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Academic year: 2021

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(1)

Author(s)

平野, 恵子

Citation

F-GENSジャーナル

Issue Date

2005-03

URL

http://hdl.handle.net/10083/3849

Rights

Resource

Type

Departmental Bulletin Paper

Resource

Version

Additional

Information

(2)

インドネシアPKKと

〈主婦ボランティア〉

―開発政策における

「女性の役割」

と日常実践―

The PKK and

Housewife Volunteers

in Indonesia :

Women's Role

in Development Policy and Women's Daily Practices

お茶の水女子大学大学院博士後期課程 / 学術振興会特別研究員(COE)

 平野恵子

1

0. はじめに――なぜイブ(

Ibu

)なのか

 本稿の目的は、インドネシアの開発政策において「女性の役

割」がいかに実践されているのか、家族福祉「運動」、通称PKK

Pembinaan Kesejahteraan Keluarga)と呼ばれた政策を通して考

察することにある。調査対象であるPKKの女性ボランティア、カ ドゥル(Kader)は、家族構成、家事使用人の有無などにおいて相当 に異なるが、「専業主婦」に分類される人々であり、〈主婦ボランティ ア〉と捉えておくことができる。本稿では、これらの人々が活動に 関わる過程で生きた経験を描き、それによって、インドネシア開発 政策の中に常に提示されている女性=母(イブ、Ibu)という概念が いかに変容するのかを提示したい。  本稿は以下の手順で進める。第一に、PKKがスハルト期に確立 されたことを踏まえ、同時期の開発政策を概観する。そしてPKK が政策の中でどのような位置付けにあったのか、行政機構との関係 を簡単に確認する。第二に、PKKとはどのような性格をもった福 祉活動であるのか、その背後にあるイデオロギーを明らかとした い。次に、筆者のケーススタディで得られた知見を検討し、そこか ら、行為者自身である彼女たちが経験したPKKを描き出す。最後 に、そのPKKは政策が意図した主婦像とはどのような違いを見せ るのか、実践レベルでのPKKを浮き彫りにする。  なお、本稿の事例対象地は、インドネシア首都ジャカルタ南部の 一地区であり、本稿はそこで2004年に4ヶ月(3月、8月、10、11 月)にわたって実施した、17人のカドゥルに対するヒアリング調査 による成果を集約したものである。

1. スハルト時代と PKK ―「女性の役割」の誕生

1-1. スハルトの開発政策  国民の下からの運動とされたPKKを考える場合、まずPKKが成 立したスハルト時代の開発政策を概観する必要があるだろう。  1965年に成立したインドネシアのスハルト体制は「安定」と「開 発」を国策の柱として掲げ、この課題達成の実績によって自らを正 統化する体制であった(白石 1996: 8)。具体的には、国軍と、軍人 出向者からなる内務省機構が基軸となり国民統治機構が作り上げら れる。隣組、警防団、青年団、婦人会が組織され、公務員はゴルカ ル(職能グループ)参加、大政翼賛を義務付けられる。政党は名ばか りのもので、学生、労働者、農民などの社会勢力は「非政治化」され て政治過程から排除される。メディアも同様に「非政治化」され、各 メディアの発禁が相次いだ。このようにして政治的「安定」が達成 される。この「安定」の下でテクノクラートが工業化、農業振興を二 本立てとする開発政策を立案実施し、世界銀行や日本などからの 援助、民間投資によって経済が拡大、工業化が進展し雇用が創出 される。これがスハルト体制に通底する基本的なロジックであった (Jackson 1978、白石 1996)。  このロジックを支えた開発政策とその目標は、5年ごとに示され る国策大綱と、それを具体的な形で提示する五ヵ年計画で明示され ている。  スハルト体制開始後の1966年以降、1973年に第一次国策大綱が 策定される。同年より第一次五ヵ年計画、REPELITA Iがスタート した。この国策大綱において、最初に開発における女性の問題が記 されたのは1978年のことである。ここでは独立した章としてこの 問題に触れている。時代的背景として、国連が1975年からの10年 間を「国際女性年」として宣言したことが挙げられよう。この10年

In this paper I will examine how, through the Pembinaan Kesehjeteraan KeluargaPKK), the family welfare movement, the imaginations of nationalism by Indonesian housewives were incorporated to construct “national femininity.” The positioning of “housewives” in the state development policy is always contradictory. They are gendered and domesticized, at the same time, demanded to take an active role.

I focus on the Kader, the women volunteers to clear the process of the making of Indonesian housewives as agents in the state's development policy. They are predominantly housewives, working at the community level in the PKK organization structure. According to my fieldwork in Jakarta, most of the Kader mentioned their involvementwork in the PKK as social activities(Kerja Sosial), which means that they get knowledge(ilmu), experience(pengalaman), and friends(teman).

