47 4747 47
第 第 第
第五 五 五 五章 章 章 章 中 中 中 中央アジアにおけるイスラム勢力の台頭と米国 央アジアにおけるイスラム勢力の台頭と米国 央アジアにおけるイスラム勢力の台頭と米国 央アジアにおけるイスラム勢力の台頭と米国
宮田 宮田 宮田 宮田 律 律 律 律
中央アジア諸国では、アフガニスタンでの対タリバン戦争によって、米軍が進駐するなど米国 の影響力が強まった。他方、米国の中央アジアでの影響力の拡大や、権威主義体制や独裁体制 に反発し、「イスラム国家」の樹立を考えるイスラム主義の運動も台頭するようになっている。以下 では、中央アジアでイスラム主義の運動が台頭する背景となっている要因を検討するとともに、ま た、中央アジアのイスラム運動のイデオロギー的背景ともなっている中央アジアでの米国に対す るイメージの変容、さらに中央アジアの政治的・社会的安定をもたらすにはどのような方策が必要 なのかを考えてみたい。
1.中央アジアにおける「反米主義」
1.中央アジアにおける「反米主義」
1.中央アジアにおける「反米主義」
1.中央アジアにおける「反米主義」
中央アジアにおける少なからぬムスリムの感情は、9.11事件後の対テロ戦争における米国の行 動には支持が与えられないというものだったに違いない。アフガニスタン・イラク戦争、またパレス チナ問題など米国のイスラム世界への関与は、中央アジアでも情報化の進行などによって、強く 意識されるようになっている。現在、中央アジアで聞かれる米国への批判は、9.11 事件後の米国 のイスラム世界への介入政策によっていっそう強まっていることは間違いない(((1(111))))。
また、ソ連が崩壊した後の市場経済化が成功していないことも、反米主張が行われるようになっ た一つのファクターである。ソ連の崩壊によって、中央アジアでは、より豊かな生活を期待した 人々も多かった。ところが、市場経済化によってもたらされたのは、途方もない貧富の格差の拡大、
失業、インフレなどの問題である。自らの生活ぶりが改善されないのは、米国流の生活様式が 入ってきたからであるという思いが米国に対する反発となって現れる。エジプトなど中東諸国でも 見られる構図であり、エジプトの貧困層の一部には自らの生活の劣悪ぶりが米国によってもたらさ れたという考えがある。
カザフスタンでは、石油・ガス産業の民営化によって、外国企業が数多く入り込むようになった。
多国籍企業の活動は、その本来の国籍にかかわらず、「米国企業」と見なされている。少なからぬ カザフ人たちにとって、多国籍企業のカザフスタンでの活動は、彼らに利益をもたらすものではな く、経済資源を搾取されるものであるという思いが一部では強まっている。また、カザフスタンで操 業するシェヴロンやハリケーン・ハイドロカーボンズがカザフ人ではなく、ロシア人やトルコ人を多く 雇用していることが、カザフスタンでは反発をもって見られることになる((((2222))))。
また、米国の文化的進出、とりわけ広範に普及するようになった米国映画は、暴力や性を描い
48 4848 48
たものが多く、米国文化が映画を通じてイスラム世界に浸透することに対する警戒が生まれて いった。さらに、ソ連時代からの米国に対するイメージが悪く喧伝されていたことも、中央アジアの 反米意識となり、米国の中央アジアへの関心は一種の帝国主義の進出と受け止められている。
例えば、タジキスタンのイスラム復興党は、ソ連時代の共産党をモデルに党の設立が行われたが、
ソ連時代のステレオタイプ的な米国のイメージが中央アジア諸国で根強く残っていたとしても不思 議ではない。
米国の9.11事件まで、中央アジアでは米国は遠い存在だった。しかし、アフガニスタンでの対 テロ戦争によって、米軍が中央アジア諸国に入り込み、中央アジア諸国の独裁体制や権威主義 体制と結びつき、中央アジアの空域や、また交通手段、空軍基地を利用すると、米国の存在は中 央アジアで急速に人々の目にとまるようになった。こうした米国のプレゼンスが中央アジアのイスラ ム主義の運動に排外的な思想の背景を与えることになっている。
2.2.
