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9月に、尖閣諸

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はじめに

この数年間、中国の対日姿勢は強硬さを増すばかりである。とりわけ日本の領土である 尖閣諸島に対して、中国は実力を背景にした主権主張を強めている。2010年

9月に、尖閣諸

島周辺の日本領海内において、海上保安庁の巡視船に対して故意に衝突してきた中国漁船 の船長が逮捕されると、中国側はレア・アース(希土類)の対日輸出を制限するなど経済的 な圧力も駆使しながら、船長の釈放を強硬に要求した。船長が釈放された後には、中国は 監視船を尖閣諸島周辺海域に定期的に派遣し、しばしば日本の領海に進入させた。2012年9 月以降は、日本政府が民間人から尖閣諸島を購入したことを理由に、中国は対日批判をさ らに強化し、日本に対する挑発的な行動を繰り返している。中国は監視船による尖閣諸島 周辺海域での活動を急増させ、領海への進入回数も増大させている。同年12月には、中国 政府所属の航空機が尖閣諸島の領空を侵犯した。2013年1月には、東シナ海において、中国 海軍のフリゲートが海上自衛隊の護衛艦に対して射撃管制レーダーを照射するという、不 測の事態を引き起こしかねないきわめて挑発的な行動に出たのである(1)

中国の強硬で非妥協的な対外姿勢は、日本にのみ向けられているわけではない。中国は

2009年ごろから、南シナ海で島嶼の領有権を争っているベトナムやフィリピンなどの東南

アジア諸国に対して圧力を高めている。中国は監視船による巡視活動を強化し、他国の漁 船や調査船等の活動を妨害している。2012年にはスカボロー礁(黄岩島)をめぐって、中国 の監視船がフィリピンの監視船と2ヵ月間にわたって対峙したのち、同礁をコントロール下 に収めた。また、中国の強硬な姿勢は、米国に対しても目立ってきている。中国は、自国 周辺海域における米軍の情報収集活動や演習に対してしばしば反対を表明し、時には物理 的な妨害行動に出ている。米国による台湾への武器売却に対しては、軍事交流の全面的な 停止といった反応をみせているのである。

こうした近年の中国による強硬な対外姿勢は、冷戦後における中国の対外方針とされて きた「韜光養晦」とは相いれないようにみえる。「韜光養晦」は「力を隠して時を稼ぐ」と か「低姿勢を保つ」などといった意味をもつと言われるが、中国の穏健で協調的な対外方 針を示すものとして理解されてきた。1989年の天安門事件の発生と、それに伴う西側諸国 による制裁や、東欧社会主義政権の崩壊といった危機に直面した中国では、 小平の主導の 下で「冷静観察、穏住陣脚(足元を固める)、沈着応付、韜光養晦、善于守拙(出しゃばらな

(2)

い)、決不当頭(先頭に立たない)、有所作為(なすべきことをなして成果を上げる)」の戦略方 針が示された(2)。その後、外交の基本方針は「韜光養晦」と「有所作為」に整理され、これ に沿うように中国は、諸外国との対立を避けて協調的な関係の構築に努めつつ、経済の急 速な発展や国際社会における地位の向上といった成果を上げてきたのである。

ところが、2009年

7

月に開催された第

11

回在外使節(大使)会議において、「韜光養晦、

有所作為」の方針に修正が加えられた。すなわち、「堅持韜光養晦、積極有所作為」を新た な外交方針として胡錦濤が提起したのである(3)。「韜光養晦」を「堅持」しつつ、「有所作為」

に「積極」的に取り組むことを求めるものであり、修正の重点は明らかに「有所作為」の 強調に置かれている。この「より積極的になすべきことをなして成果を上げる」新たな方 針に沿って、中国は自己主張の強い外交を展開しているようにみえる(4)。近年の実力を背景 にした中国の強硬な対応からは、「韜光養晦」を「堅持」する姿勢はあまり感じられない。

本稿の目的は、習近平を総書記とする新たな指導部の下で、中国が展開する外交政策、

とりわけ日本に対する外交の行方を展望することにある。そのためにまず、この10年ほど における中国の対日、対東南アジア、対米外交の具体的な展開を、2009年ごろの変化を中 心に概観し、そこにみられる中国外交の新たな方向性を確認する。

次に、その新たな方向性の背景にある、中国の基本的な外交政策の変化について、「平和 発展の道」をめぐる中国の指導者や政府の言説を中心に検討する。確かに、中国外交の方 針転換の背景を理解するために、「韜光養晦、有所作為」をめぐる議論の展開を分析するこ とは有用であり、これはすでに試みられている(5)。ただし、「韜光養晦、有所作為」は外交 方針の大枠を示す概念としての性格が強く、具体的な政策として提示されたものではない。

そのため、「韜光養晦、有所作為」をどのように理解するかについて、中国国内でも議論が 分かれている(6)。他方で、「平和発展の道」は2000年代半ばから中国外交の戦略的な方針と して公式に提起され、具体的な政策についても2005年12月に国務院新聞弁公室から「中国 の平和発展の道」と題する白書として提示されている。また、2011年

