い方 をす れば 大衆 迎合
ポ ピ ュ リ ズ
的ム
であ って
︑よ り広 範な 汎用 性を 持つ のだ から して
︶︑ 水村 の危 惧す るよ うに
︑今 度こ そ本 当に
﹁亡 びる
﹂︒
︵ 注
︶1 ジョ ージ
・オ ーウ ェル
﹃一 九八 四年
﹄︵ ハヤ カワ 文庫
︑一 九七 二︶
︒
︵2
︶﹃ 私小 説﹄ のメ タ・ フィ クシ ョン 性に つい ては
︑著 者み ずか ら﹃ 日本 語が 亡び ると き﹄ にお いて
︑﹁ プル ース ト以 来︑ すな わち
︑T 失わ れた 時を 求め てU 以来
︑0 いか にし て私 は作 家に なっ たか 1を 物語 る小 説が
︑世 界中 に︑ 洪水 のよ うに
れ るよ うに なり まし た︒ T私 小説 fr om le ft to ri gh tU も数 知れ ぬそ のよ うな 小説 の一 つだ とい えま しょ う﹂
︵一 一五 頁︶ との 説明 がさ れて いる
︒
︵3
︶﹃ 私小 説﹄ が単 なる 自伝 的小 説に とど まら ず︑ そこ での 主題 が日 本語 と英 語の
藤 にあ るこ とに つい ては
︑﹁ T私 小説 fr om le ft to ri gh tU は︑ P国 語︑ ベン ガル 語︑ フラ ンス 語な ど︑ ほか のど の言 葉に 訳し ても
︑英 語の 部分 を元 のま まに 残し
︑バ イリ ンガ ルの 形式 を再 現す るこ とが で きる ので す︒ この 小説 を唯 一訳 すこ とが でき ない 言葉 は英 語な ので す︒
︵中 略︶ そし てそ の唯 一の 不可 能性 こそ が︑ 今日 の世 界に ある
︑言 語 のあ いだ の非 対称 性の
︑も っと も明 確な あか しな ので す﹂
︵一 一八 頁︶ との 説明 が︑
﹃日 本語 が亡 びる とき
﹄の 中で なさ れて いる
︒
︵4
︶﹃ 私小 説﹄
︵三 二八 頁︶ には
︑イ ェー ル大 学で 日本 近代 文学 のゼ ミナ ール を聴 講し た際 のエ ピソ ード が語 られ てお り︑ 芥川 龍之 介の 小説
﹁舞
踏会
﹂に se le ct iv ei gn or an ce
︵選 択さ れた 無知
︶を 読み とる 日系 アメ リカ 人た ちの アイ デア に︑ 多大 な感 銘を 受け たこ とが 記さ れて いる
︒そ こに ig no mi ni ou sや ig no ra mu sの 類義 語i gn or an ce の見 えて いる こと に注 意し てお きた い︒
︵5
︶﹃ 日本 語が 亡び ると き﹄ では
﹁二 重言 語者
﹂と いう 語を 用い て︑
﹁0 バイ リン ガル 1と は︑ 日本 語で は︑ 二ヶ 国語 を話 せる とい う意 味合 いが 強い
﹂の に対 し︑
﹁二 重言 語者
﹂は
﹁自 分の
︿話 し言 葉﹀ とは ちが う外 国語 が読 める 人を 指す
︒読 むと いう 行為 を中 心に
︑人 間の 書き 言葉 に かん して 考え てい きた いか らで ある
︒自 分の
︿話 し言 葉﹀ しか 読め ない 人は 0単 一言 語者 1で ある
﹂︵ 一三 六頁
︶と 説明 され てい る︒
︵6
︶ この バロ ロン グと いう 作家 は︑
﹁バ ロロ ング の家 族が どの よう な階 級に 属す るの かわ から ない が︑ 独立 後︑ 家族 と共 にし ばら くイ ギリ スに 住み
