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(or Academic Work)” Heisei Edition: Using “I” Novel:

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Academic year: 2023

Membagikan "(or Academic Work)” Heisei Edition: Using “I” Novel:"

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“Encouragement of Writing from Left to Right

(or Academic Work)” Heisei Edition: Using “I” Novel:

from Left to Right by Minae Mizumura as a Lead

Toru Fukazawa A novelist and essayist, Minae Mizumura wrote, in her essayThe Fall of Language in the Age of English,that the true state of affairs would not be changed in academic work whatever language scholars used for their papers, but that it would be changed in literature, depending on the language authors used for their works. In this situation, scholars must choose naturally the more versatile language, which is English for the time being. Under such pressure to use English, Mizumura tries to find a means of protecting the Japanese language in literature.

However, the idea that any language can express the same state of affairs in academic work is derived from phono-logocentrisme, which was criticized by Jacque Derrida. Against the backdrop of this phono- logocentrisme, policies concerning the Japanese language were carried out after WWII, supported by the Far Eastern Commission, which has led to the present-day conception that the true state of affairs in writing is not affected regardless of whether it is written vertically or laterally.

In this article, I focus on performances in the humanities, which serve as a medium between academic work and literature, without separating them distinctly as did Mizumura. I criticize phono-logocentrisme deeply rooted among people today by requiring them to practice writing vertically in performances in the humanities.

(2)
(3)

f r o m l e f t t o r i g h t

深 沢 徹

ニュ ース ピー クは 二〇 五〇 年頃 まで に︑ 結局 は旧 語 法

︵或 はわ れわ れの いう 標準 英 語︶ に取 って 代わ るべ きも のと 期待 され てい たの であ る︒ この 間に ニュ ース ピー クは 着実 に普 及し て︑ 全党 員は 日常 会話 にも 益々 ニュ ース ピー クの 単語 や文 法的 構文 を用 いる 傾向 が出 て来 た︒ 一九 八四 年に 使用 され てい た表 現︑ また ニュ ース ピー ク辞 典第 九版

︑第 十版 に収 録さ れて いた 言語 形態 はい わば 暫定 的な もの であ り︑ 多数 の不 用な 単語 や古 い文 体を 含ん でい て︑ それ は後 日︑ 廃棄 処分 とな る予 定に なっ てい た︒

︵ジ ョー ジ・ オー ウェ ル﹃ 一九 八四 年1

﹄︶

(4)

一︑

﹁タ テ書 き﹂ と﹁ ヨコ 書き

﹂の はざ まで

水村 美苗 の小 説﹃ 私小 説 fr om le ft to ri gh t﹄

︑二 つの 点で 特異 であ る︒ まず はそ のタ イト ル︒ ジャ ンル 名と して の﹁ 私小 説﹂ をあ えて 名乗 るこ とで

︑日 本に 特異 なそ の小 説形 態を

︑意 図的 にな ぞっ てみ せる

︒ 先に

﹃續 明暗

︑漱 石の 文体 そっ くり に真 似て 書い て見 せた 手際 を思 わせ る︒ メタ

・フ ィク ショ ンと して の特 質が

︑そ のネ ーミ ング から おの ずと 浮か び上 がる2

︒ 二つ 目は その 書式

︒な んと この 小説 は﹁ ヨコ 書き

﹂で 印刷 され てい る︒

﹁ヨ コ書 き﹂ 小説 とい えば 通常 は西 欧 から の翻 のこ と︒ それ を日 本語 に移 し替 え︑ 訳し 替え たな らば

︑﹁ タテ 書き

﹂に され るの があ たり まえ

︒ なの にこ の小 説は

︑日 本語 で書 かれ てい なが ら︑

﹁ヨ コ書 き﹂ なの であ る︒ もっ とも これ には

︑た だし 書き が要 る︒

﹁会 話に 私の 十倍 くら いの 英 が入 って くる

﹂︑ しか も﹁ 品の 悪い 常 を乱 発し

︑タ フな 女と いう 役 のに 興を 覚え てい る﹂

︵二 六頁

︶姉 の奈

との 電話 口で の応 対︑ それ がこ の小 説の 大枠 をか たち づく る︒ ため に英 語の フレ ーズ が頻 繁に 現わ れて くる

︒こ れを 通常 の﹁ タテ 書き

﹂書 式に 倣っ て︑ 逐一 ヨコ に寝 かせ てい ては

︑か えっ て読 みづ らい

︒ いや 理由 はそ れだ けで はな い︒ この 小説 の主 題は

︑﹁ タテ 書き

﹂書 式の 日本 語と

︑﹁ ヨコ 書き

﹂書 式の 英語 との 対立 抗争 にあ り︑ 通常 は﹁ タテ 書き

﹂さ れる 日本 語の 小説 を︑ あえ て﹁ ヨコ 書き

﹂に する こと で︑

﹁タ テ書 き﹂ 書式 に安 住し

︑そ れを 当然 視し て少 しも 疑わ ない 日本 人読 者の

︑あ まり の危 機感 のな さに

︑警 鐘を 鳴ら す意 図が みて とれ る3

(5)

その タイ トル に︑

﹁私 小説

﹂の ジャ ンル 形式 を模 し︑ それ を意 図的 にま ね︑ あざ とく 演じ てみ せる 作為 の跡 が 見て とれ ると する なら

︑﹁ ヨコ 書き

﹂書 式を 用い たそ の理 由は

︑副 題に 付さ れた fr om le ft to ri gh tの フレ ーズ に 示さ れる

︒た とえ ばこ んな エピ ソー ドを とも なっ て︒ 英語

が鳥 のさ えず りに しか 聞こ えな かっ た最 初の ころ は︑ 学校 の休 み時 間は もと より

︑授 業中 もか まわ ずに 日本 語で 小説 を読 んで いた

︒あ の日 も没 頭し て読 んで いる うち に︑ いつ のま にか 休み 時間 にな って いた のだ ろう

︵﹃ 私小 説﹄ 一一 五頁

︶ この

とき 少女 の美 苗が 没頭 して 読ん でい たの は︑ 明治 の女 流小 説家 '口 一葉 の﹃ にご りゑ

﹄で あっ た︒ 日本 語 で書 かれ たそ の本 を︑ ジュ ニア

・ハ イス クー ルの クラ スメ ート に横 取り され

︑み なに 冷や かさ れる

︒そ こに 生意 気な 男の 子た ちも 加わ って

︑T he yd on

’t re ad fr om le ft to ri gh t. Th ey re ad fr om to pt ob ot to mと 騒ぎ 立て る︒ そ の言 葉を その まま に︑ この 小説 の副 題が 選び とら れて おり

︑あ とに はこ んな 文章 が続 く︒ いづ

れに せよ その 場に いた 級友 たち の想 像し てい る物 語か ら︑ 一葉 の︑ 哀し い︑ にご りえ の匂 いの 漂う よう な文 章は あま りに 遠く 隔 おり

︑私 は自 分の 英語 がい くら 流暢 にな った とこ ろで

︑こ の隔 が埋 め尽 くさ れよ うと はと ても 思え なか った ので あっ た︒

︵﹃ 私小 説﹄ 一一 七頁

︑た だし 傍点 引用 者︶

(6)

