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内 信
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書
評
経 螢経濟學史
中
試
村
常 次 郎
一
最も有卜経れた経鶯経済墨東の方法としては︑残され九文献の解読を年代別に検討する文献史的方法がある︒それ︑
も勿論學藤求の一つの窪として蔑著するが・古い肇の籍鶉寄革め姦てしては墨書奮の藻が
理解し得ないのみならす︑學読探求の方法としても一面的である︒そこで第二の方法が問題となる︒即ち︑軍に其の
内筆管蒜では馨︑同時に其の蟄に塑嚢瑠盤あ關聯に於い重撃議する方勢︑是である︶が︑
其慮では學読と其の動機との關係︑ 両者の歴︒史的因果の關係を明かにすることは出來るとしても︑ 其塵かち思考上
必然的に新しい稜足への綜口を導き出すことは出來ない︒此の方法は第一の表れに比較して一段進んではみ6が︑此
の立場を押し進めて行けば認識論上の相封主義に焙るより外はなく︑從って此の方法は此の鮎に限界を持つ℃みると モ見なければならないり斯くして最後の第コ.の方法が取上げぢれることになる︒.亜ハの方法は︑學論を跡付けるに行爲の .
立場に立つ謄史認識の方法を以てする㌫のであり︑単体的把握の方法である︒即ちザ現在の立場から理論の建設を目
︐綿 誉 経 済 學 史 ・ ︑ 一 二二七 曳
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書 詐 ■ . ニ二八
指して墨書探究各書聖曽︑嚢を肇豫窩に於い馨箭に見終るのではなく︑藷髪の立崇ら
・モ体的・鮒造的に吟味する行方を取るものであり︑其の性格は存在的にして存在論的な去れである︒・其の場合の認識
の方法としては︑マックス・ウェ1バーの理想型の概念に封して創造型の概念を用みねばならないと言ふので¢るが︑
︑ともあれ︑経管経済學史を経管経濟學再建の爲の嘘のとして把へるといぶこと︑或ひは學読史的考察を通して維誉経一
濟學を基礎付けようと試みること︑是が池内救援の行着いた﹁経管経済學史の課題﹂であっガ︒
教授は︑此の課題を解決する爲に︑・本論を﹁維菅経済墨の生成﹂・﹁現代の経螢経済學﹂及び﹁経螢経済學と民族
共同鰐﹂の三篇に分って検討してみる︒
ρ 二
先づ︑第.一篇から見よう︒.教授は︑資本主義緯濟の高度化と共に産業組織が複報多様となり︑経螢規模の籏大に件
って饗個愈奮え露−し美髪するや−密−・.葦代奮叢笙の現實的地殻叢山・
し.︑此の動機に促されて生れた商科大學を具体的な憺ひ手としてわハわれの科學は近代科學としての第一歩を踏み出 唖 ノしたものと見る︒ 即ち︑此の學問が一つの科學としで目畳され始め九時期を以て其の後生の時代と考へ﹂ 其の時期
を今世紀の初響求めてみる.とこ奪︑商科大學の婆葛に在つ濠蓄其の中細學たるべきものは存在享︑
其の爲に商奨嬰是藝唱へられるに本寺︑これを濃としてそれ迄の商髪は商議を器に肇すべ嘉の問
題が提起され・科學としみ響讐學への曼が・惑は肇讐畏ひ幾糞墾既ひ総別嚢肇ど窯
ヂ ・、
●
︑
〜
に於いて表面化し︑グ種み論議が繰返されたのである︒さうして︑注意すべきことは︑此の自己痛察の第一歩である
一九一〇−⊥九一二年の論争の裡虹︑飢に現代の経膏経済學の諸特質が萌芽的に主張されてるたといふことである︒
即ち︑斉しく私経済學を問題とし乍らも其塵に三つの異れる立場が既に存在して居り︑國民経済學に封して相封的に
猫立する私経濟學を唱へるシェーア及びゾィヤーマン︑シェーニゥツの読と︑私経済學を眞向から否定するプレンターノ ヤラ及びエーレンベルヒの読と︑最後に純粋に猫立科學とむての私経済學を唱へる●ヵルメス及びオプストなどの論を偏分
