• Tidak ada hasil yang ditemukan

海 外 だ よ り - J-Stage

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2023

Membagikan "海 外 だ よ り - J-Stage"

Copied!
6
0
0

Teks penuh

(1)

研究留学を含め,海外留学を目指す日本人が減少して いるといわれる.中国や韓国,インドなどから留学を志 す人たちが急増しているのと対照的である.筆者の米国 留学中は,それに比例するかのようにこれらの国の注目 度が高まり,逆に日本の存在感が薄くなっていくのを感 じた.日本のこの状況は,グローバル2.0ともいわれる この時代に逆行しているのは間違いない.そもそも研究 の世界は,他に比べても,最も「フラットな世界」が進 んでいる業界であると筆者は思う.世界中から一流の人 材を集め,研究に多額の投資を行ない,急速に発展を遂 げているシンガポールに来て,その思いはますます強く なった.多くの日本人が留学を志さなくなった理由は 様々だろうが,その1つに「わざわざ留学する利点が見 いだせない」というのがある.ここでは,自分の体験を もとに,留学する3つの意義について紹介したい.ただ し,これらは「ただ留学する」だけで得られるものとは 限らず,本人の努力(と数々の失敗!)が必要である.

その3つとは「英語力」「ネットワーキング」「サバイバ ル術」である.

「英語力」をつける―落ちこぼれの大学時代 から米国大学院入学まで

バイトやサークル活動に明け暮れ,ほとんど勉強をし なかった大学時代,筆者を救ったのは,4年時の研究室 配属と,留学したいという高校時代の志の「復活」だっ た.何か新しい発見をするという目的をもつ「研究室」

という場所の居心地の良さ.そして日本の大学という環

境に甘えがちだった自分をたたき直すために,思い出し た「留学」への強い想い.周りに薦められた日本の大学 院への出願という選択肢も断ったことで,「後がない」

状況になった.ところが,具体的にどのように出願準備 をしたらいいか,合格の可能性を高めるためのノウハウ など,その頃の筆者はまったく無知であった.現実は甘 くなく,その年はいくつかの米国大学院に「ただ出願し ただけ」で,合格することができなかった.

しかし,無鉄砲な筆者は諦めるという選択肢は考えら れず,実際にこの目で米国を体験しないといけないと思 い,右も左もわからずに卒業後カリフォルニア大学バー クレー校に乗り込んだ.幸いバークレーには“Extension  Program”という,聴講生として授業を取れる制度があ り,そこで大学や大学院のクラスを受講しながら,大学 院入学のための出願準備に取り組むことにした.米国の 大学院に出願するには,バイオ系の博士課程の場合,テ スト(GREとTOEFL)の点数,大学時の成績,エッセ イ,推薦状3通,そして多くの場合面接が必要である.

米国に来てからは,日本では知りえなかった大学院入学 に関する情報を入手でき,何も知らずに入試に挑むこと がいかに無謀であるかを思い知った.日本と決定的に異 なる点は,テストの点数だけでは決まらないということ である.大学院入試も米国社会同様,自分から積極的に 行動しなければ事が進まないこと,人との情報交換・コ ミュニケーションは重要であり, ドライなコネ が有 利に働くことも知った.そして1997年,志望校の一つ,

東海岸にあるダートマス大学分子生物学プログラムに入

海 外 だ よ り

グローバル時代を生き抜く研究者へ

米国大学院留学からシンガポールで独立まで

杉井重紀

シンガポール・バイオイメージング研究所,デューク大学/シンガポール国立大学ジョイント医学系大学院

(2)

学することができた.

さて,本当のサバイバルは大学院入学後であった.は じめの1, 2年目は,コースワークで専門の基礎力と応用 力を高めることが重視される.英語での授業にまだ慣れ ていなかった筆者は,大学院での初めてのテストでいき なりビリに近い点数をとり,「このままの成績を続ける と,あなたは2学期で放校になります」という警告メー ルをもらった.それからは,まさに背水の陣,毎回の授 業に対して予習と復習を充分に行ない,わからない点は 教官やクラスメートに徹底的に質問するという,日本の 大学受験でも経験したことのない,緊張感にあふれる毎 日を過ごした.そしてその「汗と涙の結晶」が徐々に功 を奏し,最後のテストでは,クラスでトップの成績を収 めることができた.これらのコースワークなどが終わっ た2年後,24人いたクラスメートは19人に減っていた.

