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Bukkyō ni okeru takaikan

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(1)

仏教に於ける他界観  

著者

ベッカー カール

雑誌名

日本人の他界観

3

ページ

37-64

発行年

1994-03-31

その他のタイトル

Bukkyo ni okeru takaikan

(2)

仏教

カ ー ル ・ ベ ッ カ ー

人 間 は 、 猿 か ら 進 化 し た 時 点 、 も し く は遅 く と も ネ ア ンデ ル タ ー ル人 種 の 三万 年 余 り前 か ら、 ﹁ 死 ﹂ に対 し て恐 怖 感 を 持 つ と 共 に、 来 世 に対 す る憧 れ を 示 し 続 け てき たも の であ る。 世 界 宗 教 と 言 わ れ るも の の全 てが人 間 の何 ら か の ﹁ 死 後 の存 続 ﹂ を 語 り、 他 界 観 を重 視 し て いる。 就 中、 原 始 部 族 宗 教 の様 に、 ﹁ あ の世 ﹂ は こ の世 と連 続 し て 行 き来 で き る処 にあ る と さ れ る も のも あ る。 ま た 、 キ リ ス ト教 の様 に、 人 間 は死 ねば 二度 と こ の地 上 に戻 れ な い、 一 方 通 行 で 全 く離 れ た他 界 に移転 す る 、 と さ れ るも のも あ る。 更 に、 ヒ ン ズ ー教 や仏 教 の様 に、 地 上 の人 生 が繰 り返 さ れ る で あ ろ う と考 え る文 化 も あ る。 仏 教 のみ を 取 り 上 げ る前 に、 ま ず 来 世 観 理 論 を 簡 単 に紹 介 し た いと 思 う。

心 理 学 者 は、 全 て の 来 世 観 は人 間 の 生 欲 の願 望 に還 元出 来 る だ ろ う と 言 う。 し か し そ の願 望 を 意 識 し な く と も 、 人 間 は不 思 議 と他 界 を 考 え さ せ ら れ る体 験 を す る。 所 謂 ﹁ 宗教 的 体 験 ﹂ と 名 付 け ら れ るも の であ る。 宗 教 的 体 験 は、 そ

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れ が 何 に よ って生 じ る かを 別 に し て、 全 ての文 化 、 時 代 、 国等 に お い て 人 間 が 出 会 う も の であ る 。 以 下 では 、 ど の様 な 体 験 に基 づ い て、 ど の様 な 来 世 観 が出 来 上 が る か と いう事 と 同時 に 、 人 間 発 想 の理 性 にど の様 な 影 響 を 受 け て、 来 世 観 が 進 化 し た かと い う事 を も 考 察 し よ う。 所 謂 ﹁ 原 始 宗 教 ﹂ 、 ア ルカ イ ク宗 教 の多 く は、 一 回 限 り の人 生 の後 、 こ の世 と 連 続 す る他 界 を 考 え る 。 死 者 は 、 肉 眼 で見 え る様 な 肉 体 こ そ持 っ て い な い が、 生 活 そ の他 は殆 ど生 前 と変 わ ら な いと 信 じ ら れ て いる 。 肉 体 の変 わ り にな るも のが 、 徴 細 見 で、 そ の徴 細 見 を持 って 、 穀 物 を栽 培 し、 獲物 を 屠 殺 し、 食 べ て、 愛 し 合 って、 彼 岸 で此 岸 と 何 ら 変 わ ら な い生 活 を 引 き 続 け て営 む訳 であ る。 そ し て 彼 岸 と此 岸 と は密 接 に繋 が って いる と 信 じ ら れ て いる 。 あ る 山 を 越 え れ ば 、 あ る洞 窟 を 抜 け れば 、 あ る い は海 を渡 れ ば、 死 者 の国 に 至 る と さ れ る。 他 界 し た 者 が 生 存 者 を 憎 ん だ ら 、 憎 ま れ た生 存 者 が病 気 に か か り、 不幸 に な る と い う の で 、 生 存 者 は他 界者 を 恐 れ て、 な る べく 近 付 かな い様 にす るが、 彼 岸 と 此 岸 の連 続 性 を 疑 う余 地 は無 い。 又死 後 、 死 者 は暫 く の間、 墓 場 や 家 の周 り を 彷 徨 う 事 か ら 、 定 ま っ た 時 期 に 亡 霊 を 慰 め る為 の儀 式 を 生 存 者 が行 う の であ る。 日本 の例 で言 うと 、 二通 り の原 始 宗 教 的 他 界 観 が 見 ら れ る。 即 ち大 陸 か ら 渡 っ た と 思 わ れ る 地 下 説 ( 黄 泉 の国 、 夜 見 と も 書 く ) と 弥 生 文 化 と 一 緒 に黒 潮 に乗 ってや ってき た と 思 わ れ る 地上 説 ( 常 世 の国 ) であ る 。 起 源 はと も か く と し て、 ど ち らも こ の世 と は連 続 的 な領 域 であ り、 神 話 で見 ら れ る 様 に、 古 代 日 本 人 は そ の他 界 の存 在 を 市 子 や 神 懸 の 体 験 を 通 し て確 信 し た の で あ る。 現在 でも、 沖 縄 の ユ タ や青 森 のイ タ コ が こ の様 な 他 界 観 に基 づ い て 生 き続 け てい る 。 こ の様 な 他 界 観 に は、 何 の正 義 感 も 見 ら れ な い。 地 上 で偉 か っ た 者 は 、 死 ん でか ら も 偉 いと さ れ る 。 他 界 は此 岸 の 連 続 であ る が故 に、 先 祖 と共 に居 ら れ る 以外 に、 何 の 魅 力 も 無 いし 、 地 上 の行 な い に対 し て、 何 の賞 罰 も 無 い。 ユ ダ ヤ教 の他 界 観 も 正 に こ の 通 り であ っ た。 と ころ が、 人 間 の正 義 感 や 正 義 に対 す る 願 望 が 高 ま る に つ れ て、 生 前 の行 な

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仏教 に於け る他界観 いは 死 後 に罰 せ ら れ る、 と いう 様 な 信 仰 が現 わ れ る様 にな る。 西 洋 に お い て は、 キ リ スト教 や イ ス ラ ム 教 が そ う であ る し 、 日本 で は、 源 信 の ﹃ 往 生 要 集 ﹄ や平 田篤 胤 の神 道 でも こ の様 な 他 界 観 が伺 え る。 つ ま り、 本 人 の身 分 や地 位 で は な く、 性 格 や 生 き 方 によ って、 来 世 の幸 不 幸 が 定 ま る、 と いう 考 え方 に変 わ っ て来 る。 こ の変 化 は単 な る希 望 に よ る仮 説 では な く、 や は り イ エスや 源 信 の様 な 聖 者 の瞑 想 に よ る宗 教 的 体 験 に基 づ い て い る。 又 、 キ リ スト教 な ど に お け る天 国 や地 獄 の形 と 違 って、 ﹁ こ の地 上 では前 世 の罰 を、 来 世 では 現世 の罰 を、 受 け ね ば な ら な い﹂ と い う 、 ヒ ン ズ ー教 的 理論 観 が、 特 に東 南 アジ ア で信 じ ら れ てき た の であ る。 こ の 様 な死 後 の 裁 き や 善 人 救 済 は 、 人 間 社 会 の理 論 道 徳 観 を 守 る上 でも 最 も 有 効 な 方 法 の 一つ と 言 え よ う。 人 間 は 良 い来 世 を期 待 し、 ﹁ 悪 い﹂ と さ れ て い る行 な い を避 け る様 に す る か ら であ る。 し か し な が ら、 そ こ で 心 理 的 な 葛 藤 は必 ず 生 じ る。 幾 ら善 意 で 人 生 を 送 っ た と し ても 、 罪 ( 自 己 中 心 的 な 行 動 ) を 犯 さ な い人 間 は いな い であ ろう 。 従 っ て自 分 が本 当 に救 わ れ る か ど う か に関 し ては、 中 々自 信 は 持 てな い。 そし て 一 緒 に暮 ら す 家 族 や友 人 達 に関 し ても 、 果 し て皆 が同 じ死 後 の 国 に入 る の であ ろ う か。 寧 ろ 離 れ ば な れ にな ってし ま う 確 率 の方 が 高 いと さ え 思 わ れ る。 楽 し い他 界 を 目 標 に、 良 い 行 な いを す る 様 に励 ま し てく れ る 筈 の他 界 観 は、 逆 に罰 を も 与 え てし ま う か ら 恐 れ ら れ てし ま う 存 在 に変 わ る。 ヨー ロ ッパ の 暗 礁 時 代 も 日本 の平安 末 期 も そ う であ っ た。 そ こ でそ の不 安 に耐 え ら れ な い親 鸞 や ル タ ー が現 わ れ る と、 つい 自 力 を諦 め て 、 他 力 、 願 力 、 万物 救 済 と ま で 来 世 観 は 変 化 し て いく 事 も あ る。 こ の他 力 万 物 救 済 の無 条 件 な 信 仰 は、 多 く の 市 民 には魅 力 的 だ が、 同時 に 道 徳 的 な 側 面 を 損 失 し てし ま う 傾 向 にあ る。 な ぜ な ら ば 、 他 力 に よ って、 悪 人 も 善 人 も同 様 に 救 わ れ る の であ れ ば、 善 行 を行 な う意 欲 を殆 ど 無 く し てし ま う か ら であ る 。 哲 学 者 や仏 教 学 者 は改 あ て 万 物 救 済 の 来 世 観 を疑 い 出 す 。 少 々単 純 過 ぎ る が、 図化 し てし ま え ば、 次 の様 な 過 程 が 見 ら れ る。

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無関心V連続感﹀偉人崇拝V善入救済V全員救済V疑 問 ど の来 世 観 に関 し ても 、 議 論 点 が次 の様 に な る。 ( A) 来 世 は有 限 か無 限 ( 永 久 ) か ( B) 善 人 救 済 か全 員 救 済 か ( C) 正 義 感 の有 無 ( そ の説 明) ( D) 法 則 性 の有 無 ( そ の説 明) ( E) 自 我 の本 質 ・ 連 続 の説 明 ( F) 来 世 観 の経 験 的 根 拠 こ こ で 一 般 概 論 を 離 れ て 、 も っ と 具体 的 に仏 教 の他 界 観 に目 を 向 け る 事 にし ょう 。

