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meijiki shiritsu joshi chuto kyoiku kikan ni okeru joshi tokusei kyoiku kakuritsu ni kansuru kenkyu : senzaiteki karikyuramu no bunseki o chushin ni

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Academic year: 2021

Membagikan "meijiki shiritsu joshi chuto kyoiku kikan ni okeru joshi tokusei kyoiku kakuritsu ni kansuru kenkyu : senzaiteki karikyuramu no bunseki o chushin ni"

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論 文 概 要 書

明治期私立女子中等教育機関における女子特性教育確立に関する研究

潜在的カリキュラムの分析を中心に―

早稲田大学大学院 博士課程

指導教授 安彦忠彦教授

櫛 田 眞 澄

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筆者は過去40年にわたり男女平等教育の理論的・実践的研究を続けてきた。そ の中で、現在でも男女差別を当然と考える人々の存在や、特に意識上は平等を主張 しながらも、無意識における言語表現や行動の中に、差別意識が種々な形で現れる 現象に疑問を持つようになった。 無意識な言動は、男性ばかりではなく女性にも見られ、このような人々の無意識 な「発言と行動」は、明治期以来の一般社会だけではなく、学校教育の歴史の中で も形成されたものと考えられる。近代日本における中等教育が、男子生徒と女子生 徒に対して、如何なる認識と人間関係および学校文化を身につけさせたかが、問わ れることになる。ここで中等教育が重要なのは、初等教育では対象者が年齢的に未 発達であり、また当時高等教育を受けたのは極めて少ない人数であったのに対し、 中等教育は人数的にも多く、また教育の意図を汲み取ることが可能な年齢に達して いたことによる。 江戸期からの男女間の学力格差解消を目指して始まった明治初期の女子教育は、 次第に特性論の方向をとるようになり、女子特性論が確立されることになった。こ のような時期において、女学校の設立者は如何なる人間観を基に女学校を設立した かは、後々に及ぼす影響が大きかった。これらの学校設立者の人間観は、隠れたカ リキュラムの分析を通してのみ明らかとされ、男女平等教育の推進を阻害する要因 が明確にされる、と考えられる。「我々の現在は過去に制約されている。しかも我々 を制約する過去は、必ずしも表層に現れているとは限らない。それは、言説化され た思想の奥に潜むものである」(末木文美士『日本の宗教史』2ページ 岩波新書 2 006年)。この言葉の意味は深く、また重い。 本論文は、常にこの言葉を念頭に置きつつ、制度的、文化的、人物像的分析を主 とする従来のアカデミックな研究方法によっては、掬い上げることのできない、男 女平等教育の推進を妨げる精神的な要因を、明治期の私立女学校設立者の思想と実 践活動に焦点を当てることによって、追究したいと考える。

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一、 論文題目

明治期私立女子中等教育機関における女子特性教育確立に関する研究

潜在的カリキュラムの分析を中心に―

二、 論文の目的

本研究の目的は、男女差別の要因を多面的に追究しつつ、顕在的カリキュラムか らでは把握することが不可能な事項として、設立者のヘゲモニー的性格や人間観な どの潜在的カリキュラムの様相を、建学の精神や卒業生の証言などから読み取るこ とにした。明治時代に設立された私立の女学校の潜在的カリキュラムの中の男女差 別の要因を明らかにするために、宗教主義を建学精神とする学校と、宗教以外の主 義を建学精神とする学校とに大別して検討することにし、前者に関して2タイプ(2 校)、後者に関して2タイプ(3校)、その中間的存在である学校を1タイプ(1校)、 計5タイプ(6校)を選び出した。宗教主義ではキリスト教主義の明治女学校およ び仏教主義の東洋女学校を、また中間的存在として儒教の色彩を持ちながら道徳・ 規範主義の学校である三輪田女学校を、更に宗教以外の主義を持つ教養主義の学校 として跡見女学校および職業主義の学校として和洋裁伝習所と共立女子職業学校を 選び出し、その各々をケース・スタディとして分析した。なお私立女学校に重大な 影響を及ぼした天皇制国家主義に依拠した公立学校である東京府立第二高等女学校 を、私立学校と同様な方法により分析した。 本研究の目的は、日本人の思想や文化を形成した潜在的カリキュラム(ヒドゥン・ カリキュラム)に注目し、今日における男女平等教育の推進を阻害する要因は、学校 教育の中で、どのように形成され保持されてきたかについて、検討した。 第一に、明治期の私立女子中等学校に焦点を当て、重要な女学校を選び出し、そ の学校の設立理念に関して、カリキュラム面(広義の意味)に注目し、それにヘゲモ ニー的側面から分析を試みた。第二に、各学校の教育内容について、人格の完成を 目指す教育面から検討した。即ち人格の完成に関わる「人間的自立」の要素として