米国大学院の出願方法やカリキュラムについての詳細は ここでは省くので,興味のある方は,ウェブサイト(1)も しくは理系大学院留学に関する書籍(2)を参考にされた い.

米国では少しでも気を抜くと足元をすくわれる……怠 けがちな筆者にとって,このことは研究を始めてからも 良い教訓になった.また,大学院でのカリキュラムは,

科学の世界の共通語である「英語力」をつけるという意 味でも,自分の今を築く礎であった.大学院では,少な くとも毎年一回,プログラム中の教官・ポスドク・学生 らの前で研究発表する機会があった.また,授業の多く がディスカッション形式であったし,週一回論文査読会 が開かれており,いかに臆せず話せるかがまわりの評価

につながる.別にきれいな英語を話す必要はなく,ブ ロークン・イングリッシュであっても構わない,重要な のは内容である.さらに2年時に,ティーチングアシス タントとして,大学生の授業の実験セクションの講義を 受け持ったので,生き残るためには必然的に「英語らし き言語」を必死にしゃべるしかなかった.英語で「プレ ゼン」や「ディスカッション」する能力は,日本にいて はそう簡単に磨けることではない.

研究社会での「ネットワーキング」―大学院 博士課程での研究からポスドク留学へ 留学先の研究室を選ぶのに一つの参考になるのが,学 生に人気のあるラボかどうかである.あくまで一般論で あるが,そういったラボは,ボスが面倒見が良かった り,雰囲気が良いところが多い.大学院での1年目は ローテーション制度というのがあり,1学期に1つずつ 計3個所ラボをまわり,簡単な研究テーマを与えられな がらラボの雰囲気,ボスの人間性,研究テーマを体験 し,希望ラボを選択することができる.また,教授に とっても,その学生の働きぶりや能力を評価する良い機 会である.この制度のおかげで,筆者は研究テーマが面 白そうだからというだけの理由で当初希望していたラボ でなく,教育熱心で卒業生の進路も申し分なく,研究内 容にも大いに興味をもった,T. Y. Chang教授の研究室 で研究生活を送ることになった.

Changラボでは,コレステロールの細胞内輸送の研 究に従事した.コレステロールというと悪玉物質の印象 が強いが,細胞に必須な構成成分であり,細胞内におい 図1当時の米国博士課程の経路 を,細胞生物学的に解析した図

(3)

て制御や輸送の問題が起こると,病気につながることに 興味をそそられた.「ニーマンピックタイプC (NPC)」

という先天性の疾患があり,そのほとんどがNPC1とい うタンパク質の変異によってひき起こされ,幼くしてア ルツハイマー病のような神経変性を起こして,多くは死 に至る不治の病である.このNPC1の機能が細胞内のコ レステロール輸送に関わっているらしい,ということが 当時明らかになりつつあったので,その詳細な輸送のメ カニズムを研究した(詳しくは総説(3)).脂質の実験に とどまらず,生化学的手法,蛍光顕微鏡を使った実験,

分子生物学的手法,細胞生物学の知識を活用するなど,

多角的なアプローチから研究を行なった.

研究生活は紆余曲折を経ながらも,いくつかの論文発 表に貢献することができた.しかし,最終学年では研究 や博士論文執筆にばかり時間を費やしており,次の進路 のことを考えたのは,博士号を取得してからのことだっ た.数ヵ月間,ポスドクとしてChang研究室で研究さ せてもらいながら,就職活動を開始した.アカデミアで の研究が自分に合うと感じた筆者は,将来教授職につく ことを目指して,ポスドク先を探しはじめた.