It is clear that through the PKK activities the role of housewives was reinforced. Consequently, it is better to avoid overestimating that the

Kader can get new social capitals from the PKK. However, at least, they are able to extend their roles as housewives to negotiate within their families or communities. From the perspective of agency, I argue that they subvert the role of housewives through their daily practices.

Key words :   Indonesia  Development Policy  Women’s Daily Practices

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のテーマが「平等・開発・平和」であったことは周知のとおりである が、スハルト体制はこのテーマをそのまま「開発と女性」のためのプ ログラムと関連させた形で援用したものと思われる。それは78年 の国策大綱、「開発および国民の育成における女性の役割」という項 目の中にみることができる。 ⑴ 開発は、あらゆる分野で男性と女性に最大限の参加を呼び かけるものである。そのため、女性は開発に関わるすべて の活動に全面的に参加しうるよう、男性と同じ機会・義務・ 権利をもつ。 ⑵ 開発のなかの女性の役割は、インドネシア国民を育成する 役割、狭義には次世代を育成する役割を軽減するものでは ない。 ⑶ 開発のなかで女性により多くの責任と役割を与えるため に、女性の知識と技能は、需要に応じて様々な分野で向上 させられる必要がある(服部 2001: 186)。  これら女性の役割は、具体的には「(国家)繁栄と健康的な家族の ための女性の役割改善プログラム」、「低所得層家族の女性の役割改 善 プ ロ グ ラ ム 」に お い て 明 記 さ れ て い る(Pusat Informasi 1985: 135-138)。前者はPKKと並行しておこなわれ、このプログラムの なかで5歳児以下の幼児を対象とした「バリタ・プログラム」等の健 康促進・改善プログラムがおこなわれた。これらのプログラムは PKK組織網を使って推進することが明記されている(ibid: 136)。 後者は開発において、より具体的に女性の経済上の役割を強化する 目的でおこなわれている。これらのプログラムは福祉、家族計画、 商業、工業、労働、移住2、宗教、法律、スポーツ振興の各分野で、 女性にトレーニングをほどこし、それがどのくらいの規模でかつど のくらいの州でおこなわれたか克明に記載がなされている。しか し、これらの努力にもかかわらず、第3次五ヵ年計画終了の時点で 次の問題が残されていることが指摘されている(ibid: 137)。 ⑴1980年人口センサスによれば、37.23%の女性がいまだ非識 字の状況にある。 ⑵若い世代、5歳児以下の乳幼児を指導する知識と技術が不十 分である。 ⑶健康、栄養、子供の世話、衛生に関する知識と技術が不十分 である。 ⑷生産過程における女性の雇用機会が減少している。 ⑸低所得であるため、女性が家計を補助するため就業しなけれ ばならない状況がある。 ⑹伝統的な社会や文化システムでは、開発において女性がより 積極的な役割を果たす上で、不十分である。  ここでは、次のことが指摘できるだろう。第一に「開発」における 女性の役割が明確に記載されたこと。第二に、その役割は、主とし て既婚女性のもつ「家族の世話をする」役割であり、既存の「健康で 豊かな家族」を作ろうとする「家族福祉運動」、すなわちPKKと、人 口抑制政策の一環として実施された「家族計画(KB3)」のなかで期待 される女性の役割とほぼ一致していたということだ。ここでは国家 の理想的な家族像とそれにおける女性の役割が提示されていると言 えよう。しかし他方で、貧困という人々が現実に抱える問題に対処 するプログラムも用意されており、女性はそこにおいても役割を果 たすことが求められる。  家庭のなかで無償の役割を果たし、さらに経済的に家計を補助す べきとされていることがうかがえる。  続く第4次五ヵ年計画、REPELITAIVでは、第3次五ヵ年計画 の反省を踏まえ、次の事項を政策課題として掲げている(Pusat Informasi 1985: 137)。やはり前国策大綱同様、「母」「妻」役割に沿っ たものであるが、より明確な記述がなされており多少の変化が見ら れる。 ⑴健康で豊かな家庭を作るために、母としての女性の役割を高 めかつ発展させる。 ⑵開発のあらゆる側面で雇用機会を拡大することによって、労 働市場のメンバーとして女性の役割を高めかつ発展させる。 ⑶教育と技能を高める努力を通して女性の役割を高めかつ改善 する。 ⑷女性が開発過程により良く参加しうるように、女性の技能を 高め、またより適切な社会・文化的環境を作り出す。 ⑸パンチャシラに基づいて、インドネシアが自らの方法で公正 かつ豊かな社会の実現を可能とする能力を改善するという枠 組みの中で、開発のあらゆる側面で女性の役割を高めかつ発 展させる(村松 1996: 221、Pusat Informasi 1985: 137)。  さらに、1988年からの第5次五ヵ年計画では、次のような基本 認識が示された。すなわち、 ⑴市民生活、開発活動のすべてにおける両性の権利、責任、機 会の平等 ⑵家族や社会における女性の役割の調和 ⑶女性の尊重、そして女性が持つ生物学的特長/再生産機能の 保護 ⑷女性に好意的な社会文化的風土を育て、開発へのより大きな 参加を可能にする能力を高めること ⑸PKKにおけるNGOの参加促進