することが出來る︒而も︑︑シェーアの所見は規範的傾向を示し︑ブィヤー.マンとシエ一二︒ッの夫れは客観學派を代表
するものであり︑ また當時の論争に容加過るシュマーレンバ.ハの去れは實誰精神の支配する経験論であるといふ風
に︑傾向は色々に相違を示してみたが︑上述せる総て︐の構造に共通に見受げられ.る特質■は︑先づ世界観的には豫定的
調和の理念が前提され︑國民経濟性と私経済性乏が調和の關係に於いて唱へられでかる鮎である︒常時の私経籍墨は
ロ ヤ資木主義の順調なる震展を其の場所として生れたものであり︑斯かるものとして右の特質を有することは眞に自然的
ではあったが︑同時に其虎に理論としてその限界を持ってるたといふのである︒︑
航るに︑第一次大職後の社倉的・繰濟的・精神的妖況の攣化に件ってv特に産業肚曾化の運動を直接の動機として経
螢の肚會性に考察の目標を置換へる傾向が現はれ︑高き利潤の代りに経濟性を問題とするやうになり︑著しい研究領
域の藝寛嚢・響響至急導る蓬蓬莫・鳶やがて馨化瓢臭敗に軟筆婁脊椎覇が現
ノはれて來ると︑これに促されて経菅経済學も亦再ぴもとの私経濟學へ復蹄汐方傾向を示し始めたのである︒此の種の試論は概ね立論の根嫁をマックス・ウェーバーの理想型に求め︑理論を現實を説明する爲σ手段と解し︑・現實を認識す
︐経 誉 鰹﹃濟 學 史 ■ 二二九
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● 書 評 ﹂ . 一≡〇
一る爲に特定の公理をつくることを先決画題とする構成主義の方法原理に立づてるる︒さうして︑︑斯學の生流が其の研 ラニ究領域を経済的経管一般に櫨大することを以て素朴な模真説に立つものとしで貿向から排撃するのである.︑
ごのやヶにして︑経螢経済學は第一次職争後量的には著しい嚢展を示したが︑其の反面︑質的には必ずしも順調な
る歩みを持たす︑.経菅實践の解明の爲に多くの業績が鷲され土が︑理論納反省な却って後退さへ示すに至ったか略し
て︑叢に縄螢経済學醇化の試みが必然的に現はれすには措かぬ状況となるっ教授は︑猫逸學界に於ける斯かる自量的 ︑ ● ノ研究としてのブェルハイガ︑ジィーペル及びシ瓜ーンプフルークなどの勢作を媒介として︑改めて斯學醇化の試みを検討
し︑問題史的方法又は問題自畳的方法を取上げる︒ 轟も︑ 問題史的方法と一一一一・つても其麗では二つの方法がある︒一
ケは既成の需体系に内甜で曽︑之迄の學問が何を如何に問ふて來窺恵みを走依ぞ器需の本質タ
規定する方法であり︑他の一つは︑開題を現實の裡から寛めて思惟を︐切開く歩みである︒之等二つの方法は︑其の成
立の根嫁を全く異にするものであり︑前者は結局近代0認識論に結び付き︑後者は近代の自畳存在論に直接の支援を・
チ・求めてみるものである︒さうして︑此の關係を現代の経螢経済學の基礎原理に就いて見れば︑前者に島するものは實.
誰學涙であト︑後者には規範學派が属し︑而も爾者は鋭い封立を示してみるのである︒教授は︑右の封泣に聞して︑ ︐軍に一つを任意に選挿するといふ風に問題を解決すべきではなく︑認識そのものに想ひをいたして根底から既成体系
を見直すべきことを要求してみる︒教授に振ればト認識の方法には二つが有り︑一つは物を外から一定の親瓢を探つ し
て見る方法であり↓今5勝箕の内から懸的に契る塞おる.薯は霧的見方で脅︑器鏡窺一
明の用具と解する思考の型に鵬し︑自然科學的であり且つ個人主義的な特質を持づ︒後者は物の内面的・本質的聯關
軋
㌧
、
︑ ㌧冒
︐を把握する方洗であり︑■此の作る並場を通して初めてわれわ︐れは物を其の本來の姿に於いて把へることが出来る︒と
言クても︑教授は物に近寄る手続きとして多価共葡者の方法セ援用せねばならないことは是を承認してみるもので訪.