︑ロ ンド ンの 中学 校で 学ん だと いう から
︑そ れな りに 上の 方で あろ う﹂
︵﹃ 日本 語が 亡び ると き﹄ 七一 頁︶ と説 明さ れて おり
︑そ の経 歴が 十二 歳で アメ リカ に渡 りア メリ カの 教育 を受 けた 著者 とよ く似 てい る︒
︵7
︶﹁ 私が アメ リカ にも 英語 にも 背を 向け て読 んで いた のは
︑母 が母 自身 の伯 父か ら譲 り受 けた 日本 語の 近代 文学 全集 であ る︒ 一九 二六 年︵ 大 正十 五年
︶に 発行 され た改 造社 の T現 代日 本文 学全 集U で︑ それ まで の本 に比 べて 破格 に安 い一 冊一 円と いう 値段 で︑ 円本 ブー ムを 引き 起こ した 出版 物と して 日本 近代 文学 史の なか で重 要な 意味 をも つ﹂
︵﹃ 日本 語が 亡び ると き﹄ 一二 四頁
︶と の説 明が ある
︒﹃ 私小 説﹄ に引 かれ た
﹃に ごり ゑ﹄ の文 章も
︑こ の全 集本 から の引 用と 思わ れる
︒
︵8
︶ 日本 の秋 を題 材と した 英語 の作 文を
︑ジ ュニ ア・ ハイ スク ール の教 師に 褒め られ たエ ピソ ード が﹃ 私小 説﹄
︵三 四八 頁︶ にみ え︑
﹁言 い古 さ れた 心の 動き
︑言 い古 され た表 現
︱
ひょ っと して 狎れ 合い でし かな い感 受性 のよ うな もの が︑ 別の 言葉 に翻 訳さ れた 時に は新 鮮な 意味 をも ちう る﹂ こと を発 見す る︒ その 体験 はや がて
︑ギ リシ ャ・ ロー マの 伝統 を引 き継 ぐア メリ カの 大学 のア カデ ミズ ムの 世界 にあ って
︑自 己の 独 自性 を示 すた めの 足場 を形 成し たに ちが いな い︒
︵9
︶ バロ ロン グが 置か れた ポス ト・ コロ ニア ルな 状況 につ いて は︑
﹁ボ ツワ ナに は︑ ツワ ナ語 で書 く作 家と 英語 で書 く作 家と 両方 おり
︑両 者の あい だに は緊 張感 があ る︒ 中学 校時 代を イギ リス で送 り︑ 英語 で書 く方 が得 意に なっ てし まっ たと いう バロ ロン グは
︑英 語で 書い てい たが
︑ あた かも
︑民 族的 裏切 りの 罪を 償お うと でも する かの よう に︑ 創作 のか たわ ら︑ ツワ ナ語 のこ とわ ざを 英語 で翻 訳し たり して いた
﹂︵
﹃日 本語
が亡 びる とき
﹄七 一頁
︶と の説 明が され てい る︒
︵10
︶ 他の 言語 を凌 駕し て英 語が
︿普 遍語
﹀の 地位 を獲 得す るに 至っ たの は︑ イン ター ネッ トの 普及 によ ると ころ が大 きい
︒イ ンタ ーネ ット の世 界で は英 語が
﹁メ タ言 語﹂ とし て機 能し てい る︒
﹃日 本語 が亡 びる とき
﹄は その 点を 指摘 して
︑﹁ イン ター ネッ トは 世界 で英 語が
︿普 遍語
﹀と して 流通 する のを 強化 する 技術 だが
︑そ のイ ンタ ーネ ット とい う技 術に かん して のメ タ言 語も
︑英 語と いう 言語 なの であ る︒ 世界 中の 人々 は イン ター ネッ トに﹅ つ﹅ い﹅ て﹅ 語﹅ る﹅ とき 英語 を使 う﹂