9月にも同様の白書が

発表されており、この両者を比較することで、2009年の「韜光養晦、有所作為」の修正を 挟んだ、具体的な外交政策の相違を明らかにすることが期待できる。

こうした分析を踏まえたうえで、最後に今後の中国の対日外交の動向について考察して みたい。

1

尖閣をめぐり尖鋭化する対日外交

2001年 4月に、自民党総裁選挙で 8

月15日の靖国神社参拝を公約とした小泉純一郎氏を首

班とする小泉内閣が発足すると、中国の対日姿勢は次第に厳しさを増していった。2001年8 月13日に靖国神社を参拝した小泉首相は、同年

10

月に北京郊外の盧溝橋にある抗日戦争記 念館を訪問し、「侵略によって犠牲になった中国の人々に対し心からのお詫びと哀悼の気持 ち」を表明したが(7)、翌年

4

月に小泉首相が再び靖国神社を参拝すると、中国側は日中間の 首脳の相互訪問を拒否するに至った。その後も小泉首相が靖国神社を毎年参拝する一方で、

中国側でも2002年5月に瀋陽の日本総領事館に駆け込んだ北朝鮮人を取り押さえるために無

(3)

断で武装警察官が総領事館の敷地に立ち入った事件や、2004年夏に中国で開催されていた サッカーのアジアカップの試合において、中国人の観客が日本人の選手やサポーターに対 して非常識な嫌がらせを行なうなど、日本の対中感情を害する事件が続いた。2005年4月に は、日本の国際連合安全保障理事会常任理事国入りに反対する署名運動をきっかけにして、

中国の主要都市で大規模な反日デモが発生し、日本の外交施設や日本車、日本料理店など が暴徒化したデモ参加者によって襲撃される事態も起こった。この時期の日中関係は、経 済面での関係が深化する一方で、政治面での関係が冷却化する、いわゆる「政冷経熱」の 状況に置かれていたのである。

ところが、小泉首相の退陣を受けて、2006年

9

月に安倍晋三内閣が発足すると、中国は対 日関係の改善へ舵を切った。安倍首相が靖国神社参拝についての態度を明確にしていなか ったにもかかわらず、中国は同年10月に安倍首相の訪中を受け入れたのである。訪中した 安倍首相と胡錦濤国家主席や温家宝総理との会談を経て、日中両国は共同プレス発表を公 表した(8)。このなかで中国側は、国際会議において両国の首脳が頻繁に対話を行なうことや、

胡錦濤主席と温家宝総理の訪日に同意した。また中国側は、中国の発展が「平和的発展」

であることを強調し、戦後日本が平和国家として歩んできたことを積極的に評価した。日 中両国は、東シナ海問題に関する協議の加速や、安全保障対話・防衛交流を促進すること などにも合意し、「共通の戦略的利益に立脚した互恵関係」(戦略的互恵関係)の構築に努力 することで一致したのである。ただ同時に、外務省の発表によれば、安倍首相との会談に おいて中国側は、台湾問題が中国にとっての「核心的利益」であり、日本に台湾との関係 を民間レベルにとどめるように要求したという(9)。安倍首相に続いて訪中した扇千景参議院 議長に対して賈慶林全国政治協商会議主席は、日本が歴史や台湾問題を妥当に処理し、中 国の核心的利益を損なわないことが、中日関係発展の基本的条件であると指摘した(10)

この安倍首相の訪中以降、中国は日本に対する協調的な外交政策を具体的に展開してい った。2007年

4月には温家宝総理が訪日した。首脳会談において両国は、戦略的互恵関係を

構築する具体的な協力項目として日中ハイレベル経済対話の立ち上げ、中国国防部長の訪 日と中国海軍艦艇の訪日、エネルギー・環境協力の推進などで合意した。また、日中間で 懸案となっていた東シナ海の資源開発問題については、共同開発の具体化に向けて作業を 進めることになった。温家宝総理は国会で演説し、日本が歴史問題で「深い反省とお詫び」

を表明してきたことを「積極的に評価」するとともに、中国の近代化に対する日本の支持 と支援に謝意を表わした(11)。同年

8月には曹剛川国防部長の訪日、11

月には中国海軍の駆逐 艦「深 」による親善訪問が実行された。

胡錦濤国家主席が2008年

5月に日本を訪問した際、日中両国は「戦略的互恵関係の包括的

推進に関する共同声明」を発表した。1972年の日中共同声明、1978年の日中平和友好条約、

1998年の日中共同宣言に続く、4

つ目の重要文書となったこの共同声明は、双方が協力のパ

ートナーであり、互いに脅威にならないことを確認した。また、相互信頼の増進や互恵的 協力の推進等の二国間の協力に加えて、アジア太平洋地域やグローバルなレベルでの貢献 を目指した協力を進めることも謳われたのである。2008年

6月には、日中間の懸案となって

(4)

いる東シナ海の資源開発問題について、共同開発区域を設定する合意が達成された。

2009年 9月に、アジア重視や東アジア共同体の構築などを掲げた鳩山由紀夫内閣が成立す

ると、中国は対日関係の強化に向けて積極的な姿勢を示した。2009年

12

月に訪日し、鳩山 首相と会談した習近平国家副主席は、鳩山首相が提起していた東アジア共同体構想を高く 評価した。また、鳩山首相の歴史認識を評価しながら、日中の戦略的互恵関係をさらに発 展させていく方針を示した。同時に習近平は、台湾、チベット、ウイグルの問題は中国の