ここ にい う﹁ 隔た り﹂ が︑

﹁ヨ コ書 き﹂ の英 語と

﹁タ テ書 き﹂ の日 本語 との あい だの それ であ るこ とは いう ま でも ない

︒だ がテ キス トを 丹念 に読 み解 いて いく なら

︑も うひ とつ 別の

﹁隔 たり

﹂の 隠さ れて いる こと に気 づか され る︒

二︑

﹁遅 れ﹂ が﹁ 最先 端﹂ へと 転ず るア イロ ニー

続け て同 じ教 室で の出 来事

︒本 のペ ージ に唯 一読 める アラ ビア 数字 の打 たれ てい るの に気 づい たJ im とい う いば った 子が

︑﹁ 見て

︑見 て︑ ぼく たち の数 字︵

=英 語の 数字

︶を 勝手 に借 りて 使っ てい るよ

﹂と

︑さ も大 発見 でも した かの よう に自 慢げ に触 れま わる

︒す べて をヨ ーロ ッパ 起源 と考 える そう した 傲慢 な西 洋中 心主 義を 批判 して

︑そ れは アラ ビア から の借 りも ので

︑も とも とヨ ーロ ッパ のも ので はな いと 抗弁 した いの だが

︑﹁ そん な高 度な こと は言 えな いの で私 は黙 って いる

﹂︒ その 一方 で︑

﹁片 言し か知 らぬ 英語

﹂で はう まく 説明 でき ず︑ その と き言 いた くて 言え なか った Yo ui gn om in io us ig no ra mu s︵ なん と無 教養 で恥 知ら ずな

︶や On th ec on tr ar y︵ 反論 させ ても らう なら

な どの 表現 に︑ 中学 レベ ルで は決 して 用い られ ない ラテ ン語 起源 の︑ のち に名 門イ ェー ル大 学へ と進 んだ 美苗 が︑ そこ にお いて 習得 した であ ろう 学術 的な 語句 が︑ いく つか 含ま れて いる こと に注 意し たい4

︒ ここ にあ るの は︑

﹁は なし こと ば﹂ をも とに 書 中等 教育 レベ ルの 平易 でヴ ァナ キュ ラー な英 語と

︑ギ リ シャ 語や ラテ ン語

︑さ らに はア ラビ ア語 など に起 源す る外 来の 学術 用語 を頻 繁に 駆使 して は

︑﹁ 書き 言 葉﹂ を基 軸と した 高等 教育

︵= 大学

︶レ ベル のア カデ ミッ クな 英語 との

﹁隔 たり

﹂で ある

︒そ して その

﹁隔 た

(7)

り﹂ はま た︑ 日本 語に おい ても 見い ださ れる もの なの だ︒ ジュ ニア

・ハ イス クー ルの 教室 で︑ ひと り孤 独な 読書 にふ ける 主人 公の 姿を 描き だし つつ

︑テ キス トは 一葉 の

﹃に ごり ゑ﹄ の一 節を

︑次 のよ うに 引い てく る︒ 何だ

とて 此 な處 に立 つて 居る のか

︑何 しに 此樣 な處 へ出 て來 たの か︑ 馬 鹿 らし い氣 違じ みた

︑我 身な がら 分ら ぬ︑ もう もう 歸り ませ うと て橫 町の 闇を ば出 はな れて 夜店 の竝 ぶに ぎや かな る小 を氣 まぎ らし にと ぶ らぶ ら步 けば

︑行 かよ ふ人 の顏 小さ く小 さく Éれ 違ふ 人の 顏さ へも 遥 とほ くに 見る やう 思は れて

︑我 が踏 む 土の み一 丈も 上に あが り居 る如 く︑ がや がや とい ふ聲

は聞 ゆれ ど井 の底 に物 を落 した る如 き響 きに 聞

なさ れ て︑ 人の 聲は

︑人 の聲

︑我 が考 へは 考へ

︵﹃ 私小 説﹄ 一一 五頁

﹁将 来子 ども がで きた らそ の子 はま ちが って もア メリ カに は連 れて 来ま いと いう

︑今 とな って みれ ば意 味が な いか もし れな い決 意﹂

をし てい たこ ろの その 自分 の想 いを

︑場 末の 銘酒 屋の 酌婦 へと 堕ち てし まっ た主 人公 お力 のや るせ ない 想い に重 ね合 わせ

︑表 象し

︑代 行し てみ せる 手際 は︑ なか なか に見 事だ

︒ それ にし ても であ る︒ なぜ わざ わざ

︑明 治の

﹁原 文﹂ をそ のま まに

︑﹁ 舊漢 字﹂ にル ビを 振り

︑﹁ 歷史 的假 名遣 ひ﹂ の文 面を その まま 引い てき てい るの か︒ 戦後 の国 語改 革に よっ ても たら され た︑

﹁は なし こと ば﹂ をも とに 書 いま の日 本語 と︑

﹁書 き言 葉﹂ を基 軸と し︑ 旧漢 字︑ 旧仮 名遣 いを 念頭 に置 いて は かつ ての 日 本語 との

﹁隔 たり

﹂が

︑ま さに ここ にお いて 集約 的に 示さ れる

(8)

﹁黴

の匂 いの 舞い 立つ 本に は幸 い古 めか しい 漢字 にル ビが 振っ てあ った

︒ だか ら明 治の

﹁原 文﹂ でも

︑少 女の 美苗 は不 自由 なく 読

︒だ が一 方で

︑﹁ 自分 で漢 字を 書く とな ると

︑日 本語 を書 く機 会も ほと ん どな いま まに 小学 校で 習っ た漢 字す ら急 速に 忘れ てし まい

︑い つし か自 分の 名前 と子 ども の頃 くり かえ し書 いた 東京 の住 所と だけ しか すら すら と書 漢字 がな くな って

し まっ てい た︒ 読 こと と書 こと の︑ この 決定 的な 非対 称︒ 読 こと は比 較的 容易 にで きて も︑ いざ 書 とな ると

︑そ の三 倍の 労力 と鍛 錬が 要る

︒か くし て美 苗の 書記 能力 は︑ 小学 生レ ベル で停 滞し たま ま︑ その

﹁書 き言 葉﹂ への 参入 はお 預け にさ れ︑ アメ リカ にい て︑ この まま アメ リカ の教 育を 受け 続け るな ら︑ 英語 によ って しか

﹁書 き言 葉﹂ への 参入 をは たせ ない 状況 へと 追い つめ られ てい た︒ 結果 どう なる か︒ しば しば

︑あ こが れと 称賛 のま なざ しで もっ てと らえ られ る二 言語 併用

5 はち がっ て︑

﹁は なし こと ば﹂ と﹁ 書き 言葉

﹂が

︑そ れぞ れ別 の言 語に よっ て担 われ るこ とで

︑自 己の 内部 に言 語的 なね を生 じ︑ その 二つ の価 値観 によ って 引き 裂か れる 事態

た とえ ば後 に日 作家 とな って アイ オワ 大学 主催 の国 際創 作プ ログ ラム に参 加し た際 に美 苗が 出会 った

︑あ のバ ロロ ング と同 じよ うな 境遇 へと 追い やら れて いた かも しれ ない ので ある

︒ その 挑発 的な タイ トル で物 議を かも した 評論 書﹃ 日本 語が 亡び ると き︱ 英語 の世 紀の 中で

第一 章﹁ アイ オワ の青 い空 の下 で︿ 自分 たち の言 葉﹀ で書 く人 々﹂ にお いて

︑著 者の 水村 美苗 は︑ 世界 中か らア イオ ワ大 学に 集ま って きた 様々 な作 家と の出 会い を語 る︒ その 出会 いの 中で

﹁と ても 気に なる 存在

﹂と して

︑ア フリ カ南 部の ボツ ワナ から やっ て来 たバ ロロ ング は︑ 最 登場 する

︒と いう のも バロ ロン グは

︑︿ 自分 たち の

(9)

