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言語権をめぐる諸問題(1)

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論 説

言語権をめぐる諸問題(1)

久 我 和 巳

 2§懸軍5月、富識察の中古車販売店に、イスラム経の整輿εコーラン」が投 げ込まれた。その販売店はパキスタン人によって経営されてお鯵、アラビア語 の原文の記された「コーラン」は無惨にも引き裂かれていた。この暴挙の知ら せを縫いて、パキスタン大縫館の職員をはむめ、全国のイスラム教縫数吾人が 集まって抗議行動を行った、と新聞報道は伝えている(朝霞新聞5月238参類)。

六情と五行を旨とするイスラム経の教えの中にあっても、啓輿としての「コー ラン」の占める位置はきわめて重要なものである。i4雛紀後楽、ラテン語から 英訳されたウィクリフ諏聖書が続くキ陰スト教の斎教や宗教改革に大きな影響 を及ぼしたように、勉の宗教の聖典の多くは少なくとも表面的には「翻訳可能i

とされ、その拡大・受容の(誤解も含めた)方法に密接に関わってきた。それ に対し、神(アッラー〉の言葉に手を憩えることなく書き写したものだとされ るイスラム経の「コーラン」はアラビア藷以外の言語に翻訳された途端に、本 来の聖典としての懸鐘を失うくらいに貴重なものである。イスラム教縫にとっ て、それは単なる遺墨としての言葉からなる一瞬の書麹ではない。預言者の霞 を通じてっづられたその言葉は、聖なる文字の集積であり、吟唱されるときに は神の言葉そのものである。それが破む捨てられるときの心の痛みや疼きを想 像する力を、私たちの社会1まいか1こして育んでいくことが藩籬なのだろうか。

 その聖典を破撮した行為の当事者が、その意味を十分に理解していなかった か、あるいは、逆に一定程度までは理解した上でそれを行ったのか、現時点で       一i一

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行政縫合i論集 第鍵巻 第i号

は詳らかになってはいない。文化的背景や母語の異なる人々が共生する被会に おいて、多文化主義を推進しようとすれば、多くの問題が生じてくるだろう。

均質的・購質的社会を檬鬱していたころには、考えられることのなかった開題 が妥鞍懸されてくるのである。翻訳・選訳・出版・教育をはじめ諸氏篠、諸集 墜の文集・書語・慣習を保証するための経済的ヨス臥蟹畏鹿家の主流となっ ている文乾への逆差購感の発生、諸畏族同士の軋轢が移入されることへの懸念、

労髄毒場の狭醗化への不安感など、ともすれば、撰外主義への逆バネにもなり かねない契機が現れてくると言っていいだろう。

 繰り返し言われるように、「蟹鰹乾3の時代にあって、地者の文化との向き 合い方、接し方は、これまで以上に切実な問題として突き付けられている。わ が蟹においても、私たちの地域においても、留学生、外国人労鐵者、難民など、

これまで以上に、多くの、そして、多様な異文化の所有者と付き合いながら、

関係を築いていかなければならない。それは、生活様式、宗教、習撰、書語を 始めとするあら塗る文化的現象について、§己と地者との鷺で、一つ一つ立ち 止まって考察し、隅一性と差異について確認し合わなければならない問題なの である。

 かつて、アメ1ナカ合衆国における民族融合のモデルを「人種のるつぼ

(鵬磁錘ぎ鈴tMという表現で表していた時代があった。極めて楽天的に、多 様な民族・言語・文化が共存し、それがるっぱの申で混ぜ合わせられることに よってさらなる発展が難待されるという考え方は合衆国建蟹以来の基本的なイ デオ霞ギーの一つであったが、現実に起こっていたのは、政治的・経済的な実 権を握っていたアングロ・サクソンによる、飽民族に蝉する文化的・言語的な 擁狂と懸化の歴史であった。それに対し、近奪、言われるようになってきた新 しい比喩であるヂサラダボウル鮭会」は、先住民としてのネイティヴ・アメ1タ カン、娯隷貿易のもたらした黒人集懇、ディアスポラの結果としてのユダヤ人・

アジア系移民、ヒスパニック、その難多くの民族が継承してきたそれぞれの文 化的遺産を尊重すると講時に、勉民族の存在や文化・言語に難して良好な関係       一2一

(3)

言語権をめぐる諸鶏題(i)(久我報琶〉

を築きながら、統一された縫会を維持・形成しようとする姿勢を表愛するもの であろう。それは多文化主義、および、それに基づく多文化教奮を支える基本 的な主張でもある。ただし、その主張に基づいて、具体的な社会を建設してい くことは、頭の申で想像するほど容易なことではないし、購化主義、多文化主 義の職こもその§的・方法・効榮をめぐって様々な論争がある。

