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第 70 回 西日本国語国文学会 発表要旨

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第 70 回 西日本国語国文学会 発表要旨

《招待発表》

日本式ローマ字と音韻論・正字法

―1930 年以前の資料から―

内田 智子(龍谷大学)

1930年~1936年にかけて、臨時ローマ字調査会が設けられ、ローマ字の綴り方を「ヘボ ン式」とするか「日本式」とするかの論争が行われている。ヘボン式は英語式の綴り方で あり、日本式は五十音図に基づいた綴り方である。論争の結果、日本式が勝利し、1937年 に「訓令式」という形で世に公表される。

日本式勝利の背景として、アルファベットによる写音の限界の露呈、当時の最先端の言 語学「音韻論」による理論武装があったことは、従来より指摘されている。日本への音韻 論の紹介は、1930 年代に菊澤季生によって行われたとされており、彼はその理論を以て、

日本式ローマ字論者として臨時ローマ字調査会で熱弁を振るっている。一方で、音韻論の 導入過程や、音韻論とローマ字論争、正字法との具体的な関係は、従来ほとんど言及がな い。

音韻論の重要な概念に「phoneme」(音素)があるが、1922年に日本ローマ字会の会合で

行われたH.E.パーマーの演説に既にphonemeの紹介があることが判明した。1928年の『音

声学協会会報』では「Phonemeの広さ」について、1929年にはPhonemeの定義と日本語訳 について言及があり、正字法との関連性が指摘されている。また、アルファベットによる 写音の限界は、日本式ローマ字の提唱者である田中館愛橘によって既に1885年に指摘され ている。以上のような状況を踏まえ、1880年代から1930年までの日本式ローマ字に関す る資料を中心に、日本式ローマ字論者による音韻論の導入過程、正字法との関連を明らか にする。

諏訪神社大宮司青木永章のこと

―近世後期長崎の雅会の牽引者―

吉良 史明(長崎大学)

諏訪神社大宮司青木永章(天明7年〈1787〉生、弘化2年〈1845〉没)に関する研究は、

異国趣味の永章長歌を取り上げた田中仁『江戸の長歌―『万葉集』の享受と想像―』(森話

(2)

社、平成24年)がわずかに備わるのみであり、その生涯ならびに文事の諸相はいまだ明ら かにされていない。それは、永章の事跡を検討するための資料が限られていたことに起因 すると推定される。

ところが、近時永章関連資料の所在が相次いで特定されている。例えば、永章が大宮司 の職責を果たした諏訪神社には社家にまつわる文書群、長崎大学附属図書館小西家資料に は永章と知友の国学者中島広足ならびに絵師木下逸雲との交誼の模様が見て取れる書簡群、

さらに松浦史料博物館には平戸藩主松浦煕との雅会の模様を示す永章『亀岡日記』(天保 13年成立、2巻2冊)、江戸参府の旅を描いた同『後東路記』(天保9年奥書、3巻3冊)

が伝わる。

本発表は、上述の新出資料群を紐解き、まず始めに永章の事跡を追う。続いて、永章が 主催した諏訪神社の花見の宴において、来舶清人と長崎の歌人が親交を温める模様、また 京都の生まれである永章が公卿と親交を深め、雅楽を始めとする京都の文化を長崎に伝え る有さま、さらに広足ならびに逸雲との雅会の模様を明らかにし、近世後期の長崎文化を 牽引する永章の姿を浮かび上がらせる。終わりに、以上の検証成果を踏まえて、改めて近 世後期長崎の雅会の実態解明を試みる。

《一般発表》

時間関係を表す「拍子に」

藤田 優子(九州大学学生)

「拍子に」は、現代語において「転んだ拍子に膝を擦りむいた」のように、先行する事 態(以下、前件という)をきっかけに後続する事態(以下、後件という)が発生するとい う関係を表す。「拍子」は、古くは楽器やリズムといった意味で用いられ、このように時間 的な先後関係をもつ二つの事態を結ぶ例は中世後期以降にしかみられない。本発表では、

「拍子」の歴史的変遷を記述し、時間関係を表す「拍子に」の成立過程を分析する。

中世前期までの「拍子」は「御扇して拍子打たせ給ふ(「宇津保物語」楼の上・下)」の ように用いられ、事態間の関係を表すことはなかった。ところが、中世後期の抄物資料に は次のような例が現れる。