り︑唯其の方法を以て絶封硯︸る偏見を警戒︑せねばならないとする︑■既に此の見解からしても教授の傾向は最早或程
度迄推測し得る如くであるが︑教授は爾問題を請来に保留し︑・鰹螢経済學の將來の見透しに關しても︑此の二つの田心一
考・即嶺る立縞幕巽と作至場競範雲と望つ憲考を雄として︑其の中華磐葎ふ誘如くに
動くであらうとい台と壷にそれ皇つの孰れか羨るといふ任意の糞各ふべ喜は驚︑嬰隻の笙の
ゴ地盤に引下し・馨温しボ皐鵠に誘晋砦馨るので奮れ梼題の轟的解明姦し智慧いこと
を強調して︑第一編を終結廿.しめたのである︒. ︐
三
ヤ 第二編底︑﹁現代の経螢経済率﹂ と題されるが︑ま光池内教授としては相當に力を入れられ九部分と見受けられる
が︑結局其の内容は︑首題に聞して既に第一篇に於いて定立せる教授の學史の方法も痛罵じた部分であると一一一一・ふこと
が出來よう・即ち痘岱饗糞肇彗讐濃ど規範鑑との二つ雰曳謹製を企落勢葎的猛
として把へる歩みとしての理論的経螢経済學と︑企業寂の主観的意志に副ふて理論を組立てる技術論的経螢縄濟學と
に圓介して︑夫々の特質を明示しようという縄であった︒ ︐㌣ セ 先づ︑理論的経管経済學に就いて嫉︑︐近代科學の思想を根抵としで企業の経膏を現實肯定の立場から自己完了的. ト 純 菅 鰹 濟 學 史 ﹃ . 二三ギ ︑一
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書 ︑鴫 詳 ・ 一 . 二三二
肇籠・養鵠に契ようとすろとの蓋特夢揺し︑要覧ーマンとシfッッの羅綾●ゾェルハ
ィムの個別維濟學及びリーガーの私経済學などの夫々の學論を取上げて其の特殊︑性を槍討してみる︒文化贋値ーー國
昆経済的巷塵力−牧金性の債値系列に於いて私経済學の認識旧的を収益性に求めるワイヤーマゾ及びシ悪書ッツの私経
済墨の構造が︑猫逸資添主義豊国両度化を地盤し屯し︑リッケルトの僧位哲學に嫁も所を求めたこどの偶然μ非ること︑
葉糞釜化覇憲胎とし羅辛ら砦ソ︑ルハームの個別讐霊に−去あ轟葦が霞毒的に其の
理論を構成してみることも理唄のあることなぜが︑共慮に論議されてみる︐教授はこれらの合理主義の精神に生き抜
く理論麗蕪遼の慧を勿護りとして見るものではない︑︑そのいづれもが蕎する傘響の科爵認謹必
要で碧き誓が︑それら立高森肇義隠う一と暑して埼肇も裏を嚢せ雑ならないと言7お
クである.さうして︑理論が現實か遼離することをも雇昏を豪いと星らも︑比の﹁へ髪皇馨節して
見直さ勲ばならぬ﹂として︑.理論的経菅経済學に封ずる自己の態度を明かにしてるる︒
技術論的維警経済學に關しては︑先づゾム︑バルト及びマックス・ウェーバーに倣って技術論の特色を確め︑次いで︑
シュマーレンバ・・バの経螢経済學とホフマン及びジ抗ーベルの経管経済學とを其の代表的な所見としエ吟味するひ即ち・
サ ワ
蒲的愁を架の認識獲とす属践謝老声・︑マrレ・バ.ハの警と︑彼が蕎無的譲力の蕩に行
着く思惟過程とを論議し︑.次いでホフマンの主張の韓質を検討して︑夫れが産業合理化運動を母胎として生れたこと ワ
③すれ璽肇の葬謂登簿るが︑鶯去れ轟叢璽豪−ぞ傘馨あ㌻暴印を押し量に ジィ麦あ講論馨作姦寺︑彼が羅裏書誉;嚢葦劣法論に結蒔くごとは養奮査於
ノ
いて私岳釜撃轟生体繁みの竣嚢巽聾聖篭から需−︑斯肇黎慧と誘拐皇の爲
であるとする〜うし薮馨︑ジベル籔しで蟻フマン罫宏と同様の︒批製常嵌庫φろが︑問題無︑ろ如.