2.2.キルキルキルギスタンのイスラム復興キルギスタンのイスラム復興ギスタンのイスラム復興ギスタンのイスラム復興
キルギスタン南部のオシュは、1999 年に日本人鉱山技師拉致事件が発生したバトケン州に近 く、イスラムの宗教活動が比較的活発である。オシュではモスクなどイスラムの宗教活動を中心に コミュニティが広がっている。イスラムはキルギスタンで着実に復興しており、1986 年には全国で 36しかなかったモスクも、現在では1600余り、そのうちのおよそ1200がキルギスタン南部にあ る(((3(333))))。最近では、キリスト教の一派など様々な新興宗教も入り込むようになった。オシュなどキルギ スタン南部は、日本人拉致事件に見られたように、アフガニスタンからウズベキスタンに至るイスラ ム過激派の通過地点になっている
キルギスタン南部では、大衆感情からは米国のイメージは明らかに低下している。旧ソ連時代、
あるいは1990年代、キルギスタン人にとって米国はそれほど強い具体的イメージがある国ではな かったが、アフガニスタン戦争で、またイラク戦争でムスリム同胞を殺害したり、「ダール・アル・イス ラム(平和の家:イスラム世界のこと)」に軍事的に進出したりする米国に対する反発の声が上がる ようになっている。
米国による対アフガニスタン戦争は、イスラム過激派のテロを抑制するはずであったが、キルギ スタンでは米国が嫌うイスラム運動が近年台頭している。特に、農村部の貧しい青年層が「ヒズブ・
アッタフリール(解放党):以下解放党」の活動に吸収されるようになった。解放党のスローガンは、
カリフ(預言者ムハンマドの後継者)を頂点とする「イスラム国家の創設」にある。このユートピア的 なイデオロギーを説く解放党は、1990 年代初頭から中東諸国からやってきた活動家たちの影響 によって中央アジアで生まれたイスラム組織で、1990 年代末から中央アジア諸国から急速に成
49 4949 49 長・拡大し始めた。
解放党が訴える「イスラム国家」の地理的範囲は明確ではないが、ソ連時代に人為的につくら れた国境が多く、また陸に閉ざされた旧ソ連中央アジア諸国では人々の間に訴える力をもってい ることは間違いない。しかし、キルギスタンなど中央アジア諸国政府の側から見れば、これら諸国 の国家的枠組みをも変えかねないイデオロギーであり、政府から警戒をもって見られることになる。
しかし、解放党の活動は、決して暴力に訴えることがなく、イスラム国家の樹立も平和的手段によ るものと主張している((((4444))))。
解放党の活動は、中央アジアのフェルガナ盆地で特に活発に見られる。フェルガナ盆地は、キ ルギスのオシュ州やジャラール・アーバード州、またウズベキスタンのアンディージャン州、フェル ガナ州、ナマンガン州、さらにタジキスタンのスグド州などを主に含んでいる。キルギスタンでは、
キルギスタンに居住するウズベキスタン人の間で支持者が多いと見られ、キルギスタンの治安筋 の情報ではその活動家の90%がウズベキスタン人だという見積もりすらある。
キルギスタンでは、貧しく、教育もなく、失業している階層が解放党を主に支持していると見られ ている。キルギスタン南部の警察当局は、活動家や支持者の 90%は失業し、また 90%は高等教 育もない階層だと主張する。また、60%以上は貧困層の出身、さらに年齢的には70%が18歳か ら30歳、25%が30歳から40歳、ほんの5%が40歳を超えていると警察当局が見積もるように、
特に若年層からの支持が多い((((5555))))。
解放党の出版物には、米国に対する反感が強く見られる。解放党のイデオロギーには国際主 義的な性格があり、イスラエルに対する敵意や憎悪、欧米の非道徳的な政治・経済システムの否 定などが頻繁に書かれている。特に近年になると、配布されたチラシでは反米的なトーンがいっ そう強くなった。イラク戦争で解放党の米国に対する批判や非難が一段と強まったが、また欧米 に対する批判は、ポルノや同性愛などのその文化にも絡めて強調されるようになっている((((6666))))。
キルギスタンの農村部では、灌漑用水を汲み上げるためのポンプも老朽化し、ソ連時代と比較 すると、農地が減少するようになった。農村部では人口増加が顕著で、農地を所有できず、また 農地で労働できない貧しい青年たちが解放党の主張に吸収されるようになった。解放党は、自ら のイデオロギーをパンフレットやチラシで配布してその普及を図っている。また、政府の抑圧を逃 れるために、3人から4人によって構成される細胞をつくり、それらの細胞は互いに連絡をとるこ とがない秘密組織になっている。キルギスタンの解放党のメンバーは、数千人とも見積もられて いる((((7777))))。
米国は、キルギスタンをテロとの戦いの拠点にしたが、しかしキルギスタンでは解放党やイスラ ム過激派などイスラム勢力が勢いを増す要因は着実に強まっている。オシュの街で無目的に行
50 5050 50
動する人々の多くは失業者たちで、また公務員の給与は1ヶ月 50ドルほどだが、そのために副 業をしている者たちも少なくない。経済状態の改善がなければ、「平等」や「公正」に訴えるイスラ ム勢力が力をつけていくことは明らかである。
3.3.