︵三 一四 頁︶ との 説明 がさ れて いる
︒
︵11
︶ こう した 水村 の理 解に は︑ 後に 述べ るよ うに
﹁音 声= ロゴ ス中 心主 義﹂ から の影 響が 見て とれ る︒ それ に抗 する もの とし て︑ たと えば 松尾 義之
﹃日 本語 の科 学が 世界 を変 える
﹄︵ 筑摩 選書
︑二
〇一 五︶ など が挙 げら れよ う︒ 松尾 は自 然科 学の 領域 にお いて 日本 語に 基づ く関 係性 の 重視 が新 たな 知見 をも たら した 事例 を挙 げ︑ それ を高 く評 価し てい る︒
︵12
︶ 石川 九楊
﹃日 本語 とは どう いう 言語 か﹄
︵講 談社 学術 文庫
︑二
〇一 五︶ は暫 定的 な借 り物 とし ての 特質 をカ タカ ナ表 記に みて
︑﹁ とり あえ ず 置い てお ける
﹂︑
﹁い った ん置 いて おく
﹂︑
﹁と りあ えず 書き とど めて おく
﹂︑
﹁中 間的 に受 け止 めて おく
﹂︵ 二一 二頁
︶に すぎ ない もの とと らえ
︑ さら に﹁ カタ カナ 語の 世界 に入 り込 んで
︑翻 訳す るこ とや 採否 のい かん を考 えず に︑ とも かく 浮﹅ か﹅ し﹅ て﹅ 時代 とと もに 行く とい うの が︑ いま の 企業 が生 き残 るい ちば んの 算段 のよ うで す︒
︵中 略︶ いま
¹か って いる 企業 は大 半が カタ カナ 語の 浮遊 体企 業で す︒ それ はカ タカ ナ語 の役 目 です
︒だ から カタ カナ 語が 氾濫 する ので す﹂
︵二 二八 頁︶ と︑ 皮肉 なた っぷ りな 物言 いを して いる
︒
︵13
︶﹃ 日本 語が 亡び ると き﹄ 第五 章﹁ 日本 近代 文学 の奇 跡﹂ では
︑漱 石の 小説
﹃三 四郎
﹄を 題材 に︑ 西洋 から 移入 され た学 術研 究の 紹介 や翻 訳 に終 始す る機 関と して 日本 の帝 国大 学を 位置 づけ る︒ 大学 を去 って 新聞 社に 籍を 移し た漱 石の 選択 も︑ そこ に理 由が あっ たと する
︒
︵14
︶ アリ スト テレ スの テキ スト が英 語で 享受 され る時 代の 到来 を予 測し て︑
﹃日 本語 が亡 びる とき
﹄で は︑
﹁英 語の 世紀 に入 り︑
︿学 問﹀ が英 語 に一 般化 され るに つれ 何が おこ るか
︒そ れら の専 門家 も︑ アリ スト テレ スに かん して 何か を書 くと きは
︑︿ 自分 たち の言 葉﹀ で書 かず に英 語 で書 くよ うに なる
︒す ると
︑ア リス トテ レス の引 用も
︑︿ 自分 たち の言 葉﹀ に翻 訳し たも ので はな く︑ 英語 に翻 訳し たも のを 使う よう にな る︒ その 結果
︑ア リス トテ レス にか んし て書 かれ たも のが 英語 で流 通す るよ うに なる だけ でな く︑ しだ いし だい に︑ アリ スト テレ スの
︿テ キス
ト﹀ その もの が︑ 英語 で流 通す るよ うに なる ので ある
﹂︵ 三一 六頁
︶と 危惧 の念 を表 明す る︒ なお 本書 のカ バー デザ イン には
︑英 語に 翻訳 さ れた アリ スト テレ ス﹃ 詩学
