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慣習とせめぎ合う文法の姿

ここで,[the ADJ this is]という表記が生じた要因を,創造的な言語使用を生み出す文法の働きと,定型的な言語使 用を優先させる慣習との競合・拮抗に求める,ある種の文法観を提示する.具体的に言えば,(3b)に提示した通り,

当該表記においてthisが選択されたのは,this is . . .という極めて慣習性の高いフレーズの存在が故である,と考え る.もちろんこれは,this以外の表記が選択されうる可能性を全て排除するものではなく,thisが選択される可能性 が非常に高いことを示す程度であるが,目下のところ,これ以外にthisが表記として選択された可能性が考えらえれ ないのも事実である.これが正しければ,(3c)に示したように,ヒトは,少なくとも耳から入ってきた音声がどのよ うな言語表現の実現になっているかを判断する際には,文法的にあり得るかどうかということよりも,部分的であれ 慣習的な定型表現の実現になっているかどうかを優先的に判断し,合致する(と思しき)定型表現あればトップダウ

ンにその表現を認識対象として選択することがある,ということが帰結される.これこそが,慣習とせめぎ合う文法 の姿である(3d).

この考えは,「他の条件が等しければ全体的な解釈が優先される」という,いわゆる「イディオム原則」(the idiom

principle: Sinclair, 1991)の議論と類似するが,大きな差異もある.Sinclair (1991)は,イディオム原則の対極に「自由

選択原則」(the open choice principle)を挙げており,全体が優先されないような状況(e.g.,プライミング)においては,

自由な語彙の選択が行われると考えている.しかしながら,[the ADJ this is]表記が示唆するのは,“the funny thing is”

という全体が(恐らくは音韻縮約によって)認識されなかった際に移行するのは,自由な選択ではなく,this is . . .と いう,「次に大きなサイズの全体」であり,規模が縮小しただけで,「全体優先」であることに変化はない,という可 能性である.

また,類似の議論として,Wray (2007)の提示する,「必要な時だけ」解析(‘needs only’ analysis)という文法モデル が挙げられる.Wray (2007)は,車の整備などを例に挙げ,通常の言語使用では表現の内部構造を気にすることなく,

定型的に,表現全体を選択して使用しているが,何かトラブル(e.g.,相手にうまく意図が伝わらなかった)が生じた 際には,ニーズに応じて表現を分析し,創造的に組み替える必要が生じる,と論じており,文法というのはそのよう な場合に活躍するもので,日常の言語使用にとってはそこまで大きな役割は果たしていないという,定型表現中心の 言語観を提示している.[the ADJ this is]も,このようなモデルで記述・説明することが可能であると考えらえるが,

Wray (2007)は,定型的言語使用でうまくいかなかった場合は「分析モード」に移行する,という考えを提示してお

り,この点でSinclair (1991)の議論と同様に,[the ADJ this is]表記の実態を説明しきることができるとは言い難い.

本節の最後に,[the ADJ this is]がthis is . . .という「次に大きい全体」を選択した結果生じたものであることを示 す一つの証左となるデータを提示する.ウェブ検索をしてみると,[the ADJ thing is]の誤表記とみられる,[the ADJ

think is]という表記も存在していることが確認できる.thingと音声的に酷似したthinkが誤表記に現れるということ

は極めて自然であり,仮に文法的な破格性が生じるとしても,「音声的類似性に基づくエラー」として説明がつく.

一方で,この事実は,[the ADJ this is]という表記の存在を改めて先鋭化するものでもある.即ち,[the ADJ this is]と いう表記は,純粋な音声的類似性に基づくエラーでは説明がつかず(そうであればthisではなくthinkが選択される だろう),何らかの他のトップダウンな処理を想定しなければならない,ということである.さらに,iWeb (Davies, 2018-)で[the funny think is]を検索してみると,そのヒット数は13例であり,[the ADJ this is]のヒット数20を大き く下回る.これらの事実から,実際に起きているのは,thinkとthisという単語単位での競合ではなく,this . . .とい う,より大きな定型句単位での選択であるという可能性が強く示唆される.

4.

結語

以上,本稿では,講演(von Petzinger, 2015)の書き起こしデータにみられた[the ADJ this is]という破格的な表記を 分析することを通して,定型的な慣習性ベースの言語使用が,創造的な文法ベースの言語使用と拮抗する姿を描き出 すことを試みた.

締めくくりに,類似の誤表記との比較を提示し,[the ADJ this is]を分析することの意義を再提示しておく.文法 的には破格的であるが高頻度で観察される誤表記としては,would haveなどの[法助動詞+have]の連鎖をwould ofな どと表記するパターンが挙げられる.しかしながら,would of表記は,1)弱化したhaveの発音が実質的にofと同一 になること,2)置換が起きているのが単語単位であると考えられることから,[the ADJ this is]とは同質のものとは 考えられず,その意味でも[the ADJ this is]という表記の異質性が浮き彫りになろう.

参考文献

Davies, M. (2013-).Corpus of global web-based english: 1.9 billion words from speakers in 20 countries (glowbe).available online at https://corpus.byu.edu/glowbe/.