3.3.ウズウズウズベキスタンの米国離れとイスラム勢力の台頭ウズベキスタンの米国離れとイスラム勢力の台頭ベキスタンの米国離れとイスラム勢力の台頭ベキスタンの米国離れとイスラム勢力の台頭
ウズベキスタンでは、カリモフ大統領による独裁体制が継続しているが、アフガニスタンに近い この国もまた米国の対アフガニスタン戦争に協力した。米国はカリモフ政権に対して、2001 年11 月にトルコとともに 4千5 百万ドル相当の軍事援助を行うなど、ウズベキスタンとの親密な関係を 築くようになった。2002 年に、カリモフ大統領は米国の中央アジアにおけるプレゼンスを歓迎し、
米国がこの地域から手を引けば、北の大国であるロシアの影響力が強まるだろうとロシアの動静 を警戒していた(((8(888))))。
しかし、米国の関心がアフガニスタンからイラクに移行すると、米国はウズベキスタンが望んで いたほどの経済・軍事援助を行わなくなった。そのために、カリモフ政権はロシアに接近するよう になり、ロシアのプーチン大統領も、2003年8月にウズベキスタンのサマルカンドでカリモフ大統 領と会談を行い、安全保障問題などに関する協議を行っている。ウズベキスタンへの米国の支援 は、タリバン政権打倒を図った軍事行動のためのもので、ウズベキスタンの人権問題への批判を 米国が2003年になって始めると、カリモフ政権と米国の関係はさらに疎遠なものとなった。
米国のタリバン政権打倒は、アフガニスタンや中央アジア地域でのイスラム過激派の活動を封 じるためのものであった。しかし、米国がタリバン政権を打倒するための拠点としたウズベキスタン でもイスラム勢力の活動は強まっている。この国でも解放党の活動が見られ、貧困層の多い東部 のフェルガナ盆地で特に支持者や活動家を増やしていると考えられるようになった。また、ウズベ キスタンには、1999 年 2 月に大統領暗殺未遂事件を起こしたとも考えられ、同年日本人鉱山技 師を拉致した「ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)」というイスラム過激派の活動が見られる。この 国でイスラム勢力が台頭するのは、やはり社会・経済問題と関連するものである。
ウズベキスタンは、綿の栽培や、また金の生産にその経済を依存している。多様な国内産業が なく、特に東部のフェルガナ盆地は経済資源が乏しく、貧困層の中には麻薬の売買や犯罪に手 を染める者たちもいる。ウズベキスタンでは、国庫への歳入の減少によって、政府補助金が減少 し、それが小麦や砂糖など基本的な食糧物資の価格高騰を招くようになった。貧しい階層は政治 に不満をもっているが、それを政府は警察力で抑えざるをえない。
ウズベキスタンでも、カリモフ一族をはじめとする政府上層部の腐敗が指摘されるようになった。
2003 年 1 月、米国ニュージャージー州の最高裁判所は、カリモフ大統領の娘であるグルナラの
51 5151 51
前夫(同州在住)に、彼らの間にできた二人の子供たちの養育権を認める裁決を下した。その際 に最高裁判所は、前夫に 330 万ドルを与える裁定を行い、またグルナラには450 万ドル相当の 宝石、また 1500 万ドル相当の携帯電話会社の株、ジュネーブやドバイの銀行にある 1100 万ド ルの預金などの所有を認めた。