倶舎

時 代 や地 域 に よ って 、 当 然 来 世 観 は 変 わ ってく る が 、 仏 教 にお い ても 、 以 上 の問 題 点 は大 変 重 要 で あ る 。 ﹁ 死 ﹂ と ﹁ 来 世 ﹂ の認 識 は仏 教 にと っても 、 最 も 基 本 的 な 概 念 であ る か ら であ る。 仏 教 によ れ ば、 こ の 世 は 生 老 病 死 の 四 苦 で あ る。 も し死 が ﹁ 凡 て の終 わ り﹂ であ る と す る な ら ば 、 死 によ って、 苦 し む 万 物 が 四苦 か ら 解 放 さ れ る事 にな る であ ろ う。 と す れ ば、 いく ら 苦 し い人 生 でも 、 自 殺 さ え す れ ば 逃 避 出 来 る の であ るか ら 、 何 も わ ざ わ ざ 行 を 積 ま な く ても 宜 し い こと に な る。 又 逆 に 、 も し も 地 上 の人 生 が 一 回 限 り のも の であ る のな ら ば 、 い つ か は死 に よ って 四苦 か ら 開 放

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仏教 に於 ける他界観 さ れ る の で あ るか ら 、 限 ら れ た 人 生 の間、 な る べく多 く の 楽 し み や自 己利 益 を 求 め て、 僅 か の間 だ け でも ﹁ 派 手 にや ろ う﹂ と いう 気 持 ち に成 り 易 い 事 であ ろ う。 し か し 、 釈 迦 は そ のよ う に は思 え な か っ た の であ る。 当 時 の イ ンド で は、 万 物 が 繰 り 返 し生 れ 変 わ る と言 う輪 迴転 生 説 が 主 流 で、 広 く信 じ ら れ て い た。 そし て又 、 釈 迦 自 身 が 瞑 想 中 に前 世 を 確 認 し 、 弟 子達 に 説 いた の であ る。 輪 迴 転 生 が 確 実 に有 る の な らば 、 必 然 的 に 四苦 を 繰 り 返 し 、 半 永 久 的 に経 験 せ ざ るを 得 な い 。 死 ん だ だ け では、 四苦 を 逃 避 出 来 な い訳 であ る。 そ こ で人 は初 め て、 こ の世 か ら 解 脱 し た い、 悟 り を 開 い て涅 槃 を得 た い 、 と い う気 持 ち にな る の であ ろ う。 そ し て、 輪 迴 転 生 を 考 え れ ば 考 え る 程 、 増 々 そ の気 持 ち が 強 ま る の であ る。 半 永 久 的 に この地 上 の行 動 を繰 り 返 さ な けれ ば な ら な い のだ と 思 え ば、 いく ら 好 き な 事 でも 嫌 にな る か ら であ る。 従 って 、 仏 教 の ﹁ 悟 り﹂ の理 論 に と っ ても 、 ﹁ 死 ﹂ と ﹁ 来 世 ﹂ は不 可 欠 な 根 拠 と な って い る。 一 言 で ﹁ 仏 教 ﹂ と 言 っても、 仏 教 ほ ど範 囲 の 広 い 世 界 宗 教 や哲 学 は無 い であ ろ う。 イ ンド の原 始 仏 教 、 現 在 の上 座 仏 教 、 中 国 仏 教 、 チ ベ ッ ト仏 教 、 日本 仏 教 等 が あ り、 そ し て 各 々 の 中 にも 様 々な 宗 派 や解 釈 が あ る。 そ の全 てを 網 羅 す る こと な ど と ても出 来 な い が、 責 め て 仏 教 の他 界 観 を 広 幅 に扱 い、 且 つ 明 確 に表 す も のを 取 り 上 げ る のが 相 応 し い であ ろう 。 そ の 意 味 に お い て 、 取 敢 ず 倶 舎 論 の他 界 観 を 考 え た いと 思 う の で あ る。 元 々 五 世 紀 の イ ン ド で、 世 親 (< 9 0Q β σ 9 5 Ω 7 自 ) と いう 哲 学 者 が ﹃ 阿 毘 達磨 倶 舎 論﹂ ( ﹀ び ぼ爵 鎚 白鋳 o 。・ 冨 ) を 成 立 さ せた も の であ る。 ﹃ 阿 毘 達 磨 倶 舎 論﹄ 全 体 は九 品 ( 章 ) に分 か れ て い る。 初 め の 二章 は法 ( 爵 爰 目p ) の定 義 を し 、 次 の六 章 は 、 迷 い の世 界 と 悟 り の 世 界 を各 々明 確 に説 明 し て い る。 当 時 のイ ンド の世 界 観 の影 響 が な き にし も あ ら ず だ が 、 そ れ は 寧 ろ 仏 教 徒 達 自 身 の 瞑想 (観 想 ) に基 づ く も のと 思 わ れ る 。 仏 教 が 日 本 に伝 わ っ た 六 ・ 七 世 紀 には 、 倶 舎 論 は 中 国 仏 教 全 体 の基 本 と ま で さ れ てい た。 六 五 一 ー六 五 四 年 に倶 舎 論 を 中 訳 し た 玄 奘 ( げ ん じ ょう ) の直 弟 子 道 昭 が初 め て日本 に 伝 え、 天 台 宗 の

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最 澄 も 重 視 し た も の であ る。 特 に奈良 時 代南 部 六宗 の 倶 舎 宗 や法 相 宗 の中 で研 究 さ れ た が、 現 在 で は、 独 立 し た宗 派 では な く 、 仏 教 思 想 の基 礎 学 と し て広 く 認識 さ れ てい る。 これ 以 上 倶 舎 論 を ご 紹 介 す る 必 要 は 無 い であ ろ う が、 こ こ で 注 目 し た い事 項 は、 倶 舎 論 が 示 し てい る肉 眼 では 見 え な い様 々な ﹁ 他 界 ﹂ の存 在 であ る 。 目 で見 え な い物 だ か ら と い って 、 決 し てそ れ が全 て 同 質 の 物 と は 限 ら な い。 様 々 な 不 可 視 物 の中 でも 、 倶 舎 論 の仏 教 哲 学 に出 て来 る 八 位 の種 類 を 以下 では整 理 し てみ た い。 (一 ) 内 な る ︻ 他 界 ﹂ 人 間 個 人 の存 在 は 、 色 、 受 、 想 、 行 、 識 と いう 五 陰 ( 要 因 ) によ って形成 さ れ る と さ れ てい る。 注目 す べ き 事 には、 そ の内 、 目 に見 え る 物 は 、 色 ( 肉 体 ) だ け であ り 、 五 陰 の残 り の四 つ は、 目 でみ え な い側 面 であ る。敢 て言う な らば、 喩 え 成 長 、 老 化 、 病 気 、 手 術 等 によ って友 人 の姿 が 変 化 し てし ま い 、 そ の 姿 が 見違 え る 程 に変 わ っ た と し ても、 発 想 を 聞 い て、 行 動 を 見 て、 記 憶 を 比 べ てみ る 事 によ って、 久 し く 会 って いな い 友 人 であ る事 を確 認出 来 る の であ る。 又 逆 に、 言 葉 や 行 動 を 通 じ て自 分 の人 格 を 示 さ な い限 り 、 自 分 であ る 事 を 伝 え ら れ な い の であ る。 示 さ な い限 り、 自 分 の殆 ど が 目 に見 え な い存 在 であ る が 、 そ の目 に見 え な い性 格 が 他 人 にと って 、 他 界 であ る。 人 間 は 皆 自 分 だ け の世 界 の中 に生 き て い る の であ って、 そ の自 分 の中 の世 界 は 他 人 にと って の他 界 と 言 え よ う。 否、 行 動 す る 本 人 でさ え 自 分 の潜 在 意 識 や行 動 パ タ ー ン を 認 識 し な い事 が 少 な く な い であ ろ う 。 し か し 、 そ の知 ら ざ る 自 分 を 知 る 事 、 そ し てそ れ を 超 越 す る事 が 、 仏 教 にと ってき わ め て重 要 な 作 業 であ る 。 言 ってみ れ ば 、 一 番 身 近 な ﹁ 他 界 ﹂ は 、 自 分 の無 意 識 で あ るか も 知 れ な い。 又 、 人 間 は死 ぬ時 に、 色 ( 肉 体 ) だ け が 腐 敗 し てし ま う が 、 他 の受 、 想 、 行 、 識 は 皆 各 々来 生 ま で存 続 す る。