「核心的利益」にかかわるものであり、日中両国は相互の核心的利益と重大な関心を尊重す べきであるとも指摘した(12)。2010年

5

月には温家宝総理が訪日して鳩山首相と会談し、中国 が日本を戦略的にパートナーとみなし、ライバルや競争者とはみないと表明した。そして 温家宝は、東シナ海に関する合意の実行に向けて努力することや、海上における危機管理 を強化して対立や衝突の発生を避けることなどを日本側に提案したのである(13)

しかしながら2010年

9月に、尖閣諸島の日本領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝

突する事件が発生すると、中国は一転して日本に対して強硬な外交姿勢をとるようになっ た。9月

7

日に、尖閣諸島の日本領海内に停泊していた中国漁船に対して、海上保安庁の巡 視船が領海外に出るよう警告したところ、この漁船が2度にわたって巡視船に故意に衝突し てきた。海上保安庁はこの漁船を停船させたうえで、船長を公務執行妨害の疑いで逮捕し た。これに対して中国側は強く反発し、船長の即時解放を要求した。中国側は日本が中国 に供給を依存しているレア・アースの対日輸出を制限したり、日本企業の従業員を拘束す るなどの手段を含めて、対日圧力を強化した。温家宝総理は、国連総会に出席するために 訪問していたニューヨークで、日本による船長の逮捕は「不法」であり、船長の即時・無 条件の解放を要求したうえで、日本が要求を受け入れなければ「さらなる対抗措置をとら ざるをえない」と警告した(14)。さらに温家宝は

9

23

日の国連における演説において、中 国は「国家の核心的利益を揺るぐことなく擁護し、主権と統一、領土保全に関する問題で 決して譲歩せず、決して妥協しない」と強調したのである(15)。この事件の後、中国の海上法 執行機関のひとつである農業部漁業局(漁政)の監視船が、尖閣諸島の日本領海や接続水域 にたびたび進入し、中国の領有権を主張する行動をとるようになった。

2012年 9月に、日本政府が尖閣諸島を民間の所有者から購入すると、中国は対日姿勢をさ

らに強硬化させた。温家宝総理は9月10日、外交学院での演説において「釣魚島(尖閣諸島 の中国名)は中国の固有の領土であり、主権と領土の問題で、中国の政府と人民が半歩たり とも譲歩することは絶対にありえない」と言及した(16)。呉邦国、賈慶林、習近平、李克強 といったその他の政治局常務委員も、外国や台湾の政治家などとの会談において、日本政 府による尖閣諸島の購入を強く非難し、日本が第

2次世界大戦後の国際秩序の破壊を目指し

ているといった主張を展開したのである。

また中国の各都市では、大規模な反日暴動が発生したが、中国政府は事実上これを容認 した。日系のスーパーが略奪されたり、日本車やその販売店などが襲撃されたり、日本の 外交施設にペットボトルや卵などが投げつけられたりしたが、中国の公安当局はこれらを 厳しく取り締まらなかった。社会の一部にみられた日本製品に対する不買運動に対して、

(5)

商務部の報道官は問題視しない姿勢を示した(17)

さらに中国政府は、尖閣諸島に対する主権を主張するさまざまな対応策を実行した。例 えば中国政府は9月

10日、尖閣諸島に領海基線を設定したことを発表し、9

13日にこれを

国連に申請した。9月後半には、国家海洋局の海監総隊(海監)や漁政の監視船を大規模に 尖閣諸島周辺海域に派遣し、領海への進入を繰り返させた。海監の監視船は、その後も定 期的に尖閣諸島の領海や接続水域への進入を繰り返しており、尖閣諸島へのパトロールを 常態化させたと主張している。12月

13

日には、海監に所属する固定翼機が尖閣諸島の日本 領空を侵犯し、自衛隊機がスクランブルで対応する事態も発生した。

人民解放軍にも、尖閣諸島問題への関与を強めたり、尖閣諸島周辺を含めた東シナ海で の活動の活発化がみられる。9月

21日の記者会見において、国防部の楊宇軍報道官は、人民

解放軍が海監や漁政による法執行を支援する方針を明言した。10月

18日には、海軍と海監、

漁政が東シナ海で海洋権益の保護を目的とした合同演習を実施した。10月

12日と12

月10日 には、西太平洋での訓練を終えた中国の艦艇部隊が、南西諸島の日本の接続水域を通過し て尖閣諸島方面へと航行した。2013年1月になると、東シナ海を飛行する自衛隊と米軍の航 空機に対して中国の戦闘機が接近を繰り返すようになり、1月

30日には中国海軍のフリゲー

トが海上自衛隊の護衛艦に対して射撃管制レーダーを照射する事態も発生したのである。

この10年ほどにおける中国の対日外交の展開は、次のように概括できるだろう。小泉首 相の靖国神社参拝を問題視して、中国は政治を含めた日本との関係強化に踏み込めずにい たが、安倍首相の登場を契機に戦略的互恵関係の構築を目標とした、日本との全面的な関 係強化に舵を切った。しかし2010年