 (Offi ce of the State Minister for the Role of Women, 1991)。  この基本認識から種々のプログラムが、①低所得層の女性②過疎 地域の女性③世帯主の女性④15―29歳の若い女性を対象としてお こなわれた。ここでも、女性の役割は、「妻、母、コミュニティのメ ンバー、(経済的)生産者、リーダー、市民である女性が開発におい て重要な役割を果たすことできるよう」(ibid: 2)その能力を高めて いくこと、とされているものの、より具体的な対象への言及が見ら れるようになった。  スハルト体制下最後の第6次五ヵ年計画となると、さらに大きな 変化がみてとれる。開発における女性の役割の増加が強調されてい る。非識字率の上昇、労働力率の上昇が挙げられている(Bappenas 2000: 8)。また、1985年のナイロビ将来戦略への対応として、次の 目標が追加されている。「①女性の科学・技術能力の向上、②女性の 精神力の向上、③女性(の意志/政策)決定への参画を高める、④女 性の変化への対応能力を高める、⑤家庭教育での役割についての女 性の意識を高める、⑥社会・経済・人的資源・環境問題解決への女 性の役割を啓発する、⑦女性労働の技能、生産性、福祉・保護の向 上、⑧女性の労働者・家族構成員として、女性の健康・職場での安 全・キャリア・社会サービスの改善」(Bappens 2000: 63)。  以上、政策内で開発と女性がどのように位置付けられているか をこれまでみてきた。通底する原則は次の「女性役割5原則(Panca

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Tugas Wanita)」に代表されると考えてよいだろう。 ⑴ 妻として:幸福な家族を共に育成する友人そして配偶者と して夫に添えることができるような妻として。 ⑵ 次世代の育成者として教育者として:あらゆる時代の挑戦 に立ち向かえるよう子どもたちの心身を鍛え、また子ども たちが国家と民族に役立つ人間になれるよう準備してやれ るような次世代の育成者として教育者として。 ⑶ 家庭を導く母として:すべての家族成員にとって家庭が安 全で整った場所であるような家庭を導く母として。 ⑷ 職業人としてあるいは専門家として:家庭の収入を増やす ために、政府機関や企業や政界で活躍したり、自営業を営 んだりする職業人や専門家として。 ⑸ 社会組織の一員として:社会に奉仕するために、特に女性 組織や社会団体などの社会組織の成員として(ibid 下線筆 者)。  女性の役割の筆頭に挙げられるものは、家庭内での妻・母役割で あり、後に続くその他の役割も家庭が核となっている。最後に社会 組織の成員としての女性が登場する。  また注目すべきは、女性の役割5原則に相応する「男性の役割5 原則」は存在しない ということだ。この非対称性は何を意味するのか。 1-2. イブイズム :「妻」として「母」として  開発政策におけるこの非対称性こそが、ジェンダーイデオロギー の 証 で あ る。Anderson(1972)、Robison(1978)、 白 石(1992)は、 インドネシアの政治文化を分析し、その中に潜む二つのロジックを 提示している。一つは先に述べた、「安定」と「開発」である。それと 並んで、もう一つが「家族」である。擬似「家族」としてインドネシア 国家を捉える視点だ。パトロン=クライアント関係を応用して、イ ンドネシア国家全体を一つの家族と捉える見解である。パトロンは 「父」(bapak)、クライアントは「子」(anak)とみなされる。このパト ロン=クライアント関係がインドネシア社会に数多く存在している とされる。スハルト体制下のインドネシアでは、大統領スハルトが パトロンの中で最上級に位置付けられ、クライアントである有力政 治エリートそれぞれがパトロンとして行動できるように、職務外 の目的をも満たすに足る十分な資金、地位を「父」スハルトが供給す る。その供給が続く限り、スハルトの地位は安泰であり、国策決定 の鍵を握る立場を維持できるとする。ここまでが、インドネシアの 政治文化分析として提示されてきた視点である。  しかし、これらのインドネシア政治分析には、女性がいかに政治 に関わるかについての言及はほとんど見られない。「家族主義」にお いて、「母」(ibu:イブ)は登場してこないのである。インドネシアの 開発政策において「母(ibu)」は一体どのような役割を担っていたの か。  これを説明する上で重要な糸口となりうるのが、イブイズムであ る。  ここではまずイブイズムを提示したDjajaningrat(1992)の議論を 概観する必要があるだろう。Djajaningratは、ジャワの社会にある 権力観を検討する過程でイブの存在と役割を「発見」する。権力の中 心には、「父」とされる男性が存在し、「母」である女性は、その権力の 仲介者として在る。女性は、社会資本を活用して男性の権力を拡張 する役割を担うことが期待される。その範囲内であれば、経済活動 をおこなうことも称揚される。「家族」の中心にいる男性が持つとさ れる権力を保持する役割を担う上では、あらゆることが是認される のである。この女性の役割を、Djajaningratはイブイズムとして提 示した。  さらに、この権力保持の範囲を国家にまで拡張し、その中での女 性の役割を考察したのがSuryakusuma(1987)である。Suryakusuma は、イブイズムにあらわれる女性の役割、すなわち権力保持の役割 を国家開発政策における女性の役割と読み替えた。そこでは、擬似 「家族」である国家の権力維持のために、女性がもつとされる資源を 動員し提供することが、新たなジェンダーイデオロギーとしてイン ドネシア国家で称揚されていると説く。  このSuryakusumaのステイト・イブイズム論に則って開発政策 を一顧すると、イブ=母 - 妻がおこなうべき領域として、政策上定 義され、全国民を動員する政策がPKKといえるだろう。