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仏教 に於 ける他界観 ( 二) 中 有 の ﹁ 他 界 ﹂ そ こ で 仏 教 では輪 迴転 生 と いう 言葉 を簡 単 に 口 にす る が、 そ の 輪 迴 転 生 も仏 教 にと って 大 変 な 問題 であ る。 な ぜ な らば 、 仏 教 は 不滅 の 自 我 を 否 定 す る立 場 を取 ってい る と同 時 に、 行 ( 犀 霞 B鋤 ) に よ る個 人 的 責 任 や前 生 来 生 を 肯 定 す る か ら であ る。 人 間 が死 ぬ と、 そ の 自 分 を 形 成 し てい た五 陰 はば らば ら にな ると い う の に、 一 体 何 が生 ま れ変 わ る の か と い う問 題 に ぶ つ か る。 又 、 人 間 は死 ぬ瞬 間 に、 そ の生 命 力 や ﹁ 気 ﹂ の様 な エ ネ ルギ ーが 次 の胎 児 に たち ま ち 飛 び 移 ると 言 う の であ れ ば ま だ 理 解 し 易 いが 、 ど う も そう と は限 ら な い様 であ る。 瞑 想 を 通 じ て、 釈 迦 や そ の弟 子 達 は人 間 が 生 ま れ 変 わ る様 子 を 観 察 出 来 た と いう 。 前 の身 体 を 離 れ て、 次 の胎 児 に入 る ま で に、 か な り の時 間 が か か る例 も 有 る と さ れ る 。 ( チ ベ ッ ト の ﹃ 死 者 の書 ﹄ は そ の典 型 的 な 様 子 を 明 確 に描 くも の であ る。 ) す る と 、 ﹁ 同 じ 人 ﹂ と 言 う 事 が 出 来 る 為 には 、 死 者 と 胎 児 を 繋 ぐ 、 つ ま り 前 生 と 来 生 を 繋 ぐ 、 核 (中 心 ) にな る 物 が 必 要 と な ってく る 。 仏 教 では 死 と 再 生 の間 を 中 有 と 言 い、 一 般 的 に四 十 九 日 の 期 間 と さ れ る。 前生 と来 生 を繋 ぐ核 は、 長 年 にわ た る 仏 教哲 学 の論 争 を 引 き起 こし た。 人 間 の アイ デ ン テ ィ テ ィを保 存 す る為 に、 あ る学 派 は意 生 身 体 、 あ る 学 派 は補 特伽 羅、 等 と、 中 有 に存 在 す る物 を 仮定 し た。 又 そ の 様 な物 が有 っては仏 教 の 理論 に反 す る と論 駁 す る学 者 も 居 た。 倶 舎 論 ま でく る と、 中 有 の存 在 は物 では な く て 、 記憶 や潜 在 意 識 を 含 む ﹁ 阿 羅 耶 識 ﹂ と い う事 にな る。 中 有 の阿 羅 耶 識 は正 に 他 界 し た存 在 であ り、 身 体 も形 も無 い が、 確 実 に こ の世 に存 在 す る ( せ ねば な ら ぬ! ) も の であ る。 記 憶 の中 で、 住 み慣 れ た場 所 や埋 ま っ た墓 地 を 彷 徨 う と ま で言 わ れ ると 、 一 見 幽 身 体 や亡 霊 の様 に連 想 され るが 、 そ う で はな い。 形 の無 い意 識 の み であ る。 死 体 を 離 れ た阿 羅 耶 識 は勿 論 、 不 可 視 で はあ るが 、 こ の中 有 に置 か れ る他 界 は仏 教 にと って 不 可 欠 な 存 在 であ る。 阿 羅 耶 識 は新 し い身 体 を 捜 し 求 め 、 生 ま れ 変 わ る訳 であ るが 、 そ の次 の身 体 は、 人 間 の目 に み

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え る人 間 や動 物 の様 な存 在 だ け と は限 らな い。 ( 三 ) 地 上 の不 可視 物 の ﹁他 界 ﹂ 次 に 、 目 では 見 え な い物 だ か ら 現 代科 学 に は 認識 さ れ てい な い が、 仏 教 の世 界 観 に よ る と、 我 々 の周 り に も、 多 数 の不 可 視 物 は 地 上 ( 空 中 ) に有 る と さ れ て いる。 そ の代表 的 な も のは 阿修 羅 や餓 鬼 と い う種 類 で あ る。阿修 羅 は普段 、 海 底 に住 み 、 餓 鬼 も 明 る い所 を 嫌 って、 洞 窟 、 深 森、 墓地 に 潜 む け れ ど も、 場 合 に よ っては、 人 の前 に 現 わ れ る事 も 有 る。 だ が 物 理 的 状 況 と 精 神 的 状 況 が 合 って いな け れ ば 肉 眼 では 見 え な いと さ れ て いる。 滅 多 に見 え な い存 在 であ る と し ても 、 本 質 的 に我 々と 違 わ な い エ ネ ルギ ーや 物 質 によ って形 成 さ れ て いる 、 肉 体 を 持 つ 物 と し て考 え ら れ て いる の であ る。 謂 わ ば 未 発 見 の物 質 や粗 粒 子 で構 成 さ れ て いる と 考 え ら れ る 。 新 し い放 射 線 でも 見 つ か ら な い限 り 、 こ の 様 な 不 可 視 物 の存 在 は捕 え難 いも の であ るが 、 逆 に無 いと いう 断 言 も 出 来 な い段 階 であ る 。 こ こ で強 調 し た い事 は、 阿 修 羅 や餓 鬼 は、 人 間 と 同 じ世 界 、 時 間 、 空 間 の中 に生 き て い る。 そし て人 間 も 死 ん でか ら そ の様 な 存 在 に生 ま れ 変 わ る可 能 性 が有 る、 と い う仏 教 的 宇 宙 観 で あ る。 結 局 、 六 道 の内 、 水 中 、 地 上 、 空 中 に生 き る物 の中 に は、 人 間 道 や 畜 生 道 だ け では な く、 阿 修 羅 道 や餓 鬼 道 も 共 通 に存 在 し、 こ の 四 つの道 は 四洲 と 名 付 け ら れ て い る。 ( 四 ) 天上 地下 の ﹁他 界 ﹂ 更 に探 ってみ る と、 天上 にも地 下 にも 不 可視 物 が あ る と さ れ てい る。 日本 語 に は、 ﹁ 天 国 ﹂ と ﹁ 地 獄 ﹂ と い う 言 葉 が 有 り、 そ の様 な 領 域 が 存在 す る と考 え ら れ て いる し、 た し か にそ こ で 生 ま れ変 わ る者 が前 生 の行 の賞 罰 を 受 け る運 命 にあ る 。 し か し 西 洋 宗 教 で言 う と ころ の ﹁ 天 国﹂ と ﹁ 地 獄 ﹂ と は随 分 異 質 の領 域 で あ る。 キ リ スト教 や回 教 の ﹁ 天

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仏教 に於 ける他界観 国﹂ と ﹁ 地獄 ﹂ と は、 永 遠 的 な物 で 、 は っ き り こ の世 と は切 り離 れ た次 元 の物 であ る の に対 し て、 仏 教 の欲 天 と 地 獄 は、 こ の 世 と連 続 し、 同類 の物 質 エ ネ ルギ ー で出 来 て い るが 故 に、 そ こ に住 む 者 も 一 定 の生 涯 だ け を そ こ で過 ご し 、 再 び生 ま れ変 わ る運 命 に あ る。 つ ま り仏 教 が い う欲 天 も 地 獄 も 四洲 と 同 様 に、 サ ン サ ー ラ、 生 老 病 死 の欲 界 の 一 部 分 に し か 過 ぎ な い の であ る。 天 使 と し て生 まれ 変 わ っても 、 いず れ に必 ず 歳 を 取 り 、 死 ん でし ま い、 生 ま れ 変 わ る 存 在 で あ る。 又 地 獄 に苦 しむ 物 も 何 れ生 ま れ変 わ り、 動 物 や人 間 と し て生 き る 訳 であ る。 地 下 には 八 つの熱 地 獄 が あ る と さ れ、 そ れ は等 活 、 黒 縄 、 合 衆 、 号 叫 、 大 叫 喚 、 炎 熱 、 大 熱 、 無 間 と い っ た領 土 であ る。 又、 天 も大 き く 分 け て 、 六 欲 天 に別 れ て お り、 即 ち 四天 王 衆 天 、 三十 三 天 、 夜 摩 天 、 都 史 多 天 ( 兜 卒 天) 、 楽 変 化 天 、 他 化 自 在 天 であ る 。 原 則 と し て、 こ の天 等 が 空 よ り更 に高 い位 置 にあ るが 、 三 十 三 天 は 、 北 方 にあ る須 弥 山 と繋 が って いる と伝 わ れ る。 上 述 し た他 界 の天 と 地 の連 続 、 謂 わ ば 原 始 宗 教 的 要 因 が こ こ に残 さ れ て いる感 じ が す る。 こ の 構 造 は倶 舎 論 にお い て 完 成 し 、 倶 舎 論 を 受 け 継 ぐ ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ や庶 民 レ ベ ル で大 変 人 気 を集 め る ﹃ 今 昔 物 語﹂ 等 にも反 映 さ れ て いる。 図 化 し て みれ ば 、 人 間 が 住 む 地 球 を 一つの丸 、 あ る いは サイ ク ル 、 と描 け る であ ろ う。 人 間 は地 上 のみ に 住 む のに 対 し て、 畜 生 は水 中 、 地 上 、 そし て空 中 にも 住 む。 又、 同 じ水 中 、 地 上 、 空 中 に 、 ( 小 さ 過 ぎ る か ら か 、 波 長 が 合 わ な いか ら か ) 普 段 見 え な い阿 修 羅 や 餓 鬼 も 居 る。 そ し て 地 下 にも空 上 にも六 欲 道 の 生 物 が居 る と い う事 にな る。 経 験 的 に これ を 確 認 し よ う と 思 え ば 、 謂 わ ゆ る 瞑想 中 の 体 外 離 脱 に よ って 出 来 ると さ れ て き た。 逆 に 瞑想 に入 ると 阿 修 羅 や 餓 鬼 が 見 え てく る が 故 に、 瞑 想 が 惑 わ さ れ る と ま で 、 釈 迦 が教 え た の で あ る。 (五 ) 瞑 想 で見 え る 四 禅 天 (色 界 ) 次 元 の低 い瞑 想 の 中 で 、 物 質 的 本 質 を持 つ 不可 視 物 が見 え ると 言 わ れ て い るが 、 瞑 想 が 更 に深 ま る に つ れ て、 物 質