何にして此の構想を現在に生かすかを明かにす偽ことでなければならぬとされる︒
とこ馨誠代的毎嚢に塾して飽く響鑛馨とし青己を生か考とする虜響技術甑維馨葦
並に難募轟論器難業奮の甚誰と茎垂鵠禦撮るあが︑即ち規範農で勇︑︑﹂な︑ 研究森としての企携張星密穰水準に高める蕎暑かれ︑探泌牲星かす豫羅び讐響理
性の立學轟論盆立手星−るあである.こ霊長︑ナチス制覇後に恭謙磐産︐己て傘の響
ラ ク ペ
を把握し革には斯馨葱麗輩の房科考しめてみる悌畠るが︑夫等に就いては第一︑喜誉れ︑慈
ノ ず ラ ぴは此の傾向の開拓草宏シェ←︑編自の燈雀開せ奎ウクー.シ︑並に國錨隼誉現高鷺程巽シ
ェーンプフル!クが主として取扱はれてるる︒
シ章アに關して箕の一九二年の商業讐馨聖げ︑ヒれ鑑み行−響響葉の強化に麗して私舞
と園民経済との豫定的調和を肯定し︑之迄閑却ざれてみた財貨の配給過程に喰入って商業経管學の体系を完成せる佑
のと見﹂種の書類携婆需り︑器中に包読毳毳豫と規定する︑次いでシ︑︸アの繋思蓼受
讐を薇汽るニッタ惚シュは︑企業の響集督し妻警︑進んでカン土︑フ4ヒーブ︑へ−て経る書惰
馨撃鯖して盤原謬確立し︑是繁い岳麓生蕪肇的認撃寓し︑所魏輩婆諜菰ゑた.
彼の組織原理・書裏箋と相摯星蕩蕊原畢宏が︑彼はこれ集底として斯學固有累論題轟
舞膏緯 済學 史 ︑ ・ ︐ 三一コ↓一
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、
︑ 書 . ・ 評 . . ■ 一二一一四螢に於ける慣値循環の問題に見出し︑国民経済學どは別個の経済學を樹立したのである.︑夫れは企業経督の経済學的
.壮言學的認識に鯖くものであり︑獅逸観念論の傳統の一上に立づ主張であっ九︒規範學派に於いては普遍妥當的な規.
範概念の規定が問題であるが︑これを先験的方法を取入れて意識的に深めたものがシ.﹁之フフルークである︒彼は︑︑
生活認識の根木態度を組織体6構成体中心の悪推に飛め︑而も理念的なものを本質的と見る猫逸観念論を基礎として聾
饗畳用的贋無念憲定しおで︑切ろ.二.リナシ.もシ丁.ザ.ルーク滝︑科學の領域を越え看鶏糞に深
入りした所に其の特色が有ると厨時に︑其塵に行過ぎがあっ九と教授は見る︒教授に豫れば︑﹁規範的経菅縄濟學は︑ ノ
それ県と¥決して間彗輩論携で壕ど..然し︑二夢−・シェ㌻エ←プ・ルークの如くに﹁農鍋な
の つ
理念窺夢求宥ので籔−︑疑的にして馨的善在漏して経難範窶し奮詩嚢蕪鼠乞馨秤
ぞ溌︑そして.小鬢践葦と遇うち穿霞な畠﹂といふ象宏.今日われわれは︑私嚢と讐難と 野立と震に悩み著てみゑで脅︑嘗て此の矛盾を売繋るイ.テ言下姦淫して綾蕪蒙の存在
理由は失はれる︒イデオロギーを諏除くといふ無駄な努力をすべきではなく︑寧ろ表れを生かす方向に理論を展開せ ﹁ねば殊らない.斯くて︑教授は︑﹁規範的経誉経済學が間遠ってみるのではなぐ︑カれ料れはこの穂想を現實に即し
て見直し︑現實科學乏して深めねばならぬ﹂といふ言葉ゼ以て・第二篇を結ばれ胤︒ ・ ︑
・四 一
図民傑正議は民族丘ハ同体の建設を目指す舐會革命マあ軌︑ぞれは嘱族に内略る本來の精神的.物質的能力を導
﹁ ︐ ず
︑ ・ 漕 ソき出す一つの政治運動として始まつ九が︑第三篇は︑此の時期に於ける経瞥経濟學療如何に書き直されね拭ならなか. ︑ 一. ●つ九かを問題とする︒先づ︑民族共同体の構造を吟味し︑次いで政治に於ける債値系列の纏換を︑更には経済に於け
る償纂列轟肇跡付け基体串羅型醤と鉛煙突れられ知得穆付けられてみる麓馨しΣ
る︒さうして︑ナチスの下で経管経済學が意志論として現は.れた過程を述べ︑ナチスと共に現れた経鶯経濟學がナチ
ス﹄運命を共にせざるを響ないことは言ふ迄もないが︑然し︑本来の蜀海的生に即して鍛え上げられた生活経済緯ヂや
二リ先ζ慧羅蒙は高後裁簿旨ら読乍らも軽く自らの導生麸いて行〜↑と需ら歪裏る.