言葉

﹀で 書い てい る︵ もし くは 書こ うと して いる

︶ほ かの 作家 たち とは ちが って

︑﹁

︿自 分た ちの 言葉

﹀で ある ツ ワナ 語で 書か ずに

︑英 語で 書い てい た﹂

作 家だ から であ る6

︒も しか して そう なっ てい たか もし れな い︑ かつ ての 自分 の似 姿︵

=分 身︶ を︑ この とき 著者 の水 村美 苗は

︑バ ロロ ング のう ちに 見て いた にち がい ない

︒そ して この よう に言 う︒ 今日

︑バ ロロ ング のよ うな 作家 が﹁ 例外

﹂な のは

︑サ ハラ 砂漠 以南 のア フリ カが

︑︿ 書き 言葉

﹀を もた ない まま 西洋 の植 民地 とな った せい であ る︒ いい かえ れば

︑そ れは

︑か つて

﹁暗 黒大 陸﹂ とよ ばれ た︑ アフ リカ の﹁ 遅れ

﹂の せい であ る︒ だが

︑歴 史は

︑私 たち の知 らな いあ いだ に︑ その よう なア フリ カの

﹁遅 れ﹂ を別 のも のに 転じ させ よう とし てい るの かも しれ ない

︵﹃ 日本 語が 亡び ると き﹄ 七二 頁︶

﹁遅 れ﹂ が﹁ 別の もの

﹂へ

︑す なわ ち国 際共 通語 とし て絶 大な 力を もち はじ めた 英語 に後 押し され て世 界の

﹁最 先端

﹂へ と転 じて しま うア イロ ニカ ルな 事態 にど う対 処す べき か︒ その 処方 箋を 示す べく

︑多 少の うと まし さと 羨望 の念 をこ めて

︑評 論書

﹃日 本語 が亡 びる とき

﹄が 書か れて くる

三︑

﹁近 代日 本文 学﹂ のテ キス トを 読む こと

バロ ロン グと は違 う道 を︑ 結果 とし て美 苗は 歩む こと とな った

︒た また ま母 が日 本か らも って きて

︑ロ ング ア イラ ンド の家 に置 いて あっ た改 造社 版の

﹃現 代日 本文 学全 集﹄ に収 めら れた

︑明 治か ら大 正期 にか けて の小 説テ

(10)

キス ト︵ 大正 十五 年刊 のそ れは 舊漢 字に 總ル ビで 歷史 假名 遣ひ が用 ゐら れて いた

︶に 深く 沈潜 し︑ その 世界 に耽 溺す る日 々を 過ご すこ とで

︑自 学自 習︑ 自ら の日 本語 能力 を﹁ 書き 言葉

﹂の レベ ルに まで 引き 上げ てい った から であ る7

︒そ のよ うに して 習得 した 日本 語の

﹁書 き言 葉﹂ の基 盤が ある から こそ

︑だ

︑の ちに イェ ール 大 学へ と進 み︑ ギリ シャ 語や ラテ ン語 起源 の学 術用 語や 構文 が頻 繁に 現わ れる アカ デミ ック な英 語の

﹁書 き言 葉﹂ にも 対処 する こと がで きた8

︒ ここ から は︑ どの よう な問 題が 引き 出せ るか

︒ 運命 のい たず らが そう させ た︑ 美苗 のこ の特 異事 例は

︑か つて 植民 地化 され た地 域で は︑ 必ず しも あて はま ら ない とい うこ と︑ これ であ る︒ 母語 とし ての

︿自 分た ちの 言葉

﹀は

︑い まだ

﹁は なし こと ば﹂ のレ ベル に留 め置 かれ

︑そ れに 代わ って

﹁書 き言 葉﹂ の領 域は

︑か つて の宗 主国 の言 語が もっ ぱら これ を担 うと いっ た二 重化 され た言 語状 況︵ 高等 教育 機関

=大 学の 講義 で使 用さ れる 言語 が︑ 母語 に基 づく

︿自 分た ちの 言葉

﹀で ある か︑ それ とも 旧宗 主国 から の借 りも のの

︑︿ 他者

﹀の 言語 であ るか が︑ その 端的 な指 標と なる

︶が

︑そ れら の地 域で は常 態化 して おり

︑そ の言 語的 なね がま た︑ 様々 な矛 盾を 引き 起こ し︑ ポス ト・ コロ ニア ルの 不安 定な 社会 状況 を︑ 恒常 的に つく り出 して もい るの であ る9

︒ そし てな んと も皮 肉な こと に︑ 日本 にお いて は︑

﹁か なが き論 者﹂ や﹁ ロー マ字 論者

﹂た ちの 長年 の悲 願で あっ た国 語表 記法 の改 革が

︑戦 後の どさ くさ にま ぎれ て︑ GH Q︵ 連合 軍総 司令 部︶ の後 押し で強 行さ れ︑ 結果

︑ そう した ポス ト・ コロ ニア ルな 状況 を︑ みず から 率先 して 招き よせ てし まっ てい た︒

﹁書 き言 葉﹂ を旧 宗主 国の

︿他 者﹀ の言 語に 依存 する とい う屈 辱的 な事 態を

︑ア メリ カに あっ て美 苗は かろ うじ て回 避し てき た︒ なの に二

(11)

〇年 ぶり に帰 って きて みれ ば︑ なん のこ とは ない

︑日 本は 率先 して 屈辱 的な 地位 にみ ずか らを 追い やり

︑﹁ 名実 とも に︑ ほと んど アメ リカ の植 民地

とな って しま って いた のだ

︒し かも 外部 の眼 から みれ ばほ とん ど自 明の そう した 事態 を︑ 当の 日本 人た ちは 少し も自 覚せ ず︑ 能天 気に ふる まっ てい る︒ よう やく 高み へと 昇っ たそ のせ っか くの はし ごを

︑勝 手に はず され てし まっ たか のよ うな

︑憤 懣や るか たな き 思い が基 底に あっ て︑ 小説 家水 村美 苗を して 評論 書﹃ 日本 語が 亡び ると き﹄ を書 かせ るに 至っ た︒ そう した 経緯 を︑ ここ であ らた めて 確認 して おく 必要 があ る︒