Davies, M. (2018-).The 14 billion word iweb corpus.available online at https://corpus.byu.edu/iweb/.

Sinclair, J. (1991). Corpus, concordance, collocation. Oxford: Oxford University Press.

von Petzinger, G. (2015). Why are these 32 symbols found in ancient caves all over Europe? Avail- able online athttps://www.ted.com/talks/genevieve von petzinger why are these 32 symbols found in ancient caves all over europe.

Wray, A. (2007). ‘Needs only’ analysis in linguistic ontogeny and phylogeny. In C. Lyon, C. L. Nehaniv, & A. Cangelosi (Eds.),Emergence of communication and language(pp. 53–70). London: Springer.

言語文化的視点から見た花の詩的表現についての考察

―花ことばのレトリックを中心に―

段 静宜(関西外国語大学大学院生)

1.はじめに

長い歴史の中で、花は人間に影響を与え続け、今日でも我々の日常生活を彩るかけがえのない存在で ある。人間の文化は、様々な面において花の文化によって特徴づけられている。言葉は文化を反映する ものであり、花の文化とのふれあいは我々の言葉の世界に深く浸透している。「花言葉」とは「象徴的な 意味を持たせるため植物に与えられる言葉」のことで、アジアにせよ、ヨーロッパにせよ、植物それぞ れに特別な意味を与えるのは世界共通である。例えば、ヨーロッパ文化に見られる「深紅のバラは恋人 に対する愛」、「カーネーションは母親に対する愛」などの表現は、世界中で認知度が非常に高い花言葉 である。

主体が外界を知覚し、外界を理解していく認知プロセスには、外界に対する主体の主観的なパースペ クティヴ、主体の身体性にかかわる視点が反映されている。我々は花に対する視覚や触覚など基本的な 身体経験に基づいて、「赤いバラ」、「白いユリ」、「桜が散る」など、花の成長過程や変化を描写する言語 表現を、比喩的な意味で人間の世界の意味づけに取り入れてきている。

2.問題提起

花ことばについて、中国において孫(2011)はメタファーの視点から、中英両言語における花ことばの 対照研究を行い、花の色、容態に基づいて分析した。そして、劉(2005)は、文化的視点から、中国とヨ ーロッパにおける花の文化的意味について研究した。日本では、樋口(2004)が、花ことばの起源と歴史 を詳しく説明した。現時点では、花ことばについての考察は主に歴史、文化的面から行われており、花 ことばのメタファー表現、そして背後にある人間の認知プロセスについての研究はまだ不足である。本 発表では、言語文化的な視点から、バラなどのヨーロッパの代表的な花ことばを具体的に考察する。さ らに、中国、日本と西洋の花ことばの対照研究を通して、花に関する文化の比較を試みる。

3.花ことばのレトリック 3.1「恋は花」のメタファー

花は「恋」のメタファーとして使われることが常にみられる。段(2018)は、「花が咲く」ことを「恋を する」ことに喩えるのは「人間は植物」の概念メタファーに基づいて、人間の身体経験に大いに関係が あると論じている。

(1) Our love is flowering.

(2) 恋の花咲く。

(3) 桃花运(桃の花の運:女運、恋愛の運のこと)

「恋は花」のメタファーは、花と四季の関係が合わさったものである。中国語には、例(3)のような表 現があり、桃の花の運は特に恋愛の運を表し、桃の花は恋のメタファー表現として使われる。「仲春,令 会男女,奔着不禁。」1 、「桃之有华,正婚姻之时也。」2 の記述により、桃の花が咲いている春は、青年 男女が恋愛、結婚する時期だと考えられる。段(2016)は、これは生物学の面で「春は交配の季節」と いう自然界における一般的な規律に関わり、人間の基本的な身体経験の一つと言えると分析している。

中国語における桃の花は恋のメタファーを例として、このようなメタファーが成り立つのは、図1のよ うな認知プロセスを介したと考えられる。

図1.シネクドキによるメタファーの再解釈(段2016を参考)

3.2花ことばについて

次は「花」という上位レベルの概念に基づいて、下位レベルのバラやキキョウなど、「花ことば」を通 して、花が持つ意味について具体的に考察を試みる。

表1.愛に関する花ことば(一部)

花名 色 花言葉

バラ 赤 愛、あなたを愛し ます、熱烈な恋

キキョウ 紫 永遠の愛

ナデシコ ピンク 純愛 ツバキ ピンク、赤、白 完全な愛 チューリップ 赤 愛の告白

サクラソウ ピンク、紅紫 初恋 アネモネ 赤 君を愛する

花ことばは、種とするバラ、キキョウ、サクラソウ、ナデシコなど下位類の花に与える特別な意味で

1 「仲春之月,令会男女,奔着不禁。」:春は男女交歓の季節である。(『周禮•地官•媒氏』)

2 「桃之有华,正婚姻之时也。」:桃の花が咲く時期は婚約を結ぶ時期である。(宋•朱熹『诗集伝』)