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化学と生物 Vol. 55, No. 4, 2017
みつ入りリンゴはなぜおいしい?
フードメタボロミクスで明らかになった香りの役割
みつ入りリンゴは日本やアジア諸国で極めて人気が高 い.リンゴのみつとは果実の細胞の隙間にソルビトール などの糖分を含む水分がたまったもの(1)で,半透明の様 子が蜜のように見えることから「みつ」と呼ばれている が,蜜のように甘いものではなく,なぜこれほど好まれ るのか謎であった.筆者らは,産地や栽培法などの異な る各種のリンゴを分析していたところ,みつ入りリンゴ は独特の華やかな香りを放ち,その香気プロファイルも また独特であることに気がついた.この華やかな「香り」
がみつ入りリンゴのおいしさの決め手では? との仮説 の下,みつ入り・みつ無しの「ふじ」の官能評価と揮発 性・水溶性成分のプロファイリングを実施し,みつ入り リンゴの嗜好性をその成分から解き明かそうと試みた(2).
まず,官能評価(図1)において香りの強さをニオイ かぎで比較すると,みつ入り果はみつ無し果より有意に 強かった.しかし,ノーズクリップを装着して香りの影 響を排除して味の強度を評価したところ,両者に有意差 は認められなかった.さらに,ノーズクリップをはず し,香りを含めた評価では,みつ入り果はフルーティ,
フローラル,スィートな特性が強く,また嗜好性もみつ
無し果より有意に高かった.これより,香りがみつ入り 果の嗜好性に寄与していることが明らかとなった.
成分プロファイリングでは,揮発性・水溶性成分の強 度に基づいて多変量解析を実施した結果,みつ入りリン ゴを特徴づける成分としてエチルエステル類が浮かび上 がった.香り成分のデータベースから,エチルエステル 類はフルーティ,フローラル,スィートな香調を示し,
しかも同じ脂肪酸のエステルの中で最も嗅覚における閾 値が小さいことがわかった(3).みつ入り「ふじ」から検 出されている酪酸エチル,2-メチル酪酸エチル,カプロ ン酸エチルなどはバナナやパイナップル,吟醸酒にも共 通するフルーティな香り(4)として注目されている成分で もある.また,エチルエステル類は,「こうとく(こみ つ®)」,「北 斗」,「お い ら せ」,「あ お り21(春 明21®)」
など,みつ入りリンゴに共通する成分群であった.この ように,エチルエステル類の増加がみつ入りリンゴの風 味を高めている可能性が強く示唆された.そこで,みつ 無しリンゴのジュースに,みつ入りリンゴから検出され たエチルエステル類を再構成して添加すると,みつ風味 や嗜好性が高まることが官能評価で確認された(5).これ らのデータから,みつ入りリンゴで高まるエチルエステ ル類は,その嗜好性に強く寄与する成分と結論した.
図1■官能評価の結果
香りはニオイかぎにより,呈味はノーズクリップにより香気の影 響を排除し,1〜7ポイントで評価した.パネリストはトレーニン グを受けた男女29名.
図2■みつ入りリンゴの低酸素状態がフルーティ・スイートな エチルエステルの生成を誘導する
PDC: pyruvate decarboxylase, ADH: alcohol dehydrogenase, AAT: alcohol acyltransferase. ◀:酸素センサー貫通位置
日本農芸化学会
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次に,みつ入り果にエチルエステル類が集積するメカ ニズムを検討した(2).エチルエステル類が多量に生成す るためには,基質となるエタノールも多量に生成しなけ ればならない.そこで,リンゴ果肉の細胞間隙のガス組 成に着目した.細胞間隙は通常は大気組成のガスの占め る割合が高いが,みつ入りリンゴではみつ部分は低酸素 状態にある(図2).このため,みつ部分では嫌気的代 謝(エタノール発酵)が進行しているものと推定した.