米国では大学院生時代はいかに良いトレーニングを受 けるかが重要であるが,将来アカデミアの職を狙うに は,一流雑誌への論文発表のみならず,ポスドクで一緒 に働くボスの「名声」も重要になってくる.名前の知ら れている人や知り合いからの「推薦状」が,就職できる かどうかに大きなウェイトを占めるからだ.このため,

米国での就職活動には,留学の第2の利点である「ネッ トワーキング」が特に重要となる.推薦状はたいてい3 通以上必要なので,大学院時のボス以外にも,自分の研 究のことをよく知っている教授たちに良い推薦状を書い

てもらわなければならない.米国大学院では各学生が

「コミティ・メンバー」として,自分の研究進行をモニ ターする教授3人以上を選んでいるので,気に入られれ ば彼らにも快く推薦してもらうことができる.またコミ ティ・メンバー以外にも,自分から積極的に教授陣と研 究の話をしたり,共同研究に参加することも,ネット ワーキングを広める上で効果的だ.またクラスメートや 研究室の同僚のネットワークも重要である.ポスドク先 を探す上で,さまざまな情報交換をすることができ,希 望先の研究室にいる知り合いを紹介してくれたことも幾 度かあった.

「ネットワーキング」は研究の世界に限らず,米国社 会の大きな特徴である.このため,イベントやパーティ でも,日本でありがちな「クローズド」でなく,友人・

家族同伴を勧める「オープン」スタイルのものが多い.

こういう機会を通じて「知り合いのネットワーク」を広 げることが,社会で成功するための重要ポイントである からだ.ウェブでSNS(ソーシャルネットワーキング サービス)がいち早く発展したのも,米国ならでは.現 在では就職活動においてもSNSが活躍しはじめている.

筆者のポスドク探しについては,ネットワーキングを最 大限に利用して,計5個所インタビューに呼んでもらえ た.そして運良く,ソーク研究所のロン・エバンス教授 のところでポスドクとして採用してもらうことができ た.ただ順調に聞こえるかもしれないが,ポスドク先が 決まったのは,ダートマスを去る1 ヵ月前のことだっ た.

また,大学院時代の研究以外の「業績」としては,筆 者自身がネットワーキングのサイトを始められたことだ ろう.2000年当時,研究留学MLというポスドク留学し ている方々のメーリングリストがあった.この中に少数 ながら,大学院生として米国に留学している人たちがい ることに気がついた.彼らを集めて,大学院留学中の

(または本気で目指している)人たちのためのメーリン グリストをつくった.熱心に行動またはサポートしてく れる人たちがいたおかげで,規模も徐々に大きくなり,

のちに「カガクシャネット」として,コミュニティホー ムページ,メールマガジン,そして「リアルな活動」と してのオフラインミーティング,シンポジウム,書籍の 出版を行なうまでに発展した(1).インターネットの時代 の威力を実感するとともに,新たなメディア(SNSや 動画など)を上手に活用していくこと,また現役の大学 院生世代に活発な活動をうまく引き継いでいけるかが,

次の課題である.

写真1博士号授与の卒業式での写真 ガウンを着た右から2番目が筆者

(4)

グローバル時代の「サバイバル術」―ソーク 研究所での研究生活からシンガポールへ こうして2003年暮れから,ソーク研究所でポスドク としての研究生活が始まった.ソーク研は規模が小さい ながらも,フランシス・クリックや,リナート・ダル ベッコ,ロジェ・ギルマン,シドニー・ブレナーらをは じめとするノーベル賞学者を抱える 少数精鋭 の研究 機関である.利根川進・現MIT教授がポスドク時代に 過ごした場所としても知られる.研究所内の教授陣は各 分野のトップに君臨する人たちであるが,アットホーム な規模と雰囲気のおかげで,研究所内で頻繁に開かれる セミナーやイベントで彼らと身近に接する機会が多く あった.また,近くにUCSDやスクリプス研究所など を擁し,気候の良さも手伝って,世界中から一流のサイ エンティストを集めており,サンディエゴ内での共同研 究も活発に行なわれていた.

