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第 67 回 西日本国語国文学会 福岡大会

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Academic year: 2025

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第 67 回 西日本国語国文学会 福岡大会

大会実行委員長:川平 敏文

期日:2016年9月9日(土)・10日(日)

会場:九州大学附属図書館 新館4階 視聴覚ホール(福岡市東区箱崎6-10-1)

第1日 9 月 9 日(土)

12:30~ 受付開始

13:10~13:15 開会の辞、会場校挨拶

13:15~16:30 シンポジウム「学生をそだてる国語国文学の教育」

16:45~17:15 総会

17:45~20:00 懇親会(キャンパス内 生協理農食堂 会費4,000円)

第2日 9 月 10 日(日)

10:00~10:40 発表1 『土佐日記』における海洋表現語彙の分析 有浦 英毅(長崎大学大学院生)

10:40~11:20 発表2 『今とりかへばや』女装の男君についての一考察

―潜在する「男性性」とその解放―

田島 智弘(九州大学大学院生)

11:20~12:00 発表3 『我が身にたどる姫君』にみる中世的表現 ―擬古と自立と―

前川 暁(九州大学大学院生)

12:00~13:10 昼食・休憩

13:10~13:50 発表4 光源氏の変奏としての『在明の別』の左大臣 小松 明日佳(九州大学大学院生)

13:50~14:30 招待発表1 薄田泣菫『白羊宮』論 ―倉敷市蔵原稿の検討から―

竹本 寛秋(鹿児島県立短期大学)

14:30~14:45 休憩

14:45~15:25 発表5 北松方言における小値賀島藪路木島方言の特徴について

―『藪路木島方言集(仮題)』を用いた方言記述―

門屋 飛央(九州大学専門研究員)

15:25~16:05 招待発表2 萬葉集の「仮名」―用法としての「仮名」の二類について―

佐野 宏(京都大学)

16:05~16:20 閉会の辞、諸連絡

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《要旨》

○シンポジウム「学生をそだてる国語国文学の教育」

【司会・コーディネーター】二階堂 整(福岡女学院大学)

大学の変化・社会の変化・学生の変化の中で、国語国文学の教育はいかにあるべきか。それ ぞれの職場や状況の中で、悩みを抱えていたり、授業の創意工夫をしたりしていることと思 われる。パネリストの報告をもとに、参会者が互いに情報や意見を交わし、研究分野を越え、

高校・大学が連携して、この問題に取り組んでいきたい。

【パネリスト①】黒岩 淳(北筑高校)

高校において、国語の授業は、社会に出て役立つ言語能力(読む力・書く力・聴く力・話す 力)を向上させるという大切な目的があるが、同時に文学の面白さを実感させ、生涯を通し て文学に親しむことができるように指導していきたい。文学の楽しさを実感させるためには、

単に読むだけではなく、生徒同士が意見を交わし合う場も大切であろうし、また創作も含め た表現の場をしっかりと設定することが重要であろう。その一つの方法として、「連歌の創作 指導」を提案したい。また、大学での研究成果を高校の授業に生かすためには、高校・大学 が連携し、教員同士の交流を図る事が大切なので、その具体的な組織作りも考えていきたい。

【パネリスト②】松尾 弘徳(鹿児島国際大学)

高校までの学校教育で学ぶ国文法のイメージが強いためか、大学に入ってくる学生の多くは、

日本語学という学問分野を「正しい日本語を学ぶ学問」と捉えがちである。そのような見方 を払拭するためには、若い世代にとっての卑近な日本語をすくい上げて「ことばが持つおも しろさ」を学生に実感させることが彼らの学びを促すものと発表者は考えている。また、S NSの普及は多くの利点を有する一方で、「一つ一つのことばの持つ重み」を失わせているよ うにも感じられる。そこで、本報告では発表者が取り組んでいるいくつかの授業実践例を紹 介し、どのようにすれば「小さなことばたち」に対して積極的、自発的に目を向けられる学 生を育てることができるかということについて考えてみたい。

【パネリスト③】萩野 敦子(琉球大学)