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的 次 元 を 越 え て、 全 く 物 質 を 有 し な い次 元 ま で見 え る 様 にな る と言 わ れ る。 又 これ ら も色 (姿 ) の有 る色 界 と、 色 も 形 も 無 い無 色 界 に二 分 さ れ る。 こ の色 界 と 無 色 界 は、 欲 界 と合 わ せ て 、 化 土 の 三界 を形 成 す る。 一 見、 物 質 が 無 け れ ば、 姿 も 有 り 得 な いと 反 論 す る 人 が 居 る か も知 れ な い が、 我 々 は毎 晩 この様 な現 象 に出 会 う の であ る。 夢 にも 姿 は 有 る が、 物 質 は 無 い であ ろ う。 であ る か ら、 物 質 は無 く と も、 姿 が有 り得 る訳 で あ る。 し か し毎 晩 見 ら れ る 夢 の多 く は 、 明 ら か に各 個 人 の頭 脳 や 意 識 の作 用 によ る ば か り で 、 確 認出 来 る様 な情 報 や事 実 を教 え て く れ な い物 であ る 。 これ に対 し て、 同 様 な 訓 練 を す れ ば、 瞑 想 によ って 、 誰 でも 同類 の 物 に出 会 う様 に な る。 イ メ ー ジ 的 に夢 に近 いか も 知 れ な いが 、 夢 には 無 い共 通 性 や 客 観 性 が有 る の であ る。 ( 六 ) 瞑 想 で見 え る 上 界 天 (無 色 界 ) 尚 、 対 象 には 姿 が 無 け れ ば 、 人 間 は そ れ を 経 験 出 来 な いも の の様 に思 わ れ る か も知 れ な い が、 決 し てそ う でも な い の であ る 。 栄 光 、 真 理 、 愛 情 等 は 姿 を 持 た な いが 、 人 間 にと っては、 最 も重 要 な も のか も知 れ な い。 ま た、 宗 教 的 神 秘 体 験 でよ く 現 わ れ る よ う に、 闇 や 光 に包 ま れ た り 、 言 葉 では 説 明 出 来 な い 音 楽 の 様 な音 に導 か れ る等 、 物 質 も姿 も 無 く ても 、 体 験 者 にと っては 大 変 意 味 深 い事 も 大 い に有 り 得 る の であ る。 こ の 様 な話 は か な り抽 象 的 で 、 比 喩的 で 、 瞑 想 を 知 ら な い人 にと っては 分 か ら な い話 か も 知 れ な い。 し か し そ れ では 仏 教 に反 論 す る 論 拠 には 成 ら ず 、 た だ 単 に 凡 夫 の無 知 を 示 す のみ であ る 。 仏 教 を 代 表 す る倶 舎 論 で は、 色 界 や 無 色 界 は三 次 元 の欲 界 と は 全 く 別 次 元 の領 域 であ る 。 人 間 の肉 体 は 色 界 や 無 色 界 に は行 け な いし 、 こ の三 次 元 の欲 界 と は非 連 続 的 に離 れ て いる だ け に、 そ れ ら は と ても 肉 眼 でみ え る 様 な 存 在 では な い。 寧 ろ、 意 識 の みが そ の別 次 元 に行 け て、 それ を 経 験 でき る も の であ る 。

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仏教 に於 ける他界観 優 れ た 人 生 、 極 め た 善 行 、 清 め た 生 涯 によ って、人 は上 界 に生 ま れ変 わ る事 が出 来 、 何 千 年 、 若 し く は何 万 年 も の 間 、 肉 体 を 持 た ず に生 き ら れ る と さ れ て いる。 し か し こ の 高 次 元 の上 界 に於 ても 、 物 事 を 経 験 す る自 我 (主 観的 意識 ) が 残 存 す る 訳 であ る し、 生 死、 サ ンサ ー ラ の原 則 に束 縛 さ れ てい る。 瞑想 中 にあ ち ら に行 っ てき ても 、 あ る い は死 ぬ 時 次 点 であ ち ら で 生 ま れ変 わ っても、 い ず れ に し ても変 化 と時 間 の限 界 が有 る化 土 の中 の存 在 であ る。 従 っ て、 そ の 体 験 も有 限 であ り、 そ の 境 地 に 至 っても 又再 び生 ま れ変 わ らざ るを 得 な く な る の であ る。 (七 ) 臨 終 で 見 え る浄 土 (応 土 ) と こ ろ が、 サ ンサ ー ラを 超 越 す る他 界 も 仏 教 に非 常 に重 要 な 役 割 を 持 つ も の であ る。 それ を 代 表 す るも の は、 極 楽 浄 土 であ る。 一 度 極 楽 浄 土 に往 生 す ると 、 二度 と 生 ま れ 変 わ ら な い で、 涅 槃 に入 る ま でそ の境 地 に居 ら れ る 。 極 楽 浄 土 の本 質 は無 、 あ る い は空 、 であ り、 そ の領 土 の姿 形 が 法 蔵 菩 薩 ( 阿 弥 陀 如 来 ) の念 力 ( 願 力) に起 因 す る 意 識 の投 影 であ る。 意 識 の投 影 であ るか ら と 言 って、 存 在 し な い訳 で は決 し てな い。 極 楽 浄土 を経 験 す る意 識 に は 、 五 感 ( 感 覚 ) 的 な 刺 激 や情 報 伝 達 を 得 て、 地 上 生 活 と は全 く 同 じ 位 の ﹁ 実 体 感﹂ が有 る。 イ ギ リ ス の 著 名 な 西洋 哲 学 者 バ ーク リ ー やブ ラ ッド リ ー等 は、 こ の現 実 の世 が 全 て神 の投 影 であ る と論 じ た が、 仏 教 の 極 楽 浄 土 も正 にそ の 様 な発 想 に 基 づ い て い る。 但 し 極 楽 浄 土 の場 合、 経 験 者 の意 識 によ って 、 感 覚 的 環境 が微 妙 に 違 って 来 る と さ れ てい る。 阿 弥 陀 如 来 の願 力 で 極 楽 浄 土 は 往 生者 の希望 に応 じ る 様 に 出 来 て いる。 往 生 者 は何 か食 べた い と思 っ ただ け で 、 そ の食 べた い物 が想 像 通 り 目 前 に現 わ れ、 そ れ を食 べた ら、 ま る で 本 物 の 味 、 歯 応 え、 満 足 感 等 を 感 じ られ る。 し か し 、 ﹃ 観 無 量 壽 経 ﹄ 等 の 古 典 によ る と、 経 験 者 の ﹁ か ら だ﹂ も対 象 と な っ た ﹁ 食 べ 物 ﹂ も 全 て幻 覚 にし か 過 ぎ な い そう であ る。 同 様 に、 音 楽

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が聞 き た い と思 えば 、 そ の通 り の音 楽 が聞 こ え るし 、 あ る い は水 浴 を し た いと 思 え ば 、 想 像 通 り の深 さ と 温 度 の川 が 現 わ れ る。 前 に触 れ た天 国 よ り絶 対 性 は無 い変 わ り に、 天 国 以 上 の極 楽 であ る。 し か も、 こ の 幻 覚 の 世 界 に は、 そ れな り の倫 理的 、 宗 教 的 教 訓 が 含 ま れ て い る。 物 質 欲 や それ に基 づ く 競 争 心 が た ち ま ち無 意 味 に な ってし ま う か ら であ る。 物 が欲 し いと 思 っただ け で そ の物 が 現 わ れ る の で、 山 程 の物 に囲 まれ て も、 そ れ だ け では満 足 感 が得 ら れ な い と い う事 を 悟 ってい く。 物 に よ って他 人 の評 価 を 得 ら れ な いし 、 他 人 よ り 良 い物 を 沢山 集 め よ う と す る事 も想 像 力 のゲ ー ム で 終 わ ってし ま う。 逆 に極 楽 浄 土 で生 活 す る為 に は何 の物 も 要 ら な いし 、 物 は根 本 的 に 人 間 の 幸 福 に 繋 が ら な いと いう事 に気 付 く と、 精 神 的 成 長 の方 にも っ と 力 を 入 れ た く な る の であ る。 そ こ で瞑想 でも組 あ ば、 蚊 や空 腹 に 迷 わ さ れず に、 最 適 な 環境 で瞑想 が 旨 く 出 来 、 自 分 の内 面 だ け と の戦 い によ って、 六 道 に 逆 戻 り を せ ず に涅槃 を 目指 せ る の であ る。 往 生 者 心 が この よ う に浄 化 され ると いう 意 味 を 以 て、 これ は浄 土 と 名 付 け ら れ、 ま た 阿弥 陀 如 来 の 願 力 と往 生 者 の 念 に 応 じ る と い う意 味 で ﹁ 応 土 ﹂ と も 呼 ば れ て い る。 色 界 や無 色 界 の存 在確 認 ( 信 仰根 拠 ) と 同様 に 、 極 楽 浄 土 の 存 在 自 体 が 瞑想 と臨 死 体 験 と に よ って確 認 出 来 るも の であ ると され て い る が、 こ の体 験的 信 仰根 拠 に つい ては後 で 述 べる事 にし た い。 仏 教 徒 の多 く は、 極 楽 浄 土 の 存 在 自 体 を 認 あ る が、 そ れ が 三界 六 道 以 外 に有 るか否 か に関 し ては 、 多少 の 論 争 が有 っ た 。 雲 鸞 が 曰 く 、 極 楽 浄 土 には 欲 は 無 い の で 、 欲 界 には属 さ な いし、 場 や接 触 感 が有 る の で 、 場 や接 触 感 の無 い色 界 にも 属 さ な い。 更 に色 は 有 る の で、 無 色 界 にも 属 さ な い 。 従 って 、 極 楽 浄 土 は 三界 六 道 以外 に有 る と い う事 が雲 鸞 の 結 論 にな るが 、 これ は多 く の阿 弥 陀 信 仰 の宗 派 にも 信 じ ら れ て いる。

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( 八) 涅 槃 の 他 界 (法 土 ) 漸 く 極 楽 浄 土 を 卒 業 す る と、 そ の上 に は も う何 ら も無 い涅 槃 の境 地 、 法 土 に 至 る。 これ は永 遠 の 真 理 や絶 対 的 理 論 の頂 上 でも あ る が、 空 間 、 形 面 、 個 人 的 存 在 を全 て 超 越 す る ﹁ 領 土 ﹂ であ る。 時 間 も無 け れ ば、 勿 論 変 化 も有 り 得 な い所 であ る。 これ が カ ント の い う ヌー メ ノ ン 、 つ ま り全 物 質 の根 源 や裏 に あ る存 在 の本 質 であ る か ら、 非 常 に言 葉 で は述 べ にく いも の であ る。 飽 く ま で も比 喩 的 表 現 し か出 来 な い領 域 な の であ る。 法 土 は、 物 も苦 も無 い と い う意 味 で ﹁ 透 明 で居 心 地 が 良 い ﹂ と 言 わ れ て いる が 、 そ こ では 身 体 も 感 覚 も 無 いだ け に、 そ れ は 普 通 に思 う 透 明 さ や 居 心 地 の 良 さ と も ま た 全 然 違 う 筈 であ る。 無 論 、 そ の涅 槃 の境 地 であ る法 土 に ﹁ 入 る﹂ と い う表 現 自 体 も 比 喩的 なも の で あ る。 そ の次 元 に至 る に は完 全 に身 体 を 離 れ な けれ ば い けな いし 、 既 に個 人 の自 我 を 亡 く し て涅 槃 を 得 た者 は、 二度 と 個 別 的 な存 在 と し て生 ま れ 変 わ って は来 な い の であ る。