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「精神的自立」、「生活的自立」、「経済的自立」などの項目に関する分析作業を通し、 男女間に不平等を形成した要因を明確にした。 男女平等教育の推進を阻害する要因が、過去の時代的、思想的、社会・経済的条 件を背景とした学校教育を通して形成されたものであるならば、その阻害要因を明 確に把握することは、21世紀の教育に向けて参考となり、教育実践上で対処する ことが可能であると考える。何故ならば男女平等に関する認識や意識や態度も、教 育により修正され得るものであり、再形成され得ると期待するからである。

三、 研究方法

潜在的カリキュラムを追究する研究方法は、各学校の建学精神に関する設立者の 著書、その他の資料を「質的研究」により分析した。「質的研究」を適用することに より、数量的に把握できない潜在的カリキュラムの分析を行い、更に潜在的カリキ ュラムをマクロとミクロの視点の両面から分析を行った。即ち女学校創設者の学校 教育に関する「著書」を分析上の主要文献として用い、その他には東京都公文書館 に保存されている公文書、および各学校の沿革史、各種の書籍や研究資料などを補 足資料としてカリキュラム分析の対象とした。この場合、公文書または設立趣意書 等によって形として公表されたカリキュラムを顕在的カリキュラムとして扱い、そ れ以外のカリキュラムを潜在的カリキュラムとして扱うことにした。 従って本論文の分析の第一は、学校設立者の建学の精神に関する「著書」や、そ の他の資料および文献を「マクロに分析」することであるが、これにはイデオロギ ー観念からではなく、グラムシおよびその影響を受けたM・アップルの「ヘゲモニ ー論」を用い、潜在的カリキュラムの中に含まれるヘゲモニー的側面を分析した。 第二の視点は、その学校の建学精神や教育内容、設立者の思想などに関する資料を、 人間観における「人間的自立」の視点として「ミクロな分析」を行い、考察した。 上記した二つの分析方法の基準を示すと、 (一)マクロな視点による分析方法では、 ①ヘゲモニーとイデオロギー ②選択される伝統・文化 ③ 制度としての学

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校・知識の形・教育者と生徒との関係性、などの視点により分析した。 (二)ミクロな視点による分析方法では、 人間自体に関する思想(人間観)の中に現れる「人間的自立」について、原則 として①生活的自立 ②精神的自立 ③社会的自立 ④経済的(職業的)自立 ⑤性的自立など、の五項目について分析した。しかし、必ずしも全項目に渡ら ない場合もある。 本研究はこのような基準に従って分析することにより、研究目的を達成させた。

四、 論文構成

序 論 問題の所在・研究の目的および方法 第一節 問題の所在 第二節 研究目的と研究方法 第三節 研究方法に関する理論 第四節 潜在的カリキュラムにおける「マクロ」と「ミクロ」の視点 一、マクロな分析視点としての「ヘゲモニー論」 二、ミクロな分析視点としての「人間的自立」 第五節 論文の構成 第 一 章 キリスト教主義女学校の建学精神とカリキュラムの分析 第一節 明治期キリスト教系女学校の中の明治女学校の位置 第二節 公表された授業内容に見るカリキュラムの特徴 第三節 『吾党之女子教育』にみる建学精神と教育内容 第四節 卒業生の証言による明治女学校の教育 第五節 結論と考察 第 二 章 仏教主義女学校の建学精神とカリキュラムの分析 第一節 明治期仏教系女学校の中の東洋女学校の位置 第二節 公表された授業内容に見るカリキュラムの特徴 第三節 『女子教育管見』にみる建学の精神と教育内容

