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一.八〇年代の国際関係と中東問題
一九八〇年代の国際関係は、七九年のイラン革命、ソ連のアフガニ
スタンへの軍事介入などの余波とともに始まり、イラン・イラク戦争
(一九八〇年から八八年)が示すような中東や中央アジアの諸問題に世界
の耳目が集まった。『国際問題』ではこの撰集に収録された林武が「新
しい攪乱要因としての中東―イスラームの復権と国民主義・民族主義」
(一九八〇年一月号)で論じているが、そこで指摘されているように、日
本は欧米諸国に比べて中東研究に於ける後発国であり、良く言えばイス
ラムに関するヨーロッパ的偏見から自由にこの地域に接することが出来
る立場にあったが、逆に言えば、それほど深く関わってこなかった。当
時、中近東課長から中近東アフリカ局長などを歴任した村田良平(の
ちの駐米大使、外務事務次官)が、その回顧録で書いている処によると、
村田が中近東課長になった頃は、日本の政治家はその直前の第一次オイ
ルショックの衝撃で、やっと目覚めたという人ばかりで、この地域につ
いての知識も見識も著しく欠如し、アラブ諸国やイランの指導者との深
い人間関係に至っては、ほぼ皆無だった由である。 一九八七年一〇月号が「中東の新情勢と国際関係」を扱った諸論文を載せてはいるが、情勢分析と解説に重点が置かれていて、日本の対中東政策のあり方に立ち入った文章は少ない。無論六〇年代や七〇年代にも、
その時々の中東紛争の度に時局解説的な文章は掲載されており、その意
味で『国際問題』が中東問題に無関心であったわけではない。そのなかで、
林論文を選んだのは、日本の政策の在り方について、今日でも参考にな
るような論点を含んでいるためである。なお、八二年二月号でも中東問
題について特集を組み、木村修三「キャンプ・デービッド体制の崩壊と
中東和平」、岡倉徹志「中東域内紛争の構図」、安井誠一「中東石油―政
治から経済の時代へ」、堤功一「中東の安定と日本の役割」らが、それ
ぞれの視点からの分析を示している。また、時代が下がるが、九四年六
月号で、イスラーム復興主義に関する特集(「イスラーム復興主義の現在」)
があることも書き添えておく。
二.八〇年代の日本外交
一九八〇年代の日本外交の理論・実践の両面で、最も関心を集めたの
は、七〇年代に『国際問題』が詳しく論じてきたように国際的相互依存
― 解説 一九八〇年代 ―
渡邉 昭夫
解説 1980 年代
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の深化が、実践的にも理論的にも国際関係論の重要なテーマとなったの
であるが、それを受けて、一連の経済摩擦、特に日米経済摩擦の激化で
あった。前代から引き続き、『国際問題』では、経済制裁、相互依存な
どの関連するテーマがしばしば取り扱われている。たとえば、八〇年九
月号が経済制裁について「相互依存と経済制裁」という特集を組み、小
倉和夫の「経済制裁の論理と制約―国際経済の相互依存をふまえた一考
察」、青木健の「対ソ禁輸にみる経済制裁のパラドックス」、唯是康彦の
「米国の対ソ穀物制裁」、佐々木伸の「相互依存関係の中のイラン経済制
裁」などを載せている。
本撰集では、ユニークな切り口の藤倉皓一郎「米国における『公正さ』
の観念」(一九八九年一〇月号)を採用してみた。一九八一年一二月号の
特集「経済相互依存の非対称性」(深海博明ほか)など他の関連する論考
と併せて読まれるべきである。現象的には、日米構造協議、MOSS(市
場分野別)協議、次期支援戦闘機(FSX)問題、半導体問題など、日
米間で難しい問題が続き、経済戦争などという言葉を使う人さえ現れる
という状況のもとで田中明彦は、「日本外交と国内政治の連関―外圧の
政治学」(一九八九年三月号)で、アメリカの圧力を「外圧」という概念
として捉え、外交政策の一つのパターンとして理論的に整理し、幾つか
の仮説を提示して見せた。外圧という言葉は、その後あまり使われなく
なったが、八〇年の日本人の意識が良く現われている議論である。