9月に、尖閣諸島という中国にとっては主権にかかわる

問題が浮上したことで、中国は日本に対する批判を強め、日中関係の悪化を顧みないかつ てない強硬な姿勢をとるようになったのである。

2

東南アジアと米国に対する強硬姿勢

中国の対日外交は、2010年を境に協調的な姿勢から強硬な姿勢へと転換したが、ほぼ同 時期に中国の東南アジアと米国に対する外交も、それまでの協力を重視したものから対立 を辞さない強硬なものへと変化していった。

中国の東南アジア外交における重要な課題のひとつは、南シナ海における領有権問題へ の対応であろう。中国は南シナ海のスプラトリー諸島(南沙群島)やパラセル諸島(西沙群 島)などの領有権をめぐって、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイの東南アジア 諸国と係争を抱えている。中国はこの問題に関して、武力や武力による威嚇を用いて支配 島嶼の拡大を図ってきた。1988年にはベトナム軍を攻撃してジョンソン礁(赤瓜礁)を占拠 し、1995年にはフィリピンが領有権を主張していたミスチーフ礁(美済礁)を支配した。こ うした中国による強硬な対応が、東南アジアにおける中国に対する脅威感の高まりを招い ていたのである。

ところが

1990年代末から、中国は南シナ海問題への対応を柔軟化させ、東南アジア諸国

との協調関係の構築を重視するようになった。中国は、東南アジア諸国連合(ASEAN)が求

(6)

めていた、南シナ海における行動規範の策定に向けた多国間交渉を受け入れた。2002年に は、中国はASEANとの間で「南シナ海関係諸国行動宣言」に署名し、問題の平和的解決や 新たな島嶼への支配拡大を自制すること、最終的な行動規範の策定に向けて努力すること などに合意した(18)。2005年

3月には、スプラトリー諸島周辺海域で共同の資源探査を行なう

ことで、中国はフィリピンおよびベトナムと合意に達し、その後実際に調査が行なわれた。

南シナ海問題以外でも、中国は

ASEAN

諸国に対する協調的な外交を展開した。中国は

ASEANに対して自由貿易協定

(FTA)の締結を提案し、両者は

2002

年に

FTAの構築で合意

した。2003年に中国は、東南アジア友好協力条約(TAC)に、域外国として初めて署名し、

ASEAN

との間で「平和と繁栄のための戦略的パートナーシップ」の構築を宣言した。2006

年10月には、ASEANとの対話開始

15周年を記念して、中国は広西チワン族自治区の南寧で

ASEAN

との特別首脳会議を開催した。このように中国は、1990年代末から南シナ海問題へ

の対応も含めて、東南アジアにおいて協調的な外交を展開し、東南アジア諸国との良好な 関係の構築に成功しつつあったと言えよう。

しかしながら中国は、2009年ごろから再び南シナ海問題で強硬な姿勢をとるようになり、

東南アジアとの関係を悪化させつつある。2009年2月にフィリピン国会がスプラトリー諸島 とスカボロー礁の領有権を明記した領海基線法を成立させると、中国政府はこれに厳しく 抗議した。同年5月にマレーシアとベトナムが、南シナ海における大陸棚延長を共同で国連 大陸棚限界委員会に申請したときも、中国政府は強く抗議した。中国側の対応は外交的な 抗議にとどまらず、漁政の監視船によるパトロール活動の強化や、空中給油機を用いて戦闘 機を南シナ海へ展開させる訓練なども行なった。その後も海監や漁政による南シナ海での 挑発的な行動が続いている。2010年

4月には、漁政の監視船がマレーシアが支配しているス

ワロー礁(弾丸礁)に接近し、これに対応したマレーシア軍との間で緊張した状況を引き起

こした。

2011年 5月には、海監の監視船がベトナムの資源調査船の探査ケーブルを切断した。

2012年 4月に発生した、スカボロー礁をめぐるフィリピンとの対立において、中国側はさ

らに強硬な姿勢を示した。海監と漁政の監視船が、フィリピンのコーストガードの巡視船 と2ヵ月間にわたってスカボロー礁で対峙するなかで、中国はフィリピンに対して強い圧力 をかけた。中国共産党中央の機関紙である『人民日報』は4月19日付の論評のなかで、スカ ボロー礁めぐって中国ともめ事を起こし、外部勢力の助けを借りて「中国の核心的利益の 侵食を試みている」とフィリピン側を非難し、スカボロー礁問題と中国の「核心的利益」

を関連付ける見方を示した(19)。5月

8日には、中国外交部の傅瑩副部長がフィリピンの臨時

大使を呼び、スカボロー礁から巡視船を撤退させ、中国漁船の操業を妨害せず、中国政府 の巡視船による法執行を妨げないようフィリピン側に要求し、「中国側は、フィリピン側に よる事態の拡大に対応する各種の準備を整えた」と言明した(20)。5月

10日付の『人民日報』

の論評は、フィリピン側が中国に「核心的利益を犠牲にして無原則に譲歩するよう迫るこ とは不可能である」と主張した(21)。また『解放軍報』の論評も、中国がスカボロー問題で 耐え忍んでいるのは軟弱だからではなく、自制しているからであり、「黄岩島の主権を奪う 試みに対しては、中国政府は容認せず、中国人民は容認せず、中国軍はなおさら容認しな

(7)

い」と警告したのである(22)