 その論争の中心的な課題の一つは、露語の問題である。言うまでもなく、善 語は、指示対象を憲実に再現し、単に醒人と鰯人との譲のコミュニケーション を覆う中立的な遵興ではなく、一つの民族集醗の生活轡界の籟躊化にきわめて 重要な役割を果たしている。人は、霞らの母藷に継承されてきた、音声とその 体系、語彙素、文法範躊などに応じて、露分自身を取礎蕾む漫界を認識し、そ れぞれの生活琶界における文化死を経験し、さらに、それを耀いて、集懇の中 で獲得された知識、伝承、慣習を次の重代に伝えてきた.購時に、言語は、J.

L.オースティン等の言語行為論が縷証してきたように、祇会の申で能動的に 人と人との鮭会牲・麗係牲を作鯵出し、新たなる状混を生産した鯵、すで1こそ こにある現実を変形したり、操作したりしてきた。そのことを認識すれぱ、異 なる言語が出会う社会にあって、政治的に行政聡がどのような言藷を公難語と

して選検するか、社会が特定の言語にヘゲモニーを認めているときに纒人が鮭 会的ステイタスを獲得するために嚢らの母藷に超えてどのような書籍を学んで いくか、逆に、民族の伝統的遷座を守っていくために飽露語の侵入にいかに端 越していくかということが、必須の議題としてたち現れてくる。蕎能ならば、

人類のすべてに共通に通馬する普遍的言語を饒遽し、おそらくは強麟的に、す べての嬰麗にそれを教え込む方が、はるかに効率的な人聞娃会を生み出すこと ができるかもしれない。実鰹に、屡民蟹家の成立に関わる国家語の麟鐵、穂艮 地における1司化政策1こは、そうしたイデオ覆革ーが鵜的に現れていたと書って もよいだろう。しかし、国民国家そのもののありようが疑問に付され、多民族 共生の時代を遇えようとしている今§、そのような試みが永続的に効果を発す ることはあるだろうか。天にまで到達するバベルの塔を建設しようとした人遽       一3一

(4)

行政社会論集 第錘巻 第三号

の騒擾に神が怒り、人間の合議をバラバラにしたという「麟漫記嚢の伝承は、

人類の多言譲状溌を忠実に硬し讒している。その状溌を踏まえればこそ、野蛮 人(紘癒鍵簸簸)の語源とされるギ婆シア認の「バルバ欝イ」が、耳障りな、

不快な音の連な鯵を表し、異なる言語の語者を蔑むことばであったことを患い 浮かべればこそ、今8の量界において、異なる言語が、異なる言語の話者が、

鰐等な立場で鐵会うことが可能であろうか、可能ならばそのような方策が講ε られるべきなのか、よしんば可能ではないとしても、そのような鍵想に遍づく ために、行致や教育の場で、どのような方舞を打ち欝すことができるのか、議 譲されなければならない。

 もちろん、人があらゆる書語に通じ、あらゆる文化を経験することは不可能 であるが癖えに、近隼とみに言語政策とその実践としての言語謙馨が着§され てきた。先述した合衆蟹の轡を見れば、「英認を州の公購語と規定して、飽の 言語の公的綾絹を禁止することを目標とする」イング鯵ッシュ・オン》一と呼 ばれる立場と、紅州民の多様な言語と文化を保護し、振興することをめざす」

イング撃ッシュ・プラスと響ばれる立場は、総年代以降、「英語修正案葺をめ ぐって溢しいせめぎあいを続けてきた1至1。ヒスパニック系移民の多いがナフォ ルニアやフがタダで英語の公絹語化を州の憲法で定めた鰹もあれば、ニューメ キシコで複数の言藷能力の獲得を奨励している舞もあることは、きわめて象罎 的である。英語を母語とする人々にとっては、新しい移艮の流入にあたって多 言語状溌が蟹家の分藪を予見するものであり、英誘を母語としない人々にとっ ては、英語を学ばない霞む、社会的・経済的に不利な立場に置かれざるを得な いという現実が、ここにはある。多異族・多言語社会の先駆的存在であるアメ

讐力の苦憾は、これからの私たちの社会がいずれ直癒するものであろう・

 本稿では、そのような言藷政策に関する異体的な検証の予鱗段賠として、現 在の世界が壷癒している言藷の危機、それに関わる言語権の問題に臠して・険 討すること1こする。

一4一

(5)

言語権をめぐる諸問題(i〉(久我秘巳)