この時期になると、国際的相互依存が多元化かつ深化(やがてグロー
バリゼーションという言葉が多用されるようになる)して行くにつれて、
経済のみでなく、文化とか宗教とかテレビの役割など、『国際問題』誌
上で扱われる問題も多様化する。たとえば、一九八〇年四月号「日本の 国際認識と情報」が広い意味での情報を扱い、八三年三月号がコミュニケーション・ギャップを論じ、八五年三月号は文化交流政策を取り上げている。 そのなかで、技術という視点から国際システムの動態を論じた山本吉宣「国際システムの動態と技術」(一九八五年一〇月号)をこの撰集には
収録した。山本は、技術の国際システムと国際政治システムとの関係を
構造的、動態的に明らかにすることによって、「技術の政治化」の由来
を考察し、その中で日本の置かれている立場を検討している。その背
景には、日米間の先端技術をめぐる摩擦があり、一九八二年のベルサイ
ユ・サミットでの、世界経済活性化のための科学技術に関する国際協力
の呼びかけがあった。さらには、八三年のレーガン大統領による戦略防
衛構想(SDI)の提唱や先述した次期支援戦闘機(FSX)問題もあっ
た。六〇年代までの科学技術面でのアメリカの覇権が、七〇年代以降次
第に多極化し、競争的になって行くなかで技術の相互依存性を高め、自
由な技術移転を促すような国際レジームの強化が必要だと山本は論じて
いる。技術の政治化の主役には時代とともに変化はあるが、二一世紀の
世界が直面する根本問題について考察するための手引きとなる論文であ
る。なお、同じ号には、「日米経済摩擦とハイテク競争」を扱った佐藤
隆三の論文もある。
三.日本と国連との関係
登場する主役が多様化し、問題も多元化するにつれ、国際機構の新た
な役割に対する人々の期待は高まる。明石康の「内側から見た国連行政
の課題」(一九八四年七月号)は、長年国際連合の中で活躍してきた豊富
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な経験をもとに、発足後四〇年の国連の実績に照らしながら、「国連行
政」の課題を、その特性
―
最高水準の効率、能力、誠実さという個人的資質への要請と、出来るだけ広い地域から人材を出すという政治的要
請の、二つを両立させる必要があるという特性に由来する困難と闘いな
がら、効率的な国際公務員制度の確立を目指した努力がなされてきたか
を語っている。
これが、内側を知り尽くした人の手になる国連論とすれば、それと
好一対をなすのが、斎藤鎮男の「国際機関に対する日本の政策と課題」
(一九八七年三月号)である。岸内閣時に策定された「外交三原則」(自
由主義諸国との協調、アジアとの善隣、国連中心)の起草者である斎藤が、
外交の現場で、この三原則相互間の調和を図るのはしばしば容易ではな
いとしつつも、二国間外交優先に流れがちの日本外交の体質に制約され
ながらも、積極的な国連外交に努力した結果、「三原則が適度に消化され、
特殊な国際的立場を持つ日本の独特の政策として整合性を持つ」に至っ
たと結論づける。日本の「国連中心」外交のあり方については、国の内
外で論議の多いところであるが、余人を以て代え難いこの筆者ならでは
の論文として貴重である。
四.日中関係
中国問題、日中(米)関係は、この時代に限らず、全時期を通じて
『国際問題』が関心を寄せてきたテーマであるが、特に一九七〇年代末
の改革開放路線採用以後、八〇年代に入ると、鄧小平の指導下に中国の
経済成長が軌道に乗り始める一方、やがてこの時期の終りには、天安門
事件となって表れるような民主的改革を求める動きも感じられるなど、 中国の経済改革・政治改革の動向が、世界の注目するところとなって行く。中国の存在感が増すなかで、そのときどきの時局的な関心をこえ
て、近現代史における日本と中国の位相の違いが、今日の両国関係の実
務的処理にも影響を与えるのが、特徴的である。その意味で、日中両国
の近代史に占める、それぞれの位置を常に意識し、当面の外交問題を処
理することが肝要である。本撰集に収録した宇野重昭の「中国のナショ