なβ階教授はナチスの企業親としてのかの経螢共同体の爲に工績を.割いて論議し︑表れが企業そのものの経済的.肚
會的特質を顧みることなく一方的に共同体化し九所に行過ぎがあると指摘し︑物の理性に反して興つた國民肚倉主義
叢れをと霧念鶴であ実断髪衝塁みる.此の章の意業︑タチスの鑛はわ砦れ叢って羨して
縁遠い問題ではない⊃企業の改革はわれわれに取ってはさじせまつ九問題である︒天下り.の改革ではなく︑下から盛
至る力に馨し蕪濟轟讐聖堂での肇で奮隆弩ぬ﹂ことを驚.するに︑在3お如−である.最
ぴ し.後に︑教授は︑猫逸経済學が民族意織に根差す猫逸的な性格を持つヲ︑とを︑吟味し︑経瞥経済學に於いては規範學派と︒謂はれるものに同様に其の特色を鮮明に指示し得る所以を述べ︑改めて一つクリ溜シュ及びシェーンプフルークなどを検
討し・へ麦ルの思想に攣るものを特需貢集がナチ晶と〜より無︑ろファシズムのも.璽あること︑形
式社會學的方法を展開する侍者が︐脊機体の思考に支援を求めで現實を保存し現麿を永遠化する思考憤向を示し︑ナ ・ ﹄ チスの世暴観とは隔ってはみるが矢張り篭三國家を場として現はれた一つの學説としての特色を持つことなどを明か
.纏 誉 経済學 史 .. ﹂ ﹃ 二三五
﹃
、
書﹄一 評 ︑ ︐ ︑ 一 ︑ 三雲
にする︑教授に錬れば︑ ﹁理性に反して生れたナチズムは鋭く批判されねばならぬけれども㌧ナチズムの嚢生によっ
て経螢経済學が其の根底から見直されねぜならなくなつ九ことを教へられ九ことぱ︑われわれに取って一つの敏訓で
あ6︑一つの牧獲であったと言はねばならぬ﹂といふのであゆn経膏経済學が今日其の根底から見直されねばならぬ必
要に迫られてみる時︑﹁内在の立場を一方的に押進めることによっては此の難問は解けない︒好むと好まぴ・﹂るとに拘
りなくわれわれは︑開け行く現實仁即して思惟を切り開いて行かねばならぬ﹂−.︑いふのが︐興の結論である︑︒
本書の本論は以一上で終るが︑教授は尚﹁補論﹂に於いてレッフ属ルホルツの経管経済學皮の方法を吟味して學読史が
行爲の立場に結び付くべき・﹂とを検出し︑ま九経管経済學の前史の毒描を行って第︸綿の補完を行ぴ︑更に猫迎.亜
米利加及び日本に於ける主要なる文献の傾向をも吟味して︑夫々の特質を指示するど共に自説の再確認をも行ってゐ・
る︒此の﹁文献考﹂の部分は特に初學者に取って有益であらう︑ .︑
五
掠︑大掴みに概観して來九が︑終りに若干の感想を率直に述べさせて貰ふことにしよう︒
教授が初め學読史の方法に聞して提起し九課題は︑われわ耗も亦原則として共憾する所であり︑略愛當なものと言
ふことが出來よう︒問題は︑軟投が如何に此の課題を解決しV去れが何の程度迄成功してみるかといふ黙に在る︒ところ
で︑此切課携饗といふごとになると︑失繋畷︑叢には黒議さるベーし毒毳毳分が砦の集蓼ざ
るを得ない︒藪に︑教授が塞論の各篇の結論として示し海主張︷前述の各該當個所参照1を︑改めてわれわれは
●
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、
ド 年
想起すべ碁あらう.即ち︑第爲﹁讐経嚢の生成す鳶に終幕濃と雑羅との任鵠笙裏表
きるべぎではなく︑問題を興の獲生地盤に引下し︑現實に即して而も主体的に典の正常性を確めろべきを説き︑第二篇■﹁現代の鰹替経済學﹂に於ゼては︑實誰學派に聞して如何に此仇構想を現在に生かすべきかが問題であり︑規範學派
に關して此の構想を現實に即して見直し現實科學として深めろこと.が問題であるとし九︒さうして︑最後の篇に於い
