プロダクト イノベーション
ホップ由来香気成分の発酵挙動 ・ 香気相互作用の解析とそのビール醸造への応用
ビールのホップ香をデザインする
サッポロビール株式会社商品・技術イノベーション部
蛸井 潔
はじめに
ホップはビールに特有の苦味と香りを付与する作物で ある.ホップのビールに対する機能としては,ほかに も,微生物耐久性の付与,見た目の清澄性や泡持ちにま で寄与しており,ビールにとってなくてはならない作物 である.
そのホップの香りは1990年代までは品種による違いが あまり大きくなかったが,2000年以降,特徴的でフルー ティな,品種特有の香りをもった「フレーバーホップ」
と呼ばれる品種の登場と,世界的な「クラフトビール」
のブームが相まって,品種とその香りのバリエーション が広がりつつある.それらを使いこなすための「科学的 なエビデンスのある活用方法」について紹介する.
地ビールからクラフトビールへ
「クラフトビール」という言葉もかなり一般的になっ てきただろうか.
日本では,1994年の酒税法改正によりビールの最低 製造数量基準が2,000 kLから60 kLに緩和されたことを 受けて日本各地に設立された小規模なビール醸造所を
「地ビール」と呼んできた.
しかし,欧米ではもともと「クラフトビール(craft beer)」と呼ばれており,近年は日本国内でも「クラフ トビール」としてアピールする醸造所も増え,解説書や 雑誌などでも情報発信されている.
スーパーやコンビニでも,国内外の「クラフトビー ル」の変わったラベル,遊びごころのあるラベルのビー ルを見かけることが増えてきた.そんなビールのラベル には目立つように「IPA」の3文字が書かれていること
が多い.これは「インディア・ペール・エール」の略で あり,かつてはイギリスからインドへの長い航海中の腐 敗を防ぐようホップを大量に使った苦いビールのタイプ を意味していたが,世界的な「クラフトビール」のブー ムにより,苦味だけでなくホップの香りの特徴も強烈に 主張するタイプを指すようになってきた.そのような近 年の「IPA」によく使われているのが「フレーバーホッ プ」と呼ばれる比較的新しいホップ品種群である.
品種特有の香りを主張するホップたち
アメリカで1970年代から使われているCascadeとい うホップ品種がある.この品種を使ったIPAは特徴的 な柑橘様の香りがあり,「クラフトビール」の世界で長 年好んで使われてきた.その香りは欧州の伝統的な「ア ロマホップ」とは異なるタイプのものであった.
2000年になり,ニュージーランドにおいて「白ワイ ン(ソーヴィニオン・ブラン)」の香りがするという触 れ込みでNelson Sauvinというホップがリリースされた ことにより,ホップ育種の流れが世界的に変わり,さま ざまなフルーツのニュアンスをもつホップ品種が続々と 育成されるようになった.
そういったホップ品種ごとの香りを楽しむべく,「ク ラフトビール」でも「シングルホップIPA」といわれる 単一のホップ品種で香り付けした新たなタイプのビール が作られるようになってきた.
そのようなトレンドを受け,品種ごとに特徴の異なる ホップの育種がオーストラリア,ニュージーランド,アメ リカで行われ,オーストラリアではパッションフルーツ様 のGalaxy,アメリカでは柑橘様のCitra,マンゴー様の Mosaicなど,特徴的なホップが新たにリリースされた.
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● 化学 と 生物
図1■ホップ由来の香気成分のビール発酵 中の推定変換経路
A, 揮発性チオール類;B, モノテルペンアル コール類
その流れはビールの本場ドイツにも派生し,2010年代 以降,ドイツの育種機関からも白ワイン様のHallertau Blanc,オレンジ様のMandarina Bavaria,メロン様の Huell Melonなどの品種が開発されるようになった.
そのような特徴的なホップ品種の「香り」はどのよう に形成されているのか,過去10年ほどの研究で,「揮発 性チオール類」と「モノテルペンアルコール類」とそれ らの相互作用が重要であることがわかってきた.
