プーチン首相への提言をめぐって
下斗米 昨年(2011年)
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月にロシアのカルーガで行なわれたバルダイ会議〔各国の ロシア研究者を招聘して開催される国際会議〕でもお会いしましたが、こうして東京で 再会し、昨今のホットなロシア情勢について議論できるのを非常に嬉しく思います。プーチン首相が大統領選への立候補を表明したのが
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月。そして下院選挙が行なわ れ、その結果を受けて反政権デモに発展した12
月以降、ロシアを取り巻く状況は急 激に変化しています。この3
月(ロシア大統領選挙)に何が起こるか、非常に興味の あるところです。本日は、バルダイ会議のメンバーで、11月の会議を踏まえてプーチン首相への提 言を行なうという役割を担っておられたコルトン教授をお迎えして、来る大統領選 挙を見据えつつ、今後のロシア政治体制の行方についてお話を伺いたいと思います。
まずはバルダイ会議の印象について、特に下院選挙以後の進展をどうみているか、
お話しいただきたいと思います。
コルトン さっそくバルダイ会議の話題から始めるのですね。おっしゃるとおり、
私は会議で交わした議論の内容を、モスクワで行なわれたプーチン首相との会談で 要約して説明することになっていました。
米国ハーバード大学政治学部長・教授
聞き手
法政大学教授
私の発言の要点を述べますと、ロシアで政治体制の変化を求める圧力が高まる一 方なのは、とりわけ長年にわたり毎年
1度バルダイ会議の場で接点をもってきた会
議メンバーの多くにとっては、明らかだということでした。というのは、現体制に なったのはもう10
年以上も前のことで、その間世界情勢は変化し、ロシアも、プー チンも変わりました。にもかかわらず、非常に硬直的な政治体制は変わっていませ ん。かたやそうした政治体制と、かたや変化に富んだ社会、その両者の折り合いを つけるのは難しいことだと思います。ですからメンバーを代表して、「あなたが築い た体制の有効性は限界に達しており、これ以上の発展は不可能に思える。それが現 状だ。時代は何らかの変化を求めている」、そんな内容のことを伝えました。私がロシアの体制は限界に達していると言ったとき、通訳は、体制が崩れ始めて いるといったニュアンスを指す
sistema ischerpana
という言葉を使ったようです。それ はやや正確ではなかったのですが、会議メンバーの代表者である私の発言に、プー チンはいつもどおり注意深く耳を傾けていました。それから、彼はこの6― 8ヵ月間、
ジャーナリストからの同じような質問に何度も答えてきたように、礼儀正しく、や や鋭い口調で持論を述べました。バルダイでわれわれが目にしたのは、未来につい て問い詰められると過去を持ち出すという、他の場面で多くの人が目にした彼のお 決まりの反応でした。私に対しても、まさにそういう答え方をしました。
彼は「内戦」という言葉を使いましたが、かつてのロシアを理解してもらわなけ ればいけないと言いました。ロシアには内戦があった。 グルジアなどで一連の分離 運動があり、チェチェンで紛争があった。インフレに通貨危機もあった。新興財閥
(オリガルヒ)の力があまりに強大だった……といった過去を。「何か手を打つ必要が あったから、自分たちがそれをやったまでのことだ」と述べ、途中で「もしそれが 誰かの気に障ったとしたら、お気の毒なことだ」とも発言しました。あれは私に宛 てた言葉だったと思います。いかにもプーチンらしい切り返しでした。
ひとつ思うのは、今ならプーチンの答えは違うだろうか、ということです。モス クワでの会議は11月
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日頃でした。それから2ヵ月しか経っていませんが、今や状
況が大きく変わったからです。仮に今のプーチンの言動が違ってきているとすれば、それは彼自身の考え方の変化というより、彼がおかれた環境の変化を反映したもの だろうと思います。
ロシア版オレンジ革命?―ロシアのシステムに何が起こっているのか
下斗米 これまでモスクワでそんなことが起きるとは想像もできなかった、ウクライ ナのオレンジ革命のような動きが起こったことは大変印象的なのですが、今回のこと が一種のロシア的な形でのオレンジ革命だったという解釈をどう考えていますか。ロ シアの政治体制、すなわちそのシステムだけでなくサブシステムに何が起こっている