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第四節 卒業生の証言による東洋女学校の教育 第五節 結論と考察 第 三 章 道徳・規範主義女学校の建学精神とカリキュラムの分析 第一節 明治期の儒教・儒学系女学校の中の三輪田女学校の位置 第二節 公表された授業内容に見るカリキュラムの特徴 第三節 『女子の本分』および『女子教育要言』にみる建学の精神 第四節 卒業生の証言による三輪田女学校の教育 第五節 結論と考察 第 四 章 教養主義女学校の建学精神とカリキュラムの分析 第一節 明治期教養系女学校の中の跡見学校の位置 第二節 公表された授業内容に見るカリキュラムの特徴 第三節 跡見花蹊の教育観と卒業生の証言による跡見学校の教育 第四節 結論と考察 第 五 章 職業主義女学校の建学精神とカリキュラムの分析 第一節 明治期職業系女学校の中の和洋裁伝習所と共立女子職業学校 の位置 第二節 文献にみる和洋裁伝習所の基本的性格 第三節 和洋裁伝習所の授業内容に見るカリキュラムの特徴 第四節 文献にみる共立女子職業学校の基本的性格 第五節 公表された授業内容に見るカリキュラムの特徴 第六節 卒業生の証言による共立女子職業学校の教育 第七節 結論と考察 第 六 章 天皇制国家主義的イデオロギーに依拠する公立高等女学校の カリキュラム分析 第一節 官立・公立女子中等学校設立と歴史的動向 第二節 良妻賢母の教育 第三節 東京府立第二高等女学校開設の経緯

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第四節 卒業生の証言による府立第二高等女学校の教育 第五節 結論と考察 結 論 明治期の私立女子中等学校の特色および男女差別 (一) 顕在的カキュラムと潜在的カリキュラムの視点から見る男 女差別の様相 (二) 女子特性論の視点から見る男女差別の様相 (三) ヘゲモニー的視点から見る男女差別の様相 (四) 人間的自立の視点から見る男女差別の様相 (五) 女子教育の国家的再編 (六)まとめ

五、研究内容

序 論 問題の所在 男女平等の意識の目覚めは、基本的人権の思想およびその権利獲得の歴史と同様 に、人類の歴史的必然であり、世界の教育の動向は、確実にその方向で進められつ つある。しかし日本では、男女平等の実質化には多くの困難を伴っている。現実的 問題として、男と女の関係や夫と妻の関係は、未婚率の上昇、高齢期離婚の増加、 ドメスティック・バイオレンスの顕在化などの社会問題を見るとき、性の不平等な実 態を顕著に表している。これらの現象は、21世紀が男女平等に向けて確実に変化 しているにもかかわらず、家父長的思想および意識と行動を身につけたままの男性 および女性の存在、企業体や官庁の意識改革の遅れ、男性と女性の間の生活認識や 意識上の格差などが、問題とされている。 明治32年以降の全国各地の公立高等女学校では、文部省の意向通りの国家主義 的イデオロギーによる教育が実施されていた。即ち官立・公立の女子中等学校では、 「高等女学校令」による画一的な知識を与える教育が実施され、自由度の少ない方 法で教育が行われた、と考えられている。これに対し「高等女学校令」以前から存 在した私立女子中等学校では、様々な建学精神を持つ学校があり、その主義によっ

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て特色ある教育を施していた。そして私立学校では、官立・公立の学校に比べ、各 学校独自の建学精神や文化は保存され、存続され、継承されるという特色を持って いる。この意味において、私立中等学校では、官立・公立の学校とは異なるバラェ ティに富んだ教育が実施されてきた、と考えることができる。 しかしながら明治期の女子中等教育に関する先行研究の多くは、官立・公立の学 校が研究対象であり、私立中等学校を研究対象とする研究は少なく、カリキュラム に関する研究は皆無に等しい。それ故に、女子中等教育の実施は私立でも為されて おり、明治期の女子生徒の約半数以上は、私立学校で教育を受けたという事実から、 私立中等学校を主たる研究対象とした。一方本研究では明治期後半における公立女 子中等教育のあり方やその存在が私立学校に与えた影響が大きいことから、公立学 校に関しても私立校と同様な方法でカリキュラム分析を行った。 各章で対象とした学校の検討結果を、(1)顕在的カリキュラムと潜在的カリキュ ラムの視点からの様相、(2)女子特性論の視点からの様相、(3)ヘゲモニー的視 点からの様相、(4)人間的自立の視点からの様相、についてまとめた。これらの様 相を、各章の概要の後半部に記した。 第一章 キリスト教主義の学校建学の精神とカリキュラムの分析 明治期キリスト教系女学校が数々設立される中で、この章ではクリスチャン・ス クールである明治女学校をケース・スタディとし、キリスト教的人間観および教育 実践を検討した。先ず明治期のキリスト教をめぐる社会状況を概観し、その中にお ける明治女学校の位置づけと基本的性格を検討した。次に公表された授業内容に関 し、顕在的カリキュラムの面からその特徴を概観した。また巌本善治の著書『吾党 の女子教育』の分析により、同校の建学精神と教育内容を潜在的カリキュラムの面 から検討し、続いて卒業生の証言を潜在的カリキュラムの視点から分析し、明治女 学校の教育の姿を明らかにした。ここでの検討結果として次のような結論を得た。 (1)明治女学校の顕在的カリキュラムは、設立者の考えにより自由な科目設定が 為され、時間数も自由に設定された。潜在的カリキュラムでは、キリスト教の信仰