四︑

︿文 学﹀ の真 理と

︑︿ 学問

﹀の 真理

グロ ーバ リズ ムの 進展 とと もに 国際 共通 語と して の英 語の 比重 が増 すな か︑ その 話者 人口 がほ ぼ日 本人 に限 ら れる

︑マ イナ ーな 孤立 言語 の地 位に 追い やら れた 日本 語が

︑今 後と も生 き残 って いく ため の方 策を

︑水 村美 苗は

︿学 問﹀ の言 葉に では なく

︑︿ 文学

﹀の 言葉 に求 めて

︑次 のよ うに 言う

︒ 実際

︑︿ 学問

﹀と

︿文 学﹀ が分 かれ たこ とに よっ てよ りは っき りと 見え てき たの は︑ この 世の

︿真 理﹀ には 二つ の種 類が ある こと にほ かな らな い︒ 読む とい う行 為か ら考 える と︑ それ は︑

︿テ キス トブ ック

﹀を 読め ばす む︿ 真理

﹀と

︑︿ テキ スト

﹀そ を読 まね ばな らな い︿ 真理

﹀で ある

︒そ して

︑︿ テキ スト ブッ ク﹀ を読 めば すむ

︿真 理﹀ を代 表す るの が︿ 学問 の真 理﹀ なら

︑︿ テキ スト

﹀そ を読 まね ばな らな い︿ 真 理﹀ を代 表す るの が︑

︿文 学の 真理

﹀で ある

(12)

︵中 略︶

︿文 学﹀ で見 いだ しう る︿ 真理

﹀は

︿テ キス トブ ック

﹀に 取っ て代 えら れる こと はな い︒ そこ にあ る︿ 真理

﹀ は︑ その

︿真 理﹀ を記 す言 葉そ に依 存し てお り︑ その

︿真 理﹀ を知 るた めに は︑ 人は

︑誰 もが

︑最 終 的に は︿ テキ スト

﹀そ に戻 り︑

︿テ キス ト﹀ そ を読 まな くて はな らな いの であ る︒

︵﹃ 日本 語が 亡び ると き﹄ 一九 二頁

︑た だし 傍点 引用 者︶ 言葉

は往 々に して

︑︿ 真理

﹀を 伝え るた めの 単な る道 具で しか ない と考 えら れが ちだ

︒道 具で しか ない から

︑ 伝達 の役 目を 終え たあ とは 廃棄 され て省 みら れな い︒ 大切 なの は︿ 真理

﹀に つい ての

﹁情 報﹂ なの であ って

︑そ れを 伝え る言 葉で はな い︒ その

﹁情 報﹂ を︑ 正確 かつ 効率 的に 伝達 でき るな ら︑ その 目的 をよ りよ く達 成で きる なら

︑情 報媒 体

とし ての 言葉 はど のよ うな もの であ って も︵ たと え単 なる 符牒

・記 号の たぐ いで あっ ても

︶か ま わな い︒

﹁︿ 学問 の真 理﹀ の際 たる もの は数 式で 埋め られ た︿ テキ スト ブッ ク﹀

ので ある から

︿学 問の 真理

﹀は 言葉 に多 くを 依存 しな い︒ なら ばそ れを 伝え るの に︑ 特段 にす ぐれ た言 語と して 英語 が選 び とら れた わけ では ない

︒だ がそ の使 用頻 度は

︑今 後ま すま す高 まっ て︑ やが てす べて の︿ テキ スト ブッ ク﹀ を英 語で 書く 時代 がや って くる かも しれ ない10

︒現 に自 然科 学の 領域 では

︵社 会科 学の 領域 でも

?︶

︑英 語で 論文 を書 くの がス テー タス とな って おり

︑い まや それ が常 態化 して いる11

︒ 日本 でい まま で︿ 学問 の真 理﹀ を担 って きた のは

︑漢 文訓 読体 に起 源す る﹁ 漢字 カタ カナ 交じ り文

﹂で あっ た︒ なぜ

﹁ひ らか な﹂ でな く﹁ カタ カナ

﹂か

︒日 常生 活か ら遊 離し た学 問の 世界 は︑ 空理 空論 をも てあ そぶ 時空 間と

(13)

して イメ ージ され がち で︑ それ は絶 えず 外 性を 担っ て捉 えら れる

︒外 語の 表記 にも っぱ ら限 定さ れる 現在 の

﹁カ タカ ナ﹂ の用 法︵ コン ピュ ータ ー用 語や ビジ ネス 用語

︑さ らに はフ ァッ ショ ン用 語も 加わ って

︑そ の滑 稽な まで の濫 用ぶ りは

︑ほ とん ど戯 画の 様相 を呈 して いる

︶は

︑そ の名 残で あろ う12

︒し かし 文字 は単 なる 音声 の写 し でし かな く︑ その 音声 を正 確に 写し 取る こと がで きる ので あれ ば︑ 文字 はど れで あっ ても かま わな いの なら

︑外 来語 は極 端な 話︑ それ を日 本語 の構 文に まじ えて

︑た とえ ば木 村美 苗が

﹃私 小説

﹄に おい て実 践し てみ せた よう に︑ アル ファ ベッ ト表 記の まま 残し てお いて かま わな い︒ そこ では

︑よ り効 率的 で汎 用性 のあ る文 字が

︑い や文 字だ けで なく

︑よ り効 率的 で汎 用性 のあ る言 語が

︑優 先的 に選 びと られ る︒ グロ ーバ リゼ ーシ ョン の進 展著 しい 現在 にあ って

︑そ れは 英語 以外 に考 えら れな い︒ だが

︿文 学﹀ の領 域に おい ては

︑す べて を英 語に 置き 換え て︑ 翻訳 を通 して 享受 する こと では すま せら れな い︒ 水村 の著 書で は使 われ ない が︑ ここ で﹁ 情報

﹂と いう 言葉 をあ えて 用い るな ら︑ 文学 にお いて は︑ 媒体

とし ての 言葉 そ が﹁ 情報

﹂と して の価 値を もつ

︒な らば

︑価 値あ る﹁ 情報 媒体

﹂と して の日 本語 を︑ つま りは 水村 のい う︿ 読ま れる べき 言葉

﹀を

︑文 学の 営み を通 して

︑今 後も なん とか 死守 して いか なけ れば なら ない13

︒﹁

︿文 学﹀ で見 いだ しう る︿ 真理

﹀は

︿テ キス トブ ック

﹀に 取っ て代 えら れる こと はな い﹂ のだ から

︒﹁ そこ にあ る

︿真 理﹀ は︑ その

︿真 理﹀ を記 す言 葉そ に依 存し てお り︑ その

︿真 理﹀ を知 るた めに は︑ 人は

︑誰 もが

︑ 最終 的に は︿ テキ スト

﹀そ に戻 り︑

︿テ キス ト﹀ そ を読 まな くて はな らな い﹂ から であ る︒

︿テ キス トブ ック

﹀で こと 足り る︿ 学問 の真 理﹀ と︑

︿テ キス ト﹀ でし か伝 えら れな い︿ 文学 の真 理﹀

︒水 村が 重視 する のは

︑も ちろ ん後 者の

︿文 学の 真理

﹀の 方で ある

︒と はい えそ の主 張は

︑英 語の 圧倒 的な 力の 前で

︑劣

(14)

位に 置か れた 日本 語が 生き 残る 道は

︑唯 一そ こに しか ない とす る悲 に基 づい てい る︒ とこ ろで 筆者 水村 美苗 が︿ 文学 の真 実﹀ と区 別し て︿ 学問 の真 理﹀ とい った 場合