中高生や大学生の多くが、古語や文法を暗記して仕上げに現代語訳という作業をすることが

「古文」学習だと誤解している。彼らが知る「古文」の授業は、「書き手はなぜそう書いたの か」「語り手はなぜそう語るのか」「作品はどんな構造を持つのか」といった、文学作品に親 しむための、ひいては世の中の諸事象を理解するための、汎用的能力に結びつく学びをおざ なりにしていたとおぼしい。発表者は教育学部で、国語教師を目指す学生たちの「古文」観 を刷新する〈授業づくり〉を日々模索している。本報告では、次期学習指導要領との関連も 確認しながら「ものづくしの随想を書く」「古文で説話を書く」等の実践を紹介し、豊かに「古

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文」に関われる学生(将来の教師)をいかに育てるかについて考えたい。

【パネリスト④】武藤 清吾(琉球大学)

高等学校でも大学でもリテラシー実践が急務である。それは対話を促す実践として具体化さ れる必要がある。情報機器の発達は、簡潔なことばを要求する一方で、思想的熟成を促す環 境を開拓してきている。それらは多くの場合対話の実践から生まれる。芥川龍之介は「芸術 その他」で「芸術に於ける単純さ」の意義を強調し、その到達には並々ならぬ「創作的苦労」

があるとした。そのために求められるのは、自己と他者とのあいだに〈対話のことば〉を創 ることである。短歌や俳句、短編散文の創作実践、あるいはたとえば多和田葉子作品を対象 にしたテクスト実践などから、〈対話のことば〉を創り思想的熟成へと向かうリテラシー実践 の課題を考察する。

○研究発表

『土佐日記』における海洋表現語彙の分析 有浦 英毅(長崎大学大学院生)

『土佐日記』は日本の古典文学の代表的な作品の一つとしてよく知られている。数ある古 典の作品のなかで、作者紀貫之直筆の本に極めて近い形での写本が現存しているという、非 常に希有な恵まれた作品であることから、研究書も多数ある。紀貫之は『古今和歌集』の筆 頭撰者として有名であり、その文芸的価値も高く、翻訳されて海外にも紹介されている。

日本は四面を海に囲まれながら「海洋文学」と称されるものが少ないとされている。そん な中で『土佐日記』は五十五日間の船旅日記であり、海洋に対する表現も豊富である。しか し文芸作品としての研究は多数されてきたが、海洋文学的な研究はあまり見られない。鈴木 知太郎の「我が国には珍しい海洋文学の前駆をなし」とか、臼田甚五郎の「貫之は(中略)、 このくらいの気概があれば、日本古典に珍しい豪快な海洋文学を創造したろうに」などの表 現が見られるくらいである。

今回『土佐日記』を海洋文学的側面から観て、海洋を表現している語彙の分析を試みるこ とにした。海洋にかかわる表現の全ての用語を抽出し、「船・海・操船・波・風・磯・港・地 名・海賊」の九項目に整理し、その使用分布状況を分析する。紀貫之が土佐の守の任務を終 えて、土佐から京都までの帰路の実際の体験記であるために、リアルな海洋表現を確認して いきたい。

『今とりかへばや』女装の男君についての一考察 ―潜在する「男性性」とその解放―

田島 智弘(九州大学大学院生)

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『今とりかへばや』は、男らしい女君と女らしい男君という、倒錯した性の特徴を持つき ょうだいの入れ替わりがメインテーマである。「女の物語」として男装の女君に注目されるこ との多い本作だが、表裏一体をなす女装の男君については、物語後半の政治家的側面ばかり が論じられる。そこで本発表では、男君の作品全体での人物像を明らかにすることにより、

従来とは異なる彼の性格を見出していきたい。

男君について論じる際には、物語を、その転機となる女君との「男女入れ替わり」を基準 として、①女装時代(巻一~二)、②入れ替わり前後(巻三)、③女装解除後(巻三~四)の 三つに大別する。①では、女東宮との密通、宰相中将闖入の拒絶が描かれる。その経験が「女 らしさ」から「好色」への転換期となり、男君が「男の論理」を理解していく過程と捉える。

そのとき、男君が詠む「志賀の浦と……」の歌について、片山ふゆき氏(「『今とりかへばや』

「志賀の浦」試論―宰相中将の「恋」をめぐるアイロニー―」『国語国文研究』第一三五巻、

二〇〇九年)を参照しながら考える。②では、失踪した女君との宇治での邂逅場面が、男君 に内在していた好色性の解放の契機となること、さらに彼の「自己愛」が表れることにも注 目する。③では、女君の男装時代から引き継いだ女性関係が、単なる政治的関係性ではなく、