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を通して、神から与えられた人間の自由と平等の理念を女子教育の中で実践した。 授業時間は少なく、課外活動を奨励することにより、男性並みの読書力や討議力を 養い、男女の格差を少なくする配慮をした。(2)同校では家政を女子に必要な教科 として位置づけたが、この面からは女子特性論から解放されてはいない。しかし当 時の西欧流儀の女子教育を否定し、母性を尊重し、日本の女性を女性らしく教育す ると共に、読書力や文章表現力、批判能力を養いつつ女性の自由と平等を保障し、 女性解放を目的とする教育を実施した。(3)同校の女性の自由と平等を保障する教 育に対して、為政者は法律の公布という強権によって対抗し、結果的に廃校に追い 込んだ。しかし同校は、女子教育の必要性や重要性を為政者に認識させ、後の国家 主義的教育に取り組む素材を提供したことは、その面でのヘゲモニー的役割を果た したと言える。(4)学科外活動を重視し、主体的に考え、自己の意見を確立するこ とを強調し、「精神的自立」を目指した。意見表現や自己の意見には責任を持つこと は「社会的自立」であり、家政的内容の学習からは「生活的自立」が為され、女性 の特性を生かした職業を奨励することにより「経済的自立」も目指していた。 第二章 仏教主義の学校建学の精神とカリキュラムの分析 仏教系女学校が数の上で少ない中、教育実践が公表されている東洋女学校をケー ス・スタディとし、仏教的人間観および教育実践を検討した。先ず明治期の仏教を 巡る社会状況を概観し、その中における東洋女学校の基本的性格を検討した。公表 された授業内容を顕在的カリキュラムの面から検討し、次に村上専精の著書『女子 教育管見』の建学精神の分析を通して、潜在的カリキュラムを検討した。続いて卒 業生やその他の証言によって、東洋女学校の教育の実際の姿を明らかにした。この 種の学校の分析からは、次のような結論を得た。 (1)同校の顕在的カリキュラムは「高等女学校令」と「同施行規則」に沿ったも のであり、法的拘束が徹底されたことを示していた。潜在的カリキュラムについて は、設立者が、時に触れて念仏を唱え、釈迦の教えを生徒に語った。男と女が等し くないのは天性であることから、役割上男女差のあるのは当然であると、法話の中

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で説教し、何事も信仰心によって為せば、苦しいことはないのだ、と仏教の精神を 利用して語った。(2)僧侶であり、学者である設立者は、「人格上の平等」と「人 倫上の不平等」を主張したが、これは生まれた時と死ぬ時は人間として男女同等で あり、生きている間は人倫として男性が尊重され、女性が卑下されるのは当然とい う意味であった。(3)同校では仏教に基づきつつ、国家的イデオロギーを儒教の徳 育によって補いつつ教育したが、設立者は知識人として、国家的イデオロギーを庶 民に伝達するヘゲモニー的役割を担った。(4)同校の教育では「生活的自立」能力 は良く養われたが、それらは家族のために用いるものとし、女性は家族のために勉 強し、家族のために生きるものであり、女性自身のためではないとする主張は、女 性の人間的自立を否定し、人権を認めない教育を意味していた。 第三章 道徳・規範主義の学校建学の精神とカリキュラムの分析 明治期にあっては、「女子は~であるべき」とする道徳や規範が女子の生活をあら ゆる点で縛っていた。当時道徳性や規範を重視する儒教・儒学系の学校が数多く設 立されては廃校となっていた状況の中で、三輪田女学校は堅固な建学の精神により 設立されたため、存続し続けることができた。先ず明治期の儒教・儒学をめぐる社 会的状況と教育に係わるイデオロギーおよび法令との関連を検討し、同校の性格を 検討した。公表された授業内容は、学校設立当初から「高等女学校令」と「同施行 規則」に沿った顕在的カリキュラムであった。続いて三輪田眞佐子の二冊の著書『女 子の本分』と『女子教育要言』の間にある彼女の思想的変化を、潜在的カリキュラ ムより検討し、卒業生の証言による同校の実際の教育の姿を、座談会形式の資料の 分析により明らかにした。この種の学校の分析からは、次のような結論を得た。 (1)同校の顕在的カリキュラムは「高等女学校令」に基づいたカリキュラムであ り、国家主義的イデオロギーに順応していた。同校の潜在的カリキュラムからは、 一部に西欧的なものを用いる柔軟性を持ちつつも、基本的には孔子曰く、孟子曰く、 荘子曰く、と言うように、儒教の精神と信仰心や態度を生徒に伝授していた事がわ かる。倫理を講じる時には、至尊を敬し、女傑の肖像を四面に掲げた聖堂の中で語