雁.言語の危機とメディア

 2茎轡1紀力壕冬わるまで1こ、六千ともノX千とも言われる轡1界の言語のうち、半分 が死滅するだろうと予想されている。次の饗紀には生き残った言語のうち、さ

らに多くの言藷が危機を違えるであろうことも、黛界の言語のうち、それを縁 語とする話者の数がi鎗万人を下糶る書語はほぼ鶉パーセントを占めると推計

されているけれども、そのほとんどが艶種紀までに捨て去られる薄焼姓が高い。

 もちろん、いかなる言語をも、翼寇した、静的な存在と捉えることはできな い。英語や古代ペルシア語のように支翫者の交替によって藷彙、発音、文法に 関して翻的な麦焦を遂げた籔もあれば、ある言語が時懸の流れの中で、常に内 離変化を経験しながら、変異を遂げていくことは、私たちが欝常、§撃してい ることである。今霞の民族紛争の結果として生まれる、政治的な枠緩みの変乾 を通じても、採羅される言語は変わってくるかもしれないし、商業的な取引、

宣教鰍こよる姦教活動、異文化接触の結果として作善鐵されたピジン語が、縫 代を経過してク婆オール藷として定着する場合もあろう。そして、イスラエル におけるヘブライ語卿やアイヌ認復興の運動のように、ほとんど話されること のなかった言語が、ある時代を経て、人々の溝意に基づいて復活を遂げること もあるだろう。言語の変化は、内部における変化(文法的範躊、音変化など)、

書語接姓睾こよる分裂や統合、外的要馨(自然的要鑓、技術輩新、侵酪などのi致 治的要露など)、様々な縁蠧毒こわたって現れる。しかし、2i轡紀に私たちが経 験しようとしている言語取替(璽餓g膿欝s短鎗は、かってないほど大観模か っ急速に進むがゆえに、それがどのような経過を経て進むのか、そのことがど のような結末を生むのか、また、それらの変化に薄して言語保持(至餓即age 艶滋凱繰餓ce)を背うことが璽能なのか、十分に考癒していかなければならな

い。

 多書語をめぐる状溌において、そして、消滅しっっある少数言語の状溌にお        一5一

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行政被会論集 第鍾巻 第i号

いて、最も問題になるのは、書誌の支醍・被支翫の縫係である。すなわち、先 住罠や殖民地とされた言語、霞民馨家の中に存在している少数震族、先進工業 醗における移民労勝者の書語が、政治的、桂会的、経済的に擁圧された結果、

優勢書語への書語取替が起きていくというものである。ある國の中で話されて いる無数の少数叢誌、驚綴方書、地域方言は、国畏露家の成立に伴って、身体 的な強鰹を伴わなくても、常に暗示的に言語取替を示唆されることになる。ピ エール・プルデューによれば、ヂ公購書語は、その生成起瀬においてもまたそ の被会的罵法においても、〔政体としての3睡家譜と結びついており、「(学校、

公共行政諸官庁、政治麟度といった〉公式の場面や公的な空想で義務づけられ ることで、この遜家言語=露語至餓g総6覧tatは、あらゆる警語的実践掌縷習 行動がそれに沿って客観的に灘定されるような、獲i論的媛範となる」のであ る㈹。消失しっっある叢語に目を陶けるならば、その支配・被支醗の関{系の在 り方を験試しなければならない。瞬鋳に、今8の書語と文化の霞題について、

もう一つ趨の藤、すなわち、言誘を運ぶメディア鼓術の役割を見ておくことも 必要であろう。

 中穫においては写本繕やごく少数の雛麟職人によって独占されていた文字の 技術は、グーテンベルクが発明した驚麟術によって、人々の悶に急嶽に識字能 力の向上となって広まった。しかし、文字は単に蓄声言語の機械的翻訳である のではない。音声書語が連続的に、IJアルタイムで運解される必要性を持ち、

そこに音調や身体表現などの周辺書語的要素を必然的に内包しているのに対し、

文字言語は時に時間と空襲を超越することも可能な後覚的表愛である。また、

デヴィッド・パートンによれば、文字書籍は「多くの被会でより大きな祇会的 地位を、そして、しばしば法的な影響力を持つことで、ゼ縫会的プライオ鞍テ

ィ島を獲得しているのである緒。従って、グーテンベルク以降、大量生産さ れた靉靆媒体は、騒民蟹家の成立に大きな寄与を行うことになる。ベネディク ト・アンダーソンが蚤摘するように、近代ヨーロッパの薄弱けの時代には無数 に存在していた豊穰な多様性を帯びた音声言語は、テキスト化された少数の文       一6一

(7)