のでしょうか。
コルトン それはまさに今日的な疑問ですね。
バルダイ会議やモスクワでのプーチンとの議論で も、いわゆる「Tsvetnaya Revolyutsiya(カラー革命)」 について取り上げたように思います。この問題に 対してプーチン政権が常に反発してきたのは理解 できなくもありません。
ロシアとウクライナで起こったことには類似性 があると思います。長期にわたり権力の座にあっ た指導者、ウクライナのクチマ、ロシアのプーチ ンは、権威主義的な方向に走って次第に人気を落
としていき、そこで選挙が行なわれ大規模な不正と票操作の疑いが発覚したことが危 機の引き金となった。さらにキエフでもモスクワでも、路上で抗議活動を行なったの は中産階級の、裕福とは言えないにせよそこそこの生活を送っている人々でした。12 月10日のデモを報じたある記事では、このデモを「protest sytykh lyudei(食うに困らない 人々の抗議活動)」と呼んでいます。
けれど私は、この「ロシア版オレンジ革命」説をあえて支持しません。ロシアがウ クライナと同じ道を歩むと言うには、時期尚早です。ひとつには、変化を望む多くの ロシア人がオレンジ革命と比較されるのを望んでいないということがあります。オレ ンジ革命は、その後に制度が確立されず、結局は感情的、短絡的なものに終わり、国 家を正しい方向に導けなかったとして、今ではほぼ誰もが失敗とみなしています。少 なくとも言えることは、抗議運動にかかわったすべてのロシア人がウクライナの例に 魅力を感じているわけではないということです。昨年の出来事でもうひとつ類似性が あるものと言えば「アラブの春」ですが、おおむねロシア人は「アラブの春」に似て いると言われることにも抵抗があるようです。なぜならロシア人の多くにとって、「ア ラブの春」もやはり、自分たちは同じことを繰り返したくないと思うような経験だか らです。
一方、ウクライナとロシアの状況には、いくつかの大きな相違点があります。最大 の違いはウクライナの場合、権威を失った指導者クチマは退任間近だったという点で す。2度の任期を終えたクチマは、3度目の出馬の意思はないことをあらかじめ明言し ていました。後継者もいなかった。クチマ路線の継承者として立候補したヤヌコーヴ ィチはクチマの盟友であり、彼の下で首相を務めましたが、親密な関係というわけで はなかった。結局のところ、ヤヌコーヴィチがクチマの路線を継承しようとする新た な候補者であり、いったんは大統領に当選したものの選挙の不正が明るみに出て敗退 したわけです。それに対し、プーチンは長期にわたって指導者の地位にありながらも
ティモシー・J・コルトン 教授
依然退任の意思はなく、おそらく今後も何とか今の座にとどまろうとするでしょう。
ですからロシアは、ウクライナと比べ興味深い形― そしておそらくは建設的な形
―で異なる状況におかれています。つまり、改革の立案者でなく、むしろ改革論者 が覆したいと願うような政策を実行してきた指導者の下で、改革を進めなければなら ないという状況です。かなり矛盾した、逆説的ですらある状況ですが、これはすごい ことです。言うなればヤヌコーヴィチが勝利するか、あるいはクチマが再度出馬して 自分が作った体制を改革する、と約束するようなものです。ここには信憑性の問題は ありますが、だからといって成功の可能性がないわけではない。ただ、ここでの相違 点は、おそらく類似性と同じくらい重要な意味をもつと思います。
下斗米 実は同じくバルダイ会議のメンバーで大統領評議会のメンバーでもあるアン ドラニク・ミグラニャン氏とも意見を交わしました。ひとつ私が思うのは、戦後約50 年間の日本の経験に代表されるように、国を現代化するうえで一党優位体制は適合的 であったのではないかということです。実際、ミグラニャンは日本、いやアジアの近 代化モデルを参考にすることに非常に積極的でした。現代化を遂げたのちの日本の一 党優位体制の衰退を踏まえて、この意見は妥当だと思いますか。
コルトン 永遠に続くものなどこの世の中にないでしょう。ミグラニャンがどう考え ているかはわかりませんが、たとえ、おっしゃるように日本の経験がよい前例だとし ても、20―30年それを続けたら別の方向に進むこともあるでしょう。最終的に一党優 位体制が崩れてしまったからといって、現代化が実現不可能なビジョンであるとは言 い切れません。ただ、果たしてそれがロシアでうまくいくか? ある意味、ロシアも