(1) a. 歩ヒヤウシニモカラリ\/トナル事モ馬ノ本意デハナイゾ。

(「四河入海」十二ノ二・35ウ)

b. 右カラ左ヘツキトヲシテ活ト前ヘハネテ喉ブエヲハネキルヒヤウシニ左手ヲ以

(3)

テカウヅカヲ取テ前ヘ引フズレバ、頸ノ骨ガホツキト折ルゾ。

(「史記抄」五・30オ)

(1a)は「歩」くリズムに合わせて「カラリ\/トナル」さまを表しており、「拍子に」は 後件の様態を表している。一方(1b)は、「喉ブエヲハネキル」のに引き続いて「左手ヲ以テ カウヅカヲ取テ前ヘ引」くという関係にあり、「拍子に」は時間的な先後関係をもつ二つの 事態の関係を表している。

中世後期には少数しか確認できなかった(1)のような例は、これ以降次第に数を増してい く。近世までは(1a)のように様態を表す例が多いが、次第に(1b)のような例が増えていき、

「拍子に」は時間関係を表す形式の一つに数えられるようになった。

『栄花物語』の引歌表現についての一考察

二宮 愛理(九州大学助教)

文中に和歌や他作品の一節を部分的に引用することで、その求める内容を直接的に言わ ずに表現することは物語に常套の表現であるが、『栄花物語』の引歌表現はこれまであまり 注目されてこなかった。本発表では、表現のみを取り上げるのではなく物語内容と関連付 けた考察を行う。

『栄花物語』における引歌表現は、松村博司『栄花物語の研究』(刀江書院 1956)にそ の一覧が提示された。続いて、吉田茂「『栄花物語』の和歌・引歌考」(山中裕、久下裕利 編『栄花物語の新研究:歴史と物語を考える』新典社2007)では、「…と」「…など」とい うように引用であることを明記するものとしないものを分類し、正編と続編のそれぞれの 用例の特徴を述べている。また、山口博「源氏物語の引歌」(『源氏物語講座第七巻:表現・

文体・語法』有精堂出版 1971)によって、『源氏物語』の中で引歌の用例数が多い巻を順 にあげると、まとまりを持った三つの巻集合が浮かび上がることが指摘された。

これらの先行研究を踏まえ、『栄花物語』正編でも同様に引歌の指摘が多い巻をあげると

巻5「浦々の別」巻13「ゆふしで」巻20「御賀」となる。また、巻4、12、14、15、18、

19といった周辺の巻もわずかながら数量に特徴が見られた。この数量的特徴に加え、どの 程度引歌と物語内容との関連が見られるかといったことを検討し、『栄花物語』においても 物語を引き立てる技法として引歌が意識されているのではないかといった点について考察 する。

(4)

異国遍歴物の流行と京都

―『和荘兵衛』以後と書肆銭屋との関わり―

吉田 宰(九州大学専門研究員)

近世中期における異国遍歴物の流行は、平賀源内『風流志道軒伝』(宝暦13年〈1763〉

刊)を発端として、その後『和荘兵衛』(安永3年〈1774〉刊)によって全盛期を迎えるこ ととなる。

ここで、改めて異国遍歴物の出版地を見てみると、『風流志道軒伝』は江戸の書肆から刊 行されているが、一方『和荘兵衛』以後のそれは、多くが京都の書肆を中心に刊行されて いる。つまり、異国遍歴物が実質的に流行した土地は京都なのである。しかし、こうした 流行現象が京都を中心に起きた要因については、いまだ十分な考察がなされていない。そ こで、本発表では如上の問題について解き明かすことを目的とする。

研究方法として、まず『和荘兵衛』以後の異国遍歴物のうち、その初期作品は京都の書 肆銭屋を中心に刊行されていることを確認する。その上で、作者未詳『東唐もろこし細見さいけんばなし噺』(天 明3年〈1783〉刊)、および大江文坡『 成じょうせんだまひとくちげんだん』(天明5年〈1785〉刊)に着目し、

前者については手島堵庵の心学的著作と銭屋、後者については大江文坡の道教・神仙教・

老荘思想的著作と銭屋との関わりに触れながら考察を深めていく。

こうして、本発表では『和荘兵衛』以後の異国遍歴物の中で、前記2作品が京都を中心 に出版された必然性を解き明かし、ひいては異国遍歴物の流行と京都という場の結びつき において、書肆銭屋が果たした役割を明らかにする。

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