2. PKK とは何か̶̶国民のための女性による

「運動」

2-1. 背景と組織構造  前節で述べたように、1970年代、スハルト開発体制はその経済 的成長をさらに達成するため、開発過程に女性を統合することを試 み始める。その開発政策の一端を担ったのが、本稿で取り上げる PKKである。  政策としてのPKKは1970年代に始まったとされ、そのアイディ アは、1957年に保健省の主催で西ジャワのボゴールで開催された 家政に関するセミナーのカリキュラムから出ている(倉沢 2001)。 PKKの開始にあたって、1971年に内務省が国レベルでの重要性を 認める発言をしてからは、PKKは行政の末端からの女性の運動の 一部とされ、現在まで続いているインドネシアにおいて最大の「女 性の運動」の一つであるといえよう(Bianpoen 2000a、吉原 1998)4 。  PKKについての先行研究には、大別して二つの分析視点が存在 する。  一つは、上意下達の組織構造と動員的性格に着目し、それを批判 点として挙げる(Bianpoen 2000a、村松 1996、Suryakusuma 1987、 1996=1999)。また、Pannell (1996)は、自身のフィールドワーク から得られた知見として、PKKにおいて中心的役割を担っている はずの女性が実際にはそれほど権力を行使できないことを挙げ、家 父長制的構造を指摘する。  他方「肯定」の理由として、PKKは住民自身が担う社会福祉サー ビ ス で あ る と 強 調 す る( 倉 沢 1998)。 ま た、Marcoes(2001)は、 PKKの地域密着性に着目し、その発展可能性を示唆している。  しかし、PKKは以上の二つの視点を併せ持つ。―つまり開発 の「道具」か住民「自身」が担うサービスか、のいずれかではなく、 PKKは開発の道具であり、住民自身がそれをおこなう、としたと ころにそのポイントがあったと筆者は考える。  1983年の国策大綱No.2の中で「インドネシア開発計画における 女性の役割の向上」が宣言され、女性がナショナル・レベルから村 落レベルにいたるまでPKKの活動者になることが強調された。そ の後、1987年には大統領の同意のもと、地区5 、RT、RWおよびダサ・ ウィスマ6 にもPKK活動チームが作られた。ここにいたってPKK の全国組織網が完成することになった。  ナショナルな広がりをもつPKKの組織網は、名称は変更した ものの現在も内務大臣の監督下にあり、内務大臣が中央レベルの

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PKKの指揮者となっている。そして各級の地方行政レベルで、村 落民間防衛隊育成/指導チーム(TP- LKMD)に対応する形でPKK 活動チームが結成されているおり、上意下達の組織構造である。 PKK活動チームの幹事メンバーは各地域社会の指導的立場にある 女性たちであり、各級の地方自治体長であるPKK指導・育成者に よって認定され任命される。  筆者が注目する町村/村レベルでは、PKK活動チームは10部門 から成る村落民間防衛隊の1部門であり、そのリーダーには村落民 間防衛隊のサブ・リーダーである町村/村長の妻が就く。そしてそ のリーダーを秘書と会計が補佐するという形になっている。  実際には、町村/村、RW、RTのPKK活動グループ、ダサ・ウィ スマチーム7PKK活動チームを支えている。特にダサ・ウィスマ は各地区の10∼20戸単位で結成されており、実際にPKKの活動 を担っている単位であるといえる。  各ダサ・ウィスマの中で4つの部会(Kelompok Kerja)に分かれ、 上記PKK10プログラムそれぞれ担当することになっている(表1)。  上記部会のうち、第四部会で実際に活動をおこなうのがカドゥル である。  このような組織構成からして、PKKは中央政府(内務省)を頂点 とし、RT、RW、ダサ・ウィスマが活動する底辺の組織を基礎とし て、ピラミッド型に編成されている地方行政機構に対応しているこ とがみてとれる。加えてPKKのリーダーシップもまた、地方行政 システムとパラレルな関係にある(図1)。 表 1  部会と活動項目 部会 (Kelompok) 活動 (Kerja) 第一部会 パンチャシラ理解の促進 相互扶助 ―― 第二部会 職業技術教育と 協同組合業務 ―― 第三部会 食糧 衣料 住宅と家計 第四部会 健康 環境保全 (家族計画)健全な計画 出典:TP-PKK Pusat 1996 より筆者作成。  公的には女性が主体となって行う「ボランティア活動」であるとは いえ、PKKのために毎年、国家予算と地方行政予算から各村/町村 に対して一定額が配分されていることについても、このような地方 行政システムとの関係を考えれば納得がいく。しかしその額が微々 たるものであり、実態としてはほぼ住民からの寄付などでまかなわ れている8。もっとも、活動内容についていえば、PKK10プログラ ムのように上からその内容自体が極めて定型的に設定されているに もかかわらず、各地域においてそれをどのように具体的に展開する かは幾ばくかの裁量が認められている。中央PKK活動チームのガ イドブックにおいても、PKKプログラムの策定と遂行にあたって 地域の状況を考慮すべきことが明記されている(TP-PKK Pusat dan