の他

日本

仏教 に於 ける他界観 こ の 日本 文 化 研 究 セ ンタ ー の研究 テ ー マ は 、 日本 人 の他 界観 であ る。 そ こ で 、 倶 舎 論 や中 国 仏 教 によ る他 界 観 は 日 本 の他 界 観 と は随 分 遠 い存 在 であ る、 と いう意 見 が有 る か も知 れ な い 。 そ れ に関 し て 幾 つ か の反論 を 付 け 加 え さ せ て 頂 き た い。 第 一 に、 日本 人 は厳 密 に仏 教 を信 じ て いな く と も、 何 気 な く無 意 識 に 大 変 深 く仏 教 の影響 を受 け て いる と 言 う こと が 出 来 る であ ろ う。 初 詣 と盆 踊 り、 北 枕 と ﹁ 右 前 ﹂ 、 大 安 と 仏 滅 、 日常 生 活 の 一 番 肝 腎 な 処 に お い て仏 教 の

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影 響 が 至 る 処 に見 つ か る。 仏 教 以 外 に 日本 人 の他 界 観 を 明 確 に表 し て い る哲 学 や宗 教 の資 料 は極 め て少 な い。 日本 人 の心 を 探 る他 の手 掛 か り は余 り 無 い訳 であ る。 聖 書 や コー ラ ンの よ うな も の は 日本 に は無 い のだ が、 そ れ に 一 番 近 い存 在 は恐 ら く仏 教 の お経 で はな い であ ろう か 。 確 か に、 日本 書 記 等 の中 でも 、 一 種 の他 界 観 は神 話 的 に表 さ れ て い る か も知 れ な い が、 そ の 理 論 的 な 体 系 や説 明 は 一 切 な さ れ て いな い。 寧 ろ、 古 代 日本 人 の エリ ー ト (イ ンテ リ? ) が仏 教 を歓 迎 し た 理由 の 一つ は、 彼 ら の信 じ て い た世 界 観 ( 他 界 観 ) を 仏 教 が 理論 的 に説 明 し て く れ た か ら で あ る。 そし て現 在 日本 人 の宗 教 的 経 験 や他 界 に関 す る気 持 ち は、 必 ず この仏 教 の他 界 観 のい ず れ か の 次 元 に 当 た る であ ろ う。 筑 波 大 学 の学 生 を 対 象 に し た 調査 に よ る と、 あ る人 は墓 地 を怖 が っ た り先 祖 を拝 ん だ り、 あ る 人 は 往 生 を 期 待 し た り、 又 あ る人 は幽 霊 を 見 た り す る。 こ のよ う な行 動 か ら み ても、 多 く の日本 人 は 上 述 し た よ う な 他 界 観 を 既 に持 っ てい る の であ る。 無 論 、 考 え な い で行 動 を 取 る 者 も少 な く な いが、 行 動 を 起 こし て いる 間 に、 そ の裏 にあ る 他 界 観 が 無 意 識 の内 に進 入 し てし ま う の であ る。 日 本 語 の論 理 や 精 神 的 構 造 を 意 識 し な く ても 誰 も が 日 本 語 を 喋 る よ う に、 倶 舎 論 を 読 ん で仏 教 哲 学 を 意 識 し な く と も 、 皆 が こ のよ う な 前 提 の上 に立 って生 活 を 送 って いる の であ る 。 日 本 人 は 空 論 を 嫌 い、 具 体 的 に体 験 し な いと 信 じ な い所 が あ る のか も 知 れ な い。 他 界 の存 在 を 裏 付 け る宗 教 的 体 験 は 、 仏 教 的 他 界 観 が 日本 に伝 わ ってか ら も 、 盛 ん に 日本 人 にも 体 験 さ れ るも の であ っ た 。 次 に、 そ の体 験 的 根 拠 を 更 に具 体 的 に探 ってみ る 事 にす る 。

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日本

にお

る往

仏教 に於 ける他界観 平安 、 鎌 倉 時 代 に遡 って見 ると 、 日本 で はお 坊 さ ん は臨 床 カ ウ ンセ ラ ー の よう に、 臨 終 の時 に家 族 を 慰 め た り、 本 人 を導 いた り す る 教 育 者 でも あ っ た 。 そ の役 割 は室 町 か ら 徳 川 にか け て変 わ ってし ま う が 、 例 えば お 坊 さ ん の手 引 き であ っ た 源信 の ﹃ 往 生 要 集 ﹄ を 読 む と 、 人 の死 に場 所 に行 く 時 、 ﹁ 何 が 見 え る か と 聞 け﹂ と あ る。 も し 、 死 にか け る 本 人 が何 か 見 え る と 言 う な ら ば 、 それ を 細 か く 記 録 せ よ 、 と 書 か れ て い る。 従 って、 源 信 の平 安 時 代 後 期 頃 か ら 、 死 ぬ人 の 最 後 の 言 葉 を大 変 重 視 す る よ う にな って いた 。 例 え ば 源 空 ( 法 然 上 人 ) の恩 師 であ る皇 円 上 人 は、 ﹃ 扶 桑 略 記﹄ と い う本 を編 集 し た が、 そ の中 でそ う い っ た 話 を た く さ ん 記 録 し て いる 。 日本 で は坊 主 の死 に方 だ け でな く 、 一 般 市 民 の死 に方 も詳 し く 記録 さ れ て いる 。 そ し て 面 白 い こと には、 そ の死 に方 の中 でよ く 出 てく る 例 が、 先 述 し た ﹃ 観 無 量 寿 経﹄ のそ れ と 非 常 によ く 似 て い る の で あ る。 体 を 離 れ、 黒 いト ンネ ルを 通 り、 キ ラキ ラす る花 園 に 出 て 、 そ こ で阿 弥 陀 のよ う な ( 場 合 によ って は、 観 音 様 だ の、 閻 魔 大 王 だ の 地 蔵 様 だ の 、 当 時 の日本 人 にと って 親 し み や す か っ た名 前 が出 てく る ) 、 少 な く と も 偉 大 な る神 様 の よ うな も の に出 会 い 、 そ こ で 何 ら か の形 で 反 省 さ せ ら れ、 こ の 世 に 戻 さ れ た と いう 話 が 数 々記 録 さ れ て い る の であ る。 こう し た話 は ﹃ 扶 桑 略 記﹄ だ け でな く、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ 、 ﹃ 宇 治 拾 遺 物 語 ﹄ 、 ﹃ 往 生 伝 ﹄ 、 ﹃ 往 生 極 楽 記 ﹄ な ど と い った古 典 文 学 の中 にも かな り あ る の であ る。 台 湾 あ た り に行 く と、 今 でも そ う いう往 生 伝 み た いな も のが 作 ら れ 続 け て い て、 そ の伝 統 が受 け継 が れ てい る。 日本 では徳 川 時 代 か ら臨 終 の記録 は あ ま り集 め ら れ な く な っ た よ う であ るが 、 こ の裏 に は、 お 寺 や お坊 さ ん の 役 割 が著 し く変 わ ってし ま っ た と いう要 因 が潜 ん で いる。

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現 代 の我 々 は、 ﹃ 扶 桑略 記﹄ だ の ﹃ 往 生 極 楽 記﹄ と い っ た古 典 を読 む と、 昔 の 人 は 何 と迷 信 深 か っ た のだ ろ う と 思 いが ち であ る が 、 場 合 によ って は、 き ち んと し た 場 所 、 名 前 、 目 撃 者 、 日付 、 細 か い周 り の話 ま で記 録 さ れ て い る こ と が あ る 。 そ こま で細 か い記 事 が 書 か れ て い るな ら ば 、 信 頼 でき る話 で はな いか と 考 え ら れ る ほど であ るが 、 こ こ で は 彼 ら が 本 当 にあ の世 を 見 た のか ど う か は別 問 題 と し た い。 本 章 の題 目 を 他 界 観 と し た の は、 来 る世 が あ るか ど う か と いう 断 言 を し た く な いか ら であ るが 、 少 な く と も 死 にか け た 本 人 た ち に は、 幻 想 と いう にし ろ、 ヴ ィ ジ ョ ン と 呼 ぶ にし ろ 、 何 ら か の生 き が い のよ う な も のが 見 え た よう な の であ る。

現代

臨死体験報告

今 か ら 十 五 年 ほ ど 前 、 ア メ リ カ の 病 院 の 中 で も こ う し た 話 が 数 多 く あ る と い う こと を 、 エリ ザ ベ ス ・キ ュー ブ ラ i 1ー ロ ス と レ イ モ ン ド ・ム ー デ ィ ・ ジ ュ ニ ア と い う 人 が 全 く 別 々 に 研 究 し て 同 時 に 出 版 し た 。 二 人 が 会 っ た 時 に は お 互 い に 驚 き 、 面 白 い 対 話 が あ っ た ら し い が 、 キ ュー ブ ラ ー 1ー ロ スと い う 人 は ス イ ス生 ま れ の 医 者 で 、 昔 の 日 本 の お 坊 さ ん の よ う に 、 長 年 臨 床 カ ウ ン セ リ ング を し て い た 方 で あ る 。 そ し て 数 多 く の 瀕 死 の 患 者 と 対 し て い る 時 に は 、 医 者 と し て 自 分 の 役 割 は 本 人 の 気 持 ち を 安 ら か に す る だ け だ と い う 信 念 を 持 ち 、 様 々 な 信 仰 を 持 っ て い る 人 た ち 、 も し く は 無 神 論 者 で あ る ド イ ッ人 や ア メ リ カ 人 を 相 手 に し て い る の で 、 仏 教 の お 坊 さ ん と 違 っ て 、 説 法 は で き な い 状 況 に キ ュー ブ ラ ー 1ー ロ ス は 置 か れ て い た 。 そ こ で キ ュ! ブ ラ ー 1ー ロ ス は 、 ど ん ど ん 相 手 の 話 を 聞 く こ と に し た 。 そ し て 多 く の 話 を 聞 い て い る う ち に 、 何 と あ の 世 を 見 てき た と い う 患 者 に 出 会 う の で あ る 。 出 会 い 始 め る の は 今 か ら 四 十 年 ぐ ら い 前 の 話 で 、 そ の 例 を コ ッ コ ツと 二 十 五 年 あ ま り 集 め た 結 果 、 と う と う こ れ は 発 表 し て も い い の で は な い か と 考 え た の で