中国の対米外交にも、同様に協調的な姿勢から対立的な姿勢への変化が生じている。1999 年5月の北大西洋条約機構(NATO)軍による在ユーゴスラビア中国大使館への誤爆事件や、

2001

4

月の海南島沖における中国の戦闘機と米軍の情報収集機との衝突事件などを受け て、中国と米国の関係は悪化していた。しかし、2001年

9

11

日の同時多発テロ事件が発 生すると、中国は米国のテロ対策に協力するようになった。中国は北朝鮮の核開発問題に ついて六者協議を主催するなど、米国と協調して地域の安定に貢献する姿勢を示した。こ うした中国側の協調的な姿勢を受けて、米国側でも中国を評価する声が高まった。就任前 に中国を「戦略的競争者」と位置づけていたブッシュ政権は、中国と「建設的協力関係」

を構築することで同意し、2005年

9

月にはゼーリック国務副長官が、中国を国際社会におけ る「責任あるステークホルダー」とみなすべきだと発言した(23)。2009年

1月に就任したオバ

マ大統領と、同年

4月の 20

ヵ国・地域(G20)首脳会議で会談した胡錦濤国家主席は、両国 が「積極的、協力的、全面的な関係」の構築を目標とすることで一致したのである(24)

ところがこのころから、中国の米国に対する対応に非協調的な姿勢がみられるようにな ってきた。例えば2009年

3

月、中国は海軍と海監、漁政の艦船とトロール漁船を使って、海 南島の南方沖の公海で情報収集活動をしていた米海軍の音響観測艦インペッカブルの航行 を妨害した。米国は「航行の自由」を損なうものとして中国側に抗議したが、中国は自国 の排他的経済水域(EEZ)における米軍の行動は制限されるべきだと主張した。2010年

7月

には、米韓海軍が黄海で実施を予定していた共同演習に米空母ジョージ・ワシントンが参 加することに中国側が強く反対し、中国外交部の報道官が「外国の軍艦および軍用機が、

黄海およびその他の中国近海において、中国の安全保障上の利益に影響を与えるような活 動に従事することに断固として反対する」と表明した(25)

オバマ政権が

2010年 1

月に、台湾に対して総額

64

億ドルに上る武器の売却を発表したこ とにも、中国は強く反発した。国防部外事弁公室の銭利華主任は、米国大使館の国防武官 を呼び、台湾問題が中国の主権と領土保全に関係し、中国の「核心的利益」にかかわるも のだと指摘したうえで、米国が中国の核心的利益と関心を尊重することを要求した。また、

米国による台湾への武器売却に抗議するため、予定されていた米軍との軍事交流のすべて を停止すると伝達したのである(26)。2011年

9

月に、米国が再び台湾への武器売却を決定した 際にも、外交部の張志軍副部長が米国大使に対して、台湾問題は中国の核心的利益にかか わるものであるとして、武器売却に強く抗議した(27)

中国は、南シナ海問題と尖閣問題に対する米国のかかわり方についても反発を強めてい る。2010年

3

月に訪中した米国の高官に対して、中国の高官が南シナ海は中国にとっての核 心的利益であり、南シナ海への米国の関与を許さないと発言したことが、同年4月に報道さ れた(28)。2010年

7

月の

ASEAN

地域フォーラム(ARF)で米国のクリントン国務長官が、南 シナ海問題の平和的な解決や、行動規範の策定に向けた関係諸国の努力などを求めると、

楊潔 外交部長はこれを中国に対する「攻撃」であると非難し、南シナ海問題への米国の関 与を強く拒否した(29)。2011年

7月に訪中した米国のマレン統合参謀本部議長に対して、陳炳

(8)

徳総参謀長は米国が南シナ海問題に関与しないよう明確に要求し、米軍がフィリピン軍お よびベトナム軍と行なった演習を「妥当でない」と強く非難した(30)。中国は、南シナ海問 題への関与を強める米国に対して、批判と警戒感を強めているのである。

同様に、中国は尖閣問題に対する米国の関与にも反発している。米国は、尖閣諸島の領有 権については立場を示さないものの、日本による尖閣諸島への施政権を承認する立場から、

日米安全保障条約が尖閣諸島にも適用されることを確認している。2013年

1

月に岸田文雄外 務大臣と会談したクリントン国務長官は、尖閣諸島に対する米国の同盟上の義務を再確認 したうえで、「日本の施政権を損なおうとするあらゆる一方的な行動に反対する」と明言し た(31)。この発言に対して外交部の秦剛報道官は、強烈な不満と断固たる反対を示したうえで、

米国に「言動を慎むよう」要求した(32)。2013年

1

月に入り、東シナ海で、飛行している米軍 の哨戒機などに対して中国軍の戦闘機が接近飛行を繰り返していることも報じられている(33)

21世紀に入って以降における中国の東南アジアと米国に対する外交の特徴は、当初は悪

化していた関係の改善に中国側がイニシアティブを発揮し、2000年台半ばには協調的な関 係を構築したものの、2009年ごろを境に南シナ海問題や台湾問題などをめぐって批判を強 め、関係の悪化を招いているとまとめることができよう。しかも、中国の日本、東南アジ ア、米国に対する批判は、中国においては相互に連関し共鳴し合って、全体的な対外姿勢 の強硬化につながっているように思われる。

