イラン革命や9・11米同時多発テロのような「突然」とみえる現象にも、丁寧な分析 を行なえば必ず「前史」が存在する。

(5) 近代化や民主化などの議論における「イスラーム的」なるものとは何か。

これら5点の縦糸すべてが、必ずしも本書の全篇を貫いているわけではない。論述が現実や 実態から離れずに、かつ対象に対する問題意識が読者に伝わるように、必要に応じ提示されて いる。そして、これらの縦糸から本論の内容をまとめるため、著者は「イスラーム化/脱イス ラーム化/再イスラーム化」という3つの用語を駆使する方法論的提起を行なっている。それ は、「『イスラーム』を語る場合に、研究者がしばしば本質主義的な定義に陥るという問題、そ して、現地の実体概念として、さまざまな思潮が単に『イスラーム』として語られるという、

イスラーム世界固有の思想状況を踏まえて、イスラーム諸地域の実態を動態的に分析するため の装置」(14ページ)と説明されている。

これら3つの用語は、イスラームと地域との関係およびイスラームと政治や社会との関係を 一般化し、さまざまな事例に存在する共通項を一括するものである。「イスラーム化」とは、布 教と改宗によるイスラームの拡大のみならず、イスラームの「現地化(ローカル化)」も意味 する。後者は地域ごとに異なるイスラームの変容であり、その相違がイスラームの理念自体の 歴史的変容にも跳ね返る。また、イスラーム世界内部での改革思想・運動も、「解釈の革新」と して「イスラーム化」に含まれる。「脱イスラーム化」とは、イスラーム化の逆転現象であり、

社会の非イスラーム化を意味する。イスラームは当該社会にとって「異物」(たとえば近代化 の障害)とされ、「外在化」される。「再イスラーム化」とは、イスラーム的価値やその役割に 対する再評価を意味する。それは、過去への回帰というかたちをとっても、あくまで眼前の諸 問題に対応するイスラームとして位置づけられ機能する。それゆえ、再イスラーム化は当該社 会やイスラーム自身の「現代化・グローバル化」と切り離せない。

書  評

国際問題 No. 552(2006年6月)69

名古屋大学出版会、2006年2月 A5判・928ページ

定価6000円(本体)

(3)

このように、イスラーム化・脱イスラーム化・再イスラーム化は、それぞれ現地化・外在 化・現代化に連動する動態的・相補的プロセスを展開することになる(643―651ページ)。

この方法論的提起に続き、著者はイスラーム復興やイスラーム主義に相当する再イスラーム 化のみならず、脱イスラーム化の把握も重要であるとして、20世紀の中東を「3つのベクトル」

によって看取しようとする。それは「西洋的近代化、ナショナリズム、イスラーム復興」であ り、各ベクトルは分類項目ではなく、3つの動的な方向性と定義される。

現代中東の国家や政治運動は、いずれも3つのベクトルを内包している。そして、各ベクト ル間で拮抗や対立が続く一方で、それらが互いに重なり合う場面も存在する。たとえば、西洋 的近代化とナショナリズムは世俗主義、ナショナリズムとイスラーム復興は伝統文化の動員、

西洋的近代化とイスラーム復興は近代化それ自体において共通する。しかし、各々の価値観

(国家や社会のために何を最も優先するか、どのような内容の近代化を希求するか)について は、相互に排他的となるのである。

特に中東の場合、国内の諸勢力が相反するこれら3つのベクトルとして競合する状態を生み 出した背景として、著者は地域の領域主権諸国家が「国民形成」の実体なしに擬制として成立 した「中東諸国体制」そのものの問題を指摘している(662―663ページ)。

9・11米同時多発テロやイラク戦争をはじめとして、現代イスラームに関しては「事件」が

耳目を集める。無論、事件が注目されることは当然のことである。しかし、事件だけでは政治 にならない。言うまでもなく、その周囲には日常の生活があり、事件と日常との距離や関係を 測ることが、政治への視座や議論につながる。本書の方法論的提起や「3つのベクトル」は、現 代イスラームにかかわる事件と日常との間を埋めるきわめて有効なアプローチとして、また多 様な事例を一般化するための実態により近い分析概念として、高い評価に値すると思う。本書 に限らず、客観を求めたテクニカルな論理は著者の真骨頂であるが、それが遺憾なく発揮され た成果が本書であると言えよう。

最後に、羽田正氏は昨年著した『イスラーム世界の創造』(東京大学出版会)において、歴 史学の立場から「イスラーム世界」という用語に作為性を指摘し、その使用に批判的な見解を 示して話題となった。本書のタイトルに「イスラーム世界」を掲げた著者は、羽田氏への反論 を含めて、世界と地域の中間に位置するメタ地域としての「イスラーム世界」にかかわる現実 性を論じている(697―705ページ)。この「論争」もまた、本書の興味深い場面となっている。

書  評

国際問題 No. 552(2006年6月)70

まつもと・ひろし 大東文化大学助教授

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