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仏教 に於 ける他界観 あ る。 ( キ ュ ー ブ ラ ー 1ー ロス の本 は 読 売 出 版 か ら 五 冊 ほ ど 和 訳 さ れ てお り 、 ﹃ 死 ぬ瞬 間 ﹄ 川 口正 吉 訳 等 が有 る。 ) 当 時 大 学 院 に いた 私 は、 ﹃ 極 楽 記﹄ と か ﹃ 扶 桑 略 記﹄ と か い っ た も のを 研 究 し て いた が、 そ こ に 出 て く る 話 と エリ ザ ベ ス ・ キ ュ ーブ ラ ー 1ー ロ スの報 告 と にあ ま り にも 類 似 点 が 多 い の で、 ひ ょ っ と し て こ の平 安 ・ 鎌 倉 ・ 室 町 の話 は単 な る 幻 想 や 神 話 で はな く 、 実 際 に今 でも 人 間 に出 来 る体 験 で はな いか と 考 え付 い た の であ る。 そ こ で アメ リ カ で研 究 さ れ て いる 臨 死 体 験 の内 容 と 分 析 に つい て、 少 し 考 え て みた いと 思 う 。 ま ず 、 誰 が こう い っ た 臨 死 体 験 を す る のか と いう こと を 考 え て み よう 。 つ ま り、 死 ぬ前 に こ の よう な ヴ ィ ジ ョ ン を 見 る に は、 ど う いう 資 格 や 原 因 が あ る のか と いう こと であ る。 最 初 に考 え ら れ る こと は、 本 人 の教 育 に因 る の で はな いか と いう こと であ る 。 つ ま り 、 本 人 が 死 んだ ら 往 生 す る んだ と 若 い時 か ら ず っ と 教 え ら れ て い たら 、 当 然 自 分 の渇 望 や 期 待 に因 って、 死 ぬ瞬 間 に そう いう 幻 想 を 自 分 の頭 脳 で作 れ る の で はな いか 、 と いう こと であ る。 と こ ろが 、 ア メリ カ で集 め ら れ た 何 千 と いう 例 を みた 結 果 、 不 思 議 な く ら い そう し た 関 連 性 はな い の であ る。 ま た、 これ は驚 く べ き こと だ が 、 共 産 主 義 者 、 無 神 論 者 と い っ た 教 会 に は縁 のな い者 でも 、 し ば し ば こう し た 体 験 を す る のであ る 。逆 に 、 毎 週 毎 週 た い へ ん 熱 心 に教 会 に足 を 運 ん だ お ば あ さ ん でも 、 誰 よ り も 神 様 が 見 た いと 願 って いな が ら 、 な か な か そう は い か な い人 も いる の であ る 。 す な わ ち 、 こう し た ヴ ィジ ョンを 見 る のは 、 少 な く と も 子 供 の頃 か ら の教 育 や 自 分 の 渇望 、 期 待 には 因 ら な いと いう 訳 であ る 。 次 に、 入院 中 だ か ら いろ いろ な 薬 も 飲 ん で いる だ ろ う し 、 麻 酔 薬 な ど も か け ら れ る 訳 だ か ら 、 臨 死 体 験 は薬 の作 る 幻 覚 や高 熱 が 作 る 現象 では な いか 、 と も 考 え ら れ よ う 。 そ こ で、 病 院 の協 力 を 得 て本 人 のカ ル テと 突 き 合 わ せ る こと に よ って 、 ど う いう 薬 を 何 時 飲 ん だ か と いう こと や 、 脈 拍 や 脳 波 や いろ いろ な 身 体 的 要 因 を 加 え て、 患 者 の体 験 の時 期 を比 較 し てみ た の であ る 。 す る と 不 思 議 な こと に、 逆 比 率 が 表 れ る 。 つ ま り 、 薬 を た く さ ん 飲 め ば 飲 む ほど 、 ま た

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麻 酔 薬 を 強 く か け た り す る ほど 往 生 経 験 はし な く な り 、 あ る い は高 熱 を 出 し た りすれ ばす る ほど、 また精 神異 常 にな っ た場 合 には、 逆 に往 生 体 験 を 発 言 し な く な る の であ る。 す な わ ち 、 何 の薬 も 飲 ん で いな く 、 体 温 も 普 通 で全 く 正 常 な 者 こそ、 こう いう 体 験 を 後 で発 言 す る の であ る。 勿 論 、 薬 、 麻 酔 薬 、 高 熱 な ど と い っ た 原 因 も 考 えられ なく はな い が 、 分 析 の 結 果 か ら は 、 そ れ だ け では 片 付 け ら れ な い の であ る。

では、 体 を離 れ 黒 いト ンネ ルを 通 って花 園 に生 ま れ る と いう ﹁ 体 験 ﹂ が 確 か に本 人 にと って はあ ると し ても 、 そ の ﹁ 体 験 ﹂ は 一 体 何 な のか 。 そ れ は単 な る夢 の よ うな も の で はな い の か、 あ る い は 一 種 の幻 想 ・ 幻 覚 で は な い の か と 疑 う こと が出 来 る。 そ こ でま ず、 普 通 の夢 や 幻 覚 と 比 較 し てみ よ う。 人 間 は皆 、 毎 晩 実 は夢 を 見 る。 自 分 は 覚 え て いな いと いう 人 が あ れ ば 、 そ れ は夢 の 日記を とる習 慣 がな いか ら であ っ て 、 夢 の 日記 を と る よ う にな れ ば、 少 し は自 分 の 夢 の内容 を 覚 え ら れ る よ う にな る。 法 然 も 親 鸞 も 高 弁 も 、 昔 のお 坊 さ ん は み な夢 の日 記 を と って いた のだ が、 我 々 も毎 晩 毎 晩 夢 を 見 て いる の であ る。 夢 の ことを 思 い出 し て 頂 け れ ば、 ま ず大 し た筋 のな い こと が 知 ら れ よ う。 た と え 筋 が あ っ た と し ても 、 突 然 背 景 が 変 わ っ た り、 自 分 が こ こ に いた と思 っ た ら突 然 あ そ こ いた り、 接 し て いる つ も り のあ る も のが 突 然 別 のも の に化 け た りし 、 要 す る に夢 に は 一 貫 性 が な い の であ る。 ま し てや、 自 分 の 夢 と他 人 の 夢 を比 べ て見 ても、 一 致 す る 夢 な ど ほと ん どな いも の であ る。 だ か ら、 フ ロ イ ド や ユ ング のよ う な精 神 科 医 は個 性 を知 る た め に 夢 を分 析 す る こと にし た の で あ る。 夢 はご く個 人 的 な も の であ り、 自 分 の心 の 色 々 な 目的 や意 図 の反映 は あ っても、 他 者 の 意 図 や 趣 旨 を 感 じ る こ

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仏教 に於 ける他界観 と は滅 多 にな い。 一 般 化 す れ ば 、 夢 の中 で は相 手 の気 持 ち を 感 じ る こと は滅 多 にな い、 と 夢 の研 究 者 は言 っ て い る。 と こ ろが 、 往 生 体 験 に は夢 にな い 一 貫 性 があ る。 多 く の人 間 が 同 じ よう な 体 験 を 後 で発 言 す る。 ト ンネ ル 体 験 、 花 園 体 験 、 神 様 や 阿 弥 陀 様 み た いな も の に出 会 う 体 験 、 自 分 の人 生 を 反 省 させ ら れ る体 験 。 多 く の人 が言 う に は、 神 の よ う な 存 在 の前 に立 つ と 、 言 葉 を 使 わ な く ても 自 分 の胸 の裡 、 自 分 の心 が そ のま ま 読 み取 ら れ てし ま うと 言 う の であ る 。 そ し て、 そ の阿 弥 陀 様 みた いな 存 在 に対 し て は、 嘘 を つこう にも つ け な いと 言 う 。 別 に 日本 語 と か 英 語 と い っ た 言 葉 を 使 って い るわ け でも な い の に、 き ち んと こち ら の思 い描 く こと を 感 じ 取 ら れ 、 阿 弥 陀 様 の慈 悲 や愛 を 全 身 で感 じ な が ら 、 花 園 た る 浄 土 を 案 内 さ れ 、 自 分 は これ か ら ど う 歩 む べき か 、 ど う 反 省 す べき か 、 と いう こと を 聞 か され る と 言 う の であ る 。 それ も 耳 で、 つ ま り言 葉 で聞 か され る の で はな く て、 心 か ら 心 へ 以 心 伝 心 の よう な も の で伝 わ ると 言 う 。 こ のよ う に比 較 し てみ ると 、 一 貫 性 、 目 的 意 識 、 そし て相 手 と の テ レパ シ ー の よう な コミ ュニケ ー シ ョ ン と い う 点 で、 普 通 の夢 と は根 本 的 に違 う 体 験 と 言 え よう 。 さ ら に次 のよ う な 点 も 興 味 深 い比 較 であ る。 夢 の中 に は目 が 覚 め た 時 に不 思 議 な 気 持 ち にな るも のも あ るが 、 夢 に よ って自 分 の人 生 を 変 え よう と す る こと は滅 多 にな い であ ろう 。 人 生 に 一 、 二度 あ れ ば 多 い方 で、 大 抵 の人 間 は ﹁ あ れ は 夢 だ っ た ﹂ と 済 ま し 、 普 通 通 り に生 き 続 け るも の であ る。 と こ ろが 、 往 生 体 験 を し た患 者 たち は こ の 世 に 戻 ると 、 不 思 議 な ほど 、 曇 鸞 のよ う に自 分 の生 き 方 を 変 え る の であ る。 オ ハイ オ大 学 の ブリ ン 教 授 が 特 に こ う い う例 を 集 め て 分 析 し た のだ が 、 無 神 論 者 や 大 し た 信 者 でも な か っ た ア メ リ カ人 が 往 生 体 験 を し た た あ 、 体 が 治 った後 、 急 に修 道 院 に入 っ た り 、 神 父 や 牧 師 の勉 強 を し 出 し た り す る こと が よ く あ る の であ る。 日本 の大 学 と は違 って、 アメ リ カ で は何 歳 にな っても 大 学 に入 学 が でき 、 好 き な 勉 強 が でき る制 度 が 確 立 し て い る の で、 た と え 五 十 歳 、 六 十 歳 でも 、 神 父 に な る 道 が 用 意 さ れ て いる 。 ま た 正 式 に宗 教 の道 に向 か わ な く ても 、 それ ま で名 誉 や 富 、 あ る い は世 間 の評 価 を 得 る た