・ インドネシアの行政システム

中央 政府: PKK 町村活動チーム 国会/国民協議会 大統領 内務省 町 村 長 エルウェー R W 隣  組 エルテェー R T 知  事 県/市長 郡  長 LKMD (村落社会組織) 地方議会 地方議会 地方議会

・PKK 構造

町村: 州/ 特別区: 県/市: 郡: 大統領夫人(最高保護者) 副大統領夫人(保護者) アドバイザー PKK 中央活動チーム PKK 第 1 級自治体活動チーム PKK 第 2 級自治体活動チーム PKK 郡(クチャマタン) 活動チーム ダサ ウィスマ ダサ ウィスマ 図 1 出典(: Roestam 1981)、(吉原 1998)より筆者作成

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DIRJEN PMD, 1994)。 2-2. PKK におけるカドゥル  このダサ・ウィスマを支えるボランティアがカドゥル(Kader)で ある。そもそもカドゥルはインドネシア社会のグラス・ルーツレベ ルで広範囲にみられる存在で、地域医療プスケスマス9 と住民の生 活世界とを媒介する存在として重要な役割を果たしてきた(吉原・ ドウィアント 1998: 54)。リクルートは、各RW内でおこなわれる。 Wibisanaが中部ジャワでおこなったカドゥル調査によれば、カ ドゥルの期間は、次の表(表2)のとおりである(Wibisana 1998: 28)。活動従事期間で一番多いのが5∼10年の期間であり、全体の 60%以上が5年以上継続して活動していることから、長期間その地 区のボランティアとして従事する特徴がある10 表 2 カドゥル 活動従事期間 (出典 :Wibisana 1998: 28) 期間 人数 % 1年以下 629 9.7 1~5年間 1.964 30.5 5~10年間 2.692 41.7 10~15年間 988 15.3 15~20年間 128 2.0 20年以上 54 0.8 合計 6.445 100.0 カドゥルに対しては、その維持を目的として行政サイドから七つの 提言がなされた(ibid:70)。 1.役人はカドゥルにたいして親切にし、良好な関係をむすぶようつ とめる。 2.カドゥルと育成側との間でアリサンのような親睦会をつくる。 3.カドゥルに制服をあたえる。 4.カドゥルと役人とのコミュニケーションを円滑にするために談話 会を開く。 5.カドゥルがプスケスマス等で無料診断が受けられるようなシステ ムを考える。 6.カドゥルに割引券を与える。 7.カドゥルを他の地域で開かれる会議に出張させる。  ここから行政サイドがPKKを実質的に支えているカドゥルを重 要視していることがうかがえる。確認すべきは、様々な特典が彼女 たちには供与されているものの、金銭的な報酬はないということ だ。