︑そ もそ も人 文学 のテ キス ト のこ とが 視野 に入 って いた のか どう か︒ アリ スト テレ スの

﹃詩 学﹄ のテ キス トを

︿テ キス トブ ック

﹀に 置き 換え てす ます こと ので きな い︿ 読ま れる べき 言葉

﹀の ひと つに 数え 入れ てい る以 上︑ 水村 のい う︿ 文学

﹀は

︑そ れを 人文 学の テキ スト に置 きか えて 理解 する こと もで きる はず だ14

︒ そし てい ささ か楽 観的 に過 ぎる との そし りを 覚悟 の上 で︑

︿文 学﹀ のた すけ を得 て︿ 学問

﹀が 基礎 付け られ

︑ また

︿学 問﹀ に助 けら れて

︿文 学﹀ の質 が底 上げ され るそ の媒 とし ての

︑も しく は転 とし ての

︿人 文学 の営 み﹀ の重 要性 に︑ ここ であ らた めて 着目 して おき たい

︒そ して 急い で付 け加 えて おく なら

︑水 村美 苗の 評論 書﹃ 日本 語が 亡び ると き﹄ にし てか らが

︑す ぐれ て︿ 人文 学の 営み

﹀に 他な らず

︑だ から こそ とい うべ きか

︑そ れは

﹁ヨ コ書 き﹂ では なく

︑断 固﹁ タテ 書き

﹂で もっ て記 され ねば なら なか った のだ

五︑

﹁音 声= ロゴ ス中 心主 義﹂ のわ な

﹃日 本語 が亡 びる とき

﹄は

︑実 にす ばら しい 本だ

︒言 語に 関す る多 くの 知見 を︑ 惜し みな く読 者に 与え てく れ る︒ だが そう した 中で

︑な んと はな し釈 然と しな いの は︑ 先に 見た

︑︿ テキ スト ブッ ク﹀

そ れは 昨今 ます ま す英 語で 書か れる 傾向 にあ るの だが

を 読め ばす む︿ 真理

﹀と して

︑︿ 学問 の真 理﹀ を位 置づ けて いる 点で あ る︒

︿文 学の 真理

﹀と の対 比で いわ れた にし ても

︑そ れで は︑ 文字 を単 なる 音声 の写 しと しか みな い﹁ 音声

=ロ ゴス 中心 主義

﹂︑ さら には その

﹁音 声= ロゴ ス中 心主 義﹂ を背 景に 世間 一般 にひ ろま って いる

︑﹁ 情報

﹂を 運ぶ 入

(15)

れ物 とし か言 語を みな いい わゆ る言 語道 具観 を︑ それ と意 識し ない まま 是認 して しま う結 果と なる

︒ だが

︑文 字を 音声 の写 しと しか みな い﹁ 音声

=ロ ゴス 中心 主義

﹂は

︑水 村も いう よう に︑

﹁西 洋の よう に音 声 文字 を使 う文 化が

︑歴 史を 通じ て︑ 性懲 りも なく

︑く り返 し︑ くり 返し

︑到 達せ ざる をえ ない 誤っ た言 語観

なの であ る15

︒な らば

︿学 問の 真理

﹀に その

﹁誤 った 言語 観﹂ をあ ては め︑ 英語 で書 かれ た︿ テキ ス トブ ック

﹀へ の代 替可 能性 をい うの は︑ 少し く論 理的 整合 性を 欠く

︒戦 後の 国語 改革 を後 押し した 思想 的背 景に もこ の﹁ 誤っ た言 語観

﹂が あっ た︒ 日本 語の 危機 はま さに そこ にこ そ胚 胎す ると する のな らな おの こと

︑︿ 文学 の真 理﹀ と同 等か それ 以上 に︑

︿学 問の 真理

﹀も

︿テ キス ト﹀ に依 存し てお り︑ 英語 で書 かれ た︿ テキ スト ブッ ク﹀ に代 替し て済 ます こと など

︑と うて いで きな いと 主張 すべ きだ った16

︒ 私た ちの 思考 の奥 深く には

︑つ ねに すで に﹁ 音声

=ロ ゴス 中心 主義

﹂が 巣食 って いる

︒と もす れば それ がお も てに あら われ

︑も のご との 判断 を狂 わせ る︒ だが 歴史 的に 見れ ば︑ むし ろ文 字の 方が 先行 し︑ 音声 や思 考︵ ロゴ ス︶ はあ とか らそ れを 追い かけ る関 係に あっ た︒

﹁書 き言 葉﹂ の成 熟な くし て︑

﹁は なし こと ば﹂ の成 熟も あり え ない のだ

︒そ のこ とを 見よ うと しな い﹁ 音声

=ロ ゴス 中心 主義

﹂は

︑文 字を 軽視 する こと で︑ 結果 とし て﹁ 書き 言葉

﹂の 質的 低下 を招 き︑ 人々 の思 考力 を退 行さ せ︑ 文化 破壊 をも たら す17

︒ ジャ ック

・デ リダ によ る﹁ 音声

=ロ ゴス 中心 主義

﹂へ の批 判も

︑そ うし た危 機意 識か ら発 せら れた もの で あっ た18

︒た だし その 危機 意識 は︑ 必ず しも 表音 文字 のア ルフ ァベ ット を用 いる ヨー ロッ パ諸 語に 向け られ たも の では ない

︒西 欧列 強に よる 過酷 な植 民統 治の 結果

︑﹁ 書き 言葉

﹂の 役割 を︑ 宗主 国の ヨー ロッ パ諸 語に 横領 され てし まっ た非 西欧 のオ リエ ンタ ルな 地域 にこ そ向 けら れた もの だっ た︒ この 間の 事情 を説 明し て︑ バー バラ

(16)

ジョ ンソ ンは 次の よう に言 って いる19

︒ デリ

ダが 主張 する よう に︑ 文字 言語 の重 要性 が西 欧の 主要 な文 化伝 統に おい て﹁ 抑圧

﹂さ れて きた のは

︑文 字言 語が つね に﹁ 他者

﹂の 手に 渡る 可能 性が ある から であ る︒

﹁他 者﹂ はつ ねに

︑他 者を 抑圧 しに かか るメ カニ ズム を読 み解 く方 法を 学び うる

︒し たが って

︑エ クリ チュ ール を抑 圧せ んと する 欲望 とは

︑﹁ 他

﹂の と言 う事 実を 抑 する 欲望 にほ かな らな い︒

︵傍 点引 用者

︶ 表向

き音 声言 語と して の﹁ はな しこ とば

﹂の 先 を主 張し て︑ 植民 地支 配の 対象 たる オリ エン タル な﹁ 他者

︵= 高貴 な野 蛮人

︶﹂ を︑ その

﹁は なし こと ば﹂ のレ ベル にと どめ おき

︑封 じ込 める

︒一 方で

︑宗 主国 言語 とし て のみ ずか らの

﹁書 き言 葉﹂ の優 位性 をひ そか に温 存し

︑植 民地 支配 にあ たっ てパ ブリ ック な領 域で これ を最 大限 有効 活用 する

︒﹁ 0他 1の と言 う事 実を 抑 する

﹂そ の二 重に 屈折 した 抑圧 構造 を通 して

︑結 果と して かつ ての イギ リス の植 民地 では

﹁英 語﹂ が︑ かつ ての フラ ンス の植 民地 では

﹁フ ラン ス語

﹂が

︑そ して かつ ての ポル トガ ルや スペ イン の植 民地 にお いて は﹁ ポル トガ ル語

﹂や

﹁ス ペイ ン語

﹂が

︑﹁ はな しこ とば

﹂の レベ ルに とめ おか れた ヴァ ナキ ュラ ーな 現地 語に とっ て代 り︑ パブ リッ クな

﹁書 き言 葉﹂ の地 位に 居座 った

︒そ うす るこ とで

︑ 現地 語の

﹁書 き言 葉﹂ への 昇格 を阻 害し

︑抑 圧し た20

︒ そし てい まま た英 語が

﹁音 声= ロゴ ス中 心主 義﹂ に助 けら れ︑ 他の 言語

︵そ こに は他 のヨ ーロ ッパ 諸語 も含 ま れる

︶を 押し のけ て︑

︿学 問の 真理

﹀を 語る

﹁書 き言 葉﹂ の地 位を ひと り占 めし よう とし てい る︒ アル ジェ リア

(17)