品種特有香のキーとなる香気成分:揮発性チオール類
「揮発性チオール類」は,酒類においてはまずワイン で研究が進められた成分で,閾値のオーダーがng/L
(ppt)と極めて低く,個々の成分それぞれに特徴的な香 気を有する(1).図1Aにビール発酵における「揮発性チ オ ー ル 類」 の 推 定 生 成 経 路 を 示 し た が,こ の う ち 4-methyl-4-sulfanylpentan-2-one(4MSP) と3-sulfanylhex- an-1-ol(3SH)はもともとソーヴィニオン・ブランワイ ンの品種特有香としてよく研究されていた成分であり,
3-sulfanyl-4-methylpentan-1-ol(3S4MP)はNelson Sauvin ホップの品種特有香成分として新規に同定されたもので ある(2).このうち4MSPはワインの世界では「ツゲ,エ
ニシダの芽の香り」などと表現されるが,グリーン感の ある非常に特徴的な香りであり,3SHと3S4MPはグ レープフルーツの皮の部分を連想させるフレッシュ感の ある香りである.
これらの「揮発性チオール類」はそのものの香りも特 徴的だが,3S4MPと4MSPについては(後述する)「モ ノテルペンアルコール類」などの香気を強める効果もあ
り(2, 3),香気相互作用のための重要なファクターとも考
えられる.
品種特有香のキーとなる香気成分:
モノテルペンアルコール類
「モノテルペンアルコール類」はlinaloolやgeraniolな ど,さまざまな食品,飲料においても香りに寄与してい ることがよく知られているフローラル/フルーティな香 気成分である.図1Bに醸造用酵母による「モノテルペ ンアルコール類」の代謝変換経路を示したが,このうち ホップに主に含まれるのはlinalool, geraniolであり,残 りの3種はあまり含まれていない.また,linaloolを含ま ないホップはないが,geraniolはより品種間差が大き く,ヨーロッパの伝統的なホップ品種にはあまり含まれ
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● 化学 と 生物
図2■Cascade, Bravo, Mosaicを 用 い た ホップ添加時期変更試験におけるモノテル ペンアルコール類の発酵挙動
タイミング1, 発酵開始時添加;タイミング2, 主発酵3日目添加;タイミング3, 主発酵終了 時添加.
ておらず,「クラフトビール」で好まれるアメリカの品 種には多く含まれている(4, 5).
ホップにもともと含まれるlinalool, geraniolはそれぞ れラベンダー様,バラ様のフローラルな印象の香りだ が,geraniolから酵母により変換されるβ-citronellolは レモン,ライム様の香りがあり,発酵後のビールにlin- alool, geraniol, β-citronellolのすべてが共存すると相互作 用により柑橘様の香気が強まることがわかっている(4, 5).
ホップの香りは酵母に醸される
一般にビールの製造工程では,麦芽をもろみにして糖 化させ,麦汁ろ過で固形分を除いた麦汁にホップを投入 して煮沸し,冷やした麦汁に酵母を加えて発酵させる.
このホップの投入方法だが,ホップの苦味成分は,煮 沸の間にホップに含まれるα酸がイソα酸に構造変化し て麦汁に溶け込むため,苦味を十分につけるには煮沸の 始めにホップを添加する.これは「ケトルホッピング
(kettle-hopping)」と言われる.一方で,ホップに含ま れる香りの成分は煮沸により揮散するため,香りを十分 に付与するには煮沸の終盤にホップを添加する.こちら は「レイトホッピング(late-hopping)」と呼ばれる.
「クラフトビール」では,ホップの香りを強調するた め,発酵工程以降にホップを加える「ドライホッピング
(dry-hopping)」という手法も使われている.ここで,
香りが煮沸の熱で揮散しないのだから,元のホップの香 りがそのまま移行するのかといえば,話はそう単純では ない.
ホップの精油成分の大部分はmyrceneなどの炭化水 素系テルペン類であり,もともと疎水性が高い/水溶性 が低いため,煮沸中にも大部分が揮散するが,発酵工程 以降にも,生成する炭酸ガスの洗浄効果によりその多く
が失われる.
さらには,図1のように酵母の発酵中には香気成分が ホップ由来の前駆体から新たに生成したり,変換やエス テル化により別の成分に変わったりもしている.
すなわち,ビールで感じられるホップ香は原料のホッ プそのままであることはほとんどなく,酵母に醸される ことで,飲んだときに感じるホップ香へと変化してい る.ホップの香りもまた「醸造物」の一種であると言っ ていいだろう.
モノテルペンアルコール類の組成をデザインできるか 図1Bに示したが,「モノテルペンアルコール類」のう ち,geraniolは麦汁中に含まれていると酵母がergoster- olの生合成に使ってしまう.ergosterolは細胞膜の構成 成分で細胞増殖に必要となるので,酵母が活発に増殖し ている発酵の初期には「モノテルペンアルコール類」の なかでもgeraniolだけは激減するという独特の挙動を示
す(4, 5)(図2も参照).