3. 知識、経験、友達 : カドゥルから見た PKK

 「私はこの活動で知識(ilmu)と経験(pengalaman)と友達(teman) を得た」 3-1. カドゥルが得たもの 3-1-1. 舞台背景 : 調査地域の概要  本稿の事例対象地は、ジャカルタ首都特別市の南方、ブロック Mに程近いP地区(Kelurahan)である。そこで17人のカドゥルにヒ アリング調査をおこなった。  P地区は、ジャカルタ首都特別区内の南ジャカルタ市(コタマ ディアKotamadya)のプサングラハン郡(クチャマタンKecamatan) に位置する(図3を参照)。2.11平方キロメートルの面積をもち、 2003年時点で人口密度11,352人/平方キロメートルのプサングラハ ン郡の中でも過密度の高い地域の一つである。  2003年時点でこの地区には8つのRW(町内会)が立地しており、 そのなかには軍や警察関係者が居住する地域も含まれる。これらが 多様な組織・集団と重層的に交差しているのが事例対象地の特徴と いえよう。 3-1-2. 調査方法 : ヒアリング調査  筆者は同地域の住民宅に居住させてもらいながら、各RWで月 に一度おこなわれる母子保健活動(POSYANDU)を参与観察しなが らデータを集めた。この母子保健活動がPKKの一環であり、本稿 調査対象であるカドゥルが活動をおこなう場となる。カドゥルと は、地域コミュニティレベルにおける福祉ボランティアスタッフを 指す。筆者がヒアリングをおこなうことが出来たカドゥルは17人 である。ポスヤンドゥへの参加の際、各カドゥルにインタビューを 申し入れ、了解を得られた人物にそれぞれ2時間から3時間の個別 インタビューを実施した。ヒアリング調査は各カドゥルの家もしく は、ポスヤンドゥでおこなった。 図 2. 調査地域 3-2. 社会活動 (Kerja Sosial)  カドゥルの中で、ポスヤンドゥの仕事は社会活動(kerja sosial)と 位置付けられている。前節で確認したように、彼女たちの仕事には 定額の報酬はない。基本的には自ら進んでその役を引き受け、こな すことが期待される無報酬の資源の提供である。したがって、彼女 たちが直面する活動上の困難として、新たなカドゥル獲得が困難で あることを挙げる調査対象者もいた11 。リクルート上の困難によっ て同じ人物が長期で活動を続けざるをえない状態が生じる。先行研 究、筆者の調査双方で、カドゥルの在任期間が比較的長期にわたる ことが確認されている。  カドゥルの仕事は、基本的には、断食月や年末年始を除く月一度 のポスヤンドゥでの活動だ。5歳児以下の乳幼児健康診断、ビタミ ン剤や予防注射の投与、カドゥル手作りの粥や菓子を配るのがその 内容である。  そのほかに、家族計画の実施状況、実施状況の地図の作成、保険

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カード配布のための地域調査、月に一度の市でおこなわれる報告会 参加、菓子、料理等を学ぶためのPKK講習会への参加等々、期待 される役割は非常に多い。前節で示したPKK4つの部会のうち、第 四部会がカドゥルの役割として規定されているが、実際には複数の 部会を兼務するカドゥルも多数存在する12 。  それは、RTやRW等コミュニティレベルにおいて、「家族」という 用語がキーとなり、その行事の多くにカドゥルの存在が立ち現れる ことを意味している。カドゥルの中にはその存在感を誇りに思う語 りが多く見られた。カドゥルは、「地方政府と(地域)社会を媒介する 存在」13 であって、他のコミュニティメンバーから信頼される存在 と自らを位置付けているようなのだ。  しかし、その存在の大きさが地域内でコンフリクトを引き起こす こともある。  「実のところ、私のことをあまり好きじゃない人たちがここに はいる。活動自体が地域で私を目立たせているのに加えて、他の ことにも私が活動的に参加しているからそれが気に入らないのだ と思う」14  「悲しいことだけど、陰口があるのも知っている。また、あの 人か、ってね」15 。  「私はこの活動を長い間やってきたけれど、私の活動をうらや み、それを支持しない人たちが必ずいる」16  ただ、居住地区住民とのコンフリクトはカドゥル自身によって 消化されている。  「家族には、地域の人々と仲良くやっていくように言われてい る。最初は、私のことを悪く言う人が気になって仕方なかったけ れど、この活動をする上ではそれは避けられないと分かった。私 は、この活動で地域に私は地域の人たちに対して寛容になったと 思う」。  存在の大きさこそが、地域への自分の貢献度を示しているとの読 み替えをおこなっていると考えられる。  次に、ヒアリング調査においてカドゥルの大半が言及した「知識」 「経験」「友達」について検討することにしよう。 3-3. 知識 (ilmu)   カドゥルが得た「知識」とは何だろうか。  数回にわたるヒアリング調査を経て浮かび上がってきたカドゥ ルにとっての「知識」と、多様であることが明らかとなった。それ は、次の二つに分類できる。一つは、活動遂行上必要な健康に関 する「知識」、一つはカドゥルという立場上、参加せざるを得ない 講習会という場から得られる家庭運営や小規模起業に関する「知 識」である。  前者は、カドゥルの活動遂行上必須のものである。カドゥルと 地域行政、地域病院との情報交換の場として、月に一度の頻度で 地区全体のカドゥルを集め開催されることになっている。しかし 実際には、行政上の「指導」や、病気に関する注意事項といった情 報を上意下達方式で伝えるに過ぎない会合も非常に多い。また、 したがって、その会合の場にアクセスできるような各地区のカ ドゥル長以外は、活動という実践を通して身に着けていくしかな いというのが実情のようだ。また、PKKや、保険省より様々な テキスト17が供与されているが、ただ配布されるのみのことが多 く、結局は実践あるのみ、といった状況である。  「集会ではいろいろ教えてもらうけどね、でも結局実践あるの みよ。集会では友達と一緒でも、家や地域では女の人一人だけだ から」  ちなみにこれらのテキストも、町内会のカドゥル長が講習会よ り手に入れ、持ち出しでコピーをおこない同町内会の他のカドゥ ルに配ることが慣習化している。  他方後者の場では、健全な家庭運営という名の下に、「料理」や 「菓子」の作り方を学ぶ。そこには、当然「妻」「母」としての役割を 強化させようとする政策の意図が見える。 3-4. 経験(pengalaman)  得た「知識」を応用することで、報酬はなくとも、菓子や料理を作 り地域住民相手の小さな「ビジネスをすることでお金を稼ぐように なった」18カドゥルもいる。居住区内を越えて、隣の市まで得意先 に注文をとりに行くカドゥルもいる。   だが主婦が外へ出かけるには理由が必要という。料理、洗濯、 掃除等、主婦がやるべきであると考えられている家事をこなした上 でのカドゥルの活動である。  「私は朝4時に起きて食事の用意、洗濯、家の掃除をしてから この活動をやるの。これは社会のための活動であって、仕事じゃ ない。私は主婦。夫が帰ってきたときに、食事の用意がきちんと 出来ていることが大事なのよ」19  先に述べたように、カドゥルは自分たちの活動を単に「仕事 (kerja)」とは呼ばない。カドゥルにとって、職業における自らの第 一の位置付けは、母と妻の役割を併せ持つ、主婦である。報酬がな く、地域医療を実践する上で、重要ではあるが政策上も、地域から も二次的な存在として位置付けられたこの活動は、カドゥルには社 会活動(kerja sosial)として認識されているのである。  しかし、彼女たちが言うところの「主婦としての義務」を果たした 上で、活動のために外へ出かける交渉を家族に行っている。そのた めに家族に必要な情報を与え、家事負担を減らすための準備をし、 それを習慣化するための実践を日常的におこなっているのである。  「この活動では、政府やプスケスマスから招待状が来ること がある。そういうときには、机の上に置いておくの。そうすれ ば家族の皆がそれを読むことが出来るし、何日に何があって、 私が何時に出かけなければいけないのかわかるでしょう」20  「私は子供が小さい頃から、この活動があるときは夫に面倒 を見てもらうようずっと頼んできた。子供が大きくなってから は、料理や掃除を一緒にやることで、彼らが自分で出来るよう に育ててきた」21 。  ここでは、主婦としてありながら、家族関係の変容を自ら迫る姿 勢が見出せる。 3-5. 友達(teman)  カドゥルが活動を通して得たとする3つのキーワードの最後は、 「友達」である。これはネットワークの構築と言い換えることが可能 であろう。