言語権をめぐる諸問題(葺(久我穂巳〉

字書藷に取って代わられた。毒場を通じて頒布されるテキストは、それを通じ て糖びつく読者の業属体、さらには、「蟹蔑意識の基盤を形成」することになっ たのである難。

 騰盤紀において、事態はさらに複雑化していく。賃量紀の英蟹でPバート・

フックによる電信実験に鵜を発した有線の技術は総量紀には琶鼻の主要躯市を 結び、さらには、電話がコミュニケーシ肇ン・メディアとしての地位を確立す

る。文字や電億が文字体系やモールス信号に関する知識を獲得した者だけに麗 かれたメディアであり、基本的には書かれた言語を離れた場瞬へ送揺するメデ ィアであったのに薄し、電話は音声言藷そのものを瞬時のうちに構手に伝える ことが可能であ鯵、さらには、槍互作濡として会話を交わすことも罵能にした のである。欝量紀後半から今後紀にかけて起こった様々な技術革新は、コミュ ニケーションの範雛を嚢鰯的に拡大することになる。§動毒、鉄道網の整備、

飛行機の発明など、様々な交通機関の充実は、轡界標準時闘の設定をもたらし、

騒境を越えた自由な移動を胃能にしたばかむでなく、人々の空間感覚、文化的 帰羅意識のありように大きな変化を及ぼした。さらには、欝盤紀後半、撃ユミ エール兄弟とトーマス・エジソンによって発明された駿薩の技術は、駿壕を盤 界に講診て発億することを可能にした。写真の技術、セル籏イド、白熱電灯な どの多くの発瞬によって支えられる硬藪は、それまでは文字や伝麗によってし か知ることのできなかった異なる文化を、「動く験像ゴとしていながらにして

§にすることのできるメディアである。窃難の靉靆では、験薩は紅無声躾薩3 として、とりわけ、その蟹の優勢言語の能力が不十分な移民労働者たちにとっ て、新霧や演麟、文学などの中産鮭綴の芸備以上に意味を持っていたし、外国 で製作された綾錘の観客にとっては、その蟹の書語を知ることなしに鑑賞し、

躍解することができた.欝27年、ワーナー・ブラザース社が発表した蓼ジャ ズ・シンガー塵は、窮めての本給的トーキー貌醤として、駿像と音声との金棒 を試みる。つまむ、言語が駿像と一体となって、穫界に発信することができた のである。やがて、ラジオ・テレビや衛星放送、そして、インターネットが人々       一7一

(8)

徳政鮭会誌集 第欝巻 第i署

の姿を、声を、文字を乗せて轡界を駆け巡ることになる。

 文字言語と奪麟技術との融合が周辺的な、文字化され、靉靆されなかった音 声言語を徐々1こ駆逐していったことを考えれば、今轡紀に起きているより大綬 模な広が吟をもつグヨーバル化が、単に羅戻覆家の枠緩みを超えた経済的諸活 動にとどまらないということは言うまでもない。書譲を覆うメディア変容の過 程をたどっていくならば、政治や経済の力関係において、そして、ポピュラー 音楽やハ撃ウッド駿嚢を通じて、最も大きな影響力を騰えているのは、英語で ある。文化におけるヨー欝ッパ中心主義を講じながら、エラ・ショハッ秋濤 バート・スタムは次のように記している。

擁象的実体としての言語は、懸値の繕藩牲の中に存在しているわけではない が、生活の中の書認は権力の詳皆屡桑甕の申で作題する。権力の戯れ,の中に亥蕾ま れた書誌は、ヨー霧ッパ中心主義に典型的な文髭的繕矮性に取り込まれてし まっている。と鯵わけ、英語はアンダ讐・アメ写方の権力、技衛、資力の誹 薩を推し進める言語的機能としてしばしば役立ってきた。ハ琴ウッド駿画は、

霞分の役割として、帝露の育んだ言語的轍鰻を暴露してしまう。ハ皐}ウッド は露分の蟹の麹語だけでなく、地の蟹の物議を、アメ1ナカ人に薄してばか鯵 でなく、縫の蟹の人々に海けて認ろうとした。それは常に英語によるもので

ある幡。

βバート・フ君タプソンが「警語帝蟹主義」と辱んだのは、「英語と縫の言語 との間にある構造的・文化的不平等」の結果として現れる「英語支翫の購築と 保持」に他ならない{字}。この帝蟹主義は、武力をかざした強権的な政治的独占、

巨大資奉の集積による経済的独占とは異なり、英語教育や文化的劇チティクス を通じた暗黙の支配である。もちろん、その支醗言語は英藷に鰻つたわけでは なく、睡星羅家の内部で、単一言語化を霞捲すイデオ霞ギーが存在するところ、