ポスドク時代のボスであるロン・エバンスは,様々な ホルモンの受容体である核内受容体と呼ばれる遺伝子 ファミリーを発見したことで,ラスカー賞や慶應医学 賞,ガードナー賞などを受賞している.彼自身は非常に 忙しく,つかまえて話をすることも容易ではないが,会 えたときはアイデアと機知(とジョーク)に富んだ会話 をすることができ,とても刺激になった.基本的に奔放 主義のエバンス研究室では,一人一人のポスドクがPI

(研究主宰者)のように,自主的に行動しなければいけ ない.これは,プロジェクトの立案から組み立て,協力 者や共同研究の模索,試薬や装置の準備,実験のアレン ジと遂行まで,ボスをあまり頼らずにやらなければなら

ないことを意味する.この環境に慣れて研究が回りだす まで本当に時間はかかったが,おかげでこの経験が独立 後に生かされていると感じている.

エバンス研では,さまざまな研究を行なうことができ た.その中には,自分の力が今ひとつ及ばずまだ論文に なっていないハイリスクなプロジェクトもいくつかある が,2つのプロジェクトを論文発表にこぎ着けることが できた.1つはPPAR

γ

(ペルオキシソーム増殖因子活性 化受容体ガンマ)の糖尿病における機能解明であった.

PPAR

γ

は核内受容体ファミリーの一つで,その特異的 リガンドであるチアゾリン誘導体(TZD)は,抗糖尿 病薬として幅広く使われてきた.しかし,TZDのイン スリン抵抗性改善作用について,どの組織もしくはどの 細胞タイプで働いているのか,またそのメカニズムにつ いて不明な点がまだ多かった.そこで筆者らは,VP16 ドメインをくっつけて恒常的に活性化されたPPAR

γ

を,

代謝に重要ないくつかの組織に特異的に発現しているト ランスジェニック・マウスを作製した.このうち,脂肪 細胞に特異的なPPAR

γ

活性化マウスだけが,高脂肪食 の条件下でインスリン抵抗性を発症しないことを発見し た.さらに,TZDを与えられたコントロールマウスと 比較したところ,同程度の改善が見られ,遺伝子発現,

グルコース代謝,アディポカイン,インスリンシグナル 経路,脂肪の血中濃度の多くが,似たような数値を示し た.このことから,TZDは主に脂肪細胞のPPAR

γ

を介 して,抗糖尿病として作用していることが示唆され た(4, 5)

もう一つのプロジェクトは,2006年から2007年にか けて山中伸弥教授のiPS細胞の発見に大きな感銘を受け

写真2太平洋を臨むソーク研究 所 を バ ッ ク に,エ バ ン ス 研 メ ン バーの全体写真

2列目真ん中のサングラスと白い シャツを着ているのがロン・エバン ス.ポスドク・大学院生20名と研究 ア シ ス タ ン ト10名 の 総 勢 約30名

(プラス短期のインターン学生など)

の大所帯である.

(5)

ていたとき,脂肪組織の細胞を何とか材料にできないか と考えたことに端を発する.脂肪組織には,脂肪細胞だ けでなく,多種多様な細胞タイプが存在しており,その 中には骨髄に存在する間葉系の幹細胞と同じフェノタイ プを有する幹細胞がある.ただ本当にプロジェクトとし て始められたのは,ちょうど隣のIzpisua Belmonteラ ボがiPS細胞分野でめざましい成果を上げはじめてお り,在籍されていた日本人の方々と共同研究を進められ たことが大きい.そして,マウスとヒトの脂肪由来の幹 細胞を実際試してみたところ,驚いたことに,今まで使 われてきた体細胞よりもかなり高効率で,しかもフィー ダー細胞の必要なしにiPS細胞へ分化することを見いだ した(6, 7).他の細胞ではこれまで MEF (Mouse Embry- onic Fibroblast) などのフィーダー細胞を使ってiPS細 胞がつくられていた.このことから,多能性幹細胞をつ くるのに脂肪組織は理想的な材料だと筆者は考えてい る.