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 通常カドゥルが居住地区である町内会をベースとして活動をおこ なうことは先に述べたとおりである。月に一度のポスヤンドゥ開催 や、貧困世帯調査等、地域に密着した活動が期待されている。そ れに加え、月に一度の地区全体での講習会において他の町内会のカ ドゥルと知り合う機会を得る。さらに、活動を通して医師や看護 師、公務員とも知己の間柄となると考えられる。実際にそのネット ワークを利用することで、地域内の承認を得ることにつなげたカ ドゥルもいる。  「私は電話一本で公立の病院に行くことが出来る。この前ね、 近所の人が喘息の症状が出たの。はーっ、はーっ、って肩をこう いう風に震わせていて、苦しそうだった。それですぐに、知り合 いの医者がいる病院に電話したの。すぐに薬剤部から薬をもらっ てね、その子は落ち着いた。地域の人の役に立ててよかった。私 たちカドゥルは、下からの助けの声を拾うのよ。勇気や度胸があ るわけじゃない。でもいろんなことをやることは怖くない。呼ば れたらどこにでも行く。私たちはそういう社会のためにある」。  このカドゥルは、地域内の嫉妬とねたみの眼差しから自分を解放 する手段として、活動を通して得た社会資本を活用し、さらに自ら の社会資本を増大させている。  以上、ヒアリング調査から得られた知見を総合すると、次のこと が言えよう。カドゥルにとっては資源の投入に比して(地域住民か らの評価も含め)報酬が少ないので、この活動は仕事ではなく、「社 会活動」として認識されている。だが地域社会のために活動してい るという自負、地域内での存在の可視化に加え、新たなビジネスに よって得る実質的な利益との比較考量をした上での、この活動への カドゥルなりの評価を見ることができるのである。さらには、居住 地区外への外出が頻繁になることから、カドゥル同士のネットワー ク強化だけでなく、医師、公務員等とのネットワークを構築し自己 の承認につなげている状況が見られた。