﹄の 文面 が背 景に 用い られ てお り︑ そこ に著 者一 流の アイ ロニ ーを みて とる 必要 があ る︒
︵15
︶ 石川 九楊 は﹃ 日本 語と はど うい う言 語か
﹄の 中で
︑西 洋に おけ るア ルフ ァベ ット の使 用と
﹁音 声= ロゴ ス中 心主 義﹂ との 結び つき を説 明し
︑
﹁ア ルフ ァベ ット 言語 圏に おい ては
︑音 声中 心の 言語 を形 成す る︒ もち ろん 一〇
〇% では あり ませ ん︒ 五〇
・一
%︑ 音声 を中 心と する と考 え てく ださ い︒ これ に対 して 漢字 言語 圏に おい ては
︑五
〇・ 一%
︑意 味を 中心 とし た言 語を 形成 する と考 えれ ばい いで しょ う︒ おそ らく 西欧 と 東ア ジア を対 比し た場 合︑ この 音声 中心 の言 語と
︑文 字・ 書しょ 字じ 中心 の
︱
もう 少し 正確 にい えば
︑筆ひっ Âしょく
中心 の
︱
言語 との 相違 が︑ 決定 的 なも のな ので はな いか と思 いま す︒
︵中 略︶ わず か〇
・一
%の 違い です
︒〇
・一
%の 違い で︑ 位相 がガ ラッ と変 わる ので す﹂
︵一 三一 頁︶ と述 べて いる
︒
︵16
︶ 公平 を期 すた め言 って おか なけ れば なら ない が︑ その 後︑ 著者 の水 村は この 点の 齟齬 を認 め︑
﹃日 本語 が亡 びる とき
﹄︵ ちく ま文 庫︑ 二〇 一 五年
︶の
﹁文 庫版 によ せて
﹂に おい て﹁ 自然 科学 と母 語の 関係
︑そ して
︑翻 訳文 化の 重要 性﹂ とい う一 項を 設け
︑﹁ 実体
﹂よ りも
﹁関 係性
﹂ を重 視す る日 本語 の思 考が
︑自 然科 学の 分野 にお いて 新た な知 見を もた らす 可能 性に つい て言 及し てい る︒ 注︵ 11︶ 松尾 前掲 書と 関連 して
︑
︿学 問の 真理
﹀に おけ る︿ テキ スト
﹀の 重要 性を
︑改 めて 確認 する 発言 とし て注 意し てお きた い︒
︵17
︶﹁ 書き 言葉
﹂の 質的 低下 につ いて
﹃日 本語 が亡 びる とき
﹄は
︑﹁ 文化 の否 定と いう イデ オロ ギー のそ もそ もの 種は 近代 西洋 のユ ート ピア 主義 にあ り︑ それ は︑ 原始 共産 制礼 賛︑ 文化 的資 産を 持つ 者と 持た ざる 者と の差 をな くそ うと する ポピ ュリ ズム
︑社 会の 規範 から まっ たく 自由 な
︿主 体﹀ の物 象化 など
︑さ まざ まな 形を とっ て︑ 西洋 でも 文化 の破 壊を 招い てき た﹂
︵三 八〇 頁︶ と述 べ︑ その 具体 的事 例と して
︑中 国の 文化 大革 命や カン ボジ アの クメ ール
・ル ージ ュを 挙げ る︒ 本稿 のエ ピグ ラム にも 掲げ
︑こ の後 にも 言及 する こと とな る小 説﹃ 一九 八四 年﹄ で︑ 作 者オ ーウ ェル が描 き出 した 全体 主義 の悪 夢を
︑こ れに 付け 加え るこ とも でき よう
︒
︵18
︶ ジャ ック
・デ リダ
﹃根 源の 彼方 に︱ グラ マト ロジ ーに つい て﹄
︵現 代思 潮社
︑一 九七 二︶ は︑ はや くに
﹁音 声= ロゴ ス中 心主 義﹂ を批 判し た書 とし て︑ すで に古 典的 な位 置づ けに ある
︒