あらゆる地域で趨こり得るものである。 トルコ、イラン、イラクなどにまたが        一8一

(9)

言語権をめぐる諸問題(i)(久我種駐〉

る中東最古の言藷の一つクルド語に対する鄭圧、旧宗主蟹の言語と蟹家の内部 に複数存在する民族語の閤題を携えるアフ撃力諸蟹、明治維新以降の欝本とア イヌ語、朝鰭認、中石語などとの閣係など、数え始めれば、教学にいとまがな い。さらに、そうした言語帝国主義の浸透に梓って、異なる母語の持ち主同士 が、優勢書藷を羅矯しながら、コミュニケーションを鐘ることも可能になった のである.したがって、少数善誘の亀機にあたって考えなければならないのは、

優勢言藷、覇権的言語の支醍を告発するのではなく、その支醗・被支醗の関係 性において、なぜ少数言語を保持しなければならないのか、そのために侮が可 能なのか、ということである。

2.言語権とは何方、

 欝48年の蟹連総会で採択された「饗界人権寛喜落第2条では、人種、皮膚の 色、性、宗教などによる差騒彗に換えて、警語による差勝があってはならないと

されているが、実際に言語に閉する権利が主張され、その具体的方策が模索さ れるようになったのは、ごく逐年のことであ鯵、覆連で「言語的少数者に羅す

る権秘の坤長と保護について」記された「民族的又は種族的・宗教的及び言語 的少数者に属する者の権利に麗する宣言韮(マイノ婆ティ権利宣言)181が採択さ れたのは欝§2年のことである。卜一ヴェ・スクトナブ=カンガス、ロバート・

フイ婆プソンによれば、

様々な理由で、生犠学1こ基欲・て主張された人種潮紅ra総麟が維持で きなくなったとき、権力や資源の不平等な分醍を正当化する震の基準を見つ けることが必要だった。大抵の蟹では、生梅学に基づいて主張さ視た人種差 霧は、より洗練された人種差騨の形態であるヂ民族差畷」(8犠盤。童s溢〉や

「言語差騨態簸g盛。童s灘)にとってかわられる遍程にある。これらの差鱗は、

多様な集懇の民族性、文化、言語を、定義する基準、躇矮化のための基礎と        一9一

(10)

行政鮭会論集 第鍾巻 第王署

して縫濡する鰯。

霊藷に対する蟹家の介入は昨今になって始まったものではない。醤語の盛衰に 聞しては、時の国家権力による特定の書藷に韓する優遇懸銭、少数者の言語に 薄する弾圧、擁旺の歴史が深く関わってきた。言語を単にコミュニケーション を襲るための中立的な遊具とみなし、畷収・同化政策の一礫として推し進める こと、少数言語の講者をしてそれに異を曝えることなく唯々諾々として従わせ ることが驚能ならば、民族の文化、蔑族のアイデンティティ、少数者の言語に ついて、その盛衰について講じられることはなかったであろう。しかし、逓年 において、主張されている言語に蝿する権萃彗とは、それが基本的人権の一つで あること、そして、それが侵害されたときには、暴力や紛争の撮沫ともなむ得 るという観点である。r世界中のほとんどの地域で、六千以上の言語の話者が 母誘を遜じて、教育を受ける権利、裁鵯や地方行政のサービスを受ける権利を 奪われている」饗実においては、言語権とは「(単数であれ、複数であれ〉母 譲との闘わりにおも、ては、それ(ら)と購一化し、それ(ら)を蝶介として教 育や公的サービスを受ける権利葺であむ、野砲の言藷との縫わ瞬こおいては、

居住蟹の公的言語を、その標準的な影式で学ぶ権利婆と矯定される繍。

 いずれの書誌においても、飽の言藷と差異を持ち、独§の蓄鰻、統語法、意 味講的購造を保持している.それはその言語を使濁する人々の鰻界観、§然覆 境、産業構造と密接に関わっている。言語権、言語と民族の文化の問題につい て考えるときに忘れてはならない撹点の一つは、文銘相対論として知られてい るものである。(色彩名称、親族名称も含めた)語彙体系における嚢界の分節 化、文法構造がもたらす愚考や表現の方法との総連はどこにあるのか。アメリ

カ先住民の多様な警藷糧界を講歪して、r二つの異なる言語が、同じ蛙会的理 実を表していると言えるほど似ている夢彗は、まったくない。異なる社会のある 量界は、その符号のつけ方が異なっているだけの講じ麗界ではなく、それぞれ 独自の盤界であるゴとエぎワード・サピアは述べた鋤ゆまた、サピアの薫陶を        一欝一

(11)