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った。(2)設立者は儒教精神に基づき、比較的高度な教育を為しつつ、祖先崇拝と 家族制度下の性別役割分業の強調によって、良妻賢母の教育を実施し、「お国のため に」家庭において子どもを産み育てる女性の役割を奨励した。(3)知識人として、 教育者としての設立者は、日清戦争以後「お国のために」と、国家主義的イデオロ ギーを、女性やその父母たちおよび庶民に伝達する役割を担った。(4)学問を身に つけ、判断力や責任感を養うために「精神的自立」を強調したが、それは家庭とい う範囲内での「精神的自立」であった。「生活的自立」では、衣食住、健康、衛生な どを学ばせたが、それは「内助の功」のためのものであり、「社会的自立」では社交 や交際は家族のためにするものと限定し、また「経済的自立」のための職業関連の 教育を全面的に否定した。同校では高度な教育をさせても、人間観としては女性の 人権を認めない教育であった。 第四章 教養主義の学校建学の精神とカリキュラムの分析 この章では最も古く設立された跡見学校をケース・スタディとした。その後に設 立された教養主義の女学校が、同校をモデルとして「高い品性」、「品格のある女性」、 「教養高い女性」を建学精神の中に謳っていることから、跡見学校の存在価値は高 い。先ず明治期上流階層の女性と男性に求められた教養を概観し、その後同校の基 本的性格を明確にした。公表された授業内容から顕在的カリキュラムの特徴を概観 し、文献によって跡見花蹊の教育観を検討し、続いて卒業生の証言による跡見学校 の教育の姿を明らかにした。この種の学校の分析からは、次のような結論を得た。 (1)同校は、学校設立の時期が早いため設立者の学問的要求を最も自由に表現す ることができた。四書五経を中心に漢詩・漢文の教養を身につけさせ、歴史を重視 し、その時間数を多く設定していた。技芸の教養関係科目は生徒の需要に従って決 められる自由選択であった。一方の潜在的カリキュラムの特徴は、同校が教養主義 の学校であり、宗教を表に出していないにもかかわらず、使用する教科書は儒教の 経典であり、儒教の精神と思想・文化が生徒に伝達されていた。(2)設立者の神道 の神に対する宗教的発言や宗教的行為は、儀式や式典などの学校行事を通して生徒

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に伝達されていた。優雅で「徳」に優れた女子の特性を強調し、「女らしさ」を最高 に発揮できる教養を積む一方で、漢詩や漢文等の学問を男子と同等な内容で学ばせ た。ここには男女間に学問的平等観が見られた。(3)明治時代の上流階層の女性の 教養は、漢詩・漢文の他に、礼儀作法、書道、絵画、琴曲、生花、茶道などであり、 同校の教育方針は上流階層の「働くことを必要としない」人々に支持され、学校は 拡大した。同校では明治23年の「教育勅語」煥発以前において既に、森 有礼の 国家主義的思想を受容し、上流階層にのみに平等に近い人権を与えたことは、「教育 勅語」以後のイデオロギー支配に先行するヘゲモニー的性格を持っていた。要する に国家主義的イデオロギーの登場に対して露払いをし、その受容の準備をしたと言 ってよい。(4)教養があれば「精神的自立」の達成は可能である。慈善事業や社交 場への参加などから「社会的自立」も可能であった。また上流階層の女性には資産 があるため、「経済的自立」の必要はなく、使用人の利用により「生活的自立」の必 要もなかった。 第五章 職業主義の学校建学の精神とカリキュラムの分析 本章は、女性の職業能力を養成するために設立された和洋裁伝習所と共立女子職 業学校をケース・スタディとし、両校の果たした役割について検討した。先ず女子 の職業をめぐる社会状況を概観し、当時の両校の位置づけを明確にした。次に和洋 裁伝習所における渡辺辰五郎の仕立屋修行の改善と、女子に対する職人的職業訓練 について検討し、授業内容にみる技術指導の要点を概観した。続いて共立女子職業 学校の宮川保全による学校経営の特色を概観し、公表された授業内容によって同校 の顕在的カリキュラムを検討した。卒業生らの証言による潜在的カリキュラムの分 析から共立女子職業学校の実際の姿を明らかにした。この種の学校の分析からは、 次のような結論を得た。 (1)和洋裁伝習所の顕在的カリキュラムは、裁縫技術関連の男性と同等な職人的 技術訓練のための科目と、それに加えて礼法、点茶、生花が生徒に課せられた。こ こには女子の教養として欠かせないものとする考えが現れている。一方の共立女子

