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日本における区分対応システム(DR)の構築にむけて

畠山 由佳子

本研究の最初に年間で、日本の児童虐待対応の現状について DR 研究会で討議を続け た結果として、また研究協力者のメンバーにも本報告書にて執筆いただいたように、以下 のことが課題としてあげられると感じている。

一つ目は、日本の児童虐待対応において「対応することの目的」が未だはっきりとして いない点である。厚生労働省からの「子ども虐待対応の手引き」(平成25年改正版)にお いても、「市町村児童相談指針」についても、原則および基本的態度としてあげられてい るのは、「子どもの安全確保」である。しかし、ここでいう「安全確保」は現認時に子ど もが生きて動いていることを確認すれば、確保されたといえるのだろうか?24時間監視す ることができない、閉じられたドアの向こうでの子どもの安全を確実に確保する方法は、

安全を脅かす現場から子どもを保護することしかない。ならば、どのような時点で保護と いう手段をとるのか、取らないならば、どのように安全を確保するのかを考えなくてはな らない。その場合、子どもを在宅においたまま、家族に強制的に支援を受け入れさせる必 要があるのか、それはどこからなのか、どこまで家族の自主性に任せるべきなのか、虐待 通告内容以外の家族のニーズに対してはどれくらい対応すべきなのか、誰がどの役割をど のようにすべきなのか?についてきちんと原則として、言語化し、制度に組み込むべきで あると思われる。その際、自治体ごとの個別性についても反映させられるような余白は必 要だが、共有すべき原理原則となるものは必要であり、定義化され、共有化されるべきだ と考える。

2004年の児童福祉法改正により、市町村と児相との虐待対応および児童相談に対する 層の対応制度が設けられたが、児相は重篤なケースおよび専門的な知識及び技術を必要と するケースを担当し、比較的軽微なものに対しては市町村が対応することとなった。しか しながら、この役割分担も実施から10年が経た今なお、原則としての言語化や定義化がで きておらず、担当が変わればルールや手続きも変わる、というような状況が起こっている のも確かである。また、多くの自治体では児相だけでは多くの通告相談ケースに対応でき ないために、市町村が児相と同じ動きをしているところも少なくない。本来、在宅支援の ための資源のほとんどは、市町村が持っており、その歴史も長い。また、茅ヶ崎市のよう に予防的な子育て支援(例:ほめる・しかる・つたえる子育て練習講座)に力を入れる市 町村もあり、脆弱な家族に対する相談活動の履歴から関係性、情報なども多く持っている ことが多い。これらの市町村特有の力を使うことなく、「ミニ児相化」してしまうのは本 当にもったいない。

有村氏の分担研究における質問紙調査の結果でもあったように、支援者が持つ価値観は

家庭相談員をはじめとした支援者の中には、「安全確認」のみが児童虐待対応における自 分たちの仕事であると思ってしまっている者も多くみられ、古くから、脆弱性をもった家 族と共に子どもが地域で育つ支援を行ってきた経験の長い支援者との間で意識の分断があ ることも研究会の中で話題になっていた。

研究会の中でも「支援」と「介入」という言葉の使い方についても、合意を取ることは 難しかった。安全について家族と率直に話すということは、「支援」であるという意見や、

家族が自ら求めてこない支援を提供しようとすることは、「介入」であるという意見など もあった。結局は介入には「保護者の求めがなくても」という部分から「保護者の意に反 しても」という部分までの幅があるのではないかと考える。また、支援と介入は反義語で はなく、虐待対応であり、家族が非自発的である限り、家族に支援を受け入れてもらう枠 組みは必要である。枠組みは「子どもの安全」を確保するために作るものであり、そのた めに譲れない条件は透明性を持って家族に伝えられるべきである。

さらにつ目の課題である、DV や泣き声通告に代表する雑多な虐待通告・相談の混入 が、さらにシステムの改革の必要を促すと考えられる。第Ⅱ部でも触れたように、児童虐 待対応システムが成熟してくれば、通告や相談の内容は幅広い雑多なものとなるのは自然 なことであるが、ならば一辺倒の対応ではなく、対応もそのケースの内容に合わせなくて はならない。通告されたケースの多くが支援につなげられないのであれば、子どもを守 る、家族を守るために全く意味のないシステムとなるだろう。すべての通告相談ケースを 受理し、48時間以内に現認するということは、すでにシステムとして限界に達しつつある ことは、研究会のなかでも多くのメンバーが同意をしめしていた。この「しらみつぶし大 作戦」が本当に効果があるのかさえ、再通告率や措置率の変化などの効果の指標としての データがない日本ではわからない。