3

変質する「平和発展の道」

これまで確認してきたように、中国の日本、東南アジア、米国に対する外交姿勢は、ほ ぼ同時期に協調から強硬へと転換している。これを偶然とみるのは不自然であろう。この 転換の背景には、中国の対外戦略になんらかの変化があったと考えられる。その変化を理 解する手がかりとして、ここでは中国が自らの基本的な外交政策としている「平和発展の 道」をめぐる主張の変化を分析してみたい。

中国は2005年に、外交政策の理念として「平和が長続きし、共同で発展する和諧世界の 構築」を提起した。2005年9月に胡錦濤国家主席は国連で演説し、世界の平和と発展が実現 しない根本的な原因として、先進諸国が主導する既存の国際政治経済秩序を批判した。胡 錦濤は、発展途上諸国に国際政治においてより大きな発言権を付与するための「国際関係 の民主化」を進めることや、先進諸国が発展途上諸国の経済成長により貢献すること、大 国による武力干渉を排して国連の国際紛争解決での役割を強化することなどを通じて、「和 諧世界」(調和のとれた世界)の構築を中国が目指すことを宣言したのである(34)

この和諧世界の構築という理念の実現を目指して、中国は具体的に展開する外交政策を

「平和発展の道」と称しており、その内容は2005年

12月に国務院新聞弁公室から『中国の平

和発展の道』と題した白書として体系的に説明がなされた(35)。この白書は、現在の中国は発 展で大きな成果を収めたものの、「依然として世界で最大の発展途上国」であると自己規定 し、中国にとっての中心的な任務が「経済・社会の発展を推し進めること」だとしている。

多極化とグローバル化が進展する世界において、「中国の発展は世界から離れられず、同様

(9)

に世界の繁栄には中国が必要である」ことから、「中国人民の根本的な利益と、世界人民の 共同利益を結合させ」、「平和な国際環境を勝ち取ることで自らを発展させ、自らの発展によ って世界平和を促進する」ことを目指す「平和発展の道」を揺るぐことなく歩むと主張する。

国際関係のあるべき姿としては、和諧世界の構築を平和発展の道の「崇高な目標」とし ている。この目標の下で白書では、発展途上国にも国際実務における平等な参加と決定権 をもたせるための「国際関係の民主化」や、公正で非差別的な国際貿易システムの構築、

各国の内政への不干渉の強化などを通じて、「国際政治経済秩序を公正で合理的な方向へ発 展させる」必要性を訴えている。

安全保障政策については、「相互信頼、互恵、平等、協力を核心とする新安全観」を構築 する必要性を訴え、国際的な争いや衝突については「平和的な方式により、平等な交渉や 話し合いを通じて解決する」と主張した。周辺諸国との関係については「与隣為善、以隣 為伴(隣国と睦まじくし、隣国をパートナーとする)」の方針を堅持し、「公認された国際法の 準則や平等な話し合い、相互譲歩の精神に基づき、隣国との国境問題を適切に解決し、争 いを解消し、安定を促進する」とした。そして、「中国は過去に覇権を唱えたことはなく、

現在も覇権を唱えず、将来強大になっても覇権を唱えない。中国の発展はいかなる人にと っても脅威を構成しない」と主張した。

このように、中国はその基本的な対外政策として「平和発展の道」を示すことによって、

急速に国力を増大させている中国に対する諸外国の警戒感を緩和し、安定した国際環境の なかで経済発展を進めることを目指していたと言えよう。この白書の起草にかかわった現 代国際関係研究院の岳暁勇教授は、「白書は中国の発展が世界にとってチャンスであり、脅 威でないことを表明し、さまざまな『中国脅威論』に対して反撃し、わが国の発展に対す る一部の人々の心配や誤解を取り除くものである」と指摘していた(36)。すでに確認したよ うに、実際にこの時期の中国は日本や東南アジア、米国に対して協調的な外交を展開して おり、中国は自らが示した「平和発展の道」に沿って、東アジア諸国との良好な関係の構 築を実践していたと言えるだろう。

ところが

2009年ごろから、中国の東アジアにおける外交には非協調的な姿勢が目立つよ

うになった。この変化の背景には、中国が基本的な対外政策である「平和発展の道」に対 して、新たな要素を追加した事実がある。中国の外交が強硬姿勢を強め、日本や東南アジ ア、米国などとの関係の悪化が顕在化していた2011年9月、国務院新聞弁公室は『中国の平 和発展』と題した白書を発表し、中国が「平和発展の道」を引き続き歩む方針を再確認し た(37)。2011年の白書は、2005年の白書における内容を大枠において引き継いでいる。発展 途上国である中国は、発展のために平和を必要としており、世界平和にも貢献する。国際政 治の民主化を進め、国際政治経済秩序の合理的な方向への発展を推進し、和諧世界の構築 を目指す。さらに、「新安全観」に基づいて、対話と協力を重視した安全保障政策を推進し、

「絶対に侵略や拡張を行なわず、永遠に覇権を争わず、覇権を唱えない」などとしている。

他方で、2011年の白書は、2005年の白書と

2つの点で大きく異なっている。第 1点は、周

辺諸国との対立の顕在化や、中国に対する脅威感の高まりを受けて、中国の対外方針が協

(10)