さらに、裁判所は彼女がモスクワに150万から200万ドル相当の高級アパートを購入したこと を明らかにしている。ニュージャージー州の一連の裁定から、貧困な国民の暮らしぶりとはとうて い縁のないカリモフ一族の贅沢な生活が暴露された。グルナラの前夫もウズベキスタンのコカ コーラ工場を経営していたが、このように大統領一家がウズベキスタンの経済活動を支配、統制 していることも、「公正」を説くイスラム勢力の主張や活動に追い風を与えるものであることは間違 いない(((9(999))))。
このニュージャージー州の最高裁裁判所の裁定も、カリモフ大統領の反感を買うもので、ウズ ベキスタンの米国離れを促進するものだった。この判決に対抗するかのように、ロシアはグルナラ にモスクワのウズベキスタン大使館の顧問としての外交特権を与えている。こうしたロシアの姿勢 は、「対テロ戦争」で米国と親密な関係になったウズベキスタンをロシアの勢力圏に再び組み入れ ようとする目的をもっている。
これらの経済的困難、政治腐敗などを背景にして、ウズベキスタンでもイスラム勢力が力を維持 している。キルギスタン同様、解放党はチラシを配布することによって、自らのイデオロギーの普及 を考えている。解放党のチラシは、中央アジアでの貧困、困難な社会状況などを訴えているが、
それがウズベキスタンの少なからぬ人々の注意や関心を引くことになっている。解放党の活動が 活発に見られるのは、ウズベキスタン東部のフェルガナ盆地にあるナマンガン周辺地域である。
ウズベキスタンで2002年10月に配られたチラシは、カリモフ大統領がバザール商人の活動の 自由を奪っていることを非難している((((101010)10)))。解放党は、カリモフ大統領の政治を「ユダヤ人による暴 政」とも表現した((((11111111))))。カリモフ大統領がユダヤ人という確実な証拠は全くないが、解放党がそのよう な表現を用いるのは、パレスチナ問題が中央アジアでも意識され、イスラエルの西岸・ガザへの 軍事侵攻がカリモフ大統領の強権的な政策と一致すると考えられるためであろう。2002 年12月 に配布された解放党のチラシには、「神に我々の困難をとり除き、我々を加護し、またユダヤ人の カリモフを排除するよう嘆願する」と書かれている((((121212))))12。カリモフ政権が打倒されれば、ムスリムはカリ フ国家の正義の下で自由に暮らせるという主張を解放党はしばしば行っている。
ウズベキスタンでも農民の生活は貧しく、切迫したものになっている。キルギスタン同様に、灌 漑施設の維持の悪さなどによって、農地の減少を招いている。例えば、シルダリア州では、十分な 灌漑システムがないために、30%から 40%の農地が消失した。農地を維持するためには水の確
52 5252 52
保は重要な問題だが、政府はそれに余り熱心ではないというウズベキスタンの研究者の声に接し
た((((13131313))))。農業不振のために、農民たちはロシアやカザフスタンに出稼ぎ労働に出るようになっている。
さらに、首都タシュケントでは現在建設ブームがあるが、そうした建設事業にも地方から国内移住 した農民たちが従事するようになった。また、ソ連時代に営業していた多くの工場が閉鎖され、失
業率は8%から11%にのぼると見積もられている。政府官吏の給与は低く、賄賂の横行が見られ、
また私的なビジネスを行う者も少なくない。こうしたウズベキスタンの経済問題が解放党などイスラ ム勢力の活動を助長していることは明らかである。