・ては︑経管経済學は今日根底から見直さるべきこと︑其の際︑内在の立■場のみに執着せす開け行く現實に即して想惟 へを切り開くべきことを強調してみた︒これち一連の諸結論の意味するものは何か︒結局︑教授は︑﹁維螢経済學史の課
題﹂としてさきに行着いた方法を︑共の後の學史の内容的檎討に際して︑其の時々に直接に取上げ九問題に跼れて改め
て繰返し再確認してみる︑といふより外には受取り難いものであったっとすれば表れは︐課題の提起としての意味は持
翫得るが︑結局それだけに止よレ︑課題の解決と言ふには両論議の多くの鹸地を憂してるると見なければならない︒
尤も£あ扉鯖に芸募讐於盤︑個々の學携讐普蕃批禦ど漏して終流石に整姿
年に亘り手懸けられた成果を示す論議が端的に要約されて居り︑多くの示唆が與へられてるるザ﹂とはこれを認めねば
ならない︒が︑此の部分に関しても両次の顯をあへて指摘せねばならない︒去れは︑個々の學読の内容の楡討に於い
て︑もっと立入つ九吟味が必要ではなかつ九かといふ黙である︒勿論教授の課題とされ九問題の性質からして︑内容 やの昼細に立入るよトも寧ろ大掴みに個々の學説を取止げ︑とりわけそれ略の科學的性格を把握する行方が︑或ひは如 ヤ ち何にも相磨しい方法であったしとは心慮首肯されるが︑それにしてもゆそれでは︑ ﹁経管経済學史﹂といふよりぎ宿学 ロ
ろ羅葺か盗﹂といふ蟹がよ義當馨のではなかつ参と霞問が依然とし霧さカるであらう.
純 誉 紅 .濟 學 史 ・ .・ 一 一ご二七
福 . ︑ ■
一 ヨ
㌧
書 .評 ■ ・. . ・ 二三八
ぺ︑教授の傾向は︑嚢にも暗示した如くに︑.近代科學の根強さは是を認めながらも去れに從ぷ二とは出來す︑結局︑規
ぎ範學派を批判してこπを建直すといふ方向にあるものの和ぐである︒︑兎に角︑これが學史的研究を媒介として導き出.
され九教授の経螢経済學再建の方向と聴すべきものの如くである︒と二ろで︑此の方向に於いて歴史的にして靴會的k
な實在に即して経醤規範を確み︑現實科學どしてまた實践科學どして斯學を樹立しようといふことになると︑理論的
にばかりではなく︑其の際に最も直接的に問題となるべき我國砕現實の捕勢からしても仲ルに困難があると見なけれ のばならない︒斯かる批剰は︑それを行ふものが経菅経済學再建の方向に於いて教授と勤立するわたくしであり︑規範
ド ロ科學的顔向を否定するわたくしであるが故に行ひ得乃批判であるといふ風に︑謂はば↓部少数の異端者に依る批剃と
のみ孵し傷ないものがある筈である︒といふのは︑わ丸くしとは奨み立場に於いて決して同一ではないが︑既に規範
學派に封してのみならす︑其の方向に於ける構想に封して眞向から反射する批判が︑同じく猫瓶経螢経済學の批靱を 畢
媒論として而も我國の戦後の現實を背・景として打出されてみる︵例.北川︷︑ボ藏.経管學批判︑経螢學方法論研究︶こ︐.㌧
を以てしε︑そ2と晴かである書で雪裏︑教授笠の薦置て一﹁こ俊で雀誘回顧であると酵
に展望でもある﹂とされてみること故︑われわれも性急に教授の構想の實現を要求しま九豫想せる結論に先走う的に
打向ふべきで.はなく︑其の實う角き將來に大いなる期待を寄すべきであちう︒ともあれ︑戦後の風潮として在來の結
果に封ずる深刻な自己反省とてなく亜米利加経蕾経済學の軍なる翻課的解読が横行してみる時︑眞蟄な態度を以てわ し サれわれの科學の反省と再建とに取組んだ書物に接し得た事は近來の一枚獲と言ふべきであった︒上述のわたべしの妄
評も先輩の眞繁な態度に接しての促された望詩希望の表現といふに過ぎない︒ ︵一九四九・七・一六︶ ㌧