前 述 の と お り,geraniolがβ-citronellolに 変 換 さ れ,
linaloolと3成分の相互作用でライム様の柑橘香が形成さ れるのだが,geraniolリッチなホップを使ったとして も,発酵初期にgeraniolが激減するため,ビールに含ま れるgeraniol, β-citronellolの含量は十分に増やすことが できない.
それならば,発酵の初期を避けてホップを添加すれ ば,geraniolを増やせると考えられる.そこで,gerani- olリッチな「フレーバーホップ」品種(Cascade, Bravo, Mosaic)を用いて,ホップの添加時期を3水準(酵母添 加前,主発酵3日目,下し(主発酵終了時))で比較し てみた(5)(図2).
その結果,geraniolは仮説どおり,発酵初期を避け,
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● 化学 と 生物
図3■Apollo, Simcoeの単独およびBravoとのブレンドホッピ ング試験におけるビールのプロファイル官能検査結果
Apollo, Apollo 0.8 g/L; Apollo+Bravo, Apollo 0.8 g/L+Bravo 0.4 g/L; Simcoe, Simcoe 0.8 g/L; Simcoe+Bravo, Simcoe 0.8 g/L+
Bravo 0.4 g/L; すべてレイトホッピング.
添加時期を遅らせるほどビールに多く残存させることが で き た.一 方,geraniolか ら の 変 換 で 生 成 す る β-citronellolは生成期間が短くなれば生成量が減ってし まう可能性を考えていたのだが,意外にも添加時期によ らず,ビール中での含量が維持されていた.これは,添 加時期を遅らせたことによる遊離geraniolの増加と,配 糖体やエステル体のgeraniol前駆体からのgeraniolの供 給が十分に行われているためと考えられた.また,lin- aloolは,添加時期の影響がほとんどなく,発酵中の推 移,ビール中の含量がほぼ一定であった.
メカニズムは完全に解明できていないものの,この知 見によれば,ビール中のlinaloolとβ-citronellolの含量は 変えずに,geraniolを選択的に増加させることができる と考えられる.
図2の試験は,系内に添加されるホップの条件を統一 するため,ホップ香りづけをしていない麦汁にホップを 添加し,「レイトホッピング」に近い条件で熱を加えて からそれぞれのタイミングで添加したものだが,この知 見は「ドライホッピング」の間の「モノテルペンアル コール類」の挙動を理解する一助にもなるだろう.
Geraniolリッチなホップで柑橘香を強める 図2で用いたBravoは発酵前のgeraniol含量が突出し ていた.そのため,このホップをほかのホップより少な い量ブレンドすると,geraniolを選択的に増やし,柑橘 香を強めることができるのではないかと考えた.
図3には,geraniol含量の異なる2種のホップ,Apol- lo, Simcoeに半量のBravoをブレンドして「レイトホッ ピング」で醸造したビールの官能評価結果を示した.い ずれもビール中のgeraniol, β-citronellolが増加し,香味 プロファイルのうえでも「シトラス」のポイントが高く なっていることがわかる(3).
「geraniolを選択的に」と述べたものの,実際には Bravoのブレンドは当然ながらlinaloolも増加させてい る.とはいえ,linaloolはモノテルペンアルコール類の 柑橘香の構成要素の一つであるため,ブレンドによる柑 橘香のコントロールに対してはプラスに働いていると思 われる.
フレーバーホップのトロピカルな香りは デザインできるか
「フレーバーホップ」のさまざまなフルーティな香り の表現のなかに,マンゴー,グァバなどのいわゆるトロ
ピカルフルーツもある.実際,Citra, Mosaic, Nelson Sauvinなどのホップで醸造したビールからは,トロピ カル感のある複雑なニュアンスが感じられる.
先に述べたとおり,ホップ由来の「揮発性チオール 類」(3S4MP, 4MSP)には「モノテルペンアルコール 類」などの香気を強める効果がある(2, 3).その相互作用 が香りの質に及ぼす影響をモデル液の官能検査で確認し てみた.
その結果,柑橘感のあるモノテルペンアルコールの3 成分の混合モデル液に,チオール4MSPを組み合わせて みたところ,トロピカルな香りが形成されることがわ かった(3)(図4).