解放党の台頭に対して、ウズベキスタン政府は力による抑圧でこれに応じるようになった。1997 年から解放党に対する弾圧が始まり、1999年2月に発生したカリモフ大統領暗殺未遂事件後に 8千人のメンバーが逮捕されたと解放党は主張している((((14141414))))。他方、イスラム運動を脅威と感ずるウ ズベキスタン政府は、イスラムに対する保護の姿勢を見せるようにもなり、独立後に新たな規模の 大きいモスクを建設するようになった。他方、解放党などイスラム勢力は、比較的大きな自治組織
(マハッラという)の中で勢力を拡大している。
解放党に見られる中央アジアのイスラム運動は、イスラムの本質を平和的なものであることを強 調し、他方米国やその同盟国を「好戦的勢力」として表現するようになっている。解放党は、近代 の国民国家を「反イスラム的」なものとして否定する。1923 年のオスマン帝国の崩壊とともに消失 した「カリフ」国家の復活や、また不当な政府と戦い、より平等なカリフ国家創設のために国際的な イスラムの連帯を唱えるようになった。イスラム本来の姿を復活させるためには、欧米モデルの経 済、社会、政治を否定し、反欧米、反ユダヤ、反シーア派の主張を行っている。
旧ソ連の中央アジア諸国が独立後、米国は当初イスラム勢力によってほとんど意識されること はなかった。例えば、1992年に出されたタジキスタンのイスラム復興党の新聞では米国への言及 は柔軟な表現によるものだった。9.11 事件以前、中央アジアにおける反米主張は解放党に限定 され、解放党は米国のことを「ムスリム世界から駆逐されねばならない国家テロ集団」と呼んでいた。
タリバン政権崩壊後、タジキスタンなどではイスラム過激派の活動は困難になったが、その結果こ れらの組織はパキスタン、キルギスタン、またカザフスタンで活動するようになった。カザフスタンで 2002年4月に配布されたチラシは、神の法に基づき生活する者はイスラムの信仰を復活させ、ま たイスラムの普及は米国の言いなりになり、ユダヤ人に協力する指導者たちを排除し、統一したカ リフ国家を創設するであろうと述べている((((1515)1515)))。
解放党は平和的手段による政権獲得を訴えるが、それとは対照的に米国やその同盟国は戦 争から利益を得ていると主張する。解放党は、アルジェリア、パレスチナ、またチェチェンなどの問 題に言及し、ムスリムが異教徒の「侵略」の犠牲になっていることを強調している。9.11事件後、米
53 5353 53
国ブッシュ大統領が「われわれの側につくか、テロリストの側につくか」と発言したことや、また「十 字軍」という表現を用いたことは、解放党の主張にある種の正当性を与えることになったことは間 違いない。
解放党がカリフ国家の創設を唱えるのに対して、「ウズベキスタン・イスラム運動」は、ウズベキス タンにおけるイスラム国家の樹立を訴える。「ウズベキスタン・イスラム運動」は、すべての外国との 関係を解消し、イスラム的な生活方法への回帰や、銀行もイスラム的方法によって運営されること を主張する。世界は「信心者」と「不信心者」に分割され、そして「信心者」は「不信心者」に対して イスラム世界を防衛する義務があるとする。解放党は、「ウズベキスタン・イスラム運動」よりは柔軟 な訴えを行い、女性の役割についても、議会で女性が議席をもつこと、男性と握手をすること、さ らに公衆の面前でキスをすることなどを認めている。解放党は、人々の広範な支持を得るために、
ソ連時代の生活様式と矛盾しないような主張を行っている((((16161616))))。
4.4.