言語権をめぐる諸問題(i〉(久我秘駐〉

受けたB.L.ウ孟一フは、人が「母語によって規定された線に鍵って§然を切 む分け]ながら、様々に錯綜した外界の現実の綴織化にあたって、「綴織化が 人の頭の中にある言語体系に則して行われる」と遊べた鰺。もちろん、言語が 量界に嬉する人聞の見方、考え方、慰む方を決定すると藪足するわけには》か ないし、穫としての人闘の同一性と差異の在鯵方について書語の役割のみを過 大に評癒することはできない。しかし、サピア=ウォーフの飯議として知られ る文化縮対論の考え方が、近代西欧の愚考の枠縫みを絶端境するのではなく、

まして、少数者の言語のr後進性」に麗する主張への強力なアンチテーゼであ ったことを忘れるわけにはいかない。その上で、騰量紀のグ欝一バルな資本1主 義が書語の市場という考え方に基づいて、一見したところ、霧然淘汰にゆだね

る形で言藷の消滅という亀機を邊えているのだすれば、もしくは、第三穫界に おける醗発の波が多様な生命体の住む生態系だけではなく、文化の歴史を現在 において顕現させもする言語の死を余儀なくさせているのだすれば、書誌招難 論の持つ意秣をもう一慶、肝に銘じておく必要があるはずである。

 危機に瀕した少数言藷に繋越するために、ユネスコは彗ンガパックス(書語 率穂)プロジェクトを発足させ、多言語教育、言語・文化的多様性の尊重に向 けて動き墨した。子どもたちが観たちの受け縫いできた言語・文化を、再び継 承していくことができるのか、その異体的な実践が潤われている。轡界を均一 化しようとするグ讐一バ移ズムを検証しっっ、ダニエル・ネトルとスザンヌ・

ロメインは次のように遽べている。

わたしたちすべてが  言語学者ばかりでなく、窪分たちの書藷が脅威にさ らされている人々だけでもなく一信軽している事舗の重大牲に気づき、そ れを睦むための努力をしなければならな塾理由がいろいろあると患うのであ

る。すぐれて人懸的な発明として、言語は、文化、技術、芸衛、音楽など、

主としてのわたしたちのためにありとあらゆることを可能にしてきた。言語 のなかに{人類が蓄積してきた知恵のすべてがある。ひとつの技術はまた磯

一ii一

(12)

行政娃会講集 第錘巻 第i号

の技術で代薦可能であるが、書誌にはこれは当てはまらない。どの言誘も世 界へ窮かれた独§の窓をもっている。どの昔語も生きている博物館であむ、

その媒体となってきたあらゆる文化の記念碑なのである。善誘の多様牲の一 藻が消失すれば、それは私たち全員の擾失となる。それを鰻止するための行 動を起こすことができるなら、なおさらである。さらに、どの民族も、嚢分 たちの言語を文化的資瀬として保護し、子どもたちに伝達していく権舞をも っている懸。

3.ドキュメンタ縫一ゼクレイジー・イング鯵ッシュ選と言語の 選択

 書誌権をめぐる問題は、少数民族の書譲の保護、一つの霞家内における言語 的多様性の維持とそれらを母語とする人々の権利に関わるだけではない。麩本 においても、「二十一量紅霞本の構想雌懇談会は「英藷の第二公爵語紀」案を 提曝した。屡藻雛会における政治・経済の場において、飽鑛に伍して蝿等な競 争力、発言力を維持していくためには、中学入学後から英語を学ぶだけでは十 分ではなく、第二公署語としてさらに地鼓を高めていく必要が論じられた。こ の撰書についてはすでに多くの議論がなされてきたが、ここでは、ナショナ讐 ティと英語の聡わりを見ていくために、一本の鍵函を取鯵上げよう。

 会場を埋め尽くした醗衆が一斉に声を発する。あたかもロックコンサートの 会場にでもいるかのように、ステージ、との人物に合わせ、人々の身振善が均一 の線を痛いて、増偏していく。やがて熱気は会場全体を包み込む。ステージに いる人物の名を、李陽という。中馨全土を駆け回る英譲伝道緬である。中馨の インディペンデント硬癒蟹クレイジー・イング1藷ッシュ逼(標題ゼ癒狂英語雌、

驚弱年)は、英語の啓蒙を目指して精力的に講演活動を続ける李陽の一挙手一 投足を追ったドキュメンタリーである。中石全土に三膳人の英語諸者を欝てる ために、彼の英語学習法は、「できるだけ速く、できるだけ大声で、できるだ        一通2一

(13)