2000
年以降はずっと一党優位体制が続いてきました。しかしながら、ロシアの党は政 治の中心的役割を果たしているのではなく、むしろ1人の人物の延長のようなもので、
選挙に勝利し、政権をとるための手段以外に大きな役割を果たしていません。対して 日本では、党は幅広い政財界の要人で構成され、自由民主党の党首はその長い歴史を 通じて何度も交代している。さらに政策立案や利益供与といったさまざまなことにも 関与してきました。ですから、ロシアが日本との歴史的な類似点から学ぶことはでき ても、それですべてがわかるわけではありません。
ただロシアの保守層が新たな選択肢を求めているという意見には私も同意します。
ミグラニャンは、きわめて保守的な筋金入りの親プーチン派ですが、そのこととは関 係なく、彼の考えは興味深いものです。私は現代化の問題への考え方はひとつではな いと思います。
大統領選挙後の展望
下斗米 政治学者は、むろん占い師ではありませんが、3月の大統領選挙以後にどん なシナリオが想定されるのでしょう。
コルトン それについては是非、下斗米先生の 意見も伺いたいですね。あらゆる可能性があるこ とを理解しておかなければならないと思います。
古いシステムが完全に崩壊して、新しいシステム の構築がゼロから始まる。あるいはまったく反対 で、プーチンが大統領に復帰し、強圧的な手段を 使って体制を立て直そうとする可能性も考えられ る。ただ、私はそのどちらも近い将来に起こると は思いません。現体制は間違いなく大きなストレ スに晒されるでしょうが、3月に崩壊するとは思 えません。またプーチンが復権し独裁者になると
いうシナリオも、現実的ではありません。そのためには、最初に政権を握ったとき以 上の強硬さが求められるでしょうから。もしそうなれば、改革を支持していたのに、
それを覆そうとするのかと言って、多くの人は彼に対する不信を抱き、約束を反故に したプーチンを非難するでしょう。そうなれば混乱は避けられないでしょうね。
私が思うに、両者の中間くらいに落ち着くのではないでしょうか。これまでの経験 から推測するならば、プーチンは第
1回投票で選挙に勝つでしょう。僅差ではありま
すが、第
1回投票あるいは第2回投票で勝ち、大統領に復帰して一部の改革に着手する。
実際、改革案の多くはすでに下院で投票にかけられていますし、それを中止できると は思えません。以前と比べ、プーチンが操作できる余地ははるかに小さくなるでしょ う。たとえば、これはほんの一例ですが、2007年、2008年には、プーチンが大統領在 任期間を延ばしたければ、下院と自治体首長に憲法改正を承認するよう命じるだけで よかった。けれど、もはやその選択肢はありません。与党統一ロシアはもはや下院で 過半数の議席を保有せず、憲法改正を行なう唯一の手段は―憲法改正には
450議席
中300議席の賛成が必要なため―少なくとも1党あるいは2党の野党の合意をとりつ ける必要があるでしょう。たとえ野党の賛成が得られても、非常に高い代価を払うこ とになります。ただでは合意してもらえません。加えて、実現の見込みが薄い改革案 ではありますが、そのひとつに地方首長公選制の復活があります。そうなると、憲法 改正には地方(連邦構成主体)の支持が必要になります。再び首長が公選制になれば、地方首長の支持は得られるかもしれませんが、引き換えに政治的、経済的な見返りを 求められるでしょう。プーチンの選択肢は、おそらく非常に限られると思います。
もうひとつ予測として触れておきたいのは、たとえ
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月の選挙に不正がなくても、むしろ不正がなければいっそう、下院が問題になると思います。真偽のほどはともか く、多くのロシア人は下院議員が不適切な方法で選出されたと考えています。そのた め、1993年の憲法採択以来初めてですが、選挙の前倒しが話し合われるでしょう。少
下斗米 伸夫 教授
なくとも野党の一部、ここで言っているのは、下院を動かしているいわゆる「政党カ ルテル」、共産党とロシア自由民主党(LDPR)ではなく、むしろ自由化が進むにつれて 台頭する新勢力ですが、彼らはすぐさまこの考えに傾くと思います。今後、新たな自 由・民主主義政党や民族主義政党、数々の新たなプレイヤー、新たな指導者が誕生す るでしょう。また、プーチン内閣で財務相を務め、昨年秋にメドベージェフ大統領に 実質的に罷免されたアレクセイ・クドリンは、「新たな選挙には賛成だ、ただし今すぐ ではないが」と述べ、「おそらく
