今日の話題
518 化学と生物 Vol. 51, No. 8, 2013
肝臓時計の新規同調因子として働くインスリンと生活習慣病予防
腹時計の大切な働き
私たちの体の中には,多くの日周性をもつ現象があ る.睡眠のような顕著なリズムだけでなく,体の中では 肝臓をはじめ代謝臓器も代謝のリズムをもっている.そ のため,病気の発症時間にもリズムが見られる.さら に,「魔の時間」と言われる突然死が多い時間帯も存在 する(1).特に午前中のある時間帯は心筋梗塞,脳梗塞な どが起きやすい生理現象が重なる時間帯である.病気の 起きる時間帯だけでなく,死亡する時間にも死因により 日周リズムがあることが知られている.私たちが想像し ているよりも,はるかに私たちの体は生物時計に制御さ れていることがよくわかる.一方,このリズムが崩れる と時差ぼけに見られるようにさまざまな体調不良をきた すことになる.さらに,シフト・ワーカー,キャビンア テンダント,看護師に冠状動脈疾患や肥満,がんなどの 病気が多いことは以前からわかっていた.現代社会で は,仕事柄規則正しい生活ができない人も多く,これを
「社会的時差ぼけ」と呼び,常に体内時計は揺さぶられ,
いつも不健康と隣り合わせでいる.
遺伝子によって制御される約24時間周期の内在的な 時計を概日時計(サーカディアンリズム)と呼び,受動 的なリズムである日周リズムと区別している.この概日 時計の本体が,比較的簡単な転写のネガティブ・フィー ドバック制御によって構成されていることがわかっ た(2).時計遺伝子である転写因子のClock・Bmal1が6 塩基のE-boxに結合して,時計遺伝子である Per, Cry の転写を活性化する.合成されたPer, Cry はClock・
Bmal1による転写活性化を抑制する.そして,Per, Cry が減少することにより再び転写活性化が起きる.この周 期が約24時間である.この時計は,脳だけでなく肝臓 をはじめとするすべての末梢細胞に存在している.ただ 細胞間で微妙なずれが生じるため,外からリセット(同 調)させることにより臓器全体,体全体がまとまった一 つの時計として働く.つまり体内時計で重要なのはどの タイミングでどのように同調されるかである.
一方,古くから洋の東西を問わず,人類の知恵として
「規則正しい食生活は健康に重要だ」と言われてきた.
私たちは経験的に食事のタイミングの重要性を認識して いたようである.平成19年国民健康・栄養調査による
と,現代日本人の6分の1から5分の1は糖尿病が疑われ ている.ところが,カロリー摂取は若干減っているので ある.そこで,食べ方,特に朝食の欠食,夜食症候群に 見られる「いつ食べるか」がクローズアップされるよう になってきた.つまり,食事のタイミングの乱れが,メ タボリックシンドロームや生活習慣病を誘発しているの ではないかと考えられるようになった.
体内時計を制御する最も重要な同調因子は光であり,
光は脳の視交叉上核に存在するマスター時計を制御し,
体全体の概日時計を制御している.ところが,摂食タイ ミングを逆転させると消化器系のリズムが逆転してくる ことがわかり,摂食の同調作用は光より強いことがわ かった(2).食事は内臓において最も強い同調因子である ことが理解されるようになった.少なくとも首から下の すべての臓器の時計の同調因子は食事といっても差し支 えないほどであることがわかってきた(2).
時計遺伝子を欠損させるとマウスは,行動異常を示す だけでなく代謝異常を導くことがわかってきた.Clock ノックアウトマウスは肥満とメタボリックシンドローム を示す(3).ノックアウトマウスにおいて見られた代謝異 常は,概日時計と代謝が強く結びついていることを明ら かにした(2).私たちは,ヒトを意識して,遺伝的改変を していない動物を用いて不規則な摂食タイミングの脂質 代謝に与える影響を検討するため,昼夜の区別なくダラ ダラ食べる給餌プロトコールを考案した.そして,不規 則な食事をすると肝臓の概日時計に異常が生じ,血中コ レステロールが上昇するということを見いだした(4).不 規則な摂食タイミングが,遺伝子改変していないラット の代謝を異常にすることを初めて実験的に示した.この 研究は,私たちヒトでも,食事のタイミングが異なるだ けでコレステロール代謝が異常になることを示唆するも のである.一方,「超」規則正しい食生活をすると,驚 くべきことにそれだけで食事誘導性の肥満を完全に抑制 することが報告された(5).これは,不規則な食生活が健 康に良くないだけでなく,規則正しい食生活が,積極的 に健康をもたらすことを示すものであり,摂食タイミン グの重要性が実験的に確かなものとなった.
すでに述べたように末梢の時計は,光を同調因子とす
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る脳の時計とは別に,食事を同調因子とした制御を受け ている.これまで,末梢時計を同調させる因子は複数存 在することが推測されてきている.たとえば,神経系,
液性因子(ホルモンなど),運動(活動),体温,摂食行 動などである.最近筆者らは,食事刺激に応答するイン スリンが肝臓時計を同調させる因子であることを示すこ とに成功した(6) (図1).インスリンは,摂食によって分 泌されるホルモンとして最も有名であり,すでにいくつ かの報告がなされてきた.しかし,実験条件やその結果 にばらつきがあり,これまでその作用は不明確であった ため,筆者らはそれを決着させようと試みた.インスリ ン処理は3次元培養肝細胞に対して「位相反応曲線」を 示すことを明らかにした.「位相反応曲線」というのは,
ある一つの刺激が時間帯により逆向きに作用することを 図式化したものであり,このユニークな現象が起きれば 同調因子であることが示される.たとえば,夜型になっ た睡眠障害者を治すために,光治療では朝方に強い光を 浴びせ朝型にしていくが,夜に強い光を浴びてしまって は逆効果になるというような現象である.インスリンは 動物個体の肝臓時計においても位相反応曲線を示した.