さて,これまでの留学経験で培われた中で,重要だっ た3つ目のポイントは「サバイバル術」であろう.よく 言われることであるが,海外では自分から主張しない と,存在しないも同然に扱われる.また,実験に関して も,手取り足取り教えてもらえることは稀である.そう した中で「自己責任」で道を切り開く力が自ずとついて くる.また,世界中から優秀な人たちが集まってくる環 境にいることは,多種多様な考え方や文化・風習に慣れ ないといけないということだ.異なるものの見方を許容 することは,サイエンスでも非常に大事である.米国で は,たとえ自分のボスに対しても,考えに異議を唱えて も問題にされることはまずない.むしろ自分の意見のほ

うに筋が通っていると判断されれば,いたく尊重される ことさえある.成功している多くの大学院プログラムや 研究室では,さまざまなバックグラウンドや考え方を もった人たちを集めている.異質のものから新しい発見 や思考が生まれるからである.

また,留学を通じて,日本という国を外から見ること も重要である.日本にいたときは気づかなかった良いと ころも,課題点もよく見えてくる.日本の常識が世界の 非常識であることに,初めて気づくことも多い.さら に,海外にいると,日本の科学技術をとりまく環境・文 化・歴史・政治経済などについて質問される機会が多く なるので,ますます日本のことを知らなければいけな い.筆者自身,日本人であることを誇りに思っている し,だからこそ外から見て,このところの母国の現状を 非常に心配している.同じように日本のことを本当に好 きな人ほど,留学経験をもつことを筆者は勧めたい.

実のところ,大学院を出たら,筆者は日本に帰るつも りでいた.しかし,14年の海外生活の中で,日本の現 状をリサーチするにつれて,自分の能力を伸ばすにはま だ外にいたほうが良いのではないかという結論に達し た.「サバイバル術」を身につけた今,Ph.D.の研究者と いうのは,世界中のどこでもやっていける資格であると 筆者は信じている.だから,日本を含め,世界中のポジ ションの中から,自分に合った場所を選んだら良いと思 う.米国がトップであることは間違いないが,優秀な科 学者で飽和状態で,研究の勢いも研究費も大きく増すこ とは見込めない,これからはアジアが面白いのではない かと,筆者は感じていた.そしてポスドク時から,有名 な科学者を次々と引き抜いていたシンガポールに注目し ていた.ここでは若手であっても,実力次第で結構な額 の研究資金を獲得することができる.シンガポールは 2000年に,バイオ医学分野を国の経済を支える基幹産 業の一つにすると決めてから,多額の投資で「バイオポ リス」というバイオクラスターを築き上げてきた.バイ オポリスは今や2,000人を超える研究者やサポート人材 を抱える,バイオ研究の一大クラスターへと発展してい る.

そこで,ネットワーキングを再び駆使してシンガポー ルでの職探しを開始し,インタビューにこぎつけた.そ して2011年1月付で,バイオポリスにある「シンガポー ル・バイオイメージング研究所」でグループリーダー,

また米国Duke大学がシンガポール国立大と共同で立ち 上げたDuke-NUS医学系大学院の助教授を兼任するこ とになった.バイオポリスの研究所はシンガポール人の PIはまれで,我がバイオイメージング研究所も12人す 写真3バイオポリスキャンパス

筆者のラボはバイオポリスの入り口にあたる左のビルディングの 1・2階にある.上階には,バイオ・製薬企業の研究所のほか,

JST(科学技術振興機構),早稲田大学の研究所,理研シンガポー ル事務所など,日系の団体も入っている.このようなビルが9つ ほど立ち並ぶ.

(6)

べてが外国人である.このような国際的な環境がアジア にあることは,驚きであるというしかない.

シンガポールでは,基礎研究自体よりも,産業が活性 化するような応用研究に研究資金がつきやすい.そもそ も,それがバイオに投資する理由であるからである.筆 者の次の課題は,確固たるサイエンスの質を保ちながら も,自分の研究をヒトの治療に結びつけることでどう直 接社会に役立てるかを模索することである.そういった 研究も大変面白くやりがいのあることに,ようやく気づ きはじめている.自分を支えてきてくれた家族,同僚,

友人,教授の方々に心から感謝したい.そしていずれ,

日本社会にもより貢献できることを夢見ている.

文献

  1)  http://kagakusha.net/

  2)  カガクシャネット,山本智徳: 理系大学院留学―アメリ

カで実現する研究者への道 ,アルク,2010.