2年後ではないか」と言っています。上院議長のヴァ
レンチナ・マトヴィエンコも先日、「たとえ新たな選挙が必要だとしても、今すぐはで きない。おそらく2年以内だろう」と語っています。議会選挙の前倒しというこの案は、下院の正統性を取り戻すという意味で高い支持 を得るでしょう。多くの人が、今の下院議員は正しく選出されていないと思っていま すから。そうなればプーチンは、統一ロシアが次の選挙で最多議席を獲得するための 手立てを講じるために、アメリカのように、絶えず選挙を意識することになります。
これは、いささか厄介な仕事になるでしょう。一種の手詰まりに陥ると思いますが、
なんにせよ2年以内に次の下院選挙があります。
多くの人がこれまで「ありうる」と考えていたように、プーチンの座がさらに
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年 間安泰だと考えるのは、もはや現実的ではありません。次の任期を全うできないこと さえ十分考えられます。そうなることは理想的な結果ではありませんが、また当然、多くの事が起こってそうはならない可能性もありますが、最もありうることを選べと 言われれば、私はそう予想します。
アジアの変容とロシアの対外政策
下斗米 では最後の質問です。ロシアは疑いなく、欧州のみならずアジアでも強大な、
いわゆるユーラシアの大国です。世界の体制が変化していることを、ある政治学者が
「ウェストファリアからイーストファリアへ」と形容しているように、疑いなく中国や インド、それに韓国といったアジアの国々が新たな大国として台頭しつつあります。
コルトン インドネシアも。
下斗米 ええ、インドネシアも。ロシアは、この地域でアジアのパートナーになりた いと望んでいるようですが、東アジアの動き、あるいは東アジアの現代化を受けて今 後どのような進展が予想されるでしょうか。
コルトン 今年9月にはロシアのウラジオストクでアジア太平洋経済協力会議(APEC)
首脳会議が開催されます。ロシアでの開催はこれが初めてです。私自身、対アジア政 策についてロシアの専門家との議論に参加してきましたし、プーチン自身も意見をも っているようです。この事実からも、ロシアのエリート層の多くが実際に、アジアに おけるロシアのプレゼンスを高めたいと考えていることがよくわかります。もちろん1
回の会議で目的を達成することはできませんが、そうした意向を象徴するものです。
ひとつ印象的なのは、ロシア人がアジア回帰を口にするとき、たいてい中国しか頭 にありません。先ほど触れられていた他の国々を意識的に排除しているわけではない でしょうが、まるでアジアとは中国とその周辺数ヵ国のみを指すかのようで、日本も 含めて他の国が将来もちうる重要性が認識されていないようです。日本は現在も世界
第
3位の経済大国であり隣国であるにもかかわらず、俎上に乗りさえしないこともあ
ります。もちろん日本との間には、領土問題もありますから、たとえ日本との関係改 善を望んでも、単にそう口にするだけでは事態は何も変わらないでしょう。
下斗米先生もよくご存じのように、東アジアにおけるロシアのプレゼンスは多くの 点で、最低限にとどまります。ロシアの極東連邦管区と言われる東アジア地域は人口 が非常に少ないからです。おそらくアラスカと同じくらいの面積に約
600
万人しか住 んでいません。中国や韓国、日本と比べれば、これは微々たる数字です。そのためロ シア人のなかには、現在アジアと言うとき、アジアの大国のみならず、ロシア国内の アジア地域、すなわちシベリアと極東地域の発展を念頭においている人もいます。け れどその地域の発展のためには、資本や技術面で協力できるパートナーが必要です。日本にはその両方があります。労働力も必要ですが、これは日本にはなく、中国が供 給源となります。ロシアはこれらをうまく活用し、欧州の大国という地位を手放すこ となく、軍事力以外の面で、アジアとしてのロシアも発展させていくというビジョン を描いています。多くのロシア人がこの意見に同意するでしょう。以前にもお話した と思いますが、ロシアの有識者の間では、首都をモスクワからアジア地域に移しては どうかという意見さえ上がっています。たとえばウラジオストクです。だからといっ て今すぐにそうはならないでしょうが、実際にそんな意見が出るということは、何ら かの見直しが進んでいることを示しており、悪くないことだと思います。
下斗米 ありがとうございました。
(2012年