男君が培ってきた「好色」ゆえに生じたものであることを確認する。

以上のように、男君が「好色」を軸とした「男性性」を段々と発揮していくことを確かめ ていくことで、本作品の新たな側面からの読みを提示したい。

『我が身にたどる姫君』にみる中世的表現 ─擬古と自立と─

前川 暁(九州大学大学院生)

鎌倉初期成立の『我が身にたどる姫君』では、宮廷、及びその周辺の錯綜した人間関係の なかでの恋愛模様、特に、様々な女性たちに焦点をあて、その愛の在り方、性のかたち、加 えて、深刻な苦悩が、七代四十五年の長きにわたる一大系図物語という観を呈しながら語ら れていく。『我が身』に限らず、鎌倉期以降の物語は、筋立てや人物造型に、平安期の王朝物 語の影響が顕著であることから、「擬古」物語と呼ばれることが多く、それゆえに、模倣や亜 流と不当に貶められているのが実情であろう。しかし、これらの物語が、『源氏』や『狭衣』

の二番煎じに過ぎず、時代の空気を反映する瑞々しさや、新たな文学の地平を拓く活力を失 った作品群と片づけてよいのか、この疑問こそが本発表の出発点である。

ところで、「荻の上風、萩の下露」という定型化した歌語がある。藤原義孝の歌で広く知ら れ、多くの和歌や物語等にも見える表現であるが、それが、『我が身』では、「萩の上風」と いう形で現れることに着目したい。同時代成立の歌集にもこの語が散見し始めるというのも 偶然とは考え難く、中世に入っての、新たな表現の獲得と言えよう。この時期の文芸作者た ちは、単に、「古へに擬へた」だけの和歌や物語ではなく、自らの感性に適う言葉を貪欲に探 し、「自立」した新たな表現を求め、創意工夫を続けていたことが、僅かこの一語からも知ら

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れるのである。過去の作品を旺盛かつ意図的に取り込みつつも、独自の新たな境地を創りあ げていこうとした中世王朝物語における表現の様相、その一端を論じたい。

光源氏の変奏としての『在明の別』の左大臣 小松 明日佳(九州大学大学院生)

『在明の別』の巻二は、巻二・三の中心人物である左大臣の紹介から始まる。そこでは、

世間の人々が左大臣を、失われた巻一の中心人物であった右大将の代わりとしてみているこ とが語られる。こうした構図は、『源氏物語』「匂兵部卿」巻冒頭での、光源氏が失われた後 を継ぐ者としての薫の描かれ方を想起させる。ただ、それでは左大臣が薫型の人物造型を持 つかというと、そこには疑問が生じる。続く紹介において、左大臣の性質は「あやにくなる 御癖」と称されている。これが、「帚木」巻における光源氏の「癖」を下敷きにして描かれて いると考えられるのである。このことから、左大臣の造型それ自体も光源氏を下敷きにして いる可能性がみえてくる。この可能性に関して、左大臣の行動、および周囲の女性たちの造 型を取り上げて、そこにみえる光源氏の影を探ってみたい。その際、重要になってくるのが、

巻一の中心人物である右大将である。右大将と左大臣は、形式上の親子関係にあるというこ ともあり、繋がりの深い存在である。巻一、巻二・三それぞれの中心人物である両者は対比 的な存在として描かれており、左大臣の造型を考える際には、右大将との関係性を欠かすこ とはできない。『源氏物語』以降の物語においては、薫型と呼ばれる人物造型が頻発するが、

左大臣は一見それに当てはまるようにみえながらも、実は光源氏を変奏させたものである可 能性を、右大将との関係を踏まえた上で考察してみたい。

薄田泣菫『白羊宮』論 ―倉敷市蔵原稿の検討から―

竹本 寛秋(鹿児島県立短期大学)

薄田泣菫『白羊宮』(金尾文淵堂 明治三十九年五月)について、倉敷市蔵『白羊宮』原稿、

および雑誌初出形との比較を行い、詩集『白羊宮』の生成過程を明らかにする。

倉敷市が所蔵する『白羊宮』原稿三十枚は、詩集『白羊宮』刊行のための最終稿と考えら れる。巻頭詩「わがゆく海」から「夕聲」までの毛筆原稿であり、一六行縦罫紙に書かれた