欝認権をめぐる諸問題(i)(久我穂狂〉

けはっき蔭と」繰り返し英語を声に産すことを旨とする。麟をかくことを恐れ るな、身体全体で英認を学ぼう。音声1ますべて身体を縫ったジェスチャーによ

って示される。北京の紫禁城、ディスコ、大学、橋の上、黒竜江省のアイスホ

,ソケー・スタジアム、新彊ウイグル自治区の街角、湖南省の大公躍、人々の集 う所、あ鯵とあら締る場所で、李陽先生のジェスチャーが人々の身体と曝を震 わせる。万里の長城では、整然と腰を下ろした解散軍の兵士達が彼の指示に従 いながら、楽しげに声を讃している。李陽は訴える。中蜜語を議す人4)窪腔筋 は完全に申蟹的になっている、英藷を話すためには中震的な筋肉を鍛え直して・

インターナショナルな筋肉に変えていかなければならない。中国人に必要なの は珊や挫折を乗吟越えて、侮かを成し遂げることを通じて嚢懸を身に付けてい くことだ、そう、英語を饑し、蟹を興そう。英語を学ぶ蟹的はたった二つの琶 葉で十分だ。 M&藍e MG捻ey!

 一晃したところ、英藷学習熱に麗する国家的ムーブメントの現状を描くと岡 持に、強熱な醒姓を持った善良な青年、李隆の英語教育識の普及豊伝に寄与し ているかのように見えるこのフィルムは、しかし、彼の講演の様子を繰む返し 躾し鐵していくことで、次第に現在の中国そのものを見据えたコノテーシ璽ン を帯び始める。外蜜語の知識を持つだけで迫害の頬象となった文化大革命の時 代は終わった.改革儲放跨線、急速な経済成長ととも1こ、噺劉と醗謙

るニュー日タッチ屡が形成されていく。そのために共通に求められているのは、

英語とコンピュータの知識1こほかならない。李陽の講演は、こうした人々のひ そかな欲望をくすぐりながら、極めて異体的に彼なりの婁界観を提示してみせ る。轡界の三大毒場はアメ撃力合衆蟹、ヨー露ッパ、懸本である。とりわけ、

馨本の英語市場は大きい、ジャパニーズ・イング1タッシュは糧悪なものに邊ぎ ないから、英語を習得することで、8本における英語教緬への遂、ビジネスの チャンスも開ける。ig37奪の事{勉こついて最近の子供たちの関心は薄い、この 無麗心は中国の恥辱であると購時に、本当に憎むべきなのは自分たち霧身であ る、自分たちの弱さが侵酪を招いたのだ。努力をもって民族の誇りを取り戻し、

      一i3一

(14)

行政縫会論集 第賛巻 第i号

中国の声を全嚢界に響かせよう。懸盤紀は我々が繊芥の人々に中国語を教える 時代毒こなる、2i糧1紀のために英毒吾を学ぼう。

 躾錘監督・帳元が李瞬の講演の様子を繰む返し描疑たのは、李陽の英語教育 とそれに熱狂する人々の姿に無規率彗に逓合するためではない。瞬示的に言語化 されているわけではないにせよ、その皮肉な撹線罵カメラは、李陽の講演が聴 衆の賠穰、職業、居住地域によって微妙にニュアンスを変えていくことも晃逸 してはいない。髭京の清華大学では学生たちの工撃一ト意識をくすぐむ、新彊 ウイグル蒙治区のウルムチでは都会の子供たちと嬉琵させながら彼らの欝尊心 をあおる。上海のビジネスマンたちを権手にするときは企業の国鰹競争力を説 きながら、轡界で競争するための遅念を語る。コミュニケーションが結局は纒 と燧の対鋳する瞬間に生じるということを暗黙裡に語っている一連の講演験像 は、こうした微妙な「ズレを含んだ繰り返し」によって、共示的な意味を獲得 することになる。そして、そこに、自尊心に帰するミクロな麟激の積み重ねの 上に、ある種のナシ蓑ナ摩ズムの成立していく過程さえも見ることも可能にす る。さらに、貌嚢の中には、ところどころに短いインサート・カットが挿入さ れている。李緩の英語ビジネスを支える販売綻進部の社員たち、講演会場の外 灘にたむろするチケット売むの人々。対照的に、広場の一角を占める悠揚邉ら ざる老人たちの太極拳、羅態依然とした静かで厳しい農作業の現場、講演会場 の熱狂の金閣に撲み込まれた暗闘の止まったような風景。

 インディペンデント験薩にせよ、ドキュメンタリー験懸にせよ、ようやく黎 瞬難を超えたばかりの中蟹駿癒に、r最も科学的な立場から現実を考察し、そ の蛙会的、経済的関係の集約したポイントを摘聾して、それを製麺に想像し、

