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8 月 24 日 福岡市内各地の地蔵盆

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Academic year: 2023

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8月24日 福岡市内各地の地蔵盆

福岡市内の地蔵盆を見る前に「福岡県郷土芸能巻一86p」に出ている野方の獅子舞が実際あるのかどうか確かめ るべく野方までバスで行った。県観光協会の「はかた」には明かに8月25日の熊野神社の夏祭に獅子舞ありと見え る。

所が野方までバスで行って野方のお宮さんというのは天満宮で熊野神社というのは新しく東の方に出来た団地に あることが分った、が獅子舞はやはり野方部落にあったらしい。現在廃絶。天満神社の境内でキャッチボールをし ている子供達に、根堀り葉堀り尋ねて、天満神社のお祭りのことを世話しているのは隣りにあるお寺の和尚さんで あることが判り、その寺を尋ねて見た所が、野方の青年団の野球が本日あって、そのため区長さんや、部落の世話 役が丁度お寺に集って野球のあとの宴会中で、そのうちには、もとあった獅子舞のことを知っている人があって、

判っていることは話すから上れということになり、お寺の座敷で折から集っていた数人の人達の皆うろ憶えのこと を聞きつゝ総合した。

獅子舞は戦争後、天満神社の秋祭(9月15日)に1度やったきり、その後は絶えた。というのは青年がやらなく なったためである。

獅子頭は1頭あった。2人使いのもので、この獅子舞に絡んで ひょっとこ、猿、おかめ、鬼女等の役が出た。囃 子は太鼓2、笛は5~6人位、神社に奉納するよりも、野方やその周辺の町から祝いごとのある家に招かれて門付を やったのが主であった。何時の間にか獅子頭はなくなってしまった。多分誰かが持出して売ったのではないかと取 沙汰をしたことがある。面白いことには頭はなくなっても幌はしばらく公民館にあったがそれも誰か持出して、あ る村人の家の布団の掛布になっているのを見たというものもあった。

そのような原状なので「福岡県郷土芸能」に出ている資料は非常に大切なものとなってしまったようである。唯 この資料によって、こちらから誘の水をかけて話の糸口を引出すと確かにその資料のようなものはあったらしい。

というのは曲目として門づけ、三番叟、獅子の餌拾い、万作太郎の獅子撃ち、もぐらの女郎買、獅子と鬼女などは 確かにあったと数人が口をそろえて云う。

獅子の餌拾いについては次のような所作をやったということを引出すことができた。

獅子舞の前に莚を敷き、その上に施主が1升程の米を盛ると、獅子は舞ながら、上手にその米を拾う所作をした。

拾った米は後振が首に下げているずた袋に入れて、これをぶらぶらさせながら舞った。ある青年は、この役が非常 に上手で、その人が舞うと、後で莚の上に1粒の米も残っていないので感心したことがあるそうである。

獅子を使うのが上手であった現存の人は藤孫三郎さん、林新太郎さんは笛の名人であった。

かけ合問題のせりふは或いは吉木という人が今でも知っているかも知れない。

帰途吉木さんを訪ねたが折悪く留居であった。

福岡に帰って福岡市内の地蔵盆の流灌項を見る。

唐人町、八兵衛地蔵。

祠の前に「西方丸」と帆に書いた精霊舟が据えてあった。これは24日の夜実際に流すという。福岡地方の地蔵盆 の特徴として吊提灯がどこでも多いに何れも、幾年も壊れるまで毎年地蔵盆に燈を入れる。大きな提灯は高さ 1.5 m位もある。これを道に、或いは境内に並べて吊す。また鼎形の脚のついた置提灯を祠の両側に並べる。唐人町で は飾り物が2ヶ所してあった。1はお寺の境内の兼幼稚園らしい。教室の一角に連獅子の飾り物、唐人町のアーケー ドの出口の所の「天と地と」のテーマの飾り物があった。アーケードの端にある飾り人形は台を針金で人の往来に 邪魔にならぬよう2m程の高さの所へ吊り下げるように付けてあった。暮れて夕食を摂ってから。

東中州の飢人地蔵

中州の河水の汚染防止のため、本年より精霊流は中止と断ってあった。地蔵さんの祠とお坊さんの読経をする間 が道路でしかも一方交通ではあるが頻々と車の通る川縁の所にある。隣は中華料理とバー、その川縁へやはり吊提 灯を並べ、参詣者に甘酒を振舞う。この日は上新川端町の商品街は造り物や千燈明で賑うとあるが丁度日曜で、殆 んどの店はもう扉を閉していた。

大浜の流灌頂。

昔は大浜1丁目から4丁目にかけて随分賑かのようであったが現在は呉服町の通りのアパートの1階に1~4丁目 合同の地蔵祭が1ヶ所ある丈であって、舗道の外側に1本卒塔婆を立てる丈けで、千燈明の吊提灯は5-6ヶ、屋内 に吊ってあるのみ。

大学通石堂地蔵(刈萱地蔵)

細い露路の奥にある。露路に蝋燭を点じ、祠の前では 3 人程の婦人が詠歌をあげていた。その奥に「出口」を貼 紙した細道があって、多勢の子供が面白そうに出入していた。これはお化け屋敷の造り物がその中にある。

千代町、西門飢人地蔵 千代町 市場内聖地蔵。

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