出身 のデ リダ は︑ フラ ンス 語圏 に属 しな がら

︑植 民地 に生 を享 けた

︒だ から こそ

﹁音 声= ロゴ ス中 心主 義﹂ の影 に隠 され た︑ 宗主 国に よる

﹁書 き言 葉﹂ の横 領と いう 事態 に︑ 敏感 に反 応し た︒ デリ ダに は︑

﹃た った 一つ の︑ 私の もの では ない 言葉

︱他 者の 単一 言語 使用

﹄の 著書 のあ るこ とを 思い 起こ そう

︒だ が︿ 他者

﹀の 言語 とし ての その フラ ンス 語も

︑い まや 英語 に取 って 代わ られ

︑︿ 学問 の真 理﹀ を担 う﹁ 書き 言葉

﹂の 地位 から 急速 に転 落し つつ ある21

﹁音 声= ロゴ ス中 心主 義﹂ の伝 統は

︑日 本に おい ても 根強 い︒ それ は江 戸期 の国 学に まで さか のぼ る︒ たと え ば本 居宣 長は

︑自 身︑

︿学 問﹀ のこ とば とし て︑

﹁漢 文﹂ や﹁ 漢字 カタ カナ 交じ り文

﹂を 自在 にあ やつ る能 力に た けて いな がら

︑漢 字を 排除 して 仮名 だけ で文 章を 綴る こと を︑ 盛ん に推 奨し てい た22

︒ 近代 文学 研究 の領 域に おい て最 大の テー マと され る﹁ 言文 一致 体﹂ の創 出に して から が︑

﹁音 声= ロゴ ス中 心 主義

﹂に 影響 され た運 動で あっ た︒ いわ ゆる 方言 とい う形 での 地域 や階 層に よる

﹁言

︵= はな しこ とば

︶﹂ の多 様性 があ り︑ 一方 で﹁ 漢文

﹂や

︑そ れに 準ず る﹁ 漢字 カタ カナ 交じ り文

﹂が ある

︒加 えて

﹁漢 字ひ らが な交 じり 文﹂ や︑ そこ から 漢語 を排 除し て﹁ ひら がな

﹂の みで 書か れた 女房 消息 のよ うな 文体 もあ ると いっ た︑ さま ざま に分 化し た﹁ 文︵

=書 き言 葉︶

﹂が 併存 する 多言 語状 況は

︑明 治と いう 時代 が要 請す る近 代国 民国 家の 創設 過程 で早 急に 淘汰 され

︑集 約さ れな けれ ばな らな かっ た︒ 学校 で︑ 工場 で︑ 兵営 で︑ 平準 化さ れた 同じ 言葉 が読 まれ

︑ 話さ れな けれ ばな らな かっ た23

︒ そう した 時代 の要 請に

︑ど れだ け自 覚的 であ った かは 疑わ しい

︒と はい え﹁ 言文 一致 体﹂ の創 出へ 向け た運 動 は︑ おも に文 筆を なり わい とす る新 聞記 者や 小説 家に よっ て担 われ た︒ その 際︑

﹁言

﹂と

﹁文

﹂の どち らに 基盤

(18)

を置 くの か︑ つま り﹁ 言﹂ を﹁ 文﹂ へと 近づ ける のか

︑そ れと も﹁ 文﹂ を﹁ 言﹂ へと 近づ ける のか で︑ 様々 な試 行錯 誤が なさ れ︑ 三遊 亭円 朝の 口述 筆記 など が参 照さ れた りも した24

︒ だが 実の とこ ろ︑ 問題 はそ んな とこ ろに なか った

︒現 に大 学で は︑ お雇 い外 国人 の下 で︑

﹁原

︵起 源と して 価値 付け られ たこ の用 語も

︑い まで はほ とん ど死 語に 近い

︶﹂ を用 いた 講義 が行 われ

︑そ こで の使 用言 語は

︑い うま でも なく 英・ 独・ 仏の 西欧 語だ った

︒こ の状 況が 続け ば︑ 日本 が西 欧の 言語 植民 地と なる こと は必 至だ

︒そ こで 争わ れて いた のは

︑だ から

︑︿ 学問

﹀の 世界 を従 来か ら担 って きた

︑﹁ 漢文

﹂や

﹁漢 字カ タカ ナ交 じり 文﹂ の 伝統 を︑ 西洋 語に 取っ て代 わら れる こと なく 持続 させ

︑存 続さ せて いく ため の努 力な ので あっ た︒ その 際に 効力 を発 揮し たの が﹁ 翻訳

﹂と いう 行為 であ った

︒ デカ ルト がラ テン 語と 並行 して

﹃方 法序 説﹄ を当 時の 俗語 で書 き︑ ルタ ーが

﹃聖 書﹄ の俗 語訳 を試 みて

︑そ れ まで 日常 卑近 な﹁ はな しこ とば

﹂の レベ ルに しか なか った ヴァ ナキ ュラ ーな フラ ンス 語や ドイ ツ語 を︑ パブ リッ クな 領域 をも カバ ーす る﹁ 書き 言葉

﹂へ と鍛 え上 げ︑ 底上 げし てい った よう に︑ 福沢 諭吉 や西 周を はじ めと する 明治 期の 知識 人た ちに よる 西欧 語文 献の

﹁翻 訳﹂ を通 して

︑﹁ 漢字 カタ カナ 交じ り文

﹂が その 語彙 を増 やし

︑構 文上 の論 理性 を一 層高 めて

︑近 代国 民国 家の

﹁国 語﹂ に見 合う

﹁書 き言 葉﹂ へと

︑み ずか らを 鍛え 上げ

︑昇 格さ せて いっ たの であ る︒ そう した

﹁翻 訳﹂ の作 業の 過程 で新 たに 造語 され た言 葉や 構文 の数 々を

︑そ れと 意識 しな いま ま︑ いま の私 たち は︑ 日々 の暮 らし に欠 かせ ない 語彙 や用 法と して 活用 して おり

︑な らば その 恩恵 には

︑は かり しれ ない もの があ る25

(19)