表現する  麟造的麟化する方法」としてのドキュメンタ婆一を難待するのは 難しいかもしれない。天安門広場を静かに見据えた張元のかつての昨贔ゼ広場遜

(i鱒違)で、警官激の妨害が描かれている瑳実を患えば、なおさらのことである。

したがって、李陽という人物の極めて魅惑的な入閣像、駿露全体を包む込んで いる堂々たるエンタテインメント姓の陰に、駿露作家のメッセージを読み皺む、

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言語権をめぐる諸縄題(聾(久我鞍置)

愚考すること1ま観客の手に委ねられている。しかし、警語と文化的アイデンティ ティ、雷霆盤を契機としたナシ垂ナ1タズムの構築、母語からの逸脱とコミュニ ティのあむように関する考察は、我々にとって無縁ではないはずである。

 i8総隼、当時、幕府開成羨反訳方を務めていた藏高密が、十五代将軍・徳羅 慶喜に上申した建露書「漢字舞廃止之議藤以降、El本語もまた、近代牝しっっ ある社会の申で、その存在意義、文字表記の方法、言文一致体をはじめとする 表現彩式をめぐって、講談が重ねられてきた。中蟹からの鱈霧に遍ぎない漢字 をどのように敬うべきかについては、かな表記、ローマ字表鑓が提案されたし、

維新霧における森有礼の英藷裸馬論、数戦後すぐに理れた志賀直裁によるフラ ンス藷採騒きなど、霞本譲ま常に、盤知 強から見れば、悲観的に過ぎるほ どに嚢欧から移入された近代の思想、哲学、科学技術について認るには不十分 であり、近代イとの雄i進のためには欝本書吾に端する{薄らかの改革癖必要であると

されてきた。しかし、こうした悲観主義が、合わせ鏡のようにナシ糞ナ弓ズム と表裏一誌の関係にある薄能性は十分にある。逓代の醸本語政策が、西欧藷に 対する劣等感とアイヌ藷や朝鮮語などに対する覇権主義との懸で行きっ戻りっ しながら、結果として、響本語の言語帝轟主義を醸成してきたことを思うとき・

「言語権」とその政策的立案をどのように考えればよいのだろうか。

 言うまでもなく、優勢言語聞書こおける書妻吾権を保護1したり、奨励したセ}する ことは、真の意秣での言語権の確立にはなりえない。また、優勢言語の持つ社 会的地位への橦撮は、その言語への取替の動機付けを奨励するばかりではなく、

自己の母語を優勢言語にしょうとする渇望と連なる可能性もあることも、意識 しておく必要がある。ドキュメンタ1ナー駿露ゼクレイジー・イング琴ッシュ墨 において、人々は一体、侮に蝿して歓呼の声を発していたのだろうか。

 次章以降において、「言語権」をいかに捉えるべきか、その歴史的経緯と異 体的な方策のありようについて、検討する。

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鴛敬蛙会議集第錘拳第i号

麟 本名嬬行、「アメ写方の多言語潤題  イング導ッシュ・意ン婆一とイングヲッ  シュ・プラスの運勢から」、(三騰穏孝・織、蓼多言語主義とは講か菰藤原書籍、

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(21 もちろん、ヘブライ譲は、ユダヤ教の長も、歴史の中で、「威落書藷」として家  教的儀式の中で綾灘されてきたから、厳密に露語復興の擁として数えることは  できないかもしれないが、薩常語としての復活に関しては注馨に鑓しよう。

麟 ピエール・ブルデュー、ゼ議すということ一書語麟交換のエコノミー素(穏  賀繁美談、藤原書籍、欝§3葺)、登、認

麟 B継も。簸,D.L漉確鍬護箆∫漉雄鹿厩。琵 孟。漉εEc爾ぎy oゾ膨r魏ε趨  L醗9総92,(臨ckwe建,ig9導),登.8嘆

151ベネディクト・アンダーソン、ギ懇繰の共闘体一ナショナ瞬ズムの趨源と流  行ま、(護石隆・壼石さや訳、1タブ韓ポート、鯵87奪)麹.83纏

麟 翫。擁t,冠.a寵Sta盈,麓、び醜為蹴島魏9醜roむε説掩s醗,擁流離醜確漉醗

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181資料については、露語権暴究会織、ゼことばへの権秘一霞語権とはなにか雌  (三元桂、欝9§奪)、鐙.慧8略β参照。

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麟 ダニエル・ネトル、スザンヌ・βメイン、ゼ構えゆく書藷たち 失われること  ば、失われる逢罪』(島轡宣男談、新曜社、2韓i隼)、灘.2墾22

一絡一

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