4. むすびにかえて

 本稿では、PKKの地域ボランティアスタッフであるカドゥルか ら見たPKKを描くことに努めてきた。  PKKでの経験は、一方で、カドゥルの主婦としての役割を強化 するものであったことがここまでで確認できた。したがって、カ ドゥルが得たとする新たな社会資本を過大に評価することは避ける べきであろう。ただしそこから派生して様々な交渉、実践をおこ なっているのもまたカドゥルが経験している日常である。行為者視 点に立った時に、先行研究が強調してきた「夫を支える妻」像やそれ を可能にするPKKの動員的性格よりも、地域内での自分の存在を 顕在化させ、生活費を稼ぐ糧を得、自らの生活世界を拡げている状 況が見出せる。カドゥルの活動は、イブイズムに見られる性別役割 分業内ではあったが、主婦としての日常実践を続けることで、逆に 主婦の存在の固定化への揺らぎを与えている。  以上のような性格を帯びたPKKの担い手たるカドゥルに対して、 地域の住民がどうみているかという点は、本稿のテーマに即して非 常に重要である。この点は、ジェンダーに規定されるところが大き いと考えられる。福祉サービスの受け手である地域住民女性と男性 では受け取り方が異なると考えられるからだ。カドゥルによる認識 とのずれも予想される。これらは今後の調査を進める上で残された 課題である。 ――――――――――――        1 本論文は、日本学術振興会科学研究費補助金(特別研究員奨励費:研究課題 番号52411)によりおこなわれた調査結果におっている。ikeihj@yahoo.co.jp 2 政府は、人口問題を解決し国家経済を活性化させるため国民の国内移住に 対する関心を強めており、人口の再配分をおこなうために一連の方策がと られていた。国内での住居移動に同意した個人とその家族には。土地の選 択、住居の入手、食物の供給、税の控除と言った経済的なメリットが与え られた。これは、人口過密地域(すなわちジャカルタ)における人口増の緩 和を狙っておこなわれたものである。広範囲な移住政策のなかで、女性に 関する政策は農業の収穫量の増加と家族の福祉増進という役割を強化させ る方向でなされた(インドネシア女性の役割担当、1996、『インドネシアの女 性』、アジア女性交流・研究フォーラム、40-41頁)。 3

Keluarga Berencana: Family Planning:家族計画。スハルト体制に入り、家 族計画活動が本格化。ジャカルタでは1967年より開始。1970年に国家家族 計画局(Badan Koordinasi Keluarga Berencana Nasional =BKKBN)が設置さ れ、本格的な人口抑制政策がとられるようになる(石井米雄監修、[1991]

=1994、『インドネシアの事典』、同朋舎、108頁、筆者により一部抜粋改変)。

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PKKは 現 在Pemberdayaan Kesejahteraan Keluarga(Empowerment of Family Welfare:「家族福祉のエンパワーメント」)に名称を変更。よりエンパ ワーメントを強調した形になっている。 5 Dusun/ Lingkungan 6 10-20世帯を一単位として組織化されたPKKのための組織。これにより開 発プログラムを女性や彼女たちの家族に伝達し、開発におけるコミュニ ティの動機、参加、結束がより強固になることを意図した(Offi ce of the State Minister for the Role of Women 1991)。

7 町村/村レベルのPKKの計画、活動を支援するために結成されたグループ。 1986年の導入以降重要な役割を果たしてきた。 8 4ヶ 月 毎 に ポ ス ヤ ン ド ゥ 活 動 の た め の 資 金(PMT= Pemberian makanan tambahan)が地方政府より分配される。Rp. 150,000。カドゥルによれば、 これでは足りず、中には持ち出しの状況もあると言う(2004年8月24日の インタビューによる)。

9 Puskesmas: Pusat Kesehatan Masrakyat。インドネシア国内で約7200箇所設

置されている地域の診療所。診療活動、家族計画のための活動が大きな ウェイトを占めている。調査対象地には、P地区とP地区があるコタマジャ ヤ(郡)にそれぞれ一つずつ存在する。 10 この点は、筆者のフィールドワークにおいても確認された。インタビュー 17人中、5年以下は1人のみであった。5年~10年が3人、それ以上が13人 という結果となった。 11 20048月のインタビューによる。 12 2004年10月のインタビューによる。 13 ソバリ(仮名)さん。2004年11月22日、彼女の自宅にてインタビューをお こなった。 14 カンダリヤント(仮名)さん。2004年10月22日、彼女の自宅にてインタ ビューをおこなった。 15 ソバリ(仮名)さん。 16ツチ(仮名)さん。20041028日、彼女の自宅にてインタビューをおこ なった。 17

例えば、保健省より配布の、『女性の視点から見た健康(Sehat dari Aspek Perumahan)』や、『PKK活動チームためのプログラム』が例として挙げられ る。 18ソバリ(仮名)さん。 19 エンダン(仮名)さん。2004年10月22日、インタビューは彼女の自宅にて おこなった。 20カンダリヤント(仮名)。同脚注 15。 21 ソバリさん。 参考文献

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