  3)  T. Y. Chang, P. C. Reid, S. Sugii, N. Ohgami, J. C. Cruz & 

C. C. Y. Chang : , 280, 20917 (2005).

  4)  S.  Sugii  : , 106,  22504 

(2009).

  5)  S. Sugii & R. M. Evans : , 585, 2121 (2011).

  6)  S.  Sugii,  Y.  Kida,  T.  Kawamura,  J.  Suzuki,  R.  Vassena,  Y. Q. Yin, M. K. Lutz, W. T. Berggren, J. C. Izpisua Bel-

monte & R. M. Evans : , 107

3558 (2010).

  7)  S. Sugii, Y. Kida, W. T. Berggren & R. M. Evans : , 6, 346 (2011).

浜 本  晋(Shin Hamamoto) <略歴>

2008年東北大学大学院工学研究科バイオ 工学専攻博士課程後期3年修了/同年同研 究科バイオ工学専攻助教,現在にいたる

<研究テーマと抱負>植物・微生物のスト レス応答とイオン輸送体の電気生理学的機 能解析<趣味>ドライブ,フットサル,音 楽鑑賞

早 瀬  文 孝(Fumitaka Hayase)  歴>1969年東京農工大学農学部農芸化学 科卒業/ 1974年東京大学大学院農学系研 究科博士課程修了/ 1976年湘北短期大学 講師/ 1979年同助教授/同年東京大学農 学部助手/ 1990年同大学講師/ 1992年明 治大学農学部農芸化学科助教授/ 1997年 同教授,現在にいたる<研究テーマと抱 負>メイラード反応の総合的解析,食品の おいしさの科学的解明<趣味>美術鑑賞,

音楽鑑賞

韓   畯  奎(Junkyu Han) 略 歴1996年韓国高麗大学食品工学科卒業/

2005年筑波大学大学院生命環境科学研究 科博士後期課程修了/同年同大学北アフリ カ研究センター研究員/ 2008年同大学大 学院生命環境科学研究科生物圏資源科学専 攻助教/ 2011年同准教授,現在にいたる

<研究テーマと抱負>食品成分の機能性食 品・化粧品のシーズ化に関する研究<趣

味>バスケットボール

福井 啓太(Keita Fukui) <略歴>1998 年京都大学農学部食品工学科卒業/ 2000 年同大学大学院農学研究科修士課程修了/

同年味の素(株)発酵技術研究所,現在,同 社バイオファイン研究所研究員<研究テー マと抱負>アミノ酸生産菌の育種開発,物 質の排出輸送体の解析<趣味>旅行,お笑 い鑑賞,熱帯魚観賞

福 田  智 一(Tomokazu Fukuda)  歴>1991年神戸大学農学部応用動物科学 科卒業後,神戸大学大学院自然科学研究科 博士課程前期修了,住友化学工業(株)環境 科学研究所勤務を経て,1995年奈良県立 医科大学大学院医学研究科博士課程入学,

この後,癌研究会癌研究所嘱託研究員を経 て,2005年国立がんセンター研究所任期 付研究員/ 2008年東北大学大学院農学研 究科准教授,現在にいたる.この間,2001 年米国 National Institute of Environmen- tal Health Sciences (NIEHS)-NIH Visiting  Fellow (連邦職員)<研究テーマと抱負>

動物由来の幹細胞とがん化の接点.遺伝的 変異動物を用いた食品の機能性に関する研 究など

藤 崎  幸 蔵(Kozo Fujisaki) <略 歴> 1969年鹿児島大学農学部獣医学科卒業後,

農林水産省家畜衛生試験場原虫病研究室 長,国際農林水産業研究センター国際研究 情報官,帯広畜産大学原虫病研究センター 教授を経て,現在,鹿児島大学農学部獣医 学科教授・モンゴル農科大学名誉教授・米 国ジョージア南大学特任研究員<研究テー マと抱負>吸血性ダニ類の細胞内栄養情報 経路と媒介病原体のインターフェイス<趣 味>お茶とドライブ