ナリズムと日本のナショナリズム―近代化における未熟な国家の衝突」
(一九八七年七月号)は、日中戦争五〇周年を迎える時点で、中国の近代
化についての歴史家の見解を日本の近代化の諸特徴との比較で論じて、
それぞれの近代化の課題とナショナリズムの意味を考察している。いわ
ゆる「歴史問題」を直接論じているのではないが、大局的に両国の近代
化の特徴を「比較史」的に捉える試みとして時局を超えた価値を持つ論
文である。なお、同じ号には、日中戦争研究史の新しい傾向を論じた姫
田光義「日中戦争史研究への新しい視点」や、中国側の抗日戦争史観を
扱った辛「中国の抗日戦争史観と研究状況」の論考も載っている。
このほか、中国に関しては、一九八〇年四月号の岡部達味「転換期に
立つ中国研究」、同年五月号の毛里和子「緒についたか?中国の調整政
策―北京・上海再訪記」、八一年五月号の細谷千博「日・米・中三極関
係の歴史的構図」、八二年六月号の木村明生「中ソ関係の新動向と展望」
および宇佐美滋「台湾への兵器供与をめぐる米中紛争」、八三年四月号
の小島朋之「中ソ関係と日本外交」、八四年二月号の平松茂雄「中国の
国防近代化政策と軍の動向」など、きわめて多彩な論文が掲載されてい
る。
解説 1980 年代
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五.核拡散の問題
これらとは異なる性質の問題だが、NPT条約一五年に合わせて組ま
れた核不拡散に関連する論考からなる特集「核拡散―四〇年目の検証」
(一九八五年八月号)があることにも言及しておきたい。矢田部厚彦が「核
不拡散条約一五年の回顧と展望」でNPTレジームの一五年について回
顧と展望を書き、技術的側面から論じる平田實穂(「技術的側面からみた
核拡散問題」)、パキスタンの事例を扱った高橋正雄(「開発途上国の安全
保障と核開発―パキスタンの事例を中心として」)の他、金子熊夫(「核拡
散問題の今日的意義と日本の役割」)が核不拡散問題の今日的意義と日本
の役割について論じている。非国家主体への核拡散はまだ、問題化され
ていなかったが、核不拡散問題と国際政治が、次代の大きなテーマとな
る徴候が既に現れ始めていた。それから一〇年後の九五年に、NPT再
検討会議が開催され、同条約の無期限延長がきまり、安定化するかに見
えた核不拡散レジームは、それから間もなく、インド、パキスタン、イ
ラン、北朝鮮などへの「水平的拡散」の動きが始まり、二一世紀に引き
継がれるのであるが、そこへ至る中間点として、八五年の状況を振り返っ
て置くのも意味があろう。
六.アジア諸国の経済発展
一九八〇年代の国際関係を見る上でもう一つの重要なテーマは、「東
アジアの奇跡」とよばれるようなアジア諸国のめざましい経済成長であ
り、かつて停滞や貧困の代名詞であった観のある「アジア」という言葉
のもつイメージがまったく変ってしまったことである。それにつれてA SEANやPECC(やがてAPEC)のようなアジアの地域協力の発
展にも注目が集まった。
この撰集には収録できなかったが、これらのテーマと関するものとし
ては一九八三年二月号の山影進「地域統合論とASEAN―ASEAN
の特徴と理論の見直し」や、黒柳米司の「ASEAN一五年の政治的総
括―国益と地域主義の相克」があり、また、八五年四月号のアジア太
平洋協力をテーマとする特集(「アジア太平洋の新時代(一)」)や、八八
年八月号のアジア太平洋およびASEAN特集(「アジア太平洋の国際環
境」)、同年一一月号(「太平洋協力の現状と展望」)の太平洋協力に関連す
る諸論文などがあることにもふれておきたい。
このように、中東や中央アジアの不安定化、日米経済摩擦の激化、核
不拡散問題の展開、現代化の成功とともに国際経済の面でも国際政治
の面でも存在感を高めてゆく中国、アジアのめざましい経済成長などに
よって特徴づけられたのが、一九八〇年代であったが、その終り近くに
なって大きな二つの事件があり、時代は大きく動く。ベルリンの壁の崩
壊と北京の天安門事件である。これらの事件の影響については、次節に
譲る。