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職業学校では、「術科」としての職業訓練のための科目と、他に「学科」として読書、 習字、算術、家事、理科が課せられていた。習字と家事は、女子の特性のための科 目であった。両校では、実技には個人差があるため時間設定は為されていない。潜 在的カリキュラムでは、共立職業学校が、公的には無宗教で職業教育を施す学校で あるのに、実際には学校自体に天皇崇拝の態度が存在し、学校記念日の設定や学校 通信や記念誌に度々記され、語り継がれた。(2)両校は自立の手段として女子に裁 縫技術を授け、職人養成的な厳しい技術訓練により、金銭を稼ぎ得る技術を身につ けさせ、「経済的に自立」させていた。技術の訓練自体は男性の技術訓練と同様であ り、特性論とは考え難く、一般教養における礼法、点茶、生花、書道、習字(細字)、 家事などの科目に、女子特性論が見受けられた。(3)渡辺辰五郎は仕立屋丁稚シス テムを改善し、職業教育に携わりつつ、裁縫技術を近代化し、著書や実技伝授によ って、新しい技術を全国の女性に広めた。これは国家主義の中に女性の職業能力の 重要性を位置づけ、国家主義イデオロギー確立に一定の役割を果たしたが、そこに ヘゲモニー的側面を見ることができる。一方の宮川保全の精神的内面には、庶民の 側の現状改善要求を的確に読み取り、それを学校経営と教育実践に生かした点に、 ヘゲモニー的性格を見ることができる。(4)職業系女学校である両校は共に、「経 済的自立」を前面に出して教育し、それに付随する形で「生活的自立」、「精神的自 立」、「社会的自立」が目指されていた。 第六章 天皇制国家主義的イデオロギーに依拠する公立高等女学校のカリキュ ラムの分析 ここでは官立・公立の学校の動向を概観したが、その理由は、明治後期における 国家の女子教育に対する考え方や方針および内容を検討する必要があったこと、ま た私立女学校の教育内容や質および程度を比較・検討するために有効であること、 更に国の方針が私立女学校の存亡に及ぼす影響が大きかったこと、などである。先 ず社会的・宗教的動向における明治後期の教育事情と女子教育関連の法整備を概観 し、次に「良妻賢母の教育」について、天皇制国家主義と「民法」と「良妻賢母主

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義」の関連を検討した。また、ケース・スタディとして東京府立第二高等女学校の 天皇制国家主義に依拠した顕在的カリキュラムを検討し、続いて卒業生等の証言か ら同校の潜在的カリキュラムを分析し、同校の教育の真の姿を明らかにした。ここ からは次のような結論を得た。 (1)顕在的カリキュラムは「高等女学校令」と「同施行規則」に準じている。し かし詳細に見れば、一般的に認識されているような一律の教育内容ではなく、法の 範囲内で校長の「自主裁量」が認められていた。また潜在的カリキュラムからは、 学校自体による「教授様式」の考案やその実施などがあり、教育内容は高度で専門 性がみられた。教師と生徒の関係は、友好的で親和的であり、自由な校風が形成さ れた。(2)日本建築の特色を持つ床の間付きの広い和室で、居措動作の厳しい指導 が行われていた。実習による手作りの料理により、料理の出し方、客のもてなし方、 食事マナーなどについて指導された。開校式や記念日には「教育勅語」の奉読や文 部大臣の列席があり、式後の「もてなし料理と接待」は、「道徳」の内容として、「礼 儀」や「作法」の実習の場であり、体験の場でもあった。(3)女子に対する天皇制 国家主義的イデオロギーによる教育であるため、それに基づくヘゲモニー的役割を 果たすものであり、イデオロギーに先行するヘゲモニー的側面は見られない。むし ろイデオロギー的教育であっても、それを弱める「裁量」の余地があることが見て 取れた。(4)初代校長林 吾一は「女子の地位を高めるには、女子も自ら演説をせ ねばならないし、論文も書かなければならない。それには学識が必要である」と述 べ、校長の考えとして「精神的自立」、「経済的自立」、「社会的自立」が奨励されて いた。「生活的自立」は授業内容から身に付けることができた。 六、結 論 明治期の私立女子中等学校の男女差別 各章で論じた事項を本論文のテーマに沿って、次のようにまとめた。 一、潜在的カリキュラムに見る学校設立者のヘゲモニー的性格と宗教的影響力 (一) 設立者のヘゲモニー的役割 「教育勅語」(明治23年)以前に設立された跡見女学校、明治女学校、和洋裁伝