宮 前  友 策(Yusaku Miyamae)  歴>2006年筑波大学第二学群生物資源学 類卒業/ 2008年同大学大学院生命環境科 学研究科生物資源科学専攻博士前期課程修 了/ 2011年同研究科生命産業科学専攻博 士後期課程修了/同年京都大学大学院生命 科学研究科助教,現在にいたる<研究テー マと抱負>天然有機化合物の単離・構造決 定から生理活性の作用機構解明まで網羅す る研究を展開したい

渡 辺  寛 人(Hirohito Watanabe)  歴>1988年東京大学農学部農芸化学科卒 業/ 1993年同大学大学院農学系研究科博 士課程修了/ 1994年同大学農学部助手/

2000年明治大学農学部生命科学科講師/

2006年 同 助 教 授,現 在 に い た る<研 究 テーマと抱負>メイラード反応生成物の構 造と機能,腸管上皮由来抗菌因子<趣味>

旅行

プロフィル

Referensi

Dokumen terkait

新年度がスタートして間もなく 1 か月,子どもたちはとても張り切っています。一人一人が輝き, 友だちと共に学び合う姿が見られます。そして,毎朝の礼拝でのお祈りや讃美歌に よって聖書の言葉と出会いキリスト教の教えをもとに隣人を愛することの大切さを 学んでいます。そのことが啓明学園初等学校の児童らしい優しい言動に結びついて いることを実感する時,大変嬉しく思います。

系を用いてNifAタンパク質を確認したのは,韓国からの大 学院留学生,金 英美 (Young-Mi Kim) 氏であった. NG13の 遺 伝 子 のORFは1572塩 基 か ら な り, M5a1の と比較すると34塩基の置換が あり,アミノ酸としては6個の置換があった. のプロ モーター領域の塩基配列の両菌株間のホモロジーは96%で あった.

MullisのPCR法を挙げています(1993年ノーベル化 学賞).その中で1970年代はスタチンが選ばれているの です.また,発明家としても日本人で初めて2012年に 「全米発明家殿堂入り」を果たしています.これらのこ とは,スタチンの発見がいかに偉大なことだったかとい うことを物語っているのではないでしょうか. このような偉業達成のルーツは生まれ故郷の秋田にあ

プロダクト イノベーション 血液中のアミノ酸プロファイルで健康状態を評価する 「アミノインデックス技術」の開発と実用化 味の素株式会社イノベーション研究所 今泉 明 はじめに 昨今,「未病」という言葉を目にした方も多いと思う. この言葉はもともと中国由来(中国最古の医学書である 「黄帝内経」に記載がある)で,日本では江戸時代に貝

5, 2012 315 今日の話題 御であることがわかる. シロイヌナズナのゲノムには,miR165/6を生産でき る遺伝子が9つある.このうち根で発現しているのは3 遺伝子であるが,これら3つのすべてがSHRにより内皮 で特異的に転写されている.したがって,miR165/6が 内皮以外の組織で を転写後制御するには,内皮の

2, 2012 127 l-ドーパは,神経伝達物質であるドーパミンや,ホルモン であるアドレナリンなどの前駆体として重要なアミノ酸であ る.特にパーキンソン病患者の特効薬として利用され,全世 界で年間約250トンが生産され,そのうちの約半量は酵素を 使う方法で,他は化学合成法で生産されている.l-ドーパの 酵素生産法は,日本で生まれ,日本で育ち,いまだに日本で

4, 2017 みつ入りリンゴはなぜおいしい? フードメタボロミクスで明らかになった香りの役割 みつ入りリンゴは日本やアジア諸国で極めて人気が高 い.リンゴのみつとは果実の細胞の隙間にソルビトール などの糖分を含む水分がたまったもの1で,半透明の様 子が蜜のように見えることから「みつ」と呼ばれている が,蜜のように甘いものではなく,なぜこれほど好まれ

書 館 文 化学 と 生物 はじめに 筆者が大学を出た1960年代はわが国の高度経済成長期と も相まって日本列島のあちこちで公害問題が発生した.関門 トンネルを抜けて北九州に入ると工業地帯,そびえ立つ煙突 からの七色の煙を観光宣伝する市の広告を覚えている.公害 の原点とされる有機水銀による水俣病,カドミウム汚染によ