そこで,みつ入りリンゴのみつ部分と非みつ部分,みつ 無しリンゴの果肉におけるピルビン酸デカルボキシラー ゼ(PDC) 遺 伝 子 と ア ル コ ー ル デ ヒ ド ロ ゲ ナ ー ゼ
(ADH)遺伝子の発現を比較したところ,いずれもみつ 入り果のみつ部分で特異的に強く発現していた.以上の ことから,みつ入りリンゴでは低酸素状態にあるみつ部 分でエタノールが集積し,これを基質として生成した多 量のエチルエステルがみつ入りリンゴに華やかな風味を 与えることにより嗜好性が高まっていると結論した.
これまで,果物の品質では甘さが最重要視されてき た.しかし,みつ入りリンゴの嗜好性メカニズムは,香 りが従来認識されていた以上に効果をもつことをクリア に示した.折しも,分析機器のめざましい進化と普及,
官能評価やデータ解析技術の急速な進歩をターニングポ イントに,食品の香り研究は急激に深まりを見せようと している.これらの結実,すなわち,果物のおいしさ品 質の向上に期待されたい.
1) 白武勝裕: 園芸生理学 分子生理学とバイオテクノロ ジー ,第1版,山本昭平編,文永堂出版,2007, pp. 133‒
140.
2) 田中福代,岡崎圭毅,樫村友子,大脇良成,立木美保,
澤田 歩,伊藤 伝,宮澤利男:日本食品科学工学会誌,
63, 101 (2016).
3) L. J. Van Gemert: “Compilations of Odour Threshold Val- ues in Air, Water and Other Media,” Boelens Aroma Chemical Information Services, 2003, pp. 1‒124.
4) 伊藤百合子,荒川奈津江,高村あゆみ,森光康次郎,久 保田紀久枝:日本食品科学工学会誌,53, 121 (2006).
5) 田中福代,庄司靖隆,岡崎圭毅,宮澤利男:日本食品科 学工学会誌,64,34(2017).
(田中福代*1,岡崎圭毅*1,宮澤利男*2,*1 農業・食品 産業技術総合研究機構中央農業研究センター,*2 小川 香料株式会社機能研究所)
プロフィール
田中 福代(Fukuyo TANAKA)
<略 歴>1986年 東 京 理 科 大 学 薬 学 部 卒 業/同年農林水産省農業研究センター研究 員/2001年博士(農学)筑波大学/九州農 業試験場を経て2016年4月より現職(農研 機構中央農業研究センター上級研究員)
<研究テーマと抱負>果物・野菜のおいし さと栽培条件の関係に成分プロファイルか らアプローチする<所属研究室ホームペー ジ>http://www.naro.affrc.go.jp/index.
html<趣味>バレエ鑑賞,スポーツ観戦 岡崎 圭毅(Keiki OKAZAKI)
<略歴>2003年北海道大学大学院農学研 究科修了/同年農研機構北海道農業研究セ ンター研究員/2008年博士(農学)北海道 大学/2016年4月より現職(農研機構中央 農業研究センター主任研究員)<研究テー マと抱負>代謝産物解析を活用した栽培管 理や作物診断に役立つ指標の開発<趣味>
音楽鑑賞,読書,野菜を調理して食べる 宮澤 利男(Toshio MIYAZAWA)
<略歴>1998年千葉大学園芸学部生物生 産科学科食品栄養学専攻卒/同年小川香料
(株)入社/2005〜2006年米国モネル化学 感覚研究所客員研究員/2013年博士(農 学)東北大学/2014年4月より現職(小川 香料(株)機能研究所主任研究員)<研究 テーマと抱負>フレーバー感覚の相互作用 計測(クロスモダル研究),香りによる味 覚感覚のエンハンス(塩味,甘味など), 抹消から中枢での感覚計測(感覚細胞,感 覚神経,脳など),香りの奥の深さ/魅力 を世界に伝えたい<所属研究室ホームペー ジ>https://www.ogawa.net/<趣味>育 児,運動,車,お酒
Copyright © 2017 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.55.235
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