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習所および共立女学校は、設立者自体の女性観によって女子教育の必要性が認識さ れ、それをバネにして、各々の目的に沿った学校が設立されていた。しかしそれは 国家的要請に先行する形での女子教育の実施であったことから、そこには国が女子 教育の必要性を受容する準備としてのヘゲモニー的性格が認められる。 しかしながら、「高等女学校令」(明治32年)以後に設立された儒教・儒学系道 徳・規範主義の三輪田女学校と仏教主義の東洋女学校の場合は、法令による規制が 強化され、国家的イデオロギーを強制する方向を持ち、法令に基づくヘゲモニー的 役割を持つことになった。即ち両校の設立者が女子を教育し、よい家庭を築かせ、 よい男子を産ませ、「お国のために」尽くすのだと、言明しているように、国家的イ デオロギーを生徒やその父母に伝達するヘゲモニー的役割を担った。両校の建学精 神は国家イデオロギーに馴れ染む要素を多分に持っていたため、設立時において高 等女学校昇格を想定していた。学習内容の程度は低く、時間数は少なく設定してい たが、許認可制度の諸条件を克服し、各種学校の格付けから高等女学校への昇格が 可能であった。 (二) 設立者の宗教的影響力と男女差別 潜在的カリキュラムから各学校の教育を見ると、宗教を建学精神とする明治女学 校では、教師の信仰と教養が同校の実践的な校風となり、そこでは女性の自由と平 等を伝え、生徒たちの人生に重要な意味を持つことになった。仏教主義の東洋女学 校では、設立者自身が僧侶であったため、仏教の信仰心や男子と異なる女子の役割 を、日常的な学校生活の中で生徒たちに伝えていた。更に道徳・規範を建学精神と する三輪田女学校では、設立者自身が儒教の精神や文化や儒教的序列観などの思想、 および道徳・規範を伝え、倫理を語るときには場の設定に気を配っていた。このよ うに宗教主義の学校において、設立者の信仰心という人的影響は大きい。 一方宗教以外を建学精神とする教養主義の跡見学校では、儒教の経典を通して、 儒教の精神や思想・文化およびその知識を生徒に伝達した。その上、設立者による 神道の神への信仰心と皇室尊重の態度が、日常的な行為や儀式、式典などの学校行 事を通して、校風を形成し、宗教的な学校文化を生徒たちに伝えていた。また職業

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系の共立女子職業学校では、設立当初からの皇室との関係、および皇室尊重の姿勢 や崇拝の精神は、学校通信および学校記念日などで度々語り継がれ、皇室崇拝の姿 勢や態度を在校生や卒業生に与え続けた。これらの事柄は学校教育における明確な 潜在的カリキュラムの姿である。儒教の持つ序列観や仏教の持つ女性蔑視や天皇崇 拝の態度など、設立者の信仰心の中に不平等な力関係と女性差別の要因が存在した。 二、潜在的カリキュラムに見る学校設立者の女子特性論と人間的自立観 (一) 学校設立者の女子特性論における女性差別 明治期の学校設立者には、総てに女子特性論がみられる。女子特性論とは、女子 が子どもを産むという特性を殊更に強調し、それに伴う仕事を含めて女子の特性と することを言うが、跡見女学校では「女らしさ」という特性を十分に発揮させつつ、 漢詩や漢文の教養を男性と同等とした。明治女学校では女子特性論がありながらも、 男性と同等な読書力や討議力、批判力、意見発表力を身につけさせていた。和洋裁 伝習所と共立女子職業学校では、女子特性論と共に男性職人並みの裁縫技術を習得 させていた。これらの学校は女子の特性を主張しながらも、他面において社会的に 通用する男子と同等な教育を実施していた。これらの学校は人間観として女性の人 権を認め、「人間的自立」の一部を強調した学校であった。 それに対し三輪田女学校と東洋女学校では「高等女学校令」の良妻賢母主義をそ のまま受け入れ、教育の質と量を男子に比べて低く設定し、女子特性論によって男 女不平等の教育を当然とし、女子の人間的自立を否定する教育であった。これは男 性の優位性を認める教育であり、女子特性論が内包する危険性を表していた。女子 が子を産む特性は、どの時代でも尊重される必要がある。 (二) 学校設立者の人間的自立観 女学校の設立者が、人間観として女性の「人間的自立」をどのように考えるかは、 人権意識の問題であり、女性差別の問題と結びつく。教養があれば知識が豊富にな り、価値判断力、思考力、それに伴って指導力や統率力が身につき、「人間的自立」 は達成される。従って、女性に男性と同等の漢詩・漢文を学ばせた跡見学校では「精 神的自立」、「社会的自立」が保障され、男性と同等の読書力や文章表現力や批評力