同じインスリン投与も朝と夜では,その効果が逆に出る ことがわかった.朝食は肝臓時計を正常化させるが,夜 食は肝臓時計を乱してしまう.インスリンは,線維芽細 胞や脳,肺などのインスリンに通常応答しない細胞や臓 器の時計を同調することはなかったが,脂肪細胞の時計 も同調させることがわかった(6).つまり,メタボリック
シンドロームに関与する臓器はインスリンによって,そ の時計が調節されているということがわかった.このリ ズムの乱れがどうやって代謝異常を来たし,メタボリッ クシンドロームや生活習慣病を誘発するのであろうか.
比喩的ではあるが,代謝は,数多くの酵素反応が調和し て流れることにより初めて機能を果たすのであり,一部 の代謝酵素のリズムの乱れは代謝全体を抑制することに なる.ちょうど,工場などの流れ作業で,一人だけ遅刻 してくる(もしくは早く来てすぐに帰ってしまう)よう なものである.
それでは食事の何が同調作用をもつのであろうか.イ ンスリン分泌作用をもち,エネルギー源として最も重要 なグルコースがリズムを同調させることは理解できる.
グルコースは培養細胞のリズムを直接同調させる作用も 有している.タンパク質やアミノ酸にも同調作用があ る.ところが,高脂肪食はさまざまな臓器の概日時計を 崩壊させてしまう.高脂肪食は,高エネルギーであるた め太りやすいだけでなく,体内時計を壊すため代謝が異 常になり太ることになる.
今回のインスリンが同調因子である結果やこれまでの 成果は,「活動期に食べて休息期に食べない」,そして
「活動期の最初に食事(朝食)をとる」ことが健康的な 食スタイルであることを示している(7).十分な絶食後の 最初の食事,つまり朝食後のインスリンの同調作用が重 要である.夕食が遅く十分に絶食をしていないときの朝 食には,リセットの効果は少ないだろうと考えられる.
図1■規則正しい摂食タイミングは 生活習慣病を予防する
インスリンが肝臓時計の新規同調因 子であることがわかった.光は視交 叉上核に存在するマスター時計を同 調させる作用がある.通常,脳の制 御により摂食行動が起こるが,末梢 組織の時計は,脳とは独立に摂食タ イミングによりリセット(同調)さ れる.摂食はインスリンを介して肝 臓などの末梢時計を同調させる.朝 食時のインスリンは肝臓時計を正常 化させるが,夜食時のインスリンは 肝臓時計を異常にする.このような
「位相反応曲線」をインスリンが示す ため,インスリンが同調因子である ことがわかった.正常な代謝のリズ ムは,肥満を抑え,高コレステロー ル血症などメタボリックシンドロー ムや生活習慣病を予防する.
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また,夜食は肝臓の時計を悪化させる方向に調整してし まう.特に高脂肪の夜食は,二重に体内時計を乱してし まうため,ますます代謝をおかしくしてしまうようだ.
1) 田村康二編著: 時間診療学 ,永井書店,2001.
2) 香川靖雄,柴田重信,小田裕昭,加藤秀夫,堀江修一,
榛葉繁紀著: 時間栄養学 ,女子栄養大学出版部,2009.
3) F. W. Turek, C. Joshu, A. Kohsaka, E. Lin, G. Ivanova, E.
McDearmon, A. Laposky, S. Losee-Olson, A. Easton, D.
R. Jensen : , 308, 1043 (2005).
4) D. Yamajuku, S. Okubo, T. Haruma, T. Inagaki, Y. Oku- da, T. Kojima K. Noutomi, S. Hashimoto & H. Oda :
, 105, 545 (2009).
5) M. Hatori, C. Vollmers, A. Zarrinpar, L. DiTacchio, E. A.
Bushong, S. Gill, M. Leblanc, A. Chaix, M. Joens, J. A.
Fitzpatrick : , 15, 848 (2012).
6) D. Yamajuku, T. Inagaki, T. Haruma, S. Okubo, Y. Kata- oka, S. Kobayashi, K. Ikegami, T. Laurent, T. Kojima, K.
Noutomi, S. Hashimoto & H. Oda : , 2, 439
(2012).
7) 小田裕昭:イルシー,110, 21 (2012).
(小田裕昭,名古屋大学大学院生命農学研究科)
プロフィル
小田 裕昭(Hiroaki ODA)
<略歴>1983年名古屋大学農学部農芸化 学科卒業/1987年同大学大学院農学研究 科博士課程(後期課程)中途退学/1991 年農学博士取得(名古屋大学)/1987年名 古屋大学農学部助手/1997年同助教授/
1999年名古屋大学大学院生命農学研究科 助教授/2007年同准教授,現在に至る.
1991 〜 1992年米国ケース・ウェスタン・
リザーブ大学医学部客員助教授<研究テー マと抱負>サイエンスとアートがコラボ したような研究がやりたい.ピカソの絵 画,陶芸のようなサイエンスをしたい.食 の5W1Hを考えた,「食スタイル(食べ方)
の分子生物学」を確立したい.肝細胞の分 化制御機構を解明したい<趣味>クラッ シック,ロック,アート,サッカー,馬