つ目は先にも触れた「安全確認」の稚拙さとプロセスにおける家族の不在である。研 究会の中でも、安全について話す役割を誰が担うのか?という部分は大きく意見が分かれ た。「市町村が安全について話すと、支援に回ることができなくなってしまう」という意 見と、「たとえ市町村が担当するリスクも比較的に低いケースであっても、安全について は必ず言及すべきだ」という意見が出た。

ここでこれらの課題を踏まえて、これまでの研究会での討議、アメリカでの現地調査お よび質問紙調査の結果を踏まえ、本研究にて想定している日本における区分対応システム

(以下、日本版 DR)について、核になる原則について考えてみた。この原則はまだ原案 であり、最終年度に向けて、さらに検討を進める部分である。

.日本版 DR は、振り分ける際は、振り分ける目的が明らかであり、振り分けられる ケースが必要な支援に結びつくことを目的として振り分けられるべきである。ゆえに DR は決して通告ケースを安易に丸投げするシステムではない。莫大な量の通告相談

ケースをどう整理してどう対応したいのか野目的があって初めて成立する振り分けシス テムである。

.北米の DR の起源がそうであったように、日本版 DR においても、「虐待」という事 象にとらわれるのではなく、子どもの安全と子どもと家族のウェルビーイング、そして 子どものパーマネンシーのために、必要な支援につなげることを目的とした対応のシス テムのパラダイムシフトを最終的な目的とする。ゆえに、通告は「支援につながるきっ かけの送致」であり、「児童虐待」ではなく「子どもの安全」の問題としてとらえ、な るべく支援につなげるというソーシャルワークの価値を児童虐待対応に対してもたらす ものである。その価値は日本版 DR の実践を通して、システム全体の手続きに反映され るべきである。

.日本版 DR は必ず根拠を持ったシステマティックな振り分け判断がある。すべての意 思決定には根拠がある。セーフティとリスクに区別をつけ、それぞれをアセスメントし たうえで、家族のニーズとストレングスもアセスメントすることを手続きに含んでい る。セーフティとリスクの概念は違い、セーフティは子どもの保護等を含めて検討し、

強制的にセーフティを確保するための手段がとられるべきであるが、リスクは支援によ りコントロールされたり、家族が持つ強みやプロテクティブ要素によって軽減されるた りする。

.日本版 DR は、受理・不受理のスクリーニングのみをさすものではない。

.日本版 DR には、.振り分け基準、.振り分けを行なう主体、.振り分けた先 の対応トラックの内容、.子どもの安全確認の方法を必ず含む。

振り分けた先のトラックは、「支援型対応」と「介入型対応」と便宜上、呼んだとしても、

「支援」と「介入」のみを行なうものではない。どちらもの要素が必ずどちらのトラッ クにも含まれており、その比重が違うだけである。どれだけ「介入的要素」が強いかは、

子どもの安全確保のために、どれだけ強制的な要素を持たなくてはいけないかによる。

また、どちらのトラックが児相、市町村が担当するというものでもない。トラックの中 身とその振り分け判断主体については、要保護児童対策協議会の活用も含め、柔軟性を もったものにすべきであり、更なる討議が必要である。また、介入的対応については必 ずしも司法の関与を要するものではない。

.日本版 DR はウェルビーイングモデルや家族中心実践やストレングスモデルに基づい た価値を基盤にその手続きが展開されるが、手続きは、各自治体の事情に合わせて柔軟 に誂える余地を残しながらも、核の部分や不可欠な部分についてはきちんと言語化さ れ、定義づけられる。またその手続きは個々人に付随するものではなく、システムに付 随するものであり、人が変わっても手続きの本質は変わらないものである。また、手続 きについては、その根底に流れる価値やミッションの部分を含め、共有されるための研 修も開発されなくてはならない。

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