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め に 努 め て いた者 が、 往 生 体 験 を 経 た 後 、 ボ ラ ン テ ィ ア活 動 、 例 え ば 恵 ま れ な い子 供 や 孤 児 のた め に励 み出 し た り 、 目 の見 え な い 人 た ち のた め に点 字 を 勉 強 し 出 し た り す る と い っ た よ う に、 往 生 体 験 者 の多 く が 困 っ た 人 を 助 け る活 動 に励 む よ う にな る。 こう し た こと か ら も、 往 生 体 験 と いう も の は、 夢 と 見 做 す に は余 り にも 大 き な イ ンパ ク トを 持 つ 体 験 と言 わ な け れ ば な ら な い 。 往 生 体 験 には も う 一つ 普 通 の夢 には 見 ら れ な い現 象 が 潜 ん で いる 。 それ は、 超 自 然 的 現 象 に よ って超 常 的 知 識 を 得 る と いう こと であ る。 例 を 二 つ 、 三 つ 述 べよ う 。 あ る時 、 セ ント ・ルイ スと いう 街 でか な り の金 持 ち が 亡 く な っ た が 、 遺 言 が 残 さ れ て いな か っ た た め に、 子 孫 が 財 産 に関 し て 争 い 出 し た こと が あ っ た。 そ の時、 彼 の孫 が 大 変 な 病 気 にか か り 、 入 院 し た 時 点 でも う お 手 挙 げ の状 態 で 医 者 も諦 め た の であ っ た が、 皆 の 祈 り のお 陰 か、 奇 跡 的 に蘇 っ た。 蘇 って来 た 後 、 あ の世 でお じ いさ ん に会 って来 た と、 そ の 孫 は言 う の であ る。 そ し てお じ いさ ん は、 ﹁ お前 ら は聖 書 を 読 ま な い か ら分 か っ と ら ん が 、 遺 言 は ち ゃん と 書 い て 、 聖 書 の 中 に 挟 ん でお いた﹂ と 言 っ た そ う であ る。 そ れ で、 親 た ち が 滅 多 に読 ま な い聖 書 を 引 き 出 し て、 指 摘 さ れ た箇 所 を 開 け て見 る と、 き れ いな薄 い 紙 にお じ いさ ん の 字 で遺 言 が 書 い てあ っ た 。 遺 言 が そ こ にあ る と いう こを 知 ってい た のは お じ いさ ん だ け であ り、 そ れ ま で 誰 も知 ら な か っ た。 知 って いれ ば、 争 いも 裁 判 も 避 け ら れ た に違 い な い。 そ こ で 謎 と な る のは、 一 時 的 に 死 ん だ か と 思 わ れ た孫 が そ の 情 報 を ど う や って得 た か と いう こ と である。普 段、 そ の孫 に は超 心 理的 な体 験 も な け れ ば、 決 し て霊感 っ ぽ い 女 性 でも な く、 ご く普 通 の高 校 生 だ っ た そ う であ る 。 次 に こ う い う例 が あ る。 ア メリ カ の ロス で 、 オ ート バイ に 乗 っ た 二十 歳 前後 の 青 年 が ダ ンプ にぶ つ か り 、 意 識 不 明 の瀕 死 状 態 に な っ た が、 す ぐ に 救 急 車 で運 ば れ て 、 色 々 な医 療 措 置 を施 さ れ た お陰 で 、 彼 も 奇 跡 的 に助 か って蘇 って き た。 そ し て 意 識 を取 り戻 し た後 、 あ の 世 でお ば あ ち ゃん や お じ いち ゃん に 会 い 、 そ し て ニ ュー ヨ ー ク に住 ん で いる

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仏教 に於け る他 界観 従 兄 弟 の テ ィ ム に も 会 って き た と 言 った の で あ る 。 病 院 の ベ ッ ド を 囲 ん で い た 親 た ち は 、 ﹁ 確 か に お じ い ち ゃ ん も お ば あ ち ゃ ん も 何 年 か 前 に 亡 く な っ た が 、 テ ィ ム 君 は 今 ニ ュー ヨ ー ク で 勤 あ て い る は ず だ し 、 第 一 ま だ 二 十 数 歳 の は ず だ が ﹂ と 不 思 議 が っ て い る と 、 数 時 間 後 、 ニ ュー ヨ ー ク か ら テ ィ ム が 先 に 亡 く な った と い う 知 ら せ が 入 った 。 そ の 時 ま で 、 ロ ス で そ う い う 事 実 を 知 っ て い た 者 は 一 人 も お ら ず 、 青 年 の 話 を 聞 い た 者 も 、 テ ィ ム は 元 気 で や っ て い る だ ろ う と 推 測 す る に と ど ま っ て い た 。 テ ィ ム の 訃 報 を 誰 よ り も 早 く 知 った の は 、 こ の往 生 体 験 者 だ け で あ った 。 な お 、 こ の 青 年 も 、 普 段 か ら 全 然 宗 教 的 な こ と な ど 信 じ て い な か った し 、 霊 感 っぽ い人 で も な か った 。 普 通 の 夢 や 幻 覚 の中 で は 、 こ う し た 情 報 を 得 る こ と は な い で あ ろ う 。 ま た 、 フ ラ ン ス の あ る 有 名 な 歌 手 が 一 時 的 に 亡 く な った 時 に、 ﹁ お 前 の 死 ぬ 時 期 は ま だ 来 て い な い ﹂ 、 つま り こ の世 で ま だ 仕 事 を し な け れ ば な ら な い と 言 わ れ 、 お ま け に ﹁ こ の女 性 に出 会 え 。 そ し て そ の女 性 と 結 婚 し て、 福 祉 の道 を 歩 ま ね ば な ら な い ﹂ と 命 じ ら れ た と 言 う の で あ る 。 と こ ろ が 本 人 は 普 段 か ら た く さ ん の女 性 に 囲 ま れ て ば か り い た の で 、 一 人 の 女 性 な ど 探 し た こ と も な か った し 、 ま し て や 自 分 の得 意 な こ と は 歌 う こ と だ と 思 っ て い た の で、 社 会 福 祉 の よ う な 道 を 歩 む な ど と い う こ と は 、 そ れ ま で 考 え た こ と も な か った 。 意 識 が 戻 っ て も ﹁ あ れ は 嘘 で は な か った の か ﹂ と い う 疑 い が 晴 れ な か った が 、 何 カ 月 も 経 た な い う ち に、 な ん と 教 え 示 さ れ た 女 性 と ぴ った り の人 が 現 れ た の であ る 。 要 す る に 、 こ の よ う な 予 知 的 な 、 予 言 的 な 知 識 を 得 る と い う こ と も 、 単 な る 夢 や 幻 覚 と 大 い に 異 な る こ と で あ る 。 こ う い う 分 野 が ど う し て ア メ リ カ で 熱 心 に 研 究 さ れ て い る の か と よ く 聞 か れ る が 、 そ の裏 に は 、 二 十 年 ぐ ら い前 に 非 常 に 流 行 っ て い た 麻 薬 の 問 題 が あ る 。 今 で こ そ 厳 し く 取 り 締 ま ら れ 、 ア メ リ カ は 麻 薬 に対 し て戦 っ て い る が 、 そ の 当 時 は 別 に 違 反 で も な ん で も な く 、 ハ ー バ ー ド の 教 授 で さ え 、 麻 薬 を よ く 使 った り 勧 あ た り し て い た 。 そ の頃 の麻 薬 体 験 が こ の 研 究 の 端 緒 を 作 った と 言 っ て も い い の で あ る が 、 も う 一 つ の き っか け は 、 当 時 の ベ ト ナ ム戦 争 で か な り の

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若 者 たち が戦 場 で撃 たれ 、 死 に近 づ く 者 が たく さ ん出 た と いう こと も 挙 げ ら れ る 。 そ れ ま で の戦 争 であ っ た ら 放 って お か れ た よ うな 重 傷 人 でも 、 医 学 が 著 し く 発 展 し た お か げ で、 戦 場 か ら ヘリ コ プ タ ー で近 く の病 院 に運ば れ たり し て 、 蘇 生 を 経 験 す る者 が急 に増 え た の であ る。 そし て、 彼 ら の中 か ら し ば し ば 右 のよ う な 話 が 聞 か れ る よ う にな り 、 そ れ が研 究 を 促 す き っ か け にな ったと 考 えら れ る。 幸 い に戦 後 の 日本 で は麻 薬 の問 題 も 戦 争 の経 験 も な いが 、 防 衛 大 学 校 の教 授 が 第 二次 世 界大 戦 の戦場 で 集 め た 話 の 中 に、 多 少 類 似 し た話 を 見 つ け る こと が 出 来 る。

先 述 し た よ う に、 他 界 に は死 あ る意 味 で は こ の世 の終 わ り 、 あ る 意味 では あ の 世 の入 口 と いう意 味 と 同時 に、 死 ぬ時 の行 為 自 分 の胸 の裡 の動 き も 相 手 の胸 の裡 の動 き も 含 む つ ま り 動 詞的 な意 味 が あ る。 そ し て我 々 にと っ て大 切 な こと は、 こ の往 生 体 験 を ど の よう に理 解 し 、 ど のよ う に応 用 す れ ば よ いか と いう こと であ る。最後 に 、 そ の応 用 の面 を いく つ か 考 え た いと 思 う 。 ま ず 最 初 に理 解 し てお く べき こと は、 自 分 の体 を 離 れ な が ら 、 こ の世 と 共 にあ の 世 を も体 験 し て いる患 者 が大 勢 い ると いう こと であ る。 現 在 、 脳 死 を 判 定 す る に は、 六 時 間 連 続 で脳 波 を 計 ら な け れ ば な ら な い こと にな ってお り、 一 時 的 に脳 波 が 止 ま っても 、 脳 死 と は判 定 し な い の であ るが 、 そ の脳 波 のな い 状 態 で 往 生 体 験 を す る者 が いる。 あ る い は、 脳 波 が ご く 遅 い、 何 の反 応 も な く 死 に近 い状 態 を 示 し て いる時 にも、 視 覚 、 聴 覚 、 場 合 によ っては嗅 覚 や味 覚 の 体 験 さ え し て いた と 、 後 で蘇 生 し た 本 人 が 言 う こと が あ る。 こう いう こと は、 仏 教 にお い ては 別 に 何 の 驚 く べき こと