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を養った明治女学校では「精神的自立」、「社会的自立」、「生活的自立」、「経済的自 立」が保障され、また男性職人と同等の技術を身につけさせて「経済的自立」を目 的とした和洋裁伝習所と共立女子職業学校では、それに付随して「精神的自立」、「社 会的自立」、「生活的自立」が保障されていた。 以上の学校と対照的に「高等女学校令」準拠して設立された三輪田女学校と東洋 女学校では、宗教に基づく建学精神および国家主義的イデオロギーを内包する「高 等女学校令」の精神に従うことと相まって、女性の「人間的自立」を否定する傾向 になった。儒教も仏教も高尚な思想を持ちながら、宗教自体が、家族内の「序列観」 や「祖先礼拝」を内包するものであったために、両校は「高等女学校令」に比較的 ストレートに準拠できた。従って両校は女性の人権や「人間的自立」を認めない方 向に走った。 三、社会的背景としての女子教育の国家的再編 以上私立女子中等学校を検討してきたが、一般的にみて「高等女学校令」による 教育内容は、天皇制国家主義的イデオロギーによる教育課程であつた。為政者は「働 くことを必要としない」上流階層の女性の「優美嫻雅の風」を模範とし、「祖先を敬 う」日本古来の宗教的伝統を家族に結びつけ、天皇を頂点とする家族国家を想定し た。そして「民法」の中の国家主義的イデオロギーを、「高等女学校令」の中に取り 入れた。換言すれば「民法」の家族国家的な精神は、高等女学校の教育内容の「修 身」や「作法」として取り入れられた。女子に必要な知識と技能は家事処理のため に、家族生活に必要不可欠なものと位置づけた。このような良妻賢母の教育課程は、 中流階層以上の家庭の女子に対するものであり、これは男女不平等の教育であり、 男女差別を一層強化することとなった。「高等女学校令」以後に設立された公立の東 京府立第二高等女学校は当然のことながら、私立の三輪田女学校と東洋女学校は法 令の規制を受けることにより国家主義的イデオロギーによる教育を実施した。 四、まとめ 全体的結論として、学校設立者の信仰心や天皇崇拝の態度は、潜在的カリキュラ ムとして生徒たちに伝えられたが、儒教と仏教を建学精神とする学校には、設立者

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の思想自体の中に女性差別観が見受けられた。他方、学校外の一般社会の風潮の中 にも男女差別の隠れた形の文化があり、女性の人権無視という重大な問題が存在し、 世の人々の人権権無視の意識は女性の自立に対して多大な影響を及ぼした。また明 治期の学校設立者には、総てに女子特性論が見られたが、社会(男性中心)にも通 用する学問や技術や文章表現力、意見発表力、批判力等が身についている場合には、 例えそれが人間的自立の一部であったとしても、人権が認められていた。 学校教育における女性の「教養」と「学問」は、「精神的自立」、「社会的自立」、 「経済的自立」の源であるにもかかわらず、為政者および「高等女学校令」以後の 私立学校設立者は、女性が子どもを産むという特性と、それに付随する仕事を格別 に強調し、女子に特性面の実践を強要した。その結果「教養」と「学問」の程度を 低く定め、範囲を狭く押さえることにより、女性が教育を受ける権利を制限した。 教育内容を質と量において男女間に不平等な教育を与えたことは、男は知識が多 く女は無知、男は社会的強者であり女は社会的弱者、男が主で女が従、男が優で女 が劣というように、男性の精神的優位性によって女性を差別する意識を生じさせた。 加えて女性を自立させず、自由を与えないことは女性の人権を無視する結果になっ た。特に明治期の社会が女性の自由と「経済的自立」を認めなかったのは、女性の 人権無視に繋がった。「経済的自立」は根本的には教育の問題であり、女性に対する 教育の程度を低く定めたことが女性差別の要因となり、今日の男女平等教育を阻害 する要因となっている。

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