六︑ 大東 亜共 栄圏 下の ある べき 日本 語

﹁言 文一 致体

﹂と 並行 して

︑﹁ 翻訳

﹂に よる 新た な文 体を 創出 する こと で︑ 欧米 列強 によ って 植民 地化 され た他 の地 域の よう に︑

﹁書 き言 葉﹂ の領 域が 旧宗 主国 の︿ 他者

﹀の 言語 によ って 横領 され てし まう 危機 を︑ 日本 はか ろう じて まぬ がれ た︒ あま やか な文 には 見え てこ ない

︑そ うし た言 葉を めぐ る熾 烈な バト ルが

︑実 は背 景 とし てあ った のだ

︒ だが その こと を少 しも 自覚 せず

︑︿ 自分 たち の言 葉﹀ とし ての

﹁日 本語 を大 切に しよ う﹂ との 気概 を持 たぬ

︑ 自国 語に 対す る自 虐意 識に とら われ た現 下の 日本 人た ちへ のい ら立 ちを 募ら せつ つ︑ 水村 美苗 は次 のよ うに 言う

︒ 日本

人が

﹁日 本語 を大 切に しよ う﹂ とい う気 がな いの は︑ もっ と深 いと ころ に原 因が あり

︑そ の原 因自 体︑ さら に深 いと ころ に原 因が あり

︑ま た︑ その 原因 自体

︑さ らに 深い とこ ろに 原因 があ る︒

︵﹃ 日本 語が 亡び ると き﹄ 三六 五頁

︶ いく

つも の﹁ 原因

﹂を つき つめ たそ の先 に︑ 諸悪 の根 源と もい うべ き﹁ 音声

=ロ ゴス 中心 主義

﹂に 基づ く﹁ 表 音主 義﹂ があ ぶり ださ れて くる

︒そ の論 点を 整理 する なら

︑ま ずは 以下 の三 点に 集約 され る26

︒ 一︑

大東 亜共 栄圏 にお ける アジ ア侵 略に 伴っ て︑ 皇民 化教 育と して

﹁日 本語

﹂の 押し 付け がな され たこ とへ

(20)

の自 責の 念が ある こと

︒ 二︑

﹁書 き言 葉﹂ より

﹁は なし こと ば﹂ を重 視し

︑﹁ はな しこ とば

﹂さ えで きれ ば自 由に 読み 書き 可能 なよ う 漢字 制限 を課 し︑ 仮名 遣い も表 音式 にあ らた めた 戦後 の民 主化 運動 の影 響が いま だに 尾を 引い てい るこ と︒ 三︑ 西洋 言語 学に より もた らさ れた 表音 主義

︑す なわ ち﹁ 書き 言葉

﹂は

﹁は なし こと ば﹂ を単 に文 字化 した もの にす ぎな いと する

﹁音 声= ロゴ ス中 心主 義﹂ が︑ いま だに 多く の人 々に よっ て信 奉さ れ続 けて いる こと

︒ そし

て最 後に 四点 目と して

︑四 方を 海に かこ まれ た﹁ 日本 列島 の地 理的 条件

﹂が 挙げ られ る︒ 四︑

周囲 を海 で囲 まれ

︑い まま で異 民族 の侵 略を 免れ てき たた め︑ 支配 民族

︵宗 主国

︶に よる

︿他 者﹀ の言 語の 押し 付け とい う事 態の 生ず るこ とへ の危 機感 が︑ まっ たく ない こと

︒ 旺盛

な翻 訳活 動を 通し て宗 主国 言語 によ る﹁ 書き 言葉

﹂の 横領 とい う事 態は かろ うじ てま ぬか れた もの の︑ そ の後 の日 本は

︑帝 国主 義列 強に 伍し て︑ その 一員 とし て︑ みず から が植 民地 化し た地 域へ の宗 主国 言語

︵= 日本 語︶ の押 しつ けと いう 憂鬱 な事 態を

︑逆 のか たち で反 復し てし まう

︒そ の間 の経 緯に つい ては

︑イ

・ヨ ンス ク

﹃0 国語 1と いう 思想

﹄に 詳し い27

(21)

新た な植 民地 の獲 得に より

︑日 本語 市場 は活 況を 呈し

︵支 那に やあ 四億

民が 待つ

!︶

︑そ のま すま すの 拡充 発展 が期 待さ れた28

︒そ うし た時 代の 要請 に応 える べく 論陣 を張 った のは

︑皮 肉に も︑

﹁舊 漢字

﹂を 多用 し﹁ 歷史 的假 名遣 ひ﹂ を遵 守す る伝 統的 な表 記法 を重 んじ た︑ いわ ゆる

﹁国 粋主 義﹂ に凝 り固 まっ た︑ 5迷 な保 守派

方で は必 ずし もな かっ た︒ そう では なく て︑ 文字 は音 声の 写し にす ぎな いの だか ら︑ いま 現に 使わ れて いる

﹁は なし こと ば﹂ に即 して

︑よ り平 易な 表記 法へ と国 語を 改変 して いく べき だと する

﹁か なが き論 者﹂ や﹁ ロー マ字 論者

﹂な どの

︑い わゆ る 開 明 派

表音 主義 者た ちの 方な ので あっ た︒ 日本 語で 書か れた 出版 物を

﹁大 量生 産 工業 製品

﹂︵ ベネ ディ クト

・ア ンダ ーソ ン︶ とし て世 界市 場

によ り広 く流 通さ せる ため にも

︑そ こで 用い られ る 日本 語は

︑植 民地 化さ れた 現地 の住 民に も容 易に 学ぶ こと が可 能な

︑平 易で 取っ つき やす いも のに

︑あ らか じめ 原 に﹁ 改造

﹂し てお かな けれ ばな らな かっ た︒ そこ での スロ ーガ ンは だか ら︑ 西洋 に追 いつ け追 い越 せの

﹁近 代化

﹂と

︑帝 国主 義的 な領 土拡 大に とも なう 日本 語の

﹁植 民化

﹂な ので あっ た︒ まさ しく

︑﹁ 善意 の道 は地 獄 へ通 ず﹂ とい うべ きか

︒ この 時期

︑た とえ ば次 のよ うな 主張 も一 方で なさ れて いた29

︒ 實ニ

他ノ 歐米 諸國 ニ見 サル 國字 改良 漢 言文 一致 羅馬 字採 用等 ノ議 論紛 出ニ 見ル 如ク 國民 全部 ノ大 苦惱 ハ日 本ノ 言語 文字 ノ甚 タシ ク劣 コト ニア リ︒ 其ノ 最モ 急進 的ナ ル羅 馬字 採用 ヲ決 行ス ルト キ幾 分文 字 ノ不 便ハ 免ル ベク モ言 語ノ 組織 其者 ガ思 想ノ 配列 表現 ニ於 テ悉 ク眞 理的 法則 ニ背 反セ ルコ トハ 英語 ヲ譯 シ漢 文ヲ 讀ム ニ凡 テ日 本文 ガ顚 倒シ テ配 列セ ラレ タル ヲ發 見ス ベシ

︒國 語問 題ハ 文字 又ハ 單語 ノミ ノ問 題ニ 非ズ

(22)