4.4.中央中央中央アジア諸国の安定化への見通し中央アジア諸国の安定化への見通しアジア諸国の安定化への見通しアジア諸国の安定化への見通し
「ウズベキスタン・イスラム運動」が1999年から2000年にかけてキルギスタンに侵入し、日本人 鉱山技師拉致事件などを起こしたことが、地元住民たちのイスラム過激派への支持を失わせるこ とになり、解放党の平和的な手段による政権獲得という主張に支持を集めることになった。9.11事 件以前、中央アジア諸国にとって、米国は比較的遠い存在であったが、「対テロ戦争後」、米軍が 中央アジア諸国に駐留し、その空軍基地を使用、また輸送手段などを利用するようになると、米 国の存在が中央アジアでも強く意識されるようになっている。
中央アジア諸国で、解放党のようなイスラム勢力が台頭するのは、これら諸国の経済建設の失 敗、強権的な政治体制、中央アジアにおける米国の軍事プレゼンスなどの問題が背景にあり、こ の地域のイスラム勢力を急進化させていることは間違いない。解放党は、中央アジアで着実に勢 力を伸ばしているが、しかしそれが社会全体を覆うような運動にはまだ発展していないことも事実 である。
キルギスタンでは、北部でイスラムの信仰は強く見られず、従来は土着信仰が中心で、近年は キリスト教の新興勢力なども次第に影響力をもち始めているが、解放党などイスラム主義の運動は キルギス北部には至っていない。また、ウズベキスタンでは、政府による抑圧があってイスラム勢 力の活動が急速に台頭することを拒んでいる。しかし、中央アジア諸国が抱える社会・経済問題 が改善されず、政治システムが非民主的なままだと、民意に訴える解放党などイスラム勢力がさら に成長する可能性は十分ある。
国際的なテロの抑制を意図して、米国はアフガニスタンのタリバン政権を崩壊させ、またアルカ
54 5454 54
イダの拠点を軍事攻撃した。しかし、その北に伸びるキルギスタンやウズベキスタンなど中央アジ ア諸国の安定を考えなければ、「ウズベキスタン・イスラム運動」などイスラム過激派のネットワーク は脈々とこの地域で活動を続けることになるに違いない。解放党は過激な勢力ではないが、しか し宗教活動の自由が認められなければ、そのメンバーの中には「ウズベキスタン・イスラム運動」の 過激な活動に引かれる者が現れたとしても不思議ではない。実際、「ウズベキスタン・イスラム運 動」のナマンガニー司令官は、解放党のイデオロギーや活動を称賛していたといわれている((((17171717))))。 日本など国際社会は、国際安全保障の観点からも、キルギスタンやウズベキスタンなど中央ア ジア諸国の政治・社会問題に注意し、その改善のための有効な支援を行っていくべきである。こ れらの諸国の国内問題は、アフガニスタン戦争やイラク戦争など国際的なイシューと結びついて、
イスラム過激派を含めて、「公正」や「米国の不義」を説くイスラム勢力の主張に追い風を与えてい る。特にアフガニスタンからタジキスタン、キルギスタン、ウズベキスタンに至る「イスラム過激派の ベルト」の安定は重要である。とりわけ若年層の職を創出するために何が必要なのか、また何を行 うべきかを真剣に検討し、実際に成果が上がる措置をとっていくべきであろう。
-
-
-
- 注注注注 ----
1 11
1 2003年9月、キルギスタン、ウズベキスタンにおける現地調査での聞き取り調査。
222
2 2002年7月、カザフスタンにおける聞き取り調査。
3 33
3 2003年9月、キルギスタン・オシュ州政府での調査。
444
4 International Crisis Group Report, Radical Islam in Asia: Responding to Hizb Ut-Tahrir, 30 June 2003, p.24
555
5 Ibid., p.19
6 66
6 Ibid., p.40.
777
7 解放党の組織、イデオロギーについては、International Crisis Group Report, The IMU and Hizb Ut-Tahriri: Implications of the Afghanistan Campaign, pp7-8などを 参照。
8 88
8 2002年7月、ウズベキスタン・タシュケントにおけるイスラム・カリモフ大統領との会談。
9 99
9 http://uzland.narod.ru/2003/august/22/04.htm
http://www.atimes.com/atimes/Central_Asia/EI18Ag01.html
55 5555 55
1010
1010 International Crisis Group Report, Radical Islam in Asia, p.26.
11 11 11
11 Ibid., pp.39-40.
1212
1212 Ibid., pp.26-27.
13 13 13
13 2003年9月、ウズベキスタンでの聞き取り調査。
1414
1414 International Crisis Group Report, Radical Islam in Asia, p.33.
15 15 15
15 Ibid., pp.40.
16 16 16
16 解放党とIMUの思想的比較については、前掲International Crisis Group Report, The IMU and Hizb Ut-Tahririなどを参照。
17 17 17
17 2003年9月、ウズベキスタンでの聞き取り調査。