調的であることを訴える記述が増加していることである。例えば、中国は「隣国との領土 と海洋権益の争いを対話と協議を通じて処理することを堅持」し、「南シナ海、東シナ海お よび周辺の平和と安定を守るために最大限努力する」と主張した。また、中国は「防御的 な国防政策を堅持」しており、「いかなる国とも軍備競争を行なう意図はなく、いかなる国 に対しても軍事的脅威を構成しない」とし、「和諧アジア」の構築を目指す中国は「地域で 覇権や勢力範囲を求めたり、いかなる国家も排除したりせず、中国の繁栄・発展と長期安 定は周辺の隣国にとってチャンスであり脅威ではない」というのである。このような記述 には、中国脅威論の緩和という本来の狙いとは裏腹に、南シナ海や東シナ海における問題 によって周辺諸国の対中脅威感が高まっている実態を、中国側も認識していることが反映 されていると言えるだろう。

もうひとつの変化は、「国家の核心的利益を断固として守る」方針が明記されたことであ る。この「核心的利益」という言葉は、中国が日本や東南アジア、米国に対して強硬な外 交を展開するなかでしばしば言及されてきた。中国にとって決して譲ることのできない国 益とされる「核心的利益」としては、これまで台湾、チベット、ウイグルの問題が具体例 として指導者の発言や公式文書などで挙げられてきた。しかし最近では、南シナ海問題や 尖閣問題に関連して「核心的利益」が言及されるケースが増えており、「核心的利益」の内 容に関心が高まっている(38)。2011年の『中国の平和発展』白書は、「中国の核心的利益は、

国家の主権、国家の安全、領土の保全、国家の統一、中国の憲法が確立した国家の政治制度 と社会の大局の安定、経済・社会の持続可能な発展の基本的保障を含む」と定義した。

この定義を素直に読めば、いまや中国にとっての核心的利益は台湾、チベット、ウイグ ルの問題にとどまらず、南シナ海や尖閣も包含されていると理解すべきであろう。さらに この白書で明らかになったことは、中国にとって「平和発展の道」を歩むうえで、「国家の 核心的利益を断固として守る」ことが必須の条件になったことである。中国の外交には、

協調的な対応を通じて安定した国際環境を構築すると同時に、拡大された核心的利益を断 固として守ることも要求されるようになった。現在、われわれが直面している中国の強硬 な外交姿勢の背景には、「平和発展の道」をめぐるこうした変化が存在しているのである。

4

習近平時代の対日外交

胡錦濤に代わって中国の指導者となった習近平総書記は、2013年1月に開催された「平和 発展の道」をテーマとした中央政治局集団学習会議で演説を行なった。このなかで習近平 は、「平和発展の道を歩むことは、時代の発展の流れとわが国の根本的な利益に根差した、

わが党の戦略的な選択である」と強調し、対外政策として「平和発展の道」を堅持してい く方針を示した。ただし、同時に習近平は、「われわれは平和発展の道を堅持するが、決し てわれわれの正当な権益を放棄することはできず、決して国家の核心的利益を犠牲にする こともできない。いかなる外国もわれわれが自己の核心的利益を取引したり、われわれが 主権、安全、発展の利益を損なうような結果を受け入れることを期待すべきではない」と も強調した(39)

(11)

この習近平の演説は、「核心的利益」を擁護することが、「平和発展の道」を進むうえで の前提条件となることを意味しており、今後の外交において「核心的利益」の擁護を重視 する新たな指導者の姿勢を示すものでもある。習近平が示したこの方針は、中国の各部門 による対外姿勢にも大きな影響を与えることになるだろう。実際、この演説の後に開催さ れた会議において副総参謀長の戚建国は、「国家の主権と領土の保全、海洋権益を揺るぐこ となく守らなければならず、国家の核心的利益は一点も損なわれてはならず、国家の主権 は一部たりとも失われてはならず、国家の領土は一寸たりとも縮小されてはならない」と 強調し、「国家の核心的利益を守る人民軍隊の堅強な実力を侮るべきではない」と発言して いる(40)。「核心的利益」の擁護を重視するトップリーダーの姿勢が明確に示された以上、東 シナ海や尖閣の問題をめぐる対日外交のみならず、南シナ海問題をめぐって東南アジアや 米国に対する外交においても、中国は引き続き強硬な対応を繰り返すことが予想される。

ただし、中国外交が主権や領土、海洋権益の確保を最重視し、中長期的に非協調的な姿 勢を続けるかどうか、言い換えれば中国外交における「韜光養晦」が終焉したかどうかを 判断するには、中国における「核心的利益」をめぐる今後の議論を注意深く観察する必要 があるだろう。中国が示した核心的利益には「経済・社会の持続可能な発展の基本的保障」

も含まれており、発展を実現するために平和な国際環境を構築することも、核心的利益の 一部である。今後は、中国の指導部が、主権や海洋権益などの確保と、安定した国際環境 の確保という、互いに矛盾しかねない核心的利益の間で、どのようなバランスをとってい くのかが注目される。

1)「大臣臨時会見概要」、防衛省ホームページ、2013年2月5日(http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/

2013/02/05a.pdf)

2)「中国共産党歴史大事記」『人民日報』2011年7月23日。

3) 濱本良一「強硬な中国外交の背後に『韜光養晦』の転換」『東亜』2010年12月号、46―47ページ。

4) 高原明生「オバマ政権下の米中関係と東アジア情勢」、日本国際問題研究所ホームページ、2012 年6月14日(http://www.jiia.or.jp/column/201206/18-takahara.html)