「金星草の歌」を除いては、二四字詰一六行の原稿用紙が使用されている。この字数と行数 は単行本『白羊宮』の体裁と同じであり、原稿と単行本は割り付けまで一致している。

一方で、原稿には修正の跡が残っている。書き換えによる修正個所に加え、紙を上から貼 りつけて書き直した個所が多く見られ、なかには二重に紙を貼って修正した個所もある。詩

「ああ大和にしあらましかば」の一行においては、「路(みち)ゆきぶりの切畑(きりはた)に」

から「路(みち)のほとりの切畑(きりはた)に」を経て「新墾路(にひぱりみち)の切畑(きりはた)

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に」に確定されたことが確認できる。薄田泣菫の詩について「古語」の復活は多く言及され る論点であるが、原稿の書き換えレベルから用語選択の検討がなされたことはこれまでない。

本発表では、雑誌初出形、原稿の修正跡、単行本との異同の確認に基づき、『白羊宮』各詩 篇の生成過程を明らかにする。その上で、表現の変更過程を踏まえることで見えてくる問題 について考察したい。

北松方言における小値賀島藪路木島方言の特徴について

―『藪路木島方言集(仮題)』を用いた方言記述―

門屋 飛央(九州大学専門研究員)

藪路木島(やぶろきしま)は、長崎県五島列島に位置する、北松浦郡小値賀町に属する島 である。この島は、1972(昭和47)年に集団離島をして以来、現在、無人島になっている。

本発表は、この藪路木島の方言を採録した古川初義氏よる著作『藪路木島方言集(仮題)』を 用いて、小値賀町藪路木島方言の特徴を考察するものである。

この方言集は、約 10,000 もの項目が立ててあり、そのひとつひとつに説明がつけられて いる。その項目は、ひとつの動詞の活用させた形式をいくつも載せていたり、ひとつの文に つく終助詞による意味の違いを分けて載せていたりしているものもある。微妙な意味の区別 も、意識して書かれている資料だといえる。同地域の方言を集めた『小値賀町郷土誌』は、

方言の語彙項目が約1,120語である。同様の語を重複して説明している項目が多いとはいえ、

この方言集には、相当数の方言語彙が採録されていることがわかる。

この方言集から考えられる当該方言の特徴を、実際の面接調査をもとに明らかにする。藪 路木島は、小値賀町に属するが小値賀島方言とも異なる面を持っている。また、近隣に位置 する佐世保市(旧北松浦郡)宇久町の方言とも比較を行ったところ、類似点や相違点がみら れた。このように同地域内での方言の違いも考察する。

萬葉集の「仮名」―用法としての「仮名」の二類について―

佐野 宏(京都大学)

萬葉集の「仮名」字母には頻用される字母と稀用の字母がある。一字一音式表記における 各音節で総使用度数を縦軸にとその頻用序列を横軸に置くと、その関係はL字分布を示し、

頻用され常用される少数の字母群と数例だけの稀用の字母群に二極化する。この分布は多分 に語の表記上の字母選択と字母配列が固定的であることに拠る(「戀」は「古非」「孤悲」が 頻用されるが、「孤非」は一例のみで「古悲」の例はない)。頻用される字母群には二字母程 度があり、総使用度数に対する異なり語の割合は、頻度第一位の字母よりも第二位のものの 方が異なり語数が相対的に多い傾向にある。単純に音節単位で観察すると頻度順位の高い方

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が、より汎用性が高いようにみえるが、形態素単位・語単位でみれば結果は逆になる。語の 表記上の字母選択が固定的であると仮定すると、頻度第一位のものは概ね表語的環境にある 字母群であり、第二位のそれは語の表記体の拘束を受けない、その限りでは表音節的環境に ある字母群であると解釈される。このモデルは、理論上、語の表記体を形成する過程で表語 的環境に特化する字母群と、結果的に音節の表記体として特化することになった字母群とい う二類の「仮名」が同時的に形成されることを示す。用法上の「仮名」としてではあるが、

後世の平仮名と片仮名の二類(表語的と表音的)に類比的であると考えられる。

Referensi

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