4MSPは前述のとおり,低閾値で,かつ特徴的なグ リーン感を連想させる特徴香を有し,特にワインの分野 では「ツゲ,エニシダの芽の香り」,ビールの分野では
「マスカット香」などと表現されてきた香りである(1, 6). マンゴーにも4MSPが含まれ,トロピカル感に寄与して いるとの文献(7)もあったが,一方で,モノテルペンアル
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● 化学 と 生物
図4■4MSPとテルペンアルコール3種のモデル液のプロファイル官能検査結果
すべて炭酸ガス含有5%エタノール水溶液のモデル液に以下の濃度の標準物質を添加したもの.4MSP, 4MSP 40 ppt; LGC mix, linalool 70 ppb+geraniol 50 ppb+β-citronellol 30 ppb; 4MSP+LGC mix, 4MSP 40 ppt+linalool 70 ppb+geraniol 50 ppb+β-citronellol 30 ppb.
コール類はマンゴーにおいてはマイナーな香気成分であ り(8),その組み合わせでマンゴー的なトロピカル感が形 成されるというのは意外な結果であった.
この知見を応用するとすれば,4MSPリッチなホップ をモノテルペンアルコールリッチなホップにブレンドす ることで,元のホップになかったトロピカルな香りに変 化させることができるのではないかと思われる.近年,
「フレーバーホップ」品種の4MSPを比較した論文(6, 9〜12) が多く出ているので,それらも参考になるだろう.
おわりに
ワインやウィスキーにおいては多くの原酒を絶妙にブ レンドする名ブレンダーの存在が知られている.クラフ トビールにおいても「フレーバーホップ」の多様化によ り,冒頭で紹介した「シングルホップIPA」だけでな く,複数の「フレーバーホップ」がブルワーにより配合 され,さまざまな香味のバリエーションが生まれてい る.しかし一方で,そういったブレンドは,ブルワーの 官能能力と経験に頼っていた側面が大きかったと思われ る.
本稿で紹介したような品種特有香のキーとなる香気成 分の特定と,その相互作用の解析は,そういったブレン ドに科学的なエビデンスを付与し,ビールのホップ香を ブルワーがデザインできる可能性を示していると思われ る.
サッポロビール社では2006年に日本で初めてNelson Sauvinを使用した商品を発売して以降,次々と開発さ れる「フレーバーホップ」品種に対して研究と開発の両 輪を回し続けてきた.そこから得られた知見を活用し,
単一のホップ品種の特徴を活かした商品,ブレンド効果
を活かした商品などを市場に送り出している.
ホップの香りにはまだまだ謎が多いが,「フレーバー ホップ」の登場以降,世界のホップ香に関する研究分野 は活性化しており,新たな知見が続々と得られていくと 期待される.今後も,新しいホップ品種やその寄与成分 の研究から目が離せない.
文献
1) 富永敬俊,デゥニ・デュブルデュー:醸協,98, 628(2003). 2) 蛸井 潔:醸協,107, 306(2012).
3) 蛸井 潔:醸協,112, 737(2017). 4) 蛸井 潔:醸協,108, 88(2013). 5) 蛸井 潔:醸協,109, 874(2014). 6) 岸本 徹:醸協,104, 157(2009).
7) J. A. Pino & J. Mesa: , 21, 207 (2006).
8) J. P. Munafo Jr., J. Didzbalis, R. J. Schnell, P. Schieberle
& M. Steinhaus: , 62, 4544 (2014).
9) M.-L. Kankolongo Cibaka, J. Gros, S. Nizet & S. Collin:
, 63, 3022 (2015).
10) N. Ochiai, K. Sasamoto & T. Kishimoto:
, 63, 6698 (2015).
11) K. Reglitz & M. Steinhaus: , 65, 2364 (2017).
12) K. Takazumi, K. Takoi, K. Koie & Y. Tsuchiya:
, 89, 11598 (2017).
プロフィール
蛸 井 潔(Kiyoshi TAKOI)
<略歴>1989年東北大学大学院農学研究 科農芸化学専攻課程修了/同年サッポロ ビール株式会社入社/2011年博士(農学)
取 得(東 北 大 学)<研 究 テ ー マ と 抱 負>
ホップ香の形成機構の解明.それを通じて 美味しいビールを醸造すること<趣味>読 書,音楽鑑賞,観劇など
Copyright © 2018 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.56.508
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