シテ 言語 ノ組 織根 底ヨ リノ 革命 ナラ サル ベカ ラズ

︵北 一輝

﹃國 家改 造法 案原 理大 綱﹄

︶ かく

して 北は

︑エ スペ ラン ト語 を大 日本 帝国 の﹁ 第二 国語

﹂と して 採用 し︑ それ を大 東亜 共栄 圏へ と拡 張さ れ た日 本の 支配 領域 の国 際共 通語 にす べき だと 主張 する

︒こ うし た発 言を 誇大 妄想 と笑 って すま すわ けに いか ない

︒ 表音 主義 者の みな らず

︑北 のよ うな 右翼 イデ オロ ーグ にま で︑ かく も繰 り返 し﹁ 表音 文字

﹂の アル ファ ベッ トが 推奨 され

︑そ の一 方で

﹁表 意文 字︵ 正確 には 表語 文字 とい うべ きだ が︶

﹂の 漢字 が︑ 蛇蝎 のご とく 嫌わ れる のは なぜ なの か︒ 留学 帰り の東 大教 授上 田万

によ って 西洋 から 移入 され た当 時最 先端 の言 語学 が︑ 文字 を音 声の 写し とし かみ ない

﹁音 声= ロゴ ス中 心主 義﹂ の立 場を とっ てお り︑ 加え てス ペン サー 流の 社会 ダー ヴィ ニズ ムの 影響 を受 けて

︑ つい には 克服 され 淘汰 され るべ き未 開野 蛮な 文字 とし て︑

﹁表 意︵ 語︶ 文字

﹂の 漢字 を位 置づ けて いた から であ る︒ しか もそ の対 極に は︑ どう いう わけ か西 洋人 の使 う﹁ 表音 文字

﹂の アル ファ ベッ トが

︑究 とし て もっ とも すぐ れた 文字 体系 に位 置づ けら れて いた

︒折 悪し くも 漢字 発祥 の地 であ る中 国は

︑当 時︑ 全土 が半 植民 地化 され

︑そ の混 迷状 態か ら容 易に 抜け 出せ ない 状態 にあ った

︒漢 字の ごと き未 開野 蛮の 原始 的な 文字 を︑ いま だに 使い 続け てい るこ とに

︑そ の原 因の 一端 が求 めら れた

︒ なら ばな んと して も︑ 漢字 とは 縁を 切ら ねば なら ない

︒そ うで なけ れば

︑日 本の 近代 化︵ 西洋 化︶ はと うて い おぼ つか ない

︒そ うし た強 迫観 念に とら われ て︑

﹁か なが き論 者﹂ や﹁ ロー マ字 論者

﹂が

︑性 懲り もな く次 々と 現れ てく る︒ 日本 語の

﹁近 代化

﹂と

﹁植 民化

﹂を

︑そ のス ロー ガン にひ っさ げて

(23)

七︑ 敗戦 処理 とし ての 戦後 の国 語政 策

さて 問題 は︑ そう した

﹁か なが き論 者﹂ や﹁ ロー マ字 論者

﹂の 生き 残り が︑ 国語 審議 会︵ 文部 省の 諮問 をう け て国 語問 題全 般を 検討 し協 議す る有 識者 たち の集 まり

︶の 主要 メン バー に居 すわ って

︑強 引に 推し 進め た︑ 戦後 の国 語改 革で ある

︒ 水村 のあ げる 四点 目の 項目 に該 当す る事 態が

︑幸 か不 幸か

︑つ い最 近に なっ て日 本人 を見 舞っ た︒ 第二 次世 界 大戦 に敗 れ︑ 日本 はG HQ

︵連 合軍 総司 令部

︶に よっ て七 年間 の占 領統 治を うけ たの だ︒ その 過程 で再 び日 本語 の﹁ 書き 言葉

﹂の あり 方が

︑問 われ るこ とと なっ た︒ 支配 民族 によ る言 語の 押し 付け は︑ 必ず しも 一方 的な 強制 とい う形 で行 われ ると はか ぎら ない

︒奴 隷根 性か ら抜 けだ せな い支 配さ れる 側の 隷属

・追 従と いう 形で も︑ それ はな され る︒ 日本 語を 廃棄 して フラ ンス 語に して しま えと 暴論 を吐 いた 文学 者も いた そう だが

︑占 領統 治さ れた あの 時期 に︑ いっ その こと 日本 語を

︑ま るご と英 語に 置き 替え てお けば よか った

︑な どと 考え るや から が︑ 昨今 では ます ます 増え てい きつ つあ る勢 いだ30

︒ GH Qの 言語 政策 に後 押し され

︑勢 いづ いた

︑﹁ かな がき 論者

﹂や

﹁ロ ーマ 字論 者﹂ たち の︑ 戦後 にお ける 錦 の御

は︑ この たび は﹁ 民主 化﹂ と﹁ 国際 化﹂ であ った

︒言 語の

﹁民 主化

﹂と は︑ 近代 国民 国家 を構 成す るす の国 民が 駆使 でき る日 本語

︑そ の日 本語 で自 に読 み書 きで きる よう な新 たな

﹁言 文一 致﹂ の創 出で あっ た︒ その 際に やり 玉に 挙げ られ たの が︑ 難解 な︵ とG HQ の将 校た ちに は思 われ た︶ 漢字

︑そ れも 膨大 な数 にの ぼる

﹁舊 漢字

﹂の 存在 であ り︑ また

﹁は なし こと ば﹂ の音 声か らズ レた

﹁歷 史的 假名 遣ひ

﹂の 煩瑣 な︵ と表 音主 義者

(24)

たち には 思わ れた

︶ル ール であ った

︒い っそ のこ と漢 字を 全廃 して 文字 は﹁ かな

﹂だ けと し︑

﹁は なし こと ば﹂ の音 声を 忠実 にな ぞる 形に 仮名 遣い を改 めて

︑そ の表 音文 字と して の特 性を 最大 限に 活か して いく 方向 が示 さ れた31 彼 ︒ らは 言う

︒日 本人 なら だれ でも 日常 的に 日本 語を はな して いる のだ から

︑そ の﹁ はな しこ とば

﹂を その まま に文 字に 写せ ばよ い︒ いや いや その 文字 も五 十五 音し かな い﹁ かな

﹂で はま だ不 十分 で︑ いっ その こと

︑よ り正 確な 表記 が可 能な 音素 記号 のロ ーマ 字に して しま えば よい

︒そ うす れば

︑﹁ 主婦 はも ちろ んの こと

︑鋤 をも った 農民 や︑ サイ レン の音 と共 に工 場入 りを する 労働 者﹂

で さえ もが

︑自 に日 本 語の 読み 書き がで きる よう にな るは ずだ との

︑左 翼イ デオ ロギ ーか らす る﹁ 善意

﹂の 思い 込み が︑ 戦後 にな って さら にそ れを バッ クア ップ する

︒結 果︑ たと えば 次の よう な表 記法 が︑ その 目指 すべ き理 想の 文体 とし て賞 揚さ れた ので ある32

︒ 一体

︑禁 酒禁 煙と ゆー こと わ出 来る が︑ 節酒 節煙 わ出 来な いと おな じで 漢字 の節 減わ どー も六 かし い︒ これ で︑ 従来 の障 害お

︑一 洗し よー とゆ ーこ とわ

︑国 語教 育百 年の 大計 でな い︒ 単に 過渡 時代 にお ける 一時 の方 便に 過ぎ ない もの であ る︒ 真に 国語 教育 百年 の大 計お おも ーな ら︑ 漢字 わ全 く廃 止し て︑ しま わな けれ ばな らん

︒ さら

には また

︑福 沢諭 吉の

﹃学 問ノ スヽ メ﹄ をも じっ て﹁ Ro om az ig ak in ip po ng on os us um e﹂ と題 され た︑

Gambar

表 音 主 義 者 た ち の 方 な の で あ っ た ︒ 日 本 語 で 書 か れ た 出 版 物 を

Referensi

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