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仏教 に於 ける他界 観 でも な い の であ る が、 今 の 一 般 常 識 か ら見 れば 、 頭 脳 と切 り離 さ れ た体 験 な ど あ り得 な い筈 であ ろ う。 しか し 往 生 体 験 の研 究 か ら導 き出 さ れ る と こ ろ に よ る と、 頭 脳 が働 い て いな く ても 、 別 の意 味 の意 識 、 そ れ は仏 教 で言 う な ら ば ﹁ 阿頼 耶識 ﹂ と いう こと にな ろ う し、 欲 っ ぽ く言 え ば霊 魂 と いう こと にな ろ う が、 そ れを 何 と呼 ぶ に せ よ 、 何 か 存 続 す るも のが あ ると 考 えざ るを 得 な い の であ る。 そ の存 続 は、 果 た し て永 久 的 な も のな のか 、 それ と も 一 時 的 な も のな のか と い った こと は全 く 分 か ら な いが 、 少 な く と も 次 のよ う な も の の見 方 が 出 来 る よ う にな る の で はな か ろう か 。 す な わ ち 、 人 間 は単 な る機 械 の よう な 物 で はな く 、 体 を 離 れ ても 何 ら か の意 味 で生 き 残 り 得 る 存 在 であ ると いう こと で あ る。 こう し た も の の見 方 は、 一つに は歴 史 的 な 古 典 を 読 む 視点 を変 え る であ ろ う。 例 え ば仏 教 のお 経 や ﹃ 扶 桑略 記﹂ な ど を 読 み 直 す 時 でも、 そ こ に記 さ れ て いる 話 が た だ単 な る作 り話 や神 話 では な いと 見做 す よ う にな る であ ろ う。 当 時 の人 間 は 我 々 ほど 物 質 的 には 恵 ま れ て いな か っ た 代 わ り に 、 あ の 世 を 見 る 眼 を持 ってい た か も知 れ な い の であ る。 次 に考 え ら れ る応 用 は、 突 拍 子 も な い こと と 思 わ れ る か も知 れ な い が、 自 殺 防 止 と い う こと であ る。 私 の 勤 あ て い た 筑波 大 学 は創 立 十 五年 目 にな る が、 当 初 は色 々 な心 理的 な原 因 で 自 殺 がき わ め て 多 か っ た。 幸 い今 では国 立 大 学 で の 平 均 よ り下 にな っ た が、 そ のよ う にな っ た のも、 裏 で 自 殺 防 止 に励 ん でい る教 師 が多 いか ら で あ る。 実 際 の自 殺 防 止 教 育 の 場 面 にお い ては、 こ の 往 生 体 験 の 話 は た い へん役 立 つ も のな の であ る。 それ に は 二 つの理 由 があ る。 一つ に は、 人 は この世 や人 間 が嫌 に な り、 自 分 の存 在 自 体 も 嫌 にな って、 それ か ら 逃 げ た い、 無 にな り た い、 と い う気 持 ち か ら自 殺 を 図 る。 と こ ろ が シ ェ イ ク スピ アの ハム レ ットも 言 う よう に、 も し も こ の世 が 最 後 でな く 、 別 の形 で この人 生 が続 く の であ れば 、 必 ず しも 来 世 が こ の世 よ りも 好 ま し いと いう 保 証 は何 も 無 い であ ろう 。 そう 考 え るだ け で も 、 今 の苦 し さ に変 わ り はな い の に、 自 殺 を 取 止 あ る青 年 が 中 に は い る の であ る。

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自 殺 に 失 敗 し た自 殺 未 遂 の人 を特 に研 究 し て い る コネ テ ィカ ッ ト大 学 のブ ル ー ス ・ グ レイ ソ ン と いう 親 友 が い る。 ブ ル ー ス の 話 によ る と、 自 殺 未 遂 者 に限 っ て、 先 述 し た往 生 体 験 が異 な って い る。 往 生 体 験 が 無 いと 言 う よ りも 、 黒 いト ンネ ルま で行 く が、 そ れ が永 久 に続 く か の よ う に ト ンネ ル の中 に閉 じ込 め ら れ てし ま うと 言 う の であ る。 ア メ リ カ の自 殺 未 遂者 によ る と、 暗 い宇 宙 の中 に ぶ ら下 が っ て い て、 前 に行 こ うと 思 えば 前 に行 け るし 、 上 下 左 右 に動 こ う と 思 え ば 動 け る が、 そ こに は何 も無 い と言 う。 何 か気 味 の悪 い物 が い る よう な 感 じも す るけ れ ど も 、 それ と 連 絡 す る こと も 出 来 な い 。 そ し て 、 大 体 自 殺 す る人 は寂 し が り屋 の人 が多 い よ う であ るが 、 こ の世 で感 じ た最 悪 の寂 し さと 比 べ ても 、 比 較 にな ら な いほ ど の 寂 し さ を感 じ た と言 う。 こ う い う話 を たく さ ん集 め て自 殺 を 考 え て い る学 生 な ど に読 ま せ る と 、 か な り の 者 が考 え直 し てく れ る の であ る。 三 つ 目 に考 え ら れ る こと は、 往 生 体 験 は も と も と キ ュ ーブ ラ ー 1ー ロ スが臨 床 の過 程 で注 目 す る よ う にな っ た こと か ら も 判 る よ う に、 臨 床 カ ウ ン セリ ング に か な り役 立 つ と い う こ と であ る。 普 通 の人 間 であ れば 、 誰 でも 心 の底 に死 に 対 す る 恐 怖 を 持 って いる であ ろ う。 死 にた く な いと い う気 持 ち は、 動 物 的 本 能 と し ても 強 く あ る はず で あ る。従 っ て、 不 治 の病 気 にか か って後 は 痛 み を 耐 え る だ け の存在 と な っ た末 期 患 者 は、 そ の肉 体 的 痛 み 以上 に、 死 への恐 怖 を 非 常 に強 く 感 じ る よ う にな る 。 痛 み は ど う にか 耐 え ら れ る け れ ど も、 自 分 が死 ん で こ の世 か ら い な くな っ て し ま う と い う 思 い は、 と ても 耐 え 難 い の であ る 。 し か し 、 往 生体 験 を し た人 の話 を末 期 患 者 に優 し く話 す と、 多 く の場 合 、 ほ っ と し た 表 情 にな り 、 精 神 的 にた い へ ん 安 ら ぐ と 言 う。 患 者 が安 ら か だ と薬 も よ く効 く よ う に な る。 医 者 も看 護 婦 も楽 に な る。 そし て本 人 が 治 って いく 場 合 も あ れ ば 、 た と え 亡 く な っても、 よ り安 楽 的 に平 安 に亡 く な れ る わ け であ る。 だ か ら こう いう 意 味 にお い ても 、 往 生 体 験 は よ り 広 く 応 用 出 来 る と 思 う の であ る。 も と も と仏 教 の お坊 さ ん も、 正 に そ う いう 意 味 で の カ ウ ンセ リ ン グ を し て いた の であ る 。

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ング

仏教 に於 け る他界観 西 洋 の病 院 には 、 体 だ け を 扱 う 医 者 と 共 に、 精 神 科 の医者 や宗 教 家 も い る。 人 間 の肉 体 と精 神 の 二 元論 は、 プ ラト ンが 始 祖 か も 知 れ な いが 、 デ カ ルト 以 降 は っ き り と分 け ら れ て 定 着 し た。 デ カ ルト が言 う に は、 動 物 は勿論 そうだ が、 我 々 の肉 体 は あ く ま でも 機 械 であ って、精 神 は全 く 別 な霊 魂 み た い な も の な の で あ る。 従 っ て、 西 洋 の病 院 に は神 父 や 牧 師 が 自 由 に出 入 り し、 死 に至 る 患 者 のカ ウ ンセ リ ング をす る。 無 神 論 者 だ と言 えば 、 精 神 科 の医者 と相 談 で き る。 最 近、 日本 の 新 聞 でも ガ ン の 告 知 の問 題 を取 り上 げ、 果 た し て ガ ンの患 者 に ガ ンだ と知 ら せ る べき か ど う か、 と い う 議 論 が激 し く さ れ てい る。 私 か ら 見 れ ば、 問題 の核 心 は そ う し た議 論 に は無 い。 日本 の医 者 は 一 人 の患 者 に 一 日平 均 二分 し か会 ってい な い と言 わ れ てい る が、 そ の短 い間 に、 ﹁ あ な た は難 し いと ころ に いる の です﹂ と 言 う のと、 ﹁ あ な た は ガ ン です﹂ と言 う の と では、 大 し た変 わ り は な い よ う に思 う。 こ の問 題 の核 心 は、 患 者 の心 を 安 らげ る ため に、 い か に優 し く納 得 い く よ う に話 を す る か、 い か に患 者 が頑 張 り た くな る よ うな 心 を 育 て るか 、 と い う こと であ る が、 日本 の医 者 は そ う い う教 育 を受 け て 来 てい な い の で、 急 に ﹁ そ うし ろ﹂ と 言 わ れ ても 無 理 であ ろう 。 西 洋 の病 院 で も医 者 は大 変 忙 し い の で、 各 患 者 に対 し て 三十 分 も 時 間 を か け るわ け に は いか な い。 そ こ で、 牧 師 、 あ る い は精 神 科 の医 者 に対 し て、 ﹁ こ の患 者 は ガ ンな ん だ け れ ど も、 彼 の 精 神 に合 わ せ た言 い方 で伝 え て ほ し い ﹂ と 頼 め る の で あ る。 頼 ま れ た牧 師 や精 神 科 医 は、 ゆ っ く り患 者 の話 や悩 み事 を 聞 い て患 者 の精 神 を よ く 知 っ た 上 で、 ガ ン への心 の準 備 が でき た頃 を 見 計 ら い、 一 人 の友 人 と し て、 優 し い言 葉 で ﹁ 実 は そう な ん です 。 考 え てお ら れ る通 り ガ ン な の です が﹂ 、 と 言 え る よ う にな る。 これ だ け の 準 備 が あ れば こそ、 ガ ンの告 知 を し ても 患 者 の シ ョ ック を か な

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