5) 例えば、浅野亮「中国の対外政策方針の変化」『国際問題』第602号(2011年6月)、36―47ペー ジ、張清敏(真水泰樹・諸橋邦彦訳)『韜光養晦、有所作為』政策の含意とその意義―ポスト 冷戦初期における 小平の対外政策」『法政理論』第41巻第3・4号(2009年)、181―204ページ、

および濱本、前掲論文など。

6) 中国における「韜光養晦、有所作為」をめぐる議論については、劉春紅「 韜光養晦、有所作為 戦略方針研究総述」『新遠見』2012年第6期、36―40ページ)が簡潔に整理している。

7)「中国人民抗日戦争記念館訪問後の小泉総理の発言」、外務省ホームページ、2001108

(http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/china0110/hatsugen.html)

8)「日中共同プレス発表」、外務省ホームページ、2006108日(http://www.mofa.go.jp/mofaj/

kaidan/s_abe/cn_kr_06/china_kpress.html)

9)「安倍内閣総理大臣の中国訪問(概要)、外務省ホームページ、200610月8日(http://www.

mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_abe/cn_kr_06/china_gaiyo.html)

(10)「賈慶林曾慶紅分別会見日本参議長扇千景」『人民日報』2006年10月17日。

(11)「為了友誼与合作―在日本国国会演講 中華人民共和国国務院総理温家宝」『人民日報』2007年

(12)

4月13日。

(12)「習近平会見日本首相鳩山由紀夫」『人民日報』2009年12月15日。

(13)「温家宝与日本首相鳩山由紀夫会談」『人民日報』2010年6月1日。

(14)「温家宝敦促日方即無条件釈放中国船長」『新華網』2010年9月22日。

(15)「温家宝在第65届聯大一般性弁論上的講話(全文)、中国外交部ホームページ、2010年9月23

(http://www.fmprc.gov.cn/gxh/zlb/ldzyjh/t755356.htm)

(16)「温家宝赴外交学院為周恩来同志和陳毅同志銅像掲幕並向師生們発表講話」『人民日報』2012年9 月11日。

(17)「我外交部商務部発言人表示」『人民日報』2012年9月20日。

(18) “Declaration on the Conduct of Parties in the South China Sea,” November 4, 2002(http://www.asean.org/

news/item/declaration-on-the-conduct-of-parties-in-the-south-china-sea).

(19) 鐘声「没有什麼風浪能動揺 中国定力 (国際論壇)『人民日報』2012年4月19日。

(20)「中方做好了応対菲方拡大事態的各種準備」『解放軍報』2012年5月9日。

(21) 鐘声「菲律賓当有自知之明」『人民日報』2012年5月10日。

(22) 高吉全「休想搶走中国半寸領土」『解放軍報』2012年5月10日。

(23) Robert B. Zoellick, “Whither China: From Membership to Responsibility?” September 21, 2005(http://2001- 2009.state.gov/s/d/former/zoellick/rem/53682.htm).

(24)「胡錦濤会見美国総統奥巴馬」『人民日報』2009年4月2日。

(25)「20107月8日外交部発言人秦剛挙行例行記者会」、中国外交部ホームページ、2010年7月8

(http://www.fmprc.gov.cn/mfa_chn/fyrbt_602243/jzhsl_602247/t714888.shtml)

(26)「就美售台武器提出厳正交渉及抗議」『人民日報』2010年1月31日。

(27)「就美宣布対台軍售計画提出強烈抗議」『人民日報』2011年9月22日。

(28) “Chinese Military Seeks to Expand Its Naval Power,” New York Times, April 23, 2010.

(29)「外交部長駁斥南海問題歪論称南海形勢穏定」『新華網』2010年7月26日。

(30)「陳炳徳与馬倫共同会見中外記者」『解放軍報』2011年7月12日。

(31) “Remarks with Japanese Foreign Minister Fumio Kishida after Their Meeting,” January 18, 2013(http://

www.state.gov/secretary/rm/2013/01/203050.htm).

(32)「外交部発言人就美方近期渉釣魚島言論答記者問」『新華網』2013年1月20日。

(33)「中国 米軍哨戒機を追尾」『産経新聞』2013年1月14日。

(34) 胡錦濤「努力建設持久和平、共同繁栄的和諧世界」『人民日報』2005年9月16日。

(35) 国務院新聞弁公室「中国的和平発展道路」『人民日報』2005年12月23日。

(36)「和平発展:中国的必由之路」『人民日報』2005年1223日。

(37) 国務院新聞弁公室「中国的和平発展」『人民日報』2011年9月7日。

(38) 中国における「核心的利益」をめぐる議論については、前田宏子「中国における国益論争と核心 的利益」『PHP Policy Review』第6巻第48号〔2012年2月2日〕)を参照されたい。

(39)「更好統籌国内国際両個大局」『人民日報』2013年1月30日。

(40)「戚建国:国家核心利益不能損、主権不能 、領土不能少」『国防部網』2013年2月4日。

いいだ・まさふみ 防衛省防衛研究所主任研究官 [email protected]

Referensi

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